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2014年6月13日 (金)

映画 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』

監督:テイ・ガーネット、原作:ジェームズ・M・ケイン、脚本:ハリー・ラスキンほか、撮影:シドニー・ワグナー音楽:ジョージ・バスマン、主演:ジョン・ガーフィールド、ラナ・ターナー、1946年、113分、モノクロ、原題:The Postman always rings twice(郵便配達は二度ベルを鳴らす)

1939年のフランス版以降、1942年にルキノ・ヴィスコンティが映画化し、このあとも1981年にボブ・ラフェルソンによりリメイクされている。
実際にタイトルのようなシーンがあるわけではなく、ラスト近くに、こうした言葉が比喩として使われている。

流れ者のフランク(ジョン・ガーフィールド)は、ロサンゼルスからヒッチハイクでサンディエゴに着き、ガソリンスタンド兼レストランに雇われる。
そこはニック・スミスの経営する店で、すぐに妻コーラ(ラナ・ターナー)とも知り合う。

かなり年上の夫と暮らすコーラは、日々の暮らしに退屈しており、フランクと意気投合する。
しかし、二人の愛を貫くために、次第にニックの存在が邪魔になってくる。……

レストランの募集の板切れには、「MAN WANTED」と書いてあり、意味深長だ。「WANTED」だけなら、お尋ね者という意味で、その顔写真もいっしょに載っている。
また、内容柄、夫に飽きた美しい妻が、男を欲しがっている、ともとれる。

年上の夫との暮らしに退屈し不満をもっている若い妻に、ようやく仕事を見つけ、居どころを確保した男が、偶然出遭う。
この運命的な出会いが犯罪への入口であるとき、そこに揺蕩(たゆた)うような男女の情念が描かれる。
ただ、当初コーラは、フランクに距離を置き、まさしく使用人として接している。

コーラはファム・ファタール(運命の女)であり、いわゆるフィルム・ノワールの典型である。ファム・ファタールは常にセクシーな美人であり、主役たちは教養や将来の計画性より、罪を犯してでも本能と目先の計画性だけしか持ち合わせていない存在だ。『深夜の告白』にも似た雰囲気がある。

二人が出会い、仲良くなり、一度目の夫殺しが失敗に終わるまでが前半3分の1、二度めで夫殺しは成功するが二人に容疑がかけられ裁判が始まるまでが次の3分の1、そして、裁判が高裁に進み、フランクは無罪、コーラは過失致死で執行猶予がつき、新たな暮らしを始めるより以降が、ラストの3分の1になっている。

しかし、物語はそう単純でなく、最後の3分の1の後半にはまだまだ出来事が詰められていて、本当のラストには意外などんでん返しもあり、最後まで目が離せない。

単なる不倫から始まりはするが、殺しがあろうと、二人が何とか生きていこうとする意志が描かれ、いろいろ諍(いさか)いもあったが、現実的に幸せを求めようとする心理も描いている。単に浮気性の女と行きずりの男がいい仲になるという物語ではない。

実にテンポがよく、なぜニックは妻の心変わりに気付かないのだろうという疑問さえ置き去りにさせてくれるほどのスピーディーな展開で前半が進む。

この映画の製作時期は、ハリウッドで映画の描写の規制が強かったようで、死体、セックス、過度の暴力の描写には、かなりの制限があった。 実際、そうしたシーンは映らない。
それだけに、心理描写に傾いた脚色になっており、ややもするとメロドラマになってしまったという批評もある。

しかし『美徳のよろめき』ほどの優雅な背徳ではなく、やはりこれは原作がハードボイルドなだけに、男と女の肌の匂いが伝わり、検事や弁護士や、後で二人をゆすりにくる男にしても、見栄や欲を優先させる生身の人間だ。

悪女コーラは、一部を除き常に白い服装だ。フィルム・ノワールやファム・ファタールの黒のイメージを脱皮した演出だ。

フランクが初めてコーラに出会うシーンは印象的だ。
フランクが店のカウンターに座っていると、音がして口紅が転がってくる。フランクが目をやると、女の足元が映り、次第にパンアップしてコーラの全身が映る。

そこには、当然のように、危険な色香を漂わせる毒婦が佇んでいなければならない。それはバーバラ・スタンウィックのようなきつい表情の美人ではなく、エバ・ガードナーのような王道をいく美貌でもなく、旅して来てようやく仕事にありついた男の疲れを癒す安らぎの場としての、しかし絶えて縁のなかった官能の匂い漂う、女がいなければならなかった。
当時モデル上がりのラナ・ターナーが抜擢された。

この映画には、何回か海が出てくる。まだ出会ったばかりであったが、コーラが泳ぎたいと言い出し、ニックが行かないのでフランクが付いていくのが最初だ。
ラスト近くにまた、二人は海に行くが、これはすったもんだの後に二人が愛を確かめあうときだ。
海が単に楽しむだけのところではなく、愛を信じ合う背景として使われている。
『地上(ここ)より永遠(とわ)に』(1953年)にも似たシーンがあった。

長く生きながらえてきた映画には、作品詳細やネタバレレビューに関係なく、観てみなければわからないニュアンスというのがある。
それが、ストーリーを追うだけの‘聞く映画’と一線を画すところだ。でなければ、ストーリー自体は高尚でも何でもない内容のこうした映画が語り継がれることもないだろうし、いろいろな監督が作りたいとは思わなかっただろう。

子供もなく、夫に飽き飽きしている危険な色気を放つ女盛りの妖婦と愛し合ってしまい、しかもその女に夫殺しをそそのかされたら、…男は夫を殺すんだよな・・・これが映画なのさ。

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