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2016年9月

2016年9月10日 (土)

答案用紙に現れる、受験生の「生きざま」 (平成28年9月10日)

8月は滞っていた入室生徒の流れが、今月に入り、また再開した。

7月中旬に入ってくるのは二種類で、それまでの中間や期末の試験結果が悪い者と、受験学年や浪人生のうち、他の予備校や塾に通っていた者が、そこでの授業に付いていけなくなったり、特定の科目の特定の分野が不得手であることがわかったりした場合である。

8月は、それらの生徒や従来の生徒がペースを乱さないために授業を進める季節であって、特に、中旬以降の入室は多くない。

9月になって入ってくるのは受験学年が多い。7月に入ってくる受験生の9月版である。8月まで予備校や塾に通っていたが、どうも成果が上がっていないという感触が本人にあって、入ってくるのだ。

加えて、7月下旬や8月中旬までのさまざまな模擬試験の結果が、8月下旬には出そろっている。成績が上がっていないとわかれば、今いる予備校や塾にだけ通っていていいのだろうか、と思い始めるのだ。

この自己分析や保護者の分析は正しい場合が多いのだが、そういう成績不振の生徒だからこそ、はっきり言って、9月の入室ではすでに遅い。勉強の成果が模試に反映されるには、タイムラグがあるのだ。

今日も、医学部をめざす浪人生がやってきた。結果的に入室したので、来週から数学の授業が始まる。人物として好感をもてるし礼儀正しいのだが、入試とは成績だ。Sという予備校に教室生として通っていたのだが、模試の結果は決して芳しくない。

最近の模試結果は、データだけでなく、添削してある答案のコピーも付けてある。これはこちらとしてはありがたい資料だ。教師はまず、受験生の「答案用紙の上での生きざま」を見るからである。そこには、解答するという制限された時間を「どう格闘したか」、つまり大仰に言えば「どう生きたか」が現れている。

中学受験でも大学受験でも同じなのだが、いま成績不振でも、いずれもっと高得点を狙えるであろう、という答案と、高得点に至るには相当の時間がかかるであろう、という答案がある。

小問はほとんど正解で、大問に失点がある答案が前者であり、すべての回答欄に平均的に正解と間違いがきれいに混じっている答案が後者である。今日入室した生徒の模試の答案は後者であった。

原因は明らかであって、Sという大手予備校に通ってそこのカリキュラムに沿って勉強していくほどには、「基礎」がないのである。この場合、基礎とは、ひとつひとつの知識だけでなく、解答に至るまでの方法や「勝手」をさす。受験勉強の方法論が自分のなかに出来上がっていない生徒は、そこに密度の高い内容を叩き込まれても右往左往するだけで効果はなく、悲劇的な結末を迎える。

大学受験の「基礎」は、高校での学習内容である。高校での学習内容の基本は、日々の授業である。それを補強するのが、日々の自宅での学習である。

さらに、高校での学習の前提は、当然ながら中学の学習内容である。中学生のころは、身体の発育とともに、頭の回転も早くなるチャンスであり、要領のよさや能率性を、無意識に獲得できる時代でもある。

例えば、英語は中学から始まる。大学受験で英語が不得意な者は、突き詰めていくと、ほとんどすべて、中学時代に、英語の勉強を怠けていた者である。ツケが回ってくるのだ。その代償は高くつく。

取り返すには、ほとんど同じ時間がかかるのだが、高校になれば、興味関心が広がり部活にも時間がとられる。その高校時代に、遅れを自ら取り返すのは至難のわざであり、それを手助けするのが、皮肉にも、塾や予備校ということになる。

およそ、塾や予備校は、株式会社であるからには利潤を追求する企業である。知識よりも勉強方法や「能率」のよさ、さらに、個々の問いに対する「解法」を身に付けるところが、塾や予備校と割り切るべきである。でなければ、企業の餌食になるだけに終わる。

これらの体得には、多少の対価を払っても引き合うだろうが、受験生本人に目的意識もなく、ただ「予備校生である」ことに甘んじているだけでは、本人にとって何の利益もなく、むしろ失うものばかり多くなる。

取り返すものが多い受験生は、これからの時期、文字通り必死にならなければならない。そうならないようにするには、平時から学習習慣を失わないように心がけていればよいのだ。そのほうが、受験直前に慌てふためくことがなく、平時のまま受験態勢に入れる。

結果的に、進学先の選択の幅が広がる。

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