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2015年7月 9日 (木)

映画 『そこのみにて光輝く』 (2015年7月9日)

監督:呉美保、原作:佐藤泰志、脚本:高田亮、撮影:近藤龍人、照明:藤井勇、編集:木村悦子、音楽:田中拓人、主演:綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、2014年、120分。

終わって、観てよかったなあ、と思う作品である。近年まれに見る傑作だ。

同時に、よしっ!という感じであった。
日本映画は死んでない、と確信した。だが、監督は日本人ではない。

古くから、味のある作品を産むのは、監督から俳優まで共産党員によるものが多いが、最近は在日韓国人の作品も多いようだ。

呉美保(オ・ミボ)は在日3世で、韓国語を話せない。高校卒業後より本名を使っている。
佐藤泰志は函館市出身の作家で、何度も芥川賞候補になりながら実現せず、この作品でも三島由紀夫賞候補であった。その後、自律神経失調症に悩まされ、41歳で自殺している。

函館が舞台であるが、中心にあるのは、千夏・拓児姉弟の家である。
家は、函館のおそらく大森浜のはずれあたりにある漁村集落という設定だろう。この小さなバラック小屋のような木造家屋と、雑然としたその家の内外は、この作品に登場する人物たちの生活レベルを象徴している。

今は無職の達夫(綾野剛)は、パチンコ店で拓児(菅田将暉)に声をかけられ、誘われて拓児の家でメシをごちそうになる。
奥から出てきたのは千夏(池脇千鶴)であった。夏なのに閉め切られた襖の向こうには、うめき声が聞こえる。千夏らの父は、脳梗塞で寝たきりになっていた。その父が、母・かずこ(伊佐山ひろ子)を、しつこく呼んでいるのである。

ある晩、達夫が酒場をうろつき、酔っ払ってバーに入ると、千夏がいた。店の奥でからだを売っているのだった。
千夏は、拓児にバイト先を紹介した妻子ある中島(高橋和也)の性の相手もしていた。拓児は執行猶予中の身であり、中島がその後見となっていた。・・・・・・

この映画については、これ以上書かないほうがいいだろう。
大好きな池脇千鶴を目当てに、先日レンタルした数枚のうちの一枚で、たいしたことはないと思っていたが、観終わった感想は☆五つである。『寄生獣』も借りたが、こちらは始まって15分で切り上げた。

本作のキャッチコピー(「愛を捨てた男と愛を諦めた女。函館の一瞬の夏を舞台に、二つの魂が邂逅する。」)の前半は何ともおかしい。たしかにそうとも言えるが、映画のキャッチコピーには、あまり振り回されないほうがよい。

本作については、何の情報もなく借りたのだが、映画として秀逸だ。
観たあと調べてみると、数々の映画祭で受賞しており、いいものは皆、そう思うのだなと再認識した。どこかで見たな、と思ったら拓児は菅田将暉(すだ・まさき)であった。

日本では信頼のおけるキネマ旬報ベスト・テンで、日本映画ベスト・テン1位をとっているほか、監督賞、脚本賞、主演男優賞も受賞した。
日本アカデミー賞で、優秀主演女優賞、毎日映画コンクールで、日本映画優秀賞、男優主演賞、女優助演賞(池脇千鶴)、監督賞受賞となっている。

脚本賞は当然だろう。よい映画になるかどうかは、脚本のできばえに左右される。
脚本の高田亮は、ピンク映画、Vシネマ、深夜ドラマなど低予算映画で苦労してきた人物とある。若いときにポルノ映画・ヤクザ映画にかかわった俳優やスタッフが、中年以降いいものを作り出すという例がここにもある。

菅田将暉もいくつかの助演男優賞をとっているが、これに反対する者はいないだろう。なぜなら、菅田将暉の存在こそこの映画の背骨であり、演技がみごとだからだ。

冒頭、導入部で、自転車に乗る拓児と徒歩の達夫が、前後しながら拓児の家に向かうシーン。達夫には、触れたくない過去があるので、あまり話さないが、それだけに拓児がべらべらとしゃべりまくる。この素朴で爽やかでやんちゃなおしゃべりで、すーっと映画に誘い込まれる。
いかにも役に成り切っており、しかも演技に嫌味がない。

ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで注目されたらしいが、『共喰い』(日本アカデミー賞新人俳優賞)での演技同様、まだ22歳にしては徹底的に演技の出来る役者であり、若手では、池松壮亮と並んで注目できるひとりだ。
本作だけで、六つの助演男優賞を受賞している。

撮影の近藤龍人は『桐島、部活やめるってよ』を撮っており、手持ちと固定カメラの几帳面な使い分けによる効果が、ここでも見られる。
悲しい場面、重苦しい場面でも、アップを多用するという下品さがなく、生活感をとりこむようなフレーム切りをしているのもよい。

出演陣には他に、達夫の元の職場(岩石の発破職人)のまとめ役・松本に火野正平、千夏・拓児の母に、ポルノ出身の伊佐山ひろ子がおり、ストーリー・映像ともに、うまくバランスをとる役目となっている。

音楽はオリジナル・サウンドトラックであり、波の音などを入れる際には控えており、効果的に使われている。エンディングでも、それまでのムードをぶち壊すようなアホな歌は流さず、OSTが静かに流れる。

ほとんど社会の底辺というところでかつかつ状態で生きているところへ、さらにそれぞれが生活のために我慢を強いられ、過去の悲劇に縛られ、相手を見出すことで、何とか生きている。

映画では、似たようなストーリーは腐るほどあるが、それを陳腐なものにしなかったのは、舞台が都心ではないことのほか、人物の感性の位相をうまく互い違いにして畳みかける脚本と、それにきちんと応じた映像のなせるわざである。

さらに、あるシーンの人物の心情を、観客が見て理解するのに、どれくらいの時間がかかるか、…これなら3分くらい、これなら5分くらい、といった長さの感覚が、そのシーンの表現とともに適切なのである。

函館はよく、ロマンティックな場所柄として、あるいは、坂のある異国情緒ただよう街として、映画に登場するが、ここでは、いかにも原作者が函館の出身であるように、いわば土着のにおいがするのである。
観光の街、教会の街ではなく、漁師の街、潮騒の街なのである。

ロケも、市電、山上大神宮での祭事、夜の十字街など丁寧に撮られており、イカの塩辛をつくる食品工場などでは、立ち入った撮影も行われている。

拓児が、家に来た達夫に、ホタルブクロの鉢植えをあげる。さりげないやりとりだが、このホタルブクロの演出はその後にまで効いている。

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