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2017年1月 8日 (日)

映画 『水の中のナイフ』

監督:ロマン・ポランスキー、脚本:イエジー・スコリモフスキ、ロマン・ポランスキー、撮影:イエジー・リップマン、音楽:クリシトフ・コメダ、1962年、94分、モノクロ、ポーランド語、原題:Nóż w wodzie

アンジェイ(レオン・ニェムチク)と妻クルィスティナ(ヨランタ・ウメツカ)は、湖でヨットを浮かべて休暇を過ごすため、車を走らせている。
しばらく行くと、青年(ジグムント・マラノウッツ)が前に立ちふさがり、注意したものの、車に乗せる。青年はヒッチハイクしていた。
湖に着くと、夫婦は自家用のヨットを出す準備をするが、アンジェイの招きで、青年はいっしょにヨットに乗り込む。……

ポーランド出身のロマン・ポランスキーによる、28歳にして初めての映画作品だ。

ポランスキーといえば、妻のシャロン・テート殺害事件で有名になったが、『ローズマリーの赤ちゃん』『チャイナタウン』『戦場のピアニスト』で知られる鬼才だ。

タイトルにあるように、ナイフは出てくるが、途中で海に落とされてしまう。それでも、そこまでにときどき出てくる青年の持ち物である一本のナイフは、道具としてのナイフを超え、象徴的な意味をもたされている。

映画全体の印象としては、若い監督の作品によくあるように、低予算でありダイナミックな展開があるわけではない。この作品も、画面上ではひたすら淡々と話が進むため、ダイナミックな展開を期待していると、裏切られるかもしれない。

やや倦怠期にあるような夫婦は、妻のほうが若く、豊満な肢体をもつ。夫の仕事などは一切語られないが、ある程度の社会的地位と財産があるようだ。
一方、ヒッチハイクの青年は、その名前も出てこず、アンジェイにガキなどとも呼ばれるが、そこまで子供ではなく、といって大人になりきっている年齢でもない。一度、19歳というセリフが聞かれる。

夫は、帰ろうとする青年を、無理やり誘い、自慢のヨットに乗せた。カネのない若造に、いいとこを見せてやろうというくらいの気持ちがあったからだろう。だから、ヨットの操舵に素人の青年に、ああしろこうしろと、船長よろしく命令する。

青年は、命令されるのを不愉快に思いながらも、それに従い、そのうちヨット乗りも楽しいと思うようになる。その間、妻の作る料理を楽しんだりし、妻はひとり泳いでワニの形をした浮き輪と戯れている。
ヨットが浅瀬に乗り上げて動かなくなったその日の晩も、船底のへやで、三人で子供じみたゲームなどをして楽しむ。

あすは5時に起きようと言って、目覚まし時計をセットしたものの、その前にすでに妻は起きて甲板でタバコを吸い、そこに青年も起きてくるが、あとから起きてきた夫に甲板掃除を命令され、掃除しているうちに、ちょっとした口論から、青年は水の中に落とされてしまう。

責任を感じて青年を探しに湖に飛び込んだ夫は帰らず、それをブイの陰で見ていた青年はヨットに泳ぎ着く。泳げないと言っていた青年は、泳げたのだった。妻はそれを知り、ヨットに上がってきた青年にビンタを加えるが、その直後、青年と妻は…。

この映画は、大人の男と青年との対比を描いているのだろう。そう見るならわかりやすい。
ヒッチハイクをしている青年がナイフを持っていてもおかしくない。実際、森のなかでは役に立つんだ、というセリフもある。


青年が大人に刃向かうとき、文字通り、このナイフを持つことでバランスがとれる。権力、財産、社会的地位、…そうしたものをもつ大人の男に対して、それらの何もない貧乏な青年は、ナイフをもつ。このことは象徴的だ。

アンジェイは、そうしたものをすでに手に入れている壮年の男だ。だから、ナイフのかわりに、高級車や自家用ヨットを持つ。
だが、船上という閉じられた空間で三人しかいないのでは、青年の所有するナイフは不気味であり、5時前に起きた時、夫は、テーブルにあった青年のナイフを、自分の着るガウンのポケットにしまって甲板に上がり、青年に掃除を命令する。
まさに、そのとき、青年がナイフを返してくれと言ったことから、揉み合いになるのだ。

妻は、熟年の夫であっても、その実、小心さや意気地のなさ、そのかわり、それを隠そうとして高慢にふるまうような態度に辟易している。
それは、ファーストシーンで、車を交互に運転する夫婦のツーショットからも、はっきりわかる。
夫と青年の間にあって、夫の身勝手さをなじりながら、青年にはその幼さを指摘する。ただ、夫がいなくなったところで、青年とは過ちを犯す。

音楽にはサスペンス調のジャズが使われるが、ヨットでの週末の休暇という図式でありながら、雰囲気として決して陽気なものではなく、どこか常に不安やサスペンス感を漂わせるこの作品に、よくマッチしている。

ある船乗りの話が、途切れ途切れに出てくる。酒瓶を割って床に飛び散った破片の上を、誤って踏んでしまったという。ところがその男の足は皮が厚かったので、足裏にはけがをしなかった。それどころか、これは実は俺の芸のひとつでわざとやったんだと言ったという。
このエピソード風の話は、夫の心理や性格と並行して時折出てくる。

この映画には無駄がない。映像もシャープであり、いろいろな苦労も想像できる。映像のあちこちに出てくる「尖った物」が、この映画をまさにシャープなものにしている。編集もうまいが、何より、フレームを切り取り方がいい。この映画も、どんな教科書より、カメラの勉強をするにはもってこいである。

後の、ポランスキー特有のサスペンスタッチではあるが人間ドラマである、という個性が、すでに萌芽として見られる作品だ。

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