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2015年8月

2015年8月18日 (火)

Statement by Prime Minister Shinzo Abe and Choice of Japan (August 14, 2015)

The following is the full text of Statement by Prime Minister Shinzo Abe.

 

Statement by Prime Minister Shinzo Abe

Friday, August 14, 2015

 

lhttp://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201508/0814statement.html 

 

(The whole sentence of the statement becomes available here, but omits it here.)

 

 

 

<impression

 

When I watched the news of some newspaper publishers, the Sankei Shimbun seemed to summarize the purpose of the statement most precisely.

 

In addition, short comment was given at once from China and Korea. Comment of China was the words at a level equal to a prime minister statement as far as I compared both about comment.

 

It means that the purpose of this prime minister statement will choose active peace diplomacy in future.

Therefore you must not forget past experience and do it when you must not forget that it was due to the tolerant mind of a war victim and each country either.

 

There are the word apology and aggression, but it does not touch what Japan would do from now on, Korea commented. The one where the Prime Minister of one country puts a concrete story on a statement generalizing 70 after the war is strange.

 

One of the prime minister of having wanted to say would be a point not to intend to demand apology from the generation of the descendant forever.

"In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize."

 

The Japanese posterity throw out their chest while remembering a past, and I was freed by these words to represent future Japan.

China commented that posterity did not apologize forever about this part.

It means that China has already moved for "the future".

 

This statement is written a new really being conscious of China.

If there is the part which went too far, although I approve of it in form to follow a past prime minister statement, I am studded with sensitive words for China called human rights and the freedom and, as a result, check the point euphemistically.

 

The next descent is the prime example.

"Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity."

 

About the United States, there is not the place where he mentioned for a special meaning.

 

We were virtually defeated by the United States directly, and it is thought that he too judged the proper United States having a relation which is when there does not need to be the thing starting it as words particularly daringly because it is an ally trusting most now. This is because it produces objectivity to make words.

 

It was with the end, and the dependent relations in the United States already soaked it with the message characteristics which I kept company with as the partner who was equal with the United States in future by stating posture to choose peace-oriented diplomacy around Asia at the same time clearly.

Still the United States relates to this statement, and there will not be the objection in particular, too.

 

I want to evaluate the uniformity as the thing which expressed the deep will of the Japanese prime minister to intend to develop the aggressive peace-oriented diplomacy which overlooked the world around Asia in future while making use of past reflection generally and while considering holy sacrifice inside and outside tens of thousands of.

 

There are some problems.

 

"Japan gradually transformed itself into a challenger to the new international order that the international community sought to establish after tremendous sacrifices. Japan took the wrong course and advanced along the road to war."

"We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order."

 

The circumstances that couldn't but advance in Manchurian, the circumstances that couldn't but

begin Great East Asia War, the humiliation that couldn't but abandon even the area that we acquired before Manchurian Incident by the Potsdam Declaration acceptance, …the statement do not mention such history of a war at all.

 

However, this would be generalized again when it was such circumstances and defeat as a result of humiliation.

 

The person who is not the prime minister can say anything.

At a limit, a prime minister statement was announced with reason and calmness.

It would be the most comfortable if he announced nothing.

 

The statement of Murayama, the statement of Koizumi were surely followed.

n addition, I think that it is the statement which included future intention when we does not hang down our head.

 

As one in support of the Abe Administration, we understand the implication of this statement properly and think without changing in future to do What we should do as the Japanese citizen who had patriotism.

 


2015年8月17日 (月)

士(さむらい)のこころ (2015年8月17日)

武道教育 ジュニア版 「絆 ~きずな~」 (平成27年8月1日号、一般社団法人 武道教育協会発行) より、転載。

『士(さむらい)のこころ』

「日本のみなさん、ありがとう!」

ポーランドはヨーロッパの中でも一番の親日国です。
日本はかつて、シベリアでさまようポーランドの孤児たちを救った、親切な国として知られているからです。
大正7年(1917年)、ロシア革命が起きて、この時、ポーランドが独立しました。

ところが、シベリアには、取り残されたポーランド人が十数万人いて、さらには親を失った孤児たちもたくさんいました。

シベリアに残されたポーランド人の救済委員会は、
「せめて孤児だけでもシベリアを脱出させたい」と、脱出の方策を探りました。

この時、救済メンバーのひとりが、

「ニッポンはどうだろう。日露戦争で捕虜になった者が、ニッポンの収容所に連れて行かれたが、ニッポンは武士道精神をもって虐待せず、逆にものすごく親切にされた、と話していた。きっとニッポン人は助けてくれるんじゃないでしょうか。」

と話し、多くの者たちも賛同しました。

さっそく救済委員会は、日本の外務省に窮状をうったえました。

日本という善意の国は、こういうとき、無条件で助けようとします。
外国人が「お人好しすぎる」というくらい親切に助けるので、逆に悪巧みをして「日本の善意」を利用しようとする外国もあるくらいです。

ともあれ、日本政府は、わずか二週間あまりで、ポーランド孤児救済を決め、日本赤十字社によって、16歳までの孤児375人を、ロシア・ウラジオストックから福井・敦賀経由で救出したのです。

ポーランド孤児たちの中には、腸チフスなどの病気にかかっていたり、栄養失調で弱っていたりする子たちもおり、日本人看護婦の手厚い看護を受けました。

看護婦・松沢フミさん(当時23歳)が、腸チフスに感染して殉職するという悲しい出来事もありましたが、孤児たちは、献身的な看護のもと、みるみる健康になっていきました。

元気になった孤児たちは、アメリカ経由でポーランドに帰国することになりますが、
「日本の優しいお母さんと別れるのはいイヤ、帰りたくない。」と泣きじゃくる子供も多かったといいます。

このあと日本は、390人のポーランド孤児を同じように救済し、ポーランドに帰国させています。

このことに深く感動したポーランドの民主化運動の旗手、ワレサは、「ポーランドを第二の日本にしよう」と呼びかけました。

現在、シベリアから救済されたポーランド孤児は生存していません。
最後の孤児だったアントニーナ・リロさんは、「ニッポンは天国のようなところだった」という言葉を残して、90歳で生涯を閉じました。

「義を見てせざるは勇無きなり」

私たち日本人には、そこに助けを求める人がいれば、いつも手を差し伸べようとする心があります。

先人の行なった武士道的精神のおかげで、日本とポーランドは、100年経った今でも、友好国となっています。

こういう精神を、僕らは受け継いでいるのです。
それが誇りでなくて、何でしょうか。

2015年8月15日 (土)

終戦の日の靖国神社参拝 (2015年8月15日)

靖国神社に参拝するのに、特に日時は関係ないと思うのだが、おそらく10年ぶりに休みに当たったので、せっかくだからと参拝に出かけた。

午前9時半から午後1時過ぎまで境内や参道にいた。

前回の終戦の日の記憶では、拝殿前の列は長かったにしても、境内にいる人々は、今日ほどの密度ではなかったように思う。

おどけたしぐさで軍服やラッパを吹く一団の姿もあり、終戦の日のいわゆる「風物詩」のような光景もあった。
靖国通りからは、大きな音量の街宣右翼の音楽が聞こえ、参拝者はほとんど、遺族や高齢者であった。

今回はそうではなかった。

私がいた時間のかぎりでは、軍服姿も街宣の音もなく、暑いなか、静かに拝殿前に並ぶ長蛇の列と、参拝者相互のささやかな会話が聞こえるだけであった。

すでに、午前11時ころより、参集殿は下足入れが一杯になり、入場を制限している旨の放送があった。
国会議員らの車が通るため、ロープを張られた狭い通路の側に、別の出入り口が用意された。

遊就館も、たいへんな賑わいだった。
館内にも久しぶりに入ったが、あちらこちらの展示室で、二重になって人々は資料に見入っていた。
出るころには、遊就館も、、入口と出口を分けていた。

日本武道館と連動した放送が流され、安倍首相の言葉のあと、全員が黙祷した。

気持ちにしたがって拝殿近くに移動したが、他の人も考えることは同じだった。日差しのきつい中でも、多くの人が、拝殿横のスペースに、本殿のほうを向いて集まっていた。

黙祷の一分間、それは、これほど大勢の人がいるにもかかわらず、蝉しぐれしか聞こえない時間であった。なぜか目頭が熱くなった。黙祷を終え、汗を拭くようなそぶりをして涙をぬぐった。

天皇陛下のお言葉が続いた。お言葉が終わるまで、周囲の人はほとんど動かなかった。

靖国神社によると、昨年の終戦の日の参拝者数は17万5千人で、一昨年の16万1千人を上回った。昇殿参拝5千人以上、遊就館来館者も8千人以上だった。

今年はどれも、この数字を上回ると思う。

これは、やはり、安倍政権発足以来、戦没者に対する思いを、国民全体が心に甦らせたからにほかならないと思う。

黙祷のあと、もともとはmixiで知り合い、今は大学生となったマイミクくんと、2年半ぶりに会った。初めて会ったのは、2012年12月、総選挙の直前であった。マイミクくんの先輩の4年生を紹介された。彼らは、日本大好きプロジェクトという催しを開いている。

思えば、この2年半で、首相の言われるとおり、日本は取り戻されつつあると思う。
民主党政権は、3年かけて日本を堕落させた。回復には、大なたを振るっても、同じ年月がかかるだろう。
その仕上げと、政権への審判が、来夏の参院選だ。

今日の参拝には、10年前と違って、若い人の姿が多かった。
ふだんからそれは感じていたが、お盆であり夏休みのさなかであるにもかかわらず、ありがたいことである。制服の中学生10人ほどの姿があったのは印象的であった。
遊就館のなかにも、多くの若い人たちの姿があった。

台湾からの参拝者一団の姿もうれしいことだ。暑いなかでも、正装を崩さす、長蛇の列に並び、一般の参拝者として参拝してくれたのである。

わたしたち日本人は、いつまでも、全戦没者に哀悼と感謝のまごころを捧げつづけなければならない。

わたしたち日本人は、国家として、もう、中国や韓国に、こうべを垂れる必要はない。

「国家として」・・・そういう姿勢を打ち出したのが、昨日の首相談話であった。安倍談話は、実質的に、村山談話を骨抜きにし、未来志向へと舵を切った。

本日の靖国参拝の光景から、多くの日本人が、政権のこの選択を支持し、国を信用していると思った。

英霊よ! あなたたちの遺志を、無にはしない! 

2015年8月14日 (金)

戦後70年首相談話と日本の選択 (2015年8月14日)

便宜のため、産経ニュースより、全文を掲載した。

こうした談話というものは、全文の流れを押さえないと感想は言えないと思うからだ。

【戦後70年談話】首相談話全文 - 産経ニュース http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n1.html @Sankei_newsさんから
(▽~△)

   ▽
 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三

   △

<感想>

いくつかの新聞社のニュースなどを見たとき、産経新聞が、談話の趣旨を最も的確に要約しているように思われた。

また、さっそく中国と韓国からも短いコメントが出された。コメントに関して両者を比較するかぎり、中国のコメントのほうが、首相談話に匹敵するレベルでの文言であった。

この首相談話の趣旨は、今後は積極的平和外交を選択するということだ。
そのためにも、過去の経験を忘れてはならず、戦争犠牲者や各国の寛容の精神に負ったことも、忘れてはならない、としている。

韓国は、謝罪や侵略という言葉があったが、現在はどうかについて触れていない、とコメントしている。一国の総理が、戦後70年を総括する談話に、具体的な話を載せるほうがおかしい。

首相の言いたかったことの一つは、いつまでも子孫の世代に、謝罪を求めるつもりはない、という点だったろう。
「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」

この言葉によって、日本人の子々孫々は、過去を記憶に留めながらも、こうべを上げて、将来の日本をしょって立つよう解放された。
中国はこの部分について、子々孫々がいつまでも謝罪することはない、とコメントした。
中国はすでに、「未来に向けて」動いているということだ。

この談話は、実に、その中国を意識して書き下ろされている。
やり過ぎた部分があるとしたら、その点は、過去の首相談話を踏襲するかたちで賛同するものの、人権や自由という中国にとって敏感な言葉を散りばめ、結果的に婉曲に牽制している。

次のくだりは、その最たるものだ。
「だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。」

アメリカについては、特別な意味をもって言及したところはない。

直接的には、アメリカに敗れたようなものであり、今や最も信頼しあう同盟国であるので、あまりにも当然のような関係にあるアメリカを、あえて特別に、言葉として出すこともない、と判断したと思われる。言葉にするということは、客観性を生むからである。

同時に、アジアを中心とした平和外交を選択するという姿勢を明示することで、もはや米国従属的な関係も終わりとなり、今後は、米国とは対等なパートナーとして付き合っていく、というメッセージ性を含ませた。
それでもアメリカはこの談話に関し、特に異論もなかろう。

総じて、過去の反省を活かしながら、且つ、幾万の内外の尊い犠牲に配慮しながら、今後は、アジアを中心に、世界を俯瞰した積極的な平和外交を展開していくつもりである、という日本国首相の、深い志を表明したものとして、一定の評価をしたい。

問題がないことはない。

「日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」
と、満洲事変以降の日本を位置付けている。
国際秩序への挑戦者となってしまった過去、という言葉は、終わりのほうに再度出てくる。

満洲に進まざるを得なかった事情、大東亜戦争に突き進まざるを得なかった事情、ポツダム宣言受諾により、満洲事変以前に獲得していた地域さえ放棄せざるを得なかった屈辱、・・・こうした戦史には全く触れていない。

しかしこれもまた、そういう事情や屈辱の結果としての敗戦であった、と総括されたのだろう。

首相ではない者は、何とでも言える。
ぎりぎりのところで、理性と冷静さをもって、首相談話が発表された。
何も発表しなければ、いちばん楽だったろう。

村山、小泉の談話は確かに踏襲された。
しかし、いつまでもこうべを垂れているのではないぞ、と、未来志向を盛り込んだ談話だと思う。

安倍政権を支持するひとりとして、この談話の含蓄をきちんととらえ、今後も変わることなく、愛国心をもったひとりの日本国民として、するべきことをしていこうと思う。

2015年8月10日 (月)

絶食の一日

6月の会社の健診で、いままでオールAだったのに、初めてEをもらいました。

便に潜血反応があって、赤字の+4が最悪なのですが、+2で、要精密検査という判定になりました。
あす、検査に行ってきます。

例年の健診の結果、周りにもそんな人は必ずいて、たまたまだよと言って判定を無視する人も多いのですが、中にはそれでポリープが見つかり、その場で処置した人もいたので、一応検査を受けることにしました。

いろいろ情報を見ると、仮に大腸がんでも、初期の場合は無自覚とのことなので、受けるにこしたことはないし、内視鏡検査も、別に痛くはないとのことなので、気楽に受けてきます。

それよりも、検査前日、ほとんど絶食状態にしなければならないので、それが何とも辛いですね。
それが今日、いま、です。

もともと暴飲暴食はしないし、間食も果物や和菓子くらいなのですが、朝から水か緑茶だけというのも、なかなかです^^

夏休みで、休日のシフトが乱れているので、昨日出勤で今日・あすは休み、水曜は公休日なので、都合三連休ですが、こういうお盆は初めてです。

病院は、健診をした赤羽橋の済生会中央病院で、あす午前中は下剤を混ぜた水2リットルを飲むなどして、腹をすっからかんにし、検査同意書を持って、午後行きます。

検査のあと、またいつものように、東京タワーの雄姿を見てこようと思います。

2015年8月 8日 (土)

中核派の革マル派批判と現状 (2015年8月8日)

最近、共産党系SEALDsを徹底批判した中核派は、半月ほど前、ライバル・革マル派に対しても、痛烈な批判をしている。

中核派と革マル派の対立は、かつて何度となく殺し合いまでした間柄であるから、それが今日にいたっているのは当然だ。

革マル派に対する議論は、HPで「カクマルとの闘い」とインデックスまで作ってあるほどで、常に深い積年の恨みから発している。

先月7月13日号の「前進」(第2689号)には、

「アメリカの属国化反対」叫んで反米愛国を満展開 日帝・安倍の先兵カクマル

と題した寄稿が載っている。(http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2015/07/f26890502.html

満展開ということばは初めて聞く。

これによれば、革マル派は、それらしい表現で、日本共産党を批判し、我こそ真の革命集団と宣言しているが、それは言葉の勢いだけで、実態は、革マル派も共産党と同じく、政権の土俵に乗って騒いでいるだけで、中核派からすれば、五十歩百歩だ、というものだ。

反米の立場に立ちながら、愛国主義を捨てきれず、その点で右翼顔負けの論理展開をしているというのだ。

(参考:共産党を袖にした革マル派だが、その実態は… (2015年6月11日) http://bit.ly/1L3gqAR

この論稿によれば、

カクマルは一見、安倍を口汚くののしっている(階級的批判とは程遠い低水準な悪口雑言)が、反米右翼的な心情は完全に安倍と共通しており、

安倍が現実の日米の力の差に規定され、当面は日米安保体制と新ガイドラインを徹底的に活用して日帝の戦争国家化を進めているのに対し、

カクマルは「対米従属反対」「アメリカの属国化反対」などと、黒田寛一以来の反米愛国主義・国粋主義を満展開させているにすぎない、

とし、以下の部分はわざわざゴチック体で協調し、右翼顔負けの展開だと揶揄している。

「アメリカ帝国主義によって安保の首輪をはめられた安倍」「〝自衛隊の米軍化〟のための『安保法制整備』を......オバマ政権に誓った〝属国〟日本の首相・安倍」「(安保法制は)日本を、アメリカ帝国主義によって安保条約の首輪をきつくはめられた51番目の州=〝属国〟たらしめることを意味する」

(*黒田寛一=かつての革マル派の最高指導者)

つまり、安倍政権があり、それに対して反安倍を展開することは、要するに、政権の枠組みにとらわれている、というのだ。

ただ、これは、上の参考ブログにあるように、全く同じことを、革マル派が共産党に対して言っているのであって、オリジナリティの高い論理ではない。

さらに中核派は、アリバイ写真を撮るためだけにノコノコと国会前に現れるだけで、デモ隊の一般労働者から総スカンを食っているのが反革命ファシスト集団のカクマルである、と革マル派を糾弾する。

カクマルは『解放』紙上で、毎号にわたり、右翼も顔負けの反米愛国主義を繰り返しているに過ぎず、

「何よりカクマルは中曽根の国鉄分割・民営化に賛成し、その手先となって労働運動破壊を推進した労働者階級の敵、そして今日では安倍の戦争・改憲攻撃の先兵である。」

と書く。

これはそのとおりで、よく言えば、先見の明のあった革マル派は、成田闘争から分裂・逸脱し、JR総連に鞍替えした。

結果的には、革マル派は勢力を伸ばし、各方面とのパイプができたが、「純粋な」労働者運動の筋を通そうとした中核派は、貧乏くじを引いたのである。

さらに、

カクマルにあるのは、「得手勝手なファシスト的妄想に基づく「米―中・露対決と宗教=民族戦争の暗雲に覆われた暗黒の21世紀世界」などという認識だけで、
この「暗黒の世界」では、もはや黒田思想に「帰依」するほかに救いはないというわけだ、

とこきおろしている。

革マル派は、いまだに、その創立者である黒田寛一の思想を信奉し、そこにしか救いを求められないとする「ネクラな」思想しか持ち合わせず、その過程も結果も、ひいては、安倍政権に呑み込まれ、これを支援する存在にしかならない、と切り捨てる。

そして、

これが、マルクス『資本論』も、レーニン『帝国主義論』も理解しえないカクマルの〝時代認識と路線〟なのだ、と結論づけている。

論稿は、

だが、カクマルの「暗黒の21世紀世界」なる妄言とは逆に、世界は労働者民衆の闘いによって生き生きと躍動し」ており、「革命の現実性はいよいよ鮮明とな」ってきた現在、「反革命カクマルを粉砕し、日本革命―世界革命の勝利へ前進しよう。

と結ぶ。

この結論を私なりに言い換えてまとめるとこうなる。

◆革マル派の理論先行の暗い思想は、全体から見れば、政府迎合的な「一分野」を構成するに過ぎず、却って右翼にも通じる物言いは、それを含む愛国政権の支援者に成り下がっている。

しかし中核派は、労働者が主体的に、労働現場で・大学構内で、賃上げ闘争・安保法制反対などの現実的な運動を展開しているのであり、愛国主義といったものとは相容れず、躍動感に満ちた真に労働者主体の世界を構築することになるのだ。◆

セオリーとして穴だらけであり、私からすれば、中核派でさえ、革マル派と五十歩百歩に見えるが、労働運動を主軸として活動してきただけに、革マル派のような空理空論に終わらない説得力が見てとれる。

「何も知らない新入生が、四月に説得されて、ふらりと仲間入りし、夏には筋金入りの全学連中核派構成員になる」(警察白書)というのもうなづける。

例えば、大学などを見渡しても、革マル派のアジトのある大学は、JR総連という全国規模の運動を元に、北海道から沖縄の私立大学まで女子大を含め全国規模で存在するが、中核派はいまだに数個の国立大学が中心であり、そこに私立の法政大学が加わるのみである。

成田闘争の余波で分裂した動労千葉は、最近、動労水戸や広島ユニオンなどと手を結び、JRの労働者という枠を超えて、一般企業の労働者を取り入れ、巻き返しを図っている。

その方針のもと、中核派は数年まえより、韓国の戦闘的な労総組合である民主労総(全国民主労働組合総連盟)と手を結び、韓国人労働者と相互に表敬訪問し合ってきた。今や、中核派のデモにハングルがあるのはあたりまえの光景になってしまった。

この夏、中核派は、広島、長崎でデモをおこなうと予告し、広島では実行した。
祈りの日に、無粋なデモを行なうことで、評判が下がることなど関知せず、ということだ。

革マル派、中核派、日本共産党、・・・いすれも、警察庁から、極左暴力集団と認定された集団であり、公安当局からの監視は怠りなく続けられている。

その革マル派は共産党を批判し、これはすなわち、SEALDsや新日本婦人の会など共産党系団体を敵視するということだ。
中核派は、その革マル派を批判し、SEALDsも非難した。

テロ集団としての共産党は、これら過激派からの批判については、今のところ無視を決めている。末端のデモレベルでは小競り合いもあるようだが、機関紙での発表というかたちはとっていない。

日共からすれば、そんなものは数のうちに入らないということだ。
さすがは共産党、と持ち上げてもみたいが、その共産党が、満足いく運営をしているかというと、そうでもないような気がする。

それは「一点共闘」という、恥も外聞もない発想を党是に掲げたことからもわかるし、主な収入源の『赤旗』購読者が減り、共産党系出版社の図書の売れ行きが伸び悩んでいることからもわかる。
党の方針や共産党自体に、賛同者がいなくなっているのだ。これは、世論調査でもわかるとおりで、自民党が支持を減らしたからといって、共産党に流れているわけでもない。

資金面ではどうかといえば、中核派にはカネがない。

昨年は、衆院選で落選したサヨク弁護士・鈴木達夫が発起人になり、8月17日に、日比谷公会堂で、中核派とNAZENがお膳立てした「安倍倒せ!集会」を実施していた。そこには、中核派全学連委員長・齋藤郁真、千葉動労委員長・田中康宏、長崎慰霊式典で平和への誓いを述べた城台美弥子、君が代不起立の反日教員・根津公子などが講演し、それなりのカタチを示せていた。

今年は、これほどの規模の集会は予定されていない。

宿泊先に偽名を使ったとする有印私文書偽造の摘発に始まり、先日は中年の中核派が詐欺の疑いで逮捕された。
国家公安委員会がフル回転して、各都道府県の公安に指示し、微細に至るまで調べ上げている証拠だ。

共産党は巨大組織ではあるが、中核派の相似形として、やはり資金繰りが心配なのではないか。

来年の参院選は、民主党の一部が共産党の議席に代わるという、衆院選と似た現象が起きるだろうが、自民党も議席を伸ばす気がする。政権の信念は、国民に伝わるものだ。
その際、共産党が、民主党の代わりをもらう以上に議席を伸ばさなければ、得票率だけ伸びても、執行部は不満であろう。

サラリーマン委員長である志位和夫の運命は、参院選の結果如何で変わってくるだろう。
そのころ、翁長雄志・沖縄県知事の運命の方向もまた、決まってくるに違いない。

2015年8月 3日 (月)

中核派、SEALDsを徹底批判 (2015年8月3日)

6日、9日、そして終戦の日を控えるなか、また、官邸において、首相の述べる戦後70年談話が必死に推敲を繰り返されているだろう現在、サヨクの先端では、なかなか興味深い事実が、露見してきている。

以前に書いた通り、かねてより日本共産党と距離を置いてきた革マル派は、その機関紙「解放」において、さらに徹底的に共産党を批判する記事を繰り返し掲載し、まさに、日共は、痛いところを突かれたカタチとなっている。
(※共産党を袖にした革マル派だが、その実態は… (2015年6月11日) http://bit.ly/1L3gqAR @syuya_yui)

そして、今度は中核派が、その機関紙「前進」で、反日メディアが好んで取り上げるSEALDsなる烏合の衆に対し、強烈な表現でこれを批判した。

先日、SEALDsの一翼を担うとされる某団体所属の平野太一が、ビラ配りをしていた中核派幹部・洞口朋子に詰め寄り、そばにいた警察の手を借りて、彼女らを追い払ったことへの意趣返しの意味もあるようだ。

詳しくは、以下の記事をご覧いただきたい。

戦争法の参院採決絶対阻止へ全国学生は総力で決起しよう 8・20国会闘争―9月全学連大会へ 革共同中央学生組織委員会  発行日: 2015年8月 3日 第2692号 学生運動、週刊『前進』10頁(2692号05面01)(2015/08/03)
http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2015/08/f26920501.html

これを読むと、あたかも、革マル派が共産党を、代々木官僚と誹謗し、所詮は政権の描いた土俵のなかで戦っているに過ぎず、安保全面阻止を打ち出していない点で、政権与党のヴァリエーションに過ぎない、と言って非難したのに似ている。

中核派が言うには、SEALDsのしていることは、学生の決起を官製運動に貶(おとし)めるものであり、これまた、政権与党に与(くみ)する方向に進んでいくだけで、結果的に政権与党に組み入れられるだけ、と非難する。

学生の決起を官製運動へ変質させるSEALDs、と大きく題し、SEALDsのしていることは〝戦後日本〟を美化・翼賛する体制擁護運動に過ぎないとしている。

要点をまとめるとこうなる。

SEALDs指導部の反動性は、理論の上では、

第一に、「戦後日帝の70年」を手放しで賛美していることであり、
第二に、「東アジアをリードする日本」という大国意識で愛国主義・排外主義をあおり、日帝のアジア侵略を後押ししていることであり、
第三に、新自由主義の破産を押し隠し、労働者・学生を資本主義の鎖につなぎとめている、

としている。

さらに、SEALDs指導部の反動性は、実際の運動面では、

第一に、警察権力とズブズブに癒着し、その先兵となっており、ここにSEALDs運動の最大の特質があり、
第二に、労働者・学生が団結して職場・キャンパスで資本・大学当局と闘うことを否定し、悪罵を投げかけるに過ぎず、
第三に、その行き着く先がブルジョア政党や改憲勢力とも手を結ぶ「オール野党結集路線」になっている、

としている。

中核派としては、特にこの第二の点に、最も憤りを感じるのだろう。(▼~▲は引用部)

▼SEALDs指導部は「自立した個人」「普通の人」「日常性」を強調し、労働組合・学生自治会という団結形態を破壊されてバラバラにされた労働者・学生が、「個人」で国会前に集まることに価値を見出そうとする。

だが、戦争国家化攻撃の実体は職場・キャンパスの現実にこそある。労働者が首切り・賃下げに声もあげられず、学生が戦争反対のビラ1枚まけないキャンパスで「授業・就活・奨学金」に縛られる状態で、どうやって戦争が止められるのか。労働者・学生が現場から戦争阻止のストライキに立ち上がること、警察権力を粉砕する実力闘争をたたきつけることが戦争阻止の力だ。▲

▼7月15日の国会前では、飛び入りで参加した首都圏の学生が「強行採決が許せないので授業を放棄して国会に来ました!」と発言し、「歴史に残る日。講義を受けている場合じゃない」(大阪市立大生、7月16日付東京新聞)とも報じられた。▲

事のよしあしは措くとして、これが中核派の考える本来あるべき学生の姿なのだ。、

強行採決に怒る学生は続々と国会前に駆けつけたのに、SEALDs指導部は「授業とテスト」を優先し、結果的に、大学当局との非和解的対決から逃亡し、新自由主義大学の現実を絶対に批判することからも逃げ、そのために、そのような運動では戦争翼賛大学をひっくり返せず、キャンパスを資本に明け渡すことになる

と結論づけている。

そして、最終的にこう述べて、SEALDsの不甲斐なさを嘆きつつ批判し、中核派みずからの正当性をアピールし、論を続けていく。

▼SEALDs指導部とその取り巻きは、国会を包囲する労働者人民に「頭数になれ」「(国会包囲の)30万分の1になれ」などと要求し、「上から目線」で大衆を蔑視(べっし)する。SEALDs運動とは、警察権力・主催者がはめ込む枠内でしか声を発することはできず、主体性・自己解放性は禁圧され、個人を徹底的に貶めて「永遠に指導者を生み出さない」官製運動だ。▲

中核派は革マル派と犬猿の仲であり、かつて殺し合いもしてきた。
両者はもともと日本共産党の優柔不断さを見かねて飛び出した一群が、さらに仲間割れして出来上がったものだ。

構成員の数では、やや革マル派が上回るくらいだが、資金力や中央政界とのパイプという点では、中核派は革マル派の足元にも及ばない。カネがないから、詐欺などで中年の中核派が捕まるわけだ。

SEALDsの旗振り役は民青の委員長であり、民青は共産党の現職議員を多数輩出した、共産党議員への登竜門である。これはだいぶ以前の党大会で、すでに共産党自体が認めていることだ。
革マル派は共産党を批判しているのだから、当然SEALDsなど相手にもしていない。

ここへきて、中核派も、SEALDsの「不甲斐なさ」を公表し、これと別格であることをアピールしたのだ。
余談だが、革マル派「解放」が、「たたかう学生たちは・・・」という言い回しに象徴されるように、元左翼の高齢者が書いていることは明らかなのだが、中核派「前進」の文章は、学生自身が書いていると思う。

中核派は、6日に広島で、9日に長崎で、反戦デモをおこない、15日には労働闘争集会を実施する。終戦の日の意味合いと関係もないのに、韓国のゼネストについての講演をおこなうとしている。

祈りの日には、静かにしていればいいと思うのだが、ここが極左暴力集団といわれる所以(ゆえん)なのだろう。

極左暴力集団に、何の同情もしない。
テロ政党と言われながら、今世紀に入ったあたりから、理論闘争だけに終始している共産党だが、これも末端のわれわれの知らないところでは、何をしているかわからない。

SEALDsなるアメーバのような集合体も、やがて消えゆく運命にあるのだろう。
SEALDsなどに、革命のお株をもっていかれては沽券にかかわる、というのが、「先輩である」中核派や革マル派の本心であろう。

正直言って、今日のこの中核派の記事を読んだときは、どんなコントよりおかしかった。
それ以上に、政権批判や国民生活などは脇に置かれ、自分らの主義主張をいかに美化するかとうことだけに専念する、おそらく優秀な学生たちの必死さも、滑稽に思えてならないのだ。

これら三つ巴の争いは、今後も続き、もっと激しくなるかもしれない。

われわれとしては、悠然と高みの見物を楽しむだけである。

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Ikari

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