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2016年10月30日 (日)

映画 『言の葉の庭』

監督・原作・脚本・絵コンテ・撮影・編集:新海誠、音楽:KASHIWA Daisuke、声の出演:入野自由、花澤香菜、主題歌:秦基博「Rain」、2013年、46分。

『秒速5センチメートル』の映像美やセンチメンタリズムには共感したが、私は「映画」として観てしまうので、ドラマやエンタメ性は味わえないままであった。というより、そういったものは初めから捨象されていたかのようであった。

これに比べれば、『言の葉の庭』は、映画としても秀逸な仕上がりになっている。強めではないがドラマ性もあり、核があるから周辺の曖昧さも生きてくる。

キャッチコピーは「"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり。」とあるが、万葉集には、「恋」に、「古非」「古比」「孤悲」といった文字を当てた歌があるそうだ。「孤」は孤独を意味し、「悲」は文字通り悲しみを意味しているのだろう。

高校1年で15歳のタカオ(秋月孝雄、あきづき・たかお)は、雨が好きで、年よりは少し大人びた実直な性格をしている。

朝の通学時、新宿で乗り換えるとき、雨が降っていると、一限をさぼって、わざと新宿にある広い庭園(新宿御苑)まで行き、東屋で靴のスケッチをすることにしていた。タカオは靴職人になるのが夢であった。

ある日、いつものように庭園に行くと、そこにはOL風の妙齢の女性が座っていた。しかし、脇にはチョコレートを置き、朝から缶ビールを飲んでいる姿に、とまどいと違和感を感じる。ただ、どこかで会ったような気もした。

タカオが消しゴムを落とし、女性が拾ってくれたのをきっかけに、言葉を交わし、その後会うたびに、少しずつ会話するようになる。女性がユキノ(雪野百香里、ゆきの・ゆかり)という名であることを知るのは、それよりずっと後のことであった。・・・・・・

雨の日の朝、二人はその同じ場所で何度か会うことになる。
後に明らかになるが、ユキノはタカオのいる高校の古典の教師であった。ある一件と噂に押されて、ユキノは学校に足が向かなくなっていたのだ。

二人が初めて会ったとき、ユキノはタカオに、次の歌を残して去っていく。これは『万葉集』の柿本人麻呂の短歌だ。女から男に向けて詠んだものだ。

雷神(鳴る神、なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇(くも)り 雨も降らぬか 君を留(とど)めむ

訳:雷の音がかすかに響いて、空も曇り、雨も降ってこないでしょうか。もしそうなれば、このままあなたをここに引き留めておくことができるでしょうに。

何度目かの出会いのとき、タカオはユキノに次の歌を返す。同じく、柿本人麻呂の短歌で、男から女に向けて詠まれている。

雷神の 少し響みて 降らずとも 吾(わ)は留(とど)まらん 妹(いも)し留(とど)めば

訳:雷の音がかすかに響くくらいなら、雨が降らなくても、私は留まりますよ、あなたが引き留めてくれるならば。

俄かに豪雨になり、タカオはユキノのへやに行き、服を乾かしてもらうかわりに、料理を作る。そして終末を迎える。
ついに、二人は互いに、ホンネをぶつけ合ってしまうのであった。

冒頭からラストまで、ほとんどのシーンで雨が降っている。
洋画での雨もそうだが、特にかつての邦画で使われる雨は、多分に演出として使われる。悲しい出来事の前触れであったり、別れを暗示したりするほか、女の涙や恍惚を象徴している。それは演歌に出てくるときも同様だ。

しかし、この映画の雨には、鬱陶しさや湿気というものを感じない。多くの日本の映画で、雨がおよそ肉感的な道具や別離の象徴として使われてきたのに対し、この映画の雨にはそれを感じない。

雨自体が美しさやはかなさの象徴であり、それを背景として、二人の物語はゆっくりと前へ進む。雨の粒が、池の面に当たったり、木々の葉に当たったりする描写もみごとで、一つ一つの雨のしずくが輝いているように見える。

ある日、タカオはユキノに合う靴を作るとして、ユキノの足のサイズを測る。ユキノは裸足になってベンチの上に立つ。タカオが初めてユキノの素肌に触れる。この映画で、官能が描写されるシーンだ。
このシーンから、映画『天城越え』(1983年)を思い出した。中学生である少年(建造、伊藤洋一)がハナ(田中裕子)から、足指の股の擦れを手当てしてもらうシーンだ。他に比べると長いこのシーンは、少年が官能の扉を開けたことを象徴している。

季節は、梅雨入りから、エンドロールでの雪の日につづく。
ひとり庭園に来たタカオは、ユキノのために作った靴を、脇に置く。

靴の製作だけに専念する一途な少年と、心に傷をもつ女性との淡い恋の季節を、静かに描き出した佳作である。

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