« 映画 『日本のいちばん長い日』 (2015年版) | トップページ | A君は、なぜサヨク教授になったか (2016年3月29日) »

2016年3月 1日 (火)

映画 『情婦』

監督:ビリー・ワイルダー、原作:アガサ・クリスティ、脚本:ビリー・ワイルダー、ハリー・カーニッツ、音楽:マティ・マルネック、主演:マレーネ・ディートリッヒ、タイロン・パワー、チャールズ・ロートン、エルザ・ランチェスター、1957年、117分、モノクロ、イギリス映画、原題:
WITNESS FOR THE PROSECUTION(検察側のための証人)

ストーリーもシーンもほとんど覚えているのに、何度も観てしまう映画だ。この映画を嫌いになる人はまずいないと思う。

法廷サスペンスの絶品で、アガサ・クリスティの原作がしっかりしている上に、実力派の大物俳優が名演技を披露しており、それと知られたベテラン勢が脇を固めている。ビリー・ワイルダーの代表的作品。

ようやく退院した、ロンドンでも実力派の大物弁護士ウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)のところに、殺人の嫌疑をかけられた男レナード・ボウル(タイロン・パワー)が付き添いの弁護士と現われる。
レナードが帰ったあと、今度は妻のクリスチーネ(マレーネ・ディートリッヒ)が現われる。ウィルフリッドはクリスチーネの言葉や態度に不信をいだく。

医者からは心臓の負担になるような事件は扱わないように言われていたが、
弁護士魂に火のついたウィルフリッドは、付き添い看護婦プリムソル(エルザ・ランチェスター)の言うことも聞かず、レナードの弁護を受けて立つ。
しかし、レナードにとっては不利な状況証拠ばかりで、裁判は困難が予想された。……

ストーリーに限らず、セットや多くの小物類などに凝っているほか、変に小細工をしない控えめで丁寧なカメラワークに好感がもてる。ところどころ入る変わったアングルがあり、錠剤や葉巻、ステッキの扱いなど、随所に気が利いていて、映像としても楽しませてくれる。

ファーストシーンからラストシーンにいたるまで、さまざまなエピソードのつながりを邪険にせず、ひとつひとつの挿話やシーンごとに完成度が高い。

夫と妻と弁護士を同じ重みで扱っているので、三者にアンバランスが生じていない。
扇のかなめになるウイルフリッドに付き添う看護婦も、よくフレームに登場し、最初のシーンと最後のシーンには二人が映っている。この弁護士の周辺が映されることで、彼やその周辺の人物のキャラクターが十分に伝わり、単なる法廷モノを超えているが、この看護婦プリムソルの役割は、映像上、案外重要だ。

室内劇に近いため、常にフレームやアングル、カットにくふうを凝らしているのだが、この映画を盛り上げているのは、ストーリー展開とタイミングのよい回想の挿入、俳優たちの熱演を基礎にして可能となるシークエンスの緩急(メリハリ)、を上げることができるだろう。殺害されたフレンチ夫人宅にいる使用人のばあさんも適役だった。

法廷モノは先へ進むものだから、一般的には退屈しないのだが、一歩間違えると、一挙に通俗的に過ぎるつくりとなってしまうジャンルである。

何よりの適役は弁護士役の名優チャールズ・ロートンとレナードの妻役のマレーネ・ディートリッヒだ。そもそも、この組み合わせ自体が興味深い。チャールズ・ロートンはオムニバス映画『人生模様』のなかで、有名になる前のマリリン・モンローとも顔を合わせている。

ロンドン法曹界でも知られる大物弁護士が、葉巻を吸えたときや階段昇降機に乗ったときなど、実に無邪気な笑顔を見せるかと思えば、法廷では大声を上げて怒るところまでさまざまな表情を見せてくれる。

ディートリッヒはどちらかといえば、酒場の歌姫など生活感のない役柄が多く、ここでもそういうシーンはあるが、スーツを着てツンとした表情を保つ悪女風の役柄はあまりなかった。全くのはまり役で、まさかマリリン・モンローはありえず、リタ・ヘイワースもありえず、現代でリメイクするならジョディ・フォスターくらいなら演技はできても、この女のように、過去を引きずりながらレナードを冷静にしかも情熱的に愛する女は演じきれないだろうと思われる。

冒頭から映る巨大な法廷と厳粛な裁判や、検事やこの大物弁護士まで敵に回す、ドイツに過去のあるこのしたたかな女は、ドイツ生まれのディートリッヒにしかできなかっただろう。

レナードが観る映画のシーンで‘ジェシー・ジェイムズ’の名が出てくる。冒頭のほうで、あるたとえとして日本の特攻隊も出てきた。全体にセリフ回しやセリフの駆け引きがおもしろいのも、この映画ならではだろう。

ロンドンを舞台にした話なので、まさにきれいなイギリス英語であり、使用人のばあさんの訛りが際立つ。

本来なら、殺人犯の妻は、出廷するにしても、弁護側の情状証人として出廷するのが普通で、検察側の証人として出廷することは通常ではありえず、その普通ならありえない証人がディートリッヒであり、原題は「検察側の証人」だ。このワケありの妻を「情婦」として邦題にしたのは、当時の配給会社の苦し紛れの選択だったのだろうが、そのために映画ファンから縁遠くなっているとしたら残念だ。

ラストで、カメラを外に出す法廷モノが多いなか、カメラは固定したまま、扉に消える弁護士と付き添い看護婦を映して終わる。
ラストがいつまでも終わらなかったり、ラストでカメラが法廷の外に出るものが多いが、この作品では、さりげなくさっと終わる。あえて自重した演出と思う。

エンドロールが流れるなか、この映画をご覧になった方は、まだ観ていない方に、決して結末を話さないように、とナレーションが入る。
ラストまでに、二度に渡るどんでん返しがあるためである。

10814_004

« 映画 『日本のいちばん長い日』 (2015年版) | トップページ | A君は、なぜサヨク教授になったか (2016年3月29日) »

映画・テレビ」カテゴリの記事