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2016年5月27日 (金)

映画 『私は殺される』 (2016年5月27日)

監督:アナトゥール・リトヴァク、原作・脚本:ルシール・フレッチャー、撮影:ソル・ポリト、音楽:フランツ・ワックスマン、主演:バーバラ・スタンウィック、バート・ランカスター、1948年、89分、モノクロ、原題:Sorry,Wrong Number(番号違いですよ)


サスペンス映画として個人的に高く評価している作品。

最初に観たのは、高校のころでテレビでであった。あの頃、こういう殺人映画でもモンローの映画でも、夜の洋画劇場や昼の午後のロードショーといった番組で、普通にやっていた。

この映画はなかなかDVDがなく、二度と観られないと思っていたら、平成21年暮れに、ジュネス企画から出ているのを知り、嬉々としたのを覚えている。

原題は、困るね、間違い電話だよ、という意味で、間違い電話がかかってきたときに受け手が言う決まり文句である。

当時はまだラジオもテレビに負けず全盛で、ラジオドラマだったサスペンスを、原作者が映画用の脚本に書き下ろしている。

冒頭からすぐ本題に入る。6時には帰ると言っていた夫が9時半を回っても帰ってこない。交換台を通じ何度も会社に電話するが、ようやくつながったと思ったら、それは電話の混線によるもので、二人の男が会話しており、その内容は、今夜1115分に、ある女を殺す段取りの確認であった。住所を確認するところで電話は切れてしまう。

驚いたレオナは夫への電話を中断し、警察に電話するものの、相手にされない。全く他人ごとと思っていたこの電話内容が、実は自分に対するものと怪しみだすのは映画中盤になってからである。つまり、観客はこのレオナが殺されると予想しながら観ているだけまだいいほうで、当のレオナは中盤では、まだそこまでさえも知らないのである。


妻レオナは巨大な製薬メイカーの社長の一人娘で、母親は本人を出産後死去しており、父に甘やかされて育ち、我が強く高慢であるが、小さいときから心臓を患っており、この映画でも、ほとんど彼女の臥床(がしょう)するへやだけが舞台であり、あとは回想シーンからなっている。

夫ヘンリーは貧民街育ちであり、互いに好意をもつ相手もいたが、レオナが略奪するかたちで強引に結婚した。娘の婿となったものの、その後は仕事らしい仕事もまかされず、必要な金銭は常にレオナからもらうという屈辱的な状態が続き、結婚生活に嫌気がさしており、義理の父ともギクシャクした関係になっていた。

そうした状況のなか、ヘンリーは無断で、ひとりの社員を誘って会社の製品を横流しし、不当な利益を得るようになったが、仲介役の男が信用できなくなると、今度は自分たちだけですべて行うようになったので、それを知った男から、その男の取り分などの落とし前を求められる。

金に困ったヘンリーは、レオナの生命保険を受け取る書類に、強引に署名させられる。レオナは心臓病が悪化しており、いずれ死期が近づいているのだから、殺されても同じだということだ。

こうした事情を、われわれ観客は映画を観ていくにつれてわかってくるのだが、レオナ自身は、われわれ観客と同様で、誰かと電話することによってしかわからず、しかも少しずつわかってくるのであって、まさか自分が殺されることになっているとは、思いもよらないのである。

寝室が舞台であり、しかもベッドに座っている状態がほとんどであるので、全身の演技ができず、勢い上半身と顔の表情だけの演技が強いられる。当時40歳であるが、すでに数多くの作品に出てきただけのことはあり、さすがにベテラン女優バーバラ・スタンウイックの演技はすばらしい。サスペンス映画では当時珍しく、この映画でオスカー候補になるだけのことはある。


まだ、今でいう固定電話が主流であり、しかも交換台を通じて相手と話す時代だからこそ、こうした質のよいサスペンス映画ができあがったのであろう。

白黒であり一室だけを舞台とするため、時間を知らせる時計をはじめ、薬びんとグラス、鏡、ラジオ、タバコなど、小道具が意味ある映像を作り上げている。カメラアングルやパンもベテランならではの動きがあり、その不安定な動き方そのものがサスペンスの雰囲気を加速させている。一見ヒッチコック風な動きもあり、恐怖の表現としては常道でもあるが、過不足がない。

 

1時間45分のできごとを、約1時間半で描いた作品で、共演のバート・ランカスターは、この映画で日本に初めて登場した。当時35歳であり、『地上(ここ)より永遠(とわ)に』へとつながる細やかな演技がみられ、その後の性格俳優への萌芽を見る。

音楽もサスペンスタッチの効果的なメロディが多く、内容にマッチしている。

フランツ・ワックスマンはその後、『サンセット大通り』『陽(ひ)のあたる場所』で、アカデミー賞作曲賞を受けることになる。ヒッチコックの『裏窓』の軽快なOPでもお馴染みだ。

殺し屋は、手袋を映す程度で、ラストの殺人の瞬間にも影しか映さない。冒頭では、窓の開け放たれた寝室から、遠くに鉄橋を渡る列車と警笛が聞こえカーテンが風に揺れる。さらりと伏線を張ることで、観る側は優越感を与えられる。

留守番機能もなくディスプレイ表示もなく、日本でいえば全く通話だけの黒電話が主役の道具となる。かかってくる電話というのには、未知という要素があり、顔も見えず、電話に出るのを一瞬ためらうことは今でもあり、この映画でもあった。

実に便利で生活に根付いた電話という手段を通じ、そのたった一本の線で、全くの赤の他人同士が容易に結びつく。混線の多いころとはいえ、殺人計画を聞いてしまうとは、…そしてそれが、まさか自分のことであるとは…。

設定がみごとな上、最初から最後まで、カメラワークを含め行き届いた演出と演技合戦が見られ、何回観ても飽きがこない作品である。


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