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2016年7月17日 (日)

映画 『第三の男』

監督:キャロル・リード、原作・脚本:グレアム・グリーン、撮影:ロバート・クラスカー、音楽 アントン・カラス、主演:ジョセフ・コットン、アリダ・ヴァリ、オーソン・ウェルズ、トレヴァー・ハワード、1949年、104分、白黒、原題:The Third Man

戦後まもないウィーンに、アメリカからホリー・マーティンス(ジョセフ・コットン)がやってくる。ホリーは売れない作家であり、それを知る長年の友人ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)が仕事があると呼び寄せたのであった。
しかしウィーンに着き、ハリーの住むアパートに出向くと、そこの大家の男が、たった今10分ほど前に、ハリーはトラックに轢かれて死んだ、と言う。

墓地に行くと、そこに一人の女アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)がいた。送ってくれた少佐でもある刑事のキャロウェイ(トレヴァー・ハワード)から、ハリーは実は、重大な犯罪の元締めをしており、事故死しても自業自得だと言われるが、それを信じることができないホリーは、舞台女優をしているアンナの楽屋に彼女を訪ねる。

二人で事故の真相を求めるうち、現場には、ハリーの遺体を運んだ二人以外にもう一人の男、つまり第三の男がいたことが大家の口からわかるが、再度その大家に確認しに行くと、すでに彼は殺されていた。……

いままで何回観てきただろう。サスペンスの危険な香り、先へ引っ張るストーリー展開、白黒を活かした光と影のライティング、多様なカメラアングル、チターの音色、戦争の跡の生々しい街並、心憎いばかりのラストシーン、と、ほとんど映画芸術の粋を凝縮した完璧な作品だ。高校の映画研究部で、毎年最初に観せる映画はこれであった。

実は、この映画についてレビューするのは、これは初めてなのだ。レビューとは多かれ少なかれ、批判的要素が入る。批判できる要素のある映画は、レビューが書きやすい。この映画については、最高、という以外に言葉がないのだ。

もうひとつには、映画としてすばらしい作品を、そもそもコトバで評するということは不可能に近いということだ。いいから観ろよ、と言っておしまいなのだ。それ以外に言うことはないからである。映像は言語に翻訳できない。

悪いヤツでありながら、その男を心から愛したアンナの女心と、犯罪を犯した男を罰する社会正義とのせめぎ合いは、多くの映画に見られる。この映画も、ある意味、アンナが主役である。そのいかにも小説の専売特許とも言える一つのパターンは、『カサブランカ』同様、戦争の影を落とした時代と、そこに湧いてはびこる悪を選ぶことで、物語としてまねのできない個性をもち、それをさらに映像にするという作業で、二度とありえない作品になったと言える。それゆえ、リメイクもできない。

ちょっとしたところに、演出の妙が冴える。帽子の少年が叫ぶ、ネコがハリーの靴にじゃれる、ホリーの駆け引きを知ったアンナが駅のカフェを去るとき、肩にかけたホリーのコートが床に落ち扉が開閉している、張り込みを続けるキャロウェイらの前にハリーが現れたかと思えば、風船売りの酔っ払った年寄りであった、など数えきれない。

最後にハリーの逃げ込むのは、地下の下水道だ。地上と同じような幅をもち、迷路のようになった下水道で、捕り物が行われる。ここも圧倒的に光と影の演出が効く。

追い詰められたハリーは、片足を撃たれながら何とか地上に出ようとするが、固くしまった格子状の蓋はなかなか開かない。地上には、グレーチングから出たハリーの指だけが、風の音のなか、空に向かってもがいている。そこにホリーが拳銃を持って近づく。二人の間に目と目のやりとりがある。ハリーは親友だったホリーに殺される。ここをツーショットにしなかったのはプロの選択だった。

全体に、カメラのポジショニングがいい。フルショットからバストショット、アップとうまく使い分ける。また、冒頭から頻繁に使われるのが、斜め撮りだ。通常は傾ける必要のないところまで、大胆に斜め撮りにし、不安感、不安定感を演出している。下から見上げ、上から見下ろすさまざまなバリエーションもみごとだ。

ホリーが初めてハリーを見かけるシーンは圧巻だ。漆黒の闇に、一瞬、向かいの家の光が当たる。主役のこうして初登場する。まことに心憎い演出だ。
ホリーが二度目にハリーに出会うのは観覧車だ。この観覧車の箱のなかで、二人は意味深長な会話をする。ハリーの本性が観客に知れるのもこのシーンだ。観覧車を背景に立つホリーのもとへ、ハリーが遠くから現れる。この登場のしかたもまたいい。

あまりにも有名なラストシーンは、この映画唯一の長回しである。アンナをほとんど点にしか見えない遠景から、ずっと中央を歩いて来させて、カメラの脇をすり抜けさせる。会話しそうかという観客の予想を裏切って、アンナはホリーに目をやることなく、脇を通り過ぎる。

サスペンスという単純なくくりかたでは収まらぬ作品で、しゃれた雰囲気と映像のセンスが輝く逸品と言える。

生まれてきて、この人に出会えてよかった…人には誰しもそういう人物が一人はいるだろう。
この映画は、私にとってそんな作品だ。

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