2017年2月12日 (日)

「愛するゆえの狂気なるもの」

フィクションでは、多くこうしたテーマが取り上げられてきた。
 
以前にも書いたのだが、三島由紀夫の『金閣寺』で、なぜ主人公の吃(ども)りの修行僧は、金閣に火を放ったあと、「生きようと私は思った」のだろうか。
 
これだけの犯罪を犯して、すぐに捕まる身であり、しかも、金閣と心中しようと考えたこともあったのに、裏山から金閣が燃え盛るのを見ながら、生きようと思ったのである。
 
本人に、犯罪を犯したという意識はほとんどなく、むしろ、畏怖するほどに敬愛しながらも、自らを悩ましつづけ、自らの前に立ちはだかってきた金閣に、ようやく復讐し放火することができ、ようやく金閣からの呪縛から逃れることができ、自由になったからには、生きたいと思ったのであろう。
 
芥川龍之介の『地獄変』では、見たものしか描けないという偏屈な絵描きが、屏風絵を描くことになるが、最後にきてその絵に画竜点睛の欠けるを知り、自分の娘であることを知りつつ、娘が燃え盛る牛車に閉じ込められたまま焼け死ぬ阿鼻叫喚の光景を見ながらこれを描き、出色の屏風絵を完成させる。しかし絵描きはその後、自害する。屏風絵はその男と娘の代わりに、生き続ける。
 
安倍公房の『他人の顔』は、より複雑な経路をたどる。簡単に言えば、実験でケロイド状に醜くなった自分の顔を新たに作るため、ある男の協力を得て、その男の仮面をつくり、自らの顔に貼り付ける。顔を新しくすると同時に、人間としても再生し、妻の愛を再度得たいと願う。
 
醜いままの顔では、愛する妻に嫌われるだろうと考え、苦心惨憺たる努力の末、ようやく完成した仮面を付け、身も心も新たな男として、妻という女の前に姿を現したが、実は、妻は当に仮面の正体を見抜いていた。
 
この小説の終わりにはこのようなことが書かれている。書くという行為は、何もなかったときにだけおこなわれるのである、と。逆に言えば、書いている間は、何も起きていない、のである。
この物語の終わったところから、この男の、書くことができない実行行為が始まることを読者に予想させている。妻の愛を取り戻すために、世間体を意識し、隠れるように生活し、ようやく新たな愛の獲得手段に思い至り、これほどに努力してきたにもかかわらず、妻は自分を裏切り、愛を取り戻すどころではなくなった。書くことがない実行行為とは、つまり妻を殺すことである。
 
エヴァ・ガードナーの出世作『裸足の伯爵夫人』も、ラストは悲劇に終わる。踊り子から映画界のスターになったマリアは、ある伯爵に見初められ結婚する。しかし伯爵は、戦争での負傷により不能になっており、それを初夜に知ったマリアは悲しみのどん底に陥る。親友ハリー(ハンフリー・ボガード)に相談するも埒が明かず、他の男を相手にする。それを知った伯爵は、マリアを拳銃で殺す。遺体は丁重に埋葬され、マリアそのままの像が庭に建てられた。
 
マリリン・モンローの事実上のデビュー作『ナイアガラ』では、夫(ジョセフ・コットン)を裏切ったローズは、教会のビルのなかで、夫に殺される。
この映画は内容より一層映像を見る映画なので、ストーリー自体はシンプルである。愛が憎悪に変わり妻を殺したあとでも、夫はローズの口紅を拾って、あんなに愛していたのに、と言う。愛するゆえに殺したのか、復讐のときは殺ししか頭にないのか。
 
かつてのポルノ映画の復刻版に、『人妻集団暴行致死事件』という映画がある。ポルノというより文学的作品で、タイトルや描写がどぎついが、内容はエロやどぎつさよりむしろ、マニアックなものになっている。ポルノというジャンルでありながら、キネマ旬報でもその年の9位に入っている。
 
ある男(室田日出男)は、苦労人で気前のいい男であり、町の若い不良数人(古尾谷雅人ら)と敵対していたものの、次第にかえって仲良くなる。しかしある日、男のいないとき、妻はこれら不良集団に姦淫される。妻をいとおしく思うあまり、男は、妻の汚れたからだを洗うべく、死んでいる妻をかかえて風呂に入れ、抱きしめ、愛撫する。映画として、このあたりが、単純に狂気とだけは言えない雰囲気を出しており、それが評価されたが、現実にもしありうることを知れば、男はやはり狂人扱いだろう。
 
これらはいかにも虚構ではあるが、事実は小説より奇なりを地でいくように、現実にもいろいろな事件は起きている。それは、社会生活上はあくまでも、犯罪であり、非社会的できごとではあるが、本人の心の世界にあっては、そうとわかっていても実行してしまう、ということなのだろう。
 
ある若い人妻が殺された、犯人は、前の夫であった。その男は、コンクリートの壁めがけて、車を猛スピードでぶつけ、自殺した。その数日後、妻を殺された今の夫は、二人の幼子があるにもかかわらず、自らの父親宛てにビデオレターまで撮ってから自殺した。あいつなしでは生きていけない、と。
 
ある団地で朝早く、二人の幼児が殺された。母親がゴミを出しに行き、近所の主婦と話をしているわずかの時間に決行された。犯人の女はすぐに自首した。幼児の父親と懇ろになったものの、長い付き合いの末、男の心はまた家庭に戻ってしまった。犯人の女は、離婚するという男の言葉を信じ、自ら男との幸福な家庭を夢見ていた。愛は憎悪に変わり、復讐の機会を待った。結果、幼児二人が犠牲になったのである。
 
マルセル・プルーストは、死ぬ直前は発狂していた。病室を密封し、そこにネズミを数匹放し、プルーストは奇声を発しながら、ムチをもってネズミを追いかけ回し、ヒステリックに何匹かを叩き殺すと、ようやく疲れて眠りについた。
 
彼の大著『失われた時を求めて』には、主人公が愛するアルベルティーヌが、午睡に耽る場面がある。殺したいほどに愛する相手が、目の前で寝ている姿を見て、主人公は非常な安心感を覚える。好きな相手が目の前で寝ている姿に、性的欲求よりも、穏やかな愛を感じるのである。
ここにこのまま寝ていてくれれば、アルベルティーヌがよその男と戯れることもないし、それにより心に湧く猜疑心もありえない。
無防備に自分の前ですやすやと眠っていられるということこそ、愛と信頼の証しであると。
 
フィクションは、現実にありえそうもないから、それを書き、それを映画にするのだろう。とすれば、そこに描かれたものは、現実にはありえないという前提があるはずだ。
ところが、現実には類似の事件が起きており、そうした小説や映画にヒントを得たわけではない。
 
虚実は皮膜のごとしで、両者は紙一重のことであるのかもしれない。しかし、現実にそうしたことがあるから、小説家も脚本家も、そういうストーリーを作ることができる。
 
憎らしいと思っても殺せないが、虚構の世界でなら殺せる。
しかし、愛ゆえの殺人や狂気が現実に頻発するのであれば、虚構として構築された世界は、いったいどういう位置づけになってくるのだろう。
 
それとも、愛は現実のもので、狂気は虚構に属するのか。そんなに単純でもないだろう。
 
虚構は無意味なものとして廃棄されてしまうのだろうか。
いやいや、虚構ほど愉快なものはないはずだが…。
 

2016年9月10日 (土)

答案用紙に現れる、受験生の「生きざま」 (平成28年9月10日)

8月は滞っていた入室生徒の流れが、今月に入り、また再開した。

7月中旬に入ってくるのは二種類で、それまでの中間や期末の試験結果が悪い者と、受験学年や浪人生のうち、他の予備校や塾に通っていた者が、そこでの授業に付いていけなくなったり、特定の科目の特定の分野が不得手であることがわかったりした場合である。

8月は、それらの生徒や従来の生徒がペースを乱さないために授業を進める季節であって、特に、中旬以降の入室は多くない。

9月になって入ってくるのは受験学年が多い。7月に入ってくる受験生の9月版である。8月まで予備校や塾に通っていたが、どうも成果が上がっていないという感触が本人にあって、入ってくるのだ。

加えて、7月下旬や8月中旬までのさまざまな模擬試験の結果が、8月下旬には出そろっている。成績が上がっていないとわかれば、今いる予備校や塾にだけ通っていていいのだろうか、と思い始めるのだ。

この自己分析や保護者の分析は正しい場合が多いのだが、そういう成績不振の生徒だからこそ、はっきり言って、9月の入室ではすでに遅い。勉強の成果が模試に反映されるには、タイムラグがあるのだ。

今日も、医学部をめざす浪人生がやってきた。結果的に入室したので、来週から数学の授業が始まる。人物として好感をもてるし礼儀正しいのだが、入試とは成績だ。Sという予備校に教室生として通っていたのだが、模試の結果は決して芳しくない。

最近の模試結果は、データだけでなく、添削してある答案のコピーも付けてある。これはこちらとしてはありがたい資料だ。教師はまず、受験生の「答案用紙の上での生きざま」を見るからである。そこには、解答するという制限された時間を「どう格闘したか」、つまり大仰に言えば「どう生きたか」が現れている。

中学受験でも大学受験でも同じなのだが、いま成績不振でも、いずれもっと高得点を狙えるであろう、という答案と、高得点に至るには相当の時間がかかるであろう、という答案がある。

小問はほとんど正解で、大問に失点がある答案が前者であり、すべての回答欄に平均的に正解と間違いがきれいに混じっている答案が後者である。今日入室した生徒の模試の答案は後者であった。

原因は明らかであって、Sという大手予備校に通ってそこのカリキュラムに沿って勉強していくほどには、「基礎」がないのである。この場合、基礎とは、ひとつひとつの知識だけでなく、解答に至るまでの方法や「勝手」をさす。受験勉強の方法論が自分のなかに出来上がっていない生徒は、そこに密度の高い内容を叩き込まれても右往左往するだけで効果はなく、悲劇的な結末を迎える。

大学受験の「基礎」は、高校での学習内容である。高校での学習内容の基本は、日々の授業である。それを補強するのが、日々の自宅での学習である。

さらに、高校での学習の前提は、当然ながら中学の学習内容である。中学生のころは、身体の発育とともに、頭の回転も早くなるチャンスであり、要領のよさや能率性を、無意識に獲得できる時代でもある。

例えば、英語は中学から始まる。大学受験で英語が不得意な者は、突き詰めていくと、ほとんどすべて、中学時代に、英語の勉強を怠けていた者である。ツケが回ってくるのだ。その代償は高くつく。

取り返すには、ほとんど同じ時間がかかるのだが、高校になれば、興味関心が広がり部活にも時間がとられる。その高校時代に、遅れを自ら取り返すのは至難のわざであり、それを手助けするのが、皮肉にも、塾や予備校ということになる。

およそ、塾や予備校は、株式会社であるからには利潤を追求する企業である。知識よりも勉強方法や「能率」のよさ、さらに、個々の問いに対する「解法」を身に付けるところが、塾や予備校と割り切るべきである。でなければ、企業の餌食になるだけに終わる。

これらの体得には、多少の対価を払っても引き合うだろうが、受験生本人に目的意識もなく、ただ「予備校生である」ことに甘んじているだけでは、本人にとって何の利益もなく、むしろ失うものばかり多くなる。

取り返すものが多い受験生は、これからの時期、文字通り必死にならなければならない。そうならないようにするには、平時から学習習慣を失わないように心がけていればよいのだ。そのほうが、受験直前に慌てふためくことがなく、平時のまま受験態勢に入れる。

結果的に、進学先の選択の幅が広がる。

2016年8月16日 (火)

難関大の文系学部は、英語と現代文が、合否を左右する !!!

☆難関大の文系学部は、英語と現代文が、合否を左右する!!!

 


<入試一般について>

 

◆国立大学は、理系・文系にかかわらず、数学が相当できないと合格は難しい。

◆難関私大は、理系・文系にかかわらず、英語が相当できないと合格は難しい。

◆難関国立私立文系は、国語、特に現代文が相当できないと合格は難しい。

◆以上に言う「できる」とは、その科目の好き嫌いにかかわらず、「得点できる」という意味である。

◆難関大学制覇のための受験勉強は、緻密な作業と労働であり、持続的な職人芸に近い。つまり、ことの是非は別として、勉学に関し、緻密さと持続性が要求される。

 

 

<英語・国語の長文読解問題の特徴>

 

◆国立大学と私立大学とでは、問題文・作問の形式に、顕著な差異がある。

◆国立大学と私立大学とでは、問題文の内容とレベルに、顕著な差異はない。

◆問題と選択肢の文章は程度が高いが、それだけに悪質な問いはなく、良心的な問いが多い。

◆解答への要求水準は高いが、緻密に積み上げた経験的努力によって太刀打ちできないことはない。

◆選択肢の文が長い場合も多い。根気と処理能力が要求される。

 

 

<英語で高得点をとるための心がけ>

 

※これは受験直前までに実行しなければならないカリキュラムである。

◆5文型・関係代名詞・to不定詞に精通する。

◆文の要素として、名詞(単語・句・節)、形容詞(単語・句・節)、副詞(単語・句・節)とそのかかりぐあいに注目する。

◆文中にある単語のアクセントの位置、派生語は、その場で調べ、覚える。

◆単語・英文は音読する。

◆接頭語・接尾語を征服し、見知らぬ単語に出くわしたときの対策にする。

◆接続詞・前置詞は長文読解の助っ人となる。

◆どういう立場で書かれた文章か見抜くため、キーワード・キーセンテンスをチェックしつつ、大意をつかもうとしながら読む。文章のメリハリをつかむ。

◆英語の歌・音楽・雑誌に親しむ。英字新聞は不要。



<選択式問題の特徴>

 

入試問題の多くは、選択枝問題である。これは、中学入試・高校入試でも主流である。

大学入試では、選択肢の文そのものが長いが、センター入試については、全問正解したい。

 

記号式4択または5択が多い。記号選択式問いは、最後には二者択一となる。その二者が、どちらも正解のように見え、どちらも誤りのように見える。

 

問いになっている傍線部の前後をよく読み返す。

それでも判断できなければ、本文全体の趣旨に立ち返る。

選択肢文中の語や表現のなかに、手がかりとなるものを見つけ、やむを得なければ消去法でも一つに絞っていく。

 

消去していく選択肢の文章:

 ある用語が間違い。

 文のある一節が間違い。

 全体には筋が通っているが、本文からそこまで言えない。

 

 ②は見つけやすい。③に引っかからないようにするには、多くの問題に当たるしかない。

 

選択式問題は、あまり考えすぎると、設問に対し近視眼となり、かえって戸惑うことになる場合も多いので、明らかに誤っている選択肢以外の選択肢を、上記のとおりにやり直してみる。

 


<論理的文章に対する慣れ>

 

論理的文章であれ、小説・エッセイであれ、受験生にしてみれば、学校の授業や宿題・課題、予備校のテキストで訓練してきた以上の内容が出題される。

その点では受験生全体に平等であるが、やはり難題となる出題が多い。

受験対策というより、以下のような条件を満たす受験生には、やや有利かも知れない。

 

*論理的文章を読みなれており、各段落を一気に読み、論旨の展開を追うことができ、筆者の意図や立場を、読みながらにしてうすうす把握していくことができる。

*論理的文章であれ、小説であれ、文章というものにアレルギーがなく、また、偏見なく読むことができる。

*小説に関しては、時代にかかわらず、純文学も読んでいた。



<できる対策>

 

◇常日頃、活字に接し、文章や、文章による表現というものに、アレルギーをもたないようにしておく。

◇どうせ難しいに決まっている、だから自分には太刀打ちできないだろう、といった先入観やあきらめをもたない。

◇論理的文章では、論旨のメリハリをつかむ。

◇小説・エッセイでも、「論理的に読む」習慣をつける。

◇選択式問題では、ひとつの回答にいたるまでに勇気がいる。しかし、正解の選択肢には、それが正解であるという根拠(理由)がある。

 

 

<学習上の心構え>

 

☆どんな単語、問題文、長い文章が出てこようが、平然としていられる度胸をつける。

☆勉強にかかわる羞恥心を捨てる。

☆勉強と勉強の合間を、12時間以上空けない。

☆偏差値の近い者同士では、誠実に勉強している浪人生のほうが実力がある。

☆入試に不合格は付きものである。

だが、落ちるかもしれないという不安から逃げずに、これを受け留めて進む。

☆予備校や塾のために勉強するのではない。予備校や塾は、利用するのである。

☆受験は、親や教師や仲間との闘いではない。おのれとの闘いである。




 


2016年8月12日 (金)

そろそろ mixi 卒業かな・・・ (平成28年8月12日)

平成24年年2月13日(月)より mixi を始めたので、今日で丸三年半・・・

正確には、これが4回めの mixi スタートでしたが、いちばん長く続きました。

前回の mixi 同様、映画のレヴューから入りましたが、始めるときの覚悟として、思想的なことをできるだけ書きたい、というのがありました。

映画と思想の両輪でやってきて、一昨年からは、アニメの話も時折書いてきました。

いろいろな出会いがあり、去っていく人・ブロックした人などさまざまでした。

三人のマイミクとは、直接会うことができ、一人とは靖国参拝や山口二矢の墓参りもしました。初め会ったときは独身でしたが、その後結婚されました。

もうひとりの当時高校生とは、原宿で会ってラーメンを食べたりしました。その後大学生になり、彼なりの愛国活動を続けています。今でもFBでつながりがあります。

三人目の彼も、その後大学生になりましたが、靖国参拝を含め、いろいろな話をすることができました。サバゲーに誘われたこともありましたが、慣れないことをしないほうがいいと思い、断りました。こちらはツイッターもしています。

あと二人、語り合おうと言いつつ、実現しないままとなっています。
原則的に、SNSで出会った人とは、実際には会うつもりがないので、以上は極めて例外的な出来事だったと思います。

さまざまな情報をいただきながら、なかなかマイミクさんの日記などのすべてを読めず、そこだけが心残りです。

ツイッターも当初、みんながやってるからぼちぼちやってみようか、という感じでした。
その後、ある一件で、ツイッターの拡散力・威力を知り、あちらがメインになりました。

ある一件とは、・・・・・・

2012年暮れの衆院総選挙の直前、たまたま渋谷を歩いていると、ハチ公側の駅の案内板の裏に、安倍総裁を誹謗するポスターが貼られていたのを発見したので、それを写メして流しました。
選挙直前に、誰がこんなことをしたのか、という写メ付きのツイートは、瞬く間にRTされ、ちょっとした手がかりから、皆が協力して少なくともそれを描いた作成者を突きとめることができたのです。

ある人々は地元警察に連絡し、ある人々は自民党本部に伝えました。
警察や自民党への連絡は、たしかに電話番号もメールアドレスもあるのでいくらでも可能なのですが、正義のために、多くの人がごくふつうに、実際にそうした行動に出られる、ということに痛く感動しました。

三日後、そのポスターは撤去され、テープの跡もきれいになっていました。

調子に乗っていたせいか、しばき隊のチビが、私を凍結させようと、あちこちの仲間に触れ回ったり、2ch でいい加減なことを書き立てられたり、SEALDs の女子をバカにしたら、しばき隊の弁護士が、私を告訴すると言っている、という情報が回ってきたり、と、その拡散力も両刃の剣になるとを知りました。

しかし、結果的に、凍結もなく今日に至っています。
この一年に、二回ほどアカウントロックがかかりましたが、それなりの手順で解消しています。いずれも、アカウント乗っ取りを察知したツイッター側の処置でした。

mixi で知る情報、特にそのURLをツイートすると、やはり、ありがたい情報・時事的情報は、少なからず拡散されます。
あれこれと探し回らなくても、マイミクさんの上げる情報は、そのまま使え、たいへんありがたく思っています。

書きたいことのほとんどは、日記に書いてきました。
思想的な主張については、言い残したことがないと思います。そのため、日記の頻度も下がりました。日記のほとんどは、ココログブログに移してあります。

映画もアニメも際限がなく、政治的には、衆参二回の選挙で、政権側が圧勝しました。都知事選も、したたかで縦横に情報網の広い保守派の女性が選ばれました。

日本全体としては保守傾向が定着していくでしょう。
心配なことも多々ありますが、先々のことは、またそのとき、考えましょう。

今すぐに退会するつもりはありませんが、放置は好きでないので、年末までのある時点で、予告して退会することになると思います。

こんなひねくれ者につき合っていただき、今まで本当にありがとうございました。
謹んで御礼申し上げます。

2016年6月29日 (水)

初めてのボクシング観戦

きのう、初めてボクシングを観戦した。
これは、今年になってから見始めたアニメ『はじめの一歩』の影響だ。

TV1期『はじめの一歩』、2期『はじめの一歩 New Challenger』、3期『はじめの一歩 Rising』を見て、オーバーに言えば、「ここに日本を見た」という感じがしたのだ。

「少年マガジン」で1989年に始まり、現在なお刊行中というモンスター級の漫画で、単行本も、先日114巻が出たようだ。

ボクシングは個人の競技であり、直接的に自分との闘いともなるため、選手というのは、どんな姿・顔カタチをしているのかを、直接目で見てみたかったのだ。
それと、アニメに描かれていた戦いの舞台がどのようなものであるのか、その現場を知りたい、という興味があった。

ひと月前、たまたま昨日が、不規則にとれる休みになったので、ちょうどいい具合に、後楽園でボクシンングをしていないかと調べたら、ボクシングの日だったので、当日券で入ったのだ。

多少調べたのだが、どういう試合なのかといった詳細は、あまりサイトには出ていなかった。
初めてなので、後楽園ホールに入るということとボクサーの現在の姿を見ることに関心があったから、試合の組み合わせは特に気にしていなかった。

ようやくJBC(日本ボクシングコミッション)のpdfから、11の試合があること、うち三つはC級トーナメント、うち二つは東日本新人王戦であることがわかった。

後楽園ホールについては、いろいろな人のブログを参考にした。そこにある写真どおりの実物を、現場で見ることができてよかった。

階段には、ホールのある5階まで、黒い壁に、ぎっしりと選手たちの落書きが書いてある。そうでないものもあったが、これは不謹慎というものだろう。

売店、喫煙所、かつてのボクサーたちの記念品などの展示ケース、ベルトを巻いた歴代チャンピオンの記念写真などを、じかに見ることができた。トイレも喫煙所もきれいだった。

リングサイドは売り切れだった。初めてだったので、南側(リングを正面に見る)A席の一番前を買った。オレンジ色の映画館のような座席である。6000円だ。
開場17:30で、試合開始は18:00、その後、予定では、次から次へと休むことなく試合がおこなわれ、21;37に終了とあった。

実際には、初めの試合は18:00~18:15で、第二試合は18:19~18:34、・・・以下同様だ。
C級トーナメントは4R(4ラウンド)までなので、3分×4R=12分、間に1分ずつ入るから15分だ。
入場・退場を含め、実にタイトなスケジュールになっている。
ただ、実際には早いほうの試合にKOもあったので、予定よりは10数分早く進んでいった。

なかに二つ、片方の選手がデビュー戦という試合があった。
1R終わったところで、それぞれの選手の戦歴が知らされる。デビュー戦の相手は、まだプロボクサーになって1年も経っていない者や、戦績が2試合などという者もいて、力としては近いのだろう。デビュー戦のふたりが、それぞれ勝ったことは興味深い。

試合が後になるにつれ、多少経験豊富な選手が出てくる。これは見ていてわかる。
ディフェンスがうまいのだ。負けたことがあっても、経験年数が3年4年となれば、攻撃のみならず、防御もうまくなるのだろう。パンチが飛んできても、幕之内一歩のように、ひょいひょいよけるのだ。

ありがたかった、と言っては失礼だが、KO(ノックアウト)の試合が二つあった。
ひとつが、右ひざをリングにがくっと落とした。もうひとつは、まさにダウンで、リングにひっくり返った。
後者のほうは、すぐにジャッジが両腕を左右に交差させ、試合終了となった。
担架が運ばれてきたが、アニメのようなものではなく、オレンジ色のプラスチック製の簡易なものだった。だが、しばらくして起き上がり、歩いて出て行った。
選手やセコンドに叱られそうだが、KOを知ってしまうと、判定というのは、選手にとっては大事であっても、見る側としてはあまりおもしろいものではない。

選手入場のときは、例の大音響の景気よい音楽が流れる。両選手や審判を案内するときの司会の声も、マイクの音がよく通る。あれでカラオケを歌ったら気分いいだろう。
映画好きの目から見て、音より驚いたのは照明だ。天井には、数々の照明器具が設置されている。

早めに席について、きょろきょろしていたが、その照明を全部つけているわけではない。
試合開始になると、客席の上はそのままだが、リング上は実に明るくなる。むしろ輝いているといっていいくらいだ。
やけに明るく見えると思ったら、天井の照明器具が、あちこちの角度からリングを照らしているからだとわかった。影をつくらないようにしているのだろう。手術のときの円盤についている照明と同じことだ。

それぞれ試合が始まると、場内はわりとにぎやかになる。
特に、デビュー戦の選手のときは、家族・親族・友人・知人が来ているのだろう。女も子供も絶叫したり、名前コールを繰り返したりしていた。不思議なことに、その試合が終わると帰ってしまうのだ。

ボクシングの醍醐味は、「入った」瞬間であろう。その選手の応援団は、わーっと盛り上がる。
パンチの音も違う。ふつうに当てているときと違い、「入った」ときの音は、ボンというような印象だ。目の見えない人でも、「入った」かどうかはわかるであろう。

ちょっとでも当たると、味方陣営は、わーっと騒ぐが、音がボンでないし、実際、相手選手に効いていない。
ただこれは、ボディや頬の場合で、それ以外の部位のときは、「入って」も、音さえしないのかも知れない。

きのうは、ドームでは「巨人-中日」戦があったようだ。
帰りの道は、野球ファンといっしょになり、ラッシュアワーのような混雑のなか、ようやく水道橋駅にたどりついた。

写真を撮ろうと思ったが、初めてだったので、カメラは持っていかなかった。フラッシュ撮影と動画以外は、撮ってよいようだ。上の立ち見席では、三脚にカメラをつけて撮影していた。これは許可をもらった人たちで腕章をつけており、各ジムのスタッフだろうと思われる。

ホール内には、これからの試合のポスターなどが貼ってあった。
次は、これぞという試合を見つけて、観戦に行こうと思う。

2016年4月 1日 (金)

今までに出会った秀才たち (2016年4月1日)

いままでに出会ったなかで、おそらく、これが秀才だろうと言う人間が、三人いる。

そのうち一人は、中学三年時に公民を教えていた生徒である。

彼は、英語・数学をはじめ、中間テスト・期末テストは、どの科目も満点であった。
定期試験の合間におこなう、範囲のない実力テストでも、どの科目もほぼ満点に近かった。

部活はテニス部だった。掃除も委員の仕事もふつうにこなし、何より屈託のない中学生らしい中学生であった。
いつ何を聞いても、即答したことだけは覚えている。それは教科のことだけではなく、日常会話がすべてそうなのである。
すべてにテキパキしていた。中学生らしくけらけら笑うし、またふくれっつらをすることもあった。

その学校を離れたあと、そのクラスの別の生徒が、クラス全員の進路を教えてくれたことがある。医学部に進むと言っていたのは覚えていたが、彼は島根大学医学部に進んだという。てっきり東大理Ⅲ(医学部)に行くかと思った。なぜ島根なのかわからない。東大を嫌う受験生がいるのも事実だ。

東大に落ちるかも知れないからと、浪人したくない生徒は地方の大学を受けることがある。彼もそうだったのかもしれない。

検索してみると、現在は、神戸大学で神経内科の先生をしているようだ。認知症の研究ということだろう。

二人目は、東大の農学部にいて、大腸菌の研究をしている学生であった。
当時、たまに行く都内のバーでアルバイトをしていた。ママが、この子、東大生なんですよ、とおどけて教えてくれた。
柔和で小柄で、そう言われなければ、単に日銭稼ぎの子供のようであった。

ほとんど対面で話をした。どこを向いていても、何か作業をしていても、ママとのやりとりがはさまっても、人が何を言ったか、すべて聞いているのだ。これには驚いた。
だから、何を聞いても、次は、即座に回答で返ってくる。

このとき思った。よく、読む・書く・話す・聞く、というが、「聞く」ことのできる者は聡明なんだ、と。
話の裏を読む、という意味でではない。単純に、音声をキャッチすることに優れているのだ。それが、裏を読むことへの第一歩だろう。

他のバイトがいくらでもあろうに、なぜ夜の仕事にしたかというと、実験などが始まると、そもそもが昼夜逆転に近い生活になるから、という。そのうえ、人と話すのが好きだからこのバイトを選んだという。学部柄、あまり他人との交わりは多くないとのことだった。
積極的に大人の世界に足を踏み入れるという動機もあったのだ。

子供のような顔をして、大腸菌の研究の話をするから、どこかアンバランスで滑稽だった。毎日のように、便を扱うという。その彼が飲食のバイトというのもおかしい話だ。
しかし、そういう話をするときの目は輝いていた。彼に言わせれば、飲食と排泄は同一線上にあるとのことだ。そりゃそうだ。

三人目は、今の職場になってから、講師として知り合った人物だ。
茨城県土浦市の出身で、後々知ったところでは、祖父に当たる人が陸軍将校であり、レイテ島で戦死しているという。

土浦のトップクラスの県立高校から、現役で東大Ⅰ類に入り、一時期、病気休学したが、その後大学院に進み、バイオケミカルの研究をしている。
いままで二度誘って、飲みに行ったことがある。

高校時代、予備校に行ったことがない。予備校関係でかかわったのは、校内で受ける河合塾の模擬試験くらいだったそうだ。その結果も、総合順位はいつも、全国ベスト10前後であったという。
赤本は学校の図書館にある程度のものしかやらず、数学の参考書なども、学校で使ったものしかなく、受験生のバイブル「チャート式」もぺらぺらめくった程度だったという。

初めは嘘かと思ったが、話しているうちに納得した。頭の回転が違う。むだな音声、えーと、とか、そうですね…、とかいった言葉が聞かれない。
受験界では、全体からすれば難関だが、あるカテゴリーのレベルでは、東大理Ⅰはそれほど難関なほうではない。彼がすんなり入学したのは、当然のことのように思えた。

といって、決して偏屈ではない。笑うところは笑うし、ユーモアや皮肉も通じる。蛇足だが、当然ながら愛国者である。

研究室に、毎年のように中国人が入ってくる、入ってくるのはいいが、細かなところで日本の慣習や秩序が通じなくて困る、とこぼしていたこともある。

何か、この三人に共通するものはないか、と考えてみた。

受験というものを、必死に忍耐強く乗り切って、カリカリと努力して、ようやく大学生になった、というイメージが、ない。

三人とも、気取ったところがなく、実に誠実で、おかしい話題にはけらけら笑う。話が途切れると、すっと、とりすましたような真面目な表情に戻る。
礼儀正しく、常識もある。

つまり、極めて人間的であり、社会や組織のなかに順応し、当然いやなこともあるはずだが、自分というものをもって、研究や仕事を楽しんでいる風がある。

勉強を必死にやって、よい成績を出して、志望大学に合格する、というのは、受験生の当然のなりゆきなのであるが、もともとの能力もあるだろう、それほど努力しているようには見えない。
受かるべくして受かっている、という印象だ。

話、話し方に、不遜なところも不誠実なところもない。ただひたすら、ひた向きであり、すべてにムダがない。

その話題にしても、どんな方面のものでも関心をもつ。つまり話題が豊富なのだ。例えれば、映画館に行かなくても、映画には関心をもつ、ということだ。

彼らのような存在を、秀才を呼ぶのだろうな、と思う。
そういう人間に出くわしたことは、個人的に感慨深い。
二人目の学生も、今頃どこかで、研究者になっているだろう。

この話を、昨今のサヨク学生に近付けてみると、いくら著名な大学の学生でも、「賢くない」ことをしているな、と思わざるを得ない。

上記の彼らはたまたま理系であった。サヨクには理系が多い。志位も菅も小池も、全学連中核派の幹部も、みな医学部・薬学部・工学部など理系の出身者や現役学生だ。

本来、自分の専攻であった科目に力を入れず、アルバイトやボランティアなどに没頭し、そこからサヨクの道にはまっていく。
それがサヨク政治家の子供ならしかたないが、一般のサラリーマンの子である学生が、横道に逸れていくというのは、自分の専攻をおろしかにしたとしか言えない。

自分をもって、客観的にものごとをとらえていくかぎり、アルバイトやボランティアは補助的な位置づけで終わったはずと思う。

政治は、政治家にまかせておけばいいものではない。
しかし、自らの本分を忘れず、節度をもって、せっかくの学生生活を送ってもらいたいものだし、また、学生時代とは本来、そうあるべきだ、と思うのだ。

2016年2月12日 (金)

ステキなアニメOST

 

『デュラララ!!×2 承』より
01 Dancing in the Sunshine https://youtu.be/-D4vWsKGcxE @YouTube
<externalvideo src="YT:-D4vWsKGcxE:D">

『デュラララ!!』より
Durarara!! OST [Vol.1] Their Aspirations #11 https://youtu.be/T9MOaxcdmYg @YouTube
<externalvideo src="YT:T9MOaxcdmYg:D">

『黒子のバスケ』より
Kuroko no Basket 2 OST Disc 1 -  2. バニシングドライブ https://youtu.be/RLhaSbIqDNk @YouTube
<externalvideo src="YT:RLhaSbIqDNk:D">

『氷菓』より
思考回路の彷徨い 氷菓(Hyouka) OST 11. https://youtu.be/M5F99shTDbI @YouTube
<externalvideo src="YT:M5F99shTDbI:D">

『氷菓』より
解決ながらも暗然 氷菓(Hyouka) OST 43. https://youtu.be/IBSz5Npj4Bs @YouTube
<externalvideo src="YT:IBSz5Npj4Bs:D">

『残響のテロル』より
Terror in Resonance OST 09 - walt https://youtu.be/DqUezqu67jA @YouTube
<externalvideo src="YT:DqUezqu67jA:D">

『屍鬼』より
Most Emotional Music Ever: Shi-ki https://youtu.be/RuYC6U3LBRs @YouTube
<externalvideo src="YT:RuYC6U3LBRs:D">

2015年12月18日 (金)

今年のアニメ遍歴 (2015年12月18日)

昨年は大晦日に、こんな日記を書いていた。

今年を振り返って~この一年の漫画史 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936977454&owner_id=48430274 (2014年12月31日)

今年は少し早いのだが、この一年のアニメ遍歴?なるものを書いておきたくなった。

昨年の日記の最後は、「・・・さて、『東京喰種トーキョーグール』でも買いに行くかな・・・」で終わっていた。
実際あれから、池袋ジュンク堂に、出ている巻をすべて買いに行って、正月休みに読んだ。

やがて、第二期になると、急におもしろくなくなった。
漫画のほうがそうだったので、アニメのほうに期待したが、内容にズレがあり、それはいいとしても、なかなか見続けるに至らなかった。

ひと言で言えば、つまらなくなった。ストーリーの文脈や抑揚がないので、多くの登場人物があるわりには、単調に映った。
白カネキが登場し決闘するラストあたりが圧巻で、その後は理屈付けだけになったような気がする。

ただ、キャラクターには興味深い者もいて、漫画の絵としてはよかった。

『ハイキュー!!』は、3月までに一期のDVD・BDが発売終了したが、依然、コミックスは続いており、今月19巻が出た。烏野と白鳥沢の攻防が続いている。内容も一定の緊張感をもったまま進んでいる。
単行本を通して持っているのはこれだけなので、これは最後までお付き合いすることになりそうだ。

10月からはアニメ二期も始まった。
どうしても一期と比較してしまう。登場キャラクターが多くなり、他校との練習試合などがテーマとなった。ステージが烏野だけ(内側)から東京遠征(外側)に広がるから、それに慣れればおもしろくないわけではない。

こちらは、多少、シーンを前後させる場合があるだけで、原作にほとんど忠実だ。内心の言葉であるモノローグが多くなるので、アニメ化は一期よりてこづっただろうが、試合が始まればまた、勢いづいていくだろう。

2月には、『さよなら絶望先生』を知り、これも動画サイトで「俗」「獄」「懺」全シリーズを見れた。声優の神谷浩史からすれば、この仕事そのものが、いい滑舌練習になっただろう。
こんなアニメがあったのかと驚いた。社会風刺や萌え漫画、オタク文化などをふんだんに盛り込み、石破茂や櫻井よしこまでパロディー化されている。

糸色望が、ダメ人間でありながら純和風のスジを通すあたりも共感できる。
テンポが速く、絵も昭和風であり、漫画には珍しく、全体に保守愛国的色彩が強い。

4月になると、ある歌から『氷菓』を知り、かなりの衝撃を受けた。(TVアニメ『氷菓』という空気感 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941029225&owner_id=48430274 (4月14日))

その舞台である高山市にまで出かけることになった。5月末の高山市内は、旧暦の端午であり、まだ鯉のぼりが見られた。
こちらは、アニメのあとに単行本が出るという異例なスタイルだ。
高山には、10月の高山祭にも出かけることができた。

7月には、映画館で『バケモノの子』を観た。
アニメを映画館で観たのは久しぶりだったが、これは前評判ほどでもなかった。ちょっと詰め込み過ぎなのと、やはり話に抑揚がない。

そのころ『デュラララ!!』と出会った。
たまたま、アニメのキャラのなかで、いちばん性格の悪いキャラは誰か、というコーナーを見たところ、1位が『折原臨也(おりはら・いざや)』で、2位が『花宮真(はなみや・まこと)』なるキャラクターだった。

初め、臨也の読み方も知らなかった。いろいろ情報を集めるうちに、『デュラララ!!』に行き着いた。
池袋が舞台であり、そのサスペンス調な展開が気に入った。
全体のストーリーがよく練られていて、これにははまった。

キャラクターの個性がそれぞれ際立っており、いわゆる事件・事故見たさの俗物根性にうったえながら、悪と善が歯ぎしりし合いながら戦っていく様相がおもしろい。

首なしライダーだのセルティの変身シーンなど、はじめ違和感もあったが、スリリングな世界の出来事の演出でもあり、清涼感がある。
これも、今年第二期『承』『転』がテレビアニメ化されたばかりで、来年1月から、ラストの『結』シリーズが始まる。
『転』に至ると、話の枝が広がりすぎた感があるが、『結』でどう収拾するかも興味深い。

9月、おもしろいかなと思って『ばらかもん』をレンタルしてみた。
派手な作品ではないものの、日本の風土が感じられ、限られた人物同士のやりとりが誠実で、好感がもてた。

『ばらかもん』が、わりと小さくまとまっていたので、その後、スケール感のある何か著名な作品はないかと思い、『進撃の巨人』を観てみた。

これはたぶん、はまるかどうかでだいぶ違うんだろうなと思いつつ、途中でやめてしまった。
映画化もされるくらいだから人気が高いのだろうが、多くのキャラクターが際立っておらず、戦闘シーンなどもメリハリがなく、飽きてしまった。
原作のほうがよいのかも知れない。

その後、いよいよ『黒子のバスケ』と出くわすことになった。
花宮真のことは忘れていたが、脅迫事件のあったことで名前だけは知っており、実際、二年前に、試しにと途中の一巻をDVDで借りていた。そのときは、ほとんど興味がなかった。

今回初めから観てみたが、これはよかった。
『弱虫ペダル』や『ハイキュー!!』のような「健康な泥臭さ」はほとんど捨象されているが、これをまた、洗練されたバスケ漫画と見ることもできるだろう。

全75話までだが、二週間ほどかかって、ラストのウィンターカップ決勝戦・誠凛高校優勝まで一気に観た。テレビアニメも、第三期は今年6月に終了となっているので、アニメとしてはまだ新しい。

これは昨日までに、75話(75Q)までを、通して4回観た。
なぜそんなにはまったかはいろいろあるので、独立して書いてみたい。

監督はたくさん映画を観てきている人だろう。原作は読んでないのだが、元がしっかりしているので、おそらくアニメ化がうまくいくのだろう。
スポ根ものでありながら、観ている側を画面に確実に参加させ、ストーリーやシーンのメリハリにまで引きずり込んでくれる力作だ。

高校の一スポーツをテーマにはしているが、アニメでこれだけの作品ができるのだから、一般の映画が陳腐なものになっていくのもしかたない。

今月に入って、『亜人』を観た。これは二週間だけの上映であり、まだ続く。(アニメ映画 『亜人 第1部 -衝動-』http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1948319349&owner_id=48430274 (12月2日))
サスペンスな雰囲気のあるものはいい。今後に期待できる。

ふつうの映画もそうだが、どうもサスペンスな雰囲気は好きだ。
『AKIRA』や、『氷菓』『デュラララ!!』『亜人』はよくて、『東京喰種』や『進撃の巨人』はダメであった。

サスペンスは、日常から非日常が膨らむところがおもしろい。といって、話があまりに非現実になると、どうも付いていけない。

『AKIRA』も、日常に潜む非日常が拡大していくところにおもしろみがあり、あまりに宇宙的なテーマや時空を超えるストーリーとなると、泥臭さが消えてしまい、興ざめだ。『交響詩篇エウレカセブン』あたりが限界だ。

スポ根ものは知らないだけで、まだよい作品がたくさんあるのだろう。
ただもう、スポ根というだけで興味はそそられない。
『黒子のバスケ』にしても、サスペンス的要素がないわけでもないから、よかったのかも知れない。できそうで・ありえそうなわざ・・・そのあたりが魅力的だ。

スポ根ものは凋落したと言われるが、詳しくないのでわからない。
それでも、中学生・高校生がいるかぎり、ああした熱いドラマは、手を替え品を替えて継続的に出てくるだろう。

『ハイキュー!!』にしても『弱虫ペダル』『黒子のバスケ』にしても、主役は小柄だが、ひたむきな努力を繰り返し、まっすぐに生き、自分独自のわざを生み出し、堂々と勝負に挑み、勝利に近づいていく。
それも、当然のことながら、個の力だけでなく、仲間と力を合わせてこれが果たせるというところに、基本的価値観を置いている。

そのプロセスに夢があり、葛藤があり、悔し涙があり、感動もあり、その全体が楽しい。

また、以上の作品とは全く別ジャンルになるだろう 『言の葉の庭』のような作品も、繊細で美しい映像と相俟って、しっとりとした味わいがあり、隅に置けない。これはもともと、マイミクさんから紹介された作品だ。(アニメ映画 『言の葉の庭』 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941168571&owner_id=48430274 (4月19日))

それにしても、アニメに使われるOSTは侮れない。
『氷菓』のDVDには、録音中の風景なども入っていたが、ああして音入れをするのだと思った。

それぞれああした曲を作れるというのも、かなりの才能ではないかと思う。OPやEDの曲も、内容を象徴したものが多いが、OSTはまさに、映画のシーンに合わせる曲と同じで、そのシーンを盛り上げるのにひと役買っている。

『氷菓』『デュラララ!!』『黒子のバスケ』などのOSTは、それだけ聴いてもさまになっているし、各シーンを想起させる。

『氷菓』の「思考回路の彷徨い」、『デュラララ!!』の「Dancing in the Sunshine」、『黒子のバスケ』の「バニシングドライブ」などは、それだけ聴いても飽きない。

人生の後半もだいぶ過ぎて、こうしたアニメに出会ったのは、かえってよかったのかも知れない。
全話終了している作品も多い。現在進行形は『ハイキュー!!』だけにして、自分に合った作品を探していこう。

来年はどんな作品にめぐり合えるだろうか。

2015年10月17日 (土)

難関大の文系学部は、英語と現代文が、合否を左右する!

☆難関大の文系学部は、英語と現代文が、合否を左右する!☆



<入試一般について>

◆国立大学は、理系・文系にかかわらず、数学が相当できないと合格は難しい。
◆難関私大は、理系・文系にかかわらず、英語が相当できないと合格は難しい。
◆難関国立私立文系は、国語、特に現代文が相当できないと合格は難しい。
◆以上に言う「できる」とは、その科目の好き嫌いにかかわらず、「得点できる」という意味である。
◆難関大学制覇のための受験勉強は、緻密な作業と労働であり、持続的な職人芸に近い。つまり、ことの是非は別として、勉学に関し、緻密さと持続性が要求される。



<英語・国語の長文読解問題の特徴>

◆国立大学と私立大学とでは、問題文・作問の形式に、顕著な差異がある。
◆国立大学と私立大学とでは、問題文の内容とレベルに、顕著な差異はない。
◆問題と選択肢の文章は程度が高いが、それだけに悪質な問いはなく、良心的な問いが多い。
◆解答への要求水準は高いが、緻密に積み上げた経験的努力によって太刀打ちできないことはない。
◆選択肢の文が長い場合も多い。根気と処理能力が要求される。



<英語で高得点をとるための心がけ>

※これは受験直前までに実行しなければならないカリキュラムである。
◆5文型・関係代名詞・to不定詞に精通する。
◆文の要素として、名詞(単語・句・節)、形容詞(単語・句・節)、副詞(単語・句・節)とそのかかりぐあいに注目する。
◆文中にある単語のアクセントの位置、派生語は、その場で調べ、覚える。
◆単語・英文は音読する。
◆接頭語・接尾語を征服し、見知らぬ単語に出くわしたときの対策にする。
◆接続詞・前置詞は長文読解の助っ人となる。
◆どういう立場で書かれた文章か見抜くため、キーワード・キーセンテンスをチェックしつつ、大意をつかもうとしながら読む。文章のメリハリをつかむ。
◆英語の歌・音楽・雑誌に親しむ。英字新聞は不要。



<選択式問題の特徴>

記号式4択または5択が多い。記号選択式問いは、最後には二者択一となる。その二者が、どちらも正解のように見え、どちらも誤りのように見える。

問いになっている傍線部の前後をよく読み返す。
それでも判断できなければ、本文全体の趣旨に立ち返る。
選択肢文中の語や表現のなかに、手がかりとなるものを見つけ、やむを得なければ消去法でも一つに絞っていく。

あまり考えすぎると、かえって戸惑うことになる場合も多いので、明らかに誤っている選択肢以外の選択肢を、上記のとおりにやり直してみる。



<論理的文章に対する慣れ>

論理的文章であれ、小説・エッセイであれ、受験生にしてみれば、学校の授業や宿題・課題、予備校のテキストで訓練してきた以上の内容が出題される。
その点では受験生全体に平等であるが、やはり難題となる出題が多い。
受験対策というより、以下のような条件を満たす受験生には、やや有利かも知れない。

*論理的文章を読みなれており、各段落を一気に読み、論旨の展開を追うことができ、筆者の意図や立場を、読みながらにしてうすうす把握していくことができる。
*論理的文章であれ、小説であれ、文章というものにアレルギーがなく、また、偏見なく読むことができる。
*小説に関しては、時代にかかわらず、純文学も読んでいた。



<できる対策>

◇常日頃、活字に接し、文章や、文章による表現というものに、アレルギーをもたないようにしておく。
◇どうで難しいに決まっている、だから自分には太刀打ちできないだろう、といった先入観やあきらめをもたない。
◇論理的文章では、論旨のメリハリをつかむ。
◇小説・エッセイでも、「論理的に読む」習慣をつける。
◇選択式問題では、ひとつの回答にいたるまでに勇気がいる。しかし、正解の選択肢には、それが正解であるという根拠(理由)がある。



<学習上の心構え>

☆どんな単語、問題文、長い文章が出てこようが、平然としていられる度胸をつける。
☆勉強にかかわる羞恥心を捨てる。
☆勉強と勉強の合間を、12時間以上空けない。
☆偏差値の近い者同士では、誠実に勉強している浪人生のほうが実力がある。
☆入試に不合格は付きものである。落ちるかもしれない、という不安から逃げずに、これを受け留めて進む。




2015年8月10日 (月)

絶食の一日

6月の会社の健診で、いままでオールAだったのに、初めてEをもらいました。

便に潜血反応があって、赤字の+4が最悪なのですが、+2で、要精密検査という判定になりました。
あす、検査に行ってきます。

例年の健診の結果、周りにもそんな人は必ずいて、たまたまだよと言って判定を無視する人も多いのですが、中にはそれでポリープが見つかり、その場で処置した人もいたので、一応検査を受けることにしました。

いろいろ情報を見ると、仮に大腸がんでも、初期の場合は無自覚とのことなので、受けるにこしたことはないし、内視鏡検査も、別に痛くはないとのことなので、気楽に受けてきます。

それよりも、検査前日、ほとんど絶食状態にしなければならないので、それが何とも辛いですね。
それが今日、いま、です。

もともと暴飲暴食はしないし、間食も果物や和菓子くらいなのですが、朝から水か緑茶だけというのも、なかなかです^^

夏休みで、休日のシフトが乱れているので、昨日出勤で今日・あすは休み、水曜は公休日なので、都合三連休ですが、こういうお盆は初めてです。

病院は、健診をした赤羽橋の済生会中央病院で、あす午前中は下剤を混ぜた水2リットルを飲むなどして、腹をすっからかんにし、検査同意書を持って、午後行きます。

検査のあと、またいつものように、東京タワーの雄姿を見てこようと思います。

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