« 沢木耕太郎 『テロルの決算  新装版』 (2014年12月17日)  | トップページ | 今年を振り返って~愛国者であることに躊躇は無用 (平成26年12月31日) »

2014年12月17日 (水)

三島由紀夫 『金閣寺』

三島由紀夫の『金閣寺』は、吃りに生まれついた寺の修行僧の観念の変化と、その実行として、彼が国宝金閣に火を放つまでを描いた小説だ。 
『炎上』というタイトルで映画にもなっている。 

いろいろな角度から読めるのだが、美にとりつかれた若い男の使命感と、その帰結と読むこともできる。 
むろんその使命感は、この男の生い立ちや、周囲とのかかわり合いから生じてきた利己的なものではある。 

しかし、自らの観念を現実の行動に移したこの男のなかに、一貫したものを見てしまうのだ。この一連の観念の誕生やその変化の経緯は、吃りから派生する被差別的劣等感と、それによる自我の世界の構築が前提とされている。さらには、自分の身を引き受けてくれた金閣の老僧の偽善者ぶりや、学友のけしかけなどが、放火へのバネになっている。 

放火したあと、自殺でもするかと思いきや、タバコを飲みながら、私は生きようと思った、とするラストには感激した。 
そうだ、死んではならんのだ。 

映画でいうなら、一種のどんでん返しレベルのラストであった。 
抑制された文体、三島一流の比喩表現の多用など、いろいろ感じ入るところは多いが、このラストにも感動する。 

全く何気ない終わり方に見えながら、犯人として捕まるような場面には言及せず、といって、燃えさかる金閣を見て、目的を果たしたからといって自害するわけでもない。 

そう、生きようと私は思った、のである。 


映画同様、小説もラストが難しい。書き進んでいるうちはむしろ平易だろう。書き出しと、それ以上に、ラストが難しい。 

三島にしてはあぶらぎったところのない乾いた文体で、かつては高校生の夏休みの宿題感想文には必ず入っていた小説であるが、高校生にはなかなか難解だろう。 
しかし、常に難解なものに挑戦してこそ、エネルギーははぐくまれるものと思う。 

小説ではあるが、時代背景は、終戦直後の日本と朝鮮戦争の始まる直前という状況である。 
そのころ日本は、まだまだ不安定であった。 

寺社への放火が相次いでいた戦乱の世をさして、主人公がつぶやく。あのころ社会は不安であった。今の世も不安は同じだ。金閣が焼かれないでよいであろうか… 

この小説の後半では、明確に、認識と行動という対立軸で主人公の観念が変化していく。これは学友、柏木との長い対話からも明らかとなる。 

主人公の行動にはずみをつける鶴川という少年は、自ら死を選んだ。この鶴川という少年(おそらくは美少年)の平凡な死こそ、三島が嫌忌した死にかたであったろうし、このように主人公を死なせず、何ということか、国宝に火を放ってもまだ、生きようと決心させたのであろう。 

516hep4gv7l

« 沢木耕太郎 『テロルの決算  新装版』 (2014年12月17日)  | トップページ | 今年を振り返って~愛国者であることに躊躇は無用 (平成26年12月31日) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事