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2015年4月14日 (火)

TVアニメ『氷菓』という空気感 (2015年4月14日)

原作は読んでないが、アニメ『氷菓』を通して観て、痛く感動した。
感動すると、それを分析してみたくなるのは私の悪いクセだが、その理由を手繰るのもまた格別だ。

TVアニメ版『氷菓』は米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)原作の小説で、それをアニメ化したものだ。制作は京都アニメーションで、2012年4月~9月にTOKYO MXなど独立局やBS放送の深夜枠で放映された。

漫画版もほぼ同時に出され、キャラクターの容姿はTVアニメ版に準拠しているとのことだ。漫画版のキャラクター原案の段階から、京都アニメーションが手掛けている。漫画を描いたタスクオーナも、「アニメ化に合わせて始まったものなので、キャラクターデザイン他多くの点でアニメ準拠となっています」と書いている。

※作品に至る詳しい成り行きやあらすじなどは以下のサイトなどをご覧ください。
『〈古典部〉シリーズ』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%88%E5%8F%A4%E5%85%B8%E9%83%A8%E3%80%89%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
TVアニメ「氷菓」オフィシャルサイト
http://www.kotenbu.com/

このアニメに出会ったのは、下のYouTubeがきっかけであった。
この物哀しいセンチメンタルな歌はいろいろな動画でアップされているが、これがいちばんマッチしており、これは何というアニメだろう、というところから始まった。
コメント欄を読むうち、『氷菓』というアニメであることがわかった。

YouTubeとレンタルで合わせて、DVD11巻全巻を観た。
この動画は、アニメ全編から、そこの歌詞に合うようなシーンをピックアップしてつなげているのがわかる。

[AMFS][AMV] Yume to Hazakura [夢と葉桜] - Kurenai (Vietsub)
https://www.youtube.com/watch?v=wkNrzrtIyLI
<externalvideo src="YT:wkNrzrtIyLI">

原作者は岐阜県出身で、高山市所在の岐阜県立斐太(ひだ)高校を出ており、登場する高校や風景、街並は、多分に高山市内のものが使われている。DVDには、製作者たちが高山市内をロケしている特典映像も付いている。

登場する喫茶店や川辺、神社などは高山市内のもので、このアニメのヒットをきっかけに高山市ではフェスティバルも催されたとのことだ。
そのようすを、何人かの人が、高山市の風景とともにブログに収めている。

原作者は、観光で訪れる人が高山に来て感じることとは別に、高山に生活する人が、そこで味わう感動を喚起したかったというふうな意味のことを言っている。

中心的な登場人物は、神山高校1年の折木奉太郎(おれき・ほうたろう)、千反田える(ちたんだ・える)、福部里志(ふくべ・ さとし)、伊原摩耶花(いばら・まやか)である。
主役は奉太郎だが、えるはヒロインとして中心にある。

高校生活という日常に起きるミステリアスな出来事を、主に奉太郎が読み解いていく。必ずしもミステリアスなことばかりでもないが、常にミステリーの香りを漂わせている。「氷菓」の意味も、あるミステリー解読の結末に語られる。

いわゆるイケメン男子とかわいい女の子が中心であるが、色恋は水面下に押し込められており、多少、演出でわからせるくらいにして、ミステリー解読に重点が置かれているのが特徴だ。
これに準じたアニメは他にも多数あるのだろうが、幸か不幸か私はよく知らない。

DVD一巻につき二話収めらている。どこから観始めても雰囲気は伝わるだろうが、できれば順番に観たほうがいい。
それは第1巻の直後からの話題が全編を覆うようなつくりになっているからだが、他方、ラストに至るまでつづく奉太郎とえるの淡い心模様の通奏低音は、二人の古典部入部直後から始まっているからだ。

ラストの第22話は「遠まわりする雛」というタイトルになっている。テーマは各話それぞれであっても、入学から夏休み、文化祭、初詣、バレンタインデー、雛祭り、などと時系列に並んでいる。

第22話には、満開の桜が出てくる。4月3日、旧暦での生き雛祭りでのことだ。作者はどうしてもここに、満開の桜をもってきたかったのである。最終話でもあり、理由は観ているとわかる。

このアニメを観てまず思ったことは、映像が細やかであり、且つ、きれいだということだ。

原作の意を汲んだ監督・武本康弘のキャリアが、如何なく発揮されているのだろう。アニメ化するにあたり、多少、原作と異なるところもあるようだが、それは大きな問題になっていないようだ。

人物のキャラクターを暗示するしぐさや動きも、細部まで描かれている。それを際立たせるためには、背景も同様でなければならないが、これはその目的を達し、成功している。景色であれ室内であれ、細やかな描写とカットが効果を上げている。

不安を表わすフレームの斜め撮りやアップ、目の動き、顔のアップやバストショットの使い分けなど技術的面、適度に回想シーンを挿入するシナリオなど、ほとんど映画づくりと同じだ。アニメーションはやはり、映画なのである。

さまざまな演出も、よく効いている。奉太郎の姉は、古典部やえるに有意義なヒントを海外から知らせてくるが、その顔は映らない。
横顔を大きく映すときにも、顔の前に空間を残すのと、頭の後ろに空間を残すのとでは、演出の意味が全く違うが、監督はこの違いをよく知っている。

もうひとつは、奉太郎とえるの純情な心理に共感できるところだ。高校1年という設定がよかった。

いわゆる青春ものらしく、人物は一様に純粋無垢で、あちこちにつっけんどんなやりとりも多いが、それぞれシーンごとのテーマについて、そのプロセスは丁寧に描かれ、その終わりは垢抜けしていて潔い。
これはおそらく、文章を書く人間が原作者であるというところからきているのだろう。原作者が漫画家だとしたら、ここまで細やかな言葉遣いができただろうか。

例えば、ところどころ、わざわざ時間を割いて挿入される奉太郎と里志の二人の会話のシーンがそれだ。この二人の会話は、それぞれのシーンごとだけでなく、それぞれのテーマごとに作られている。これがなければ、それぞれの挿話は、落ち着きのない終わりになるに違いない。

言わば後始末をつけるような役をもたせられた会話シーンだが、言葉の紡ぎ方においても丁寧でありタイミングもよい。カットもうまくつなげ、一連の会話が終わると、「よかった…」、という感想を観る側にもたらしてくれる。何かが「よかった」のではなく、「これでよかった・・・」と、ほっとするのだ。

漫画がアニメになると、色がつき、声が付き、音楽も付く。そこが作品の華麗なる変身なのだが、声については好き好きがあるようだ。
この作品でも、折木奉太郎役の声(中村悠一)に違和感はない。むしろボツボツとした話し方が絵にマッチしている。千反田える役の声(佐藤聡美)はやや甲高く、ぶりっ子的なしゃべりに驚いた。ただ、そういう役柄でもあり、表情とも合わせねばならないのだろう、観ているうちに慣れてしまった。

BGMは、奉太郎らが真相を明らかにするような過程で、おなじみのいかにもスリリングなメロディーが流れるほか、バッハの「G線上のアリア」「無伴奏チェロ組曲第1番前奏曲」、フォーレの「シチリアーナ」など、よく知られた気品ある調べが効果的に使われている。

Pahud plays Gabriel Fauré Sicilienne Op78
https://www.youtube.com/watch?v=KweXColOsgQ
<externalvideo src="YT:KweXColOsgQ">

高山といえば、学生の頃、からくり人形で有名な高山祭を見に出かけた一回きりだ。その前後には市内もゆっくり見物し、白川郷まで足を延ばした。遠い記憶だ。
このアニメは、その遠い記憶を蘇らせてもくれた。

いまこのとき、若い頃の旅と、奉太郎の想いが重なる、・・・「夢と葉桜」の如く・・・

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