2015年10月11日 (日)

秋の高山祭

学生時代以来、秋の高山祭に行ってきた。
当時は友人の車で、白川郷などを含め駆け足で巡ったのだが、布袋台のからくり人形だけは、よく覚えていた。

秋の高山祭「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神、櫻山八幡宮の例祭だ。
屋台の曳き揃え、曳き廻し、宵祭が見どころだが、曳き廻しの時間は、前回行かなかった城山公園に登った。

城山公園からは、高山市街が一望できる。中橋、戎橋、柳橋、鍛冶橋が並んで見える場所があり、そこに行くのが目的だった。如意が丘という広場から見下ろせる。

高山祭は、少しでも雨の気配があると、平気で中止となる。今年の春の高山祭は、雨天で中止だった。
屋台に和紙などがふんだんに使われており、金めっきなどがほどこされ、人形、彫刻、車など貴重な文化財であり、雨に打たれるのを避けるのだ。

一週間くらい前から天気予報を気にしていたが、予報士がはしゃぐように解説していた台風も東にそれ、8日は東京も高山も快晴であった。

5月と違い、今回は富山経由で高山に入った。北陸新幹線に乗るためだ。
行きは「かがやき」に乗った。2時間15分ほどで富山に着いた。
乗り心地はよかった。通常の指定席でも、前後が広いと感じた。

高山祭は例年、曜日に関係なく、10月9日・10日に行われる。三泊したかったが、10日はどこもとれず、二泊で帰京した。10日は9日とほとんど同じメニューで、宵祭は9日しかやらない。9日だけでも充分とわかった。

ハイライトはやはり、その宵祭だ。山車それぞれに、100個以上の提灯をつけて、古い街並みなどを練り歩く。
山車が通るところには、6時前にすでに、たくさんの人垣ができていた。撮った写真をアルバムにしたが、やはり実物のほうが迫力もあり豪勢だ。

曳き揃えもみごとだった。
朝9時より、八幡宮の前に、一列に屋台が並ぶ。青空の下、屋台の装飾がみごとに映える。
中に狭い階段があって、笛吹き番の子供たちはそこから登っている。男衆の飲む酒も置いてあるのが見えた。
見ていて飽きが来ないものだ。

布袋台だけは、境内に設置されている。
これは、からくり奉納を行なうためだ。この瞬間を見るために、大勢の人が台の正面に端役から居座っている。これはかつて見たし、あまりの混雑ぶりに、パスした。

街中はゆったりと時間が過ぎていた。
宮川は変わらず、滔々と流れ、放流された鯉まで泳いでいる。

赤い中橋から、木製の不動橋まで、何回も往復した。
不動橋は、八幡宮の入口である宮前橋の隣の端だ。不動橋はロマンだ。

いつもの「かじ橋食堂」で、飛騨牛入り朴葉味噌定食を食べた。食事はこの店しか知らないが、ここがいちばん気楽に入れる。
話してみると、婆さんは90歳でおかみさんの祖母の世代、ひ孫の小学生以下三人が店内をうろちょろしている。
それでも、どのテーブルにも、花が置いてある心遣いがうれしい。

和風喫茶「かつて」は、着くなりすぐ寄った。ここは二階もあるが、いつも二階しか行かない。この店に寄ったら、二階を知るべきだ。一階だけで帰るのはもったいない。

夜はライトアップされているので、着いた8日の夜は、中橋や江名子川沿いを歩いた。
8日夜は風が吹いて、多少寒かったが、9日は全日気温が高めで、祭日和となったのは幸運だったと思う。

古い街並み、上三之町に、「小鳥屋」という店がある。おどりや、と読むそうだ。
反物や刺し子糸などを売っている。店員のいる側は畳敷きで、昔ながらの座売りの店だ。

表に『氷菓』のポスターがあったので中に入った。
男にはあまり縁のない品ばかりだったが、『氷菓』関連のグッズも置いてあった。

「氷菓」の話などしていたが、その和装の若い男性店員は、『氷菓』の舞台であり作者の出身校でもある、県立斐太高校の出身とのことだった。

いきなり、これどうぞ、と言って差し出したのが、物語のラストとなる生き雛祭の小さなポスターであった。千反田えると折木奉太郎が描かれている。漫画『氷菓』を描いているタスクオーナ氏の描き下ろしイラストだ。

貴重なものをもらった。
そこに並ぶグッズは、どれも5月にも買ったものばかりだが、またひととおり買ってしまった。

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2015年6月 1日 (月)

飛騨高山紀行 (2015年6月1日)

5月26日から三泊で、高山市に行ってきました。
フォト集を見ていただければ、街のようすは一目瞭然です。
とにかく、すべてにきれいな街です。
学生時代、秋の高山祭に合わせて、友人のところ(会社が借りている寮)に厄介になって以来です。
そのときはその名古屋出身の友人も、高山に来たことがなく、いっしょに見て回ったはずなのですが、布袋台のからくり人形と白川郷が印象的だったくらいで、時間もなかったため、他の景色が記憶にありません。
今回の高山行きは『氷菓』をきっかけにしていました。それでも4年ぶりに、仕事を休んで遠出するので、いろいろ調べてから行きました。
宿は、せっかくだからと日本旅館に決めていましたが、朝食・夕食の時間に縛られるのはいやだな、と思いつつ検索したところ、古い街並のど真ん中に、素泊まり専門の小さな宿があることを知り、そこを予約しました。
河渡(ごうど)という純和風旅館です。五へやしかありません。オフシーズンだからとれたのでしょうね。他に客はありませんでした。
3日間とも天気に恵まれ、むしろ暑い日々でしたが、湿気はないので、からりとした日差しがきつい、という感じです。
好天のもと、歩兵のように歩き回りました。散策が目的だったので、多くの資料館のうち、昭和館以外はパスしました。
氷菓関連のスポットはほぼ暗記していたので、そこに出くわすと写真を撮っていましたが、街の中をきれいな川が流れ、その脇をぶらぶらするのが目的だったので、旅行としては大成功でした。
そうは言っても、宮川にかかる橋は、赤い中橋から万人橋まで、必ず渡ると決めていたので、着いた日早々、けっこう歩きました。
高山は、月遅れ(ひと月遅れ)で、雛祭りや端午の節句を祝うとのことで、6月5日までは、あちこちに鯉のぼりがありました。
アニメには、サギが魚を喰らうシーンがありますが、実際にサギがいて小魚を獲っているのには驚きました。段差で水の落ちたたまりには鯉が泳いでおり、よく見ると、両脇から排水されるところがなく、すべて山からの水だとわかりました。
弥生橋に合流する小さな江名子川にも、小さな橋がかかっているので、その脇を延々と歩いていきましたが、だんだんと人里離れてくるので、途中で引き返しました。
歩き回るのは好きなのですが、さすがに足が疲れてきたので、休み休み帰ってきました。
高山のいいところは、いろいろなところにベンチや腰かけ用の切り株があるので、どこでも一休みできることです。靴を脱いで、靴下も脱ぐと、ほっとします。
その足で、喫茶「去(かつて)」に寄りました。アニメで2回登場しますが、この店は最高ですね。
古い街並には、格子戸の喫茶が何軒かありましたが、もうひとつ入った「ばらん」とここは、何度でも入りたい店です。
翌朝は、宮川朝市を見たついでに、付近の食堂に入りました。
せっかくだからと、朴葉味噌定食のうち、飛騨牛入りのほうをいただきました。
おかみが、朴葉が青いのよ、と言っていましたが、どういうことかわからず、帰って宿で聞いたら、ふつうは枯れた茶色の朴葉だが、今は朴葉が茂る季節なので青い朴葉を使える、とのこと。つまり、青葉の朴葉とは貴重でいいときに来ましたね、お客さん、と言いたかったのです。
この食堂は、客がいようといまいと、近所や知り合いのおばさんたちが始終出入りして、奥で話しています。片手間に食事を出しているという感じがいいです。
飛騨弁というのがあるようですが、関西弁に近いけどちょっと違う印象です。
観光の街だからなのか、・・・ということがいくつかありました。
地元のタクシーは、信号のない横断歩道で何人か渡ろうとしていると、だいたい止まってくれます。一般車両もたまに止まります。
宮川のほとりを歩いているときに、制服の男子中学生の集団とすれ違いましたが、そのとき、先頭のひとりが「こんにちは!」と言ったのです。思わずこちらも「こんにちは」と返しました。
その数メートルあとには、今度は女子の数人が来ましたが、やはり「こんにちは」と言ってくれました。これは、爽やかでした。
ここで、私に愛国スイッチが入りました。
三日目は、やや遠いですが、日枝神社に行きました。
春の高山祭「山王祭」は、日枝神社の例祭です。日枝神社は旧高山城下町南半分の氏神様、秋の高山祭「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様、桜山八幡宮の例祭です。
相当奥へと広い神社で、木立ちも天を突くほどの高さで、古くからの氏神様であることがわかります。
高山本線の反対側・西側も、少し歩きました。
こちらは、東側と違って、すぐ住宅街と畑になりますが、そこに美しい木造の建物を見つけました。こんなところに美術館や資料館らしきものはなかったはずと思いつつ、表に回ってみると、小学校でした。高山市立南小学校とあります。
校庭側から見ると、やはり雪国のためなのか、屋根が大きく広くとってある平屋になっていました。雪を落としやすいといいます。これは古い街並でも、雪への対策があったのと同じです。
校舎側中央に、国旗・校旗・市旗が整然と掲揚されていました。
岐阜県は、栃木県・愛媛県と並び、日教組組織率がゼロの県です。そもそも伝統を重んじる街に、ヤクザ教師のほうが棲みつかなかったのかも知れません、あるいはまた、愛媛県のように、まともな教師たちの格闘の歴史があったのかも知れません。
平日午後に揚がっているということは、毎日終日、掲揚されているということです。
こういう光景を見ると、ほっとします。これが日本の風景の原点です。
4月に同僚が函館に旅行したとき、観光スポットには必ずと言っていいほど、中国人がいると言っていました。
高山も同じです。視野に入る3分の1近くはシナでした。言語でわかります。韓国語には一度も出会いませんでした。
日本のこんな奥まで旅行できる中国人は、限られた人々でしょう。あらかじめ場所柄からして注意をされていたのかわかりませんが、静かに観光を楽しんでいました。同じ中国人でも、行き先を選ぶ段階で、性格や知性も選別されるのでしょう。
行きの高山本線は、ほとんどが年配の白人の集団でした。
観光の街には、聞いたことがない言語のアジア人も多いです。池袋あたりにも最近多い人種で、東南アジアの人々ですね。場所柄なのか季節柄なのか、男女の若いカップルや家族づれはほとんど見かけませんでした。
日本人はやはり老夫婦や婦人の集団が多かったです。
この街には、ベンチ以外にもささやかな配慮が見てとれます。
旅館では床の間に生花があり、二日目に戻ると白い芍薬に替わっていました。朴葉味噌を食べたところも、百合の花は生花でした。喫茶「バグパイプ」の各テーブルにも一輪挿しがありました。喫茶「かつて」は、二階への階段下に、立派な器に花が生けられていました。
これは当然のことなのかも知れません。高山の人にとってはあたりまえのことなのかも知れません。しかし、こうした細やかな配慮もあって、人々を惹きつけ続けるのでしょう。
こういう街が日本にあり、多くの人が日本の伝統のよさを知る・・・これは日本の誇りです。
高山はこれが最後と思って出かけましたが、また行くことになりそうです。