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2014年10月 5日 (日)

映画 『マルホランド・ドライブ』

監督・脚本:デヴィッド・リンチ、撮影:ピーター・デミング、 編集:メアリー・スウィーニー、音楽:アンジェロ・バラダメンティ、 主演:ナオミ・ワッツ、ローラ・エレナ・ハリング、2001年、146分、米仏合作、原題:Mulholland Drive

よく難解映画と言われるが、『インランド・エンパイア』ほどではなく、それほど難解ということはない。

後半をだいぶ過ぎ、1時間55分あたりに、リタ(ローラ・エレナ・ハリング)により青い箱が開けられて、カメラがすーっとズームして箱の中に入り込んで暗転するシーンがある。
ここからベティ(ナオミ・ワッツ)の現実となる。
それまで抜群に美しく、健康で快活であったベティは、全く別人に変わり病人のような表情だ。

ここまでは、ベティとなっていたダイアンの白昼夢である。リタは、現実のカミーラである。
女優への道も閉ざされ、親しくなり恋愛対象(レズビアン)であったカミーラに、恋人であった映画監督アダム(ジャスティン・セロー)を奪われる。

二人に裏切られたショックは恨みへと変わり、殺し屋を雇ってまで、ベティは二人を殺す。やがて悪夢にうなされ、自ら拳銃で自殺する。

ベティの今の現実と、回想される過去と、憧れ夢見ていた幻想とが、きれいに分かれて作られている。青い箱のシーンまでは幻想であり、それ以降は現実と、そこから生じている過去だ。

女優志願でありながら、別の美しい女優に大役を奪われ、恋人までも奪われたベティは、その女優に復讐をすることとし、殺し屋をカネで雇い、その目的を遂げたと暗示されてエンディングとなる。
その美しい女優は、実はベティが内心では、そうなりたいと願う相手であり、レズビアンに似た感情をももっていた。その憧れの女優に、仕事も彼氏も奪われたのである。

ベティとリタは、ダイアンの幻想にあらわれてくる、ダイアンの理想である。カミーラには二重に裏切られたものの、リタという理想の友人兼恋人を作り出す。
この夢のなかで、ダイアンは幸せ一杯であった。

今は何を思っても取り返しがつかず、退廃的な生活を送っているダイアンにとっては、忘れがたい思い出であった。

冒頭に、まばゆいほどのライトを浴びて、ダイアンが両親と踊るシーンがある。
すると一転して、ベッドの上なのか、毛布の下でもぞもぞと動きながら、うなるような声が聞こえる。

このときダイアンは夢を見ていた。オーディションにも受かり、女友達もでき、恋人までできた順調な生活を回想していた。
夢はうちひしがれ、してもしかたのない復讐までした。それをまた後悔する自分がいる。

自殺する瞬間に、すーっと、この映画と同じ時間の空想が、頭をよぎったのであろう。

人物から小道具にいたるまで、多くの伏線らしきものが散りばめられている。それらがすべてきれいに回収されたとも言えない。レストランの裏に潜む、やけどを負ったような黒い顔をした男は、こうしてストーリー解明しても、ほとんど説明はつかない。

青い箱、特にその青いキーがまさにこのストーリーのキーとなっている。
ベティの恨み節とでもいえる悪夢を覚ましてくれるのは、あるクラブでの楽器の音や身につまされる悲しい歌詞の歌である。

そのとき何気なくバッグから出した青い箱から、現実が始まる。その箱をリタが開ける時、今まで目の前にいたベティが、突如消えている。
ラストシーンでは、そのクラブの二階席に座っていた青い髪の女が、静かに、と言い、幕となる。

悪夢や願望の映像化に成功しており、一個の映画として観る側に差し出されている。悪夢に出てくる多数の人物のなかでは、殺し屋の若い男がいちばんその実態を明らかにされていて、過去の殺しの現場がきちんと描かれている。しかしこれは、ベティの現実とは何ら関係がない。

それにしても、ラストでこの主役のベティが、ファーストシーンを再現した白いライトのなかで満面の笑みを浮かべているのは、いわば女優としても女としても最高に幸福であった象徴で、次にすぐクラブの歌手を映し、静かにと言わせるところに、この映画の内容が一気に凝縮される。

もしかしたら、この、静かに、というところまでが、あらかじめ彼女の悪夢に予想されていたのかもしれない。
なぜなら、冒頭、ダンスのあとに映る赤い布のなかから聞こえるベティのうなされ声は、自らの破局まで予想しているように聞こえるからだ。そしてこの身もだえが、現実となるベティに連なっている。

悪夢を描きながらも、細かいところまできちんと帳尻合わせができており、映像や映画そのものの遊びはないものの、よく計算されて仕上がっている作品だ。

ベティがオーディションで相手の男性と迫真のラブシーンを演じ誉められる。彼女の夢のなかで、唯一みずからを女優として女として誇れる、彼女としては最も満足のいくシーンなのだ。その花開かんとする夢のような未来は、別の女優カミーラの出現により、無残に打ち砕かれるのである。

冒頭に出てくるロスの夜景はよく見るなあ…『ヒート』でも二ヶ所で出てきていた。
ナオミ・ワッツは親しみのある容姿で、われわれ日本人にも人気が高いが、この正反対の状況を実にみごとに演じている。彼女の作品のなかでは代表作と言えるのではなかろうか。

サスペンスの香りに覆われながら、どこかセンチメンタルでもあり、どこかかわいい雰囲気のある映画だ。
ナオミ・ワッツだからありえた、ひとりの女の子の打ち砕かれた夢物語である。
役柄や状況を使い分けた彼女の演技は、絶賛に値する。

Laura_harring1

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