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2016年4月27日 (水)

映画 『女が階段を上る時』

監督:成瀬巳喜男、脚本:菊島隆三、音楽:黛敏郎、主演:高峰秀子、森雅之、仲代達矢、1960年、111分、モノクロ。
 
モダンな音楽をともなって、切り絵を使ったタイトルバックが流れる。
何度も観ているのだが、バーが舞台の映画にしては、品のある作品だ。
 
矢代圭子(高峰秀子)は、女の子数人をかかえる銀座のバーの雇われママである。 
そこには、金回りのいい実業家・郷田(中村雁治郎)や銀行の支店長・藤崎(森雅之)、いつもひとりでやってくる工場経営の関根(加東大介)らが飲みにきていた。
 
一見華やかに見える店内であったが、実は掛けで飲む客も多く、マネージャー・小松(仲代達矢)は集金に回っていた。
圭子の下で働いていたユリ(淡路恵子)が、金回りのいい実業家(小沢栄太郎)の力で店を独立させたため、上客がそちらに流れ、圭子は店の経営者から追われ、他の店に移る。……
 
この移った先の店ライラックが主な舞台となり、圭子に思いを寄せる小松、圭子が思いを寄せる藤崎、圭子に結婚を申し込む関根らの話に、佃島にある圭子の実家のようす、圭子の下で働く純子(団令子)の独立など、さまざまな要素を合わせながら、ストーリーが巧みな展開を見せる。
 
当時のバーは終電で閉めるようであり、奥にある女の子のロッカー室には小松がいて、マネージャーとして仕事をしている。そんな仕組みだったのだなあと思う。
 
高峰秀子がハデ気味な和装を見せるほか、当時のバーの店内や銀座の街並み、喫茶店、アーケード、圭子の住むアパートのなかや食卓など、今から見るとかえって新鮮に映る。喫茶店の砂糖入れ、食卓のバター入れやトースターなど、懐かしい小物類もチェックできてうれしい。
衣装は高峰自身が担当している。
 
銀座のバーに勤める雇われママが、身近に、そして身の上に起こる出来事に翻弄されながらも、なおひとり、あすに向けてたくましく生きていく。
 
根性ものではないが、夫に先立たれた女が、何とか自分にケジメをつけながら仕事に生きつつ、それでも女としての弱さに襲われるサマが、円熟した脚本とセリフ回しによって、鮮やかに表現されている。
 
雇われマダムというひとりの女の生きざまを、さりげないが完成度の高い演出と構図でみごとに描きだすことに成功した作品であり、成瀬監督の作品としては『浮雲』と並んで好きな映画である。
 
主演の高峰秀子以外も、出演者はほとんどが名の知られた名優ばかりだ。
このママの勤めるバーが二階にあり、そこからこのタイトルがつけられている。階段を上がるときの心情は、それぞれの時と場合により違っている。そのつどカメラが、脇から圭子の足もとをとらえるのも効果的だ。
 
ストーリーの展開のテンポもよく、節度を保ったカメラで、カットをつなぐ編集もみごとで、夜の世界に生きる女を通じ、女の愛と悲しみをみごとに表現した大人の映画だ。
すべてにおいてプロが作った作品というのは、上映時間全体が充実しており、観ていて安定感がある。
 
こういう映画に、二十歳くらいのときに出会っていたかった。
もしこの映画を、いま二十歳くらいの人間が観たら、どんな感想をもつのだろう。そもそも、監督の名さえ知らないかもしれない。
 
かつて、成瀬巳喜男特集というのを、都内文京区にある三百人劇場という映画館で上映していた。そこで、この映画や『浮雲』『流れる』『放浪記』なども知った。評論家と高峰秀子との対談もあった。とても懐かしい。実物の高峰秀子を見られてよかった。映画俳優というイメージからは、たいへん質素な方であった。
 
この三百人劇場も、並木座などと同様、消えてしまった都内の名画座だ。あのころの名画座で今も残っているのは、池袋の文芸坐くらいだ。今は新文芸坐となっている。新文芸坐は、邦画を中心に、往年の名作を繰り返し上映している映画館だ。

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