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2016年2月29日 (月)

映画 『日本のいちばん長い日』 (2015年版)

監督・脚本:原田眞人、原作:半藤一利 『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』(1995年6月)、撮影:柴主高秀、美術:原田哲男、編集:原田遊人、音楽:富貴晴美、主演:役所広司、本木雅弘、山崎努、松坂桃李、136分、2015年8月、松竹。

参考までに、1967年版は、以下のとおり。

監督:岡本喜八、原作:大宅壮一編『日本のいちばん長い日』(1965年8月)、脚本:橋本忍、撮影:村井博、美術:阿久根厳、編集:黒岩義民、音楽:佐藤勝、1967年8月、モノクロ、157分、東宝。

鈴木貫太郎男爵・内閣総理大臣(笠智衆)
米内光政・海軍大臣( 山村聡)
阿南惟幾・陸軍大臣(三船敏郎)
畑中健二・陸軍少佐( 黒沢年男)

が中心となっており、昭和天皇(松本幸四郎)は登場するものの、登場シーンは少なく、ほとんど顔を映していない。

本作品では、

阿南惟幾・陸軍大臣(役所広司)
昭和天皇(本木雅弘)
鈴木貫太郎・内閣総理大臣( 山崎努)
畑中健二・陸軍少佐(松坂桃李)

が中心となっている。

いずれも原作を知らないが、映画の出来という点では、明らかに旧作のほうに軍配が上がるだろう。

そもそも、監督が脚本を兼ねるというだけで、ピンとはきた。こういう場合、特段に優れた作品になるか、逆に、独りよがりの作品になるか、のいずれかになる。

本作品も後者に当てはまる。
全体に詰め込み過ぎという印象が強い。会話のやりとりが、まるで掛け合い漫才のようで、余裕や間がない。カットも、同じシーンであっても、次から次へと休みない。
こういうことをされると、映像として楽しむという気持ちを、観客から奪ってしまう。

終戦前から15日にいたるまでの緊迫した状況を、機関銃のようなセリフの応酬と映像編集で現したかったとするなら、根本的にその発想は誤っている。それはまるで、文字の早読みであり、映像としては楽しめない。

あちこちに飛ぶロケ、豪華なセット、多数のエキストラ、軍服・軍装品、往年の高級車など、カネは使われている。俳優陣も、若手から年配者まで、しっかりした演技ができている。
EDにくだらない歌を使わず、全体的にOSTも映像を壊してはいない。
となると、すべての責任は、脚本を兼ねた監督にある

この映画を見て、冷房もロクにない真夏の蒸し暑さを感じるだろうか?
連合国軍の一方的なポツダム宣言受諾を目の当たりにした大臣たちの苦渋や、沖縄などでの悲劇を感じるか?
「反乱軍」の決断や熱意が伝わるか?

脚本上の問題も大きい。
旧作では、宣言受諾を渋々受け入れる内閣、特に阿南惟幾と、これに対する畑中少佐ら「反乱軍」の対立軸が鮮明であり、その軸を中心として、それぞれの内部にドラマが起きるという構図になっている。

厚木基地や横浜からトラックで駆けつける「反乱軍」応援隊は、大きなストーリーの流れに味を添えている。「反乱軍」が首相官邸を襲撃するシーン、玉音版を探して皇居内を荒すシーンなど、ポイントごとにメリハリもあって、重大な内容をもつ映画であるにもかかわらず、映像や音響でも楽しむことができる。

本作品には、計画された軸というものがない。時系列に忠実になるあまり、事実を追っているだけで、それで精一杯といった感じだ。
セリフの多いのも、監督が脚本を兼ねているからであって、これは捨てられない、というセリフが多かったのだろう。

本作品のかなめは陸軍大臣・阿南惟幾であるが、役所広司はミスキャストだ。
大作=巨額の投資=結果的に有名俳優の起用、ということになるが、悪役の多い俳優でも連れてきたほうがよかった。これは旧作の三船敏郎にかなわない。
巨額の投資をするからには巨額の収入が見込まれなければならない、・・・制作費の張る映画には、常にこうしたジレンマがある。

内閣側の人物像にも強弱がなく、みな並列的に出てくるので、おもしろみがない。映画として、天皇、鈴木、阿南、米内のどれに力点が置かれているのかわからない。
登場回数が多ければ力点が置かれている、とは限らない。

映画全体に、思い切って割愛する・抑制する、という姿勢が感じられず、そういう意味では、ただひたすらまじめに作られただけの映画で、大作たりえず、エンタメ性にも欠けるできばえとなった。

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