« 映画 『私は殺される』 (2016年5月27日) | トップページ | 「ヘイトスピーチに関する法律」 (平成28年6月4日・記) »

2016年5月28日 (土)

映画 『2001年 宇宙の旅』 (2016年5月28日)

製作・監督:スタンリー・キューブリック、原作 アーサー・C・クラーク、 脚本:スタンリー・キューブリック、アーサー・C・クラーク、撮影:ジェフリー・アンスワース、ジョン・オルコット、編集:レイ・ラヴジョイ、主演:キア・デューレイ、1968年、141分、原題: 2001: A SPACE ODYSSEY

製作費は、約1050万ドルに達し、当時の円に換算すると、1971年までは固定相場制だから、約37億8千万円だ。
また、撮影時は、宇宙からの地球の生の姿は撮影されておらず、公開翌年の1969年にアポロ11号は月面着陸を果たした。

今からすれば、映画技法や宇宙船の形態など、いろいろな限界や物理学的な誤りを指摘されるのは当然で、当時、CGなど無論ない時代に、これだけの映像や創造物を生みだしただけでも、キューブリックのイマジネーションとそれを裏付ける映画技法・撮影技法には頭が下がる思いだ。

ストーリーとしては、これほど、百家争鳴の議論を呼んだ映画もない。訳あって話をはしょったとも、意図的にそうしたとも言われ、何を言っているかわからないとされることでも有名だ。
この映画の一種のみごとさに心奪われる人以外は、ただひたすら睡魔に襲われるというのも頷ける。

いずれにしても、1968年の段階で、ここまで最新の近未来を、現実的な宇宙船・ユニフォーム・計器類などを含めて描写したことは驚きであり、キューブリックがカメラや撮影技術に詳しいため、いろいろな試みをおこなっている映画でもある。彼の他作品に通じるセンスも見てとれる。

1999年、人類が月に行くことは、それほど難しくなくなっていた。
フロイド博士は、宇宙ステーションを経由して、月のクラビウス基地に向かう。月面のあるところで起きた不可解な現象を探るためである。現場に行くと、そこには、黒い板のようなものが、地面に立っていた。

その18カ月後2001年、デヴィッド・ボウマン船長(キア・デューレイ)、フランク・プール( ゲイリー・ロックウッド)ら5人の研究者を乗せた宇宙船ディスカバリー1号は、木星をめざしていた。あとの3人は、現地で活躍するため、冬眠状態にされカプセルのなかで生命を維持していた。

ディスカバリーには、超ハイテクの人工知能HAL(ハル)9000型コンピュータが搭載されており、ディスカバリーはすべて、ハルの制御下にあった。ハルは言葉を発し、人間と会話することもできる。HAL9000型シリーズは完璧であり、いままでエラーを起こしたことは一度もなかった。

ある日、ハルが、船外のある部品に異常があると告げる。プールが船外からはずしてきた部品を検査しても、特に異常はなかった。二人はハルの判断能力に疑念をいだく。
ふたりはハルに知られぬよう、電源を切ってハルが見聞きできないようにして、ユニットの中で、密かに相談を始める。もしハルが誤っていたとすれば、ディスカバリーをこのままハルの制御にゆだねたままにはできない。そうなれば、ハルとの接続を切って、他の手段で任務を続けなければならない。

しかし、二人のくちびるの動きから、自らの接続を切られると知ったハルは、二人に復讐する。部品を取り付けに行ったプールを、ユニットの腕で宇宙空間遠くへ突き飛ばし、ようやくプールを確保して戻ってきたボウマンのユニットを、船内に入れないようにしてしまう。

非常手段を用いて、何とか船内に戻ったボウマンは、ハルの頭脳に当たるスイッチを、ひとつずつ切っていく。
すると、そのとき意外にも、モニターにフロイド博士の録画が映り、ディスカバリーの真の目的が語られる。

月に立っていた黒い板のようなものからは、木星に向けて、強い電磁波が出ていたというのだ。その原因究明が木星探査の目的であった……

この2時間を超える映画で、中心となるストーリーらしきものに絡む会話が行われるのは、このディスカバリーでの一連のシーンのほか、宇宙ステーションでフロイドが他の国の研究者と会話するシーン、クラビウス基地でのフロイドを中心とした研究者首脳による会議のシーンくらいである。

宇宙時代につながる前は、人類の夜明けとタイトルされ、サルがフガフガ言っているだけだが、ある日、サルたちの前に黒い板のようなもの(モノリス)が立っており、サルたちはそれに触れることで、骨という道具を使い始めることになり、骨を武器として、他の生き物を殺して食べることができるようになり、敵を殺すことも覚える。

モノリスはいわば、知恵の象徴でもあり、宇宙からの啓示、としてシンボライズされている。
サルが放り上げた骨が落ちてくると、途端にそれが宇宙船になっている。実に心憎い演出だ。

ボウマンはハルとの一件のあとも自動的に木星へと向かうが、やがて光の洪水に襲われ、ようやくそれをくぐり抜けた先には、年老いた自分の姿を見るのであった。
さらにそれは寝たきりの老人になってしまうのであるが、ベッドのそばに現れたモノリスによって、老人は赤ん坊に変わり、その赤ん坊は、スターチャイルドとして、宇宙空間に輝くのである。

モノリスがサルに伝えた「道具の発見」という啓示は、何万年もの時を経て、2001年には、人類に対し、いわば「輪廻転生を授ける」ことになったのだ。
このあたりの論理的飛躍と、そうとらえていいのかどうかという躊躇を観る側に与えることが、この映画をして難解な映画と言わせている。

この映画では映像美を味わうことができる。迫力をそのまま感じるには、やはりスクリーンで観るべきなのだろう。

さまざまなくふうによって、誰もいない地上の地平線までの風景、宇宙空間の美しさが味わえる。
宇宙ステーション、ディスカバリー船内、白とライトで囲まれた年取ったボウマンのへやなど、キューブリックらしいデザインをふんだんに味わえる。インテリアひとつとっても、どれも宮殿のゲストハウスのようにすばらしい。他のキューブリック作品に通じるカラーは、あちらこちらに見てとれる。

当時は米ソ冷戦時代であるが、宇宙ステーションでは、フロイドがソ連の女性研究者らと歓談するシーンもあり、宇宙開発は国境を越えたところでおこなわれているかのような印象だ。

その宇宙ステーションに着くと、奥に行くためフロイドが受けるのは、声紋識別である。まさに時代の先をゆく映画だ。
この声紋識別では、言語を入力するボタンもあるが、6言語のうちのひとつに JAPANESE が入っているのはうれしい。すでに、この時代、アメリカに次ぐ経済大国として、日本は国際的な発言力も増していたのだ。

宇宙空間に遊泳する人間をどう撮っているのか、浮遊しているだけなら何とかわかるが、倒れて浮いている人間を、ポッドの腕が抱きかかえる。
ディスカバリーの中の円形の通路、女子スタッフが転回して歩くシーンなど、キューブリックが観客の驚く顔をにやにや眺めているようすが目に浮かぶ。
ペンが浮遊しているシーンでは、ガラス板にペンを貼り付けて回転させている。

この映画では、音楽が雰囲気づくりに重要な位置を占めている。
冒頭、月・地球・太陽が一直線に並ぶ圧倒的なタイトルバックでは、リヒャルト・シュトラウスの「ツラトゥストラはかく語りき」のファンファーレが鳴り響くほか、ハチャトゥリアンやリゲティの現代音楽のうち、不安で神秘的な音が使われ、あたかも宇宙空間で生じた未曾有の出来事を演出するのにふさわしい。

しかし何と言ってもヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」のワルツのメロディは功を奏した。フロイドが宇宙ステーションに向かうときと、そこから月面に向かうときに、ほとんどフルで使用されている。
音楽担当の作曲家に依頼してこの一連のシーンの曲を作らせておきながら、やはりシュトラウスでいくと無断で決定し、後にそれを知ったその作曲家が怒りまくったというエピソードは有名である。

« 映画 『私は殺される』 (2016年5月27日) | トップページ | 「ヘイトスピーチに関する法律」 (平成28年6月4日・記) »

映画」カテゴリの記事