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2014年8月

2014年8月30日 (土)

在日韓国人差別は、どこから起きるか (2014年8月30日)

差別は、古今東西存在してきた。
結論からすると、今後もなくなることはないだろう。
皆が平等になれば、差別は消える? 共産主義は桃源郷だ、という考えは、とうの昔に詭弁だと理解されている。

おそらく、人間の棲む社会において、差別というものは、属性として付いて回るものなのだろう。
しかし、理由のない差別はないほうがいい。

子供のころ、「足の不自由な人」「目の不自由な人」「耳の不自由な人」「口の不自由な人」という言葉はなかった。順に、びっこ、めくら、つんぼ、おし、であった。今ではこうしてキーを打っていても、こういう言葉は漢字変換もできなくなっている。盲、聾、唖、と書いたほうが、その意味をとりやすいが、これらの漢字も、オープンな場面では使われない。

といって、こうした言葉が消えたわけではない。あくまでも、オープンな席や文書で回避されるだけであって、私的会話では使われている。

こうした身体能力にかかわるものや、病気にかかわるものは、いま使われている言葉により本人や家族が傷つくというのであれば、それを改めるのはよいだろう。
精神分裂病は、羽田沖日航機墜落事故を契機に、統合失調症と呼び名が変わった。狂牛病はBSEと表記されるようになった。
どぎつい表記が、柔らかな言葉になった例である。

注意すべきは、このように言葉づかいを変えても、実態が変わるのではないということだ。呼称が変わっただけである。
言葉や表記を変えても、その差別対象のありかたには、何ら変化は生じない。差別用語を使っていた側に、差別意識がなくならなければ、差別そのものはなくならない。

めくらを「目の不自由な人」と言い換えるだけなら、単に、慣れの問題だ。目が見えない人(視覚に関する無能力)だからといって健常者と差異をもって異端視するのはよくないことだ、だから「目の不自由な人」というのだ、という認識がなければ、めくらに対する差別意識そのものは消えない。
そして、この種の差別は、表記の変化とともに、消え去った。

身分上の差別はどうか。

日本での社会的差別は、穢多・非人という職種を、社会階級のいちばん下に置いた遠い昔に始まる。
手を広げて親指だけを中に折るサインは、いわゆる「四本足」を扱っていた人間を意味している。動物の皮を剥いでいたからだ。

これの延長線上にある同和部落問題は、長い間日本社会のタブー領域であり、さまざまな立法によって多少解消されたが、いまでもまだ根強く残っている。これらの村に生まれたことを、そのこと自体で軽蔑するのであれば、それはたしかに差別であろう。この問題は住井すゑの『橋のない川』でクローズアップされ映画化もされた。

父が、まだ有楽町に都庁があったとき、社会教育の部署にいた。レポートを書くためいくつかの資料を持って帰っていた。子供にわからないようにしまってあったが、ある日こっそり見てしまった。驚いたことに、東京都には三多摩どころか23区内にも、同和部落があったのだ。記憶では、足立区、練馬区など数カ所に散在していた。

それでも大昔に比べれば、身体にかかわる差別的表現とともに、社会的身分に対する差別も憚(はばか)られるようになってきた。
差別問題は意識変革の問題であって、歴史的背景をもち、そう短期間では解消されない。
だからといって、あるいは、それゆえに、騒ぎ立てることは避け、静かに平穏に、差別がなくなる変化の過程をたどるのが、本来あるべき姿だと思う。

昨今のサヨクのしていることは、忍耐強くなりゆきを見守らなければならないはずの問題を、当事者を脇に置き、全く別の第三者が、わざわざ騒音のなかに引きずり出す点にある。
そして、差別などしていないのに、差別があるがごとき現象を作り出し、さらにそれを枠組み化して、自分たちの政治的利益のために利用しようとする動きとなっている。

差別用語が量産される社会は歪んでいる。
去年まで何でもなかったふつうの言葉が、今年は差別語になっているというのはおかしいのだ。

サヨクは言うに事欠き、敵を攻めあぐねると、少数者などの周辺からきわどい言葉を選び出し、ある言葉を差別だ、と叫ぶ。よく考えれば、差別でもないような言葉を差別語と決めつける。周囲が囃し立てて、それがいつのまにか「差別用語」となる。

「AがBを差別している」ということ自体を、幸か不幸か、全く意識していない者に対し、とにかく「AはBを差別している」のだ、と刷り込み、「だから」Aの側に付いては差別に加担することになる、Bの側に賛同すべきだ、と吹聴する。・・・こういう論法は卑怯であり誤っている。

身分差別の最たるものが、人種差別であろう。
再び、カルピスのラベルにあった黒人の絵の話を引いてみる。

以前も取り上げたのだが、ある時期より突然、テレビや街中から黒人の商標やCMが消えたことがある。カルピスの商標もそうだ。
黒人がハットをかぶり、ストローでカルピスを飲んでいる・・・これが黒人差別になるからと問題になり、やがてこの図柄はなくなってしまった。

子供のころの話とはいえ、あえて黒人を差別などした覚えはない。東京オリンピックでも黒人は大活躍していたし、家には誰か忘れたが黒人歌手のレコードもあった。だっこちゃん人形もまだ残っていた。プラターズの「Only You」もはやっていた。
キング牧師事件で、アメリカに黒人差別があるのは知っていたが、日本人は「進んで」黒人を差別していたのだろうか。

最近でもこのころと感覚は同じで、黒人だけ取り出して差別したいとは思わない。大東亜戦争に関し、常に念頭に浮かぶのはルーズヴェルトであり白人であり、白人だからこそ毛唐なのである。毛唐とは、毛トウモロコシのことで、白人の頭髪が赤く見えたことに由来すると言われる。黒人の髪は違うので、黒人に対する言葉ではない。

亡くなった母から聞いたことがある。
父親のいない母は、戦後いっとき、横浜のPXで働いていた。日本人から見ると、白人も黒人も同じアメリカ軍であったが、黒人は戦争の勝ち負けにかかわらず、親切で愛嬌があり、おどけた雰囲気があり、自分らがPXで買ったチョコレートを母にくれたそうだ。それに比べれば、白人の目つきのほうに違和感を覚えたという。

まだまだアメリカ本国では人種差別の強かった時代に、黒人も黒人なりに複雑な感情をもっていたように思う、と話していた。
闇市が盛んで、覚醒剤がヒロポンと呼ばれ流通し、進駐軍相手の街娼が、通称、パンパン、パンスケと言われていた時代だ。

成人を過ぎて明確に知ったのだが、よく付き合っていた中学以来の友人は、在日韓国人であった。家に行ったときに、どうして表札が「朴」になっているのだろうと不思議には思っていたが、口にはしなかった。本人もそれに触れなかった。車の免許をとったとき、自慢げに免許証を見せてくれた。免許証の一部を、恥ずかしそうに半ば隠して見せてくれたが、苗字のところに「朴」とあるのが見えた。今では横浜市内で歯医者をしている。

同じ在日でも、ふつうに、日本社会に溶け込み、まじめに働き、税金を納め、子を育てている人間を、在日だからという一点をもって、一概にけしからんとは言えない。それは同和差別とて同じである。

こうして平穏に暮らす在日韓国人がいる一方で、日本のサヨクと通じ、自ら努力せず、何かといえば国家に金銭を要求し、あるいは詐欺をはたらいて生活保護費を騙し取るような輩もいる。

不思議に思うことは、平穏に生活するまともな在日韓国人たちは、なぜ、今の時代、声を上げて、他のこうした不埒な在日韓国人の行動を批判しないのか、ということだ。
何かあれば、日本の自称サヨクと言われる連中と徒党を組み、まともな在日の日本での生活を居心地悪くしているのは、自分たちの同胞ではないか。

韓国人にも悪いヤツがいる。残念ながら、その次元で言うなら、それは日本人も同じだ。
民族の違いを超えて本当に仲良くするというのは、両者が手に手を取り合って喜びあうことではない。互いに、無意識に存在を認め合い、社会生活の隣人になっていることだ。日本人同士なら、これが自然なのだ。

韓国国内においても、まともな韓国人はいる。そういう人たちは、歴史の経緯を理解はしている。韓国では暮らしにくいだろう。同様に、在日のなかにも、真相をわかっている人もいるはずだ。
もどかしいことに、彼らは全く声を上げない。

自分のルーツとなる国の政府は、いまどん底にある。それを批判してもいい。提言を述べてもいい。一般人では力がないなら、政治家や著名人を動かして、そういった発信をさせてもよい。
ところが、(私が知らないだけかもしれないが)そういった声は、ほとんど聞かれない。

方針ももたぬ日本人サヨクに相通じ、利用され、世界から顰蹙を買っている状態に対し、同じルーツをもつ民族として、怒りを覚えないのだろうか。

千代田区神田駿河台3-3-11連合会館(かつての総評会館)、新宿区西早稲田2-3-18 在日ビル、港区新橋2-8-16 石田ビル、いわゆる赤軍ビル、新宿区大久保2-7-1 大久保フジビル 311号、コリアン通りはずれのビルにある「のりこえねっと」など、これらは日本人サヨクの温床であるが、見方を変えれば、韓国人全般を陥れる罠なのだ。

あなたがたの同胞が、そこに気が付かず、あるいは気が付かないふりをして、日本のサヨクといっしょになって、その日クラシーの騒ぎに酔い痴れている。
韓国人にとって、何の利益にもならず、今後はむしろ、いっそう肩身が狭くなるはずだ。

日本での身分差別は、サヨクが作り出したものである。差別されると騒ぐことで、そこで何らかの利権にありつけることを知っているからである。同和部落も在日朝鮮人も、サヨクからすれば、「差別されていなければならない」のである。この枠組みのなかで、サヨクどもは跳梁跋扈しているに過ぎない。

勇気あるまともな在日たちが頭角を現わし、在日特権を自ら放棄し、日本のサヨクと手を切り、日本人と同じ立ち位置に立つ準備ができるまで、あなたがたは、まともな在日であっても、日本人から見たら、「差別されていなければならない」という運命から脱しきれない。
つまりは、すべてひとくくりにして、差別の対象であり続けるのである。

在日韓国人が、一部政党が後押しする日本人サヨクといっしょになっている限り、あなたがたは今後も彼らに利用されつづけ、日本社会に溶け込めないまま、永久に「差別されていなければならない」という役割を担わされるのである。

<参考>
区別と差別 http://bit.ly/1qJ5flu @syuya_yui

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2014年8月24日 (日)

代ゼミ、全国模試も廃止

代ゼミ、センター試験の自己採点集計も中止へ・・・

ニュースを知り、びっくりしたのは久しぶりだ。

残しておきたいので、全文転載した。

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読売新聞 8月24日(日)8時44分配信

 全国の拠点の大幅な閉鎖方針を打ち出した大手予備校「代々木ゼミナール」(本部・東京都渋谷区)が全国模擬試験を来年度から廃止することが23日、わかった。

 来年1月の大学入試センター試験の自己採点結果集計・分析は実施しない。模試の分析データは受験生や高校の進路指導などでも参考にされており、影響は大きい。

 代ゼミ広報企画室によると、全国27校のうち、来年3月末で閉鎖するのは、仙台や横浜、京都、熊本など20校。本部校と、札幌、新潟、名古屋、大阪南、福岡の各校、造形学校(東京)の計7校に集約するという。

 4月以降は、「センター試験プレテスト」や「国公立2次・私大全国総合模試」などの全国模試を廃止。大学入試センター試験の自己採点結果を集計・分析し、志望大学の合格判定などを示す「センターリサーチ」は2013年度、全国で約42万人が参加したが、とりやめる。「東大入試プレ」など個別大学志願者向け模試は、存続の方向で検討している。
   ▲

同じ業界に身を置く者としては、複雑な思いだ。
大きなライバルが撤退すると同時に、予備校業界がここまで深刻な状態になっていると知り、身の引き締まる思いもある。

しかも、代々木の模試データは、河合塾・駿台と並び、大学受験の進路指導には、不可欠のデータである。
難関狙いの受験生が受ける駿台模試や、MARCH以上の有名大学受験生が多く受ける河合塾模試と比べ、代ゼミ模試は日本中の多くの一般受験生が受け、受験生母集団が極めて大きい。

少子化が進み、大手は大丈夫かという噂は、ずっと以前からあった。

振り返ってみれば、子供の数が多くなってきたころ、代々木は全国展開を始めた。他の予備校も後を追った。設備投資などしても、ほとんど数年で回収できると言われた。

講師の集めにくい校舎には、サテライトを使って、他校舎の授業を衛星放送で流すことまでした。有名な講師の授業はビデオに撮り、ライブラリーに保管して受験生に貸し出しもした。

予備校の出費のほとんどは、人件費である。他に、通信費、光熱費、コピー料金、コピー機・PCなどのリース料、家賃などがあるが、これらは支出全体の1割にもいかない。

これに加え、代々木など総合予備校は、参考書など固有の出版物をもつ。校舎に行けば、そこらじゅうに、ただで持っていっていい冊子・新聞・案内などが山積されている。

代々木が放漫経営だったわけではない。いつか縮小する日はくるだろうと、誰しも思っていた。
校舎統合・廃止は、その第一報だった。
大手は小回りが効かないので、大都市圏のみ残して、あとはどこかに売却か廃止するだろうなと思っていた。

ただ、その廃止・統合のしかたは、あまりに大胆で仰天した。
経営陣としても、断腸の思いであったろう。

それにつづく、模試の廃止は、さすがに仰天した。
模試には、そのデータ分析が付いてくる。そこまで含んだ受験料だ。センターはじめ、総合的な模試を実施しないことで、相当の節約をせざるをえなくなった。
そこまで来ていたということだ。

数年前、かつて一時期籍を置いていたSAPIXを買収した。
中学受験では定評ある進学塾であり、保護者の職業欄には、有名企業や弁護士・医者・裁判所・中央省庁が並んでいた。

少子化の波はあっても、この層の受験生数は、全く変化しない。だから経営不振というわけでもなかったが、なぜか代々木の傘下に入った。
当時の経営陣は、今から思えば、傘下に入ったことを後悔しているだろう。

代々木が敗退することで、河合塾や駿台は、模試受験生を増やすことになるだろう。受験料収入は増えるが、問題は質の低下だ。偏差値の出し方など、手を加える必要が出てくる。

予備校のデータは、非常に信頼できるものだ。12月頃の模試データは、ほとんど受験本番のとおりとなっている。代々木の模試は、本番の入試に近い出題が多かった。模試とほとんど同じ問題が出たときもある。

私のところは家庭教師センターだから、小学生から浪人生までいるのだが、やはり大学受験の比率は高い。国立や難関私大、医学部受験が多いので、河合塾・駿台、その他医学系の予備校に通う者も多いが、模試はやはり、大手のものを受けないと、自分の位置を正確に掴めない。

幸い、総合模試は河合塾・駿台が多いが、代々木を受けさせる場合もある。
その河合塾も、内実は代々木に近いだろう。

受験データがなくなるというのは、校舎の縮小どころではない。
代々木も、校舎の縮小はやむを得ないとしても、模試の廃止は避けてほしかった。

校舎の縮小だけでなく、模試を廃止するということは、予備校の使命を半分終えるに等しいことだ。残念だ。

代々木の模試を私も受けてきたし、予備校ということを離れれば、一抹の寂しさを感じる。

2014年8月13日 (水)

靖国神社参拝

8月3日(日)に続き、今月二回めの参拝となりました。

あさっての終戦の日は仕事なので、今日、出かけてきました。

平日の昼頃の参拝でしたが、すでにマイカーなどがあふれており、大型バスのナンバーも、栃木、伊豆、遠くは姫路もあり、全国から参拝者が参集していることがわかります。

夏休みであり、お盆であることを考慮しても、この曜日・この時間にしては、多くの参拝者が来ていました。
拝殿前は、10m近く並ぶほどです。

今日、特にうれしかったのは、親子連れと生徒同士の姿が目立ったことです。

子どもは小学生くらいで、お父さんと、また、両親と来ていました。

中学生は、男子同士が多く、中に10人ほごの男女で参拝している姿も見られました。

大手水舎では、初めてなのか。仲間同士で、手水の順を話したり、拝殿前では、注意書きに基づいて、参拝していました。
大変、ほほえましい姿です。

お年寄りの姿も多かったです。
車椅子を孫が押している姿もありました。

気のせいかも知れませんが、今日の参拝者はみな、きちんとした姿勢で、お参りしていたように思えます。
だらだらと、形だけの参拝をするのではなく、長く手を合わせていなくても、年寄りから子供まで、どこか凛とした風情がありました。

到着殿の前は、あさっての閣僚らの参拝を前にしてか、台を出すなど特別な準備に追われていました。

いつも見ないのですが、願いをこめたお札を読みました。苦笑いしそうなものもありました。

神社側の注意書きの看板が、あちらこちらに立てられていました。

こんな看板は、せめて一箇所で済むようなありかたが望ましいのです。

平穏のうちに、終戦の日の人々の祈りが、英霊に届きますように。

2014年8月12日 (火)

清掃は日本の文化

掃除は日本の文化だ、と言ったら言い過ぎだろうか。

正確には「清掃」と呼ぶべきだろう。

愛国者は清掃する。愛国者でない者、愛国に関心のない者は、清掃しない。これも言い過ぎだろうか。

どうも、言い過ぎでもないようだ。<連中>の去ったあとは、ペットボトルや紙くずが散らかっているという。少なくとも、愛国者でない者は、清掃が嫌いなようだ。

普天間基地の周辺で、自称平和団体が集会を開けば、その後にはゴミが散らかり放題で、結局は近所の住民がそれを片付けるという。
反原発集会が開かれたあとも、散らかったゴミの後始末をするのは地元の人々で、マスメディアが煽るほどに地元の住民は、そうした集会に関心を示さない。

マスコミは無駄で空しい電波を飛ばすだけで、地元の人々にとってサヨク集会はほとんど迷惑であり、顰蹙もの以外の何ものでもないようだ。
それは、集会のあとのゴミの山に閉口しているからである。

掃除をしない、ということは、どうも日本の文化や伝統に照らすとき、どうもそれにそぐわないような気がしてならなかった。日本人は本来、きちんと清掃する民族のはずだ。
清めるというおこないは神道に由来するにしても、それを伝統として庶民生活のなかに導き入れてきたのは、民族の心というものだろう。

どこに国の人間でも片付けくらいするだろう。といって、どこの国の民族も、日本人と同じ感覚で清掃をしているのだろうか。
単に片付けるというだけではなく、清めるという心掛けが活かされているのが、日本のいわゆる「清掃」なのではないか。

どんなに立派な料理屋やレストランでも、入ったばかりの丁稚が行うのは、まず清掃である。
神社や寺での修行も、入門したばかりの小僧が初めにおこなうのは、厠(かわや)や廊下の清掃や落ち葉集めと聞く。

職場にも公共の施設にも、ほとんどのビルには、清掃する人がいる。
家庭でも、毎日清掃は行われるし、休日には家族で掃除することも多い。お父さんだけゴロゴロしているわけにはいかない。年末にはどの家でも、大掃除をする。

小学生のころ、学校に行かない日曜は、玄関の掃除は私の役割であった。あとから、父の黒い靴に靴墨を塗って磨くの役割も加わった。
やがて弟がそれに代わり、私はどぶ掃除になった。あの頃は、各家の前にはどぶがあり、覆ってもいないので、落ち葉などが溜まる。それを小ぶりのスコップで掬い上げるのだった。

私の在学した中学高校も、実によく掃除をおこなっていた。新任の教員が、この学校は掃除が好きだね、と驚くほどに掃除が多かった。たしかにそう思う。

何しろ、四月に配られる一年間の行事予定表に、テストや体育祭、避難訓練などの予定とともに、清掃の予定が入っているのだ。
前期後期の二期制なので、各期の終わりと始まりには、大掃除がある。夏休みと冬休みが終わって始業式のあとは、これも大掃除だ。中間試験・期末試験などが終わると、中掃除がある。毎日おこなうのは、小掃除、つまりふつうの掃除ということだ。

新年度になると、各自雑巾二枚を提出しなければならなかった。
倉庫には、ほうきやちりとり、モップや洗剤、そして膨大な数の雑巾があった。四月に提出された雑巾は、年数回の大掃除のときに使うのだ。

この学校には、朝晩に国旗掲揚と降納があった。同時に、全館放送で、歌詞のない国歌が流れる。そのときは、校内のどこにいても、国旗掲揚塔のある方向に向いて直立不動しなければならない。着帽している生徒は、脱帽しなければならない。放送の国歌に歌詞がないのは、これを聴く者が歌う(口ずさむ)ためであるとされた。
桐蔭学園という学校(横浜市青葉区鉄町)だ。

私が中学に入学したときは、まだ二期生であった。開校時から、7年前に亡くなるまで、一貫して校長の職にあったのは鵜川昇であった。その間、理事長を兼務し、桐蔭学園横浜大学を開校したときも学長となり、権力の集中と言われた。
いろいろエピソードを残した人物ではあったが、今から思うと、能力別クラスを昭和41年中学開校時から実施するなど、学習面からも先見の明があったと言われる。
後に、自民党かながわ政治大学校の校長も務めている。

鵜川も軍隊経験があるが、私たちの中学1年のとき担任となった教師は、予科練にいた人物で、訓練中に終戦を迎えていた。この教師がホームルームでよく話したのが「海軍五省」であった。悪い生徒は、よくひっぱたかれていた。叩かれるのはいつも同じ生徒で、そのビンタの威力はすさまじかった。中学生くらいだと、生徒は5メートルくらい吹っ飛ばされるのだ。

当時、われわれ生徒は、こういう学校の方針に驚いたが、こういうものだとして教育された。小学校でも、おばあさん先生が、「君が代」の歌の指導に当たっていたのは、以前書いたとおりだ。

それにしても、中学高校在学中に、毎朝毎晩、国旗掲揚降納と国歌の放送があるというのは、今から思えば、よき訓練を与えられたと思う。これによって、私どもが愛国者になったのではない。
私自身も、大学で、マルクスや社会主義経済などを読んだし、サルトルに傾倒することもあった。一方で、ヒトラーの『我が闘争』も面白半分に読んでいた。

しかし、それからだいぶ経って、政治に関心が向き、漠然と思っていた国家というものが、実体として考えられるようになってきた。
そうすると、お花見として春には必ず訪れる靖国神社や千鳥が淵が、新たな意味をもって、つまり、正確な意味をもって、意識されるようになった。

そうなって初めて、中学高校時代の国旗掲揚や国歌の放送が、これもまた正確な意味を帯びて、意識されるようになったのだ。
それゆえ、今となって、国歌というものは、いい加減に歌うものではない、と確信するに至った。

閑話休題。

清掃をするのは、きれいにするためである。
つまり、きれいであることに価値を見出しているのである。

きれいにする前の状態は、汚(きたな)いのだ、汚(よご)れているのだ。
汚れをきれいにする以上に、日本でいう清掃には、汚(けが)れ(=穢れ)を清める、という心のはたらきがあるように思う。

日本人の民俗(民族ではなく)概念に、ハレ・ケ・ケガレというものがある。柳田國男や和歌森太郎が唱えて、よく知られるようになった。

オットー『聖なるもの』、エリアーデ『聖と俗』、デュルケム『宗教生活の原初形態』といった著書名は、宗教学専攻でなくとも、文科系に進んだ学生なら、一度は聞いたことがあるだろう。
しかし、ハレ・ケ・ケガレは、いかにも西洋風の、相対立する概念ではない。
日本社会における、極めて日常的な、現世における世界観だ。

ハレは、まさに「晴れ」にも通じるが、ケが「日常」の俗なる状態であるのに対し、晴れがましい「非日常」のことだ。結婚式には晴れ着を着る。初めて子供が学芸会の舞台に立つとき、それが主役でなくても、その子の家庭では、今日のその舞台は晴れ舞台となる。

ケには「褻」という字を当てる。これは猥褻の「褻」だ。

ハレとケは、時間の観念でもあり、ハレの時間以外はケだ。ケ(日常)が続くうちに、そこに活力や生きがいが見出されなくなるころ、ちょうどよい具合にハレのときがやってくる。そしてまた活力やエネルギーを蓄えて、ケが続行していくと言われている。

だからハレとは、心機一転するときの節目にもなる。
友人や自分の結婚式やピアノ発表会などがなくとも、祭事や年中行事は、決まってやってくる。入学式・卒業式・春分・秋分・節分・雛祭り・端午の節句・彼岸・盆・七五三など、思い出せばかなりあるものだ。

ハレを迎える前で、ケの活力がなくなりつつ(涸れつつ)あるとき、これをケガレ(褻・涸れ)という。日常性の活力が失われる状態が長続きするのは、心身の健康や、その人の家族相互・友人相互にとっても、芳(かんば)しいことではない。

逆の見方をするならば、必ずやってくる年中行事というハレの日にさえ無関心のまま、日々ケがカレた状態が続いていくことを不思議に思わないということは、心身ともに活力を失い、至って不健康な状態が続くということだ。

この考えによるなら、祭事に関心もなく年中行事にも無関心である人間は、ケガレたままの生活を営みつづけざるを得ないことになる。

祭事に関心もなく年中行事にも無関心である人間とは誰か。いわば、自称サヨクの連中そのものではないか。日本の祭事や行事に関心がないというのは、愛国心がないというに等しい。
サヨクが不潔であり、汚れというものに無頓着であるのは、こういうセオリーで一丁両断にできるのではないかと思うのだ。

個人レベルの話は置くとして、自称サヨク連中がサヨクとして行動するとき、その後の光景を含め、こうしたセオリーが当てはまる。

彼らは伝統的な行事としての祭や歳時に関心なく、思いを馳せることもなく、あたかも自分らが主役のようになって、祭に類似した行為、…例えば、鐘・太鼓といった鳴りものを鳴らす、それもただ音響や音を大きくする、声を張り上げて歌い、適当なダンスを踊る、文房具のような衣装を身につける、意図的に厚化粧したりカラフルな髪色にする、など…をおこなっても、その貧弱で格式のないぶざまな姿を、公衆に見せるだけだ。
そのまがいものの祭事類似行為には、文化的・精神的意味など、少しもない。

これぞまさに、ケガレの姿そのものである。
日常の活力を、ハレという日や時間で回復させようという心掛けはない。いやむしろこれは、生活者が無意識に時間の流れのなかでおこなうことであって、心掛けるといったことではないかもしれない。

だが、多くの日本人が、日本の文化のなかで、つまり、ハレ・ケという時間の流れのなかで、努めて、ケガレというものからは遠ざかろうとしてきた。
ケガレはやがて、汚れ・穢れ、とも書くようになった。ハレを迎えない状態は、単に汚いのではなく、穢れを意味するのである。ケガレは本来、価値のない忌み嫌われる時間だ。

身を清める、という表現がある。ある重大なことを決行する前に、風呂に入り、身を清め、真新しい下着をつける。ハレの日を迎える人間は、おそらく自然とそうした行動をするであろう。

清掃は、単なる片付けや掃除ではなく、心を清めるという作用をもつことを、伝統的に日本人は心得ているのだ。

日本の美しい川を流れる水を沸かして、その風呂に入ることから、その水を無駄にしないように使って清掃をおこなうにいたるまで、その過程のすべてに、ケガレを忌み、ハレを待つという日本民族の魂を垣間見ることができる。

水だけではなく塩も、儀式には欠かせぬものだ。
神前には米や酒とともに、塩を盛る。塩は清めの道具だ。国技である相撲では、塩を撒く。飲食店の入り口両側に、盛り塩が置かれていることもある。不祝儀帰りには、塩を撒いてもらう。

こうして、清掃は、その場を清め、或いは、心機一転して精神を戒める原点ともなる。
靖国神社では、あさなぎの若者たちが、定期的に清掃をおこなっている。先だっても、日本を美しくする会・各地区掃除に学ぶ会のメンバーと有志の教師たちが、靖国神社のトイレを清掃して回った(「靖国神社に学ぶ教師塾」 (靖国神社・会報「靖國」平成26年8月号より抜粋) http://bit.ly/1qDuoeT @syuya_yui)。

ピアノを弾く前に、ピアノを拭く。仕事の前に、机上を拭く。食事の前に、卓上を拭く。汚れた障子は張り替える、掃除機をかける・・・などなど、清掃は毎日の積み重ねであり、誰もがおこなうことであり、日常のひとこまである。
掃除のあとに、それぞれ、本題が始まるわけだ。

それでも、このささやかな繰り返しが、日本民族の精神の表出であるならば、心を清めるという意識をもって、清掃をつづけたいと思う。
正確な日本語を使えない人間が増えたときと同様、清掃しない人間が巷にあふれるようになったとき、日本は亡国になってしまうかもしれない。

学校では、清掃を業者にまかせるところもある。けしからんことだ。自分たちのいる場所を自分たちで清掃するのはあたりまえのことだ。
サービス業の意味を取り違えることにより、学徒から、義務感なり奉仕の心意気といったものを奪ってしまうようでは、もはや教育の場とは言えない。

2014年8月 9日 (土)

被爆者という蓑をかぶるサヨク

平和への誓い 首相姿勢を批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3003258
<長崎原爆の日>「誓い」の城臺さん「武力で平和守るの?」 (以下に全文引用▼~▲)
 
      ▼
◇閣議決定した集団的自衛権行使容認、安倍首相姿勢を批判
 9日に69回目の「原爆の日」を迎えた被爆地・長崎。「日本の平和を武力で守ろうと言うのですか」。平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた長崎市三川町の城臺(じょうだい)美弥子さん(75)。7月に安倍晋三政権が閣議決定した集団的自衛権の行使容認を「日本国憲法を踏みにじる暴挙」と批判し「被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください」と訴えた。
 城臺さんは6歳の時、長崎市立山町(爆心地から約2.4キロ)にある祖母の家で被爆した。隣家の友人から「みやちゃん、遊ぼう」と呼ばれた瞬間、空に閃光(せんこう)が走った。爆風で飛ばされ、床下から助け出されるまで気を失っていたという。
 小学校教諭を退職後、語り部の活動を続けてきた。城臺さんの目には、集団的自衛権行使容認や、武器輸出三原則の緩和を進めた安倍政権の動きは危うく映る。「戦争は戦争を呼ぶ。若者や子どもを脅かさないで」。城臺さんは、安倍首相らを前に言葉をつないだ。
 誓いでは、核兵器禁止条約の早期実現に向け、日本政府は世界のリーダーとなる義務があると主張した。そして「再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください」と呼びかけ、平和な世界への願いを語った。
      ▲
「誓い」の城臺さん「武力で平和守るの?」
「そのとおりです!」としか言えません。
平和とは、今が平和だからと事なかれ主義を貫こうと意地になることではなく、相手のあることとして積極的に創り出すものであります。
少し前、長崎の語り部の年寄りが、実は売国奴であったことが明るみに出ました。
<参考>
「死に損ないのクソジジイ」と言われた語り部は、売国奴だった 
この城臺美弥子という人も、元小学校教員で語り部をしており、おまけに「NAZENながさき」のシンパですね。
どうして、被爆地の人たちは、純粋に平和を祈願するということができないのでしょう。
勿論、祈りだけでは何も解決されませんが、被爆者として・遺族として、亡き者に手を合わせ、純粋に平和を希求するという姿は、それだけに美しい心の現れでもあり、そういう姿から、いまを生きる人々が、平和についていろいろと考えることになると思うのです。
ところが、被爆地の住民は、被爆者であっても遺族であっても、ほとんど日共系の団体に絡み取られ、政治がらみとなっています。
政治がらみであるなら、ただ待っていても平和は持続するわけではないから、創り出そうという発想にならなければいけないわけですが、そういう動きが地元で起きても、それを潰そうと動きます。
被爆者なり遺族なりという言葉を借りて、その蓑に隠れてサヨクに加担し応援するという姿に、どんな年寄りであろうと、同情することはできません。
また、彼らを利用し、巧みに操り、本来の清らかな祈りからは程遠い政争の具にしようとするサヨク系政党なりマスメディアなりには、売国臭とともに下品さを覚えます。
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2014年8月 6日 (水)

映画 『安城家の舞踏会』

監督:吉村公三郎、脚本:新藤兼人、撮影:生方敏夫、音楽:木下忠司、照明:加藤政雄、編集:杉原よ志、劇中音楽演奏:松竹管弦楽団、主演:原節子、滝沢修、森雅之、1947年(昭和22年)、89分、モノクロ。

久しぶりに観た。本編では『安城家の舞踏會』である。
華族制度は、戦後民主主義のもと廃止された。伯爵家である安城(あんじょう)家もその運命にあった。
安城家当主・安城忠彦(滝沢修)の長女・昭子(逢初夢子)は、せめてもの思い出にと、舞踏会を開くことを提案する。末娘・安城敦子(原節子)はいい顔をせず、放蕩息子である兄・正彦(森雅之)は、傍観するばかりだ。

他方、忠彦は、安城家の名を借りてのし上がった新川龍三郎(清水将夫)に借金があり、新川は安城家の屋敷を手に入れようと企んでいた。新川の娘・曜子(津島恵子)は、正彦の許嫁になっていた。

元安城家で車の運転手をしていた遠山庫吉(神田隆)は、出戻りである昭子を今でも慕っていた。今では運送会社の社長を務め、金回りもいいので、この屋敷を手に入れようとしていた。

敦子は、昔からの馴染みであり人柄もいい遠山の申し出を受け、遠山にこの屋敷を売るべきだとするが、父・忠彦は華族の生活と誇りを捨てきれず、新川に掛け合ってみると言う。

結局、父や姉のいうとおり、多くの人々を招いて、舞踏会が開かれる。
そこには、新川や曜子、遠山の姿もあり、忠彦の二号・千代(村田知英子)の姿もあった。連れ合いを亡くした父のために、敦子が呼んだのである。・・・・・・

新藤兼人がまだ脚本を書いており、『ひめゆりの塔』などで知られる津島恵子の21歳のデビュー作でもあり、さすがに時代を感じる。のちに悪役で有名になる神田隆もまだスマートで、いい役柄を引き受けている。
『羅生門』『浮雲』などで知られ、どんな役柄にも豹変すると言われる森雅之は、この作品で一躍有名になる。
ほかに、旅館の女中役など『男はつらいよ』でおなじみになる谷よしのも、招待客の一人としてセリフがある。殿山泰司も、安城家一家を見守る忠実な家令・吉田を演じている。

本作はキネマ旬報ベストテン1位となったが、その綿密なつくり、芸術性からして、今でも色褪せることのない作品だ。特に、一定のテンポをもったストーリー展開、意欲的な照明、カメラ、細やかな演出が注目に値し、それによって、廃止される華族の悲劇・やりきれなさ・心の相克といったものを、しっかり描写することに成功している。

この映画を観終わって、果たしてこれが、わずか89分の映画だったろうかと驚くほどに、時間的に充実した作品である。
空間的には、伯爵家の拾い居間や階段、居室、舞踏会会場などが用意されるほか、壁にかかる絵画、ピアノ、ベッド、テーブル、イス、グラス、葉巻、鳥かごと小鳥といった小道具に至るまで、細大漏らさず意欲的に行き届いてる。
音楽はショパンのエチュードなどが使われるが、タイトルバックと舞踏会の演奏は松竹管弦楽団によっている。

始まりは、あたかも舞台劇のようでもあるが、反対側からの撮影を重ねていくのは、やはり映画でしかできないことだ。階段を昇り切ったところから、階下の舞踏会場を見下ろすカメラ、肝心なところでは、ツーショットになる人物をやや下から仰角にとらえるカメラなど、数々の工夫もあり、内容とは別に、そういったテクニカルなところに気が付いて、ついニンマリとしてしまうシーンも多い。

主演の原節子は、すでに映画経験があり、配役では東宝となってるが、直前にフリーとなり、この松竹映画に出ている。戦後間もない作品でもあり、滝沢修ら民藝の舞台俳優と映画俳優が合同で出来上がった作品だ。

作品のテーマは、安城家の悲劇を過去への未練にのみ追うのではなく、古い制度を捨てて、あしたから新しい生活を始めるべきだ、とする希望へと開かれている。華族廃止をむしろ、前向きにとらえようとしている。

その牽引役は安城敦子であり、演じる原節子の信念を秘めた安定感のある容貌と清楚で確かな演技により、この狙いどおりとなっている。最後の舞踏会とはいえ、また、妻を亡くした身とはいえ、忠彦のために二号さんを招くというあたりも、当時としては先進的なストーリーであったろう。
敦子の役柄は中軸であり、ファーストシーンは原節子が振り返るシーン、ラストシーンは原節子のアップで終わる。
この冒頭の居間でのシーンは、観る者を一気に引き込むだけのカメラワークと演出が盛りだくさんだ。

この作品の映画としての圧巻は、舞踏会よりむしろ、舞踏会が終わったあとにある。
多数の人が集まり、華麗でにぎやかな舞踏会が終わると、そのガランとした広間は寂しい空間だ。
忠彦と敦子が、そこで、ダンスを踊ることになる。この数日のうちに、そして、舞踏会当日に、いろいろなことがあった二人だが、この親子の踊るシーンは美しい。ここにすでに、華族終焉の悲劇のにおいは消え去られている。

こういう作品が、戦後間もないころ、映画の職人たちや俳優たちによってつくられ、日本に希望をもたらしたのだろう。
この映画には、技術的にもかなり学ぶところが多い。難しいテーマであるが、それを演出やカメラ、タイミングで、実にうまく表現している。

映画に無関心な人は別として、いま、映画を作っている人々やこれから作ろうとしている専門学校の生徒などは、こういう映画を観ているのだろうか。日本の映画の宝でもある。
最新鋭の機器の操作ばかりに習熟せず、同じ日本人として、古くてもよい作品は観ておいてほしいものだ。

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2014年8月 4日 (月)

サヨクに飼い馴らされた住民~吉祥寺を例に

最近、ツイートしたものです。

▼日本人が日本の国のことを考えず、伝統的な礼儀や秩序を顧みなくなったとき、日本はおしまいになるだろう。それは戦後、アメリカが、日本が二度と「日本精神」を取り戻すことのないよう画策した結果である。まだ安保は堅持される必要があるが、それはアメリカに追随するという意味ではない。▲

後半は、相手国あってのことだが、前半は言わば「身内」のできごとだ。

図らずも、去年夏から仕事で、御茶ノ水~吉祥寺~国立に通うことになった。現在は吉祥寺専属である。
仕事で中央線を使うことになったのは、生まれて初めてで、中央線の脆弱さには、初め随分と驚いた。人身事故はしかたないとしても、時間通り走ることはほとんどない。どこかで機械が故障すると、5分以上遅れるのはふつうで、それが二日に一度はある。中央本線も同じ軌道を走るので、その影響も大きい。

雪の日も同じで、二回めの大雪のときも、一回目の教訓は、ほとんど活かされていない。
それでも、利用者はこの線を使わざるをえず、黙って耐えるしかない。利用者もおとなしくなった、いや、「飼い馴らされた」ものだと思う。

選挙区に注目すると、杉並区、武蔵野市、三鷹市、国分寺市、国立市と、どちらかと言えば、左派の強い自治体が並ぶ。安倍政権発足後は必ずしもそうでなくなったが、依然として何人かの反日政治家は議席を占めている。

立川と国分寺の間にできたから「国立」というのだが、国立では毎朝、共産党の広報車が、一度は駅前を走り抜ける、同じ時間に近くのビルにいるからわかるのだ。
御茶ノ水駅前でも、以前書いたとおり、元をたどれば共産党にいきつく団体が、必ず署名活動をおこなっている。ちなみに、日本ボランティア会という詐欺募金集団は、御茶ノ水に限らず、水道橋、池袋東口に、毎日立っている。

昨年の都議選で、自民党に次いで「勝利した」共産党は、勢いが盛んになっている。いろいろなところで、自称サヨクどものネジを巻き、資金を提供しているのは明らかだ。

かつて、過激派のアジトは、多く中央線沿線、特に杉並区はじめ三多摩方面にあった。一本で東京駅まで出られ、人口密集地を通過する中央線は、便利だったに違いない。
杉並区、武蔵野市、三鷹市などをちょっと奥へ歩けば、一方通行が碁盤の目のように走り、賃貸アパートやマンションが密集している。匿名性を保つには好都合だ。

武蔵野市の中心は、吉祥寺である。漫画家の大友克洋さんも住んでいる。
若者に大人気の街であると同時に、年寄りもかなり多い土地である。日本の縮図でもある。

一時間の休憩時に、外を歩くのだが、歴代、若者に人気の街、という面以外に、やはり皮膚感覚として、サヨクの土壌だなと感じる。
これはもちろん主観であるのだが、国立と同じようなサヨク的な臭いがするのだ。

それは、何かにつけ、狭い駅前で、素人によるへたなコンサートがあるなど、商店街がお膳立てしたお祭り騒ぎが好きということもあるが、問題は、街を行き交う人々の顔つきである。

地域で区別するのはどうかと思うが、明らかに、浅草や上野、日暮里といった下町や、渋谷や新宿、池袋といった繁華街とは、異なって見えるのだ。渋谷と吉祥寺は井の頭線で一本だが、それでも雰囲気は違う。

東京というのは、その9割以上が東京以外からの転入者であり、山本太郎が当選したからといって東京人だけが選んでいるわけではない。
渋谷は東京を代表する繁華街のひとつだが、それでも吉祥寺とは違った顔がある。

吉祥寺も転入者は多いのだが、要するに、ボケづらが多いのだ。
この場合、ボケといっても、無知な単細胞で血の気が多いボケという意味ではない。それなら、まだいいのだ。

自分では考えず人任せ、そのクセ、何かあれば、その場でとってつけた屁理屈で、まくしたてそうな顔が多い。これは単純なボケではなく、自分の範疇としてはアホづらだ。
物事を自分で考えない顔というのは、すぐわかる。

夏冬にかかわらず、服装がだらしない。特に男で、若い連中と年寄りがだらしない。彼らは目的がないかのようで、ある方向へと歩かない。立ち止まったり、自分も歩いているのに人を見たりして、うろうろしている。自転車に乗っていても同じだ。
平日の昼間でもあり、失業者なのか、たまたまその日が休みなのか…。

自称サヨクは、なぜあのように、身だしなみが汚いのか。おそらく、汚いということ自体に、アイデンティティを感じているからである。汚い状態が好きで、それは「私は偉ぶっていない」というパーフォーマンスなのだ。だから、肩肘張らずに、仲良くなろうよ、というわけだ。

この発想は、かつてセクト単位で動いていた過激派サヨク学生とそっくりである。汚い格好に、汚いタオルやマスクをかけていることが、「革命の士」ということだ。そのうえ三白眼で口角泡を飛ばすのだ。

サヨクには、何となく、汚い・ゴミを出しても片付けない・絶叫が好き、といったイメージがある。実際そうなのだろう。これは、韓国人の特性と似ている。

婦人にはまた、妙な気取りがある。東横線、田園都市線沿線の若いお気取りママやざーます三越オバサンとはまた違った、言葉でいいにくい気取った風がある。

彼ら彼女らにはまた、表からは見えない共通点もある。総じて顔色が悪いのは、夜更かしなど不規則な生活や、ヤケ酒からくる肝臓疾患、あるいは何らかの胃腸病に冒されているのではないか。
これまたかつてのセクトで動いていた過激派学生と似ている。

目的があって東京に出てきたのか、そうでもないのか…家賃は23区内より安いせいもあり、若い人は密集するのだろう。
彼らにまだ政治的関心がなくてもしかたないのかも知れない。が、関心をもつように勧めるのが前からいたサヨクであり、毎週のように駅前でサヨクの都議会議員・区議会議員がマイクで話していれば、いつのまにか「飼い馴らされて」しまうのだろう。

アーケード街でも歩道でも、とにかく音の出ている街だ。ドラッグストア、コンタクトレンズ、パン屋などが、常時絶叫しまくっている。
一日中こうした騒然とした街に、落ち着いて国のことを考えるような住民じたいが育たないのだろうと思われる。

自分で考えることを無意識のうちに放棄し、JRに飼い馴らされ、騒音に飼い馴らされ、これを不思議であり異様であるとも感じなくなった、その意味でおとなしい人間たち…こういう人間のありかたは、最低限に抑えなくてはならないだろう。

来年への課題 (平成25年12月29日)

昨年の12月28日(金)、こんな日記を書いていたのですね。

呆れて物も言えない中日新聞の安倍総裁揶揄
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1886412427&owner_id=48430274

次元の低い人々による、、次元の低いコメントが、たくさん並んでいました。

安倍首相の一年を振り返った動画などを見ると、連休や週末を返上してまで、日本国民のために働いてくれたと思っています。

安倍政権の政策や方針のすべてに賛同できるかはまた、来年以降の動きを見ていかないといけませんが、少なくとも、目的を達成しようと、真剣に一直線に進んでいることは明らかで、その政治姿勢は評価できると思います。

代替案を語れない口先サヨクや野党、学者、評論家などは、もう相手にしていないといった雰囲気で、これぞ政治家の亀鑑であろうと思うのです。

民主政権により、自民党はいわば、お灸を据えられた格好になりましたが、その反省を込めて、「マジ」に進んでいるという姿勢そのものに好感をもてます。

靖国神社を参拝しないままで画竜点睛を欠くような気がかりがありましたが、英断をもって参拝されたことに、心から感謝したいと思います。

真剣に、一筋に、前へ進んでいる人間の姿には、冒(おか)しがたいオーラというものがあります。
靖国参拝に対するマスコミの論評も、そのオーラに負けて、吃(ども)りながらようやく無理に声を上げているような印象です。

各国の新聞の出す論評も、おおかた陳腐なもので、相手にすることもないでしょう。公然と批判している新聞の元をたどれば、その国において左傾新聞であり、シナ人が支配している新聞であったりします。
というより、そもそも新聞というのは、対象を批判しておもしろがるところで人気を誘い、売上をあげている業界なのです。彼らの没落した姿がペン乞食です。

来年の課題として、いくつか列挙したいと思います。
政府にはすでに計画があるでしょうが、それを現実のものとして、実行に移していってほしいものです。
くどいようですが、大きな思想転換なども、民主主義という政治形態のもとでは、法律として定着させねばなりません。新法を制定させるだけでなく、今ある法律を改正したり、廃止して全面的に改めるということも、立法に含まれます。

いろいろありますが、新たな立法に関して、以前からの念願として、

1.憲法を改正する(参考:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1841192104&owner_id=48430274

2.国旗国歌法を改正する(参考:http://mixi.jp/view_community.pl?from=home_joined_community&id=5955999http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1892829999&owner_id=48430274

3.少年法を廃止または改正する(参考:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1912204592&owner_id=48430274

があります。
これらは短期間では実現できないものばかりですが、それだけに、早めに着手されることを期待したいです。

これに関係しますが、日教組を糾弾し壊滅させていくという保守愛国側に共通の念願もあります。

日教組離れは毎年進んでいるようですが、それでも、自虐史観を押しつけることを信念とする害虫は、徹底的に駆除する必要があります。
これを何とか少しずつでも、解体にもっていかなければなりません。

解体といえば、NHKや反日メディアの存在を、亡きものにするということがあります。
すでに安倍政権は手を打ち始めていますが、マスコミでは相変わらず、第三の権力として、その一部に、エリート意識をもった青白き秀才のようなやからが、ペンをふるっています。

うそ新聞と検索すると「朝日新聞ではありませんか?」、と出てくるのはご愛嬌ですが、朝日の罪業は深いものがあり、これによって中韓が増長しはじめたことを忘れてはなりません。
この一年、朝日以上に病的な動きをしてきた毎日新聞も同罪です。

新聞の購読者は減っても、デジタルで契約すれば同じことです。読者は大きく減っているとは言えません。サヨクの動きや反日新聞の論調をみるために購読している人は別として、そのまま、その論調に煽られて信じてしまう読者には、警告が必要です。

整理します。

1.保守愛国の基盤づくりに必要な法を整備する。

2.日教組を解体し、意味をもたない組織とする。

3.反日売国メディアを無力化する。

どれも大きな課題ですが、すでに賽は投げられています。

ペンは剣より強し、という言葉があります。
そのペンを、反日・売国への扇動に使うのは邪道で、ペンの威力を履き違えていると言わざるをえません。

その同じペンで、私も自分なりに、保守愛国への道を進めていきたいと思います。
朝日や毎日の主筆ふぜいが書くような、ああした薄っぺらい内容には負けないつもりです。
その上、左党であっても右利きです。

呆れて物も言えない中日新聞の安倍総裁揶揄 (平成24年12月28日)

今日書かれたある方のブログを引用させていただきました。

中日新聞の安倍叩き
http://blog.goo.ne.jp/eliskym/e/cabc2e69b5ce6b2aa29bf6f1fa5022e2?__from=mixi
以下、一部引用(▼~▲)

  ▼
中日新聞の「有識者」

髙村薫(作家) 「そつなくまとめてみました内閣」
松本哉 「まぐれ敗者復活内閣」「期待度ゼロ内閣」

椎名千恵子 「福島圧殺内閣」
金子勝(慶大教授) 「逆戻り内閣」

大田昌秀(社民党、元沖縄県知事) 「改憲内閣」
北原みのり(エッセイスト) 「ネトウヨ内閣」

宮崎学(作家) 「国防軍オタク内閣」
森田実(政治評論家) 「極右はしゃぎすぎ内閣」

辛淑玉(人材育成コンサルタント) 「厚化粧内閣」
国分功一(高崎経済大准教授) 「学力低下内閣」

中日新聞を読んでいるのは極左化タコだな。
識者と言われてる人の発言とは思えませんね。こいつら、極左の特亜寄りの連中です。

自民党が圧勝したのは国民の意志。それをすべて批判してるといっていい。
つまり、こいつらは国民を足蹴にしたのだ。

中日新聞不買運動した方がいいと思います。
  ▲

Wikipediaによると、

中日新聞は、名古屋圏では圧倒的なシェアを誇っており、2010年12月現在、中日新聞単独部数は270万部(朝刊)、中日新聞東京本社が発行する東京新聞などを併せれば335万部(朝刊)に達し、全国第4位の部数を誇る。

2010年 朝日新聞社との提携で新聞相互委託印刷を行うことで基本合意。
同10月12日 北陸本社が石川県金沢市南町から、同市駅西本町の新社屋に移転。
同12月 旧東京本社跡地(港区港南)に再開発ビル「品川フロントビル」が完成。
同2011年8月 子供向け週刊新聞『中日こどもウイークリー』を創刊。

マイミクさんからの情報:

民主党愛知県総支部連合会代表・近藤昭一は、かつて文化事業局に勤務していた。今回の選挙で愛知3区では当選を果たせず、比例東海ブロックにて6選を果たす。

岡田克也実弟、高田昌也は、東京新聞政治部長であった。

北原みのりは、靖国神社境内で、裸を撮らせたクソビッチ。

松本哉(はじめ)は、福島みずほと親しい自称左翼活動家。法政大学夜間部法学部卒のアカ学生。逮捕歴あり。電化製品の取引を認めさせるデモを呼びかけ、家電を積極的に販売し、電気使用を推進する立場ではあるが、2011年に東日本大震災にて原発事故が発生すると、原発反対デモを突如インターネット上で呼びかけ、多くの若者が原発反対運動に参加し、その模様が大きく報道された。(wikipediaより)
つまり矛盾だらけのそのときだけの例の一発屋で、奇の衒(てら)ったことをして目立ちたいだけのバカ野郎。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

あるマイミクさんによると、まことに公衆トイレの壁のいたずら書きほどのくだらない書きようで、確かに開いた口がふさがらない。

いわば、記事も書けなくなったペン乞食記者たちが、自社の飼い犬ばかりを集めて、人目を引くような紙面を作っただけのことである。
まともな人間なら相手にしないはずだ。

愛知県、岐阜県などの人は、こうした紙面を見て、平気でいられるのだろうか。もしそうなら、民度を疑わなくてはいけない。東京新聞の読者も同じことだ。

どうでもいいアホは措くとして、ツイッターなどで、すぐその発言が広がるような人物は要注意だろう。

もちろん新聞という形態をとる以上、自民党本部や安倍総裁周辺も周知しているだろう。何らかの手を打っていくのだろうか。
それとも、あまりにばかばかしくて、相手にしないだろうか。

しかし、法律的な意味での善意(事情を知らない)の読者に、一方的な印象だけで、安倍氏を悪者・軽薄な人物とする印象操作にはなりうる。

安倍事務所・自民党本部におかれては、それなりの抗議をしてしかるべきだ。ましてや、岡田の兄弟の息がかかっているとすればなおさらだ。

サヨク学生については、とっくに公安がマークしているだろうが、アカ活動ばかりしている学生などは大学にいても迷惑なだけだから、今後は大学当局が文科省などと連携して、それらサヨク分子を先んじて排除していくべきである。

こんな青白きヘナチョコ学生の2~3匹なら、まだオレでも叩きのめせるぞ。

2014年8月 3日 (日)

「靖国神社に学ぶ教師塾」 (靖国神社・会報「靖國」平成26年8月号より抜粋)(2014/08/03)

今年三月、靖国神社に学ぶ教師塾と題し、その会員である教師らが、靖国神社のトイレを、素手で掃除し、その後、勉強会を実施した。

そのときのようすが寄稿されていたので、前半部分と、最後の一節を紹介します。

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「靖国神社に学ぶ教師塾」 (靖国神社・会報「靖國」平成26年8月号より抜粋)

寄稿 : 鍵山秀三郎 (イエローハット創業者)

創業以来続けている掃除に、多くの人が共鳴し、有志の方々により、平成五年、「日本を美しくする会」が発足。その後「日本を美しくする会・各地区掃除に学ぶ会」として全国規模で広がり、平成十九年にはNPO法人、平成二十二年に認定NPO(国税庁)の認可を受ける。同会の相談役として各地の掃除に学ぶ会に参加している。

私たちは、「右翼ではない、左翼でもない、仲よくです」という趣旨の下に、三月二十九日、靖国神社にて催された行事について、報告させていただ、きます。

参加してくださったのは、小中高大学の先生方八十名と、日本を美しくする会の会員三十名。「鍵山教師塾」と名付けられたこの勉強会は、この会を提唱された兵庫県の大谷育弘先生と埼玉県の村田陽先生の呼びかけに応じてくださった先生方によってこのたび誕生したもので、北海道から九州に至るまでの地域から駆けつけていただき、境内にあるトイレ男女合わせて十か所の掃除を行ないました。

朝五時、関西からのバスが到着、次々と参加者が姿を現わし、定刻前には全員が揃っていました。午前六時、開門を告げる太鼓の音が境内に力強く響くのを合図に、トイレ掃除に取りかかりました。私たちの活動は、トイレ掃除を素手で行なうことが特徴的で、先生方の中には初めての方もおられましたが、少しも躊躇することなく、しっかりと取り組んでくださって嬉しいことでした。

日頃、係の方が掃除をしておられますが、毎日大勢の参拝客が使うこともあり、掃除は追いついていないことが見てとれました。
先生方は汚れた便器にひるむことなく、積極的に取り組み、きれいに磨き上げてくださいました。換気扇や照明器具まで外して磨くという徹底した掃除でした。

七時三十分、作業終了、先生方は着替えを済ませて神社のご本殿に昇殿参拝し、二百四十六万六千余柱の英霊に、一人ひとり感謝の思いを込めてお参りをしました。

九時三十分、、靖国会館の一室で国旗を掲げ国歌斉唱をして、この日の勉強会が始まりました。私は、国歌斉唱に入る前に一つ、留意する点についてお話しようと思いましたが、思い止まりました。
それは、「さざれーいしのー」の一節についてでした。私の知る限り多くの人たちが、「さざれー」でブレスして「いしのー」と歌います。そのように歌わないよう注意しようと思いましたが、それは私の杞憂に終わりました。先生方は全員が音符通り正しく斉唱し、日頃から国歌斉唱にしっかり取り組んでくださっていることがわかり、とても嬉しゅうございました。
勉強会は昼食をはさんで、午後四時まで熱心に続けられました。

八十名の先生方が集合されれば、各々学校における立場が異なり、信条の違いもあることと思いましたが、会場は昔からの知己が寄り集まったかのような、和やかな雰囲気に包まれておりました。グループに分かれて意見を交わし、討議する場であっても、終始穏やかな空気が乱されることはありませんでした。

それは議論が「どっちが正しいか」ではなくて「何が正しいか」という本筋から外れなかったことによるものと思います。議論は日常何処にでもありますが、その殆んどが「どっちが正しいか」というものばかりです。果てしない不毛の議論からは何も生まれず、何も得ることはできません。いつの間にか議論をすることが目的になり、仕事になっていることが多くあります。
教師塾の先生方の話し合いは、「何が正しいか」から外れることはありませんでした。

ここで、参加された方の感想文をご紹介します。

(以下略)

私の今日までの体験からして、日本人が母国を守ろうとする意志を明確にするために、靖国神社への参拝をお勧めいたします。
八月十五日、百万人の方々が参拝されるようになれば、日本の国に確固たる国風が満ちると信じます。

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