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2016年11月30日 (水)

練習機での特攻 (平成28年11月30日)

海陸の特攻では、徐々にまともな戦闘機などもなくなり、セコハンものの航空機を総動員しても間に合わず、ついには練習機として使われていた機体までも使うようになった。
特に最終盤である沖縄特攻では、それが顕著である。練習機だけは、あちらこちらの基地にたくさん残っていたのである。...

練習機は通称「赤とんぼ」(※)と言われる複葉機であった。満洲事変から太平洋戦争に至る間で、複葉機で戦闘したのは、重慶におけるシナ空軍くらいであった。当時、最新鋭機として登場した零式艦上戦闘機が重慶爆撃にも使われた。
(※海軍九三式中間練習機。練習機の多くはオレンジ色で複葉なのでこう呼ばれた。特攻の際は、濃い色に塗り替えた。練習機といえども性能はよかった。)

零戦飛来の噂を聞きつけたシナ軍は、さらに奥地へと逃げ込み、業を煮やした零戦隊は、引き上げると見せかけてUターンし、猛スピードでシナ複葉機を追いかけた。大人と子供の喧嘩であった。まさしく鎧袖一触(がいしゅういっしょく)であった。
シナ軍の複葉機はそれなりの戦闘機であったが、沖縄特攻での複葉機は練習機だったのである。

航空機の練習機は二人乗りで、前席の操縦席に練習生が乗り、後部に教官が乗る。特攻のときは、教官はいらないわけだから、一人で乗った。

かつて「特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会」の読者投稿欄に書いたことがある。秘密特攻基地といわれた万世などは、村人たちも手伝った急場しのぎのでこぼこ滑走路しかなく、そこから使い古した特攻機で沖縄に向けて飛び立った。せめて特攻くらい、整地された最良の滑走路から飛ばせてあげたかったなあ、と。

同協会の会報『特攻』より、「赤とんぼ特攻隊」の記事を転載します。
掲載は平成21年11月号、庭月野英樹という方からの投稿です。
文中の予備練(予備練習生)は、予科練(予科練習生)や飛行科予備学生ではありません。

<嗚呼壮絶「赤トンボ特攻隊」 14期海軍飛行科甲種予備練>

 先の大戦で愛機の胴体の下に爆弾を抱いて、飛行機ごと敵艦船に体当たりの「特攻攻撃」を敢行した戦闘機や攻撃機など、2400余機、3800余人の若人達が、肉親、同胞、祖国を護るために自らの命を捧げました。

 その中に、帆布張り、張り線付き(上翼と下翼の間に数本の張り線があった)、木製プロペラ、二枚羽根の「赤トンボ練習機」が、7機あったのです。終戦の17日前、昭和20年7月29、30日深夜に宮古島基地を飛び立ち、沖縄の敵駆逐艦に見事体当たりをして撃沈しました。

 現代の航空機に搭載されている方向指示器、レーダー、無線通信機、機銃も積んでいない練習機で、月夜とはいえ、目標の見えない太平洋を、250キロもの重い爆弾を積んで、深夜の海を飛んでいきました。

 選抜された優秀な若者達でした。終戦がもう少し早ければこの人達も生き残り、官庁や民間で立派な仕事をしたであろうことを思えば、本当に残念でなりません。戦争は、二度としてはなりません。

 一緒に征くはずだった私は、同期の玉井上飛曹、特乙一期の島内二飛曹と共に、6月20日に千葉県木更津の彩雲特攻隊に転勤、訓練を終えて、8月15日出撃予定でしたが、終戦により生き残りました。たまたま3人は長男でした。

 この特攻隊は、昭和20年5月に台湾の虎尾海軍航空基地で編成されました。それまで私達は、昭和19年4月から沖縄、石垣島で1年間、敵の潜水艦哨戒任務に就いていましたが、951航空隊石垣島派遣隊の二式哨戒機を連合軍の空襲で消失しました。そこで、予備練同期の三村、玉井、小生及び特乙一期の島内二飛曹と一緒に、この特攻隊に編入されました。

 先着組の零戦搭乗員による第一次8機、第二次7機は、いずれも天候その他で、途中の与那国島に不時着、大破して中止となりました。
 第三次は、私達3名が転勤してから7月27日に、三村上飛曹(水偵出身予備練)、庵一飛曹(丙飛6期)、甲飛12期の佐原、川平一飛曹、原一飛曹、近藤一飛曹、松田一飛曹により編成されたとのことです。

 米軍の記録によれば、駆逐艦キャラハンを撃沈、同じくブリシット、カッシングヤング、高速輸送艦ホーレス・A・バスに命中して、損傷を与えたことが報告されています。練習機7機で4隻の敵艦に損傷を与え、250キロ爆弾で1隻を撃沈したのですから、素晴らしい戦果でした。
 
このキャラハンは、特攻に撃沈された最後の米国艦艇だそうです。米軍側にも油断があったようですが、この帆布張り、低速の特攻機は、レーダーが捕捉できず、VT信管の対空砲火も効果がなかったとのことのようです。
このように、帆布張り、張り線付き二枚翼、木製プロペラ、拙劣な計器にも拘わらず、深夜の太平洋を、最後の最後まで、強固な意志で突撃した隊員達の勇気には、深甚の敬意を捧げたいと思います。

(私達予備練14期は、昭和19年4月15日、姫路海軍航空隊の九七艦攻操縦課程修業、即日充員召集、一飛曹に任命され、沖縄海軍航空隊付、19年8月現役編入、19年11月上飛曹、20年3月15日石垣島派遣隊、20年5月台湾虎尾基地龍虎特攻隊、同年6月10日723空彩雲特攻隊。)

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