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2016年1月

2016年1月18日 (月)

日本は難民を受け入れない薄情な国である? (2016年1月18日)

<日本の難民1>「イモトに元気づけられた」 難民認定まで「7年」コンゴ人男性の苦悩(弁護士ドットコム) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160118-00004178-bengocom-soci 弁護士ドットコム 1月18日(月)10時30分配信

サヨク弁護士の集団で構成される弁護士ドットコムが、仲間のサヨク弁護士・神原元の弁護により、ようやく7年ぶりに難民認定されたコンゴ人の元教師について取り上げた記事だ。(以下、一部抜粋転載▼~▲)

   ▼

●政治的迫害を受けたコンゴ人男性

昨年8月、注目すべき判決があった。あるコンゴ人男性が「難民不認定」の処分取り消しを求めていた裁判で、東京地裁は男性の言い分を認めて、国に難民認定を義務付ける判決を下したのだ。男性の代理人をつとめた神原元弁護士によると、このような判決が出ることは「非常にめずらしい」という。だが、男性が最初に難民申請してから7年という歳月が経っていた。

この男性の名前は、マッサンバ・マンガラさん。1975年にコンゴ民主共和国に生まれた。判決文によると、2002年に中学の教師になったマッサンバさんは、コンゴ政府と対立する地域政党「BDK」に入党。反政府活動で、2005年に逮捕・拘束された。その後のデモ行進で指導的な役割を果たし、2008年に検察当局から出頭命令を受けるなどして、身の危険を感じため、同年10月に日本に逃れてきたという。

マッサンバさんによると、日本にやって来た理由は「大使館でその日に入国ビザがとれたからだ」という。来日後、すぐに難民申請の手続きをおこなったが、2010年に「不認定処分」となった。さらに、異議申し立てをおこなったが、2012年に却下されたことから、2013年に裁判を起こした。

日本が加入している難民条約によると、難民は「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人とされている。

国連のレポートなどによると、BDKとコンゴ政府は死者を出すほどの衝突を繰り返しており、マッサンバさんが来日した2008年には、コンゴ政府がBDK支持者に対して、銃器を利用した迫害をおこなったとされる。神原弁護士は「同じくBDK党員だったマッサンバさんの父親は、治安当局から頭を殴られたのが原因で亡くなっている。マッサンバさんはまぎれもない正真正銘の難民だった」と話す。

どうして法務省は「不認定」としたのだろうか。法務省に取材したところ、「個別のケースについては答えられない」という回答だった。判決文などによると、国は、マッサンバさんの供述や証拠を信用できないと主張していた。一方、東京地裁はマッサンバさんの供述や証拠について「全体として信用するに足る」「真正な成立が認められる」という判断を下した。

(中略)

マッサンバさんの来日以降、彼の生活や裁判を支援してきた市民団体「カラバオの会」(横浜市)の渡辺英俊さんは「彼は寡黙だけど、いつもにこやかで明るい印象がある。礼儀正しく、紳士的に人と接して、支援者たちの信頼を得てきた。付き合えば付き合うほど、彼は正直な人間だと感じるようになった」と話す。

難民申請が認められなかったマッサンバさんは「仮放免」となった。仮放免とは、強制送還または入管施設収容の対象であるが、一時的に拘束から免れていることを意味する。一応、日本にとどまることはできるが、就労のほかにも行動範囲が制限される不安定な立場だ。

   ▲

外出できず部屋に引きこもるような生活、難民認定をおこなう職員が足りない?、「仕事を通して人から認められたい」、とう小見出しで、記事が続けられている。

サヨクは、欧州における事態をよいことに、これをきっかけに難民受け入れを加速させようと画策している。
多少のことでビクともしない政権にこうしたことを言ったところで、時間の無駄なのだが、政権批判しか能のないサヨクや野党にとって、批判材料がなくなってくれば、同調する歴史音痴の外国人といっしょになって、わいわい騒ぎだすことであろう。

難民認定までの速度が遅いのは、職員が足りないといった人員の問題ではない。
政府が、従来の方針を、あえて変更させようと動かないのも、それなりに理由があってのことだ。難民を許可するについては、それだけ慎重にコトを進めているという証拠である。

いつも、こうした事例で、まず直観的に感じることは、なぜ日本なのか、ということなのだ。
世界のなかでは人権先進国であり、難民と認定されれば、この平和な国で、平和に暮らすことができるから、と考えるのだろう。表向きの理由は何とでも言える。
サヨクの言うように、日本が人権後進国であったら、難民は申請にやって来ないはずだ。

コンゴという国で何がなされているか、その気になれば情報を得ることができる。
是非は別とし、この人物は、カビラ大統領の圧政に対し、反政府デモの先頭に立ち、あと少しのところで、逮捕され拷問を受けていたかも知れないという。そこで、命からがら日本に逃げてきたのだ。

仮に革命の志士を自認するのであれば、投獄されるのは予期できたはずであり、それがいやだから命だけでも、と考えて難民となる。
小林多喜二は拷問を受けて殺されたとされるが、そうなることを予期してそのとおりに投獄され、時代の与えた運命にしたがった。思想信念を通すというのは、死をも覚悟してのことだとすれば、まだ多喜二のほうが潔い。

ある国の反政府分子を難民と認定すれば、時の政府はその相手国との間に、不安定な関係を生じさせてしまう。
チベットの僧侶が中国に抵抗する証しとして、焼身自殺をする姿は、まことに痛々しく慚愧に絶えないが、しかし、一身をもって自らの意志を通すという点で勇壮であり、だからこそ周囲の共感を呼ぶのであろう。

父を殺され、目をつけられていたからには、コンゴ政府同様、入管がこの人物についても調べることは多い。日本で難民認定された途端、さまざまな募金が始まり、日本国内で、コンゴ反政府デモを仕切られたのではたまったものではない。それをサヨクが利用するのは火を見るより明らかだ。
法務省入国管理局は、しかるべき充分な調査をしているというだけの話だ。

国益を考えるということは、国の利益を図ることであり、裏を返せば、国の損失を最小限に抑える、ということでもある。損失や被害を、みずから進んで作り出すのは、国益に反する行為だ。

日本は難民に対し、すこぶる薄情な国である、というのは、難民を題材とした単なるサヨク思考の賜物である。
難民受け入れに積極的なのは、そろいもそろって、サヨク弁護士であり、サヨク教授であり、サヨク系のNGOであるというのは、偶然ではない。

おそらく、本来、難民なるものは、受け入れ国の国民が、その事情を理解したうえで、みなが手を広げ、ようこそ日本へ、と心から歓迎するといったたぐいのものだろう。

事情はどうあれ、現地国で反政府デモを率いていた人物はもちろん、言語も生活習慣も全く異なる民族を、そうやすやすと受け入れるほど、日本人も日本国政府も寛容ではない。
国家というのは、それぐらいの堅固な意志で成り立っている。
難民によって荒らされた国は、国家としての堅固な意志をもっていなかった、と言われてもしかたない。

国民の意志に耳を貸さず、難民をやすやすと受け入れた国々が、いまどういった状況にあるか。サヨクは自分らに都合の悪い話には一切触れない。事態を謙虚に見つめていくという器量は、初めからない。

つまり、難民を受け入れない国家という題材で、安倍政権を批判したいだけなのだ。
そして、仮にもし受け入れて国内が混乱したら、それも安倍政権の批判材料にするに決まっている。

2016年1月17日 (日)

映画 『望郷』

監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ、脚本:アンリ・ジャンソン、ロジェ・ダシェルベ、音楽:ヴィンセント・スコット、主演:ジャン・ギャバン、ミレーユ・バラン、1937年、94分、モノクロ、フランス映画、原題:Pepe Le Moko

宝石泥棒ぺぺ・ル・モコ(ジャン・ギャバン)は、パリから逃げてきて、今はアルジェの港近くの通称カスバと呼ばれる丘の上の街に住みついていた。
カスバは入りくんだ迷路のような街で、警察は逮捕できず手をこまねいていた。悪行にもかかわらず、ぺぺはカスバで人気者であった。

やがてぺぺは、カスバに旅行客として訪れたギャビー(ミレーユ・バラン)と出会い、恋に落ちる。
ぺぺと毎日のように会っている刑事スリマンは、ぺぺ逮捕に一計を案じる。…

街に降りれば警察に捕まる。だが、ギャビーを追ってついに街に出る。
正装をしてまっしぐらに街に降りるなか、ぺぺの背景が幻想的に変わる。

ストーリーは至ってシンプルで、捕まらないためにカスバに身を潜め、カスバの連中からは人気者を慕われているが、内心、パリに戻りたいと思っていた。そこに、パリからギャビーという女が現われ、全身宝石づくめであっても、ギャビーの前ではペペは一人の恋する男となってしまった。
だが、ギャビーを追って街に下りることはできない。捕まってしまうからだ。
この大枠のストーリーに、サブストーリーが挿入されている。

ギャビーは4人の旅行者のうちの一人であり、ペペたちからすれば異邦人である。ギャビーのキャラクター描写が弱いとする批判もあるのだが、ペペとカスバと望郷がテーマであり、ギャビーには、ペペの郷愁への火付け役としての役割があるので、あまりキャラは濃くしなくてよかったのだと思う。ギャビーを描きすぎると、このロマンチックな映画は、かえってロマンスを失ってしまうだろう。

有名なラストシーンは観てのお楽しみだが、こんな感じである。

ギャビーの乗る豪華客船に、ギリギリで乗り込んだペペは、情婦イネスの密告により、スリマンらに船上で逮捕される。
最後のお願いに船を見送らせてくれ、と手錠のままのペペはスリマンに頼む。
やがて甲板にギャビーが現われ、カスバの街を茫然と見つめる。ギャビーはスリマンの嘘によって、ペペは死んだものと思っているからだ。
ペペはそのギャビーの姿を見つめ、思い余ってギャビー!と叫ぶ。
と同時に、出航の汽笛が大きく鳴り、ギャビーは両耳を押さえてそこを去る。
ペペは、ギャビーの後姿を追う。

このシーンのためにこの映画はあったのではないかとも思えるような、心憎いラストである。

ギャビーとの会話で、パリの思い出がよみがえる。二人とも、これが最後の出会いになるとは知り得ぬ別れ際に、ぺぺはギャビーの耳元にキスをする。

  ペペ「いい香りだ…」
ギャビー「メトロの?…」
  ペペ「一等車だな…」

カスバでは目立つギャビーの美貌とスタイル、そのギャビーと香水の香りから、パリを思い出すぺぺ。 

仲間の妻タニアが、若いころの自分の歌声をレコードで聴く。憧れてアメリカに渡った女が、パリを思い出して歌う悲しい歌だ。カスバで辛いことがあると、壁に貼った歌手時代の若い自分の写真を見ながら、この歌を聴くのだ。
ここでこの映画のテーマは、「ペペ・ル・モコ」から「望郷」になる。

邦訳を『望郷』としたのはたいしたものだ。これに匹敵するのは、『遊星からの物体X』(The Thing)、シャロン・ストーンの『氷の微笑』(Basic Instinct(基礎的本能))くらいだ。
これは昭和12年の映画である。この年7月、盧溝橋事件が勃発している。この映画が後に日本で公開されてから、望郷という言葉がはやるようになったとも言われている。
1939(昭和14)年キネマ旬報ベストテン1位となっている。

『モロッコ』『望郷』『カサブランカ』…と、恋と別れが、みな北アフリカの乾いた土地を舞台とするのは不思議な共通点だ。

ミレーユ・バランは他にたいした出演作もなく、この映画がそのまま代表作だ。当時はやりの、ディートリッヒに似た、細く引いた眉、恍惚とした目の表情、傾けてかぶる帽子、…エレガントで魅力的な女優だ。

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2016年1月12日 (火)

アムネスティ日本は似非人権団体 (2016年1月12日)

アムネスティ日本とは、1961年に発足した国際人権NGO・アムネスティ・インターナショナルの日本支部であり、日本では、正式には、公益社団法人・アムネスティ・インターナショナル日本と称している。

公益社団法人 アムネスティ・インターナショナル日本
https://www.amnesty.or.jp/about_us/ai_japan_outline/

Twitter:@amnesty_or_jp
Facebook::https://www.facebook.com/amnesty.japan

HPのトップには、今や世界で700万人以上がアムネスティの運動に参加しており、国境を超えた自発的な市民運動が「自由、正義、そして平和の礎をもたらした」として、1977年にはノーベル平和賞を受賞した、と書かれている。

はっきり言って、そんなことはどうでもよい!

世界各地に紛争地域があり、政情不安のもと、虐待される子供、レイプされる女たちも後を絶たず、政治不信も続く開発途上国などで、政府のできないことを、政府に代わって成し遂げているなら、それは評価されてもよい。

だからといって、日本への人権主義の押し売りは、お門違いだということだ。

日本は、アムネスティの好きな言葉を使えば、世界基準としては先進国であり、紛争地域でもなければ、虐待やレイプが日常茶飯に発生しているわけでもない。

ところがアムネスティ日本での活動ということになると、一言にして言えば、それは「サヨク応援部隊」でしかないような気がする。これはまた、複数の心ある人々も指摘してきたところだ。

アムネスティ日本は、死刑制度に反対している。朝鮮学校の無償化打ち切りを人種差別と批判している。
また、かつて、従軍慰安婦問題に関し、日本はこれを認めず、国際基準となっている「性奴隷」という用語を使うことを拒否していると批判した。
特定秘密保護法についても、特定秘密の内容が不鮮明だと批判し、いわゆる「ヘイトスピーチ」についても、国際的人権基準から乖離し続けている、と批判していた。

これらのうち慰安婦問題と特定秘密保護法については、今日までに片が付いた。死刑制度も存続している。
ヘイトスピーチ問題については、以上の点やその他の多くの課題で、日本がアムネスティ日本の「思うようにならない」ことから、他の問題と絡めて、日本を攻撃するような風潮がある。

サヨクは騒ぐ、「虐待は日本でも多い! レイプは日本でも多い!」
子供の人権が何よりも大事という弁護士や、秋葉原で女子高生は男の餌食になっている、と発信する女性らがみな、SEALDs応援団の一員であり、共産党支援者であるというのは、今日までに明らかとなっている。

自分たちの主張に、「世界基準」を謳うアムネスティからお墨付きを得ていると言わんばかりに、
アムネスティを利用しているのはサヨク連中であり、アムネスティ日本もサヨクの発信に乗じて参加者・寄付者を増やしていこうとしているのである。

差別をなくせ、と言っている集団が、実は差別をなくしたくない、といったホンネを隠しているのと同様、アムネスティ日本にとって、人権侵害などは、「あってしかるべき」なのだ。
差別があることでカネが入ってくるなら、それを本気で廃止しようなどとは思うはずがない。

同じように、参加者を募るためにも寄付金を増やすためにも、アムネスティ日本にとって、人権侵害・児童虐待・婦女暴行は、「なくなってはならない」ものなのだ。

高邁なる理想でもあれば、真剣な非営利活動だとも思いたいが、崩れサヨクは国体破壊者であり、そのようなものがあるはずがない。

レイプの絶対数が少なくても、レイプが多い、と騒ぎ立てるのは、自分たちの生活基盤が損なわれるからであり、売名とカネ集めのためにも、レイプは「なくなってはならない」のだ。
とんでもないことだ。仁藤夢乃(にとう・ゆめの)や、伊藤和子といった安っぽい人権屋弁護士、大学教授、評論家、自称ジャーナリストどもは、自分たちのために、事実を歪曲して、国連を利用し、世界に誤った情報を発信したのである。

アムネスティ日本の現在の理事長は、学習院大学法学部政治学科教授・庄司香(しょうじ・かおり)である。
副理事長、石田城孝(いしだ・しろたか)は、Facebook において、ISILに拘束された湯川遥菜(ゆかわ・はるな)に関する情報を垂れ流していたというのも、今や公然の秘密となっている。

理事のひとり、坂本廣幸(さかもと・ひろゆき)は、仮放免者の会「5つの要求」に賛同しており、難民受け入れに賛成している。
仮放免とは、入国管理局から強制退去命令を受けながら、帰国しようとせず、在留資格を得ようと待っている外国人の状態をさす。(http://praj-praj.jimdo.com/

アムネスティ日本のイメージカラーは黄色である。
勤務先のJR中央線に、私がサヨクの街と呼ぶ吉祥寺駅がある。

昨年10月ころ、駅前の交差点、三菱東京UFJ銀行の入るビル角に、ある日突然、アムネスティ日本が、黄色い布切れを巻いた机と、黄色い紙を貼った箱を置いて、通行人を勧誘し始めた。勧誘は男二名で、ときどき男女一名ずつになっていた。

そのビルの警備員に伝えたところ、すでに知っていたが、他でしてくださいと言ったら、道路許可をとっている、と言われたという。そんなはずはないのだ。
警備室によると、銀行の敷地に入っていない以上、それ以上は言えないとのことだった。

連中の机の真後ろには、消防設備の連結放水管の十口近くあり、そんなところに警察が許可を出すはずがない。そもそも交差点の角は駐停車禁止であり、停止した状態でおこなうすべての活動は許されないはずだ。

向かいの交番に行った。交番の正面でしていることでもあり、警官も視野に入っている。
あれは許可を得ているのかどうか、確認してほしい旨伝えただけだったが、その日の午後に行ってみると、すべて撤去されていた。

しかも、翌日からは、男女の警官二人で、交差点のその場所あたりを右往左往していた。警戒していたのである。言ってみるものだな、と思った。
あんな連中が、道路許可などとっているはずがない。また、許可される場所でもない。

しばらく姿を見なかったが、おとといまた、出現していた。
連結放水管の前はまずいはずだ、と警備に伝えたところ、放水管の口をよけるように、その左に机、その右に箱を置いて、勧誘をしていた。

今日は朝から霧雨が降っていた。
連中は銀行前にはおらず、線路の下の雨の当たらないところで、勧誘をしていた。

つまり、アムネスティ日本とは、こうしたせこい団体なのだ。
許可証があると嘘をつき、霧雨程度でガード下に移動する。ボランティアの信念などない。
勢力の拡大とカネ集めが目的であり、人権はそのために利用されているだけだ。

安保法制を戦争法と呼び、「赤旗」の売上増と党員増だけを目的に、戦争法反対を叫ぶ日本共産党と、同じ穴のムジナである。

以上からして、アムネスティ日本に限っては、似非人権団体であり、「サヨク応援部隊」とみなしてかまわない、と結論する。

2016年1月 7日 (木)

現首相が、慰安婦像撤去を、第一の合意条件に据えない理由 (2016年1月7日)

無知の人間にとって、ツイッターなどSNSのインフルエンサーは拠りどころだ。

「そうだ!そのとおりだ!」とRTが付く。インフルエンサーもそれを熟知しており、それをいいことに、扇動的な発信もおこなう。
政治家でないインフルエンサーの発信は、政治的に無責任だ。インフルエンサーとデマゴーグは紙一重である。

そうしたインフルエンサーの発信により、日韓合意を破棄すべし、といった、それに倣えとするツイートは後を絶たない。
インフルエンサー自身も実際に批判的なのだ。破棄しろとは言わないまでも、この合意には失望した、といった諦め気分のものもある。インフルエンサーを自覚する者は、フォロワーの代弁者として、自らの見解を発信する。これが発信のきっかけである。

インフルエンサーのもうひとつの動機は、自身は安倍と違って、あのような裏切り者ではない、皆さんの味方なのだ、と周囲に意志表示するために、発信を続けなければならない、という点だ。
インフルエンサーにとって、今後、自らの発信と異なった政治的環境が誕生した場合、後には引けなくなるはずだ。それを承知でも、今は思ったことを発信しつづけるのが、彼らのSNS内での役割分担なのであろう。

安倍に裏切られた、と言っている保守人は、内心それほど熱烈に安倍首相を愛してきたということだ。
政治に距離を置いて論理的にとらえて来ず、自らの主張と一致していた部分があるからと、親方日の丸気分になっていたのである。
それだけに今回は、大いに裏切られた、と感じたのである。

愛とは常に、排他的感情だ。
排他的であったはずが、そうでなくなった。そこからくる不快感が、安倍嫌いという感情に走らせた。安倍首相を、愛し過ぎ、盲信し過ぎてきたのではないか。まさしく、彼らこそ、安倍信者だったということだ。

彼らは、せめて、慰安婦像撤去を基本的条件の一つにするべきだった、と言う。
それでは、日韓合意で、安倍首相が、慰安婦像撤去を第一の条件に据えなかったのはなぜか。あるいは、据えられなかった、と言ってもいい。

未来志向を選択する現政権の内閣総理大臣にとって、各種要因が絡んでいたとしても、日本国の意志としての合意は、前進という認識をもって運ばれた。

しかし、撤去要請をメインの条件にすれば、今まで、慰安婦問題という政治的課題として韓国に挑むことなく、慰安婦像設置に抗議もせず撤去を叫んでこなかった歴代政権を、間接的に非難することになる。現政権が過去の政権を批判することは慎むべきだろう。

慰安婦像が民間団体の作成であっても、韓国政府が不作為であれ容認してきた以上、韓国政府にも責任がある。
今後のなりゆきは、合意から発する権力の浸透作用に託されるのであって、内政に対する韓国政府の権力作用を世界が注視することになった。

慰安婦像撤去は、国家間の合意の前で、韓国政府の内政問題となるだけでなく、それゆえに、韓国政府の現在の力加減が、どれほどのものであるのかを、そのプロセスにおいて、世界の前に曝け出さなければならなくなったのである。

産経新聞記者を不起訴にする、などといった「決定」をするのではない。真の行政の手腕が試されるということだ。
これが実現できないということは、慰安婦問題を再び国家として持ち出すことが、韓国という国の国際的信用を貶めることになる以上に、韓国という国が、そもそも国家としての体を成していないというていたらくを、世界中に拡散させることになる。

先日、こんなブログを書いた。⇒名を捨て実をとった日韓合意 (2015年12月29日) http://bit.ly/1OipOBp @syuya_yui
そのなかに、目立たなかったようだが、こういう一節を入れた。

「政治にはいろいろな思惑が絡み、ダブル選挙に大勝して憲法改正への条件を整える必要もあった。そのためには、日本国内のサヨク豚を黙らせる必要もあったわけである。」

合意について、いわゆるサヨク側から、一部保守人以上の反対や叫び声は聞こえない。
さらに、曲がりなりにも、国政に籍を占める政党のほとんどが、合意自体に反対していない。
彼らは、日韓合意と軽減税率のすり合わせにより、与党の関心は参院選に移ったとして、それに対抗するかのように、自分たちも選挙準備に突入してしまった。

安倍首相の思惑どおりになったのである。マスコミでは野党の選挙対策をのみ報道しているが、野党でしていることは与党でもとっくに始めている。

TPP交渉参加後、安倍政権は売国政権だ、と保守の人間がみんなして言っていた。AIIBに乗り遅れたと言って騒いだのも保守人であった。今回も多くの保守人が、合意を批判し、もう安倍は応援しない、参院選には行かない、などとまで言っている。

TPP交渉後、AIIB見送り後、大いに反対しまくっていた保守人は、やがておとなしくなってしまった。
最後に残った言葉は、これら未来志向なる政策について、安倍の未来志向は信用できない、といったたぐいのものであった。

日本の過去の栄誉や英霊の活躍を蹂躙するような決定をして、安倍は日本を滅ぼしたいのか、安倍は売国奴そのものだ、という批判であった。サヨクではない、保守人がそう言っていたのだ。

これがいわゆる、狭量な視野のなせる脊髄反射と付和雷同なのである。
脊髄反射ゆえに、他の知覚が反応してくれば、次第におとなしくなる。付和雷同しようにも、インフルエンサーはすでに、さらりと身をかわし、うまく逃げてしまっているので、拠りどころがない。おとなしくなる道理である。

脊髄反射も付和雷同も、生身の人間であるかぎり、致し方ない場合もあるだろう。
仮にいったんそうなっても、そのあと落ち着いて自分の見解をもてれば、それでよいと思う。

保守人であれば、愛国保守以外に進む道はない。

2016年1月 3日 (日)

一貫した理論と実践から「保守なるもの」を見極めたい (2016年1月3日)

日韓合意に関し、右派のなかに批判する者が多くいることは想像していたが、それにしても、匿名が保証されるSNSで、その発信は、予想以上であった。

私も批判する側を、似非保守ではないか、と書いた。
それは、サヨクと同じく、政治家でない者が、一介のツイッターからインフルエンサーに至るまで、無責任に言い放つ発信に憤ったからだ。

ところが今度は、それから数日のうちに、真正保守を自認する立場からは、安倍批判をしたツイッターのうち、有名どころを一覧にしたツイートが出回り、拡散された。

その中に、在特会(在日特権を許さない市民の会)の初代会長・桜井誠の名前もあった。実際、彼のツイートを見ると、日韓合意には反対を表明している。

それぞれの考えや立場があってよいのであって、批判と反批判の応酬は、意味もなく空しい。
私はこのたびの合意については、安倍政権を信用し支持する立場であり、サヨクのごとき脊髄反射や付和雷同を嫌忌するのだ。

予想どおり、何名かの保守人が、絡んできたが、およそ、前提となる文章読解力自体が貧弱であったので、そのまま放置した。

先ほど、チャンネル桜の抗議の動画を知り、全部通して見てみた。
チャンネル桜は、合意に抗議するという立場である。(→【先祖を汚すことを許さず】12.29 不当「日韓合意」抗議!緊急国民行動[桜H27/12/30] https://youtu.be/-LIjpWdVPj4 @YouTubeさんから)

以前、チャンネル桜に対する不信について、田母神俊雄の選挙資金疑惑に絡めて、ブログを書いたことがある。(→保守陣営の雑音(1)~田母神俊雄とチャンネル桜 (2015年5月1日) http://bit.ly/1FCegoL @syuya_yui)
今回、動画を見て、そのブログのどこにも訂正箇所がないことを確信した次第だ。

古くからお付き合いのある方はご存じのように、私は右翼であれヤクザであれ、愛国心に貫かれた大和魂には好感をもつし同調もする。逆に、日の丸だけ掲げて、何の知識もなく、軍歌だけ聴いているような自称愛国の徒は、信用していない。

水島総の話は、根幹は愛国者であると思うのだが、このたびの動画の演説を見ていても、焦点がボケており、街頭デモであるということを考慮しても、心に響かなかった。
力点はむしろ、われわれだけが日本人として戦っている、われわれは孤立しているががんばる、といった主張にあるように聞こえる。合意反対へのセオリーに力が感じられない。

靖国神社崇敬奉賛会と特攻隊戦没者慰霊顕彰会にしか所属するつもりはないから、当然、日本会議や在特会などにも所属していないのだが、これら保守団体には、それぞれ一定の見通しや方針があって、日夜活動しているのを承知しているつもりだ。

民衆へのうったえかけを契機に、何がしかの改良や変化も生まれた。そうした活動こそ、保守団体の本来の存在意義である。
一般の保守派サラリーマンではできないことを、代わりにやってくれる団体があるとするなら、同じ保守の人間としてありがたいことなのだ。

したがって、合意批判者に逆批判する者も、批判している人物の目的や意図を汲む洞察力は必要である。
同じように批判していても、日本の政権としての安倍首相の決断に理解を示しながら、これを批判している者もいれば、とにかくこれで安倍は最後だ・今後一切支持しない、という者までさまざまだ。

合意反対者を脊髄反射だと批判した側が、同じように脊髄反射して、批判者に罵詈雑言を吐くのは、保守人として控えなければならない。

在特会の主張について言えば、首尾一貫しているところ、デモの際の演説がうまいところであり、後輩が育っている点も頼もしい。
メール会員や定期便の廃止など、スリム化を図り、ムダをなくしたのも好感をもてる。

もっと幅広い活躍を期待したいが、会の名称のとおり、目標は唯一一点なのである。
それにかかわる多岐なテーマをもって闘ってきており、それだけに、うったえるテーマを他の政策にむやみに広げないのも得策だ。保守系団体によくあるように、妙に自己陶酔しないところもよい。

その代表者が、日韓合意をツイッターで批判したからといって、常日頃の活動の潔さまで否定するのは間違いだ。在特会自体は、元々安倍政権や自民党を全面的に支持しているわけでもなく、それどころか、元々いろいろな面で批判してきている。在特会は安倍信者ではなく、今回初めて批判した、驚いた、桜井に裏切られた、というのは誤りだ。
一貫性とは、こういうことだ。

民主主義の世であるからには、それぞれの立場があり、それぞれの主張がぶつかり合ってよい。

私が懸念し、あるいは嫌忌するのは、脊髄反射と付和雷同である。
相手が政権であれ、合意批判者であれ、一部の発信だけをとらえ、あるいは思い込みや先入観だけで一刀両断に切り捨てるのだけは避けなければならない。

それなりの筋立てをもって批判する者には、それなりの筋立てをもって返すというのも日本的仁義であろう。
本格的に日韓合意を批判するのであれば、また、合意批判者を批判するのであれば、いずれも、筋立てをもって対応するのが、相手に対する礼儀である。

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