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2017年2月

2017年2月20日 (月)

アニメ・コミック・評価・備忘録 (平成29年2月20日)

<平成29年月2日20日(月)現在>

前々回→アニメ・コミック・評価・備忘録 (平成28年8月5日) http://bit.ly/2aKlXh9 @syuya_yui

前回→アニメ・コミック・評価・備忘録 (平成28年12月12日) http://bit.ly/2hljSOQ @syuya_yui

初めて見た順:

*全部見たもの

総合評価・大 ★★★★★ ←←← →→→☆☆☆☆★ 総合評価・小

*まだ続いているもの

総合評価・期待度・大 ★★★★★ ←←← →→→☆☆☆☆★ 総合評価・期待度・小

媒体は、見た順。

<試しに見たが2~3話で挫折したもの>は載せていないので、ほとんどが高評価になっています。

特記ある場合以外は、アニメ=テレビアニメ。

*****************************

『童夢』   コミック単行本   ★★★★★

『AKIRA』   コミック・劇場アニメ   ★★★★★

『交響詩篇エウレカセブン』   アニメ   ☆★★★★

『ハイキュー!!』   コミック・TVアニメ   ★★★★★

『詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。』   コミック   ★★★★★

『迷宮物語』   アニメ   ★★★★★

『弱虫ペダル』   アニメ  全シリーズ   ☆★★★★

『さよなら絶望先生』  アニメ 全シリーズ   ★★★★★

『氷菓』   アニメ・コミック   ★★★★★

『言の葉の庭』   アニメ   ★★★★★

『東京喰種』   アニメ・コミック  第二期二話で挫折   ☆☆☆★★

『黒子のバスケ』   アニメ   ★★★★★

『ワールドトリガー』   コミック  7巻で挫折   ☆☆☆★★

『進撃の巨人』   アニメ  第5話で挫折   ☆☆☆★★

『バケモノの子』   アニメ   ☆☆★★★

『ばらかもん』   アニメ   ☆★★★★

『雲のむこう、約束の場所』   アニメ   ★★★★★

『残響のテロル』     アニメ   ☆★★★★

『坂道のアポロン』   アニメ   ★★★★★

『四月は君の嘘』   アニメ   ☆★★★★

『デュラララ!!』(起承転結)   アニメ   ☆★★★★

『ハリガネサービス』   コミック   ★★★★★

『亜人』   コミック  8巻で挫折   ☆☆☆★★

『屍鬼』   アニメ・コミック   ★★★★★

『カーニヴァル』   アニメ  3話で挫折   ☆☆☆★★

『鬼灯の冷徹』   アニメ   ☆☆★★★

『東のエデン』   アニメ   ☆☆★★★

『文豪ストレイドッグス』   アニメ   ☆☆☆★★

『ダイヤのA』   アニメ  全シリーズ   ★★★★★

『おおきく振りかぶって』   アニメ 全シリーズ   ★★★★★

『はじめの一歩』   アニメ 全シリーズ   ★★★★★

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』   アニメ 全シリーズ   ☆★★★★

『心が叫びたがってるんだ。』   アニメ   ☆★★★★ 

『僕だけがいない街』   途中で挫折   ☆☆★★★

『ReLIFE』   アニメ 全シリーズ   ☆★★★★

『チア男子!!』   アニメ  途中で挫折   ☆☆★★★

『DAYS』   アニメ     ☆☆★★★

『アルスラーン戦記』   アニメ  全シリーズ   ★★★★★

『君の名は。』   劇場アニメ   ☆★★★★

『一週間フレンズ。』   アニメ   ☆★★★★

『斉木楠雄のΨ難』   アニメ  途中で挫折   ☆☆★★★

『骨が腐るまで』   コミック   ★★★★★

『男子高校生の日常』   アニメ   ★★★★★

『舟を編む』   アニメ   ☆★★★★

2017年2月12日 (日)

「愛するゆえの狂気なるもの」

フィクションでは、多くこうしたテーマが取り上げられてきた。
 
以前にも書いたのだが、三島由紀夫の『金閣寺』で、なぜ主人公の吃(ども)りの修行僧は、金閣に火を放ったあと、「生きようと私は思った」のだろうか。
 
これだけの犯罪を犯して、すぐに捕まる身であり、しかも、金閣と心中しようと考えたこともあったのに、裏山から金閣が燃え盛るのを見ながら、生きようと思ったのである。
 
本人に、犯罪を犯したという意識はほとんどなく、むしろ、畏怖するほどに敬愛しながらも、自らを悩ましつづけ、自らの前に立ちはだかってきた金閣に、ようやく復讐し放火することができ、ようやく金閣からの呪縛から逃れることができ、自由になったからには、生きたいと思ったのであろう。
 
芥川龍之介の『地獄変』では、見たものしか描けないという偏屈な絵描きが、屏風絵を描くことになるが、最後にきてその絵に画竜点睛の欠けるを知り、自分の娘であることを知りつつ、娘が燃え盛る牛車に閉じ込められたまま焼け死ぬ阿鼻叫喚の光景を見ながらこれを描き、出色の屏風絵を完成させる。しかし絵描きはその後、自害する。屏風絵はその男と娘の代わりに、生き続ける。
 
安倍公房の『他人の顔』は、より複雑な経路をたどる。簡単に言えば、実験でケロイド状に醜くなった自分の顔を新たに作るため、ある男の協力を得て、その男の仮面をつくり、自らの顔に貼り付ける。顔を新しくすると同時に、人間としても再生し、妻の愛を再度得たいと願う。
 
醜いままの顔では、愛する妻に嫌われるだろうと考え、苦心惨憺たる努力の末、ようやく完成した仮面を付け、身も心も新たな男として、妻という女の前に姿を現したが、実は、妻は当に仮面の正体を見抜いていた。
 
この小説の終わりにはこのようなことが書かれている。書くという行為は、何もなかったときにだけおこなわれるのである、と。逆に言えば、書いている間は、何も起きていない、のである。
この物語の終わったところから、この男の、書くことができない実行行為が始まることを読者に予想させている。妻の愛を取り戻すために、世間体を意識し、隠れるように生活し、ようやく新たな愛の獲得手段に思い至り、これほどに努力してきたにもかかわらず、妻は自分を裏切り、愛を取り戻すどころではなくなった。書くことがない実行行為とは、つまり妻を殺すことである。
 
エヴァ・ガードナーの出世作『裸足の伯爵夫人』も、ラストは悲劇に終わる。踊り子から映画界のスターになったマリアは、ある伯爵に見初められ結婚する。しかし伯爵は、戦争での負傷により不能になっており、それを初夜に知ったマリアは悲しみのどん底に陥る。親友ハリー(ハンフリー・ボガード)に相談するも埒が明かず、他の男を相手にする。それを知った伯爵は、マリアを拳銃で殺す。遺体は丁重に埋葬され、マリアそのままの像が庭に建てられた。
 
マリリン・モンローの事実上のデビュー作『ナイアガラ』では、夫(ジョセフ・コットン)を裏切ったローズは、教会のビルのなかで、夫に殺される。
この映画は内容より一層映像を見る映画なので、ストーリー自体はシンプルである。愛が憎悪に変わり妻を殺したあとでも、夫はローズの口紅を拾って、あんなに愛していたのに、と言う。愛するゆえに殺したのか、復讐のときは殺ししか頭にないのか。
 
かつてのポルノ映画の復刻版に、『人妻集団暴行致死事件』という映画がある。ポルノというより文学的作品で、タイトルや描写がどぎついが、内容はエロやどぎつさよりむしろ、マニアックなものになっている。ポルノというジャンルでありながら、キネマ旬報でもその年の9位に入っている。
 
ある男(室田日出男)は、苦労人で気前のいい男であり、町の若い不良数人(古尾谷雅人ら)と敵対していたものの、次第にかえって仲良くなる。しかしある日、男のいないとき、妻はこれら不良集団に姦淫される。妻をいとおしく思うあまり、男は、妻の汚れたからだを洗うべく、死んでいる妻をかかえて風呂に入れ、抱きしめ、愛撫する。映画として、このあたりが、単純に狂気とだけは言えない雰囲気を出しており、それが評価されたが、現実にもしありうることを知れば、男はやはり狂人扱いだろう。
 
これらはいかにも虚構ではあるが、事実は小説より奇なりを地でいくように、現実にもいろいろな事件は起きている。それは、社会生活上はあくまでも、犯罪であり、非社会的できごとではあるが、本人の心の世界にあっては、そうとわかっていても実行してしまう、ということなのだろう。
 
ある若い人妻が殺された、犯人は、前の夫であった。その男は、コンクリートの壁めがけて、車を猛スピードでぶつけ、自殺した。その数日後、妻を殺された今の夫は、二人の幼子があるにもかかわらず、自らの父親宛てにビデオレターまで撮ってから自殺した。あいつなしでは生きていけない、と。
 
ある団地で朝早く、二人の幼児が殺された。母親がゴミを出しに行き、近所の主婦と話をしているわずかの時間に決行された。犯人の女はすぐに自首した。幼児の父親と懇ろになったものの、長い付き合いの末、男の心はまた家庭に戻ってしまった。犯人の女は、離婚するという男の言葉を信じ、自ら男との幸福な家庭を夢見ていた。愛は憎悪に変わり、復讐の機会を待った。結果、幼児二人が犠牲になったのである。
 
マルセル・プルーストは、死ぬ直前は発狂していた。病室を密封し、そこにネズミを数匹放し、プルーストは奇声を発しながら、ムチをもってネズミを追いかけ回し、ヒステリックに何匹かを叩き殺すと、ようやく疲れて眠りについた。
 
彼の大著『失われた時を求めて』には、主人公が愛するアルベルティーヌが、午睡に耽る場面がある。殺したいほどに愛する相手が、目の前で寝ている姿を見て、主人公は非常な安心感を覚える。好きな相手が目の前で寝ている姿に、性的欲求よりも、穏やかな愛を感じるのである。
ここにこのまま寝ていてくれれば、アルベルティーヌがよその男と戯れることもないし、それにより心に湧く猜疑心もありえない。
無防備に自分の前ですやすやと眠っていられるということこそ、愛と信頼の証しであると。
 
フィクションは、現実にありえそうもないから、それを書き、それを映画にするのだろう。とすれば、そこに描かれたものは、現実にはありえないという前提があるはずだ。
ところが、現実には類似の事件が起きており、そうした小説や映画にヒントを得たわけではない。
 
虚実は皮膜のごとしで、両者は紙一重のことであるのかもしれない。しかし、現実にそうしたことがあるから、小説家も脚本家も、そういうストーリーを作ることができる。
 
憎らしいと思っても殺せないが、虚構の世界でなら殺せる。
しかし、愛ゆえの殺人や狂気が現実に頻発するのであれば、虚構として構築された世界は、いったいどういう位置づけになってくるのだろう。
 
それとも、愛は現実のもので、狂気は虚構に属するのか。そんなに単純でもないだろう。
 
虚構は無意味なものとして廃棄されてしまうのだろうか。
いやいや、虚構ほど愉快なものはないはずだが…。
 

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