« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »

2015年11月

2015年11月22日 (日)

映画 『泥の河』

監督:小栗康平、原作:宮本輝、脚本:重森孝子、撮影:安藤庄平、照明:島田忠昭、美術:内藤昭、編集:小川信夫、音楽:毛利蔵人、主演::田村高廣、藤田弓子、朝原靖貴、1981年(昭和56年)、105分、モノクロ。

1981年度キネマ旬報で1位に輝いた作品であり、国内外から高い評価を得た秀作である。
それはそれとして、実に印象深い作品として、心に刻まれてきた。

偶然、新宿・紀伊国屋DVDで見つけた。11月20日に発売されたばかりであった。

2005年に、小栗康平の他の作品、『伽倻子のために』『死の棘』『眠る男』とともに特典ディスクの着いた5枚組DVD-BOXが出ているが、限定販売であり製作も終えているため、小栗作品はほとんど見ることができなかった。レンタルショップにもまず並んでいない。

20代で2回観て以来、34年ぶりに観たことになる。
小栗作品はすべて映画館で観ているが、本作品は中でも印象的な作品であり、いつかDVDで観られれば、と願っていた。

仕事帰りに、たまには新宿に出ようと思い、いつものように習慣的にまず、紀伊国屋の本屋とDVDショップに寄るのだが、これを発見したため、以後の予定はすべて切り上げて帰宅した。

かつて観て感動した映画が、その後だいぶ経って観ても同じように感動するかはわからない。その逆もある。
そして、いつ観ても同じ味わいをもつ映画こそ、その人にとってお気に入りの映画になる。
これもそんな映画であった。

戦後10年を経た大阪の土佐堀川の岸辺に、小さなうどん屋がある。
小3の板倉信雄(朝原靖貴)は、父(田村高廣)・母(藤田弓子)と暮らしており、目の前の河は日常の光景の一部となっている。

ある日、同じ年くらいの少年と、そばの橋の上で知り合うが、少年は、河の反対側に繋留されている舟で生活していた。

その少年・松本喜一(桜井稔)と仲良くなり、信雄が遊びに行くと、そこには喜一の姉・銀子(柴田真生子)がおり、舟の中に下りると、中には、タンスなどの家財道具がひしめいていた。
仕切られた板塀の向こうには、二人の母親がいるようだ。

向こうから、母親(加賀まりこ)が銀子に言う声が聞こえた。「黒砂糖をあげて帰ってもらいなさい」

信雄はこれらのことを両親に話した。父によれば、あの舟は宿舟と言い、そこで生活するための舟であるという。実は、姉弟の母は、夜になると、男を客にとっていたのである。
うどん屋に来る客は、これを廓舟と呼んでいた。・・・・・・

故意に白黒で撮影したのは、昭和30年当時を考えてのことだろう。
冒頭からしばしば、人が死ぬ。三人の子供が主役とも言えるこの映画でありながら、常に死のイマージュが画面に漂っている。

戦争の記憶も時折語られる。長口上ではないものの、セリフの中にあって、そこだけは生々しい印象を与える。

姉弟が食事に招かれ、信雄のうちに来る。事態を知る両親は、二人を暖かく迎える。
母は、とってあった子供用のワンピースを、銀子にあげるつもりで、二階で着せ替え、下りてくる。
ところが、銀子には笑顔はない。

食後、元気な喜一は、歌が自慢だというので、歌ってもらうことにする。どんな歌を歌うかと周囲が楽しみに耳を傾ける。
「此處は御国を何百里、離れて遠き滿洲の、 赤い夕陽に照らされて、友は野末の石の下」・・・「戦友」であった。亡き父がよく歌っていたというのだ。

銀子は着替え、着せてもらったワンピースを丁寧にたたんで、信雄の母に返し、二人は礼を言って去っていく。
何ともやりきれないシーンだ。

もうひとつ印象的なシーンは、これはよく覚えていたのだが、喜一が自分の秘密を見せてやる、と言って、夜、信雄を舟に連れていくところだ。

河に突っ込んであった木の枝を引き上げると、そこには、小さなカニがいっぱいくっついており、枝を振ると、床にカニがたくさん落ちた。

おもろいことをしてやる、と言って、喜一はランプのアルコールを湯呑に移すと、そこにカニを入れる。次にカニを出して、その甲羅にマッチの火を点ける。カニはしばらく燃える。
真っ暗ななかに、カニが火を上げて歩くのだ。

信雄は、やめなよ、と言うが、喜一は、またもう一匹に、同じことをした。
火をともしたまま歩いていくカニを、かわいそうに思ってちょっと追ううち、自然と隣のへやの中を見てしまう。そこには、男とまぐわう喜一の母の姿があった。

子どもの純真さと裏腹にある残酷さは、いとも簡単に純真さの延長線上に現れる。
それはまた、無意識のうちに、やむを得ず母のしていることに対する、やりきれない気持ちの現われようなのだろうか。

死の影が揺曳(ようえい)する家族の暮らし、貧しいなかで何とか生きる親子、・・・しかしここに、世の中に対する批判めいたセリフなどはない。

少年少女といえども、死や貧しさ、大人の生業(なりわい)のなかに投げ入れられ、そこで、河に流されるように、静かに淡々と生きている。
しかし、子供の視線や表情は、子供らしさを失わないまま、そのつどの状況に鋭く反応する。といって、何かにうったえたり叫んだりはしない。経験した光景をもって、反省材料として明日に向かう、などという教訓を習うわけでもない。

ある朝、喜一の舟は、曳航されていく。喜一たちからは、何の挨拶もなかった。
初め、ぐずっていた信雄は、その舟を追いかけていく。きーちゃん、と叫んでも、舟からは何の声もなく、河を行くだけであった。

戦後日本の庶民の生業を、子供の視点を絡めて描き切っている。
セオリーでなく、情緒や出来事で、人々の感情を炙り出していく。
静かな感動を呼ぶ作品だ。

Filmarchive612imageja


Img_03469ff02

2015年11月16日 (月)

映画 『女系家族』 (2015年11月16日)

監督:三隅研次、原作:山崎豊子、脚本:依田義賢(よだ よしかた)、撮影:宮川一夫、音楽:斎藤一郎、主演:京マチ子、若尾文子、1963年、111分、カラー。

大阪・船場の問屋の当主が死ぬが、当主には娘が三人おり、女系(にょけい)家族のなかで、三人に加え、長年仕えてきた使用人までもが、膨大な遺産相続に加わり、ぶんどり合戦が始まる。
そこに当主の隠し女が登場し、娘たちは遺言相続と、この女への対処とで大混乱となる。

欲にかられた人間の醜さや駆け引き、さらに男女の情を掛け合わせた痛快な娯楽作品。

矢島家の三人の娘は、出戻りの長女・藤代(京マチ子)、養子をもらい、当主のもとで家業を継いできた次女・千寿(鳳八千代)、まだ学生気分の三女・雛子(高田美和)で、藤代は舞踊の師匠である梅村芳三郎(田宮二郎)に何かと相談し、やがて懇(ねんご)ろな関係になる。雛子はまだ若いという理由から、叔母である芳子(浪花千栄子)が相談相手につく。

矢島家の大番頭は宇市(中村鴈治郎)であり、当主は遺言状をこの宇市に預けていたため、自動的に宇市が遺言執行人となり財産目録も作る役目になるが、長い間の奉公に対し自分には何の配慮もないことがわかると、いろいろ悪知恵をはたらかせ、自分もおこぼれにあずかろうと企む。君枝(北林谷栄)という愛人がいる。

当主の愛人・浜田文乃(若尾文子)は、一見欲もなく仰山なことはしてもらわなくていいと言いながら、ラストでいわばどんでん返しを矢島家の面々に食らわす。

いかにも山崎豊子らしく、物欲・色欲の権化と化した人間が入り乱れる。そのストーリーが脚本となり小気味よい展開がつづく。

この映画は脚本と撮影演出の勝利だろう。もちろん、このころが最高に美しい京マチ子と若尾文子を配し、和服や骨董、家屋など、すべてに和の味わいばかりを映し出し、ストーリー同様、観ていて充分楽しめる。

文乃が初めて本宅である矢島家を訪れたときの芳子との対決や、文乃が懐胎していると知り、千寿が依頼した医師が文乃の家で診察するシーンなど、きれいな女たちがきれいな衣装を身に着けながら、ほとんどホラー映画のようでえげつない。

ストーリーはわかりやすいだけに、映画だからできることとして、ちょっとしたしぐさやカメラワークによって、そのシーンがきちんとシーンとしての意味をもってくる。ベテランの監督、カメラならではだろう。

すったもんだしたあと、三人の娘は京都に小旅行に出る。それまで争ってきた三人が、ごく普通の姉妹として言葉を交わし合う。このシーンは、いわば嵐の前の静けさとなるが、この場面転換を入れたため、ラストへ向けての流れが一挙に締まった。

タイトルロールでは、画面の半分より下にスタッフ・キャスト名が出るが、上半分は金魚鉢のなかの金魚である。三人の娘を象徴しているかのようだ。

ラストは藤代が父親の墓参りに歩くシーンだ。

この映画が120分を切っているとは驚きだ。それほどに、凝縮されたおもしろさをもつ映画なのだ。

2015年11月15日 (日)

懐かしのメロディー

名曲探訪 ・「新日本紀行」 冨田勲 / Isao Tomita
http://www.youtube.com/watch?v=YoMRp3P8d_g

<externalvideo src="YT:YoMRp3P8d_g">

小さな旅~光と風の四季~
http://www.youtube.com/watch?hl=ja&v=kihG6LDA0eE&fmt=18&gl=JP

<externalvideo src="YT:kihG6LDA0eE">

加古隆 「パリは燃えているか」 太平洋戦争
http://www.youtube.com/watch?v=Iv-FTxisEpM

<externalvideo src="YT:Iv-FTxisEpM">

日曜洋画劇場 エンディングテーマ曲『So In Love』
http://www.youtube.com/watch?v=xQeMbtPG3Ns
歌としては、‘So in love with you am I ’ ですね^^

<externalvideo src="YT:xQeMbtPG3Ns">

2015年11月12日 (木)

知覧特攻平和会館を訪れた、ある教師の感想 (平成27年11月12日)

知覧特攻平和会館を訪れた、ある教師の感想です。

来館者ノートより、転載します。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 まず本日立ち寄って本当に良かったと思うとともに、かなたに散った多くの先人の皆様に感謝の念でいっぱいです。

『恒久平和』、『日の丸君が代強制反対』を叫びながら間違った歴史教、育『平和教育』という名のイデオロギー洗脳が公教育現場でいまだにはびこっている中、正しい歴史観、正しい教育を目指して戦っている公立教職員が世の中に数多くいることを世の人に知ってもらおうとペンをとりました。

 私はこの知覧来館をもって日本の伝統・文化が脈々と受け継がれた地を全て知ることになりました。靖国神社をはじめ金沢護国神社、伊勢神宮、大和ミュージアム等・・・。そしてどの地でも感じたことは『日本人の勇ましさ』、『優しさ』、『尊さ』であり、程度の低い幼稚な考察で訴える『平和』イデオロギーとは比較にならない感覚です。

 私は1人の教職員としてこのような歴史館を拝観し、間違っても『二度と戦争は嫌だetc』のような感覚しかもてない子供達を絶対につくりたくありません。そのような単純発想しかできない者が多いがゆえに現在のような堕落した政治と国民感覚のない人間が多くなったと思います。先人の想いや行為を無にしてはならない。家族や恋人・兄弟、郷土を思って散っていったあの精神や公の精神を大事に受け継いでいきたいと強く思いました。

 平和を訴える祈念館?正直嫌な感覚でした。平和を願う、戦争が嫌なのは誰も同じ。ただ、時には決死の覚悟で戦わなければならないものです。「愛するものを守りたい。」古来より日本人が大切にしていた精神を取り戻す地。 少なくとも私はこの知覧をそう思って去ります。

H24.1.18 鳥取県 県立高校教諭 木下

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

01

02

(以下略)

「平和への願いを込めて」~ノイジー・マイノリティに国を憂える思想、はぐくまれず (平成27年11月12日)

「平和への願いを込めて  11月24日は「武蔵野市平和の日」」

これは、JR吉祥寺駅北口、横断歩道わきに設置されている看板標語だ。「武蔵野市平和の日条例」に基づいて制定された。

吉祥寺駅を含む東京都武蔵野市の市長は、邑上守正(むらかみ・もりまさ)であり、民主党・共産党・社民党と、生活者ネットワーク・むさしのリニューアルといったサヨクグループが支持するサヨク市長である。

吉祥寺はまさしく「サヨクの街」であり、これは、数時間でも駅周辺を歩けば、すぐわかる。
武蔵野の面影などは、井の頭公園などにしか残っていない。

どこまでもクリーンな駅や道路・・・きれいなのは悪いことではない。
いつも、ポイ捨て禁止のゼッケンをつけた老人が歩いている。ボランティアが大きなトングとチリ取りをもってゴミ拾いをしている。
一方で目に付くのは、年寄りの珍妙な姿だ。長髪をうしろに束ねた高齢者が、目的もなくうろうろしている。これは都市と呼ばれるところには付き物の風景だ。

アーケード街や歩道には、常に騒音が撒き散らされている。コンタクトレンズ、英会話、パン屋、ドラッグストア、携帯電話、電気量販店、ネットカフェ、アムネスティ日本・・・こうした業種の人間が常に歩道に立ち、ときに大声を上げている。

土日祭日にはたまに、ロータリーでエレクトリックの音楽がかまびすしく鳴っている。歌のほうはへたなので、楽器が声で歌が伴奏のようだ。最近は、駅前に、妙な電飾が飾られ、暗くなると三角形に白く光っている。

きれいなことはよいことであるが、無菌室的なきれいさであり、そこに猫なで声の絶叫や電飾が加わると、潔さというものではなく、却って薄っぺらい人工的な芳香剤のにおいしか残らない。やむを得ない事情を汲むとしても、もはや武蔵野も伝統も、否定されてしまうのである。
そして、週に一度、毎土曜日に、共産党が演説している。

昭和40~50年代くらいまでなら、この「平和」という文字に、特に違和感はなかった。

今世紀に入り、国際化なりボーダーレス社会なりという言葉が市民権を得、NHKその他民法各局や新聞社・雑誌社などで、在日韓国人はじめ日本人以外の国籍の人間が中堅幹部となり始めると、それと軌を一にするかのように、「平和」という言葉は、サヨクの専売特許になった。

地方都市でも「平和宣言都市」があり、駅前のロータリーなどにその都市の「売り」としてポールが立てられている。これはどうということはない。昔からある現象だ。
国語的な意味としては、たしかに、「平和」は「戦争」の反対語である。トルストイの『戦争と平和』という長編文学もある。

しかし本来、「平和」というあまねく尊い価値をもつ用語には、反対概念というものはありえない。平和を希求するのは、万国の民の願うところであろう。
愛国心と同じで、本来、反対概念の生まれようのない言葉なのである。愛国心=保守=右翼というのも、サヨクのレッテル張りから生まれた。

2000年あたりを境に、この「平和」という言葉には、ある拭いがたい不潔感がつきまとうようになった。これは、吉祥寺の街のきれいさから、逆に浮き彫りにされる「人工的不潔感」に通じる。

これは、サヨクがこの言葉を、「戦争」という言葉の対極として、好んで使うようになったからであり、しかも、どういう状態が平和であり、どうやって獲得するものが平和であるのか、といったプロセスや各国の歴史を顧みることなく、ただただ、「戦争」という言葉の国語的な意味での反対語として乱用するようになったからである。

しかも、それは、かつて、JRが国鉄時代に、車輌のボディに動労や国労が殴り書きしたたぐいの書体として現れることがあり、多くの場合、ペンキやマジックインキで書かれ、むやみにカラフルであり、本来「平和」という用語が内包する意味合いやニュアンスとは、ほど遠いイメージに変えられてしまった。

平和とは、毎日、家族そろって御飯を食べられることです、といった婦人がいた。彼女は、2014年夏、安倍首相も列席した長崎の慰霊平和祈念式典で「平和への近い」を述べ、そのなかで集団的自衛権を批判した人物であり、同じ夏、中核派に招かれて演説している。

平和を説くのに、これだけでは不充分であり、利己的な見解でもある。これはこの家族にとっての平和であるだけで、その前提となる国家の平和が脱落している。

こうしたサヨク語の扱いは、まさに、野党のやる気のなさや我田引水、不勉強な学生の付和雷同に通じる。
中身にかかわらず、言葉だけが先走りして、それをペンキでカラフルに書くことに、生きがいを感じるだけなのだろう。

安保法制に反対する動きも、ほとんどこうした動きと同じだった。
議事堂前に集まった学生はおろか、国会議員さえも、内容に踏み込んだ質疑はあまり見受けられなかった。

過去の議事録ではこう言っていた、などといって批判するのは、誰にでもできることである。
国政調査権を使い、間諜を使って情報を取り出すのは、どの党でもしうることである。
日本国のために、どうしたらいいか、というところから始まらない野党には、アイデアも浮かばず、代案も提出できない。これは、かつての社会党時代から何ら変わっていない。

マスコミも同様のていたらくである。
安保法制の必要性について説明不足だとして、自社の世論調査を基に、単に政府を批判するだけだった。多くの反日テレビや反日新聞は、視聴者や読者にわかりやすいように説明するより、視聴率を気にしながらおもしろおかしく話を茶化すのが先で、盲(めしい)たる民を煽ることしかしなかった。これでは、一億総白痴化の再来となる。

サヨクという民じたいが、これを理解しようとせず、理解するよう歩み寄っていないところで、話し合いの場も、一般国民のデモへの同調も生まれない。
(ブログを読むかぎり、それなりではあるが、革マル派や中核派のほうが、まだ一貫したものがあり「安定」感はある。)

刹那的で安直な、うわべだけの、物理的集合体であるノイジー・マイノリティに、国を憂える思想的な力ははぐくまれない。

来年7月の参議院選挙に向けて、野党各党は必死になっている。
共産党の呼びかけた野党共闘は、いつの間にか立ち消えになるだろう。土台、ありえない話だ。
今日はまた、民主党と維新の党との合流話が出ていたが、そうなるとしても、すんなりとは進まないだろう。

(公明党に対する件は措くとして)結果的に、参院選でも自公政権は勝つであろう。
現状維持では選挙の意味がない。宮城県議会議員選挙と同様のことは、すべての地方議会選挙で起こりうる。さらに参院選でも起こりうることだ。
すなわち、かつて民主党に奪われた議席が、共産党に戻ってくるという現象だ。

それゆえ、数の上での現状維持ということは、共産党の議席を増やしてしまうということだ。
いたずらに共産党を人的・財政的に利するような結果だけは、避けたいところだ。

そのためにも、単に勝つだけでなく、大勝に近い結果にしなければならない。
何しろ、次の大きな課題は、憲法改正なのだから。

おそらく世論は、「平和」の意味を正確にとらえ、政権を後押しするであろうから、さほど心配はしていないのであるが・・・。

« 2015年10月 | トップページ | 2015年12月 »