2014年12月17日 (水)

三島由紀夫 『金閣寺』

三島由紀夫の『金閣寺』は、吃りに生まれついた寺の修行僧の観念の変化と、その実行として、彼が国宝金閣に火を放つまでを描いた小説だ。 
『炎上』というタイトルで映画にもなっている。 

いろいろな角度から読めるのだが、美にとりつかれた若い男の使命感と、その帰結と読むこともできる。 
むろんその使命感は、この男の生い立ちや、周囲とのかかわり合いから生じてきた利己的なものではある。 

しかし、自らの観念を現実の行動に移したこの男のなかに、一貫したものを見てしまうのだ。この一連の観念の誕生やその変化の経緯は、吃りから派生する被差別的劣等感と、それによる自我の世界の構築が前提とされている。さらには、自分の身を引き受けてくれた金閣の老僧の偽善者ぶりや、学友のけしかけなどが、放火へのバネになっている。 

放火したあと、自殺でもするかと思いきや、タバコを飲みながら、私は生きようと思った、とするラストには感激した。 
そうだ、死んではならんのだ。 

映画でいうなら、一種のどんでん返しレベルのラストであった。 
抑制された文体、三島一流の比喩表現の多用など、いろいろ感じ入るところは多いが、このラストにも感動する。 

全く何気ない終わり方に見えながら、犯人として捕まるような場面には言及せず、といって、燃えさかる金閣を見て、目的を果たしたからといって自害するわけでもない。 

そう、生きようと私は思った、のである。 


映画同様、小説もラストが難しい。書き進んでいるうちはむしろ平易だろう。書き出しと、それ以上に、ラストが難しい。 

三島にしてはあぶらぎったところのない乾いた文体で、かつては高校生の夏休みの宿題感想文には必ず入っていた小説であるが、高校生にはなかなか難解だろう。 
しかし、常に難解なものに挑戦してこそ、エネルギーははぐくまれるものと思う。 

小説ではあるが、時代背景は、終戦直後の日本と朝鮮戦争の始まる直前という状況である。 
そのころ日本は、まだまだ不安定であった。 

寺社への放火が相次いでいた戦乱の世をさして、主人公がつぶやく。あのころ社会は不安であった。今の世も不安は同じだ。金閣が焼かれないでよいであろうか… 

この小説の後半では、明確に、認識と行動という対立軸で主人公の観念が変化していく。これは学友、柏木との長い対話からも明らかとなる。 

主人公の行動にはずみをつける鶴川という少年は、自ら死を選んだ。この鶴川という少年(おそらくは美少年)の平凡な死こそ、三島が嫌忌した死にかたであったろうし、このように主人公を死なせず、何ということか、国宝に火を放ってもまだ、生きようと決心させたのであろう。 

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沢木耕太郎 『テロルの決算  新装版』 (2014年12月17日) 

沢木耕太郎・著  文藝春秋  2008年11月7日

山口二矢の浅沼稲次郎刺殺事件についてのノンフィクションである。 

『山口二矢供述調書』(山口二矢顕彰会編、展転社、平成22年11月2日発行)以外で、かの事件に関することを中心的テーマとして書かれた、ほとんど唯一の書籍である。 

事件の真相をリアルタイムで追うという形を取りながら、それぞれの誕生から始まり、政治活動に至るまでに言及され、それらが適宜挿入され、特に浅沼はよわい60を超えているだけに、戦前から戦後間もなくの政治状況や、昭和30年代の激動の時代背景にまで話は及ぶ。 

左翼と右翼が激突しながら迎えた安保条約自然承認のあと、10月12日に、日比谷公会堂で山口が浅沼を刺すに至るまでについては、浅沼周辺の人々の発言に触れ、特に2回目の中国訪問のときの演説やその後の発言により、一気に右翼の怒りを買うまでになったことが明らかにされる。そして、他方、同時に、愛国党を離れた山口の決意と決行までのようすを、独自の調査と収集資料により、克明に描き出している。 

両者双方から、その瞬間までを描くことで、映像的なダイナミズムをもったノンフィクションとなった。 


夭折者に関心が向くのは、こうしたノンフィクション作家にとっては本能に近いものがあるだろう。実際、沢木は、あとがきでそう述べている。 

「二矢がもし生きていたら…楽しいこともあったのだろうか… 
いや、夭折した者には、それ以上の生を想像させないところがある。…特に二矢の場合ほど、もし生きていたらという仮定を撥(は)ねつける夭折はない…」 


何歳までを夭折というか決まりはないが、一般的に若くして死ぬということをさすのだろうし、この言葉には、多分に、文学的なヒロイズムが隠されている。 

滝廉太郎も中原中也も、立原道造も藤村操も、あるいはショパンだって夭折と言えないこともない。 


こういうものを書くからには、そうしたきっかけがあるわけで、ということは、初めから二矢という人間への暖かなまなざしが見て取れるのは当然かもしれない。 

二矢は事件後、その背後関係を疑われ、何度も取り調べを受けた。しかしそうした背後、つまり彼に誰かが命じて浅沼を殺させた、といったことはなかった。 

「…山口二矢はその誰かに踊らされていた人形にすぎないのだ。…私には、このような見方の底に隠されている他者への傲慢さと、その裏返しの脆弱(ぜいじゃく)さが我慢ならなかった。それは山口二矢という十七歳ばかりでなく、同時に私の十七歳に対する冒瀆ではないか、いやすべての十七歳への冒瀆ではないか、と思えた。あなたは十七歳の時、人ひとりを殺したと思ったことはないのか。少なくとも、私にはあった……。」 

この部分は、1982年当時に書かれたあとがきにある。 


1990年代の終わりころ、17歳が数々の問題を引き起こし、問題の17歳などと言われた。 

17歳は、未成年として、成長途上にある年齢であるのは間違いない。 
しかし、昭和30年代の17歳より、40年代の17歳より、50年代の17歳より、近年の17歳のほうが、ものわかりがよく柔軟になったと同時に、国家・歴史・思想について、無関心で不勉強になってきているのではないだろうか。 

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2014年8月 6日 (水)

映画 『安城家の舞踏会』

監督:吉村公三郎、脚本:新藤兼人、撮影:生方敏夫、音楽:木下忠司、照明:加藤政雄、編集:杉原よ志、劇中音楽演奏:松竹管弦楽団、主演:原節子、滝沢修、森雅之、1947年(昭和22年)、89分、モノクロ。

久しぶりに観た。本編では『安城家の舞踏會』である。
華族制度は、戦後民主主義のもと廃止された。伯爵家である安城(あんじょう)家もその運命にあった。
安城家当主・安城忠彦(滝沢修)の長女・昭子(逢初夢子)は、せめてもの思い出にと、舞踏会を開くことを提案する。末娘・安城敦子(原節子)はいい顔をせず、放蕩息子である兄・正彦(森雅之)は、傍観するばかりだ。

他方、忠彦は、安城家の名を借りてのし上がった新川龍三郎(清水将夫)に借金があり、新川は安城家の屋敷を手に入れようと企んでいた。新川の娘・曜子(津島恵子)は、正彦の許嫁になっていた。

元安城家で車の運転手をしていた遠山庫吉(神田隆)は、出戻りである昭子を今でも慕っていた。今では運送会社の社長を務め、金回りもいいので、この屋敷を手に入れようとしていた。

敦子は、昔からの馴染みであり人柄もいい遠山の申し出を受け、遠山にこの屋敷を売るべきだとするが、父・忠彦は華族の生活と誇りを捨てきれず、新川に掛け合ってみると言う。

結局、父や姉のいうとおり、多くの人々を招いて、舞踏会が開かれる。
そこには、新川や曜子、遠山の姿もあり、忠彦の二号・千代(村田知英子)の姿もあった。連れ合いを亡くした父のために、敦子が呼んだのである。・・・・・・

新藤兼人がまだ脚本を書いており、『ひめゆりの塔』などで知られる津島恵子の21歳のデビュー作でもあり、さすがに時代を感じる。のちに悪役で有名になる神田隆もまだスマートで、いい役柄を引き受けている。
『羅生門』『浮雲』などで知られ、どんな役柄にも豹変すると言われる森雅之は、この作品で一躍有名になる。
ほかに、旅館の女中役など『男はつらいよ』でおなじみになる谷よしのも、招待客の一人としてセリフがある。殿山泰司も、安城家一家を見守る忠実な家令・吉田を演じている。

本作はキネマ旬報ベストテン1位となったが、その綿密なつくり、芸術性からして、今でも色褪せることのない作品だ。特に、一定のテンポをもったストーリー展開、意欲的な照明、カメラ、細やかな演出が注目に値し、それによって、廃止される華族の悲劇・やりきれなさ・心の相克といったものを、しっかり描写することに成功している。

この映画を観終わって、果たしてこれが、わずか89分の映画だったろうかと驚くほどに、時間的に充実した作品である。
空間的には、伯爵家の拾い居間や階段、居室、舞踏会会場などが用意されるほか、壁にかかる絵画、ピアノ、ベッド、テーブル、イス、グラス、葉巻、鳥かごと小鳥といった小道具に至るまで、細大漏らさず意欲的に行き届いてる。
音楽はショパンのエチュードなどが使われるが、タイトルバックと舞踏会の演奏は松竹管弦楽団によっている。

始まりは、あたかも舞台劇のようでもあるが、反対側からの撮影を重ねていくのは、やはり映画でしかできないことだ。階段を昇り切ったところから、階下の舞踏会場を見下ろすカメラ、肝心なところでは、ツーショットになる人物をやや下から仰角にとらえるカメラなど、数々の工夫もあり、内容とは別に、そういったテクニカルなところに気が付いて、ついニンマリとしてしまうシーンも多い。

主演の原節子は、すでに映画経験があり、配役では東宝となってるが、直前にフリーとなり、この松竹映画に出ている。戦後間もない作品でもあり、滝沢修ら民藝の舞台俳優と映画俳優が合同で出来上がった作品だ。

作品のテーマは、安城家の悲劇を過去への未練にのみ追うのではなく、古い制度を捨てて、あしたから新しい生活を始めるべきだ、とする希望へと開かれている。華族廃止をむしろ、前向きにとらえようとしている。

その牽引役は安城敦子であり、演じる原節子の信念を秘めた安定感のある容貌と清楚で確かな演技により、この狙いどおりとなっている。最後の舞踏会とはいえ、また、妻を亡くした身とはいえ、忠彦のために二号さんを招くというあたりも、当時としては先進的なストーリーであったろう。
敦子の役柄は中軸であり、ファーストシーンは原節子が振り返るシーン、ラストシーンは原節子のアップで終わる。
この冒頭の居間でのシーンは、観る者を一気に引き込むだけのカメラワークと演出が盛りだくさんだ。

この作品の映画としての圧巻は、舞踏会よりむしろ、舞踏会が終わったあとにある。
多数の人が集まり、華麗でにぎやかな舞踏会が終わると、そのガランとした広間は寂しい空間だ。
忠彦と敦子が、そこで、ダンスを踊ることになる。この数日のうちに、そして、舞踏会当日に、いろいろなことがあった二人だが、この親子の踊るシーンは美しい。ここにすでに、華族終焉の悲劇のにおいは消え去られている。

こういう作品が、戦後間もないころ、映画の職人たちや俳優たちによってつくられ、日本に希望をもたらしたのだろう。
この映画には、技術的にもかなり学ぶところが多い。難しいテーマであるが、それを演出やカメラ、タイミングで、実にうまく表現している。

映画に無関心な人は別として、いま、映画を作っている人々やこれから作ろうとしている専門学校の生徒などは、こういう映画を観ているのだろうか。日本の映画の宝でもある。
最新鋭の機器の操作ばかりに習熟せず、同じ日本人として、古くてもよい作品は観ておいてほしいものだ。

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