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2016年4月25日 (月)

映画 『スパルタの海』

監督:西河克己、製作:天尾完次、原作:上之郷利昭、主演:伊東四郎、辻本幸一、1983年、105分。
 
高2の松本俊平(辻本幸一)の自宅のへやに、戸塚ヨットスクールのコーチらが駆け込んできて、俊平を車に乗せていく。俊平は、父・俊一(平田明彦)、母・勢津(小山明子)に暴力を振るい、しばしば家庭内暴力を起こしてきて、最後の手段として、俊平を戸塚宏校長(伊東四郎)の下に預ける決心をしたのであった。
 
愛知県美浜市にあり、目の前に海岸のある宿舎では、俊平と同じようにして送り込まれてきた男女が20数人はいて、夜明けから晩まで厳しい訓練をしていた。その中には、海に出てヨットを操る訓練も入っていた。…
 
当時、公開に踏み切る直前、戸塚宏が傷害致死などで逮捕されることとなり、しばらくお蔵入りとなっていた映画だ。
 
作りとしては、あのころのテレビ番組のようなBGMや演出で時代の経過を感じるが、海でのヨットの訓練のシーンも多く、さほど陳腐な映像とまではいえない。
 
俊平を軸として、なかなか言うことを聞かない女の子や、動作ののろい太った男子など、数人の少年らに焦点を当てて進む。万やむを得ずここに子供を預けることにしたそれぞれの両親の姿や、ヨットスクールで働き、食事や保健の仕事もする娘の姿などを取り込み、多彩な角度からヨットスクールの現実を描き出している。
 
戸塚本人は、その後起訴され最高裁で上告棄却となり収監されたため、世間ではヨットスクールは犯罪の巣窟のような印象をもってはいるが、原作がそのまま反映されたとするなら、映画化ということを考慮しても、ここで描かれる戸塚やヨットスクールの実態は、彼らに好意的である。
生徒の死亡も、持病の悪化が原因で、体罰や厳しい訓練そのもののせいではないことになっている。俊平の前には、もうひとり、もうここにいる必要もなくなったとして、一人の男子が巣立ち、家庭に帰っていく。
 
俊平は宿舎に来ても相変わらず暴れまわるので、鍵のついた木製の檻のようなところに寝かせられるし、ド突いたり脚で蹴ったりというのも、ここでは日常茶飯だ。俊平は一度警察に逃げ出し、戸塚も両親も呼ばれるが、両親は過去の経験から、それでも息子を戸塚の元に戻すことになる。
 
やがて俊平はもうここにいる必要もなくなり、戸塚は両親ももとに返すが、すぐ戻ってきて、戸塚のように、ヨットでの太平洋単独横断に挑戦するんだ、と言ってラストとなる。
 
子供本人、両親、スクールの先生たちスタッフが現れるたびに、そのつど名前とともに年齢と学歴が画面に出る。俊平の家などは両親とも高学歴である。そういう家庭の子供さえ、暴力を振るってどうしようもなくなってスクールに来るということを現わしたかったのだろう。俊平の父・俊一も東大卒と出る。
 
戸塚のセリフには、いくつかの決め台詞がある。今からすれば、的を射たものも多い。
警察から俊平を引き取るときに、車に乗りたがらない俊平を殴ると、見送りに出てきた刑事が注意する。すると戸塚は、あんたに俺の代わりができるのか、と言う。
口ばかり達者な子供が、自分がこんなふうになったことを、すべて親や社会など周りの責任にするかのように滔々と述べ、思わず他のコーチが、アイツ、評論家みたいだなあ、と言うと、戸塚が、評論家ばっかり増えて困った世の中だとな、と言う、などなど。
 
映画的創作として見るかぎり、戸塚の信念一途の姿がストレートに表され、それだけに揺れのない脚本で盛り上がりには欠けるものの、当時からすでに顕著になりつつあった、教師と生徒の事務的で希薄な関係に、ひとつの警鐘を鳴らすような作品でもある。
 
製作の天尾完次は『温泉みみず芸者』という映画で初めて、ポルノ映画という言葉を作った人物である。その後『新幹線大爆破』などスケールの大きな映画も制作した。東映Vシネマを産み出したひとりでもある。
伊東四郎はまだ本格的なテレビや映画出演がないときであるが、野外を中心としたこういう内容の映画でもあるので、存在感はあり、決まるところは決めており、特に演技が下手とも言えない。実際に東大を出た平田明彦が煮え切らない父親役をうまく演じている。小山明子は大島渚の妻であるが、ここではメガネをかけた教育ママゴンをうまく演じている。

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