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2016年4月 1日 (金)

今までに出会った秀才たち (2016年4月1日)

いままでに出会ったなかで、おそらく、これが秀才だろうと言う人間が、三人いる。

そのうち一人は、中学三年時に公民を教えていた生徒である。

彼は、英語・数学をはじめ、中間テスト・期末テストは、どの科目も満点であった。
定期試験の合間におこなう、範囲のない実力テストでも、どの科目もほぼ満点に近かった。

部活はテニス部だった。掃除も委員の仕事もふつうにこなし、何より屈託のない中学生らしい中学生であった。
いつ何を聞いても、即答したことだけは覚えている。それは教科のことだけではなく、日常会話がすべてそうなのである。
すべてにテキパキしていた。中学生らしくけらけら笑うし、またふくれっつらをすることもあった。

その学校を離れたあと、そのクラスの別の生徒が、クラス全員の進路を教えてくれたことがある。医学部に進むと言っていたのは覚えていたが、彼は島根大学医学部に進んだという。てっきり東大理Ⅲ(医学部)に行くかと思った。なぜ島根なのかわからない。東大を嫌う受験生がいるのも事実だ。

東大に落ちるかも知れないからと、浪人したくない生徒は地方の大学を受けることがある。彼もそうだったのかもしれない。

検索してみると、現在は、神戸大学で神経内科の先生をしているようだ。認知症の研究ということだろう。

二人目は、東大の農学部にいて、大腸菌の研究をしている学生であった。
当時、たまに行く都内のバーでアルバイトをしていた。ママが、この子、東大生なんですよ、とおどけて教えてくれた。
柔和で小柄で、そう言われなければ、単に日銭稼ぎの子供のようであった。

ほとんど対面で話をした。どこを向いていても、何か作業をしていても、ママとのやりとりがはさまっても、人が何を言ったか、すべて聞いているのだ。これには驚いた。
だから、何を聞いても、次は、即座に回答で返ってくる。

このとき思った。よく、読む・書く・話す・聞く、というが、「聞く」ことのできる者は聡明なんだ、と。
話の裏を読む、という意味でではない。単純に、音声をキャッチすることに優れているのだ。それが、裏を読むことへの第一歩だろう。

他のバイトがいくらでもあろうに、なぜ夜の仕事にしたかというと、実験などが始まると、そもそもが昼夜逆転に近い生活になるから、という。そのうえ、人と話すのが好きだからこのバイトを選んだという。学部柄、あまり他人との交わりは多くないとのことだった。
積極的に大人の世界に足を踏み入れるという動機もあったのだ。

子供のような顔をして、大腸菌の研究の話をするから、どこかアンバランスで滑稽だった。毎日のように、便を扱うという。その彼が飲食のバイトというのもおかしい話だ。
しかし、そういう話をするときの目は輝いていた。彼に言わせれば、飲食と排泄は同一線上にあるとのことだ。そりゃそうだ。

三人目は、今の職場になってから、講師として知り合った人物だ。
茨城県土浦市の出身で、後々知ったところでは、祖父に当たる人が陸軍将校であり、レイテ島で戦死しているという。

土浦のトップクラスの県立高校から、現役で東大Ⅰ類に入り、一時期、病気休学したが、その後大学院に進み、バイオケミカルの研究をしている。
いままで二度誘って、飲みに行ったことがある。

高校時代、予備校に行ったことがない。予備校関係でかかわったのは、校内で受ける河合塾の模擬試験くらいだったそうだ。その結果も、総合順位はいつも、全国ベスト10前後であったという。
赤本は学校の図書館にある程度のものしかやらず、数学の参考書なども、学校で使ったものしかなく、受験生のバイブル「チャート式」もぺらぺらめくった程度だったという。

初めは嘘かと思ったが、話しているうちに納得した。頭の回転が違う。むだな音声、えーと、とか、そうですね…、とかいった言葉が聞かれない。
受験界では、全体からすれば難関だが、あるカテゴリーのレベルでは、東大理Ⅰはそれほど難関なほうではない。彼がすんなり入学したのは、当然のことのように思えた。

といって、決して偏屈ではない。笑うところは笑うし、ユーモアや皮肉も通じる。蛇足だが、当然ながら愛国者である。

研究室に、毎年のように中国人が入ってくる、入ってくるのはいいが、細かなところで日本の慣習や秩序が通じなくて困る、とこぼしていたこともある。

何か、この三人に共通するものはないか、と考えてみた。

受験というものを、必死に忍耐強く乗り切って、カリカリと努力して、ようやく大学生になった、というイメージが、ない。

三人とも、気取ったところがなく、実に誠実で、おかしい話題にはけらけら笑う。話が途切れると、すっと、とりすましたような真面目な表情に戻る。
礼儀正しく、常識もある。

つまり、極めて人間的であり、社会や組織のなかに順応し、当然いやなこともあるはずだが、自分というものをもって、研究や仕事を楽しんでいる風がある。

勉強を必死にやって、よい成績を出して、志望大学に合格する、というのは、受験生の当然のなりゆきなのであるが、もともとの能力もあるだろう、それほど努力しているようには見えない。
受かるべくして受かっている、という印象だ。

話、話し方に、不遜なところも不誠実なところもない。ただひたすら、ひた向きであり、すべてにムダがない。

その話題にしても、どんな方面のものでも関心をもつ。つまり話題が豊富なのだ。例えれば、映画館に行かなくても、映画には関心をもつ、ということだ。

彼らのような存在を、秀才を呼ぶのだろうな、と思う。
そういう人間に出くわしたことは、個人的に感慨深い。
二人目の学生も、今頃どこかで、研究者になっているだろう。

この話を、昨今のサヨク学生に近付けてみると、いくら著名な大学の学生でも、「賢くない」ことをしているな、と思わざるを得ない。

上記の彼らはたまたま理系であった。サヨクには理系が多い。志位も菅も小池も、全学連中核派の幹部も、みな医学部・薬学部・工学部など理系の出身者や現役学生だ。

本来、自分の専攻であった科目に力を入れず、アルバイトやボランティアなどに没頭し、そこからサヨクの道にはまっていく。
それがサヨク政治家の子供ならしかたないが、一般のサラリーマンの子である学生が、横道に逸れていくというのは、自分の専攻をおろしかにしたとしか言えない。

自分をもって、客観的にものごとをとらえていくかぎり、アルバイトやボランティアは補助的な位置づけで終わったはずと思う。

政治は、政治家にまかせておけばいいものではない。
しかし、自らの本分を忘れず、節度をもって、せっかくの学生生活を送ってもらいたいものだし、また、学生時代とは本来、そうあるべきだ、と思うのだ。

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