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2015年1月14日 (水)

映画 『荒馬と女』

監督:ジョン・ヒューストン、脚本:アーサー・ミラー、 撮影:ラッセル・メティ、音楽:アレックス・ノース、主演:マリリン・モンロー、クラーク・ゲーブル、モンゴメリー・クリフト、1961年、124分、モノクロ、原題:The Misfits (順応できない者)

ジョン・ヒューストンがモンローを使うのは、フィルム・ノワールの『アスファルト・ジャングル』で端役として使って以来、二度目。モンローの事実上のデビュー作と遺作を撮ったことになる。

モンローは、映画公開翌年1962年8月、36歳で謎の死を遂げ、ゲーブルは撮影完了直後、1960年11月、59歳で他界している。

離婚天国といわれるネバダ州リノで、ロズリン(マリリン・モンロー)は、離婚を支援してくれるお手伝いのイザベル(セルマ・リッター)とともに法廷に向かう。
簡単に離婚が成立した直後、夫の残した車を修理したグイド(イーライ・ウォラック)を通じ、居酒屋で、グイドの友人ゲイ(クラーク・ゲーブル)と出会う。

成り行きで、ロズリンとイザベルは、郊外にあるグイドの家に、ゲイと車で向かう。
まだ完成しきっていないグイドの家で、四人は酒を飲み、ダンスを踊って、楽しく過ごす。

セスナ機に乗って野生馬の群れがいることを知ったグイドは、それを捕えて業者に売るため、ゲイを誘うが、もうひとり人手が必要なため、たまたま開かれるロデオ大会で、相棒を見つけようとする。
野生馬のことを、彼らはムスタングと呼んでいた。

偶然、二人の顔見知りであるパース(モンゴメリー・クリフト)を見かけ、ロデオ大会の後、野生馬確保の約束をする。
ロズリンは、暴れ牛から振り落とされたパースのケガを心配するが、男たちは気にも止めず、翌朝の野生馬捕獲の準備をする。

当日、セスナで六頭の野生馬の群れを見つけ、グイドは低空飛行で追い回し、ゲイたちのいるところへ馬を走らせる。
セスナから降りたグイドが運転し、ゲイとパースは荷台から荒馬にロープを投げる。ロープには重いタイヤが結ばれており、馬の動きが止まったところを、三人がかりで一頭二頭と倒し、足首を結わいて動けなくする。

しかし、特に親子馬の両親を捕えた光景を見て、ロズリンはたまらなくなり、遠くから、あなたたちは殺し屋も同然だ、と絶叫する。

自責の念を感じたパースは、馬のロープを切るが、そのうちの一頭にはまだロープが巻き付いており、ゲイは格闘の末、一頭を捕え、ロープの端をトラックに結びつける。
が、そこまでし終わってから、そのロープを切り、ロズリンに言われたからではなく、自分の判断で馬を放したのだと言う。・・・・・・

モンロー主演であり、西部劇風の作品といえども、お色気作品どころか、すこぶる文学的・哲学的な含蓄を撒き散らした映画である。ただでさえ、あまりヒットしなかった作品であるから、モンローやゲーブルなしでは、ほとんど見向きもされなかったであろう。

西部劇に詩情を乗せることに成功した作品であると言われる。
その詩情とは、人間の生死という、深淵であるがわかりやすく根源的なテーマではなく、男と女、都会と田舎、拘束と自由、完成と未完成、といったテーマで表わされており、モンローの出演作のなかでは、最も難解な作品と言える。

脚本のアーサー・ミラーは、モンローの最後の夫であったが、この脚本が書かれたころと違い、現実には夫婦の関係はほとんど破綻していたという。円満な関係であったときだからこそ、ミラーも、こうした作品をモンローのために書けたのかもしれない。

この錯綜したテーマを、映画としてうまく撮れたのは、やはり監督ヒューストンの力量だろう。
荒馬を捕獲するシーンは、ほとんどアクション映画のシーンに似て、緊迫感をもたせ、カットをうまくつなぎ、迫力あるものとしている。

前半は、離婚した直後で、目的もなく奔放であり、ロズリンは、ヒマをもてあそぶような女としてしか描かれない。やがて、ゲイたちとかかわるうちに、ロズリンの心には、徐々に、はっきりした意志が芽生えてくる。

ゲイが、庭にレタスを植えたものの、野ウサギが荒らしているようだから、これを殺さなければならない、と言うとき、ロズリンはそれに反対する。馬を倒した後、三人が六頭の馬を業者に売るといくらになるか相談するのを聞いて、ロズリンの心は破裂する。

三人の男たちは、結局、ロズリンの言うとおり、馬を放し、ゲイとロズリンは、車を走らせる。
どこに向かうの?と聞くと、あの大きな星の下に道はある、とゲイが答える。

難解な映画であるが、モンローは美しく撮られており、ゲーブルも野性味あふれる西部男をうまく演じている。
モンローについては、おそらく、髪型を含め、ふつうの女優として映されたなかで、最もきれいに撮られた作品かもしれない。

手伝い役のセルマ・リッターは、『イヴの総て』では、マーゴ・チャニング(ベティ・デーヴィス)の付き人を演じ、この映画でも、ロデオ大会までロズリンに付き添うおしゃべりな婦人を軽妙に演じている。

音楽はアレックス・ノースで、時折入る不安をイメージするような旋律は、ロズリンの揺れる心を映し出すかのようだ。ノースは、映画音楽の巨匠となるジェリー・ゴールドスミスが師と仰いでいた人物だ。
スタンリー・キューブリックは『2001年宇宙の旅』の音楽をノースに依頼したが、ノースに無断で、シュトラウスの『美しく青きドナウ』などクラシックの既成曲ばかりを採ることにしたため、それを知り、ノースが怒り狂ったというのは有名な話だ。

タイトルバックには、当時珍しかったと思われるジグソーパズルのピースが出てくる。順応しないことをイメージしてのことだろう。

Misfits


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