« 映画 『女系家族』 (2015年11月16日) | トップページ | アニメ映画 『亜人 第1部 -衝動-』 (平成27年12月2日) »

2015年11月22日 (日)

映画 『泥の河』

監督:小栗康平、原作:宮本輝、脚本:重森孝子、撮影:安藤庄平、照明:島田忠昭、美術:内藤昭、編集:小川信夫、音楽:毛利蔵人、主演::田村高廣、藤田弓子、朝原靖貴、1981年(昭和56年)、105分、モノクロ。

1981年度キネマ旬報で1位に輝いた作品であり、国内外から高い評価を得た秀作である。
それはそれとして、実に印象深い作品として、心に刻まれてきた。

偶然、新宿・紀伊国屋DVDで見つけた。11月20日に発売されたばかりであった。

2005年に、小栗康平の他の作品、『伽倻子のために』『死の棘』『眠る男』とともに特典ディスクの着いた5枚組DVD-BOXが出ているが、限定販売であり製作も終えているため、小栗作品はほとんど見ることができなかった。レンタルショップにもまず並んでいない。

20代で2回観て以来、34年ぶりに観たことになる。
小栗作品はすべて映画館で観ているが、本作品は中でも印象的な作品であり、いつかDVDで観られれば、と願っていた。

仕事帰りに、たまには新宿に出ようと思い、いつものように習慣的にまず、紀伊国屋の本屋とDVDショップに寄るのだが、これを発見したため、以後の予定はすべて切り上げて帰宅した。

かつて観て感動した映画が、その後だいぶ経って観ても同じように感動するかはわからない。その逆もある。
そして、いつ観ても同じ味わいをもつ映画こそ、その人にとってお気に入りの映画になる。
これもそんな映画であった。

戦後10年を経た大阪の土佐堀川の岸辺に、小さなうどん屋がある。
小3の板倉信雄(朝原靖貴)は、父(田村高廣)・母(藤田弓子)と暮らしており、目の前の河は日常の光景の一部となっている。

ある日、同じ年くらいの少年と、そばの橋の上で知り合うが、少年は、河の反対側に繋留されている舟で生活していた。

その少年・松本喜一(桜井稔)と仲良くなり、信雄が遊びに行くと、そこには喜一の姉・銀子(柴田真生子)がおり、舟の中に下りると、中には、タンスなどの家財道具がひしめいていた。
仕切られた板塀の向こうには、二人の母親がいるようだ。

向こうから、母親(加賀まりこ)が銀子に言う声が聞こえた。「黒砂糖をあげて帰ってもらいなさい」

信雄はこれらのことを両親に話した。父によれば、あの舟は宿舟と言い、そこで生活するための舟であるという。実は、姉弟の母は、夜になると、男を客にとっていたのである。
うどん屋に来る客は、これを廓舟と呼んでいた。・・・・・・

故意に白黒で撮影したのは、昭和30年当時を考えてのことだろう。
冒頭からしばしば、人が死ぬ。三人の子供が主役とも言えるこの映画でありながら、常に死のイマージュが画面に漂っている。

戦争の記憶も時折語られる。長口上ではないものの、セリフの中にあって、そこだけは生々しい印象を与える。

姉弟が食事に招かれ、信雄のうちに来る。事態を知る両親は、二人を暖かく迎える。
母は、とってあった子供用のワンピースを、銀子にあげるつもりで、二階で着せ替え、下りてくる。
ところが、銀子には笑顔はない。

食後、元気な喜一は、歌が自慢だというので、歌ってもらうことにする。どんな歌を歌うかと周囲が楽しみに耳を傾ける。
「此處は御国を何百里、離れて遠き滿洲の、 赤い夕陽に照らされて、友は野末の石の下」・・・「戦友」であった。亡き父がよく歌っていたというのだ。

銀子は着替え、着せてもらったワンピースを丁寧にたたんで、信雄の母に返し、二人は礼を言って去っていく。
何ともやりきれないシーンだ。

もうひとつ印象的なシーンは、これはよく覚えていたのだが、喜一が自分の秘密を見せてやる、と言って、夜、信雄を舟に連れていくところだ。

河に突っ込んであった木の枝を引き上げると、そこには、小さなカニがいっぱいくっついており、枝を振ると、床にカニがたくさん落ちた。

おもろいことをしてやる、と言って、喜一はランプのアルコールを湯呑に移すと、そこにカニを入れる。次にカニを出して、その甲羅にマッチの火を点ける。カニはしばらく燃える。
真っ暗ななかに、カニが火を上げて歩くのだ。

信雄は、やめなよ、と言うが、喜一は、またもう一匹に、同じことをした。
火をともしたまま歩いていくカニを、かわいそうに思ってちょっと追ううち、自然と隣のへやの中を見てしまう。そこには、男とまぐわう喜一の母の姿があった。

子どもの純真さと裏腹にある残酷さは、いとも簡単に純真さの延長線上に現れる。
それはまた、無意識のうちに、やむを得ず母のしていることに対する、やりきれない気持ちの現われようなのだろうか。

死の影が揺曳(ようえい)する家族の暮らし、貧しいなかで何とか生きる親子、・・・しかしここに、世の中に対する批判めいたセリフなどはない。

少年少女といえども、死や貧しさ、大人の生業(なりわい)のなかに投げ入れられ、そこで、河に流されるように、静かに淡々と生きている。
しかし、子供の視線や表情は、子供らしさを失わないまま、そのつどの状況に鋭く反応する。といって、何かにうったえたり叫んだりはしない。経験した光景をもって、反省材料として明日に向かう、などという教訓を習うわけでもない。

ある朝、喜一の舟は、曳航されていく。喜一たちからは、何の挨拶もなかった。
初め、ぐずっていた信雄は、その舟を追いかけていく。きーちゃん、と叫んでも、舟からは何の声もなく、河を行くだけであった。

戦後日本の庶民の生業を、子供の視点を絡めて描き切っている。
セオリーでなく、情緒や出来事で、人々の感情を炙り出していく。
静かな感動を呼ぶ作品だ。

Filmarchive612imageja


Img_03469ff02

« 映画 『女系家族』 (2015年11月16日) | トップページ | アニメ映画 『亜人 第1部 -衝動-』 (平成27年12月2日) »

映画・テレビ」カテゴリの記事