« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »

2014年7月

2014年7月27日 (日)

映画 『モロッコ』

監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ、原作:ベノ・ヴィグニー『Amy Jolly』、撮影:リー・ガームス、編集:サム・ウィンストン、音楽:カール・ハヨス、主演:ゲイリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒ、音楽:カール・ハヨス 1930年(昭和5年)、92分、アメリカ映画、モノクロ、原題:Morocco

ゲイリー・クーパー、マレーネ・ディートリッヒともに29歳のときの作品。

仏領モロッコの街にアメリカからの外人部隊がやってくる。その一員であるトム(ゲイリー・クーパー)は、酒場の歌姫アミー(マレーネ・ディートリッヒ)に夢中になる。
アミーは船でモロッコに着いたばかりで、同じ船に乗ってきた富豪のラ・ペシェールも、彼女を狙い、やがて婚約にまでかこつけるのだが、…。

1930年といえば昭和5年で、日本で初めて字幕のついたトーキーとしても有名な作品。

灼熱の地の乾いた厚さ、エキゾチックなムード、ディートリッヒの退廃的な容姿、ゲイリー・クーパーの色男ぶり、これらが恋物語を、一層ジリジリと熱くする。

外人部隊の楽隊の演奏とアミーの歌声以外に、ほとんど音楽が入らず、しゃれた、無駄のない会話、大胆な横移動のカメラなど、故意に近い個性的な演出が見所だ(演出というのはすべと故意だけど)。

アミーの歌う酒場のステージのつくりはおもしろい。楽団が上にいて、将校たちの席は段々に並ぶ。トムら傭兵は下の席だ。

冒頭、船で着いたばかりのアミーがバッグを落とすと、それを拾うのはラ・ペシェールだ。そのあとの、波の音、汽笛の音、霧の中に佇むディートリッヒが美しい。

キザでかっこいいが、ストレートに物を言えないトム、トムに惹かれながらもラ・ペシェールにくどかれるアミー。映画としてはありふれた素材でありながら、ディートリッヒの目の動き、軽妙な会話、二人の立ち位置、タバコ、酒、指の挨拶などで、いろいろな恋のシーンを見せてくれる。

いよいよトムは戦地に移動しなければならない。トムがテーブルに彫った文字を見て、アミーの心は決まった。
トムのいる部隊のあとから、女たちが荷物を担ぎ、家畜を連れて、砂漠の中へと、部隊のあとを追う。

それを見ていたアミーは、ラ・ペシェールにキスをするも、女たちに混じって、部隊のあとを追う。砂漠に靴を脱ぎ捨てて歩いていくシーン、歩き方がいい。そのまま女たちの姿が、画面右上に消えていくラストシーンが心憎い。これほど印象深くかっこいいラストシーンは『第三の男』くらいだろう。

不良っぽくかっこいい恋男・恋女を描いた先駆的作品。日本の「カスバの女」に通ずる二人の出会いと運命が、砂漠に近い港町で待ち受けていた。あなたも私も買われた命…。

自分のなかでは、『望郷』(1931年)と並び、異国の恋を描いた映画の双璧となっている。『望郷』は仏領アルジェのカスバが舞台。『カサブランカ』はカサブランカが舞台。

運命の出会いと行きずりに咲くロマンティックな男女の夢(ゆめ)幻(まぼろし)の舞台は、モロッコ、カズバ、カサブランカといった、乾いた灼熱の地、港、酒場、がよく似合う。

One way ticket. Never Return.

D0117645_16415042

Img6137afb3zik3zj


Img_5


2014年7月24日 (木)

携帯電話の無料通話と社会秩序の退廃

こんなツイートをした。

* 全部無料の通話サービスはやめるべきだ。せいぜい、初めの1分無料で、あとは有料にするのがよい。それが、ひいては日本社会の秩序維持につながる。垂れ流し無料は、マナー違反、道徳の荒廃を生む。第一、商売として全額無料などということはありえず、そのツケは必ずどこかに回る。ツケ回しもマナー違反もまっぴらご免だ。

携帯電話で、同じ機種で一定の時間なら、いくら通話しても相互に無料になる、というサービスがある。
それを知って、親しい相手と同じ機種に買い替えたり、新たに買ったりする者も多いようだ。携帯の会社からすれば、そこを大きく宣伝し、そのとおりに顧客が購買するのだから、してやったりというところだろう。

財・サービスというのは、本来、代価の支払いがあって手に入れるという、債権債務の関係にある。だから、この無制限の無料通話は、その例外である。

私は、通話の無料サービスというのは、一種の毒であると思う。

個人的には昔から、代価を払わず、財・サービスを手に入れることに、どこか危険性を覚える。その場で済むようなことでも、何かしら、そういう広い意味でのサービスに、何か「いけないもの」を感じてしまう。あるいは、「近づきたくないもの」を感じる。

フランスのある社会学者が言ったように、世の中のすべては「交換」なのだ。「交換」でない場合があるとすれば、それは、「誇るべき奢り」なのである。
携帯各社に、「誇るべき奢り」といった太っ腹の、健やかな精神があるだろうか?…ない。
それなら、もっと他のところで、無料にするべきだろう。

ちょっとしたお菓子などはいいとして、少々まとまったような品物を、タダだから持っていけと言われても、大概断ってきた。何だかみじめだし、こちらが一点マイナスになるようで、そもそもイヤなのだ。

逆に、ただでカネを上げる、ということもしない。だから募金も、それなりの期間にきちんとしたバックがわかっている場合を除き、ほとんどしたことがない。

無料通話ができるとなると、それを使わなければ損だと思うのか、若者にしても年寄りにしても、のべつ幕なしで会話に興じている。時間も場所も選ばない。歩きながら、電車のなかで、レストランのなかで、バーで、神社境内(※)で、…どこでもかしこでも、電話する。

携帯が半年ごとに新機種を出し始めたころ、アドレスが500件まで登録できるものが出たとき、近所の豆腐屋の住所や電話番号まで登録した人がいた。
機械を使うのではなく、機械に使われるのだ。自分の考えや必要性からではなく、機械に自分を合わせているのだ。

無料通話が可能であっても、別にそれを利用している人ばかりではないだろう。
しかし、通話ばかりしている連中を見ると、そんなに話すことがあるのだろうか、と不思議でならない。

恋人同士なら、少しは理解したいと思うが、それなら会って話せばいいのではないか?
さきほどまでいっしょにいて、さんざん話してきて、それぞれ家に帰っても、また延々と話したいという心理はわかるつもりだ。用がなくても話す。話す内容より、話していることじたいが楽しいわけだ。
だが、これとても私には、けじめがないなあと映ってしまう。

無料の長電話をするにしても、あくまでプライベートな時間と空間でおこなわれるに限られるべきで、ただでさえ、悪しき平等主義が蔓延した日本社会では、時間や場所の公私の区別が失われ、どこであろうと通話の垂れ流しがおこなわれることになる。

ときどき駅で、おそらくスマートフォンで会話に夢中になっていたことが原因らしく、だいたいは若い娘と中年男か男同士が、いがみ合っているのを見かける。

駅の構内に入ったら、つまり、改札を入って出るまで、携帯は禁止にしてもいいと思うのだが、そうもいかないのだろうか。
それなら、こうした発明品の発売と同時に、モラル面で、国や鉄道会社は、先んじて、鉄道利用者に注意を促しておくべきだった。
それがなかったから、すべて後手に回るのだ。

やがて、スマートフォンに夢中になっていることをきっかけとして、大きな事件や事故が起きるだろう。そうした事件や事故で死亡者が出て、ようやく少しは、マナーが向上するのだろう。そうした殺人被害者や転落事故死者は、そういう意味で、初めて世の役に立つことになるのだ。

<時間・空間の公私の区別がつかない>+<無料で延々と通話できる機能を利用しない手はない>=日本社会の秩序の退廃を招来する

とみる。

もう少し突っ込んで言うなら、この式から浮き上がる動機や根性が気に喰わないのだ。

これは、秩序正しい大和民族の精神に違背するのではないか。
話が飛躍しているだろうか。飛躍していると思わない。オーバーな話とも思えない。

飲食や芸術といった文化の次元の問題は、また別次元のことかもしれない。
しかし、よく見れば、そこに必ず日本人の精神構造が垣間見られる現象については、やはり注意を喚起していかなければならないのではないか。

うまく言葉を尽くせていないのだが、正直、ちょっと違うだろ?というのが、無料通話を「楽しむ」人たちを見ての感想なのだ。

(※)かつて、靖国神社の拝殿前で、かかってきた携帯電話に出て、参拝もしないまま、大きな声で話し続ける会社員風の男がいた。

脇にいる警備員に、「注意しないのか?」と言ったが、もぞもぞ言ってるだけで、何もしなかった。靖国神社の警備員は、全員、元警視庁警察官である。それも、ただひたすら事なかれ主義で、「無事に」勤め上げてきた人ばかりだ。

こんなヤル気のない連中ばかりだから、韓国人に舐められ、小便されても、放火の準備をして外のトイレに隠れていても、発見できないのだ。いざというときは所轄の麹町警察署が来るからということもあろうが、神社から給与とボーナスを得ているからには、もっと真剣に警備しろと言いたい。このことは当時、社務所に伝達済みだ。

私は、靖国の警備員は、全員、心ある民間人にすべきと思う。

(※※フォトは参考)

ワシントンDCでの実験的取り組みだそうだ。秩序がない国は、これしかないだろう。日本でこんな歩道ができたら、日本崩壊の第一歩だと思う。こういう身近なところから、日本の秩序、民族の精神が侵食されていくのだから。

Btswvolciaasop5

2014年7月 8日 (火)

団塊世代奇形サヨクの好例

昨年平成25年年3月8日、ある高校生が、このような投書を写メして、批判ツイートしていた。
その週月曜の朝日新聞投書欄とのことだ。

「外国の要人が靖国神社におとずれているのを知らないのかな。わだかまりなくと言うが、それは左翼が勝手に作り出したものであって国の責任ではない。あと、世論調査で朝日でも半数以上が総理の靖国参拝に賛成してるから。どこの国の国民感情なのですか。」

この乙幡俊之というジジイを検索すると、東京新聞などいろいろなところに投書していることがわかる。ヒマなのであろう。

他の投書でははっきりとサヨクめいたものはないが、この投書内容は明らかに反日であるから、<連中>のひとりである。

戦没者慰霊のためになら、国立の追悼施設など要らん!また、あってはならない!

過去の経緯を考えず?・・・全く、サヨクバカとは、こういうジジイのことを言うのだ。
これはある意味、おのれが無知で、歴史音痴で、知ろうと努力していませんよ、と宣言しているようなものだ。

大震災犠牲者と靖国神社合祀の英霊とは、全く訳が違う。靖国神社のもつ意味を知らないか・考えていないか・あえて考えようとしないのか、のどれかであろう。
災害犠牲者の遺族にしたら、新宿という一カ所に集められたら迷惑だろう。

純粋な心とは何だ?
純粋に考えれば、戦没者も災害犠牲者もいっしょくたに集めるという発想は出てこないだろう。つまり、ジジイよ、あなたの心の奥に不純があると言わざるをえない。

よくもまあ、こんな恥知らずを披露できるものと思う。
さらに、朝日だから納得もするが、投書というのは、思想的なものは、得てして自分の新聞社のそれに合致したものを載せようとする。

新宿御苑などと有名な固有名詞を出して、いかにも反対だけでなく代案を出して得意げがっているのがわかる。俺のはただのアイデアじゃないよ、具体的なことまで考えているんだよ、と言わんばかりだ。

東京新聞や毎日新聞にも寄稿しており、さらに、公明新聞にも投書している。おそらく学会員だろう。→http://plaza.rakuten.co.jp/kyounosk/diary/200610010002/

別のところでは、こんなことも言っている。

「朴大統領、日本は歴史直視を 被害の立場は千年不変/産経新聞、
ざまぁとしか。日本人の神様は「世間の目」。「世界の目」ではないw不完全な神だな。加害国としての教育がほとんどない。もうちょっと世界標準にならないものか」

朝日新聞には、元号を否定する投稿もある。→
http://image01w.seesaawiki.jp/w/t/wkmt/22278485e238b1a5.pdf#search='%E4%B9%99%E5%B9%A1%E4%BF%8A%E4%B9%8B'

正体はバレている。
文面からして、コイツは間違いなく、元組合教師である。
小平市在住とは、まさに三多摩サヨクの一員だ。

断言する。コイツは東京にいながら、靖国神社には一度も参拝していない。
そして、団塊世代サヨクの典型である。

こういう元教師が、あたかも任務のように、必死に反日新聞の手助けをし、サヨクデモの現場や沖縄に行って、国体破壊者に加勢しているのである。
老害としか言いようがない。

<参考>

創価学園・東京キャンパス→http://www.tokyo.soka.ed.jp/trafficmap/index.html
・創価高等学校 〒187-0024 東京都小平市たかの台2-1
 TEL 042-342-2611 FAX 042-344-5988
・創価中学校 〒187-0032 東京都小平市小川町1-860
 TEL 042-341-2611 FAX 042-343-0952
・東京創価小学校 〒187-0023 東京都小平市上水新町2-20-1
 TEL 042-345-2611 FAX 042-345-2614

・創価大学→http://www.soka.ac.jp/
 〒192-8577 東京都八王子市丹木町1-236
 TEL042-691-2211(代表)
・創価女子短期大学
 〒192-8577 東京都八王子市丹木町1-236
 TEL042-691-2201(代表)

・朝鮮大学校→http://www.korea-u.ac.jp/main.htm
 〒187-8560 東京都小平市小川町1-700
 TEL 042-341-1331(代表) FAX 042-344-1300

1895079921_143

2014年7月 6日 (日)

声なき声に一理あり

初めに断っておきますが、何度も書いているとおり、私は自民党員ではなく、特定の政党や政治家、特定の個人を、絶対などと思ったことはありません。保守志向ですが、親米でもありません。

所属団体も、靖国神社崇敬奉賛会と特攻隊戦没者慰霊顕彰会だけで、今のところ、これ以上手を広げるつもりもありません。

一介のサラリーマンとして、思想的にはプロフィールに書いたような姿勢をもちつつ、趣味や嗜好をもって、日常を生きているだけです。

ある方がツイートで、こうしたことを言っていました。

≪私は自民党員ではないが、今の日本で、安倍政権を潰して自民党以外の政党を選択できるほど、国民には選択肢は残されてはいない。

選択できたとして、民主党政権誕生の二の舞になる。

批判するなら政策を、政策を変えたいなら自民党や支持団体に働きかけを。

左巻きと一緒に「ジミンガー」と叫ぶのは愚の骨頂。≫

(※以下、保守政権という場合、公明党は念頭に置いていません。)

前に書いたように、保守政権を反日と批判する自称保守の人間が、雨後の筍のように出てきています。( 「愛国者を非難する愛国者」 (2014年06月04日01:15)
http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=48430274&id=1927491579 )

彼らにとって、現政権は保守政権ではなく、愛国の仮面を付けた反日売国政権だそうです。
しかし、政策立案を見ても、思想的傾向としても、どう見ても保守政権にしか見えません。

自称保守が保守政権を批判する狙いは何なのでしょうか。現内閣がダメなら、何をどうすればよいのでしょうか。代替案の提示はないのでしょうか。また売国政権でも誕生させようというのでしょうか。野党に隙を与えることにならないでしょうか。或いは、公明党一党による政権でも誕生させたいのでしょうか。

政党に完全なものなどあるはずがありません。だから、政策に完全なものがあるはずもありません。将来の国益を睨みながら、民主主義の原則の下、最終的に多数決に従うこともあり、譲歩して妥協する場合もあるでしょう。

保守系団体や愛国団体などでも、政党と同じように、多くは考え方や方針の違いから、派閥争い、仲間割れ、離合集散といった現象が散見されます。
また、団体のなかで一定の任務を負わされ、本来の思想のありようとは別のところで、苦労を強いられることもしばしばあるようです。

これは主義主張のぶつかる思想の世界では、避けられないことでもあり、やむを得ない争いや任務ではあります。
ただ、基底において軌を一にしているのであれば、大きなうねりとしてもつ意味は、失っていかないはずです。

愛国心は、文字通り、人の心のなかにあるものであって、それが意思表示されるときに、十人十色の示し方があります。

これはふだん意識されていないですが、これらを踏みにじろうとする作用を知ったとき、それに反発して、意志として表面に出てくるものです。
その愛国心の源を辿ると、どこまでも英霊に対する感謝の念にあると思っています。

国を思う心は、消極的には、日常において、日本の文化や伝統、生活様式やものの感じ方を大切に思う心のありかたのことであり、より積極的には、そこに価値を見出し、誇りに思い、意識的に他を招き入れる活動でもあります。

愛国は商売ネタであってはならず、売名に利用するべきものでもなく、個人の憂さ晴らしに使うことでもありません。
純粋に国を思う心であるからこそ、そうした邪(よこしま)な動機とは、全く別の次元で、日本人の心に宿っているはずのものです。

小異を捨てて大同に就(つ)くという気位をもちつつ、批判すべきを批判し、うったえかけるべきをうったえかける、というのが、保守を自認する人間であれば、同じ保守に対するときの、本来のありかたではないでしょうか。

左翼であれ右翼であれ、駅前での署名にしても募金にしても、演説にしてもデモにしても、ツイートにしてもブログにしても、それをおこなっている人間たちがいかなる動機に基づいているのかは、愛国心という次元に下ろして観察すると、よく見えてきます。

戦後の日本の歴史を大まかに振り返ってきても、現実的な政策として、現政権の歩んでいる方向に誤りはないと考えます。政治というのは、一度に何でも片付けられません。
ましてや、直近三年間の民主党政権の足跡を隅々まで是正するためには、やはり三年という年月が必要になろうかと思います。

この日夜多忙な政権を支持するのは、現政権を誕生させた心ある有権者の責任でもあります。

<参考>

「雨後の筍のように生まれた保守系論客」 (2013年09月27日02:01)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1912772795&owner_id=48430274

「課題としての右翼思想の練磨」 (2014年05月28日17:15)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1927159379&owner_id=48430274

「右翼思想は、敵を見失ってはならぬ」 (2014年06月02日00:13)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1927389519&owner_id=48430274

「右翼思想の時代へ」 (2014年06月03日00:48)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1927443107&owner_id=48430274

「「潜在右翼」というありかた」 (2014年06月10日00:43)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1927790597&owner_id=48430274

2014年7月 4日 (金)

名曲です!  「出征兵士を送る歌」

「出征兵士を送る歌」

軍人も婦人も年寄りも子供も、前線も銃後も、ひとつになっていた大日本帝国です。

作詞:生田大三郎  作曲:林伊佐緒  1939年(昭和14年)

https://www.youtube.com/watch?v=HmpQF0jFcJo
<externalvideo src="YT:HmpQF0jFcJo:D">

わが大君(おおきみ)に召されたる
生命(いのち)光栄(はえ)ある朝ぼらけ
讃えて送る一億の
歓呼は高く天を衝(つ)く
いざ征(ゆ)け つわもの 日本男児

華(はな)と咲く身の感激を
戎衣(じゅうい)の胸に引き緊(し)めて
正義の軍(いくさ)征(ゆ)くところ
たれか阻(はば)まんその歩武(ほぶ)を
いざ征け つわもの 日本男児

かがやく御旗(みはた)先立てて
越ゆる勝利の幾山河
無敵日本の武勲(いさおし)を
世界に示す時ぞ今
いざ征け つわもの 日本男児

守る銃後に憂いなし
大和魂ゆるぎ無き
国のかために人の和に
大磐石(だいばんじゃく)のこの備え
いざ征け つわもの 日本男児

ああ万世(ばんせい)の大君に
水漬き草むす忠烈の
誓(ちかい)致さん秋(とき)至る
勇ましいかな この首途(かどで)
いざ征け つわもの 日本男児

父祖の血汐(ちしお)に色映ゆる
国の誉(ほまれ)の日の丸を
世紀の空に燦然(さんぜん)と
揚げて築けや新亜細亜
いざ征け つわもの 日本男児

*********************************************************

<参考>

「嗚呼 特別攻撃隊」

ここで歌われている「特別攻撃隊」とは、いわゆる神風特別攻撃隊のことではなく、1941年12月8日の真珠湾攻撃に参加した、特殊潜航艇(「甲標的」)による攻撃部隊のことである。この作戦に参加した甲標的5艇はすべて未帰還となり、捕虜となった1名を除く9名の隊員は、戦死後二階級特進し、九軍神とされた。

あまり有名ではないが、いい歌です。
残念ながら、かつてYouTubeにあったのですが、今は見当たりません。

作詞:米山 忠雄  作曲:若松 巌   昭和17年

途中に「海ゆかば」の一節が挿入されています。

一、

祖国を後にはるばると
太平洋の浪枕(なみまくら)
幾夜仰いだ星月夜
ああ故郷の山や河

二、

許して下さいお母さん
だまって別れたあの夜の
せつない思い必勝を
固く誓った僕でした

三、

我儘(わがまま)言った僕ですが
今こそ征(ゆ)きます参ります
靖国神社へ参ります
さらば母さんお達者で

四、

師走(しわす)八日の朝まだき
僕は特別攻撃隊
男子の本懐(ほんかい)今日の日を
待っていましたお母さん

五、

天皇陛下万歳と
叫んだはるか海の底
聞いて下さいお母さん
遠いハワイの真珠湾

2014年7月 3日 (木)

「青年日本の歌」 (通称、「昭和維新の歌」)

作詞・作曲:三上卓ですが、土井晩翠、大川周明の作った詞を引用しているところも多いと言われています。

それゆえ、歌が歌詞と違ったり、歌う人により歌詞が違ったりしています。

ここでは歌どおりの歌詞にしてあります。

歌は、伊藤久男です。

https://www.youtube.com/watch?v=MvnhDgahhQ8

 

一、

汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ 
巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ 
混濁(こんだく)の世に我立てば 
義憤に燃えて血潮(ちしお)湧く 

二、 

権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども 
国を憂うる誠なし 
財閥富を誇れども 
社稷(しゃしょく)を思う心なし 

三、

ああ人栄え国亡ぶ 
盲(めしい)たる民 世に踊る 
治乱興亡 夢に似て 
世は一局の碁なりけり 

四、

昭和維新の春の空 
正義に結ぶ丈夫(ますらお)が 
胸裡(きょうり)百万 兵足りて 
散るや万朶(ばんだ)の桜花 

五、

古びし死骸(むくろ)乗り越えて 
雲漂揺(ひょうよう)の身は一つ 
国を憂えて立つときに 
丈夫(ますらお)の歌なからめや 

六、

天の怒りか地の声か 
そもただならぬ響(ひびき)あり 
民永劫(えいごう)の眠りより 
醒(さ)めよ日本の朝ぼらけ 

七、

見よ九天(きゅうてん)の雲は垂れ 
四海の水は雄叫(おたけ)びて 
革新の機(とき)到りぬと 
吹くや日本の夕嵐(ゆうあらし) 

八、

ああうらぶれし天地(あめつち)の 
迷いの道を人はゆく 
栄華を誇る塵(ちり)の世に 
高燈篭(たかとうろう)の眺めぞや 

九、

功名何ぞ夢の跡 
消えざるものはただ誠 
人生意気に感じては 
成否を誰かあげつらう 

十、

やめよ離騒(りそう)の一悲曲 
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ 
われらが剣(つるぎ)今こそは 
廓清(かくせい)の血に躍るかな

 

艦攻と艦爆

今年は皇紀2674年で、西暦2014年である。だから、74年前の西暦1940年は、皇紀2600年である。この下二桁が00になる縁起の良い年、今から74年前の1940年は、昭和15年であり、開戦の1年前であった。

九六式艦上戦闘機の後継機としてこの皇紀2600年に登場したのが、零式艦上戦闘機、つまりゼロ戦である。零とは下二桁にあやかった名称である。だからもともとはレイ戦と呼んでいた。ゼロは敵対するアメリカが使う英語であったが、兵士の間ではすぐにどちらの呼び方もされていたようだ。
前身の九六艦上戦闘機の九六とは、皇紀2596年に登場したということだ。当時の飛行機は、このように皇紀の下二桁にあやかって命名されたのである。

艦上戦闘機とは、艦上、すなわち空母から離陸し、空母に着陸するということだ。だから、艦上と付くのは海軍の飛行機である。
もちろん陸上攻撃機も何種類もあった。陸上攻撃機は文字通り陸上に爆弾を落とすが、魚雷をかかえていって落とすのが重要任務であった。

九六式陸上攻撃機(九六陸攻)はその4550kmの航続距離の長さを活かし、大村基地や台湾から、直接、南京や杭州まで飛んで爆弾を落とした。世界初の渡洋(とよう=海をまたぐ)爆撃である。時速も当時世界最高の348kmであった。

この九六陸攻は、後継機の一式陸攻とともに、真珠湾奇襲攻撃の二日後の12月10日マレー沖海戦で、イギリスの誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを魚雷により撃沈し、首相チャーチルを落胆させたのである。一式とは、1941年つまり皇紀2601年に制式採用されたということである。制式とは、識別用の名称や記号で、公式にその採用を認定したという意味だ。

真珠湾攻撃をはじめ、大東亜戦争の初期の主力航空機として、海軍では、九七式艦上攻撃機(九七艦攻)と九九式艦上爆撃機(九九艦爆)が大活躍した。真珠湾攻撃には、これに、採用されたばかりの、当時世界水準をいくゼロ戦が加わった。九七艦攻は皇紀2597年に採用され、九九艦爆は皇紀2599年に採用された、当時最新の航空機だ。

海軍では、攻撃機と爆撃機では、製造上の思想が違う。攻撃機は基本的に、雷撃(=魚雷投下による攻撃)が使命で、他に水平爆撃もおこなう。爆撃機は急降下爆撃をおこなう。戦闘機は空中戦が主な任務であるが、爆弾も積む。だから、戦闘機は小回りが利いて速く動けることが枢要だ。
航空機の製造には、これらの特性に見合った機体強度、重量、馬力、翼面積、航続距離、最高速度、毎分の上昇時間、上昇限度高度などが考慮される。

九七艦攻・九九艦爆とも、全長ほぼ10m、全幅ほぼ15m、最高速度ほぼ380km、爆弾・燃料などフル装備重量も3800kg・3650kgでほぼ同じだが、航続距離では1993km・1472kmと大きく異なる。それぞれの主要目的からこの違いが生まれたと思われる。

九七艦攻は、800kg魚雷1本に800kgまたは250kg爆弾を1発積む。九九艦爆は、250kg爆弾1発か、60kgまたは30kg爆弾2発を積む。九九艦爆は固定脚(離陸後も脚は出たまま)であったが、九七艦攻は引込脚(離陸すると脚を翼に収納)を採用した。

魚雷投下も充分な訓練を積まないと、敵艦船も動いており、いい加減なところに落としたのでは効果がない。それ以上に、急降下爆撃はかなりの訓練を必要とされるという。特定の艦船に狙いを定め、徐々に降下しはじめ、ふつう高度3000メートルを切ったところから、一気に、ほとんど真っ逆さまに降下し、1000メートル以下になったところで投下する。
爆弾を放ってちょうど敵艦船の艦橋(指揮所などがある背の高いところ)など枢要な場所に命中するようになるには、相当の熟練度が必要なのだ。

また、一気に降下すると、敵艦船にそれだけ近づくわけで、対空砲の攻撃を受けることもあるから、爆弾を投下したら、またすぐに一気に上昇し逃げ切らなければならないのだ。
水平爆撃はそこまで降下せず、命中できる距離まで降下して爆弾を落とすのである。急降下に比べれば水平に近い飛行をしたまま爆弾投下するのでこう呼ばれる。

命中などと簡単に言うが、実際に命中させるのは、熟練した隊員でなければできないことなのだ。真珠湾攻撃では、米艦船は初め停泊していただけ有利であったが、対空砲や戦闘機などの反撃も激しかった。

雷撃が圧倒的効果をもたらしたが、雷撃以外の爆弾投下の命中率でも、水平爆撃によるものが26.5%、急降下爆撃によるものが47.7%となっており、急降下爆撃のほうが水平爆撃より着弾誤差が小さいとはいえ、日本海軍の技量の高さを物語っている。
一般に、急降下のほうが、敵艦船に近くなり、一定方向から接近してくるので、敵も照準を定めやすいように思うが、そこをうまくやるのが急降下爆撃機操縦の手腕なのである。

1942年4月のインド洋海戦では、真珠湾攻撃と同じ南雲忠一中将率いる機動部隊が、イギリス東洋艦隊の重巡(重巡洋艦)ドーセットシャーとコーンフォールを、数日後、小型空母ハーミスを撃沈しているが、このとき英艦隊に対する急降下爆撃の命中率は驚異の88%に達している。これら優秀な搭乗員は、それなりの機関があり教官がいたからありえた人材であった。

やがて珊瑚海海戦やミッドウェー海戦で、こうした熟練の搭乗員は、少しずつ数を減らしていくのである。

♪♪♪復活せよ! 日本の誇る行進曲!♪♪♪

♪軍艦マーチ

https://www.youtube.com/watch?v=fUdKEaTLl_c

♪陸軍分列行進曲

https://www.youtube.com/watch?v=lmErWkD4RrM

♪君が代行進曲

https://www.youtube.com/watch?v=lD42cb6XJ0U

♪愛国行進曲

https://www.youtube.com/watch?v=2CpcztEOSrs

2014年7月 1日 (火)

安倍内閣は、年内に憲法改正に着手を  (平成26年7月1日)

憲法の解釈を変更することで集団的自衛権行使を容認することが、閣議で決定された。

本来なら、国会会期末までに決定されるはずであったが、公明党が注文をつけてきたので、それを説得させるために、時間がかかったのだ。

公明党内部では、今後下部組織や創価学会一般会員から、幹部は大きな突き上げを食らうであろう。しかしトップダウンの組織であり、コップの中の出来事でもあり、ハタ迷惑にならないようにしてもらいたいだけだ。

集団的自衛権の議論については、マスメディアも野党も、あまり発言が目立たなかったように思う。
細部に立ち至ると、こういう場合はどうであり…という議論になり、国民の多くが近づきがたい定義づけの話になるからだろう。
首相は今後も、防衛政策の転換を決定したリーダーとして、その細部について説明を重ねていく必要があろう。

しかし、最も卑怯なのは、今回もマスコミであった。
国家の施策であるのに、その可否を論ぜず、知らんふりを決め込み、そうした議論を避け、ただ国民を煽ることしかしない。
マスメディアこそ、こういう場合はこうである…とする細部を提示し、こうした部分で容認するかどうかが議論の的である、といった報道をすべきであるのに、その責任を放棄している。

集団的自衛権が容認されると、国民が戦争に行くことになる、などといった脅し文句を繰り返すことはあっても、では、なぜ、われわれは反対なのか、ということを理論的に読者・視聴者にうったえたメディアは、どれほどあったのだろうか。

反対するのであれば、堂々と反対すればよいのではないか。いやしくも第三の権力といわれるマスメディアの任務であるはずだ。

こうしたなか、公明党に対してもそうであったが、この件について安倍首相は、追い風があるなかで、自分の信念を、最後まで強い意志をもって貫いたように思う。

そうした強靭な意志の前に、すでに騒音や反対声明しか出せなくなった野党や、国民を煽るしか能のない新聞やテレビ、サヨク団体は、実は打つ手がなく、反論できる根拠もなく、9条9条とお題目を唱え、バイト代を払ってデモ参加者を募るくらいしかできなくなってしまった。

集団的自衛権の容認は、たしかに、専守防衛を旗印としてきた防衛政策を180度転換するものだ。これは、今後の国際情勢を踏まえた転換であると思う。
多少周囲が騒がしくなったところで、60年安保の騒ぎに比べれば大したことはない。
これをもって、ある意味、ふつうの国家として、列国に並んだのである。

反面教師としての中国や韓国の行動がなければ、ありえなかった転換かもしれないが、だとすれば、皮肉なことに、彼らが日本を強くしたのである。

反対集会やデモといっても、0をひとつ多くして主催者が参加人数を発表せざるをえないほど、<連中>は躍起となっているが、歴史の流れなりうねりなりを見る眼のない<連中>には、何を言っても始まらないだろう。

説明責任を果たせというなら、果たせばよい。その後はすみやかに首相は、自衛隊法など関連の法律や政令を改正することだ。閣議決定は立法ではない。
確実に法整備をして、ひと段落つくのである。その立法のためにも、残念ながら公明党の賛同を得なければならなかったのだ。

いろいろな書き方をする記事のなかで、最も誠実に書かれていたのは次の記事だ。

安倍首相の念願成就=憲法改正に照準-集団的自衛権
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201407/2014070100704&g=pol

今回の件も、本来、順番としては、まず憲法改正があって、その後におこなわれるべきことだった。諸状況からして、それを待っていることもできず、解釈の変更という手段をとらざるを得なかったのだろう。その意味では、自民党にとっても、苦渋の決断だった。

自民党には、昨年4月に発表した憲法草案がある。
これを元に、できれば今年年末までをめどとして、憲法改正に着手するようにしてもらいたい。
それにはやはり、国民の支持が必要であり、そのために政府は、将来の国益を睨む政策を実施していかなければならない。

マイミクさんとの愛国談義

(mixi日記からの転載)

昨日は、尼崎市から、マイミク・二矢さんが上京したので、靖国神社・遊就館一階で落ち合いました。

6月29日は、靖国神社の創立記念日であり、神門や各建物には、両脇に、国旗が掲げられていました。神前幕も紫です。

雨が上がり、ちょうど束の間の晴れ間となったので、神池庭園の、まだ少し湿ったベンチに腰を下ろし、しばらく愛国談義を交わしました。

その後、南青山の梅窓院に行き、山口二矢の墓参りをし、渋谷まで見送りました。

愛国談義で私が話したこと:

集団的自衛権に批判的な自民党・村上誠一郎は、岡田克也の義理の兄である。

ヤジ問題の例のクソビッチは、自身も自分の所属する政党ともども、前途を失うであろう。

有田芳生や山本太郎は、国政の場ではほとんど何もできず、だからこそ、一般人を対象にしか活動できない。やがて淘汰されるだろう。

しばき隊なども同じで、国益レベルでの騒ぎではなく、騒音は迷惑だが、有田や山本が国会議員にいることで、かえって情報がつかめやすく、隅々まで公安が調査しているはずだ。

安倍政権のすべての政策に賛同するということは、どの国民にもありえないが、政権発足一年半で、政権を全面否定するような動きがあることを懸念する。

民主党政権を誕生させたのは、有権者の半数近いといわれる無党派層であり、保守政権に変わるものがあれば、民主党とは言わないが、また別の政権誕生を招来してしまうおそれがある。

田母神氏が再度都知事選に出れば、また一票を入れるつもりだが、再度出馬しても当選は難しいかもしれない。有権者は、およそカネに関することに敏感であり、財政政策・雇用問題・社会保障などについても説得力をもった発言をしないと、国防論だけでは、残念ながら、圧倒的な数の票を獲得できない。
むしろ、参議院議員となって、国防の専門家として、国政の場で活躍したほうがよい。

氏が選挙終了後のコメントで述べた言葉のうち、「当選できるとは思っていませんでしたが、これだけの人が応援してくれて…」の前半のくだりは不要である。

舛添は圧倒的な得票を得て当選したが、厚生大臣のときの指導力は認める。国民、特に、まじめに投票所に行く50代以上の人有権者に対し、生活レベルでのアピールをしたことで、当選したと思う。
しかし、一定の指導者の下で仕事をさせておくべき人間で、トップに立つ器ではない。

韓国は、旅客船の沈没と、不手際なレスキュー活動が、世界中に知られ、一気に国家としての名誉は失墜した。日本に対し、慰安婦問題その他で、カネを出させようとするなどをやめて、国内の貧富の格差を是正し、内政を充実させるべきだ。
どっちにころんでも、一流国家になるのは無理であり、中堅国家として、謙虚に堅実に国際的信用を獲得していくしかない。
もともと、日本の配下にあって、充実した思いをした地域であり、独立国家になるには早すぎた。

« 2014年6月 | トップページ | 2014年8月 »