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2014年10月23日 (木)

映画 『偽りの人生』

監督・脚本アナ・ピーターバーグ、撮影・ルシオ・ボネッリ、音楽・ルシオ・ゴドイ、フェデリコ・フシド、主演:ヴィゴ・モーテンセン、ソフィア・ガラ、2012年、117分、アルゼンチン映画(スペイン語)、原題:todos tenemos un plan(我々にはみな計画がある)
南米の都市部といなかの川沿い地域が舞台。
しっとりした風景と静かで控えめな音楽でできた、言わばおとな向けの映画だ。
アグスティン(ヴィゴ・モーテンセン)は小児科医であり、妻クラウディア(ソレダー・ビヤミル)と一見穏やかな生活を続けていた。二人には子がなかった。
妻の発案で養子をとることになり、病院に行き、引き取る赤ん坊の顔まで見たが、土壇場になってアグスティンは養子はもらわないと言い出す。
その後クラウディアが数日家を空けた隙に、アグスティンとは瓜二つの弟ペドロが、突然現れる。
ペドロという双子の兄(ヴィゴ・モーテンセン二役)は、片田舎の川沿いにある掘っ立て小屋のような家に一人暮らしをしており、若い娘ロサ(ソフィア・ガラ)に手伝ってもらい、細々と養蜂を営んでいる。そこは二人の故郷でもあった。
しかし、彼の周辺にいる人物はゴロツキのようなクズばかりであり、人殺しも平気でするような連中であった。ゴロツキのひとりは、二人の幼馴染みでもあった。
ペドロは自分が癌であることを知り、それを伝えに、久しぶりにアグスティンの家を訪れたのである。
テーブルに拳銃を置き、これで自分を始末してくれと頼む。
アグスティンは無論そんなことはできないと思ったが、ペドロが入浴中、いっしょに話しているとき、ペドロが咳込んで血を吐いたのを見て、頭を押さえつけ、そのまま溺死させてしまう。
日々の退屈な日常に飽きていたアグスティンは、思い立って、残りの人生を、ペドロに成り変わって生きていくことにし、ペドロの着てきた服を着て、川沿いのペドロの住居に向かう。・・・・・・
タイトルとパッケージに誘われて観た。
いわゆる一般受けする映画ではないが、狙いそのものはよかったと思う。
のんびりと流れる濁った川があり、住民はボートで移動する。川の両脇に、洪水時のことを考えてか、木を組んだ二階部分が住居の家が、ところどころに並んでいる。カメラのとらえた自然の姿は美しい。
冒頭からしばしば養蜂の作業が映されるのもうれしい。防護服を着て二人は作業する。なかなかお目にかかれないシーンもあり興味がそそられる。
ペドロがアグスティンの家に着いたとき、土産がわりにと、自分の作った蜂蜜のビンを差し出す。なぜかとてもうまそうに見える。
そうしたのどかな風景のなか、ペドロの周りには悪いヤツらしかいない。ペドロは積極的なほうではないが、近隣からは悪の一味と思われている。
そのペドロは肺癌を病んでいるにもかかわらず、ひっきりなしにタバコを吸い、酒を飲む。そして余命わずかとなった今、アグスティンを訪ねるのである。
映像、カメラ、雰囲気、少ないセリフ・・・しっとりとした映画が出来上がったが、何か足りない。というより、どこかリアリティに欠ける。
映画といえども、リアリティがないと入り込めない。
原因はやはり脚本だろう。
アグスティンは現在の日常に飽きており倦怠のさなかにいる。その状況が伝わってこない。
さらに、ちょうどよかったとばかり、瓜二つの病身の兄を殺して、その兄に成りかわって生きて行こうとする動機が伝わらない。
これほど重大な決心が、いとも簡単にできてしまうのが不思議だ、と観る側に思わせてしまうのだ。
故郷だからという理由もあるだろうが、それなりの愛着なりが描かれていないので、やはり唐突な感は否めない。
もちろん、こうしたことを長々と頻繁に入るモノローグや、会話で済ませるのは簡単だったろう。しかし、言葉にだけ頼った映画は映画ではないと酷評される。私もそう言うに決まっている。
といって、例えば、こういう批判は映画だから括弧に入れてもいいとは思う。ロサはペドロとは懇ろであり、一瞬疑うシーンもあるが、アグスティンをペドロと思い込んでいる、いくら瓜二つでも村人の誰も見抜けないのか、アグスティンほどの男と21歳の娘が恋愛になるのは不釣り合い、ペドロの交友が悪い連中と知って、なぜ逃げ帰らなかったか、など。
最後にアグスティンは仲間ともトラブルで瀕死の状態となり、ロサとともにボートで上流に向かう。
永遠に愛してくれるか、と問うアグスティンに、永遠に愛する、とロサは答える。
ロサと見つめ合うなか、アグスティンは死ぬ。亡骸をわきに、ロサはボートを走らせる。
アグスティンは、献身的な妻を置き去りにし、ペドロの遺体をバスタブに置き去りにし、いまの倦怠を打破すべく、偶然転がり込んできた運に賭けた、…つまり、わがままな男とも言えるが、その男は若い娘と恋愛関係に陥る。兄の女と寝て平気なのである。そして、永遠の愛を誓われて死んでいく。
なぜ、自分の安定した生活をうっちゃって、故郷といえども悪い兄のかわりに生きることにしたのだろうか。
終わりよければすべてよし、なのか。ムードはあるが、何とも消化不良になる。
こんな映画である。
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