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2015年5月

2015年5月24日 (日)

愛国のありかた ~まとめ~ (2015年5月24日)

<まとめ>

右翼は、保守・愛国を思念するのみならず、それを本務として日夜活動するのである。

それだけに、十全の気合いと覚悟が必要であり、誰でもおこなえるものではない。

その右翼も、真贋を問われる時代であり、再度、初心に帰り、右翼たる美学を磨くことが急務となった。

蹲踞からつっぱりに出るときは、常にひとりであることを肝に銘じなければならない。

以下、『日本的大義を甦らせるには』(2013年9月3日) http://bit.ly/1nQURT5 から引用する(★~★)。


武士道の根幹には、大義がある。武士道における大義とは、誰かのために自己を犠牲にする、という考え方、あるいは、信念、あるいは、生き方そのものである。

天皇主権のもとでは、誰に向けても堂々としていられる大義があった。天皇の御稜威(みいつ)に従い、これがために身を捨てる、すなわち「海ゆかば」の世界観である。

民主主義は、三島のいうように、たしかに、天皇に対する意味をもって、大義を言うことには難がある。

しかし、本当に、民主主義体制において、大義はありえないろうか。
大義というものの考え方も、武士道といっしょに、戦後の憲法下で、完全に、露のごとく消えてしまったのだろうか。

もし、現代の日本において、国家という大義さえ失われてしまっているのであれば、むしろ、西欧的米国的民主主義を、一旦取り去ってみてはどうだろうか。

そうして、日本人が伝統的に培ってきた文化やその思想・教育観を盛り込んで、日本固有の「民族憲章」なるものを産み出すべきである。

こうした観点からしても、現憲法は、一度、廃棄せざるをえないと考える。

私もいよいよ、刀を研ぎ始めるときが来たようだ・・・

2015年5月23日 (土)

愛国のありかた(3)~つっぱり~ (2015年5月23日)

≪つっぱり≫


名誉ある一水会も、地に落ちたものだ。
国家革新運動、世界平和、連帯・・・いずれも、現在では末端サヨクが使う言葉だ。
日常会話ならいざ知らず、こういう言葉を宣言文に使って平気でいられるほどに、サヨクに毒されて感覚麻痺を起こしてしまっていると言わざるを得ない。

この一水会の件では、街宣した側(大日本愛国団体連合時局対策協議会・盛道烈士會)は戦前からの大日本愛国党をルーツとし、これを包括的に受け継いでおり、一方、街宣された側(一水会)は、これも赤尾敏の影響を受けつつ、三島由紀夫事件で改めてその活動を開始した鈴木邦男に始まる。


戦後の右翼に多大な影響を与えた赤尾敏でさえ、安保闘争の起きる数年前ころ、任侠右翼から思想右翼へとシフトしていった。といって、思想右翼は行動しないわけではない。

戦前からの鬼畜米英の考えをそのまま持ち続け、日本が真の独立国となるには、占領軍支配をなくし、米軍基地なども排除すべきで、皇統を軸とした日本国を再生させるのが目標であった。
そのためには、物理的に眼前にいる敵にやみくもに手出しするだけでなく、セオリーをもって活動しなければならないとした。

それにしても、それらは急には無理であり、理想論を唱えているばかりではいられない。
米ソの対立に巻き込まれるなか、地理的関係からしても、ソ連の南下や中国の脅威の前に、まずは共産党を打つことが優先であると考えた。そのためにも、世間を納得させるべく冷静になり、今は米国の助けも借りなければならない時期だ、と判断した。

赤尾に私淑していた多くの右翼も、同じ方向に進んだ。
このことが、愛国党に、その後の息の長い活動を約束したことになる。

赤尾敏に憧れ、赤尾宅に寝泊まりしていた山口二矢が、やがて大日本愛国党から離れたのもこのころである。
山口は赤尾敏のやりかたでは反共に徹せられないとして、赤尾に敬意と感謝を捧げつつ、愛国党を離党し、同じく愛国党を離れた同士と共に「全アジア反共青年連盟」を結成し、直接的な方法でしか敵を倒すはできないと覚悟し、狙っていた三名のうち、至近距離に近付ける浅沼稲次郎の殺害を決行し、天誅を下したのである。

年を経た赤尾と、血気盛んな17歳の山口との違いかも知れない。赤尾もこの一件で逮捕されたが、当局はそうせざるを得なかった。赤尾は山口の行動を賛美している。

なお、当時、メディアは、前代未聞のこの事件にふさわしい表現方法が見当たらず、これをテロと呼んだ。形容語としてならどれでもかまわないが、言葉として定着し流布してしまったのは、メディアの責任である。
テロリズムとは、不特定多数の殺傷であり、全く意味が違う。

右翼とは、突き詰めていけば、行き着くところ、行動あるのみ、ということになるのかも知れない。
理論から行動に至るには距離もある。一般の保守愛国者には限度もある。

自らの生活に大事変が起きないよう、現状維持でいいとするのが、保守の最も消極的なありかただ。これは、選挙権者という立場での一票の行使と、情報の取捨選択を限度とする。

これに対し、国益を考慮し、将来の自国のため・子孫のため、現状を打破しようとするのが、保守の最も積極的なありかたであろう。

極端な場合、自分の生活や家庭の安寧を放棄し、逮捕・有罪覚悟で現状打破に向かうのが、積極的な保守のありかただろうと思うのだ。そして、この後者が「右翼」と名付けられた思想の体現と考える。
これ即ち、最後まで大義というものに一貫して裏付けられた思想である。

今の時代、デモに加われば、敵からだけでなく、公安当局からも写真や動画に撮られる。一件出来(しゅったい)の折には、平日であろうと、遠距離であろうと、そこに駆けつけることが優先される。現場で何か起こせば、逮捕されることもありうる。
そういう生き方は、一般の職業の人間にはできない。

それでも、マスクをしてプラカードや国旗を持ってデモに参加し、あるいは遠隔地に飛んで示威行進に並ぶ人は、積極的な愛国行動として敬意を表する。
一票の行使だけでは物足らず、といって、逮捕覚悟の行動にまで出られない。となれば、今の時代、SNSや知人を通じ、愛国思想を広げていくことが、多くの保守派のできる限界だろう。

愛国とは心に往来する感情だが、保守の表現はまた、情報収集のように静態的なものばかりとは限らない。
常日頃、ボンヤリとせず情報を収集し、取捨選択し、SNSなどで拡散することも、選挙権行使よりはダイナミックな活動である。

しかし、右翼はおそらく、これら積極的な活動そのものを本務としている以上、デモ行進したり、情報をSNSで拡散したりする以上の期待が彼らに寄せられるのも当然だ。

三島由紀夫は、好きな小説家の一人である。
三島の小説はほとんど読んでいる。彼のエッセイや対談集は、死の直前のものまで読んだ。

三島が自決したとき、多くの新聞は三島を右翼と書き立てた。右翼の底流が水面上に現れたとも書いた。実際、三島は国を憂いていた。自衛隊のありかたに疑問を呈していた。私財を投じて楯の会を結成し、訓練と学習に明け暮れた。自身も勤勉で忍耐力もあり気合いも入っていた。

だが、自決、特に、天誅を伴わぬ自死という結末には賛同しかねる。二十歳で終戦を迎えた彼は、常に自分の(思想の)在り処(ありか)に悩み続けた。小説を書くという行為は、彼の生の拠り所(よりどころ)となった。
やがて、死に場所を求めるうち、その目的を達成した。そういう文学者がいて、ああいう事件を起こした。豊饒(ほうじょう)なるものを外に排出し、自らは透明な露と消えたのである。

彼は新聞が書いたように、単純に右翼と言えるか。彼は最後まで、小説家であった。国を憂える者は、どんな表現で世間にうったえかけようと、自決はあってはならない。
『金閣寺』で、主人公の吃りの若い僧侶は、金閣に火を放ち、裏山に登ってその炎上を見ながら、「生きよう」と私は思った、のである。初めて読みすすんだとき、そのまま自殺するのかと思っていたので、最後のこの一節は衝撃的だった。

三島が思想家であったなら、どんなことをしても死ぬべきではなかった。三島の死が惜しいから言うのではない。自決により、三島が自ら文学者であったことが決定づけられてしまったからである。
一人一殺はありえても、自死は憂国の結末であってはならない。

三島はあるところで、今の日本には大義が失われてしまった、と説いている。民主主義の政治形態は、大義を必要としないからだという。
そんなことはない。
大義が、国家への忠誠を意味するものなら、いま現在でも大義は存在しつづけている。大義のないところに、保守も愛国もあるはずがない。

大義、親(しん)を滅す、という言葉がある。いざというときには、後顧の憂いを断ち、親兄弟の安全より大義を優先するということだ。
特攻隊は、まさしく、この大義に生きたのである。山口二矢は特攻隊に敬意を表している。

呼出しを受け、蹲踞の姿勢で精神統一を図っただけでは、武道は始まらない。
肝心なのは勝負である。勝負とはつまり、つっぱりである。
そして、すべては、礼に始まり礼に終わる。

つっぱりは、相撲では、相手に自分のまわしを掴ませることなく、両手で相手を押して前に出る所作だ。これが強ければ、相手は土俵を割る。

このつっぱりもたとえに過ぎないのだが、ここぞというとき、このつっぱりがなければ、相手に有利な四つを組まれるかも知れない。突き放しておくことが、こちらに有利なのだ。

そして、つっぱりのもうひとつの意味は、呼出しからつっぱりまで、常にひとりであるということだ。
ひとりの人間の意志で、それまでの情報や経験から、どこをどう押すか、それを瞬時に考え、具体的につっぱるのだ。
この、ひとりのつっぱりを、右翼の美学と称したい。

この美学を信奉することで、そこにおのずから誇りも生まれよう。
右翼が、似非政治集団として妥協の産物となるか、本来の日本人魂にうったえて国民の伴侶となっていくかは、このあたりに分かれ道があるように思う。

右翼の戦うべき相手は、戦前から現在に至るまで変わらない・・・日本共産党である。
その共産党も、いろいろな点で、人気を失いつつある。実態はもはや死に体なのであって、だからプライドもなく、他と協力せざるを得ないのだ。

また、浅沼殺傷のころと違い、今の日共は国運を左右するような勢力でもなく、志位和夫がそうしたカリスマ性をもっているわけでもない。志位はサラリーマン委員長に過ぎぬ。
いま、志位を殺害したところで、世論は味方しないし、そもそもその必要がない。
だからといって、サヨクと融和を計るなどとは、もってのほかである。

目下の敵は、日本の魂を意図的に消滅せんとするすべての個人と勢力である!
特に、戦後、GHQが、日本骨抜きのために作り上げたもうひとつの反日勢力・・・日教組である!

蛇足ながら、山口二矢は、最終的に、倒す相手を六人、すなわち、日教組委員長・小林武、共産党議長・野坂参三、社会党委員長・浅沼稲次郎、自民党農林大臣・河野一郎、自民党前首相・石橋湛山、社会党・部落解放同盟初代執行委員長・松本治一郎、に絞っていた。
さらに、小林・野坂・浅沼に対象を絞った。

後の五人は、当時、とりわけ売国性が高く、勢力をもった政治家であったが、山口の真の狙いは、小林武だったのである。まことに正確な判断であった。

日教組は反日諸悪の元凶である。
将来を担う子供たちのためにも、日本国にとっては、人殺しより罪業の深い日教組こそ、息の根を止めねばならない敵である。

2015年5月22日 (金)

愛国のありかた(2)~蹲踞~ (2015年5月22日)

≪蹲踞≫

右派陣営の人間であっても、私生活を営んでいるのだから、誰と交流しようと自由だが、中でも右翼を張る人間が、その公の立場でサヨクと手を組むというのはいただけない。

サヨクからも学ぶことがあるから、というのが理由らしいが、言い訳に過ぎない。自分で学べばいいいではないか。そもそもサヨクと会うほうがおかしい。

これからの右翼はサヨクと連携をとらなければならない、とも言う。全くわからない。それなら右翼の看板は下ろすべきだ。似非日本人のような発言は慎んだほうがよい。

つまり彼らの意図は、政治家にならずして政治を行ないたい、ということに尽きる。それも右翼活動の一環なのだろうか。

右翼の使命は、「ああ人栄え国亡ぶ、盲(めしい)たる民世に踊る、治乱興亡夢に似て、世は一局の碁なりけり」の一節にあるように、盲(めしい)たる民への啓蒙なのではないか。

一方、戦後、反共という共通目的をもって韓国人が右翼に入り込み、良きにつけ悪しきにつけ活動してきたのも事実だ。表立った<なりすまし右翼>はだいぶ駆逐されたかのようだが、真摯に目的を共有するというかぎりにおいて、一部の右翼は韓国人に対しては寛容なのである。

右翼民族派団体を網羅した電子版右翼民族派総覧、維新情報社のHPには、右翼団体が任侠系・韓国系・同和系・右派系市民団体に分類され、それぞれ解説されている。

その韓国系団体の説明にはこうある。(★~★)他にも、韓国系団体史、韓国(朝鮮)人活動家それぞれの説明がある。

★韓国系団体といっても行動様式は普通の右翼団体と変わらず勿論友好関係にありますが、やはり「尊皇」よりも「反共」の意識の方が強い様ですし、また中には「竹島」について意見を異にする団体もある様です。

右翼陣営がこうした主義主張が完全には一致しない韓国系団体を含んでいる事への異論があるかもしれませんが、その事が右翼陣営にプラスに働き結果として日本の国益に合致するならば非難する理由は全くありませんし、逆にそうした相違点を障害とせず、同志として認める右翼陣営の度量の大きさを表しているとも言えるのではないでしょうか。

(極端な事を言えば、そうした姿勢は一歩間違えれば陣営を利すると考える存在に対して無分別に迎合し、結果として主体性を失わしめる危うさがあるとも言えますが。)

しかし何よりも一番の問題は、元々その存在があまり注目や研究の対象にならなかった事もあり、ネットにおいて流布されるデマや悪宣伝の為にする様に歪曲して伝えられている事でしょう。

つまり韓国系団体、または韓国(朝鮮)人活動家を引き合いに出して、まるで右翼団体の多くが韓国(朝鮮)人によって組織されているといった説や、右翼それ自体が愛国心や保守主義を貶め、在日朝鮮人への同情を煽る為の民団や朝鮮総連及び南北朝鮮による一種の工作機関であるといった説等、何か右翼を中傷する材料に使われているふしがあります。

本稿が、そうした「右翼=在日」または「右翼=反日」といった言説が単に右翼一般に対する無知と軽蔑に基づく程度の低い陰謀論に過ぎない事を理解する一助となれば幸甚です。★

戦後の混乱期から安保締結や学生運動の時代のころまでなら、このありかたは受け入れられよう。
だが、今世紀に入ったころから、韓国の日本に対する態度は反日へと硬化した。現在もそうである。
こうした状況下でもなお、血の異なる人物が、どこまで日本の右翼思想に同調しているのか、甚(はなは)だ疑問である。これは、大東亜戦争時、朝鮮人同様、日本軍のもとで日本人として戦った台湾人の戦後のようすとの対比からも見直さなければならないところだろう。

今や、韓国は、日本全体にとって、敵性国家である。この反日の権化ともなった半島人と、仮に代々日本で生活してきた者であったとしても、愛国の志(こころざし)をもった右翼群が、いっしょに戦うということができるのだろうか。

こうした韓国人許容のありかたは、不逞鮮人は出て行け、と連呼する在日特権を認めない市民の会(在特会)とは、土壇場のところで相容れなくなるのも頷(うなず)ける。

保守派の人間が、政権が保守であろうと、黙っていることもない。実際、今までもそうであった。
中でも、保守政権になると、右翼は政権側だから何も言わない、あるいは言えない、と批判する向きもあるが、そういう輩はやはり、歴史を知らないと思う。
いつの時代に、政権批判をしない右翼があっただろうか。

つまり、対応において、なまぬるいものがあれば、すぐ批判するし、不正蓄財でもあれば、これも糾弾対象である。

その右翼のなかに、日本人になりすました在日韓国人がいた。
そういう事実は当初、ほとんどの人に知られていなかったが、今世紀に入ったあたりから、さらにインターネットの発達により、化けの皮が剥がれてきた。

<なりすまし右翼>の目的は、大音量で軍歌を流し、怖い印象を世間に与え、右翼を顰蹙ものと周知させるためであった、と言われる。仮にそうだったとしても、それは、自分たちの本性をあらわにしたという、皮肉な結果を残したに過ぎない。

私の見るところ、10年ほど前までと違い、ネットの役割もあって、在日右翼は相当駆逐されていると思われる。今でも選別は難しいときがあるが、最後はその人物の姿勢、すなわち、愛国という一点で、一貫しているものがあるかどうかだ。

日本人でなければ、芝居だけで腹の底から愛国を叫べないだろう。今後も直観で見抜かなければならないときもあろうが、<なりすまし右翼>による日本つぶしは、もはや不可能である。

昨今の問題は、<なりすまし右翼>ではなく、<似非右翼>のほうだ。<なりすまし右翼>も<似非右翼>となった。反日韓国人に抗議する在日韓国人右翼は現れたか。

左翼にも<似非左翼>(=カタカナ書きサヨク=国体破壊者=偏執狂愉快犯)がいるように、保守政権誕生以前より、<似非右翼>は生まれていた。

左翼の代表であった日本社会党が壊滅すると同時に、<革新勢力>の役割は終えたも同然だから、これを叩くことこそ存在意義としてきた保守派、特に右翼は、その役割も消えたかのような時代もあった。

もともと<右翼>は横の団結を必要前提条件とするものでない以上、それそれのありかたで、それぞれの対象に向けて批判を繰り返していくことだろう。
勤め人や主婦は、24時間365日、心身を鍛え、教育勅語を朗読・暗唱し戦史を学び、街宣活動に出、あるいは定期的に、靖国神社や護国神社に参拝するということはできない。

例えば、以前書いたように、右翼からの凱旋を受けた一水会については、これが右翼民族派の系譜に乗る愛国者団体なのだろうかと思ってしまうのである。

一水会の事実上の創設者の一人である鈴木邦男も、今やほとんどサヨクに等しい存在へと変節している。HPなど見ても、過去の偉業は見えてくるが、自らを新右翼と称して、誤った方向に進んでいるかのようだ。鈴木の後を継いだ木村三浩は、凱旋した時局對策協議會側より、民族革新会議の政策委員の任を解かれた。

街宣を受けた一水会では、代表・木村三浩の名で、本日(平成27年5月22日)、三項目の活動宣言を出した。

一水会代表・木村三浩、一水会独自活動宣言(平成27年5月22日)http://www.issuikai.jp/news_20150522.html
「今後、私、および一水会は、これまでのように右翼団体の名を自ら呼称することを止め、社会政治活動家・思想探求者などの名称のもとに国家革新運動を展開します。」
「祖国日本のあるべき姿と世界平和を追求するため、既存の左右を含んだ活動家諸氏や様々な立場の人々とも真摯な関係構築のもと、連帯を希求します。」

伝統もあり、右翼に指導的役割を果たしてきた一水会は、右翼であることを止めた。この宣言によれば、方法論としては、左右関係なく、どことでも連帯するというのである。
一水会としては、きのうまでより、活動がしやすくなったと言えるだろうが、これが雪崩(なだれ)を打つように、右翼全体に悪影響を及ぼすことを懸念する。

国を憂える左翼が消え、政権は保守安定政権がつづいていくだろう政治状況のなかで、ある意味、右翼がみずからのアイデンティティを確保しつつ日々の活動に邁進するのは難しい。

たとえに近いが、ここで今一度、蹲踞(そんきょ)の姿勢をとったらどうか。
蹲踞とは、剣道や相撲で、勝負に出る前の姿勢のことだ。爪先を立て、腰を下ろし、背筋を伸ばし、上体を正す姿勢だ。

自己や仲間、その周辺を見渡し、各人が右翼の初心に帰ってみるのである。

<参考>

保守陣営の雑音(1)~田母神俊雄とチャンネル桜 (2015年5月1日) http://bit.ly/1FCegoL

保守陣営の雑音(2)~右翼に街宣された一水会 (2015年5月2日) http://bit.ly/1GLQCEV

雨後の筍のように生まれた保守系論客 (2013年9月27日) http://bit.ly/1pWNY5I

安倍内閣打倒を使命とする保守系ブロガーたち(1) (2014年6月7日)http://bit.ly/1rCNEhf     

安倍内閣打倒を使命とする保守系ブロガーたち(2) (2014年6月8日) http://bit.ly/1rCNK8x

「我こそ真の保守」は、似非保守である (2015年2月8日) http://bit.ly/1uo7qQ3

課題としての右翼思想の練磨 (2014年5月28日) http://bit.ly/1nycfh5

右翼思想は、敵を見失ってはならぬ (2014年6月2日) http://bit.ly/1nyc3hY

右翼思想時代の幕開け (2014年6月3日) http://bit.ly/1lMLicK

「潜在右翼」というありかた (2014年6月10日) http://bit.ly/1nycNUl

山口二矢の生きざま (2014年9月27日) http://bit.ly/1rl4HnL

沢木耕太郎 『テロルの決算  新装版』 (2014年12月17日) http://bit.ly/1377lDo

愛国のありかた(1)~呼出し~ (2015年5月22日)

※思想に関することを言語に表わす場合には、細心の注意が必要です。
そのうえで、以下の記述(愛国のありかた(1)~(3))には、同じ右派の読者の一部からも、批判が生じるおそれがあることを、冒頭にお断りしておきます。

<大前提>

日本が、
強くならないように・強くならないように
と、仕向けている勢力がある。

日本人が、
誇りをもたないように・もたないように
と、画策している勢力がある。

そんなものに屈すると思うのか? 
反日勢力よ!

かつて、イギリスの思想家、エドマンド・バークは、こう述べた。

「人間のあらゆる制度の基礎は歴史であり,具体的な文脈のなかで長い時間をかけて培われてきたものだけが永続性をもつため、抽象的な哲学原理に基づく革命は挫折を運命づけられている。」(『フランス革命に関する省察』(1790年))

あのフランス革命を、そのわずか1年後に、痛烈に批判したのである。

≪呼出し≫

昨日5月21日(木)、安倍首相は「質も量も、二兎を追う」として、アジア向けインフラ投資を5年間で13兆円にすると表明した。

当初、中国の主導するAIIB(アジアインフラ投資銀行)に参加しなかったことで、多くの評論家が、「世界に乗り遅れた」と首相を批判した。首相が関係省庁の責任者を官邸に呼びつけ激怒し、そのあと失望感をあらわにした、とする一部報道もあった。
報道が事実としても、それは首相の芝居だったのだ。安倍さんはしたたかな政治家であり、寝技もできる人だ。
日本と中国のどちらに投資が流れるか、これは国際信用の問題でもある。

安倍さんは、議論するだけ、謝罪するだけといういままでの政治家とは異なり、新たな波を起こして、実力ある日本を世界に注目させる政治家だ。下町から生まれた日本の技術は、有能で手先の器用な日本人の特質とともに、世界に信用されている。

保守安定政権のもとでこそ、とりどりの文化や芸術が育(はぐく)まれる。
今後もわれわれの信託を負う政権のなりゆきを見守り、国民として応援していくのみである。
残すところ、やはり、憲法改正、国旗国歌法改正に至る道筋が明示されるのを待つのみとなった。
野党や公明党に配慮して9条以外のところから手をつけるという見解もあるが、安倍さんは腹の底ではそう思っていないだろう。

右派に立つ者は、今の日本の勢いを、さらに後押ししなければならない。それは、いままでの歴史と伝統を重んじる、心ある日本国民の任務でもある。

安倍政権が誕生してから、それ以前に増して、保守派の論客が、雨後の筍のように、生まれた。
中には、いかがわし動機をもった者もいる。
他方、民主政権に裏切られたことで、保守を自覚した人、自民党に回帰した人もいる。心強い話だ。
靖国神社の遊就館を訪れて、中年過ぎから愛国に目覚めた人もいる。それはそれでよいのだ。

しかし、ここに来て、今は保守の波に乗っているほうが得策だ、として、いかにも保守陣営の一員かのようにふるまい始めた輩(やから)も多い。

愛国を語るに、まことしやかな御託を並べ、理想論・抽象論を述べている。弁の立つ者は、きらきらした保守言語を並べ、注目を浴びようとする。「真の保守を実現するブログ」など自称保守もそうだが、似非保守に共通するのが、歴史を無視し、大局的見地に立つことなく、<いま・ここ>だけを見て、どうすれば自分たちの得になるかどうかで、論を立て、アピールすようとする点だ。

国民はバカではないから、とってつけたような保守標榜者を相手にはしない。それが証拠に、これら似非保守の情報は共有されず、RT(リツイート)も少ない。

こういう思考はサヨクに多い。というより、サヨクそのものである。
日本共産党の常套手段は常に、自分たちの都合のよいところだけ切り取って、あたかもそれが全体像かのように見せるトリックの使用だ。

プロフやヘッダーに日の丸を付けていても、全体の流れ(歴史)を見ずして、切り取られた<いま・ここ>だけの理想論をぶつだけなら、思考回路においてブサヨと同じである。
政治とは、歴史を引きずり、相手があるなかでの舵取りである。ハード(思考回路)がサヨクと同じだと、ソフト(思想)までもサヨク化してしまうのだ。

ツイッターの影響力は大きいが、ここでも似非保守が蠢(うごめ)いている。
人それぞれだが、私は、アカウント名やプロフに、神、kami、シャーマン、帝王、総帥、総統などと書いている保守派は、信用しないことにしている。
これらの多くは、ただ時々の風潮をおもしろがっているだけで、ふざけたツイートしか見られず、保守の機運に乗っかって遊んでいるだけなのだ。そしてその多くはおそらく、現実逃避型の人間であろう。

遊びだから、誰も相手にしてくれなければ寂しい。自分より若いなどの優劣の基準に乗って、一定の愛国者に向かって絡んでいる。
ブサヨではなく、保守派を標榜する人間が、これをやっているのだ。

そう、ツイッターなど、広い意味では遊びに過ぎないだろう。がしかし、情報共有の場所でもあり、たかがツイッター、されどツイッターなのである。
絡むヒマがあるなら、ブサヨ撲滅の情報を流すほうがマシというものだ。自分で考えて行動することができない。簡単に左傾化するのもわかる気がする。

愛国者は、簡単に<共闘>しない。主張は同じでも、強調するところが、人により違うからだ。
どんな集団でも、大同小異を前提に出来上がっている。政党もそうだし、右派左派の団体も同じだ。
特に、政権側が保守政党であるときは、さらに<共闘>などしにくい。団結する必要がないからだ。

しかし、愛国のありかたは、それでいいのではないか。そして、かねてより、そうした個々別々のありかたにおいて、保守陣営は、日本の歴史と伝統を、純潔な方法で守ってきた。

バークがいみじくも述べたとおり、始めに右翼ありき、なのではない。革命を起こそうとする左翼勢力に対し、これを伝統主義の立場から抑えてかかるのが右派なのである

よろしくない体制や政治がつづくなら、それを倒さなければならないだろう。しかし、その勢力を<革新>と呼ぶ時代は、とうに終わっている。

日本ではむしろ、現在の政権がおこなっていることのほうが<革新>的なのであって、それを阻止しようとする勢力が、旧体制維持派のようになっており、失笑に耐えない。この勢力も政党や団体でできているからには、すべてで手を取り合うということはありえない。

日本共産党のいう<一点共闘>とは、やむにやまれずこしらえた考えで、『赤旗』で正式にこういう主張をすること自体が、相当せっぱ詰まっていることの証しである。

野党勢力が旧体制維持では、似非保守同様、国民の応援は受けない。野党の存在意義さえ危ぶまれているなかで時折大騒ぎしても、それぞれの主張相互に有機的な結びつきはなく、線香花火のような効果しかない。

<こども>や<黙秘主義者>は、この際、問題にならない。
権力とその効果的な運用は、現在の政府がよく心得ている。

原子力発電も辺野古移設も、スケジュールどおりに進むだろう。

さて、その間、右派の人間は、拱手傍観でいいのだろうか。

<参考>

動労千葉とJR総連~中核派と革マル派の代理闘争 (2015年2月15日) http://bit.ly/1DT7lG1

依然として成田闘争に固執する極左暴力集団 (2015年2月24日) http://bit.ly/1EMrXhC

「一点共闘」をめざす日本共産党 (2015年2月27日) http://bit.ly/1Duq89t

辺野古移設は、政府と共産党との代理戦争だ (2015年3月25日) http://bit.ly/1BLNGmd

2015年5月17日 (日)

映画 『人間の條件』 (2015年5月17日)

監督:小林正樹、原作:五味川純平、脚本:松山善三、小林正樹、稲垣公一、撮影:宮島義勇、音楽:木下忠司、主演:仲代達矢、1959年1月(第1~2部)、同11月(第3~4部)、1961年1月(第5~6部)、計9時間31分(第1部~第6部)、モノクロ、松竹。DVDは各部ごとで計6枚となっている。

一週間かかって観終わった。
五味川純平の『人間の條件』(三一新書、1956-58年)を映画化した作品。五味川純平は後に、『戦争と人間』(三一新書 1965-82年)を書き、これも山本薩夫監督により日活で映画化(1970~73年)されている。

戦時中、五味川純平は満州の製鋼所に勤務、昭和18年に27歳で召集され、同じく満州各地に行っている。小説家には違いないが、自身の経験を元に、これら長編フィクションを書いたと言える。

ちなみに、三一書房は共産党系出版社であり、出演する俳優人も、プロレタリアート劇団、文学座、俳優座、民芸などに所属している俳優である。戦前から戦後にかけての劇団や監督は、ほとんどプロレタリアートであり共産系である。

それにしても、『戦争と人間』のようにオールキャストとも言える出演陣であり、懐かしい顔も多い。特に、田中邦衛が自殺するひ弱な二等兵で出てきたり、原泉が軍人ばりの婦長を演じたりと、そういうシーンを見るだけでも楽しい。27歳の岩崎加根子、31歳の岸田今日子、37歳の高峰秀子も見られる。

『戦争と人間』はカラーで、伍代家という新興財閥が中心であり、関東軍も幹部中心で描かれ、女優の出番も多く、全体に画面が華やかである。

一方、こちらの『人間の條件』は、白黒で、梶(仲代達矢)という男の生きざまを中心に描かれていく。前半には妻・美千子(新珠三千代)とのやりとりも多く挿入されるが、召集されてからは軍内部や前線が舞台となるので、絵それ自体としては質素でおとなしく感じる。

ただ、こちらは横に広いスクリーンを使っており、セットを使った室内シーンの多い『戦争と人間』に比べ、多くのシーンでカメラが屋外にあり、映画としてのスケール感がある。
特に、遠景の描写がすばらしく、繊細且つ大胆な演出が効いている。

梶が労務の責任者として赴任する場所は、鉱山で中国人人夫が働いているところであり、その鉱山をいただく撮り方やフレーム切りがうまい。
屋外セットにしても、膨大な量の丸太が積まれた収容所など、相当の手間と費用がかかっているのがわかる。

密林を抜けるシーンでは、おそらく実際の密林であろうところを俳優たちが歩いていき、敵と遭遇するシーンでも、広大な台地での遠近を捉えるなど、実にリアルで、それだけに、その映像の広がりと深さに呼応するように、梶の心理の深さや正義感が浮き彫りにされる。

『戦争と人間』は、戦争状況を画面に映し出す映画であって、『白い巨塔』や、後の『華麗なる一族』のように、脚本に沿って事実を次々にシーンにして畳み掛けていく手法だが、それだけに、特定の人物の心の深淵に入り込むということがない。
莫大な資金を使いながら、ある意味、ゴージャス感だけで終わるのが、山本薩夫の短所でもある。

この映画の第一部冒頭は、梶と美千子との会話から始まる。この夫婦のあり方そのものが、当時の時代状況に対するアンチテーゼである。それでも、妻は妻としての言い分があり、順風な時ばかりではなく喧嘩もする。

中国人人夫に対する処遇などで憲兵からも目を付けられ、召集されると、上官からは「アカ」「赤化」などという言葉も聞かれる。梶はそのつど、誠実に前向きに(あるいは進歩的に)生きようとし、判断していこうとするが、そこには常にどうにもならない組織や規律といったものが立ちはだかる。
梶とは、そういう状況でも、自己の考えに誠実に、思い悩みながら生きていこうとする人物である。

総じて、実に重厚な作品であり、映画作品として高く評価できる。時代は戦争中から戦争末期を描くが、上層部の登場はなく、戦闘シーンは限られており、まさしく、梶という人間の生きざまを、徹底的に追い求めた秀逸な作品だ。
特に、第5部・第6部でこれが顕著である。

『人間の條件』『戦争と人間』とも、明らかに反戦映画であるが、年代からして『戦争と人間』では、南京大虐殺などという言葉も出てくる。
本作では、露骨な事実認定や統計などは会話に出てこない。梶の脳裏に常にある「本当にこれでよいのか?」という疑念のみが、物語の源泉となっている。

ある一件で梶が上官に呼ばれ叱責され、さらに梶が口答えするので、上官が「何が不満なのだ?」と尋ねると、梶はようやく「戦争そのものです!」と答え、殴られるシーンがある。おそらく、この会話のシーンは、原作も脚本も監督も、落としたくはなかったところだろう。

どんな映画にも、監督には、どうしても落としたくないシーン、言い換えれば、これこそ入れておきたいシーンというのがある。これは監督の身になってみればわかる。

山田洋次監督に、吉永小百合主演の『母べえ(かあべえ)』(2008年)という作品がある。映画自体も山田監督にしてはメリハリなく締まらない作品であった。笑わせるシーンも、寅さんシリーズのような軽快な笑いではなく、NHKのよくやるヤラセ的笑いで、見ていてもおかしくない。

そのラストシーンで、年老いた母べえ(吉永小百合)は病床に臥せている。見舞いに来た娘が、母が死ねば、既に獄死した思想犯であった父べえの元に行くことができるという意味で、お母さんももうすぐお父さんに会えるわね、と言う。

それに対し母べえは、「生きて会いたかった」とすすり泣く。しかも、カメラは吉永を映しながら、顔は向こうを向けたまま、こちらには向かない。
ラストの土壇場で、主演女優に究極の一語を言わせながら、その容貌を映さずじまいにして終わるのだ。監督として演出冥利に尽きるのだろうが、いくら監督取って置きのラストとはいえ、こういううったえかけは好きではない。

この『人間の條件』は、『戦争と人間』より前の作品でありながら、映画として重厚多彩な作品である。現実的な動きまで描写する最前線の戦闘シーンは、従軍した作者にしか描写できないものだろう。心理的な軋轢や葛藤も、やはり戦地に身を置いた人間だからこそ吐露できるのだろう。
作者はその現実を頭に焼き付け、辛くも生き延びたことを糧として、それを文字に表わした。
当然ながらに、こうした小説が生まれるのだろう。

戦争を云々、アカが云々という前に、映画として優れており、全編を通じてうったえたいことを、ストレートにうったえる力をもっている力強い作品だ。
内容的にも、あたかも日本が悪者である前提となって書かれ、歴史の総復習のような『戦争と人間』より、こちらの作品のほうが、人物描写、風景描写、心理描写において優っている。

蛇足だが、原泉はプロレタリアート劇団の出身であり、ここに出てくるほとんどの俳優も、調べてみれば共産党系であり政府批判の立場である。
したがって、そのよく知られた顔を、赤旗や選挙の際の公報などに使われているかもしれないが、彼らの多くは、どんなに仕事が来なくなっても、あるいは逆に、どんなに著名になろうとも、一般紙(特に反日紙)で、自らの政治的主張を述べることはない。

反日新聞に依頼をうけ、それを本人が承諾するから載るのである。本人が断れば事務所も拒否する。ましてや、共産党系の団体に支援の言葉を送ったり、その集会に列席したりすることは、俳優の本分としては、ふつうは避けるところであろう。

ここに出てくる多くの有名な俳優陣・女優陣は、政治に関心はあっても(誰しも政治には関心をもつべきだ!)、進んで政党機関紙や新聞に自らの左傾思想や反政府思想を述べることは慎んでいる。本来の職業を忘れ、いい気になっている者だけが、他の職業の分野の人たちからもてはやされるだけだ。

吉永小百合はじめ、映画の世界にも、若干そういうヤカラがいる。
そういうヤカラのおかげで、こうした質の高い反戦映画もただのアカ映画か、などと誤解され、その真価が隠されてしまうとしたら残念だ。
反戦的な映画も戦争映画も、映画としての価値を顧みられないまま、サヨクの代弁者のような顔をした有名人の印象の陰に隠されてしまうとしたら、何と罪つくりなことだろうと思うのだ。

戦争映画も、サスペンスやアクションと同じく、映画の一ジャンルである。
映画は映画として観られるべきである。今やプロパガンダ映画などというものはない。
映画は映画として楽しまれ、あるいは、映画として批判されるべきである。

その共同作業の一部を構成する俳優が、自らの本分を離れ、反政府を標榜してはばからないとは、それが歌手であれ音楽家であれ小説家であれアニメ監督であれ詩人であれ、とてもみっともなく貧弱な光景に写る。
それぞれの分野で、後進の指導や業界の革新などに当たるほうが賢明であり、それこそその分野でのプロというものだろう。

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2015年5月14日 (木)

サヨクの子供はサヨクになる (2015年5月14日)

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これは、1971年の『少年ジャンプ』の写真だ。
この写真を付けて、「成田闘争では、サヨクは少年まで動員していた。」とツイートしたところ、おもしろい返信をもらった。
他の多くの人は、「子供まで駆り出していたのか」などとする反応だったが、ある人はこう言ってきた。
「これが現地の農民の子であるのと、他の地域の子であるのとでは、意味が違うと思うが。」
これだけであったが、面倒そうなので、これには答えず無視したままだ。そもそも140字という字数で議論するつもりはない。
これをもう少し補ってみると、こういうことを言いたかったのだろう。
「これが現地の農民の子であるのと、他の地域の子であるのとでは、意味が違うと思うが。
当時の時代状況から考えて、他の地域の子が、わざわざ三里塚にまで行くことは考えられず、現地の子であるに違いない。
とすれば、現地の子が、土地を国に奪われることに対し、親や友達やその親に同情し、抗議活動をしたのだから、特に問題ない。
だから、マンガ雑誌に載った写真を引用して、おもしろおかしくツイートするのは、やめたほうがいいだろう。」
小学生か、せいぜい中学一年生くらいの少年が、タオルを巻き、ヘルメットをかぶり、丸太を持って行進している。
こんな光景は初めて見たし、おもしろいと思ってツイートしたのは事実だ。
同時に、当時の左翼や全学連の「力」が、良くも悪くも、農家の各家庭を通じ、子供にまで及んでいた証しとなる写真でもある。
農地を奪われる代わりに、代替地を用意された住民は多かった。それでも、先祖伝来の土地だからと移転しない家族も多かった。
そういう住民に、中核派などが取り入ったのが、三里塚闘争の発端である。しかも、過激派が介入したからには、いつもどおりの内部分裂が生じ、一部農民は置き去りにされ、中核派のための闘争となった。りこうな革マル派は、途中から抜けて、後のJR総連と結びつくことになるのは、かつて書いたとおりだ。
おそらくこの子らは、現地の農家の子供であろう。ただ、これが現地の子供であろうと、他地域から来た子供であろうと、全共闘の子供であろうと、関係ない。
少年らのスタイルは、明らかに学生運動そのものであり、あたかも、世間ではやりのファッションを、親たちが子供に仕込んだような見てくれである。
この時代の子供は、今と違って、もっと大人であったはずだから、何も知らずに利用されたとは言えないが、子供を前面に立て、自分らの手足のように使うのは、いかにも左翼のやりかただ。
当然、負傷する可能性もある。学校を休んでいれば、勉強も遅れてしまう。
この写真から、44年が経っている。12歳の子なら、56歳になっている。
当時仕込まれた左翼流の教えを、今でも成田空港の拡張工事への闘争に活かしているのだろう。
成田はすでに生きがいからはずれたとすれば、原発基地へ、原発も体勢は稼動へ向けて動き出したからには、辺野古へ集合、ということになる。
共産党は、女、子供をダシに使って、同情票を集める。新日本婦人の会のおばさんたちとて同じだ。
子供のころ、三里塚で戦ったよ、と聞けば、辺野古サヨクには一目置かれるだろう。三里塚で「培った」闘争体験を、辺野古でも活かしてほしい、と頼まれることもあるのだろう。
辺野古サヨクのリーダー格には、こんな連中も多いはずだ。
辺野古の隣町に住む人に聞いた話だ。
ビールや焼酎の空き瓶などは、外に放置せず、収集の朝に出してほしいと要請があるという。おそらく火炎瓶対策だろう。
辺野古やその近辺の土地は、保守系の議員やその縁戚によって所有権が替わっているという。辺野古に基地が完成した場合に、その土地に住民や米兵向けの店舗を作る予定になっているからだ。
いずれにしても、地元でヒステリックな反応を示している住民は少なく、県外から来た人間ばかりが騒ぎ、メディアも以前からのことだが、ほとんど赤旗並みの偏向報道になっている。
地元民への迷惑を顧みず、ゴミを散らかし、騒音を発生させ、ブサヨは相変わらずお祭り騒ぎが好きである。デモでもシュプレヒコールでもなく、だた、今そこで、大騒ぎし、反日メディアが取り上げてくれればいいのだ。
そんなところへ、都下の和光学園の小学部の生徒が連れて行かれた。
女サヨク校長は反対派の代表ばかりを表敬訪問し、子供たちは、安倍政権はきれいな海を汚し、サカナやサンゴを殺しちゃう悪者なんだよ、と説明を受ける。
女校長はこれをブログにしていたが、何回もツイートしたせいかわからないが、その後沖縄引率に関するブログのみ削除されている。相当、批判が行ったのだろうか。
何もわからない子供を、史実や、寄ってきたる経緯を知らせず、一方的に自分の陣営に引き入れるのは卑怯だ。連中は、都合のよいところだけ話し、都合の悪いところは隠すのだ。
これをすれば、サヨクの子はサヨクになるに決まっている。
有田芳生の娘は、そのアホっぷりを受け継いでいる。植村隆の娘も、受け継ぐだろう。
実際には左翼とも言えないただのお祭りバカであり国体破壊者であるので、たいした勢力になることもないのだが・・・。
<参考>
動労千葉とJR総連~中核派と革マル派の代理闘争 (2015年2月15日) http://bit.ly/1DT7lG1 @syuya_yui
依然として成田闘争に固執する極左暴力集団 (2015年2月24日) http://bit.ly/1EMrXhC @syuya_yui

2015年5月13日 (水)

映画 『紳士は金髪がお好き』 (2015年5月13日)

監督:ハワード・ホークス、原作:ジョセフ・フィールズ、アニタ・ルース、脚本:チャールズ・レデラー、 撮影:ハリー・J・ワイルド、音楽:ライオネル・ニューマン  主演:マリリン・モンロー、ジェーン・ラッセル、1953年7月、91分、カラー、原題:Gentlemen Prefer Blondes

髪がブルーネットのドロシー( ジェーン・ラッセル)と、親友のブロンドの ローレライ(マリリン・モンロー)という、二人のダンサー主演のミュージカル映画。
ストーリー仕立ては実にシンプルであり、歌あり・恋あり・笑いありの見て鮮やか・聞いて楽しいエンターテイメントになっている。

終わってみると91分とは思えないが、さすがにハワード・ヒューズの狙いは的を射ている。

音楽のライオネル・ニューマンは、アルフレッド・ニューマンの弟であり、アルフレッドほど作品数は多くないが、モンローの翌年(1954年)の作品『帰らざる河』でも、いいメロディーを付けている。

モンローは1953年に三本の映画に主演している。前作『ナイアガラ』で、一躍有名になったモンローにとって、二作目は大物女優ジェーン・ラッセルとの共演であった。

それも、違う役柄で別々に登場する共演ではなく、ほとんど常に並んでの共演である。
ミュージカルのところは、それぞれ一人のところもあるが、二人での共演シーンも多い。

ラッセルは、『ならず者』『腰抜け二挺拳銃』などに続いて出演四作目であった。デビュー作『ならず者』でその監督ハワード・ヒューズに見出され、モンローより大柄でグラマーであり野性的であるため、モンローとは対照的である。

当時、ラッセルの映画やそのチラシは検閲に引っかかったが、ラッセルは「肉体は隠すから汚くなるもので、太陽の下ではさらせばさらすほどきれいになるものよ。」と明言を残し、当局を相手にしなかったという。

監督の鬼才ハワード・ホークスがモンローを撮るのは、『モンキー・ビジネス』『人生模様』に次いで、三作目である。

モンローは、この役をもらってから、ブロードウェイで上映されていた同名の舞台に、ひと月間毎晩通い、主演のキャロル・チャニングの演技を勉強したという。

当初、20世紀フォックスは、同年11月封切の『百万長者と結婚する方法』でモンローと共演することになるベティ・グレイブルを使うつもりであったが、同年1月封切の『ナイアガラ』でモンローが思わぬ人気を博したことと、当時モンローの出演料が18000ドル(当時の換算で648万円)だったのに対し、グレイブルは15万ドル(5400万円)であったため、出費を抑えてもうけを大きくしようと、モンローを起用した。

共演のジェーン・ラッセルについても、モンローは、「私が毎週500ドルしか稼げなかった計算だけど、ラッセルは20万ドル(7200万円)を手にした」と回顧している。
しかし二人の仲はよかったようだ。

当時、ミュージカル映画で女優の歌を吹き替えていたマーニ・ニクソンによれば、当初、モンローの歌うところもすべて、ニクソンが吹き替える予定であった。これは、モンローがまだ歌が下手であったからだという。

ニクソンが全部吹き替えた歌だけでも、『王様と私』のデボラ・カー、『ウエスト・サイド物語』のナタリー・ウッド、『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘプバーン、などがある。

人間の声は、歌うと違ってくる。カラオケで歌う友人の声は、常日頃の声をは違うだろう。だから、女優の代わりに別人が歌っても違和感がないのである。
それでも、さすがに、『マイ・フェア・レディ』の「踊り明かして(I Could Have Danced All Night)」などは、ヘプバーンの声ではないと気付く人も多いだろう。

この映画でモンローがひとりで歌う「ダイヤは女の最良の友(Diamonds Are a Girl's Best Friend)」は、モンローの数々の歌の中でも有名である。
これは、金持ちの男としか結婚しないという信念をもったローレライを、象徴する歌詞になっている。

ニクソンは、独特の声であるモンローの吹き替えは畏れ多いということで固辞したため、「ダイヤは女の最良の友」の歌い始めの「No!、No!・・・」の部分と、後半の高音域の一節のみを吹き替えるだけになったという。

この歌のシーンでは、無名時代のジョージ・チャキリスがいるのがわかる。『ウエスト・サイド物語』は、この8年後 (1961年)の作品である。

映画というのも、時間が経つといろいろなエピソードが出てくる。
ミュージカルはあまり好きではないが、エンタメ性を徹底的に盛り込んだこういった作品であれば、モンロー主演ということもあるが、たまに観てみたくなるものだ。

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2015年5月 2日 (土)

保守陣営の雑音(2)~右翼に街宣された一水会 (2015年5月2日)

一水会(いっすいかい、http://www.issuikai.jp/)は、著名な右翼民族派団体である。
それなりの存在感をもち、活躍ぶりについても多少は承知しているつもりだ。

最近、このHP冒頭に、「一水会への街宣行動に対する木村三浩の見解」と題する論稿が掲載された。木村三浩とは、現在の一水会の代表である。

一水会は、昭和45年の三島由紀夫らによる楯の会事件に啓発され、昭和47年に創設され、「保守の拠点か、変革の原基か」を思想的命題としている。
創設時以来、代表を務めてきた鈴木邦男に替わり、2000年2月から代表を務めてきたのが木村三浩である。

この右翼団体・一水会の事務所(東京都新宿区下落合)に、同じ右翼団体の盛道烈士會(東京都江戸川区瑞江)代表・盛義一ら数名が、事務所に木村がいることを確認したうえで、凱旋をかけてきたことに対し、木村が反論したのが上の論稿である。
この凱旋のもようは、盛道烈士會側がYouTubeに載せている。

盛は、大日本愛国団体連合時局対策協議会(時対協)の役員でもあり、この協議会には、大日本愛国党、大日本誠流社などが、団体や個人で加盟している。彼らのHPなどでは、旧字体を用いる場合が多い。

時対協は、防共新聞社社主であった福田素顯を代表として、昭和35年に創設された。また、福田素顕の長男、福田進は大日本愛国党の支部長であり、福田進らが昭和30年に創ったのが防共挺身隊である。

これは後に行動右翼と総称される右翼団体としては元祖と位置づけられ、その実行方法で、装甲車のような街宣車を使い始めたのも彼らであるとされる。
このように、時対協は、全体として、大日本愛国党の意志を継いでいる。

防共新聞社はもともと山口組の傘下にあったこともあり、暴力団と紙一重の性格であった。六十年安保に対し、赤尾敏や福田素顕は、こうした暴力団的任侠右翼とは一線を画し、思想右翼を標榜していく。

純情一途な反共の山口二矢が大日本愛国党から離れたのもこのころである。任侠に走ることはなかったが、山口は赤尾敏のやりかたでは反共に徹せられないとして愛国党を離党し、同じく愛国党を離れた同士と共に「全アジア反共青年連盟」を結成、直接的な方法でしか敵を倒すはできないと覚悟し、狙っていた三名のうち浅沼稲次郎の殺害を決行する。

一水会の事実上の創設者の一人である鈴木邦男も、この刺殺事件を契機に右翼活動に入ることになるが、その後、一時活動を停止していたこともあり、おおざっぱなまとめかたをすれば、凱旋した側は戦前からの大日本愛国党をルーツとしこれを包括的に受け継いでおり、一方、一水会側は、これも赤尾敏の影響を受けつつ、三島由紀夫事件で改めてその活動を開始したと言える。

鈴木邦男は右翼の顔を代表し、多少過激な行動も起こし、あたかも行動右翼の最前線にあった。右翼筋ではその行動に共鳴した者も多かったはずだ。一水会自体も、「月刊レコンキスタ」の発刊やフォーラムの開催により、その支援者を増やしていった。レコンキスタとは、直訳すれば国土再征服運動くらいの意味である。

だがしかし、鈴木邦男はその行動力と人脈形成により、あるいはじっとしていられない性格も手伝ってか、その後華麗なる思想遍歴を歩み、目下、サヨクの一因であるかのようなところにまで、変節してしまった。

これは、その右翼思想を継続しているうちに左翼をも取り込もうと敵陣営に入るうちに、左右を超えた国体護持を考えるようになったのだろうと、良心的に捉えることもできよう。
だが実際には、ミイラ取りがミイラになったと言ったほうが正しいような気もする。あるいは、初めからその素地があったのかも知れない。

この鈴木の変節は、右翼陣営から顰蹙を買い、サヨク陣営からは好奇の目で見られた。徐々に変節していくようすは、私にも意外な現象と映った。

読書家で勤勉であり、言論活動もおこなっており、これがその後の一水会のありかたに浸透している。
しかし言論重視となる活動と、思想の一貫性とは別ものである。今や、最高顧問という名を置くだけで、従来の一水会とは隔絶の感さえある。創設者であるトップがこうなのだから、一水会自体も変わってきているのかも知れない。最近、一水会は極左系右翼などと皮肉られてもいる。

会長を退いてから鈴木は、より自由奔放に活躍の場を広げ、ある意味、多芸多才にも見られるが、善意の蓑をかぶる反日団体・アムネスティ日本、法政大学の中核派学生団体・法政大学文化連盟に同調し、さらに「のりこえねっと」の共同代表に、上野千鶴子、雁屋哲、宇都宮健児、北原みのり、辛淑玉、村山富市、和田春樹らとともに名を連ね(http://www.norikoenet.org/representative.html)、最近では、都知事選において宇都宮健児を応援した。

憲法改正についても総論賛成だが、安倍政権下での自由のない改正憲法が出来上がるなら、それよりは自由のある占領憲法のほうがよいとしている。
ヘイトスピーチに関し、日章旗は日本国民の優しさ、包容力、寛大さを象徴するもので、排外的手段に使われるのは残念である、としている。

以上をもって、右翼の変節という言葉だけで片付けられるのか。左右を超えて勉強するために、左派からも学べるものは学ぶのだという姿勢の現われだとしても、右翼の変節として保守陣営が納得できる範囲を超えているのではないか。

これは単なる変節ではない。意志をもったサヨクへの転換である。
なぜこんな方向に進んだのかわからない。戻ることもなかった。70歳を越えた鈴木邦男であるが、その略歴を見るかぎり、変節はすでに30代ころより始まっていた。
百歩譲って、同じことを、国家のどの次元においても保革伯仲の見られた昭和40年代に行っていたとすれば、殺されないかぎり大したものだと評価もされたかもしれない。

自由ばかりを尊重し、私生活ともども、あたかも辺野古の青テントに生息するサヨクのようになってしまった。
人間としてどう生きようが関知しないが、右翼思想家としては、すでにその思想的系譜から外れている。

この鈴木の跡を継いだのが、現在の一水会代表、木村三浩である。
木村は、今回、「似非右翼」と街宣されたことに立腹して、上の論稿を書いたようだ。

木村は、22歳当時の昭和53年、任侠右翼の一翼とされる日本青年社に所属し、同士とともに尖閣諸島に上陸し、灯台を建設するなどして頭角を現わし、「反米愛国・抗ソ救国・民族自決・反権力」を標榜している。
反共一辺倒であり国家主義的色彩の強い戦前からの右翼と区別して、これを新右翼と呼称するが、新左翼も同様で、これは周囲からのネーミングによるところが多く、新が付いたところでいずれも大同小異である。

32歳のとき、学問の必要性を感じたのか、慶應義塾大学法学部・通信課程に入り、右翼活動をしながら修了している。
その後も精力的に右翼活動を展開してきたが、街宣などより他国、特に東欧訪問が多く、各国の党首や政府高官とも面会している。

一連の行動には、それぞれの事由と目的があるようだが、今回、同じ右翼からの街宣という事態を招いた一因は、鳩山由紀夫元首相のクリミア行きに木村が同行したことや、さらにその下準備をしただろうことに、時対協側の盛道烈士會が反発したものである。

ロシアが併合したカタチとなっているクリミアに、日本の元首相が訪れるということは、日本がロシアの行動を追認することになる。政府として菅官房長官からも強い牽制のコメントが出され、クリミア訪問を止めるよう促したが、鳩山はクリミア行きを強行した。

クリミア帰国後の木村のコメントが載っている。
【日刊SPA!】鳩山クリミア訪問に同行した一水会・木村三浩代表が語る“真相” http://nikkan-spa.jp/821182 @weekly_SPA さんから(2015年3月21日)
これによれば、鳩山のクリミア行きは、むしろ木村がはたらきかけて実現したかのようである。鳩山・木村とも、どうもロシアが好きなようである。

動画(YouTube)によると盛義一の指摘はこうである。
すなわち、政府が行かないよう勧告しているにもかかわらず、その意向を無視してクリミアを訪問した売国奴・鳩山に、なぜ同行する必要があるのか、売国奴に同調する木村はもはや一水会幹部とは言えず、ただちに脱会すべきで、同時に、右翼陣営からも身を引け、というものである。

街宣中には細かい事実にも触れ、広島では、フォーラムに参加したメンバーをして中核派の警備にも当たらせたことに参加者からの反発がある、右翼なら右翼思想家らしい行動をとるべきで、ジャーナリストのような行動は慎むべきだ、とも話している。

「一水会を鼓舞する会」(2000年2月26日)の名簿がある。
鈴木邦男に替わり、木村三浩が会長に就任したときのことだ。内外から350名の出席者があり、新生一水会、木村新体制の門出を飾るに相応しい会となった、とある。

代表発起人には朝堂院大覚という名もある。YouTubeでは、金屏風の前に、ハットとサングラス、マフラーを付けたままでカメラに向かって話す礼儀知らずである。居合道・空手道を歩んだ人物とも思えない。

代表発起人以外の発起人のうち、愛国者と呼べる人物は長谷川三千子くらいであり、徳田虎雄、二木啓孝などと並び、すでに有田芳生の名前もある。新体制ができたころから、すでに右翼の色彩は淡いものとなっていた。

また、「一水会現代講座テーマと講師陣」によれば、そのうち1995年~1999年を見ても、講師には、江川紹子、辛淑玉、姜尚中、保坂展人(社民党衆院議員)、植垣康博(元連合赤軍兵士)などがいる。

政治家に政治屋がいるように、右翼にも左翼にも右翼屋や左翼屋がいる。いま辺野古や原発付近で騒いでいるのは、まさしく左翼屋であり、正体は国体破壊者である。
右翼活動は、「日本に住む」「日本人として」「日本に生きることを誇りに思う」ところから、すべてが始まるはずだ。日本に住む外国人は、安全な暮らしを営めても、思想的に右翼になれるはずがない。

戦後、愛国党において明示されたように、当時の日本の敵は、戦中以来、日本共産党である。これは幾星霜を経て今日にいたるまで、全く変わらない事実だ。
安倍政権の日本を取り戻すというスローガンの下、国政選挙で、半端な政党が勢いを失い、日本共産党が議席を伸ばしたのは、単なる偶然とも思えない。

皇室とその継承は、右翼の大義の基本である。日本共産党は皇室制度を否定する。さらに暴力革命を手段とする。サヨクや右翼に並び、政党そのものが公安の監視対象になっているのは、日本共産党だけである。

その共産主義の本家とも言えるソ連、そしてロシアや東欧各国に対し、たとえ愛国団体との交流が主とはいえ、好んで親しく交わるという現象は、右翼陣営からすれば怪訝に映る。
もしや木村三浩は、初めから親露なのではないか、とさえ思われるくらいだ。右翼は反共が基本姿勢であるのに、これではまるで容共である。

ロシアとは、依然として北方領土問題が残ったままである。日本列島全体の国益を考えるとき、竹島や尖閣諸島以上に、手ごわい問題である。
木村はこういう国家レベルの視点に立つことなく、個人の好悪で、これも鈴木同様、自由気ままに動いているかのようだ。

終戦直後以来、大日本愛国党も、基本的には日本の自主独立をめざしており、国内に日本人が許可なければ立ち入れない基地があることに反対であった。しかし、時局を見極め、今は反共の立場を貫くべきと考えたのであり、そのために日米安保にも賛同した。

そういう経緯を無視するかのように、木村は一水会の名前を背負いながら、今後も自由気ままに行動していくのであろうか。
これでは、伝統の上に立つ右翼陣営から「似非右翼」と非難されるのは当然である。

歴史を顧みず、「いま・ここ」だけで判断し動き回るのは、あたかもサヨクの論法と同じである。
こういう木村が代表なのであるから、木村同様、一水会自体も、左傾化していると言われても致し方ない。

かつて、街宣右翼には在日朝鮮人が多く、靖国神社の周辺で大音響で街宣することにより、右翼のイメージダウンを図るとされた。これは、右翼や保守陣営を分断させるための工作であった。
今やインターネットや情報の拡散により、こうした在日似非右翼は、かなり駆逐されたようである。
しかしここへきて、新たに全く別種の似非右翼が登場したことは、伝統的右翼陣営に大きな波紋を投げかけている。

私は、右翼・左翼という対立軸は、国家という枠組みにおいて必至の存在と考える。
いずれも、その国家・国益・国民のために活動するのである。

本来なら国家を憂え、保守側を批判して、よりよい国益を産み出すよう機能すべき左翼が、今はすでに消え、単なる国体破壊者という烏合の衆に堕した現在、右翼の存在や活動には、一定の期待をもっている。

若い時分は誰しも血の気が多い。しかし、終生、信念をもってその気概を貫くだけの器量や身体を磨き、責任ある選択をできなければ、思想としての左翼も右翼もない。
時代が下ったから、信念も変わっていく、と言うのだとしたら、それは随分と便利な詭弁に過ぎない。

(金銭関係のことは噂程度にしか知悉しておらず、仄聞だけでは書けないので、今回は見送りました。)

[参考]

課題としての右翼思想の練磨 (2014年5月28日) http://bit.ly/1nycfh5 @syuya_yui

右翼思想は、敵を見失ってはならぬ (2014年6月2日) http://bit.ly/1nyc3hY @syuya_yui

右翼思想時代の幕開け (2014年6月3日) http://bit.ly/1lMLicK @syuya_yui

「潜在右翼」というありかた (2014年6月10日) http://bit.ly/1nycNUl @syuya_yui

山口二矢の生きざま (2014年9月27日) http://bit.ly/1rl4HnL @syuya_yui

沢木耕太郎 『テロルの決算  新装版』 (2014年12月17日) http://bit.ly/1377lDo @syuya_yui

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2015年5月 1日 (金)

保守陣営の雑音(1)~田母神俊雄とチャンネル桜 (2015年5月1日)

思想に関することを言語に表わす場合には、細心の注意が必要です。
そのうえで、以下の記述には、同じ右派の読者の一部からも、批判が生じるおそれがあることを、冒頭にお断りしておきます。

また、右翼という用語も、その実態は広範囲に及び、○○右翼といった呼称も第三者がそう称しているに過ぎない場合が多いので、定義そのもので区別するのではなく、事態の推移を説明するにあたり、左翼と区別する程度の便宜の上で使うことをご了解願います。人物の敬称も略します。

私は一介のサラリーマンであり、専門的に右翼・左翼について調べるまでには至らない。
それでも、敵対するサヨク(実は単なる国体破壊者)については、敵であるからこそ、いろいろな資料や情報から、今までに、自分で納得する程度には整理できたと思うし、公表もしてきた。

サヨクについては、あとはほぼ同じことの繰り返しが予想されるだけで、今後も注意しなければならないが、辺野古移設にしても原発にしても、一定の結論は出ているので、さほど心配はしていない。

われわれの信託を負う政権のなりゆきを見守り、国民として応援していくのみである。
残すところ、憲法改正、国旗国歌法改正に至る道筋が明示されるのを待つのみとなった。

右派については、安倍政権から日本を取り戻す、という一部の自称保守については、一定の批判はしたことがある。
その後も連綿と、短いものではあるがブログを更新している熱心さだけは認めよう。

ただ、その目的のため、衆院選の前に、自民党議席を減らすべく民主党に一票を入れよう、などと宣伝していることからして、この集団は、決定的に、現実の政治から離れたところでのゲームに執着していることを知り、同時に、独りよがりの理想論をぶつ点では、思考回路において、サヨクや過激派に似た、青臭い正義感的独善主義を垣間見たような気がして、ライオンのハンドソープ「キレイキレイ」を思い出し、一挙に関心を失ってしまった。

私は、人も車もなければ、赤信号でも横断歩道は渡ってしまう。万一轢かれても、それは自己責任だ。・・・これは喩えだが、生きている人間の社会は、それくらいを標準とすると考える。

これより、ある意味、切実な問題がある。

今年に入っり、右派において、二つの出来事が起きている。
今のところ、いずれも終息する気配はない。

一つは、選挙活動資金を、その支援者のひとりが流用したことに端を発する田母神俊雄事務所と、それまで言行を共にしてきたチャンネル桜との批判合戦である。(1)

もう一つは、右翼民族派団体として著名な一水会と、これを批判する右翼とのせめぎ合いである。(2)

前者は、法律にもとづき、捜査が進み、裁判になることで、真偽は明らかになる。
最終的な責任は、立候補した田母神俊雄の監督責任であり、選挙活動には初心者だったからなどという言い逃れはできない。

事務所内のことを総括する立場として、対面や次回の立候補に差し支えるという心配もあろうが、多くの都民や国民の支持を集めた立場でもあり、勇断をもって事に臨むしかない。

日本文化チャンネル桜は一定の役割をもって放映されており、勉強させてもらったこともある。チャンネル桜は株式会社であり、社長である水島総(みずしま・さとる)も、経営に配慮しながらの番組運営であり、気苦労は多かろう。一方で、国旗を掲揚しながらの静かなデモには好感をもった。

基本的に、水島の主張に、反対するところはあまりない。そのさまざまな実績も認めよう。保守志向を全国規模に広げた手腕も評価されていい。

ただ、同じ水島が幹事長を務める「頑張れ日本!全国行動委員会」の主張や行動は、その意図が直接的で明確であるのに、チャンネル桜の存在の意味が曖昧に見えるのだ。

事実の提供を使命とするのであれば、保守速報など保守系サイトや一部週刊誌のほうがよほど細かい。事実の提供だけが使命ではないとすれば、これはやはり保守系プロパガンダとして意義をもつのだろう。

とすれば、いろいろなゲストを招いて、水島本人の主張が揺れるというのは頷けない。ゲストを呼ぶのは、そのゲストから、自らの主張と同じことを引き出すためのようでもあり、だから一致しなければ批判合戦となる。自らの思想補強に、ゲストの言質がほしいような印象だ。

創立者であり確固とした保守の信念をもっているのであれば、水島自らの主張を大胆に直接的に、番組に反映させてもいいのではないか。
チャンネル桜は水島自身であろう。であるならまた、その水島自身に矛盾があってはならない。

彼は親米保守を批判する。もっともだ。他方で、自分を右翼とは考えていないという。昨今の日本の保守は、右翼になっているという。右翼という言葉のもつイメージは強い。だからこれは、一般視聴者、つまりチャンネル桜の顧客への配慮かもしれない。

彼はまた、歴史修正主義(歴史改竄主義)にも批判的である。修正でなく、真の史実を知るべきだとしている。中国や韓国が偽りを拡散してきた現在、正確な史実を求めるのは歴史家本来の役割であり、歴史に捏造や誇張は禁物だ。
そのとおりであって、特に目新しいことを言っているわけではない。

私が思うに、自らの生活に大事変が起きないよう、現状維持でいいとするのが、保守の最も消極的なありかたであり、国益を考慮して将来の自国のため子孫のため、現状を打破しようとするのが、保守の最も積極的なありかたであろう。

極端な場合、自分の生活や安寧を放り出してでも、現状打破に向かうのが、積極的な保守のありかただろうと思うのだ。そして、この後者が「右翼」と名付けられた思想だと考えている。
これは即ち、大義というものに裏付けられた思想である。

この仮説に立てば、保守政権を誕生させた有権者のほとんどは、おそらく、この消極的と積極的の間に存する。言うなれば、保守以上右翼未満だ。
しかし、これは有権者一般のとる態度であって、保守を標榜するプロパガンダ機関がそのようでは中途半端である。
よく言えば、水島としてはそれなりに、戦後70年の現在、新たな保守のありかたを模索しているのかも知れない。

時間の流れとともに、そして、第二次安倍政権の発足とともに、チャンネル桜のありようも変わっていくのだろう。その過程で、田母神俊雄の選挙資金流用事件が起きた。
水島側は、裏切られたとばかり、手のひらを返したように、田母神俊雄を攻撃しはじめた。この非難合戦は、まことに嘆かわしいありさまだ。

この攻撃シーンはチャンネル桜で何度も繰り返されたが、いっしょに歩んできた言わば同士に対して、田母神の経歴や人格に対する過激な言葉遣いもあった。
保守を標榜する人間として、もっと他の手段はなかったのか。あるいは、黙って田母神の言動を見守るというスタンスはとれなかったのだろうか。

特段、田母神を擁護する必要もなかろうが、仮にそんな立ち位置をとったとすれば、視聴者や支援者から誤解を受けるという懸念が先にはたらいたのだろう。

保守派であろうが社長であろうが、その前に人間であり男であってほしかった。保守を標榜するなら、なおさらだ。
保守人らしき勇ましさが見られずじまいで、その経緯はお粗末としか言えず、実に残念であった。

結論として、水島は、自ら言うように右翼ではなく、といって筋金入りの保守派言論人というわけでもなく、上に書いたような、保守以上右翼未満の一般有権者のひとりであり、単に、保守系メディアを運営する株式会社の経営者であった、と位置づけせざるを得ない。

人々の陥りやすい過ちを指摘し、サヨクを小気味よく切って捨てる点は評価できるとしても、保守世論を喚起させ、保守世論を牽引するという役割は、チャンネル桜には見られない。そこが目的ではないようだ。

保守に立つ人々の最大公約数的見解や疑問をまとめて放映することで、同調者を増やし、視聴者が一種の安心感に浸れることを目的としている。チャンネル桜の水島も、俺と同じことを言ってくれている、と。
そういう狙いだけは見えるが、それ以上でもそれ以下でもない。保守系の視聴者が、ああよかった、と安心できる番組である。

蛇足だが、何か事が起これば、この人はこうなるだろう、という予感はあった。人物の人間性は、テレビ画面からもわかるものだ。
かつて私が、靖国神社崇敬奉賛会と特攻隊戦没者慰霊顕彰会にしか所属しない、と言ったのは、こういう意味である。

(つづく)

[参考]

課題としての右翼思想の練磨 (2014年5月28日) http://bit.ly/1nycfh5 @syuya_yui

右翼思想は、敵を見失ってはならぬ (2014年6月2日) http://bit.ly/1nyc3hY @syuya_yui

右翼思想時代の幕開け (2014年6月3日) http://bit.ly/1lMLicK @syuya_yui

「潜在右翼」というありかた (2014年6月10日) http://bit.ly/1nycNUl @syuya_yui

山口二矢の生きざま (2014年9月27日) http://bit.ly/1rl4HnL @syuya_yui

沢木耕太郎 『テロルの決算  新装版』 (2014年12月17日) http://bit.ly/1377lDo @syuya_yui

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