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2015年12月

2015年12月30日 (水)

今年を振り返る~保守思想の定着を (2015年12月30日)

平成27年も、もう少しで過ぎゆく。

身体的には、バカがつくほど健康に過ごせた一年であった。ほぼ毎日、腹筋・足上げと腕立てはやってきた。少し体重が増えた。

それでも、二つアクシデントがあった。

会社の健診の結果、大腸の内視鏡検査を受けるという経験をしたが、予想どおり何でもなかった。どうも、病院側の陰謀のような気がしてならない、と、今でも思う。毎年、何人かずつ精密検査該当者を出すようにしているのではないか、と。都立病院も、それをやれば利益が上がる。

もうひとつは、6月に、左の人差し指の先をざっくりと切って、三針縫ったことだ。指先の麻酔が、これほど痛いものとは思わなかった。幸い、骨や神経に異常はなかったが、ケガしたことを忘れるまでに、三ヶ月ほどかかった。

朝、会社に行くと、まず換気するのだが、すべて回転式の窓で、それを閉めるときに、窓が勢いよく閉まり、窓枠に添えていた手を一瞬引っ込めたつもりだったが、指一本だけ間に合わなかったというわけだ。窓と窓枠のエッジは、まな板と包丁の役割を果たす。

政治的には、国民の一人として、ほどほど満足のいく一年であった。

昨年は、こんな日記を書いていた。⇒今年を振り返って~愛国者であることに躊躇は無用 (平成261231日) http://bit.ly/1AgaKNi @syuya_yui

何より、昨年からの悲願となっていた集団的自衛権行使を可能にする安保法制が整ったことは、感慨深い。

戦後70年の節目に、米国から強いられた個別的自衛権を刷新したわけだから、見ようによっては、コペルニクス的転回のようなな改革であった。⇒安全保障関連法成立より参院選に向けて 2015年9月20日) http://bit.ly/1IygQ2x @syuya_yui

これよりひと月前、安倍首相は、戦後70年の談話を発表した。⇒戦後70年首相談話と日本の選択 2015年8月14日) http://bit.ly/1HL9pxz @syuya_yui

これに沿うかたちで、28日には、慰安婦問題について、決着をみた。

両国の合意について安倍首相は、「私たちの子や孫の世代に、謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない。その決意を実行に移すための合意だ。」と述べ、これを、「最終的・不可逆的な解決」とした。

各国歴訪をはじめ、安倍首相の外交は、国際基準に沿っている。

将来の国連常任理事国入りを念頭に、日本ができることを、丁寧に、しかし、したたかな戦略をもって、実行している。インド、マレーシアをはじめとする東南アジア各国のみならず、テロへの断固とした姿勢を含め、安倍外交が世界的に評価されているのもうなづける。

安倍政権が我が国の政権であることを、誇りに思う。


これに比べれば、能力や人材の枯渇した野党は、ただ議事進行を遅らせたりするだけの「外形力行使」しかできず、代替案も提示できず、国会の場はまるで、子供の生徒会レベルに終始した。子供のやりとり、子供のケンカ、子供の絶叫しかなかった。

我々ならこうやって日本をよくする、そこが自民党とは違うのだ!といった信念も意気込みも感じられず、そしてそれは実際に皆無で、国民は呆れるほかなかった。

思想的な最も大きな課題は、あとひとつ、憲法改正となった。

そのために、政権は、いろいろ手を打っている。

 

官邸主導という批判もあるが、軽減税率に関し、公明党に大幅に譲歩した。自民党が譲歩する、というのは、ある意味、大変なことだ。だから、自民党に譲歩させた公明党は、いい気分のはずである。しかも、庶民の生活に直結する税制で、譲歩させたのだ。

公明党に対しては、当然私も思うところはある。アメリカに対して思うところありながら、安保体制を維持していかなければならない、という「政治的忍耐」に似ている。

来年7月の参院選に向け、公明党の協力は取り付けた。(おそらく、衆参ダブル選挙になるだろうが、あまりそれを叫ぶと、かえって敵方に細かい準備をさせてしまう。安倍首相の意を汲んで、しばらくの間、あまり声を大にしないほうがよいだろう。)

選挙体制は整った。

心ある有権者が、どれほど政権を支持するか、である。

 

今年おこなわれたいくつかの地方選では、自民党は、現有議席を維持はしても、伸びがなかった。

民主党の議席が共産党に替わるだけ、つまり、民主党などが台頭する以前の状況に戻るだけ、というのであれば、選挙をしても意味がない。

共産党はじめ、今の野党の議席を食いちぎってこそ、選挙結果が意味をもつのである。

このたびの日韓合意で、空高々と拳(こぶし)を振り上げた保守人も、それを下ろすことなく、自らの信念に基づいて行動していくだろう。

有権者の動向が注目される。

保守陣営の支持者の一部には、日韓合意の直後のように、そのときの餌がうまいかまずいかで、直情的に物事全体を判断するきらいがある。

ことの是非はともかく、いわゆる左翼には、「一貫した姿勢」が見られないこともない。陰で買収が行われていれば、なおさら、支援姿勢に変化は起きない。

勢いというのは怖いものだ。山本太郎のような、サヨク以前の無能な人間でも、選挙対策が練られていれば、投票日当日に多数の票を獲得してしまう。

よく言ってきたことなのだが、次の参院選あたりで、筋金入りの右翼と左翼の議員が誕生してほしいものだ。緊張感のないところには、必ず弛緩(しかん)や我欲が生まれる。

国民不在の政治屋ほど、国民にとって迷惑な存在はない。

今年も左右問わず、さまざまな言論が飛び交った。それが民主主義のいいところである。

少し前、ツイートしたことだが、参院選までの懸念は、野党ではなく、むしろ保守陣営の側にある。

かつてのように、自民党内での横の分裂はあまり考えられないが、中央と地方、首都圏と地方圏の分断を懸念している。

もうひとつは、政権支持者の多くは、積極的に自公を応援している者たちばかりではない。消去法で、しかたなく、現政権を応援している者も多い。これはいわゆる「付和雷同」する層であり、自己紹介で「左右どちらでもないが・・・」というたぐいの言葉を語る人種である。

だが、これも一票をもつ有権者なのだ。

 

これなら信用できるという政権を誕生させるような環境づくりを、与党自らがリードして披露していかなければならない。そうすれば、多くの有権者は、「自らの意志」で支持することになる。

 

こうした問題をクリアさえできれば、来年の選挙は、自公政権圧勝に終わるであろう。

 

 

 

 

 

 

みなさま、良い年をお迎えください。

 

 


2015年12月29日 (火)

名を捨て実をとった日韓合意 (2015年12月29日)

本来なら、あと一つだけ、例年どおり、今年を振り返る日記を書いて、今年の日記を終わりにするつもりであったが、日韓合意を受けて、ツイッターなどで、あまりに政権に対する批判が多く、その批判も微視的で、大変意外に思ったので、一筆書いてみることにした。

 

・慰安婦、韓国20億円要求 日本は拒否「像の撤去」「協定再確認」文書化迫る(産経新聞)(記事・略)

日本側の態度は至極まとも。国民の考えを代弁している。それにしても相変わらずの乞食国家ぶりだ。すべて物乞いにつなげる、カネしか頭にない卑賤民族!

 ・韓国は、火病の国、泥棒の国、パクリの国、レイプの国、殺しの国、恩知らずの国、恥知らずの国、見せかけだけの国、伝統のない国(あたりまえ!)、誇りのない国(あたりまえ!)、文化のない国(あたりまえ!)、・・・

この二つは、27日の私のツイートだ。定期的に、韓国政府や在日に関するツイートをしている。慰安婦問題についても同様だ。

韓国の反日行動や理不尽な要求については、私もきわめて批判的である。

 

 

戦後補償については、1965年(昭和40年)6月22日、日韓基本条約が締結され、この条約の発効と取り決め実施によって、すべて片付いている。⇒先の戦争に関し、韓国は日本に対し、何の賠償請求権も存在しない  http://bit.ly/1upOD6f @syuya_yui

したがって、本来のスジ論として、日本は、先の大戦に関するすべてについて、韓国にびた一文払う謂(いわ)れはないのである。

しかも、従軍慰安婦なるものは存在せず、単に売春婦である慰安婦は、世界の戦場のいたるところにいたわけであり、日本軍がこれを制度化していたということもなかった。

これを捏造し拡散したのは、表向き人道支援の立場に立つ日本キリスト教婦人矯風会の高橋喜久江や福島瑞穂であり、それを国民に定着させようとしたのは、植村隆、田淵広子ら朝日新聞などの売国メディア記者である。

その朝日が、昨年とりあえずの「訂正」をし、慰安婦を性奴隷と訳していた外紙系記者は、ほとんど日本から放り出された。捏造記事を書いていた人間は、ローカルなところに異動させるか、本部の管理化に置かれたのであり、一般企業の制裁人事と同じだ。

つまり、性奴隷という、制度としての従軍慰安婦なるものの存在は否定された。単に慰安婦という場合、これは、どこの戦場にも付いてまわる娼婦を指すことになった。

現在の風俗嬢がOLより稼ぎが多いのと同様、当時の売春婦が看護婦らより高給なのは当然だ。

慰安婦であれ風俗嬢であれ、初めから好んでそんな仕事に就く女性は少なかったはずだ。身一つで食っていくには、究極の場合、女には売れるものがある。韓国人だけでなく、日本人であれ台湾人であれベトナム人であれ、女性たる慰安婦の味わったみじめさは、「道義的」にも無関心でいられるわけではない。特に、戦時下での商売は、現代の風俗と違い、男尊女卑のならわしもあり、屈辱的な思いをしただろう。

安倍首相は、「道義」という人間としてのこの普遍的な思考に基づいて(言い方を換えれば、「道義」という考え方に事寄せて)、何とか慰安婦問題を終結させようとしたのである。

背後には、当然ながら、安保条約の相手である米国の「要請」が見え隠れする。あるいは、財界からの圧力もあったろう。

それにしても、今回の合意直後、大勢の人たちが、この合意に失望し憤慨したというのは意外であった。保守系の議員、評論家、SNSのインフルエンサーと呼ばれるような人物が、一様にそうしたコメントを発表しツイートを流し、さらにそれが大量に拡散された。

今回の合意については、突如、外相がソウルに行くことが発表されてから、一挙に情報が流されたが、日本側のスタンスには、特に疑義をもたなかった。むしろ、これに応じる韓国がどう出るか、に関心があった。

8月、安倍首相は、戦後70年の談話を発表した。⇒戦後70年首相談話と日本の選択 2015年8月14日) http://bit.ly/1HL9pxz @syuya_yui

これに沿うかたちで、28日、慰安婦問題について決着をみたのである。

両国の合意について安倍首相は、「私たちの子や孫の世代に、謝罪し続ける宿命を負わせるわけにはいかない。その決意を実行に移すための合意だ。」と述べ、これを、「最終的・不可逆的な解決」とした。

あまり注目されていないが、外相の訪韓発表自体が、唐突であった。

事務レベルでの協議を重ね、さまざまな情報を収集し、年末合意に向け、ことは秘密裏に粛々と運ばれていた。

臨時国会を開けば当てられたであろう時間の一部は、朝日の捏造露見以来継続してきただろう両国合意に向けた協議に充当された。

外相訪韓発表前にすでに、合意はほとんど成立していたのだ。それを、両国外相が、共同記者会見で公けにしたのである。

事前に充分な下準備があってこそ、韓国に対し正面突破で挑むことができたのである。

さまざまな情報を総合すると、いわば、駄々をこねつづける子供に対し、大人が、常識をもって諭(さと)しながら介護するような姿勢で対処してきたのであり、「道義」をモチーフにしながらにして国際社会を水準にした安倍政権の判断は、世界からも評価されるだろう。

 

各国歴訪をはじめ、安倍首相の外交は、国際基準に沿っている。将来の国連常任理事国入りを念頭に、日本ができることを、丁寧に、しかし、したたかな戦略をもって、実行している。インド、マレーシアをはじめとする東南アジア各国のみならず、テロへの断固とした姿勢を含め、安倍外交が世界的に評価されているのもうなづける。

このような懇切丁寧な対応をとりながら、中身は韓国にとって決して甘いものではなかった。しかも、交渉のすべての過程において、日本側のペースで進んだようだ。

韓国の要求がそのまま通ったのは、合意文書を公式に残さなかったという「形式」の部分でだけであった。これとてステートメントは世界中に配信されており、名より実(じつ)をとる日本側としては、大きな問題ではない。後日、事務レベルで文書交換することもできる。

拠出金の種類においても、「道義」に基づいて拠出するのだから「基金」なのであって、「補償金」や「賠償金」ではない、というアピールともなっている。その基金も拠出額はわずかに10億円程度であり、しかも、韓国にはその10億円を「有効利用せよ」という使命を与えた。

 

ここで鮮明になっているのが、「当時の」慰安婦と言うなら、「現在の」韓国政府も日本といっしょに道義責任に応えるのがスジだろう、という日本から韓国への姿勢である。何でうちらまで?という韓国の出鼻はくじかれた。

民族として交渉したかった韓国の出鼻をくじき、日本は終始、(当然ながら)国家としての韓国を相手にしてきた。

 

岸田外相は、「慰安婦問題は、当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、日本政府は責任を痛感している」と述べている。

慰安婦はどこにでもいたものの、それだけに、軍がその見聞しうる範囲にあって、これを放置し、むしろ慰安婦の利用を不作為のままに促進していた気風があったであろうから、戦場には付きものの現象であるとはいえ、心身の苦痛は苦痛として、国家として道義的責任を感じる、ということだ。

つまり、巧妙な仕方で、韓国の言う慰安婦問題は、人類普遍の道義の問題に置き換えられている。それだからこそ、道義的責任を認めるということは、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」ことになるのであり、これは自然の流れだ。

これについて、日本側がなぜ、認定もしていない慰安婦問題でおわびしなけれがならないのか、という批判が多い。批判はもっともであるが、以上のような経緯からして、この部分はさほど重要ではないというのが、政府のホンネだろう。風邪を引いてる人に「お大事に」と挨拶するのと同じくらいの重みなのだ。

 

今回の日韓合意に基づき、今後、戦後補償はもちろん、慰安婦に関して、韓国は国家として、日本に何も主張できなくなった。韓国は、日本の主導権のもと、その欲求不満のはけ口を封殺されたのだ。

万が一、国家としてそんなことを言い出せば、世界中から爪弾きにされるのは明らかなのである。

 

民間レベルで訴訟を起こすのは自由だが、国家が取り決めたことを、三権が踏襲するのは当然で、敗訴した側が訴訟費用を負担するような裁判は起こしにくくなるだろう。

2009年8月、ソウル行政裁判所の判決により、個別補償や徴用による未払い賃金は、仮に請求するにしても、日韓基本条約の趣旨からして、その相手を日本政府とするのは筋違いで、相手は韓国政府であるとし、これを時の韓国政府も公式に確認している。

当時の韓国政府は、正式に、対日補償の要求はすでに終了している、と発表している。

慰安婦問題は規模的にもこれより小さく、これに準ずる位置づけにあり、これらの定着を覆してまで訴訟を起こす韓国人はいないだろう。

 

 

今回、合意しても、大統領が替われば、またゴネ出す、という批判もある。これについては、この合意が「最終的・不可逆的な解決」であることを信用するしかない。

一年以上の根回しや各レベルでの事務協議の末、ようやく合意にこぎつけたのであり、実際にこれが最後で不可逆の決定であろう。

想像だが、交渉のプロセスにおいて、日本側から、相当の圧力、言い換えれば、脅しも効いているように思われる。同時に飴の甘さも効いており、親韓の谷内正太郎・国家安全保障局長あたりの出番も多かったのではないか。

慰安婦の像を撤去するという取り決めのないまま合意したことにも批判が多い。

これは以前から日本がおこなっている当然の要求なのだが、これを全世界から撤去する確約を得るには、相当の時間が必要なはずだ。年末までには間に合わないのは、両国が初めからわかっていたのだろう。

ここまで不作為の容認をしてきたからには、像設置については、韓国政府にも責任がある。今後、韓国政府が、設置団体に対し行政の力を発揮できるのか、にかかっている。

韓国政府が、いつまで経っても、慰安婦像撤去を指導できない能力のなさが世界中に曝け出されることなく合意に至り、撤去については韓国内の内政問題として残された。

見方を変えれば、この点においても、韓国は日本に頭が上がらなくなったのである。

 

 

いずれにせよ、日韓は、韓国が二度と慰安婦問題を持ち出さない、ということで、合意したのである。これをもって、新たな日韓関係が始まるのかどうかは、韓国の問題であって、わが国とは何ら関係はない。

 

個人的に、いろいろ思うところはある。

なぜわが国の外務大臣が、半島に行かなければならないのか、なぜ慰安婦像撤去さえ約束できていないのに合意したのか、反日国家に、なぜ10億円ものカネを出すのか、まずは竹島の不法占拠をやめさせるのが先ではないのか、等々。

政治とは、それまでの歴史を引きずりながら、多くの国々の中にあって、そのときの自国の国益を最大限に追求する権力行使である。

いつまでも理想論を述べていても、解決はしなかった。あるいは、ずっと放っておいてもよかったのである。自称・慰安婦が全員死ぬのに10年もかからないだろう。

反日を授業で教え、日章旗を破き、靖国神社にいたずらするような国民がいる国とは、正直言って断交したいくらいだ。

しかし、政治にはいろいろな思惑が絡み、ダブル選挙に大勝して憲法改正への条件を整える必要もあった。そのためには、日本国内のサヨク豚を黙らせる必要もあったわけである。

 

それにしても、ツイッター保守の脊髄反射を見るのは、この二年ほどで三回目だ。

安倍政権がTPP交渉に参加すると決めたとき、中国が主導権をもつAIIB(アジアインフラ投資銀行)に日本が参加しないと表明したとき、そして今回だ。⇒TPP交渉参加イコール売国という短絡思考 201411月3日) http://bit.ly/1tzn5tw @syuya_yui

TPP交渉参加後、安倍政権は売国政権だ、と、保守の人間がみんなして言っていた。AIIBに乗り遅れたと言って騒いだのも保守人であった。今回、多くの保守人が、合意を批判し、もう安倍は応援しない、参院選には行かない、などとまで言っている。

このたびの合意と参院選は、直接なかかわりをもたないが、結果的に、「衆参ねじれ復活」となったら、どう責任をとるのだろうか。保守派の悲願である憲法改正は見果てぬ夢で終わるだろう。


 

保守人にとっては、自分たちの支持する政権であるはずだ。前後のなりゆきを見定めてから反応しても、遅くはないだろう。

付和雷同や短絡は、サヨクに付け入る隙を与えるだけで、決して賢い行動とは思えない。

 

2015年12月18日 (金)

今年のアニメ遍歴 (2015年12月18日)

昨年は大晦日に、こんな日記を書いていた。

今年を振り返って~この一年の漫画史 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936977454&owner_id=48430274 (2014年12月31日)

今年は少し早いのだが、この一年のアニメ遍歴?なるものを書いておきたくなった。

昨年の日記の最後は、「・・・さて、『東京喰種トーキョーグール』でも買いに行くかな・・・」で終わっていた。
実際あれから、池袋ジュンク堂に、出ている巻をすべて買いに行って、正月休みに読んだ。

やがて、第二期になると、急におもしろくなくなった。
漫画のほうがそうだったので、アニメのほうに期待したが、内容にズレがあり、それはいいとしても、なかなか見続けるに至らなかった。

ひと言で言えば、つまらなくなった。ストーリーの文脈や抑揚がないので、多くの登場人物があるわりには、単調に映った。
白カネキが登場し決闘するラストあたりが圧巻で、その後は理屈付けだけになったような気がする。

ただ、キャラクターには興味深い者もいて、漫画の絵としてはよかった。

『ハイキュー!!』は、3月までに一期のDVD・BDが発売終了したが、依然、コミックスは続いており、今月19巻が出た。烏野と白鳥沢の攻防が続いている。内容も一定の緊張感をもったまま進んでいる。
単行本を通して持っているのはこれだけなので、これは最後までお付き合いすることになりそうだ。

10月からはアニメ二期も始まった。
どうしても一期と比較してしまう。登場キャラクターが多くなり、他校との練習試合などがテーマとなった。ステージが烏野だけ(内側)から東京遠征(外側)に広がるから、それに慣れればおもしろくないわけではない。

こちらは、多少、シーンを前後させる場合があるだけで、原作にほとんど忠実だ。内心の言葉であるモノローグが多くなるので、アニメ化は一期よりてこづっただろうが、試合が始まればまた、勢いづいていくだろう。

2月には、『さよなら絶望先生』を知り、これも動画サイトで「俗」「獄」「懺」全シリーズを見れた。声優の神谷浩史からすれば、この仕事そのものが、いい滑舌練習になっただろう。
こんなアニメがあったのかと驚いた。社会風刺や萌え漫画、オタク文化などをふんだんに盛り込み、石破茂や櫻井よしこまでパロディー化されている。

糸色望が、ダメ人間でありながら純和風のスジを通すあたりも共感できる。
テンポが速く、絵も昭和風であり、漫画には珍しく、全体に保守愛国的色彩が強い。

4月になると、ある歌から『氷菓』を知り、かなりの衝撃を受けた。(TVアニメ『氷菓』という空気感 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941029225&owner_id=48430274 (4月14日))

その舞台である高山市にまで出かけることになった。5月末の高山市内は、旧暦の端午であり、まだ鯉のぼりが見られた。
こちらは、アニメのあとに単行本が出るという異例なスタイルだ。
高山には、10月の高山祭にも出かけることができた。

7月には、映画館で『バケモノの子』を観た。
アニメを映画館で観たのは久しぶりだったが、これは前評判ほどでもなかった。ちょっと詰め込み過ぎなのと、やはり話に抑揚がない。

そのころ『デュラララ!!』と出会った。
たまたま、アニメのキャラのなかで、いちばん性格の悪いキャラは誰か、というコーナーを見たところ、1位が『折原臨也(おりはら・いざや)』で、2位が『花宮真(はなみや・まこと)』なるキャラクターだった。

初め、臨也の読み方も知らなかった。いろいろ情報を集めるうちに、『デュラララ!!』に行き着いた。
池袋が舞台であり、そのサスペンス調な展開が気に入った。
全体のストーリーがよく練られていて、これにははまった。

キャラクターの個性がそれぞれ際立っており、いわゆる事件・事故見たさの俗物根性にうったえながら、悪と善が歯ぎしりし合いながら戦っていく様相がおもしろい。

首なしライダーだのセルティの変身シーンなど、はじめ違和感もあったが、スリリングな世界の出来事の演出でもあり、清涼感がある。
これも、今年第二期『承』『転』がテレビアニメ化されたばかりで、来年1月から、ラストの『結』シリーズが始まる。
『転』に至ると、話の枝が広がりすぎた感があるが、『結』でどう収拾するかも興味深い。

9月、おもしろいかなと思って『ばらかもん』をレンタルしてみた。
派手な作品ではないものの、日本の風土が感じられ、限られた人物同士のやりとりが誠実で、好感がもてた。

『ばらかもん』が、わりと小さくまとまっていたので、その後、スケール感のある何か著名な作品はないかと思い、『進撃の巨人』を観てみた。

これはたぶん、はまるかどうかでだいぶ違うんだろうなと思いつつ、途中でやめてしまった。
映画化もされるくらいだから人気が高いのだろうが、多くのキャラクターが際立っておらず、戦闘シーンなどもメリハリがなく、飽きてしまった。
原作のほうがよいのかも知れない。

その後、いよいよ『黒子のバスケ』と出くわすことになった。
花宮真のことは忘れていたが、脅迫事件のあったことで名前だけは知っており、実際、二年前に、試しにと途中の一巻をDVDで借りていた。そのときは、ほとんど興味がなかった。

今回初めから観てみたが、これはよかった。
『弱虫ペダル』や『ハイキュー!!』のような「健康な泥臭さ」はほとんど捨象されているが、これをまた、洗練されたバスケ漫画と見ることもできるだろう。

全75話までだが、二週間ほどかかって、ラストのウィンターカップ決勝戦・誠凛高校優勝まで一気に観た。テレビアニメも、第三期は今年6月に終了となっているので、アニメとしてはまだ新しい。

これは昨日までに、75話(75Q)までを、通して4回観た。
なぜそんなにはまったかはいろいろあるので、独立して書いてみたい。

監督はたくさん映画を観てきている人だろう。原作は読んでないのだが、元がしっかりしているので、おそらくアニメ化がうまくいくのだろう。
スポ根ものでありながら、観ている側を画面に確実に参加させ、ストーリーやシーンのメリハリにまで引きずり込んでくれる力作だ。

高校の一スポーツをテーマにはしているが、アニメでこれだけの作品ができるのだから、一般の映画が陳腐なものになっていくのもしかたない。

今月に入って、『亜人』を観た。これは二週間だけの上映であり、まだ続く。(アニメ映画 『亜人 第1部 -衝動-』http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1948319349&owner_id=48430274 (12月2日))
サスペンスな雰囲気のあるものはいい。今後に期待できる。

ふつうの映画もそうだが、どうもサスペンスな雰囲気は好きだ。
『AKIRA』や、『氷菓』『デュラララ!!』『亜人』はよくて、『東京喰種』や『進撃の巨人』はダメであった。

サスペンスは、日常から非日常が膨らむところがおもしろい。といって、話があまりに非現実になると、どうも付いていけない。

『AKIRA』も、日常に潜む非日常が拡大していくところにおもしろみがあり、あまりに宇宙的なテーマや時空を超えるストーリーとなると、泥臭さが消えてしまい、興ざめだ。『交響詩篇エウレカセブン』あたりが限界だ。

スポ根ものは知らないだけで、まだよい作品がたくさんあるのだろう。
ただもう、スポ根というだけで興味はそそられない。
『黒子のバスケ』にしても、サスペンス的要素がないわけでもないから、よかったのかも知れない。できそうで・ありえそうなわざ・・・そのあたりが魅力的だ。

スポ根ものは凋落したと言われるが、詳しくないのでわからない。
それでも、中学生・高校生がいるかぎり、ああした熱いドラマは、手を替え品を替えて継続的に出てくるだろう。

『ハイキュー!!』にしても『弱虫ペダル』『黒子のバスケ』にしても、主役は小柄だが、ひたむきな努力を繰り返し、まっすぐに生き、自分独自のわざを生み出し、堂々と勝負に挑み、勝利に近づいていく。
それも、当然のことながら、個の力だけでなく、仲間と力を合わせてこれが果たせるというところに、基本的価値観を置いている。

そのプロセスに夢があり、葛藤があり、悔し涙があり、感動もあり、その全体が楽しい。

また、以上の作品とは全く別ジャンルになるだろう 『言の葉の庭』のような作品も、繊細で美しい映像と相俟って、しっとりとした味わいがあり、隅に置けない。これはもともと、マイミクさんから紹介された作品だ。(アニメ映画 『言の葉の庭』 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1941168571&owner_id=48430274 (4月19日))

それにしても、アニメに使われるOSTは侮れない。
『氷菓』のDVDには、録音中の風景なども入っていたが、ああして音入れをするのだと思った。

それぞれああした曲を作れるというのも、かなりの才能ではないかと思う。OPやEDの曲も、内容を象徴したものが多いが、OSTはまさに、映画のシーンに合わせる曲と同じで、そのシーンを盛り上げるのにひと役買っている。

『氷菓』『デュラララ!!』『黒子のバスケ』などのOSTは、それだけ聴いてもさまになっているし、各シーンを想起させる。

『氷菓』の「思考回路の彷徨い」、『デュラララ!!』の「Dancing in the Sunshine」、『黒子のバスケ』の「バニシングドライブ」などは、それだけ聴いても飽きない。

人生の後半もだいぶ過ぎて、こうしたアニメに出会ったのは、かえってよかったのかも知れない。
全話終了している作品も多い。現在進行形は『ハイキュー!!』だけにして、自分に合った作品を探していこう。

来年はどんな作品にめぐり合えるだろうか。

2015年12月12日 (土)

靖国爆破未遂事件にみる不可解な点に対する推測 (平成27年12月12日)

靖国神社トイレ爆発事件の容疑者、全昶漢(チョン・チャンハン)(27歳)が、今月12月9日午前、羽田空港で入国したところを、警視庁公安部によって逮捕された。

前回書いたことは杞憂に終わり、大変よかった。
動機はともかくも、犯人が自ら、飛んで火に入る夏の虫になったわけで、情報捜査の行き届いた警察が、羽田で待機していて逮捕したのだ。

目下、所轄の麹町警察署で取調べが行われている。
全の自供は二転三転しているようだが、トイレ内のDNAと宿泊先のホテルでのDNAが一致したからには、言い逃れはできない。

とりあえずの逮捕ということもあり、参拝という目的をもたずに神社に立ち入った、という住居侵入罪の疑いで逮捕したが、もちろん別件逮捕であり、立証如何では、最高刑が死刑である爆発物取締罰則違反での起訴が望まれるところだ。
拘留期間の制限もあるから、慎重であると同時に、要領を得た取調べがなされていることだろう。

真相はやがて明らかになるだろうが、この件に関し、証拠は出せないが、現時点で疑問に思う点とその理由を推測してみたい。

<1>なぜ、爆破未遂でなく爆発音事件になったか。

この件に関しては、事件直後の最初の報道から10日ほど過ぎたころより、すべてのメディアが、爆発事件でなく「爆発音」事件と表記するようになった。
爆発していないからには未遂であるのだが、それなら「爆破未遂」事件というのがふつうだろう。

これほどみごとに、テレビや新聞報道が、同じ表現をするというのは、自主的な判断ではない。どこかで誰かが、「爆発音」事件という表現で統一するよう指示したに違いない。

実際にほとんど被害もなく、全自身は元軍人であっただけで過激派でもなく、韓国の反日団体に所属しているようすもなく、そうであれば、証拠が定まっていない現段階では、テロリストという表現はもちろん不可で、爆破未遂というより、確実な証拠としての爆破音ということばでいいだろう、とどこかの誰かが判断したのだ。

ただ、これは、あくまで、マスメディアでの表記の話であり、法律上の罪名は、今後の捜査如何にかかっている。

そのどこかの誰か、とは、おそらく官邸であると推測する。

官邸は、別に犯人に同情などして、こうした指示をしたのではない。日本人の心のありかとも言える靖国に、爆発物をしかけ、英霊を侮辱したことは、到底許されない。自民党に親韓議員がいようと、犯罪は犯罪だ。

官邸はマスメディアに対し、一定の向きと幅をもったベクトルを投げたのだ。
この件の報道を契機に、官邸は、国家公安委員会には、民主的で証拠にもとづいた慎重な捜査を徹底するよう指示すると同時に、これを報道するNHKとテレビ・新聞の民間報道機関に、「注意を促した」のである。

<2>なぜ、全は、再度来日したか。

おそらく、韓国政府の指示、言うなれば、命令があっただろうと推測する。

事件後、韓国でもニュースは流れており、それを全が知らないわけがない。
一部の日本の記者からの電話にも応じており、その前にも後にも、逃げようなどとした気配はない。いまだに捕まっていなかったという可能性さえあったのだ。

9日に日帰りできるようチケットをとり、羽田に着いたところで逮捕されたのである。
帰りのチケットは、全の最低限の自尊心を損なわせないためだけのカムフラージュであり、単純に、日本には「逮捕されに来た」のだ。

日韓関係は冷え切っているといい、チェンマイ・イニシアティブ下での日韓通貨スワップ協定も、今年2月をもって終了した。
これら基盤となる経済的協力体制がなくなったところで、日本はほとんど困らない。

韓国は自ら、国内の経済事情悪化を叫ぶことをせず、素直に助けを求めようともせず、世界各国は助け合わねばならないとする国際世論に押されるというカタチをとることにして、各国協力という美名に隠れ、ようやく日本と、挨拶だけではない本格的な二国間交渉を始めようか、という矢先であった。

この事件では、日本以上に、韓国政府が憤慨したのは想像に難くない。
日本からは捜査要請がなかったとのことだが、そのような法的手続きを踏む前に、韓国政府が一気に全の居所をつきとめ、日本政府に報告したのだろう。
捜査当局より上のレベルで話が運ぶのだから、捜査の要請など、する必要もなかったのだ。

これほどに韓国にとって、この件は青天の霹靂であった。
心ある韓国国民からしても、全は厄介者であり、稚拙な手段に走った全に対しては、何の同情もないだろう。

仮に反日がいれば応援したかもしれないという意見もあるが、是非はともかく、韓国で最も大きな労組である韓国労総は、中核派と組んで、いやしくも政治運動として、日本の反日と連動している。
全のしでかした出来事は、彼らからしても次元の低い行為であって、ましてや、ヒトリザルが何をしようと知ったことではない、というところがホンネだろう。

韓国国民、特に労働者にとっては、反日どころか、反政府運動が先であり、ひとりの犯罪者にかかわっている場合ではないのである。

以上<1><2>とも推測の域を出ない。
仮に事実であっても、公に証明できない。

政治とは、それまでの歴史を引きずり、相手国もあるなかで、その国の国益を最大限に確保しようとする権力行使である。これはどの国においても同じである。
そうであるからには、我ながら、それほど的外れな推測でもない気がする。

昨年、春の園遊会で、夫婦での招待であったにもかかわらず、夫のかわりに母親を連れて、入口を突破した自民党の女性議員がいた。二日後にはほとんどのメディアから、その話題が消えた。

ツイッターでブサヨ学生を刺激するようなツイートをしていた男性の自民党議員が、実は自分の官舎に、若い男の子を連れ込んでいたことがあからさまになり、サヨクは一斉に沸き立った。この件も、二流週刊誌がある程度後追いしていたが、「一流」の新聞・テレビは、ある時期から一斉に話題にしなくなった。

政権の身内に対してだから隠したとも言えるのだが、そのように徹底できるというところに注目しておく必要がある。
作為と不作為のグラデーションから、権力が行使されている、というダイナミズムを観てとらなければならない。

ありがたいことに、今その権力をもっているのが、安倍政権であり、首相官邸なのである。

かつて、記者会見で、安倍首相が「椿事件」という言葉を口にし、菅官房長官が「放送法」という言葉を口にした。質問していたサヨク記者たちにはピンとこなかったかも知れないが、各メディアの幹部はぞっとしたことだろう。それが正常な神経というものだ。
どちらも昨年の話だ。

官邸や官房長官は、諸外国から何か誤った発言や日本を誹謗する言動があれが、翌日中には反論してきた。これは歴代内閣ではあまり見なかったことだ。
この「すぐ反論しておく」ということが大事なのだ。特に「すぐ」のほうが大事だ。

この徹底した真剣さが、どっちつかずだった民衆からも、支持を得られるようになりつつある理由だ。
安保法制にしても、彼らがこれほど真剣に必要だというなら、これを信じよう、という人々が生まれてきてもおかしくないのである。

自称サヨクや野党には、国をどうするか・どう思うか、という点で、ほとんど真剣みが見られない。支持がなくなっていくのは当然であろう。

2015年12月 8日 (火)

映画 『トラ・トラ・トラ!』 (2015年12月8日)

監督:リチャード・フライシャー、舛田利雄、深作欣二、製作総指揮:ダリル・F・ザナック、脚本:ラリー・フォレスター、菊島隆三、小国英雄、主演:山村聡、田村高廣、マーティン・バルサム、音楽:ジェリー・ゴールドスミス、1970年、143分、日米合作、カラー、シネマスコープ、原題:‘トラ・トラ・トラ・’‘TORA! TORA! TORA!’

ダリル・F・ザナックは、1950年度アカデミー賞6部門受賞の『イヴの総て』のプロデューサー、監督は『ミクロの決死圏』などのリチャード・フライシャー、菊島隆三、小国英雄は黒澤映画でおなじみの脚本家、日本側の主演は山村聡(山本五十六)、アメリカ側の主演は『十二人の怒れる男』などのマーティン・バルサム(キンメル)、その他多彩な顔ぶれである。脚本家の顔ぶれからわかるように、黒澤明も日本側監督に加わることになっていたが、映像への見解の相違から途中ではずされた。

大日本帝国海軍によるハワイ(布哇)のパールハーバー奇襲攻撃と、それに至るまでの両国の情報戦と準備の模様を、ほとんど史実を元に描いた大作。途中にintermission(幕間)を挟み、再開後が真珠湾攻撃の圧巻である。

こういう映画を観ると、CGでは追いつけないリアリティを感じる。零戦や九七艦攻などは、サイズと形態の似たアメリカの航空機を作り変えて使ったという。奇襲の際のロケはハワイで撮られている。
特に、米軍飛行場にある戦闘機が爆破されるシーンや、黒煙の上がるようす、空中戦のシーンは迫力がある。
また、朝ぼらけのなか、赤城艦上から零戦などが飛び立っていくシーンは、実に美しく力強い。

奇襲の前に真珠湾入口で潜航艇が攻撃されたことや、日本軍がオアフ島に飛来したとき航空訓練学校の飛行機が飛んでいた、操縦不能になったゼロ戦が格納庫めがけて突入した、ワシントンからの電報を米陸軍に届けたのは日系の少年である、など、かなり事実に忠実と言われるが、戦闘のさなかハワイに戻ってきた米軍の隊長機が片輪着陸したというのは創作のようだ。赤城も実際は艦橋が逆側だ。

この映画のよいところは、太平洋戦争のきっかけという歴史的事実を描きながら、政治的にどちらかに加担することなく、むしろ映画としての娯楽性というポイントをはずしていない点である。日本側では開戦までの流れはテーマからして大まかであるが、艦隊の現場の隊員らの士気はよく描かれている。アメリカ側は、ハワイとワシントンとの距離や時間差が、あたかも日本軍攻撃に対する緊張感の欠如の度合の差異のように描かれる。

何回も観ているし、その間に製作にまつわるエピソードやさまざまなレビューにも接してきたが、テーマや撮影の規模のみならず、脚本にメリハリがあり、牽引力があり、徐々に醸成される緊迫した雰囲気や迫力ある映像に富み、他の追随を許さない作品となっている。
また日本側の俳優は層が厚く、当時は有名でもなかった室田日出男らの顔が見えるのもうれしい。

カット割りがうまいのも特徴だ。短めのカットと長めのカット、ひとつのシーン内の緊迫を維持するためのカットの切り返し、アップと引きの掛け合いなど、ストーリーの方向がわかっているので、カットの転換にくふうを凝らす匠を感じる。
膨大なフィルムを使用したろうから、次のカットに移るときに無理にちょん切ったようなところも見られるし、ここにカットがあるはずだが略されたなというところもある。相当なフィルムを捨てたに違いない。

撮影のために相当な許認可と巨額の費用が必要であったろうが、両国の映画制作に対する情熱と信頼が、こうした作品を産むことになったのだ。
いろいろと話題の多い映画であるが、いずれにせよ映画史に残る金字塔であり、不朽の名作であることに異論はないだろう。

この映画では音楽の貢献も大きい。作曲が『氷の微笑』のあの甘美なメインテーマを作った作曲家と同一人物とは思えない。映画音楽の鬼才ジェリー・ゴールドスミスの天才的な音づけにより、各シーンが一層、エンターテイメント性を帯びてくる。3小節めだけ9拍にするリズムのメインテーマは、タイトルロールでは和風を意識してか三味線が奏ではじめる。この和風を意識したテーマとリズムは、この映画の日米それぞれの思惑の違いや、米軍内部の数々のずっこけぶりをも象徴しているようでおもしろい。

こういう作品こそ、映画館で観たいものだ。

2015年12月 4日 (金)

靖国爆発事件の対応を誤るな (平成27年12月3日)

靖国爆発 “反日無罪”の韓国 犯人逮捕・身柄引き渡しは新たな日韓の火種にも(産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151203-00000573-san-kr12月3日)<以下、全文転載▼~▲>

   ▼

靖国神社内の公衆トイレで爆発音がした事件に韓国人の男が関与した疑いがあることについて、韓国外務省報道官は3日、「現時点で事件の容疑者は特定されていないと理解している。日本政府から公式に捜査結果の通知や、協力要請を受けていない」と語った。

ただ、男はすでに韓国に帰国したとみられており、男が容疑者として特定された場合、11月初めの首脳会談を受けて改善に向かいつつある日韓関係は、新たな火種を抱えることになる。日本側は韓国への捜査協力要請などで、慎重に対処していくことになりそうだ。

韓国メディアは、日本の報道を引用しながら簡単に報じる程度で、世論は特別な反応を示していない。

韓国で靖国神社は「反日のシンボル」のような存在で、日本非難なら何をやってもいいという“反日無罪”を許容する社会土壌もある。日韓は犯罪人引き渡し条約を結んでいるものの、今回の事件は靖国が絡んでいるだけに、容疑者の逮捕・身柄引き渡しに向けて対応を誤れば、韓国世論の反日感情に火を付けかねない。日韓の新たな外交問題にも発展しかねない危うさをはらんでいるといえる。

靖国神社をめぐっては、神社の門に放火したとして日本政府が韓国側に身柄引き渡しを求めていた中国人の男に対し、ソウル高裁が2013年、「政治犯」と認定し日本への引き渡しを拒否したケースがある。このときは中国政府が中国側に引き渡すよう外交圧力をかけていたほか、韓国の反日団体も日本への引き渡し拒否を声高に叫んでいた。

在日韓国大使館の文化交流施設の壁に火を付けたとして、東京地裁が今年11月、日本人の男に懲役2年の判決を言い渡したニュースについては、韓国メディアも大きく報じている。

   ▲

 

官邸も政権も、この時期に全く余計なことをしてくれたものだ、と憤慨しているだろう。テロリストなどというのは、そうした状況などおかまいなしだ。

おかまいなしなら、なおのこと、おかまいなしに捜査してほしいものだ。犯罪は犯罪として、日本の法律によって罰するのが当然だ。

鳥居へのイタズラや神池庭園での放尿同様、今回も「ちょっとやってズラかる」という印象だが、遺留品などや現場の状況からして、爆発物が仕掛けられていたのは明らかなのだから、タイミングによっては死傷者も出ていたはずだ。

以前の放火未遂事件同様、これは由々しい事件なのだ。靖国の鳥居が焼けたら、と考えれば、未遂であっても重大事件だ。


この事件が、もしこのまま曖昧にされたままフェイドアウトするようであれば、愛国者は黙っていないだろう。

自民党には、民主党など以上に、韓国と縁の切れない勢力がある。韓国との順当な関係を望むのは、韓国との交易を商売にしている民間企業だ。

歴史の必然として、日本の政界や財界は、われわれが望むように、一刀両断に韓国と国交断絶などできない。だから、捜査に慎重にならざるを得ないのも頷ける。

 

だが、国民感情というものがある。

世論とは、必ずしもセオリーだけで形成されるのではない。極端な場合、事件の曖昧な放置は、政権離れさえ起こしうる。それをきかっけとして、例えば、来年の衆参ダブル選挙で、自民党が両院で議席を減らすということにもなりかねない。

もし、そうなった場合、私はそういう有権者を、責めることはできない。政府のたったひとつの誤りが、世論をとんでもない方向にもっていくということはありうる。

 

「あれほど安倍政権を応援していた人々が、この事件がうやむやになったことで、政権離れを起こしている。安倍政権支援者とは、その程度のものだったのか。」

例えば、保守側へのこうした揶揄が、サヨクその他からなされたところで、政権から離れていく人々を非難することはできない。

今回の件は、愛国者にとっては、一歩も譲れぬ事態なのだ。それほどに国家レベルの事件なのだ。そこを、官邸や政府は、強烈に自覚しなければならない。


「安倍政権支援者とは、その程度のものだったのか。」その程度のものなのである。絶対的な応援者というのは、ひと握りにほかならない。

国家自体が潤ってきても、個人レベルになると、豊かになったという実感をもっている人は、まだまだ少ない。そして、選挙というのは、行動としては個人レベルの出来事なのだ。


日本は韓国と違って、民主主義の円熟した国家である。サヨクのデモさえ、道路許可を出し、機動隊が警護する。日本は対象が極悪人であろうとサヨクであろうと、すべて法律と法定手続きに基づいて、民主的に事を運ぶ国家である。

それならなおのこと、容疑者の引き渡しを求めるのは当然であり、日本の警察が取り調べ、日本の裁判所が裁くのだ。民主的手段という枠にとらわれすぎて、仮にも、韓国の意向を尊重するなどということがあってはならない。

 

官邸は、苦々しい思いで舵取りをしなければならないだろうが、方向はひとつである。

対応を誤ってはならない。

 

2015年12月 2日 (水)

アニメ映画 『亜人 第1部 -衝動-』 (平成27年12月2日)

原作:桜井画門(講談社『good! アフタヌーン』連載)、総監督:瀬下寛之、監督:安藤裕章、シリーズ構成:瀬古浩司、プロダクションデザイナー:田中直哉、キャラクターデザイナー:森山佑樹、CVは、永井圭:宮野真守、海斗:細谷佳正、佐藤:大塚芳忠、戸崎:櫻井孝宏、下村泉:小松未可子ほか、アニメーション制作:ポリゴン・ピクチュアズ、2015年、105分、配給:東宝。

「亜人」公式サイトhttp://www.ajin.net/ 

先月中旬より、西武池袋線沿線の駅にポスターがたくさん貼られていた。サスペンスのようでもあり、それ以来気になっていたので、観てみた。

東京モノレール、西武鉄道、多摩都市モノレール、東京都交通局がスタンプラリーを企画していた。(11月20日~12月13日) 首都圏4つの電鉄が「亜人」でタッグ 声優スペシャルボイスも聞けるスタンプラリー | アニメ!アニメ! http://animeanime.jp/article/2015/11/20/25759.html (11月20日)

3部作構成になっていて、今回の第1部は二週間の上映で、『亜人 第2部 -衝突-』は、来年5月上映予定だ。

池袋HUMAXシネマズ、9:40の回に行った。これほど早くから上映してくれるとありがたい。客もまばらだ。ここは音響がよい映画館だ。

アニメに関してマイブームは、夏以来の『黒子のバスケ』で、全75話(第75Qまで)を、通して3回見たのだから、キチガイじみていると言わざるをえない。極めてクオリティの高い作品で、すべてにおいて完成度が高い。
アニメでは、その間、『バケモノの子』を見てはいるが、不完全燃焼という印象が強かった。

今日観た『亜人』は、亜人というネーミングもいいが、ひとりの男子高校生・永井圭が、自ら「亜人」であることを知り、警察や国家(厚生労働省)、他の亜人に追われる逃走劇としてスタートする。
この映画のキャッチコピーは、「死ねばわかる」で、亜人とは不死の人種という設定だ。

1部は、亜人として捕えられた圭が、実験台から脱出するまでを描いており、新天地が映され、2部は、圭も物語も、新たな世界から再スタートすることを予想させて終わる。

とにかく、画面がみごとだ。

観ていてわかることだが、ストーリー展開とともに、いまどきのアニメやCGの技術は、すごいものだなあと思った。
もうほとんど実写映画といってもいいほどの出来ばえと言えよう。
ライトやぼかしなど、ふだんアニメを見ない者としては、そういったテクニックを見るだけでも驚きだ。

人物の描き方、特に、動きかたもいい。ほとんど内容にかかわらないところまで、行き届いた動画となっている。
人物が、ある位置からある位置に動くとき、生の人間とほとんど同じような動き方をしている。歩けば肩が揺れる、手が動く。そうした微細なところまで表現するために、何人の根気強さや執念が結集しているのだろう。

この映画は、『AKIRA』同様、プレスコ方式で作られている。声優が声を入れたあと、それに動画を合わせるのだ。それだけに手間がかかると言われているが、完成度は高くなる。

久しぶりに、気合いの入ったサスペンスアニメであり、2部が楽しみだ。

<参考>池袋パルコに「亜人」期間限定ショップ登場!
【期間】2015年11月25日(水)~12月10日(木) 【場所】池袋P'PARCO 2F P'sLink 【時間】11:00~21:00 (最終日は18:00まで)

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