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2016年5月

2016年5月28日 (土)

映画 『2001年 宇宙の旅』 (2016年5月28日)

製作・監督:スタンリー・キューブリック、原作 アーサー・C・クラーク、 脚本:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク、撮影:ジェフリー・アンスワース、ジョン・オルコット、編集:レイ・ラヴジョイ、主演:キア・デューレイ、1968年、141分、原題: 2001: A SPACE ODYSSEY

製作費は、約1050万ドルに達し、当時の円に換算すると、1971年までは固定相場制だから、約37億8千万円だ。
また、撮影時は、宇宙からの地球の生の姿は撮影されておらず、公開翌年の1969年にアポロ11号は月面着陸を果たした。

今からすれば、映画技法や宇宙船の形態など、いろいろな限界や物理学的な誤りを指摘されるのは当然で、当時、CGなど無論ない時代に、これだけの映像や創造物を生みだしただけでも、キューブリックのイマジネーションとそれを裏付ける映画技法・撮影技法には頭が下がる思いだ。

ストーリーとしては、これほど、百家争鳴の議論を呼んだ映画もない。訳あって話をはしょったとも、意図的にそうしたとも言われ、何を言っているかわからないとされることでも有名だ。
この映画の一種のみごとさに心奪われる人以外は、ただひたすら睡魔に襲われるというのも頷ける。

いずれにしても、1968年の段階で、ここまで最新の近未来を、現実的な宇宙船・ユニフォーム・計器類などを含めて描写したことは驚きであり、キューブリックがカメラや撮影技術に詳しいため、いろいろな試みをおこなっている映画でもある。彼の他作品に通じるセンスも見てとれる。

1999年、人類が月に行くことは、それほど難しくなくなっていた。
フロイド博士は、宇宙ステーションを経由して、月のクラビウス基地に向かう。月面のあるところで起きた不可解な現象を探るためである。現場に行くと、そこには、黒い板のようなものが、地面に立っていた。

その18カ月後2001年、デヴィッド・ボウマン船長(キア・デューレイ)、フランク・プール( ゲイリー・ロックウッド)ら5人の研究者を乗せた宇宙船ディスカバリー1号は、木星をめざしていた。あとの3人は、現地で活躍するため、冬眠状態にされカプセルのなかで生命を維持していた。

ディスカバリーには、超ハイテクの人工知能HAL(ハル)9000型コンピュータが搭載されており、ディスカバリーはすべて、ハルの制御下にあった。ハルは言葉を発し、人間と会話することもできる。HAL9000型シリーズは完璧であり、いままでエラーを起こしたことは一度もなかった。

ある日、ハルが、船外のある部品に異常があると告げる。プールが船外からはずしてきた部品を検査しても、特に異常はなかった。二人はハルの判断能力に疑念をいだく。
ふたりはハルに知られぬよう、電源を切ってハルが見聞きできないようにして、ユニットの中で、密かに相談を始める。もしハルが誤っていたとすれば、ディスカバリーをこのままハルの制御にゆだねたままにはできない。そうなれば、ハルとの接続を切って、他の手段で任務を続けなければならない。

しかし、二人のくちびるの動きから、自らの接続を切られると知ったハルは、二人に復讐する。部品を取り付けに行ったプールを、ユニットの腕で宇宙空間遠くへ突き飛ばし、ようやくプールを確保して戻ってきたボウマンのユニットを、船内に入れないようにしてしまう。

非常手段を用いて、何とか船内に戻ったボウマンは、ハルの頭脳に当たるスイッチを、ひとつずつ切っていく。
すると、そのとき意外にも、モニターにフロイド博士の録画が映り、ディスカバリーの真の目的が語られる。

月に立っていた黒い板のようなものからは、木星に向けて、強い電磁波が出ていたというのだ。その原因究明が木星探査の目的であった……

この2時間を超える映画で、中心となるストーリーらしきものに絡む会話が行われるのは、このディスカバリーでの一連のシーンのほか、宇宙ステーションでフロイドが他の国の研究者と会話するシーン、クラビウス基地でのフロイドを中心とした研究者首脳による会議のシーンくらいである。

宇宙時代につながる前は、人類の夜明けとタイトルされ、サルがフガフガ言っているだけだが、ある日、サルたちの前に黒い板のようなもの(モノリス)が立っており、サルたちはそれに触れることで、骨という道具を使い始めることになり、骨を武器として、他の生き物を殺して食べることができるようになり、敵を殺すことも覚える。

モノリスはいわば、知恵の象徴でもあり、宇宙からの啓示、としてシンボライズされている。
サルが放り上げた骨が落ちてくると、途端にそれが宇宙船になっている。実に心憎い演出だ。

ボウマンはハルとの一件のあとも自動的に木星へと向かうが、やがて光の洪水に襲われ、ようやくそれをくぐり抜けた先には、年老いた自分の姿を見るのであった。
さらにそれは寝たきりの老人になってしまうのであるが、ベッドのそばに現れたモノリスによって、老人は赤ん坊に変わり、その赤ん坊は、スターチャイルドとして、宇宙空間に輝くのである。

モノリスがサルに伝えた「道具の発見」という啓示は、何万年もの時を経て、2001年には、人類に対し、いわば「輪廻転生を授ける」ことになったのだ。
このあたりの論理的飛躍と、そうとらえていいのかどうかという躊躇を観る側に与えることが、この映画をして難解な映画と言わせている。

この映画では映像美を味わうことができる。迫力をそのまま感じるには、やはりスクリーンで観るべきなのだろう。

さまざまなくふうによって、誰もいない地上の地平線までの風景、宇宙空間の美しさが味わえる。
宇宙ステーション、ディスカバリー船内、白とライトで囲まれた年取ったボウマンのへやなど、キューブリックらしいデザインをふんだんに味わえる。インテリアひとつとっても、どれも宮殿のゲストハウスのようにすばらしい。他のキューブリック作品に通じるカラーは、あちらこちらに見てとれる。

当時は米ソ冷戦時代であるが、宇宙ステーションでは、フロイドがソ連の女性研究者らと歓談するシーンもあり、宇宙開発は国境を越えたところでおこなわれているかのような印象だ。

その宇宙ステーションに着くと、奥に行くためフロイドが受けるのは、声紋識別である。まさに時代の先をゆく映画だ。
この声紋識別では、言語を入力するボタンもあるが、6言語のうちのひとつに JAPANESE が入っているのはうれしい。すでに、この時代、アメリカに次ぐ経済大国として、日本は国際的な発言力も増していたのだ。

宇宙空間に遊泳する人間をどう撮っているのか、浮遊しているだけなら何とかわかるが、倒れて浮いている人間を、ポッドの腕が抱きかかえる。
ディスカバリーの中の円形の通路、女子スタッフが転回して歩くシーンなど、キューブリックが観客の驚く顔をにやにや眺めているようすが目に浮かぶ。
ペンが浮遊しているシーンでは、ガラス板にペンを貼り付けて回転させている。

この映画では、音楽が雰囲気づくりに重要な位置を占めている。
冒頭、月・地球・太陽が一直線に並ぶ圧倒的なタイトルバックでは、リヒャルト・シュトラウスの「ツラトゥストラはかく語りき」のファンファーレが鳴り響くほか、ハチャトゥリアンやリゲティの現代音楽のうち、不安で神秘的な音が使われ、あたかも宇宙空間で生じた未曾有の出来事を演出するのにふさわしい。

しかし何と言ってもヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」のワルツのメロディは功を奏した。フロイドが宇宙ステーションに向かうときと、そこから月面に向かうときに、ほとんどフルで使用されている。
音楽担当の作曲家に依頼してこの一連のシーンの曲を作らせておきながら、やはりシュトラウスでいくと無断で決定し、後にそれを知ったその作曲家が怒りまくったというエピソードは有名である。

2016年5月27日 (金)

映画 『私は殺される』 (2016年5月27日)

監督:アナトゥール・リトヴァク、原作・脚本:ルシール・フレッチャー、撮影:ソル・ポリト、音楽:フランツ・ワックスマン、主演:バーバラ・スタンウィック、バート・ランカスター、1948年、89分、モノクロ、原題:Sorry,Wrong Number(番号違いですよ)


サスペンス映画として個人的に高く評価している作品。

最初に観たのは、高校のころでテレビでであった。あの頃、こういう殺人映画でもモンローの映画でも、夜の洋画劇場や昼の午後のロードショーといった番組で、普通にやっていた。

この映画はなかなかDVDがなく、二度と観られないと思っていたら、平成21年暮れに、ジュネス企画から出ているのを知り、嬉々としたのを覚えている。

原題は、困るね、間違い電話だよ、という意味で、間違い電話がかかってきたときに受け手が言う決まり文句である。

当時はまだラジオもテレビに負けず全盛で、ラジオドラマだったサスペンスを、原作者が映画用の脚本に書き下ろしている。

冒頭からすぐ本題に入る。6時には帰ると言っていた夫が9時半を回っても帰ってこない。交換台を通じ何度も会社に電話するが、ようやくつながったと思ったら、それは電話の混線によるもので、二人の男が会話しており、その内容は、今夜1115分に、ある女を殺す段取りの確認であった。住所を確認するところで電話は切れてしまう。

驚いたレオナは夫への電話を中断し、警察に電話するものの、相手にされない。全く他人ごとと思っていたこの電話内容が、実は自分に対するものと怪しみだすのは映画中盤になってからである。つまり、観客はこのレオナが殺されると予想しながら観ているだけまだいいほうで、当のレオナは中盤では、まだそこまでさえも知らないのである。


妻レオナは巨大な製薬メイカーの社長の一人娘で、母親は本人を出産後死去しており、父に甘やかされて育ち、我が強く高慢であるが、小さいときから心臓を患っており、この映画でも、ほとんど彼女の臥床(がしょう)するへやだけが舞台であり、あとは回想シーンからなっている。

夫ヘンリーは貧民街育ちであり、互いに好意をもつ相手もいたが、レオナが略奪するかたちで強引に結婚した。娘の婿となったものの、その後は仕事らしい仕事もまかされず、必要な金銭は常にレオナからもらうという屈辱的な状態が続き、結婚生活に嫌気がさしており、義理の父ともギクシャクした関係になっていた。

そうした状況のなか、ヘンリーは無断で、ひとりの社員を誘って会社の製品を横流しし、不当な利益を得るようになったが、仲介役の男が信用できなくなると、今度は自分たちだけですべて行うようになったので、それを知った男から、その男の取り分などの落とし前を求められる。

金に困ったヘンリーは、レオナの生命保険を受け取る書類に、強引に署名させられる。レオナは心臓病が悪化しており、いずれ死期が近づいているのだから、殺されても同じだということだ。

こうした事情を、われわれ観客は映画を観ていくにつれてわかってくるのだが、レオナ自身は、われわれ観客と同様で、誰かと電話することによってしかわからず、しかも少しずつわかってくるのであって、まさか自分が殺されることになっているとは、思いもよらないのである。

寝室が舞台であり、しかもベッドに座っている状態がほとんどであるので、全身の演技ができず、勢い上半身と顔の表情だけの演技が強いられる。当時40歳であるが、すでに数多くの作品に出てきただけのことはあり、さすがにベテラン女優バーバラ・スタンウイックの演技はすばらしい。サスペンス映画では当時珍しく、この映画でオスカー候補になるだけのことはある。


まだ、今でいう固定電話が主流であり、しかも交換台を通じて相手と話す時代だからこそ、こうした質のよいサスペンス映画ができあがったのであろう。

白黒であり一室だけを舞台とするため、時間を知らせる時計をはじめ、薬びんとグラス、鏡、ラジオ、タバコなど、小道具が意味ある映像を作り上げている。カメラアングルやパンもベテランならではの動きがあり、その不安定な動き方そのものがサスペンスの雰囲気を加速させている。一見ヒッチコック風な動きもあり、恐怖の表現としては常道でもあるが、過不足がない。

 

1時間45分のできごとを、約1時間半で描いた作品で、共演のバート・ランカスターは、この映画で日本に初めて登場した。当時35歳であり、『地上(ここ)より永遠(とわ)に』へとつながる細やかな演技がみられ、その後の性格俳優への萌芽を見る。

音楽もサスペンスタッチの効果的なメロディが多く、内容にマッチしている。

フランツ・ワックスマンはその後、『サンセット大通り』『陽(ひ)のあたる場所』で、アカデミー賞作曲賞を受けることになる。ヒッチコックの『裏窓』の軽快なOPでもお馴染みだ。

殺し屋は、手袋を映す程度で、ラストの殺人の瞬間にも影しか映さない。冒頭では、窓の開け放たれた寝室から、遠くに鉄橋を渡る列車と警笛が聞こえカーテンが風に揺れる。さらりと伏線を張ることで、観る側は優越感を与えられる。

留守番機能もなくディスプレイ表示もなく、日本でいえば全く通話だけの黒電話が主役の道具となる。かかってくる電話というのには、未知という要素があり、顔も見えず、電話に出るのを一瞬ためらうことは今でもあり、この映画でもあった。

実に便利で生活に根付いた電話という手段を通じ、そのたった一本の線で、全くの赤の他人同士が容易に結びつく。混線の多いころとはいえ、殺人計画を聞いてしまうとは、…そしてそれが、まさか自分のことであるとは…。

設定がみごとな上、最初から最後まで、カメラワークを含め行き届いた演出と演技合戦が見られ、何回観ても飽きがこない作品である。


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2016年5月22日 (日)

映画 『桐島、部活やめるってよ』 (2016年5月22日)

監督:吉田大八、原作:朝井リョウ、脚本:喜安浩平、吉田大八、音楽:近藤達郎、主演:神木隆之介、橋本愛、大後寿々花、東出昌大、2012年、103分。

脚本の喜安浩平(きやす・こうへい)は、アニメ『はじめの一歩』で、主人公・幕之内一歩の声を演じている。

とある高校が舞台。ロケは高知県にある複数の高校となっている。
放課後の部活など、高校では日常的なありふれた光景のなか、バレーボール部の中心メンバーである桐島という生徒が、突然部活をやめ、学校にも来ていないという噂が流れる。

桐島は、バレー部の活躍だけでなく、彼女もおり、友達グループもあり、勉強面でも運動面でも、クラスの人気者である。
その桐島が部活をやめるということは、周囲にとっては青天の霹靂であった。
桐島に、友達や彼女が連絡をとるが、メールも返ってこない。

しかし、そんなこともありながら、日々の高校生活は、またあすを迎える。……

桐島という生徒は、映画には登場しない。それらしいフェイントのかかるところがあるが、まともには一度も登場しない。

部活の実力者として、恋人として、友人として、無意識に交流がつづいていた人物が、忽然と姿を消し、連絡も途絶える。
その影響は、彼女だけでなく、部活の同輩後輩から、同じ塾に通う友人にまで及ぶ。

映画は、時系列で進まず、桐島が部活をやめた金曜日から翌週火曜日までを、それぞれの曜日のエピソードを重ねていくことで、畳みかけるように進行する。
特に、はじめの金曜日は、ほぼ同じ時間帯を四様の角度からとらえ、ラストの火曜日も繰り返される。
生徒による校内ライフル銃撃事件を素材にした『エレファント』と同じ手法である。

高校生ころの細やかな感情をきちんと拾ったセリフややりとりには共感できるし、セットなども実際の高校の教室や校舎、屋上を使っているので、現場の光が入り、望遠で撮られた景色や運動場も、映画が日常のひとこまであることを示すようになり、リアリティがあってよい。世紀の駄作『告白』とは雲泥の差である。

いくつかの賞も受賞しているようだが、いままでにあまりない製作のしかたや、高校が舞台であるのに、明るく朗らかで活発な日常ではなく、どこかサスペンスの香りをさせる演出もよかった。

いわゆるお涙頂戴でもなく、恋愛に照準を絞ったものでもなく、進路や受験の悩みをかかえることを描くわけでもない。
桐島は現れないが、桐島の存在からはいちばん遠くにいる、つまりその退部や失踪でいちばん影響を受けていない前田(神木隆之介)が事実上の主役となっている。
この設定はおもしろいし、ストーリー展開の基本を主軸として支えている。この作品を成功させた主因だろう。


舞台は高校であり、ロケを使いながら、それ自体が一種の虚構のように感じられる演出が功を奏したものと思われる。

これは、屋上で前田らが映画部の映画を撮っていたところ、桐島を見たということで集まった生徒たちがどやどややってきて撮影ができず、両者が格闘寸前になり、その状況を撮ることで、そこがそのまま、部員たちが集まってきた生徒たちに襲いかかるゾンビの映画になってしまっていることからもわかる。

皆を翻弄し心配させた桐島は、ついに現れず、その後周囲がどうなっていくのか、ということまでは説明されず、映画は終わる。

桐島といちばん親しかった宏樹(東出昌大)が、その事実をあらためて認識してか、涙ぐむシーンは、ラストとしてよかった。
このシーンは、さっきの騒動でとっ散らかった屋上を宏樹が去る時、前田の使っていた8ミリのレンズカバーを拾って、すぐ戻ってそれを前田に手渡すところからひとつの流れとなっている。

宏樹はそのカメラを手にして前田を覗き込むが、逆光だからと言って今度は前田が持って、宏樹を撮る。そのカメラの映像のなかで宏樹は涙ぐむ。
カメラを向けられて、つい感情が高ぶるということはよくあることだろう。

宏樹は桐島とは正反対の位置にいる生徒だ。野球部に属しながら幽霊部員であり、何かにつけあまり主体的に動いていくほうでもない。でありながら、桐島とは親友であった。彼は桐島から、何も聞かされないし知らされない。

その宏樹をラストで、8ミリを介して向かい合うのが、桐島からはいちばん遠くにいる前田であった。このラストは想定しにくいが、それだけに、観る者を快く裏切ってくれている。

ある生徒が部活をやめたということから、これだけの話を紡ぎ出した原作と、あまり見ない時系列並列の脚本がよかった。

そしてやはり神木隆之介くんであろう。子役のときは、よくテレビで見ていた。もうこんなに大きくなったのだなあと思う。
セリフやしぐさが役に成り切っていて、実にうまい。セリフを言っていないときの演技もうまい。

ある人が、他の配役は替わりがありうるとしても、この前田は神木しかできないだろうとコメントしていた。
そのとおりと思う。

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2016年5月21日 (土)

華北分離工作に対する抗日支那の陰謀と野蛮 (2016年5月21日)

華北分離工作とは、1935年(昭和10年)、日本が華北(中国の北部、満洲は東北部)五省、つまり河北省・察哈爾(チャハル)省・綏遠(スイエン)省・山西省・山東省で行った一連の政治的工作のことである。

中国側は、満洲事変・上海事変・盧溝橋事変と並び、なぜか華北事変と称している。事変とはふつう、宣戦布告のない戦争である。 

満洲国建国から二年、華北の政情はまだ不安定であった。支那駐屯軍と関東軍は華北も満洲同様に支配したいと考えていた。

ところがこの広大な地域にも、やはり軍閥が割拠しており、大都市・北平(後の北京)に留まる最大の軍閥・宋哲元(ソウ・テツゲン)を籠絡するのが最大の目的であった。宋は国民革命軍第二十九軍の司令官である。

そのためにも、それぞれの軍閥に対し自治宣言を出させて、国民党政府・蒋介石から距離をおかせて実質上独立させ、その後それらを懐柔するのが支那駐屯軍の方法であった。


まず、日本に留学経験があり日本人を妻とする親日の殷汝耕(イン・ジョコウ)に、塘沽(タンクー)停戦協定で決定された非武装地帯を支配させるため、冀東(キトウ)防共自治委員会を作り委員長に据えた。これに対し蒋は冀察(キサツ)政務委員会を作り、その委員長に宋を据えた。冀とは河北省をさす古い言い方である。

宋はこうもりのように日本側にもつかず蒋とも交渉をつづけていたが、蒋から殷を国賊として捕えるよう命じられ、冀察という広大な土地に対する自由裁量権を与えられたことで満足した。宋は政策上も、民意尊重、日華親善、反共という点で、日本と蒋の間に位置していた。

支那駐屯軍は焦り、冀東防共自治委員会を直ちに冀東防共自治政府に格上げした。蒋介石はこの時点ではまだ日本を最大の敵国とはみなしていなかった。戦わずに済むなら戦いたくなかった。強大な軍事力をもつ日本を相手とするより、まず共産軍を追い落とすことが先決であり、日本軍とは適当に仲良くしていればいいと考えていたのである。

 

この蒋介石の動きに機敏に反応したのは日本軍ではなく、中国の学生らであった。12月9日には当時としては異例で大規模な一万人のデモが北京でおこなわれ、そのスローガンは、華北自治反対、内戦停止(国民党政府軍と共産党軍の内戦停止)、一致抗日であった。このデモの効果は大きく、さまざまな抗日団体が中国全国に形成されていった。 

やがて一年後には、爆殺事件で死亡した張作霖(チョウ・サクリン)の息子で東北軍の張学良(チョウ・ガクリョウ)が西安事件を起こし、蒋介石を説得し、内戦停止・一致抗日の方向で、中国国内は一枚岩になる。

このあたりの前後の歴史は以下の通り。

 

1931年9月18日   柳条湖事件(満洲事変勃発)

   10月8日   錦州爆撃

1932年3月1日   満洲国建国宣言

   5月15日   五・一五事件

   9月15日   日満議定書調印

1933年2月28日   熱河(ネッカ)作戦

   3月27日   国際連盟脱退

   5月31日   塘沽停戦協定

193411月1日   満鉄、特急あじあ号運転開始

1935年5月~12月  華北分離工作

   6月10日   梅津美治郎・何応欽協定

   6月27日   土肥原賢二・秦徳純協定

   8月3日   相沢中佐事件

   1125日   冀東防共自治委員会

          (1225日 冀東防共自治政府に格上げ)

          (冀=河北省、冀東=河北省東部)

      12月8日   冀察政務委員会

          (察=察哈爾省)

1936年2月26日   二・二六事件

   1115日~23日  綏遠事件

     25日   日独防共協定 

   1212日   西安事件

1937年7月7日   盧溝橋事件(北支事変、つまり日中戦争勃発)

          (中国側からの発砲がきっかけ)

     11日   停戦協定調印

     13日   大紅門事件(1) 

     25日   廊坊事件(2)

     26日   広安門事件(3)

     28日   華北攻撃開始

     29日   通州事件(4)

   8月9日   大山勇夫中尉事件(5)

     13日   第二次上海事件(~11月9日←陸軍上海派遣軍)

   9月23日   第二次国共合作

   12月1日   南京攻略

     11日   南京占領

     17日   南京入城

1938年1月11日   支那事変処理根本方針

   4月1日   国家総動員法公布  

   5月19日~1027日   武漢三鎮攻略

   7月9日   張鼓峰事件

 

(1)北平の大紅門で日本軍のトラックが中国兵に爆破され日本兵4名が死亡。 

(2)北平近郊の廊坊駅で発生した日中間の武力衝突、日本側死傷者14名。

(3)北平で起きた第二十九軍による日本軍への襲撃事件で日本兵など19名死亡。

(4)冀東防共自治政府保安隊の張慶餘(チョウ・ケイヨ)らによる日本軍部隊・特務機関と日本人居留民に対する襲撃事件。民間人を含む日本人260人が虐殺された。張慶餘は第二十九軍と内通していた。殷汝耕も捕捉された。

(5)上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉が共同租界で、中国保安隊に殺害された事件。日本側は車体の弾痕が遠距離・近距離入り乱れていることなどからも、保安隊が待ち伏せをし奇襲を行ったと断定。国民党の張治中(チョウ・ジチュウ、共産党工作員)の指揮とされる。

大山は全身に30発以上の銃弾を打ち込まれた後、死体に対し頭部・腹部などに刃物・鈍器により損傷が与えられていた。後頭部の銃撃が致命傷で即死であったが、保安隊は更に死体にダメージを与え続け、頭部は二つに割れ、顔の半分は無くなり、内臓が飛び出し、心臓の位置にはこぶし大の穴が空いていた。靴、時計などの貴重品も奪われていた。

広大な支那の東北部・満洲には石油もあり土地もあり、日露戦争勝利の結果として、そこにおける権益を得たはずであるのに、華北まで欲しがった陸軍は貪欲の塊である、という説がある。 

大都市には租界などに日本人居留民も多く、貿易も盛んとなり旅行者も増えていた。上海のヤマトホテルなどは年中満員御礼状態であったという。無法な支那人から国民を守るというのは、他の列強と同じである。

日本本土は不況がつづき、国際的ムードとしても支那進出は予想できるところである。だからといって、欲にかられ政府の意向を無視してまで華北を侵攻しようとしたのはなぜか。

日本国内における軍国化の動きは、言うまでもなく底流にある。政治家や政党が国民の声を聞かず、国民不在の政治をおこなっていれば、それらを信用できなくなった無力な一般国民が、軍に期待をかけるのも世界史の道理である。

こうした後押しと、日本人固有の道徳的信念と、日清・日露という二つの戦争における勝利は、たしかにイケイケな雰囲気を日本にもたらし、それが軍を後押ししたというのも想像に難くない。 

日本に恨みをもつ張学良のおこなった西安事件以来、蒋介石も日本を敵とみなし、それと知った支那人民も、対日イケイケとなったのも理解できる。

 

そして盧溝橋事件が起こった。停戦協定が結ばれたにもかかわらず、支那の一部が上記(1)~(5)などの事件を起こし、蒋は各国の国民が多数滞在往来する上海を舞台に、日本に食い下がり、国際的世論を集めようとした。 

海軍陸戦隊では足りず、陸軍の応援を得て、日本軍は益々意気軒昂となり、蒋の本丸・南京を落城させる。これにはやはり国民の後押しがある。

停戦協定を結んだにもかかわらず、支那はその保安隊という名のもとに、いろいろな手管を用いてなお日本兵を殺し、通州事件・大山中尉事件での残虐極まる無差別殺人は、暴支膺懲(ボウシヨウチョウ=粗暴な支那を懲らしめる)という一撃論を日本国内に沸騰させた。

そして、このころ日本軍は圧倒的に強かった。華北を華中以南と区別して、そこに全面的に日本軍を配備し、日本列島より広大な面積の満洲を一層繁栄させたかったし、そのためにそこに暮らす日本国民の安全を守る義務があったのである。

さすがに露骨なやりかたは憚(はばか)られた。どっちつかずの軍閥がいるなら、それに接近して懐柔するほかない。それが犠牲者を出さずに済む最適な方法である。蒋介石国民党の敵は、共産党であった。父親を爆殺された張学良が、蒋を軟禁して国共合作を決するまでは…。

 

華北分離の最大の理由にして最大の目的は、要するにソ連の南下阻止である。ソ連軍によって満洲が荒らされ、邦人に犠牲者が出ることを軍は警戒していた。ソ連軍の実力も侮れなかった。深謀遠慮もあった。予想通りこの後、1938年7月9日には張鼓峰事件、1939年にはノモンハン事件が起きる。ソ連は蒋介石国民党にとっても脅威であったはずだ。 

支那共産軍は国民政府軍より野蛮である。常日頃はそれを隠した日常を送る。それが農民と結び匪賊と結んでゲリラを扇動すれば、戦争時や道路建設には役に立った。残虐な殺害方法も未開部族並みである。

 

戦後71年経っていても、中共独立後67年経つにしても、その本質は変わっていないだろう。以上のような事情は、今日彼らがスーツを着ていようが高層ビルで生活していようが、根本的に変わっていないと思う。

このことは、日本人とて同じである。しかし、野蛮人を相手にするからには野蛮であることにも精通しておかなければならない。

支那の歴史はよくこう言われる、国力が国境を決めるのだ、と。


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