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2016年3月

2016年3月29日 (火)

A君は、なぜサヨク教授になったか (2016年3月29日)

(以下、どちらかと言えば、思い出話です。)

彼とは、私と同時期に大学院社会学研究科(社研)に在籍し、現在、慶大教授となっているAのことである。

教授といっても、常にラフでカジュアルな格好をしており、以前から知られる教授のイメージではない。今や、そんな風体の教授があちらこちらに出没している。

私は再入学し、彼は付属高校(慶應義塾高校、通称:塾高)からそのまま上がり文学部を経てきているので、私より数歳年下ということになる。

文学部の上には文学研究科があるが、社会学研究科は院だけであり、文学部や法学部、経済学部からの学部学生が上がってくるが、社会学研究科の教授は文学部の教授が務める。

われわれの指導教授Bは、よく言えば、学問一筋の人であり、研究者としての評価はあまり高くなかったが、精力的に数々の仕事をこなし著作も多い。
新潟県の片田舎から出てきて教授にまでなった人であり、努力家である。礼儀やマナーを重んじるところがあり、研究者というより教育者の面も強かった。

このBを常日頃から快く思っていなかったのは、かつて棚からぼた餅式に教授になり、長年、社研の長を務めてきている教授Cである。Bに対するCは、いわば、財前助教授に対する東教授という構図だ。

Cはかつて、Bの指導教授であるDに疎んじられていたこともあったが、当時社研で大学に残るものはほとんどおらず、同時期にちょうど年齢のふさわしい研究者もおらず、幸運にも大学に残ることになり、教授にまでなったのである。

このCは、文科系の年配者の教授にしては、生涯著作が二冊しかなく、それも大学内の講義で使うものであり、出版社も慶應系の慶應出版である。
単純に、制度として、収まっていたに過ぎない。しかし、学説に対する批判精神は旺盛で、性格的には、実は、老獪であった。

当時、どこの大学も、今とは正反対に学生数が多くなってきており、慶應も湘南台を候補地と決め、人の手に入っていない広大な雑木林を二束三文で買収した。
後に、慶應藤沢キャンパス(頭文字をとってSFC)となる。

SFCには総合政策学部と環境情報学部が置かれた。
各学部から「政治的に」人事異動が進められた。つまり、実力があるのに周囲となじみにくい者などが、二学部に必要な専攻であるかぎり、日吉や三田から狩り出されたということだ。
出したほうは、目の上や下のたんこぶがいなくなり、出されたほうも真新しいキャンパスで気分よく仕事を始められるわけで、どちらにも文句はなかった。

この二学部は、慶應の難易度を維持するために、開校時から入試問題は難しかった。特に、制限時間120分の英語の読解力は高水準を要求される。やむを得ない結果ではあるが、私自身はこうした入試には賛同しかねる。

SFCのこの両学部には、入試科目に国語や社会科がない。文系理系を超えた学部を、という所期目的からすれば、最低限、国・数は必須にすべきだろう。英語だけはべらぼうにできる「外国人」が多く入学し、そのなかにサヨクが生育することにもなる。アホサヨクが増える所以だ

Cは退官間近となり、そのままただ去ってもよかった。
ただ、そういう段階になると、どうしても自分の息のかかった人間を後釜に据えたいと思うようだ。財前助教授に対する東教授と同じである。

ところが、SFCができ、各学部とも学生数を増やしていこうという時期に重なり、文学部にも人が充分とは言えなかった。Cの人脈で、他大学から呼ぶこともできたはずだが、慶應には純粋培養を行なう伝統のようなものがあり、Cも、選ぶならやはり学内から、という決意をしたのだろう。

Cは退職前に、常勤講師としてAを推した。一度常勤になれば、事故などない限り、いずれは教授になる。
推したのは確かだが、なぜAであったか、という理由は忖度するしかない。
Aは高校時代、ドイツへの留学の経験があり、ドイツ語は日本語なみに読み書きができる。そこしかない。

社会学は、マックス・ウェーバーが確立したといってもいい学問分野だ。Cはドイツ社会学に精通していた。それが社会理論の本流だと信じていた。
他方、Bの恩師Dは日本の社会学を確立した人物のひとりであり、B自身はアメリカ社会学が専門であった。
Cのドイツ狂いが、ドイツ通のAを後釜に、と思ったとしても不思議ではない。

Bには特に不満もなかったようだ。Aの出現によって自らの立ち場が危うくなるわけではない。
大学内の序列は軍隊並みである。

別の事情もある。Bには一人娘Eがいた。
彼女は付属女子高から自分のいる文学部に入学し、自分のゼミにまで参加させた。けじめのつく人であり公私混同はないことは誰もわかっていたが、世間一般の常識からして顰蹙を買っていた。
教授の子供が、親の勤務する大学に入学するのはしばしばあることだが、ゼミまでいっしょというのは異様である。

いずれ我が娘を、自分の後釜に座らせようと画策していただろう。Aが付属の普通部(中学)・高校出身なら、我が娘も付属女子中高出身なのだから、遜色ないと思ったのだろう。

Bもやがて退職し、某女子大学へ再就職した。Eはいろいろな大学の非常勤講師をかけもちしながら、実力は自分でつけるべき、というBの厳しい考えのもと、研究活動を活発化していった。
学者の活動とは、学会での発表や論文・著作の作成によって、自らの学問の正当性を問いかけることであり、デモやテレビに出て喚くことではない。

しかし、Eは、ある地方の私大で准教授になった年の秋、出勤途中に交通事故に遭ってしまう。信号待ちをしていたEの軽自動車に、居眠り運転の大型トラックが追突したのである。Eは意識不明となり、意識が戻ることなく数ヵ月後に死去した。

いずれ慶應へ、という親としてのBの目論見は無に帰した。
当然ながらBは落胆したが、表ではそうした表情は出さなかったとのことだ。現在は女子大もすでに退職している。

時間経過からすれば、その5年後、Cが死去した。葬儀を取り仕切ったのは、親に反対され教え子のままCに嫁いだ糟糠の妻と、教授になっていたAであった。
Aははみ出し者であるから、学部内では浮いているが、とりあえず彼をよく知る「小姑」連中は、みな消えたのであった。

Aはある時期、大学案内で、新入学生向けに、こんなメッセージを残している。

「教員からのメッセージ A教授:
すべてはあなたの中や横にあります。やりたいことはすべてやれます。そう思い込んで大学での生活を組み立ててください。あなたを阻止するものは何もありません。」 

これは、A自身の生き方をも表している。
文字通り、Aの前方を塞ぐ壁は、何一つなくなったのである。

私のいた文学部のゼミから上がってきた修士課程に揚がった学生は他に三人おり、そのうち一人は在日韓国人の女性で、その後、おそらくBのツテで上記女子大の教授となっている。

その後、非婚出産をし、これこそ、これからの「日本」の家庭の原型だと主張した。常にマイノリティに立った発言を繰り返し、上野千鶴子の弟子的な位置にある。

もう一人は関東各地の短大・大学を回って、結果的に早稲田大学に落ち着いている。
穏やかな女性ではあったが、最近言っていることは左がかるようになってしまった。完全にそうだとは言えないが、学問が「進歩的なること」を謳うとき、一度は左傾思考にはまらざるを得ないところもある。だが彼女は、「向こうに行ってしまったまま」になったようだ。

残る一人は、博士課程の入試において、Bに落とされてしまった。もちろん証拠はない。
彼は論理的で聡明な男であったが、Bの指導や意向に沿うところがなく、左派に立った発言が多かった。それ以前に、遅刻も多く服装もだらしなかった。初めからBの嫌いなタイプであった。

大学院入試科目は、英語・ドイツ語・専門科目(社会学)だが、専門が極端に出来なかったとのことだ。試験は一応入試であり公平公正であるが、指導教授が引っ張れば入るたぐいのものだ。将来、火種になりそうな人物、あるいは、自分より秀でそうな人物は、前もって切り捨てておきたかったのだろう。

しかしおそらく、それ以前に、彼は専門科目の基礎をおろそかにし、英語もまともに読めなかった。無精で誠実でない者が、それだけで博士課程に上がる資格はない。
その後を知らないが、思考がサヨクになっていることだけは間違いないだろう。

ちなみに、人物紹介の学歴欄で、よく、〇〇大学院修了、と書いてある場合があるが、上のように、専門科目が受験科目なのであるから、難しいわけがない。知的なレベルでの競争は、よくも悪くも、学部入試であって、大学院が難関大学名であっても、それは一種のカモフラージュに過ぎない。
大学院が一流大学であっても、知的な実力は大学入試で試されるのであって、そちらがその人のその時の実力を、正直に表わしている。誤魔化されてはならない。

Aに幸運が付いて回ったということはあるが、それ以外にも、サヨクにさせた理由がないとは言えない。
大学進学直後から、ボランティアで、自閉症児の面倒を見ていた。それはその後、学部在学中、ずっと続けられた。

母親にも一度会ったことがある。いい人であったが、ややかまいつけるタイプの親だった。Aは物心ついたころより一貫して母親を嫌っていた。担任ともうまくいっていなかったと聞いたことがある。
自宅は、今も昔もアカの町、杉並区の地下鉄・丸の内線沿線の住宅街にあり、父はなく母は残されたアパートの管理運営をして生活していた。Aのへやは、そのアパートの一室であった。

当時の私の自宅にも、2回ほど来たことがある。
いろいろととりとめのない話をした。20数歳でそういう話ができる人間は、周囲にあまりいなかった。彼には特定の友達がいなかった。
読むべきものは読み、自分の考えをもって批判していた。

あるとき、いきなり、実は結婚しているのだ、と聞き、驚いた。よく聞くと、式も挙げず、婚姻届だけは出してある、とのことだった。同い年の相方と同居することもなく、それぞれが違う場所で生活していながら、「結婚していた」のである。

ところが悲劇が起きた。元々からだの弱かった相手方が、心臓麻痺で急死してしまったとのことだった。二十歳のときに母を失った私も、同居していない若い妻を亡くすということがどういうものなのか、その心情は理解を超えていた。

その後しばらくは、同じ研究科の者同士、他の仲間とともに、院生生活を送っていくのである。
私は非常勤講師として母校の高校で教えることになり、それを機に、何に対しても体制批判精神の強くなっていったAとは疎遠になった。Aはそういう人物だから、もとより年賀状の交換などなかった。

インターネットの時代に入り、学生時代から現在までを、通して知ることができるようになっただけである。

Aの名前をFB(フェイスブック)で知り、あるときから、知られずにそのタイムラインを見ているが、何とも「ふつう」のサヨクになってしまっていて残念だ。

共産党は嫌いなようだが、SEALDsのデモの告知をシェアし、大学内で「安保法制」を批判するリレートーク集会をお膳立てするなど、Aもついに真の左翼にはなれないままに終わるのだろう。
そのAも、数年後には定年を迎える。

こうしてみると、A君は、なぜサヨク教授になったか、ではなく、A君は、生まれつきサヨクであった、というほうが正しいようだ。

2016年3月 1日 (火)

映画 『情婦』

監督:ビリー・ワイルダー、原作:アガサ・クリスティ、脚本:ビリー・ワイルダー、ハリー・カーニッツ、音楽:マティ・マルネック、主演:マレーネ・ディートリッヒ、タイロン・パワー、チャールズ・ロートン、エルザ・ランチェスター、1957年、117分、モノクロ、イギリス映画、原題:
WITNESS FOR THE PROSECUTION(検察側のための証人)

ストーリーもシーンもほとんど覚えているのに、何度も観てしまう映画だ。この映画を嫌いになる人はまずいないと思う。

法廷サスペンスの絶品で、アガサ・クリスティの原作がしっかりしている上に、実力派の大物俳優が名演技を披露しており、それと知られたベテラン勢が脇を固めている。ビリー・ワイルダーの代表的作品。

ようやく退院した、ロンドンでも実力派の大物弁護士ウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)のところに、殺人の嫌疑をかけられた男レナード・ボウル(タイロン・パワー)が付き添いの弁護士と現われる。
レナードが帰ったあと、今度は妻のクリスチーネ(マレーネ・ディートリッヒ)が現われる。ウィルフリッドはクリスチーネの言葉や態度に不信をいだく。

医者からは心臓の負担になるような事件は扱わないように言われていたが、
弁護士魂に火のついたウィルフリッドは、付き添い看護婦プリムソル(エルザ・ランチェスター)の言うことも聞かず、レナードの弁護を受けて立つ。
しかし、レナードにとっては不利な状況証拠ばかりで、裁判は困難が予想された。……

ストーリーに限らず、セットや多くの小物類などに凝っているほか、変に小細工をしない控えめで丁寧なカメラワークに好感がもてる。ところどころ入る変わったアングルがあり、錠剤や葉巻、ステッキの扱いなど、随所に気が利いていて、映像としても楽しませてくれる。

ファーストシーンからラストシーンにいたるまで、さまざまなエピソードのつながりを邪険にせず、ひとつひとつの挿話やシーンごとに完成度が高い。

夫と妻と弁護士を同じ重みで扱っているので、三者にアンバランスが生じていない。
扇のかなめになるウイルフリッドに付き添う看護婦も、よくフレームに登場し、最初のシーンと最後のシーンには二人が映っている。この弁護士の周辺が映されることで、彼やその周辺の人物のキャラクターが十分に伝わり、単なる法廷モノを超えているが、この看護婦プリムソルの役割は、映像上、案外重要だ。

室内劇に近いため、常にフレームやアングル、カットにくふうを凝らしているのだが、この映画を盛り上げているのは、ストーリー展開とタイミングのよい回想の挿入、俳優たちの熱演を基礎にして可能となるシークエンスの緩急(メリハリ)、を上げることができるだろう。殺害されたフレンチ夫人宅にいる使用人のばあさんも適役だった。

法廷モノは先へ進むものだから、一般的には退屈しないのだが、一歩間違えると、一挙に通俗的に過ぎるつくりとなってしまうジャンルである。

何よりの適役は弁護士役の名優チャールズ・ロートンとレナードの妻役のマレーネ・ディートリッヒだ。そもそも、この組み合わせ自体が興味深い。チャールズ・ロートンはオムニバス映画『人生模様』のなかで、有名になる前のマリリン・モンローとも顔を合わせている。

ロンドン法曹界でも知られる大物弁護士が、葉巻を吸えたときや階段昇降機に乗ったときなど、実に無邪気な笑顔を見せるかと思えば、法廷では大声を上げて怒るところまでさまざまな表情を見せてくれる。

ディートリッヒはどちらかといえば、酒場の歌姫など生活感のない役柄が多く、ここでもそういうシーンはあるが、スーツを着てツンとした表情を保つ悪女風の役柄はあまりなかった。全くのはまり役で、まさかマリリン・モンローはありえず、リタ・ヘイワースもありえず、現代でリメイクするならジョディ・フォスターくらいなら演技はできても、この女のように、過去を引きずりながらレナードを冷静にしかも情熱的に愛する女は演じきれないだろうと思われる。

冒頭から映る巨大な法廷と厳粛な裁判や、検事やこの大物弁護士まで敵に回す、ドイツに過去のあるこのしたたかな女は、ドイツ生まれのディートリッヒにしかできなかっただろう。

レナードが観る映画のシーンで‘ジェシー・ジェイムズ’の名が出てくる。冒頭のほうで、あるたとえとして日本の特攻隊も出てきた。全体にセリフ回しやセリフの駆け引きがおもしろいのも、この映画ならではだろう。

ロンドンを舞台にした話なので、まさにきれいなイギリス英語であり、使用人のばあさんの訛りが際立つ。

本来なら、殺人犯の妻は、出廷するにしても、弁護側の情状証人として出廷するのが普通で、検察側の証人として出廷することは通常ではありえず、その普通ならありえない証人がディートリッヒであり、原題は「検察側の証人」だ。このワケありの妻を「情婦」として邦題にしたのは、当時の配給会社の苦し紛れの選択だったのだろうが、そのために映画ファンから縁遠くなっているとしたら残念だ。

ラストで、カメラを外に出す法廷モノが多いなか、カメラは固定したまま、扉に消える弁護士と付き添い看護婦を映して終わる。
ラストがいつまでも終わらなかったり、ラストでカメラが法廷の外に出るものが多いが、この作品では、さりげなくさっと終わる。あえて自重した演出と思う。

エンドロールが流れるなか、この映画をご覧になった方は、まだ観ていない方に、決して結末を話さないように、とナレーションが入る。
ラストまでに、二度に渡るどんでん返しがあるためである。

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