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2014年6月

2014年6月30日 (月)

映画 『ミザリー』 (2014年6月30日)

監督:ロブ・ライナー、原作:スティーヴン・キング、脚本:ウィリアム・ゴールドマン、音楽:マーク・シェイマン、  脚本:ウィリアム・ゴールドマン、主演:キャシー・ベイツ、ジェームズ・カーン、1990年、108分、原題:MISERY(ミザリー)

キャシー・ベイツはこの映画で、アカデミー主演女優賞を獲得いている。当時42歳。
監督ロブ・ライナーは、『スタンド・バイ・ミー』(1986年)で知られる。

ポール・シェルダン(ジェームズ・カーン)は、山のホテルで「ミザリー・シリーズ」の最終章を書き上げ、車で街に下りようとしたが、途中、猛吹雪に遭い、車ごと崖から転落してしまう。

気が付くと、ある家の一室に寝かされていた。そこは、元看護婦であるアニー・ウィルクス(キャシー・ベイツ)の家で、両脚を複雑骨折し、右腕も固定されたポールを、熱心に看病する。
というのも、アニーは小説『ミザリー』の熱狂的なファンであったからだ。
ひとり暮らしのアニーは、寝たきりの状態になったポールに、食事を運び、薬も与えた。

そのうち、アニーがねだるので、ポールは感謝の気持ちもあり、まだ未発表の最終章を、アニーが読むのを許してしまう。
途中までは喜んでいたアニーだったが、最後にミザリーが死ぬという結末に異常な興奮を示して反対し、今ある原稿を焼け、と命じる。

これを機に、アニーの裏表ある異様な人格があからさまになり、身動きできないポールは、何とかアニーの元から脱出しようと試みるが、結局、脱出はままならず、アニーの言われるままに、新たな小説を書くことになる。

やがてアニーには、犯罪の過去があることがわかる。……

こうしたサスペンス調の作品で、俳優がアカデミー賞を取るのは珍しい。それほどまでに、アニーを演じたキャシー・ベイツの演技が鬼気迫るものだったと言える。

内容柄、舞台は、ほとんどこのアニーの部屋で、後半に入り、アニーがポールに車いすを与えてから、アニーの外出中に、やっとポールが部屋を出て、他の部屋のようすを見られる。
他には、ポールの作品の編集長(ローレン・バコール)がいる出版社や、彼女の意向を受けて捜索を開始する保安官夫婦のシーンくらいしか映らない。

それだけに、いきおい、主役二人の演技合戦となり、顔の表情のアップも多く、ベテランでなければなしえない映画となる。

ジェームズ・カーンは『ゴッドファーザー PART Ⅱ』(1974年)で、長男のソニー・コルレオーネ役を演じていた。その凄みある役柄とは打って変わって、こちらでは悲劇に見舞われる小説家の役をみごとに演じている。
ほとんどが、寝たきりか車いすでの演技となっている。

キャシー・ベイツはこのあと、『黙秘』(1995年)、『悪魔のような女』(1996年)などに出演し、個性的で異様な女性を演じ切っている。
見たとおり小太りのおばさん俳優なのだが、舞台出身の俳優らしく演技がしっかりしており、全身や顔つき・目つきなどの演技力がすばらしい。
おそらく、演じていて、本人も楽しかったのではないだろうか。

ふつうに笑顔で話していたかと思うと、徐々に狂気の表情になり甲高い声でまくしたてたり、異常に細かいところまでチェックしていてポールに隙を与えなかったりと、その役柄をうまくつかんで演じている。

アニーが犯人らしいと気が付いた保安官がアニー宅を訪れた際、一度目はふつうに対応して帰すが、すぐまた訪れた際、ポールをかくまっているのがバレることを恐れ、無言のまま背中からライフルをぶっ放す。
アニーが、いつ突然豹変し、どんな行動をとるか、ポールにも観客にもわからず、ストーリー展開のうまさがある。

こういう性格のアニーだが、最後ポールと格闘し殺されるところも、それまでに観てきたアニーに、いかにもふさわしい殺され方であり、観客を納得させるのである。
車いすのポールにとっても、手の届く範囲・動ける範囲には限られた物しかなく、ああした報復しかありえなかった。

悪が殺されるときは、その悪の大きさや質に応じた殺され方が用意されていないと、観客は消化不良になるのだ。
映画とはそういうものだ。

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映画 『空の少年兵/勝利の基礎』

『空の少年兵』  海軍省後援、芸術映画社、撮影・編集:井上莞、1940年、37分。

海軍飛行予科練習生の日常授業のようすと飛行訓練の記録など。

いよいよ実地飛行となり、やがて教官を伴う飛行から単独飛行となる。単独飛行を指示された練習生の喜びも伝わる。その後、編隊飛行へと移る。

『勝利の基礎(いしずえ)-海軍兵学校の記録』 海軍省後援、脚本・演出:中川順夫、撮影:日下雅夫ほか、理研科学映画株式会社、海軍省呉鎮守府検閲済、1941年(昭和16年12月20日)、55分。

江田島海軍兵学校生徒の三年六か月の訓練と日常生活の模様を記録。

これらを一枚のDVDにしてある。 いずれも、国威発揚の目的をもって製作された。

戦後GHQに検閲を免れたフィルムが、DVDとなったもの。

当時の訓練のもようなどを記録した貴重なフィルムである。

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2014年6月27日 (金)

映画 『脳男』

監督:瀧本智行、原作:首藤瓜於(しゅどう・のりお)、脚本:真辺克彦、成島出、音楽 今堀恒雄 、ガブリエル・ロベルト  脚本:真辺克彦、成島出、主演:生田斗真、松雪泰子、江口洋介、二階堂ふみ、2013年、125分。

富山県富山市、氷見市、射水市などでロケやカーチェイスのシーンが撮られた。

あるターミナル駅で、発車したばかりのバスが爆発炎上する。
刑事・茶屋(江口洋介)らは捜査を開始し、現場に残る決定的な証拠から犯人の棲み処を割り出す。
倉庫のような建物に着くと、女の悲鳴が上がり、火災が発生する。茶屋が中に踏み込み、白い服を着た男(生田斗真)を捕える。

取り調べのようすから、精神鑑定が必要と判断した茶屋は、知人の精神科医
・鷲谷真梨子(松雪泰子)に鑑定を委ねる。
鷲谷はこの男の反応がいままでに経験したものでなく、また知能が高いようすから関心をもち、この自称・鈴木一郎と名乗る男の生い立ちを洗い始める。

やがて、この鈴木は、本名・入陶大威(いりす・たけきみ)という田舎の大富豪の一人息子であったことを知る。大威はその父親(夏八木勲)に、子供のころから異様な教育を仕込まれてきたことがわかる。
大威の主治医だった藍沢(石橋蓮司)によれば、大威は恐ろしいほどの記憶力を備えるなど知能が著しく高く、いざというときに強烈な力を発揮することもできる人間であるという。彼はこれを脳男と呼んでいた。

一方、女の舌を切り取るなど異常な嗜好をもつ緑川紀子(二階堂ふみ)と、彼女を慕う水沢ゆりあ(太田莉菜)も、この男を追っていた。……

史上最低のクソ映画だ。エンタメ性なく、色気なく、サスペンス色なく、きれいでもなく、何もかもが中途半端な映画だ。
終始流れるBGMも、使い方にメリハリがない。

『桐島、部活やめるってよ』などと並び、いつもレンタルショップの邦画ベストに置かれているので、いやな予感はしたが、一応観ておくかということで借りた。
先日観た『共喰い』はかなり自重しながらもある水準に達した佳作であっただけに、それに続いて観た映画がこれほど駄作だとショックであり、この2時間を無駄にしたような気分になる。

ちょうど『あしたのジョー』が駄作だったのと同じように駄作なのだ。
冒頭に、日テレのマークが堂々と出る。この段階でもうダメだな、と予測した。
テレビ局がカネにモノを言わせて、小道具からCGまですべての制作、ロケ地との交渉、人脈紹介などを一切取り仕切ったはずである。
この二つの作品に共通するのは、テレビ局がカネを出して主導権を握っている点である。この映画も12億7千万の製作費がかかっている。テレビ局主体の映画に、ロクなものはない。

小説の映画化であり、緑川などは性別が逆になっている。それはそれでいい。映画としてどうかということだ。

全体の印象として、真剣みがない。ちょっと進むと、それを映画のメリハリと勘違いしているようだが、必ずずっこけたお笑いが入る。シリアスドラマなら、その線で徹底すべきで、焦点がぼけてしまい、ビールの水割りのようだ。

それ以上に問題なのが、ストーリー内容で、問題-プロセス-解決といった流れがない。問題は提示されるが、それへのアプローチが甘い。結末らしきものが出てくるが、それは時間の経過とともに「やむを得ず」作られたようなもので、この映画の主題の結果として、視聴者を納得させるものがない。

脚本がまずい。脚本の成島出が監督した『聯合艦隊司令長官 山本五十六』も、映画としては視点を変えただけのふやけた出来であった。

脳男が主役であって、彼は幼少時より、父親から、悪いヤツなら殺してもかまわない、と教え込まれてきた。その男を巡って「映画で」何か描き出したいのなら、もっと他の手段があったのではないか。
その男を利用する者が現れたとか、一層のことコメディにして作り変えてしまうとか。『ダーティ・ハリー2』(1973年)もテーマとしては同じではないか。

それが無理なら、カメラの使い回し、色使い、俳優への演出などで、映画としてもっとエンタメ性を盛り込むことができたはずだ。

男がなぜそうなったかは父親の回想で語り、男の現在は「無表情のつぶやき」と態度の急変で描写し、映像としてのおもしろさは爆発シーンだけ…膨大なエキストラを動員し、自治体に掛け合って道路を通行止めにまでして、この監督はいったい、何を描こうとしていたのか、さっぱりわからない。

ストーリーとしての序破急はなく、主役も脳男なのか茶屋なのか鷲谷なのかもわからない。皆が均等にたくさん出てきて、爆発もあり、舌をちょん切るところもあり、生田斗真、江口洋介、二階堂ふみを見たいといったような低レベルの観客にしか評価されないだろう。

映像もたいして見るところもない。カメラワークで興味深いところもない。「ふつう」なのだ。
『共喰い』も、ある意味「ふつう」だったが、カメラの基本に則(のっと)った上で、それがシークエンスになったとき一定の効果をもつようにしている。

この映画の撮り方は、学校で習うとおりの「ふつう」なのだ。だからおもしろくない。『告白』といっしょで、機械を使っているのでなく、機械に使われている。必要だから使うのではなく、機能があるなら使ってみるというやりかたで、携帯電話ビギナーが機能の全部を使わなくちゃといった扱いをするのに似ている。

あえてよしとしたい点を挙げるなら、鷲谷が仕事を通じて、最も大切にしていた少年・志村昭文(染谷将太)との二度にわたる対面シーンくらいであろうか。だがこれも、副次的ストーリーとしてほとんど生きていない。すべてを会話で終わらせ、映像が出てこない。

こういうところに回想シーンなどを畳み込むことだけでもだいぶ違う。同じカネをかけるなら、こういうところだろう。サブが生きてこそメインテーマも生きるのだ。

映画というのは、最もカネを使ったシーンが、編集により、非常に短くなる場合が多い。この映画は、最もカネを使ったシーンと、あまり使わなかったシーンが、シーンの長さにおいて、きれいに比例している。
カネを使ったシーンは削りたくないのだ。つまりそれはテレビ会社の経営という発想からくる意向であって、映画監督のとる態度ではない。

映画が駄作だからどうでもいいのだが、松雪泰子はミスキャスト。その母親役で出てくる婆さんも、ふつうの形の人でよかっただろう。
それにしても、何もつかめないまま演じなければならない俳優たちは気の毒であり、まことにお疲れさまでしたと言いたい。

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2014年6月26日 (木)

映画 『共喰い』

監督:青山 真治(49歳)、原作:田中慎弥(41歳)、脚本:荒井晴彦(67歳)、撮影:今井孝博、編集:田巻源太、主演:菅田将暉(すだ・まさき)(21歳)、田中裕子(59歳)、光石研(52歳)、2013年、102分。(年齢は現在時)

後で知ったのだが、田中慎弥の平成24年芥川賞受賞作品の映画化で、数々の賞を得ている。
青山真治は、『Helpless』『EUREKA』、『サッド ヴァケイション』で知られる。

ドラマは、昭和63年初夏から年明けて平成を迎えたあたりの時間で進む。
山口県下関に近い河口の町が舞台。

17歳の高校生・篠垣遠馬(とおま、菅田将暉)は、父・円(まどか、光石研)と、愛人・琴子(ことこ、篠原友希子)と暮らしている。

遠馬の産みの母、仁子(じんこ、田中裕子)は、そこから少し離れた川沿いで、鮮魚店をひとりで切り盛りしている。仁子は戦争の最中、左手を負傷して失い、魚を捌くとき抑えられるように特殊な形の義手を付けている。
仁子は円と行為するときに、興奮した円が仁子の顔面を殴るので、別居することになった。

遠馬は、ある夜、円と琴子の行為をのぞき見していると、やはり円は琴子にも暴力をふるう行為をしていた。
遠馬には、千種(ちぐさ、木下美咲)という彼女がおり、近くの神社の神輿蔵で密会し行為をしていた。

あるとき、父の血を継いだ自分も、行為の頂点になったとき、千種を殴るのではないかと恐れるのであった。……

ところどころナレーションが入るが、主人公・遠馬(とおま)の内心の言葉であるのに、父役の光石研の声でなされている。

初めて観たが、うん、よし! という感想をもった。

この監督自身のカメラは、いつも無理がない。基本に忠実であり、突飛な使い方もなく、冒頭からすーっと入っていける。日常の風景を、安心して観せてくれる監督だ。フレームの切り取り、パンやクローズアップも無理がなく、こういう自然なカメラの動きは好感をもてる。

冒頭とラストに、近所の川が早回しで映される。ラストのほうは、川に海の水が入ってきて、少しずつ満潮になるのがわかる。

この下関郊外の田舎町ののどかな風景や基本的で安定したカメラワークで映し出すものは、決して穏やかなテーマではない。
性行為の際、相手に暴力をはたらく50過ぎの父親と、その息子の性観念の遍歴がテーマで、遠馬の日常は、とてつもなく非日常である。

円は琴子がいないときは、さらに別の女と交合している。遠馬は行為のとき、やはり千種を殴ってしまい、千種と会えないとき、父親のこの女と交わる。

あとでこれを聞いても、円は怒らない。むしろ遠馬を励ますようなセリフを吐く。しかし、琴子が耐えかねて家を出たことを知ると、円は今度は神社にいる千種と交わってしまう。
これを遠馬から聞いた仁子は、いよいよ円を殺す決意をし、先の尖った特殊な左手の義手で、円をひと突きにする。

原作を知らないが、おそらく、その雰囲気は伝わっているのだろう。
ある評論家が「『日本映画』の伝統を単なる反復ではないかたちで転生させることに成功している」と述べている。うまいことを言ったものだ。

邦画の転生とまで言えるかどうかは別として、邦画のよさといったものを、日本の映画事情のなかで、俵ギリギリのところで歯を食いしばってがんばっているという感は強い。
それはカメラの自然な使い回しにも見られ、こうした意味で、日本の映画の伝統に必死で沿っていこうとする意図が感じられる。

性行為のシーンは何か所かあるが、心得た撮り方で終わらせている。明るい光の当たるシーンもあまりない。室内や暗がりのシーンも多い。
それだけに、時折挿入される街や山や川の風景が効いている。
また、おそらく故意の遊び心と思われるが、メタファーをうまく使ってシーンをつないでいるところがある。

小栗康平の『泥の河』(1981年)を彷彿とさせるものがあり、大衆受けする作品ではないだろうが、今の日本の映画では、残念ながら、逆に少ない部類に入る貴重な佳作だ。

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日本語に誇りをもつべし (2014/06/26)

ツイッターでは、ときどきコメントを受けます。

99%の相互フォローが愛国者なので、そのコメントも、言葉遣いがきちんとしています。

たびたび指摘してきたことですが、丁寧な言葉遣いの源は、皇室に行き当たります。
皇室での所作、ふるまいかた、ものごとの順序などが、一般庶民、一般臣民、そして戦後も一般国民へと、引き継がれていると思います。

これは、立場の上下関係を示す尊敬語・謙譲後に顕著で、さらに、日本人固有の丁寧語にまで発展したものです。

人だけではなく、生物や物にまで、丁重に思いやる心が、日本社会に浸透しているのも、皇室での教育が、時代を経て、軍人教育や一般国民への教育へと波及したものでしょう。実際、戦前の日本軍には、皇籍の軍人も多くいました。

「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。』
学校で必ず習ったと思います。『源氏物語』冒頭の「桐壷」の書き出しですね。

戦前、アメリカは日本研究を、文化人類学者ルース・ベネディクトに託しました。彼女は一度も日本に来たこともなく、文献などからだけで『菊と刀』という本を著しました。
ベネディクトによれば、日本人には武士の精神が流れており、その本質は、帯刀しながらにして菊を愛(め)でるという態度に表わされている、と。

「お」や「ご」を付けるだけで丁寧な言葉になり、それが定着した例は枚挙に遑(いとま)がありません。おさかな、お花、おうち、お月さま、お通し、お箸、お寿司、お手紙、お気持ち、おけいこ、御御御付け(おみおつけ)、ご飯、ご無沙汰、ご苦労さん、など。
おめでとうございます、には両方入っています。A Happy New Year や Congratulations などでは通じないニュアンスがあります。

英語にも、同じ表現でも、相手に敬意を表するような言い回しはありますが、基本的には、互いに平等で、そもそも二人称は you だけです。
かつて英語の教師が、英語はいいですよ、相手を指すのに、日本語みたいにたくさんの言い方がない、 you だけですから、ふつうの国民が大統領に向かうときも you で済むのです、と自慢げに言っていたことがあります。

しかし、その同じことが、奥ゆかしさといったものをほとんど含まない文化を築き上げていったことになります。音楽、映画、演劇、文学…と、戦後日本では、アメリカの文化が一流の文化、となってきたキライがあります。
ダンスにしても、スポーツにしても、エンターテイメントを帯び、且つ、visual な文化の発祥は、みなアメリカであるというのも、この事実と符合します。
ただ、やはり、英語は道具としての言語という気がします。

アメリカ映画はたしかに楽しい。字幕を見ながらでも、何を話しているかくらいわかります。英語とは縁が切れず、ある程度読めたり書けたりもしますが、それでも、好きか嫌いかと言われると、好きではありません。
本当は、公共の場所での表示や案内も、すべて日本語だけに戻してほしいくらいです。小さいときは、どにこも、英語の表記すらほとんど見なかったです。

川端康成のノーベル賞受賞は、当時たいへん驚きました。日本語のよさをわかる西欧人がいるということは、それだけ日本語のよさが世界に注目され、理解されていることなんだと思ったからです。純文学に、日本語のよさを知ることができます。

佐藤春夫という作家がいました。短編小説『田園の憂鬱』や『秋刀魚の歌』などで有名です。石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞したことに対し、あんなものは小説ではないし小説家にもならんだろう、売名目的でいずれ政治家にでもなるんだろう、と批判した人物です。
この『田園の憂鬱』は愛読書のひとつです。

話し言葉は、どんどん進化しますが、書き言葉はそれより進化の速度は遅いものです。フランス語では、話していると早いのですが、それを言葉に書き換えると、こんなに長いのか、ということがよくあります。
アメリカ人から見た日本語も同様で、英語なら It Rains. で済むことろを、日本語だと、雨が・降って・います となり、日本語は難しい、ということになります。

日本語には、漢字・ひらがな・カタカナがあり、複数形になるだけでも、ただ -s を付ければいいというわけではありません。
鉛筆が、1本・2本・3本、の本は、全部発音が違います。欧米人が日本語学習を挫折するのは、そんな初期の段階で諦めてしまうからだとも言われます。
そこにさまざまな尊敬語・謙譲語・丁寧語が入ります。

アメリカ人が英文法を知らなくても話しているように、日本人は、これらを自然に話しています。
中学生のころ、アメリカのホームドラマを30分枠でテレビでやっていましたが、子供が目の前にいるお父さんに You know と言ってるのに、そこにいないお母さんについて She knows と自然に s を付けているのを見て、驚き、笑ってしまったのを覚えています。

ツイッターでも、mixi でも、愛国学徒がいます。
先日のサヨク教師に暴言コメントを書かれた生徒も、一部文字の間違いがあり、自分では田舎の学校と言っていましたが、私へのコメントでは、たいへん丁寧な言葉遣いでやりとりしています。
あの暴言教師は、この一点についても、生徒が見習うべき言葉遣いとは言えません。

これは、mixi にいる学生・生徒も同じです。
言葉遣いは、その人の顔や態度を表わしていると思うのです。

さきほどツイッターで、「・・・でないの?」という語尾でコメントしてきた保守側の人間がいたので、質問に答えると同時に、それを注意しました。
顔が見えなかろうと、いや、見えないからこそ、丁寧な言い方をすべきで、馴れ馴れしい言葉遣いは禁物です。

しかしまた、わざと乱暴な表現を使うときもあります。
かつて、これは国語の教師ですが、最高の言葉と最低な言葉だけ知っていればよい、真ん中は自然と覚える、ということでした。
私も、クソジジイ!、クソビッチ!など「お品のない」言葉遣いをしていますが、わざとそうする場合もあるわけです。

自称<サヨク>は、その言葉遣いにも、何がしか共通点があります。
今はもう<サヨク>からの攻撃はないですが、かつてときどきあったときは、いきなり相手を君呼ばわりし、「君は~」と来るのです。これだけで、コイツが、サヨクとか何とか言う前に、どれほどの野郎かというのはわかります。
ついでながら、かつてイチャモンをつけてきた<連中>のページを見ると、ほとんどが相当前の日付けで終わっているか、すでにアカウントがないというものが多いです。

日本人が日本語を忘れること、これもまた、文化の侵略を許すことにつながります。
日本人が日本語を大切にするというのは、愛国心の発露でもあります。
敵に対しても、徹底して、美しい日本語を使うこと・・・ペンは剣より強し、とは、こういうときに引用したい文句です。
そのときも、日本人としての誇りは甦(よみがえ)るはずです。

イギリス気取りのめいろまババア(谷本 真由美@May_Roma )! わかったか!
今頃になって、畳や温泉が恋しいんだろ? すっこんでろ、クソビッチが!

こういうのが汚い言葉遣いですwww

2014年6月24日 (火)

自虐史観の絵本で、子供を洗脳する団塊左翼

出版社・童心社の『さくら』という絵本から、小学生低学年向きに、極めて悪質な内容の記述があることが見つかった。この本は、朝日小学生新聞編集部が推薦する図書に入っている。

童心社HPと会社案内:

http://www.doshinsha.co.jp/index.php

http://www.doshinsha.co.jp/company/index.html

作者は、田畑精一・さくという二人のようだが、この田畑精一(83)とは、「子どもの本・九条の会」の団員でもあり(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E7%95%91%E7%B2%BE%E4%B8%80)、この会のブログ冒頭には、こうある。(http://love.ap.teacup.com/kodomono/

「この会は、子どもたちのいのちと平和を脅かす九条改憲に反対の意志を表明し、その輪を広げていくことを目的としています。子どもの本に関わる人たちによって構成されています。」

フォトは、上から表紙、問題の記述のあるページ、田畑精一。

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沖縄戦・十代の遺詠・遺文の潔さ (2014年6月24日)

昨日は、沖縄・終戦の日(慰霊の日)でした。

昨年2月の日記に手を加え、再掲します。

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特攻隊戦没者慰霊顕彰会発行の『特攻』(平成24年8月号)より。

靖國神社内靖國会館にて行なわれた殉國沖繩學徒顕彰六拾七年祭で詠まれた遺文と遺詠を紹介します。

☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆

小渡壮一命

    沖縄県立第一中学校
    鉄血勤皇隊
    球(たま)九七〇〇部隊野戦重砲隊
    真壁にて戦死
    当時十七歳

御両親様

 どうか健在であって下さい。私も今度鉄血勤皇隊に入り、郷土沖縄に上陸した敵と戦ひます。しっかりやります。御安心下さい。萬一私が戦死した時は、よくやって呉れたと思はれて、決して嘆く様なことはしないで下さい。
 最後に御両親様の御健康と御發展をお祈り致します。さやうなら。

身はたとひこの沖縄に果つるとも
   七度生まれて敵亡ぼさん

☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆

大嶺美枝命

    沖縄県立第二高等女学校
    白梅学徒隊
    高嶺村国吉で戦死

お母様

 いよいよ私達女性も、學徒看護隊として出動できます事を、心から喜んで居ります。お母様も喜んで下さい。
 私は「皇國は不滅である」との信念に燃え、生き伸びて来ました。軍と協力して働けるのは、いつの日かと待って居りました。いよいよそれが私達に報ひられたのです。何と私達は幸福でせう。大君に歸一し奉るに當って、私達はもっともいい機會を与へられました。しっかりやる心算で居ります。
 お母様は女の子を手離して、御心配なさる事でせうが、けっして御心配はなさいますな。私は優しいお母様の暖かいふところの中で、いつも可愛がられてすくすくと伸びて参りました。私は、その暖かいお母様のお教へを、今こそ生かして、立派な日本女性としてお國に御奉公する覺悟で居ります。
 軍醫のお教へ、先生のお教へを學び、友と固く手を取り合って、懸命にやってゆく心算で居ります。いよいよ御奉公の時がやって来ました。しっかりやります。
 お母様。私の身體はすべてお國に捧げたのです。その身體を私は大事に磨き上げ、國のためにつくします。男でも女でも、詩にあります様に「國を思ふ道に二つはなかりけり」で、忠孝の信念に變りはありません。私の身體は國が保証して下さるのです。ですからどうぞ、何の心配もなさらないで下さい。
 散るべき時には、立派な櫻花となって散る積りです。その時は、家の子は「偉かった」と賞めて下さいね。
(中略)
 これから私は立派な従軍看護婦として、お國のために参ります。
 お母様、くれぐれもお身體を大事にされて、善ちゃん、弘ちゃんと明るく朗らかにお暮し下さるやうお祈りします。                                      かしこ

 最後に、一家の御健康をお祈り致します。             美枝

☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆・☆

安谷屋盛治(あだにや・もりはる)命

    沖縄県立第一中学校
    鉄血勤皇隊
    球(たま)九七〇〇部隊野戦重砲隊
    真壁にて戦死
    当時十六歳

大君の御旗の下に死してこそ
   人と生まれしかひはありけり

君のため何かをしまむ若櫻
   散って甲斐ある命なりせば

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

運命のめぐり合わせとしか言えない境遇で、一般の住民が戦わざるをえなくなった沖縄戦。
沖縄は銃後の守りから戦争の渦中に巻き込まれた。そのなかに、必死に戦った少年少女たちがいた。

武器もなく訓練も積めず、つい数か月前までは、普通に学校に通っている生徒たちであった。
こうした状況にあって、どうしたら勝てるか、などと考えている余裕などない。
米軍の戦車や米兵の姿を見て、取るに足りない武器をもって、突撃していったのである。……

それにしても、驚くのは、彼らの書いた文章だ。
死の直前にして、16、17歳でこんな決死の文章を、落ち着いた筆で書けるというのは、肝っ玉が座っていたからだろう。
その根本はやはり、教育勅語や修身など戦前の教育が浸透していたからだと思う。

時代や背景が違いこそすれ、これくらいの文章や短歌を書ける才能なり教養なりを、日本の若い世代に学んでほしい。
そのためにも、日本人としての大和魂と、日本人としての気概を、まず心に、宿らせねばならない。

そのためには、話を一挙に現実に戻せば、日教組を潰し、自虐史観一色の教科書を焚書とし、日本的な道徳を説くような教育を、児童のころより始めなければならない。

少なくとも、すべての小学校と中学校では、音楽かまたは独立した時間に、「君が代」の意味と歌い方を解説し、歌わせ、斉唱させ、同時に童謡などを聴かせる。
「君が代」の指導は、学習指導要領に盛り込まれているが、実際に教師がきちんと生徒に指導するようさせるのは、教師を監督する立場の者たちである。

場合により、歴史書を繙(ひもと)く際の一助として、「海ゆかば」の歌詞の説明くらいはあってもよいだろう。それを毛筆で書く練習をしてもいいのだ。
これをして右傾教育などど批判することは簡単だ。それに右傾教育でも何でもない。
整然たる教育をしてこなかったツケが、あちこちに噴出しているではないか。

年間、一定の時間を割いて、「教育勅語」を解説し、読ませ、できれば暗唱させる。某小学校でもやっているのだから、全国の小学校・中学校でも、条件さえ整えばできるはずだ。
それに、これは、実は国家の施策として実行していく類いのものなのだ。

何でもかんでも、人のせいにする議論は嫌いだ。
今は携帯が・パソコンが普及したから、字が書けない子が多い、など。

別に、入試のための国語力をアップさせよ、と言っているのではない。
いざというとき、親や友人に、上記のような文が書けうるか、ということだ。別に携帯を使おうがPCを使おうが関係ない。

いざというとき、力ある文をしたためるには、肝が座っていなければ言葉に表せない、ということだ。
その気概を育てるのに、教育現場での多少の強制力は認めなければならないだろう。

教育現場に、過ぎたる自由を認めた制度や試み、クラス運営、授業などは、その10数年後に必ず、失敗という結果に終わっている。
これでは、当の学生・生徒を「腑抜け」にし、甘ったれた料簡の狭い有権者をつくるだけだ。

<参考>
「教育勅語を知っておこう」
http://futa-forever.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-9c69.html

2014年6月19日 (木)

暴言コメント左翼教師の存在を、国と県に通知 (2014年6月19日)

先日紹介した左翼と思われる教師について、宮城県教育委員会に、以下のとおりメールしました(▽~△)。
メール先が複数ありましたが、内容的に最も直近の以下の部署に送りました。

宮城県教育庁高校教育課教育指導班
電話:022-211-3624 / E-mail:kokoky@pref.miyagi.jp

(高校教育課
〒980-8423 宮城県仙台市青葉区本町三丁目8-1
宮城県庁16階 北側
Tel:022-211-3624  Fax:022-211-3696)

文部科学省にも、最後の部分を除いて、メールしてあります。

   ▽

以下、お知らせいたします。

恐縮ですが、後に載せました私のブログをご覧いただきご一読の上、適切な対処をお願いいたします。

当該生徒は、今月中旬、国語の課題作文について、至極当然のことを書いておりますが、先生には、赤ボールペンで、ご覧のとおりのコメントをもらい、だいぶショックを受けました。

その後、この生徒は、自分の考えは間違っていたのかどうかを知るべく、その作文のコメント部分を撮影し、フォトにしてツイッターに投稿しました。
大変反響があったようで、私も内容に賛成できるため、自分のブログに書いて、これもツイートしました。

私のブログのURLは以下のとおりで、使っているフォトは、生徒本人が、ツイートに貼った3枚のフォトです。
使用している教科書の表紙、使われたエッセイのページ、本人の作文の終わりの部分です。

使用しているテキストは、大修館書店の国語教科書『新編 国語総合』所載の黛まどか「季節の言葉と出会う」 
http://www.taishukan.co.jp/kokugo/kyokasho/kokuso_314.html

恐縮ながら、以下ご覧いただければ一目瞭然です。

拙文「愛国高校生の作文に、左翼教師が暴言コメント」
http://futa-forever.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-d97f.html

この教師は、生徒の文字の誤り(「史」)など文法的な誤りは指摘していません。段落の区切り方について赤で書き入れています。
形式も大事ですが、内容に関するこうしたコメントは、この生徒の思想信条の自由に立ち入ることとして控えるべきで、仮にコメントするのであれば、国語の教師なら、もう少し、他の表現があったはずです。

私も教師をしていましたが、その経験からしても、この教師のコメントは行き過ぎです。
もう少し適切で婉曲なコメントがあってしかるべきです。あらゆる場面で生徒を育てていくというのが、教師の本分と責任です。

ところが、何歳かわからないですが、この教師は、自分が興奮し、その証拠に、怒りのマークをつけ、ふざけて書いてんのか?、と暴言を吐いています。これは教師のすることではありません。
この教師が日教組の教師かどうかは定かでありませんが、こういう行為をする教師の資質というものを、どうお考えでしょうか。

将来の日本を担うのは、若い学生・生徒たちです。
教師に、その権限を利用して、生徒たちの言論を封じるようなことがあってはなりません。
けしからぬ生徒も多いです。誠実に務めている教員も多いです。
一般に、生徒指導はケースバイケースで、いきなり外部の人間が、ある一部の現実だけクローズアップして騒ぎ立てることは避けなければなりません。

しかし、それにしても、生徒が書いた国語の授業の感想文に、教師が興奮したコメントを殴り書きするというのは、大いに問題にすべきと考えます。

私の知るかぎり、この生徒の在籍校は、柴田郡内の県立高校です。
生徒本人は、自らが学校側から処分など受けるおそれがあるからとおとなしくしていますが、これは一県立高校の生徒の問題ではありません。

文部科学省の「御意見・お問合せ 入力フォーム~生徒指導、進路指導に関すること」(https://www.inquiry.mext.go.jp/inquiry08/)にも、同じ内容のメールを送ってあります。
文部科学省からの照会があったときのこともお考え合わせのうえ、迅速な調査と行政指導を希望いたします。

   △

<付記>

その後、この教師は、当該生徒に対し、「あれは危険な思考だ」「君はテロリストか?」などと言ってきているそうです。

2014年6月18日 (水)

http://mimitan33.blog.fc2.com/ に注意!

ツイッターで、ときどき迷惑なメッセージが来ます。

アカウント名は違っていますが、同じURLが貼ってあります。
以前は携帯のアドレスでしたが、今ではそれは来ていません。

最近の以下のメッセージの特徴は、削除ができないということです。
相手はメッセージを送ったあと逃げているので、そのアカウント名をクリックしても「サーバー内部のエラー」となります。

わきにあるスパム報告や迷惑行為としてマークする、もできず、それらのボタンをクリックすると、やはり「サーバー内部のエラー」となります。

知恵袋に、せめて削除だけでもできないか、と質問したのですが、ついに回答はありませんでした。

自分のところに、スパムのような消せないメッセージが残ったままというのが不愉快ですが、どうしようもありません。

ツイッター・ヘルプセンターでも、必須有力事項として、証拠としてツイートのURLを入力してほしい、とありますが、ツイートではないので入力できません。ツイッターの盲点を突いています。
敵は、頭がはたらきます。

結局ヘルプセンターには送れないので、そこに書いたものをコピペしておきます(▽~△)。

   ▽

問題に関する詳細

以下のようなメッセージが連日来ていて不愉快です。同じURLが掲載されています。以前は削除できましたが、削除もスパム報告も迷惑行為としてマークする、もできなくなりました。それらのボタンをクリックすると、「サーバー内部のエラー」と出ます。アカウント名をクリックしても同様です。対処をお願いいたします。

りょうか@matryoann9913フォロー嬉しいです!!どうぞ宜しくお願いしますっ(´Д`*)わたしブログもやってるので、もしよかったら見てくれると嬉しいですっ(o・ω・o)こういうの迷惑じゃなきゃいいですが…(T_T)【http://mimitan33.blog.fc2.com/

おとえ@igaotojun61いきなりのメッセージでごめんなさい!!仲良くしてくださいっ(・ω・★)ブログやってるので、お暇な時にでも遊びに来てくださいっ(^▽^*)ご迷惑でなきゃいいのですが…(T_T)【http://mimitan33.blog.fc2.com/

ゆめな@yumhatmus198717いきなりのメッセージでごめんなさい!宜しくお願いします(・ω・★)私ブログもやってるので、良かったら見にきてくれると嬉しいですっ(ノ▽`)御不快にさせたらごめんなさい…(;ω;)【http://mimitan33.blog.fc2.com/

   △

このURLで調べると、「バイナリ―オプションで自由な生活♪ 「 Mimi's Blog 」」というのが出てきます。
「女子大生をしながら月収 300 万以上稼ぎ続けてます! 勝率 90 % の私なりのルールを無料公開♪ 勝率を上げる秘訣はデータの集計ですっ(ノω`*)」とあります。
http://mimitan33.blog.fc2.com/blog-entry-22.html

出資者を募って、何かしようとしているのでしょう。自分はカネが儲かっているのに、他人に勧めるバカはいませんからね。
大量にアカウントをもち、いろいろなサイトに出没しているようです。

私は自動フォローは使わず、フォローされて相手を見てから返しています。それでも、中にこうしたなりすましがいるのですね。
愛国者ではない者も、よく見て、フォローされたら礼儀としてして返していますが、そのへんが間違いかもしれません。

とにかく、ツイッターまで使って、こうしたセコい勧誘は迷惑なので、この件については徹底的に動きます。
コイツが本当に女子大生かどうかわかりません。ネット時代の申し子ですえね。

私は、サヨクも嫌いだが、こうした直接的無礼千万は大嫌いなのですよ。

すでに、このURLに対する警告も複数あるようです。
http://www.シンメイ.com/page-926/

2014年6月13日 (金)

映画 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』

監督:テイ・ガーネット、原作:ジェームズ・M・ケイン、脚本:ハリー・ラスキンほか、撮影:シドニー・ワグナー音楽:ジョージ・バスマン、主演:ジョン・ガーフィールド、ラナ・ターナー、1946年、113分、モノクロ、原題:The Postman always rings twice(郵便配達は二度ベルを鳴らす)

1939年のフランス版以降、1942年にルキノ・ヴィスコンティが映画化し、このあとも1981年にボブ・ラフェルソンによりリメイクされている。
実際にタイトルのようなシーンがあるわけではなく、ラスト近くに、こうした言葉が比喩として使われている。

流れ者のフランク(ジョン・ガーフィールド)は、ロサンゼルスからヒッチハイクでサンディエゴに着き、ガソリンスタンド兼レストランに雇われる。
そこはニック・スミスの経営する店で、すぐに妻コーラ(ラナ・ターナー)とも知り合う。

かなり年上の夫と暮らすコーラは、日々の暮らしに退屈しており、フランクと意気投合する。
しかし、二人の愛を貫くために、次第にニックの存在が邪魔になってくる。……

レストランの募集の板切れには、「MAN WANTED」と書いてあり、意味深長だ。「WANTED」だけなら、お尋ね者という意味で、その顔写真もいっしょに載っている。
また、内容柄、夫に飽きた美しい妻が、男を欲しがっている、ともとれる。

年上の夫との暮らしに退屈し不満をもっている若い妻に、ようやく仕事を見つけ、居どころを確保した男が、偶然出遭う。
この運命的な出会いが犯罪への入口であるとき、そこに揺蕩(たゆた)うような男女の情念が描かれる。
ただ、当初コーラは、フランクに距離を置き、まさしく使用人として接している。

コーラはファム・ファタール(運命の女)であり、いわゆるフィルム・ノワールの典型である。ファム・ファタールは常にセクシーな美人であり、主役たちは教養や将来の計画性より、罪を犯してでも本能と目先の計画性だけしか持ち合わせていない存在だ。『深夜の告白』にも似た雰囲気がある。

二人が出会い、仲良くなり、一度目の夫殺しが失敗に終わるまでが前半3分の1、二度めで夫殺しは成功するが二人に容疑がかけられ裁判が始まるまでが次の3分の1、そして、裁判が高裁に進み、フランクは無罪、コーラは過失致死で執行猶予がつき、新たな暮らしを始めるより以降が、ラストの3分の1になっている。

しかし、物語はそう単純でなく、最後の3分の1の後半にはまだまだ出来事が詰められていて、本当のラストには意外などんでん返しもあり、最後まで目が離せない。

単なる不倫から始まりはするが、殺しがあろうと、二人が何とか生きていこうとする意志が描かれ、いろいろ諍(いさか)いもあったが、現実的に幸せを求めようとする心理も描いている。単に浮気性の女と行きずりの男がいい仲になるという物語ではない。

実にテンポがよく、なぜニックは妻の心変わりに気付かないのだろうという疑問さえ置き去りにさせてくれるほどのスピーディーな展開で前半が進む。

この映画の製作時期は、ハリウッドで映画の描写の規制が強かったようで、死体、セックス、過度の暴力の描写には、かなりの制限があった。 実際、そうしたシーンは映らない。
それだけに、心理描写に傾いた脚色になっており、ややもするとメロドラマになってしまったという批評もある。

しかし『美徳のよろめき』ほどの優雅な背徳ではなく、やはりこれは原作がハードボイルドなだけに、男と女の肌の匂いが伝わり、検事や弁護士や、後で二人をゆすりにくる男にしても、見栄や欲を優先させる生身の人間だ。

悪女コーラは、一部を除き常に白い服装だ。フィルム・ノワールやファム・ファタールの黒のイメージを脱皮した演出だ。

フランクが初めてコーラに出会うシーンは印象的だ。
フランクが店のカウンターに座っていると、音がして口紅が転がってくる。フランクが目をやると、女の足元が映り、次第にパンアップしてコーラの全身が映る。

そこには、当然のように、危険な色香を漂わせる毒婦が佇んでいなければならない。それはバーバラ・スタンウィックのようなきつい表情の美人ではなく、エバ・ガードナーのような王道をいく美貌でもなく、旅して来てようやく仕事にありついた男の疲れを癒す安らぎの場としての、しかし絶えて縁のなかった官能の匂い漂う、女がいなければならなかった。
当時モデル上がりのラナ・ターナーが抜擢された。

この映画には、何回か海が出てくる。まだ出会ったばかりであったが、コーラが泳ぎたいと言い出し、ニックが行かないのでフランクが付いていくのが最初だ。
ラスト近くにまた、二人は海に行くが、これはすったもんだの後に二人が愛を確かめあうときだ。
海が単に楽しむだけのところではなく、愛を信じ合う背景として使われている。
『地上(ここ)より永遠(とわ)に』(1953年)にも似たシーンがあった。

長く生きながらえてきた映画には、作品詳細やネタバレレビューに関係なく、観てみなければわからないニュアンスというのがある。
それが、ストーリーを追うだけの‘聞く映画’と一線を画すところだ。でなければ、ストーリー自体は高尚でも何でもない内容のこうした映画が語り継がれることもないだろうし、いろいろな監督が作りたいとは思わなかっただろう。

子供もなく、夫に飽き飽きしている危険な色気を放つ女盛りの妖婦と愛し合ってしまい、しかもその女に夫殺しをそそのかされたら、…男は夫を殺すんだよな・・・これが映画なのさ。

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2014年6月12日 (木)

シナ人が糸引くフィッシング・メールに注意! (2014年6月12日)

けさ、全く心当たりのないところから、メールが来ました。
そこで、何もせず、知恵袋で質問したところ、あとのような回答を得ました。

<質問>
ヤフーメールにこんなのが来ました。自動的に、迷惑ホルダーに振り分けられました。


いつもお世話になっております。
お客様のアカウントは何らかの取引に利用されている恐れがありますので、お手数ですが、システムにログインして、異常がないかご確認いただきますようお願いします。 :

<ここにURLが入ります。(今ヤフーでは、URLつきの質問・回答ができなくなっています。)>

株式会社スクウェア·エニックス
2014年6月11日

クリックしないほうがいいですよね?
これは何でしょう?
全く心当たりがありません。

<回答>

株式会社スクウェア・エニックスと言う会社は存在します。
ですが、会社名を語って悪質な行為をする場合もあります。

皆さんが回答されている様に、クリックしない方がイイです。
また、Yahoo!JAPANに連絡された方がイイでしょう。

*************************


From: autoinfo_jp@account.square-enix.com <autoinfo_jp@account.square-enix.com>
Subject: 常確認のお願い‏
To: (略)

タイトルもおかしいと思いました。「常確認」っていう日本語はありません。

つまり、フィッシング詐欺でした。

あとで調べたところ、本物のスクウェア・エニックス社でも警告を発していました。

【重要】フィッシング詐欺サイトへ誘導するメールやメッセージにご注意ください
http://www.jp.square-enix.com/info/1308_attention.html

メールにあったアドレスも、途中までそっくりで、素人では見分けがつきません。

上の警告にある、<フィッシング対策協議会 Council of Anti-Phishing Japan | 報告>に、情報提供しておきました。

ところで、このようなサイトを見つけました。
この詐欺会社は、フィッシングで有名なようですね。スクウェア・エニックス社はターゲットにされているのです。

スクウェアエニックスアカウント安全確認‏メール? フィッシング詐欺!

http://ixoxi.wordpress.com/2013/07/01/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%83%A1%E3%83%BC/

中国の株式会社营团社というところがやっているようで、常確認とは安全確認くらいの意味なのでしょう。

去年の夏ころ、話題になっていたようです。

スクエニを騙るフィッシングメールの内容があまりにバカすぎる件
http://getnews.jp/archives/395222

全く心当たりがないという場合は、すぐ削除して、受信拒否にするのがよいようです。ついでに、しかるべきところに情報提供しておくのがいいと思います。

ゲーム会社が狙われるあたり、いかにも、シナ!って感じですね。

みなさんもお気を付けください。

2014年6月11日 (水)

「予習シリーズ」に見る‘領土問題’

(※2012年6月14日付日記を転載)

職場には教科書はないが、参考書はいくらかある。
この間から、竹島、尖閣について、どういう扱いになっているか、たまに調べている。

四谷大塚という首都圏で有名な中学受験生向けの進学塾があり、そこではオリジナルのテキストを作り、一般に販売もしている。模試も実施しており、そのデータはかなり信頼でき、首都圏模試と並んで、われわれもよく利用している。

その四谷大塚のテキストに「予習シリーズ」というものがあり、塾業界ではバイブルのような存在でもあり、受験生をもつ親ならたいてい知っている。

その「予習シリーズ」の「社会 5年上」(上)に、見過ごせない文言を見つけた。「下」は歴史の分野で、「上」は、前半が日本の産業のあらましや日本の姿、後半が日本の各地方の産業(農業・工業)などをグラフや写真入りで解説している。

併用されるのは「考える社会科地図」で、これも四谷大塚が出版はしているものの、編集著作者は帝国書院であり、いつか地図をフォトにしたように、この地図によれば、尖閣は沖縄県、竹島は島根県、北方四島も択捉海峡に赤線(国境線)が敷かれ北海道に帰属しており、問題ない。さすがにネーミングどおりのまともな地図出版社だ。

この「社会 5年上」のp.89には、<学習を深めるページ>として日本の領土問題が取り上げられ、北方領土、竹島、尖閣諸島の説明がある。

このうち、竹島については、その位置と、韓国での呼ばれ方、竹島の帰属が明確でない、とする記述されている。(中)

尖閣諸島についても、日中両国が領有権を主張しており領土問題が解決していない、とある。(下)

北方四島にしても、日本とロシアの間で意見が対立している、とある。

本来ならこれらは、尖閣を例にとれば、それぞれこうあるべきだ。

「尖閣諸島は日本固有の領土であるが、それにもかかわらず、近年、中国がその領有を主張し、領土問題があるかのような態度を表明している。」

とりあえず文書で、以上の趣旨のとおり、出版社に申し入れた。

編集:㈱四谷大塚出版編集本部
発行者:永瀬昭幸
発行所:㈱四谷大塚出版
〒164-0001
東京都中野区中野3-50-13
TEL:03-3384-0122
e-mail:books@yotsuya-otsuka.co.jp

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愛国高校生の作文に、サヨク教師が暴言コメント (2014年6月11日)

ツイッターで、愛国高校生のリストに入れている生徒が、数回にわたりツイートしていましたので、紹介します。

国語では、左翼系出版社・大修館書店の教科書を使っているそうです(フォト上)。そこには、韓国礼賛のエッセイが載っています(フォト中)。

あるとき、日本の文化について作文をする機会があったので、終わりのほうに愛国的な主張を書きました。
文字の誤りや作文のルールは、これから直していけばいいことです。

これに対し、教師がコメントを付けて返してきたそうです(フォト下)。

教師であるなら、もっと他のコメントのしかたがあるはずですが、これを見るかぎり、どう見ても組合教師としか思えません。

この教師は、ふだんから言葉遣いが悪く、ロッカーの上に座って、生徒を説教しているようです。

宮城県の生徒ですが、日本中にこんな教師が、恥も知らず教師づらをして生徒の前に立っているわけです。

やはり、日教組は日本の癌であると、再認識します。

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2014年6月10日 (火)

「潜在右翼」というありかた (2014年6月10日)

※現代の日本には、右翼に対するほどの左翼の存在がなく、ただ反対を喚くだけの烏合の衆ばかりであり、これをマスコミは、カナカナ書きで<サヨク>と呼んだり、テーマによって、<平和運動家>やら<市民活動家>やらと妙なネイミングを付していますが、日本共産党は無視しえず歴然と存在しているので、ここでは便宜上、<サヨク>などをも一括して、左翼という語も使います。
※保守愛国者は、左翼に対する右翼と考えます。
(今後、右翼思想関係の日記の場合には、常にこの前提をもちますので、よろしくご理解ください。)

インターネットなどを通じ情報が豊富になり、街宣右翼における似非右翼なるものの正体が暴かれ、正規の右翼団体なるものの姿がどういうものなのかが、徐々に浮かび上がってきました。むしろ正規の右翼団体は、それを、自らサイトや動画でアピールしている傾向もあります。
これはとてもよいことです。

国民を混乱させ、街宣右翼によろしくないイメージを植え付けようとする似非右翼の試みは、すでに破綻したといっていいでしょう。

おそらく、民主党政権の時代に、正規の右翼団体も、その使命を大いに自覚し、似非右翼などを自ら糾弾し、真なる右翼のありかたを再考したのだと思います。

右翼団体もそれぞれに、微妙に主張の力点が異なるのでしょうが、対売国政権に対して、一丸となって動いたことや、東北大震災以後、現地に赴いて、救援活動の一翼を担ったことは、行動する右翼として、自他ともに認める愛国行動だったと思います。

右翼団体を構成し、日々身体の鍛錬や歴史の勉強などに励んでいる右翼活動家からすれば、ここ数年湧き起こってきた「ネット右翼」というものは、実行を伴わない右翼ととられるのかも知れません。

「ネット右翼」なるものは、インターネットが普及してきたからこそ現れた右翼であり、戦後から街頭演説や頒布物をもって活動してきた右翼からすれば、陰の存在に見えます。

たしかに、SNSのような匿名の世界で、ようやく自らの意見を述べたりさえずったりすることは、憂さ晴らしでもあり、捨て台詞でもあり、一定の方向をもった信念から出ているのか疑わしい場合もあります。

「ネット左翼」という言葉があまり普及していないのは、左翼はすでに、行動を伴っており、堂々と姿を現わしているからだ、とするサヨクの言い分を見たことがあります。
拡声器で叫んだり騒音を撒き散らしたり、カウンターデモに俄かに参加したりすることが、彼らの言う「行動」のようです。

これは<サヨク>の特徴として何度も書いてきたので、これ以上の言及は避けますが、こうしたサヨクが、どうしても負けじと付けた名前が、「ネット右翼」だったのだろうと推測します。

自分の経験だけからですが、例えばツイッターにおいても、口論しているシーンには、左翼右翼で特徴があり、どちらが先に諦めたかは問題ではなく、左翼にはあとから仲間の誰かが「応援」に駆けつけています。ひどい場合は、コイツ何とかしてくれ、と、仲間の左翼を誘っているのを見たこともあります。つまり、彼らのいわゆる「共生」であり「連帯」なのでしょう。

ツイッターには、性別・年齢・地域・職種を超えて、多くの愛国者がおり、日本が生き生きしてきた実感があり、楽しんでいます。
同時に、これらの愛国者は、ごくふつうの日本人であることも明らかで、そこに右翼団体の人々が多少混ざる程度です。
行動をする人々が、ネットで自らの思想を披露したり考えを主張したりする必要もなく、むしろネットを活用し、「ネット右翼」に情報を拡散しているといったほうがいいでしょう。

「ネット右翼」にもいろいろな人物がいるにしても、基本的な主調(基調)は右翼の根本思想に連なっています。その幅はさらに広がりをもっていますが、日本の伝統、文化、芸術、様式、礼式、美、といったものを尊重し、それらに誇りをもっているという点では一致しています。

この「ネット右翼」を包含する語として「潜在右翼」という言葉があります。これは、犯罪に走る右翼というものを前提にした公安警察の呼称です。

右翼が起こしたとされる刑事事件には、公安警察が情報を手にしている右翼団体の人間が起こしたものばかりではなく、捕えてみれば、一介の自営業者だったり会社員だったりしたこともあったので、そういう右翼を「潜在右翼」と呼ぶようになったようです。
「潜在右翼」が、いつまた過激な事件を起こすかも知れないということで、インターネットなどを終始チェックしているようです。

「ネット左翼」という言葉がはやらないように、さらに「潜在左翼」ははやらないでしょう。「潜在左翼」というものがあるなら、それはイコール「過激派」であって、すでに命名の必要もなく、一貫して公安はマークしているからです。

街に潜む過激派のように、街に潜むという意味での潜在右翼という言葉には、否定的なニュアンスがつきまといますが、これら潜在右翼は、保守政権誕生やその後の政局を支持する役割を果たしているのも事実です。

同時に、団体のように、顕在化せず、ほとんど意思疎通もできないかわりに、大方のところで、方向を一にし、保守愛国の大きな流れを支えつづけていると言えます。

日本に存在する右翼志向の人間は、今やネットの中に力をもち、そこを本来の棲家にしています。この力は、政治家とてなかなか否定できないでしょう。

右翼思想は本来、個々人ではぐくむものですが、同じ基調をもつ人間が多数いることを知り、左翼のように横に群れて共生を望まなくても、そこここにいるということで、それぞれのネット運動も盛り上がります。
そうであるから、積極的にネット上で保守派同士が結びつこうというキャンペーンも実現しているのでしょう。

現在の日本の右翼思想は、今やネット社会での存在として勢力をもっていると言えます。

しかし、右翼に究極の存在理由があるとすれば、行動において左翼を倒すことしかありません。
窮極の左翼打倒は、国益にかなうとして行われるものであり、法律以前の憂国的解釈がなされて然るべきと考えます。

「ネット右翼」は、喩えていえば、成鳥になる前の雛のようなものです。
人間の生活には、さなざまな制約があります。靖国神社・護国神社参拝にしても、なかなか出かけられない人も多いのです。
始まりが「ネット右翼」からであろうと、信念をもって日々過ごしているのであれば、おのずから次に何をすればよいか浮かんでくるはずです。

いつの日か、その時点から将来を見据えて、倒すに値する左翼を倒すのであれば、右翼として十全の行動を起こしたことになると思います。

そういう機会は、いつ来るのかわかりません。その必要はない状態がつづいていくのかも知れません。
しかし万一となるその日のためにも、多少の身体の訓練をし、たまには瞑想にふけり、日々心身の鈍らぬよう心がけた生活をするのが大事かと思います。

これまた、自戒の言葉でもあります。

2014年6月 9日 (月)

◇備忘録・視聴映画一覧(mixiで日記にしたもの)

ゆりかごを揺らす手

ファイナルデッドブリッジ

MAY メイ

連合艦隊司令長官 山本五十六 ☆(映画館鑑賞)

ベニスに死す

セルラー

M  ★(DVD所有)

127時間  ☆

死刑台のエレベーター ★

隠された記憶

ダンサー・イン・ザ・ダーク

日本の黒い夏 冤罪

私は殺される ★

あしたのジョー

ミスト ★

美しさと哀しみと

鬼龍院花子の生涯

パラダイス・キス

テキサス・チェーンソー

七年目の浮気

メカニック ☆

十三人の刺客

ケンタとジュンとカヨちゃんの国 ☆

相棒 -劇場版2-

ラビット・ホラー

Re:DIALリダイアル

東京公園

どぶ

夜叉

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙 ☆

フルメタル・ジャケット

トウキョウ・ソナタ ★

アンチクライスト

ロックアウト

靖国 YASUKUNI

ホステル3             

凶気の桜

デビル

日本のいちばん長い日 ★

レマゲン鉄橋

マルホランド・ドライブ

悪い奴ほどよく眠る ★

ホテル・ルワンダ

トラ・トラ・トラ! ▲(Blu-ray所有)

深夜の告白

鬼の棲む館

二十四の瞳

ブリッツ ☆

ザ・ウォード 監禁病棟

スパルタの海

人間の証明

ビューティフル

第三の男

ラルジャン ☆★

天国と地獄 ★

少年時代

レオン ★

暴走機関車 ☆★

我が闘争

The WAVE ウェイブ

ユージュアル・サスペクツ ☆

極道の妻たち 最後の戦い

刑事ジョン・ブック/目撃者

アスファルト・ジャングル

疑惑 ★

鍵 ★

11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち ☆

マドモアゼル ★

トワイライトゾーン‐超次元の体験‐

フィースト

白夜行 ☆

フォーンブース           

トラック野郎 御意見無用

白い巨塔

ムカデ人間 ☆

ガチバン SUPERMAX

スペル

悪名

冷たい熱帯魚

白いリボン

悪人 ☆

ホラー・エクスプレス ゾンビ特急‘地獄’行

カサブランカ

らせん階段

蠅男の恐怖

蠅男の逆襲

必死の逃亡者

恋の罪

倫敦(ロンドン)から来た男

アイズ ワイド シャット

遊星からの物体X ☆▲

時計じかけのオレンジ

Life ライフ ★

エレファント

ピアニスト

悪名一番

シャイニング

存在の耐えられない軽さ ☆

ピラニア

女系家族

ハプニング

タワーリング・インフェルノ ☆

わたしを離さないで ☆

絞殺魔

ボーイズ・ライフ ★

クリスマス・ツリー ☆★

特攻大作戦

赤い風船/白い馬 ★

ヒルズ・ハブ・アイズ

ファニーゲームU.S.A.

冷たい熱帯魚 ☆

氷の微笑 ★

イヴの総て ★

モロッコ

非情の罠              

酒とバラの日々

男たちの大和/YAMATO ★

東京プレイボーイクラブ

ビルマの竪琴

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

戦争と人間 第1部 運命の序曲★

戦争と人間 第2部 愛と悲しみの山河

戦争と人間 第3部 完結編

アリス・クリードの失踪

キラー・エリート

ケース39

ドラゴン・タトゥーの女

レミング

必死の逃亡者 ★

天城越え

TOMORROW 明日 ☆★

殺しのドレス ★

蜘蛛女

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ある夜のできごと

カミュなんて知らない

はさみ hasami

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BRAVE HEARTS  海猿

CURE

去年マリエンバートで ☆★

情婦 ★

激突 ★

鬼畜

キャビン・フィーバー

裸足の伯爵夫人

新幹線大爆破            

ハングリー・ラビット

飢餓海峡 ★

コロンビアーナ

メランコリア

望郷 ★

ディーバ ★

評決 ★

極道の妻たち

浮雲

白いリボン ★

桐島、部活やめるってよ

女が階段を上る時

女はバス停で服を着替えた

赤い風船/白い馬 ★

犬神家の一族

悪の教典

渋谷

エクスペンダブルズ 2

県警対組織暴力

家族ゲーム

スピード

サイコ ☆

アウトレイジ ビヨンド

街の灯 ☆

普通の人々

裏窓 ☆

象の背中

ダイヤルMを廻せ! ☆

SAFE/セイフ

アルゴ

明日の記憶

PARKER/パーカー

めまい ☆

パレード

北北西に進路をとれ

鳥 ☆           

フローズン

青の炎

はやぶさ 遥かなる帰還

陽のあたる場所

ドライヴ

砂の器 ☆

ミヒャエル

アウトロー

日本のいちばん長い日 ★

華麗なる一族 ☆

ワン・ツー・スリー

沈まぬ太陽

サテリコン

人妻集団暴行致死事件 ☆★

窓 ★

刑事(デカ)★

水の中のナイフ ★

藁の楯

ロミオとジュリエット ☆

天使 ☆★

帰らざる夜明け

悪魔のいけにえ レザーフェイス一家の逆襲 3D

にごりえ ☆

プラチナデータ

偽りなき者

AKIRA   ▲

点と線

影武者

ヒート

ヒミズ

レイクビュー・テラス 危険な隣人

SHORT PEACE ショート・ピース

不眠症 オリジナル版 インソムニア

軍鶏 Shamo

ウォッチャーズ           

危険なプロット

迷宮物語

π

コンプライアンス 服従の心理

ありふれた事件

靴みがき

刑事ジョン・ブック/目撃者

2001年 宇宙の旅      

 

 

「死に損ないのクソジジイ」と言われた語り部は、売国奴だった

修学旅行中の中3に、「死に損ない」と言われた森口貢は、実際には被曝しておらず、元日教組教師であり、反日・反靖国の新韓の売国奴です。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-5474.html

被爆者といっても、原爆投下後11日目に長崎に戻っており、間接被爆とも言えないようです。

ソースはこのブログですが、具体的な証拠も挙げており、信用できると思います。

多くの保守系ブロガーのなかでは、細かいところまで私と一致するところがあり、説得力もあり、ときどき参照させていただいています。
ブログに挙げるテーマ、資料の検索・分析など、タイムリーであり、正確であり、ありがたく思っています。

今回の件は、各新聞社も取り上げているので、特定の新聞社のヤラセや誇張はないように思えます。ただ、細かい記述や表現が違うのはいつものことです。
事実として、年寄りに面と向かって暴言を吐いたことは、非難されるべきです。ただ、相手が子供の場合、その前後を見てみないと、本当のところはわかりません。

初めにこのニュースを知ったとき、ちょっと釈然としないものを感じました。

ひとつは、中3といえども、反抗期にある子供で、果たして、何もないところから、すれ違いざまに、こういった暴言を吐いたのだろうか、ということです。
やや離れたところには引率の担任や旅行会社の人間もいます。

そうした状況で、中学生が「うるせえ!ジジイ!」でなく、「死に損ないのクソジジイ!」と言ったからには、何がしか前後関係があるのではないか、と思ったのです。

二つには、森口が、被爆者という語り部、と紹介されていたからです。
単に、「被爆者」なら何も思いません。戦争の悲惨を被爆者が誰かに伝授するということは、あっていいと思います。
ところが、「語り部」と聞いたときに、特に最初、毎日新聞の記事で知ったため、胡散臭いかな、とちらっと思ったのです。

それでも、このブログを知らなかったので、ツイッターでは、学校名を晒せ!などとツイートしてしまいました。

森口のプロフィールは、このブログで初めて知りました。

上の二つ目の疑問は、当たりました。
それどころか、堂々たる団塊の左翼であり、直接被爆者のフリをしながら、それを自らのやりたい方向に利用さえしているようです。
被爆団体には左翼で構成されているものもありますが、おそらくそうしたところでも、活発に動いているのでしょう。

ブログによれば、おとなしくしていなかったこの生徒たちに対し、森口が、出ていけ!と言ったようです。おそらく私語をつづけ、被爆の話など関係ない、という風だったのでしょう。
生徒は生徒で、どうしようもないガキンチョだったのかも知れません。

教師でない人間から出た「出て行け!」には、中3男子くらいであると、注意されたというよりバカにされたと映ります。中3くらいだと、自分のしていることは棚に上げて、ついつい反抗的な態度やしぐさをとります。この生徒たちの場合は、それが「死に損ない」でした。

舌打ちしたり、うるせえな、ジジイ!でなく、「死に損ないのクソジジイ!」とは、いきなりそれだけ出てくる言葉とも思えず、もっと他にこの生徒たちは言葉を発していると思います。
そのなかで、最も森口の耳に残ったのが「死に損ない」だったのでしょう。

言った生徒たちは、他の生徒にもけしかけて、手を叩けなどとも言っており、どうしようもない生徒の集合か、それだけのことをさせるよう、森口が何がしか挑発したかのどちらかです。

ところで、この一件は、どこから報道機関に流れたのでしょう。
静かにしろ!静かにしないなら、出ていけ!、うっせーな、ジジイ!…なら、全国紙に報道されるまでには至らなかったのではないでしょうか。
といって、「死に損ないのクソジジイ!」と言われれば、イコール全国紙報道になるのでしょうか。

どうも、森口の「ツテ」が手伝っているような気がします。

日教組OB、神奈川県の公立学校、訴訟時に知り得た弁護士など、あるいは、直接、地元の左系新聞とつながりもあるかも知れません。

5月27日の長崎市のこうした出来事が、どうして10日以上も経って、東京に本社のある新聞各社に取り上げられたのでしょう。
私が知らないだけで、地元紙やテレビでは流していたのかもしれませんが、配信の流れにも興味があります。

生徒が説明を聞かないので注意したら、逆ギレして暴言を吐いた・・・この、まるで、アナウンサーの結婚話程度のニュースが、なぜ大きく報道されることになったのでしょう。

森口は、校長宛てに抗議の手紙を書き、それに対し校長は謝罪した、とあります。それで終わりなのではないでしょうか。

静かに説明を受けない生徒が、直接的には悪いので、本人はもちろん、そういう家庭や学校、彼らの担任にも、問題はあります。
こんな生徒がいたよ、けしからん、ということを、全国民に知らせたかっただけでしょうか。

一方、この報道の流れをみると、語り部を使命としながら、この森口という人物は、自分の存在や力を、周囲に見せつけたかったのではないかとも思えます。

年寄りにはよくある習性です。認められていない自分が、何かをきっかけに認められるなら、喜んで一歩前に出よう…
しかし、森口のとった行動は、年寄りの自尊心を超えて、いかにも左翼らしい行動です。

それにしても、被爆の語り部というのは、お金をもらってやることなのでしょうか。
語り部ついでに、靖国神社参拝反対や憲法改正反対を叫ぶのは、被爆者を装った詐欺ですね。

結果的に、森口さん、あなたの常日頃の語り部としての活躍ぶり・熱心さは、全国に知られるようになりました。
あなたが、語り部詐欺という反日サヨクであることも、全国に知れ渡りました。

2014年6月 8日 (日)

安倍内閣打倒を使命とする保守系ブロガーたち(2) (2014年6月8日)

まず、恐縮ですが、自分の書いた「 雨後の筍のように生まれた保守系論客 (平成25年9月27日) http://bit.ly/1pWNY5I @syuya_yui」の終わりのほうからの転載です。

   ▽▽▽
本来は、せいぜいブログを書いていればよかったくらいの人物が、サヨクの論客に負けまいとする気概と、出版社に急かされるせいもあってか、保守迎合的になり、保守政権崇拝教になりつつある者までいる。

明らかにオーバーキャパシティと見てとれる保守系論客といわれる人物が、サヨクの饒舌よろしく軽口をたたいているのを見ると、私より年下のせいもあるが、何だか子供のお遊戯の時間を見るようである。

これらを含め、新たな情報に接したときには、次の原則を貫くべきだ。

1.情報はいくらあってもよい。
2.情報は鵜呑みにしてはいけない。

どういうカタチであれ、情報を得る機会は多ければ多いほどよい。
しかし、その情報を元に、「自分で見て考える」ことをしなければならない。

保守政治のことを、保守論客にまかせておけばいいわけではない。それではまるで、自称サヨク運動する者は、みな、上野千鶴子らサヨクの論客の言う通りにするのと同じである。

最近よく名前を目にするな、と思っても、やはり上の二点に戻って、冷静に判断する必要がある。それでもなお、その考えを信用できるとなったら、信用して付いていけばよいと思う。
付和雷同して付いていけば、思わぬ裏切りに合うかもしれない。

仲間だから、学歴が高いから、本を書いているから、歯に衣着せぬ物言いをするから、おもしろい人だから、・・・、だから、この人を信用できる、…というのは間違いである。

しっかり中身を知ってから、その人物に賛同しても、遅くはない。賛同するのが遅くなっても、恥じることではない。
   △△△

これを踏まえて、A・Bについて思ったところです。Aは政治団体と書いていますが、個人かも知れません。

ひとつひとつのことで議論したいなら、それぞれのコメント欄に書き込んでいけばいいのですが、それは時間もないのでしません。第一、議論するほどの相手とも思えません。
彼らの投稿やブログを全部読んだわけではないですが、こんな印象をもちました。

******************

保守・愛国を自認しているようだが、A・Bともに、靖国神社参拝について、どこにも記載がない。
参拝したことがあるのか。
英霊の御心に感謝し、できることなら靖国参拝するという姿勢は、保守愛国の根本のはずだ。

Aは都知事選で田母神俊雄氏を応援しているが、石原慎太郎と同様で、氏の経済・財政方面での経験のなさを、どう補っていくのか、という点は見逃されたままである。
それで、安倍政権の経済政策を批判できるのか。

Bには、これといって、支持する具体的個人名すら出てこない。安倍がダメなら誰がいいのか。理想の政治家は、架空の世界の人物か。
おそれくBは、Aの信奉者であろう。だから、ブログの言葉がみな受け売りに近く、歯の浮いたような表現なのだ。
また、ひとつの主張をするにしても、読みやすさを重視しているといえば聞こえはいいが、あまりにもあっさりとし過ぎている。

誰の、どのような、反対表明も、常に威勢がいいものだが、それだけにミニブログのような体裁では、読者に説得力をもつことはできないだろう。

あるところで「なでしこりん」というブロガーを、安倍信者・安倍擁護工作員と呼び、こき下ろしている。この人のブログは、たまに参照するが、ごくふつうの保守系のブロガーだ。

別に「なでしこりん」の味方でも何でもないが、「なでしこりん」に比べれば、情報分析や正確な読解力、文章記述力について、Bには勉強不足が見られ、ちょっと人の気を引くキャッチフレーズがあるだけで中身がない。

Bがそのまま転載したAの投稿については、バスのぶつかる可能性のある岩とは何か、具体的な記述がない。これではやはり代替案の提示でなく、単なるたとえ話へのすり替えに過ぎない。

Aについては、先の投稿に対し、寄せられたコメントのひとつに、次のようなものがあった。

≪安倍総理を批判できる勇気ある真の保守政治家・政党の獲得です」に概ね賛同ですが、保守層の個々人の理想とする政策が100%合致する政党・政治家はいないし、今後 現れることもないと思います。
政治家・政党は極端な言い方ですが「消去法」または「絶対譲れない政策で一致」でしか選べないと思います。グローバル化と言う名の米国化など米国従属的とも取れる政策を行っているように感じる場合もありますが、「左により過ぎた日本を真ん中に戻す」事を優先させるべきではないでしょうか?
そして 保守層が磐石になった時点で政策を見直す事が良いと考えます。維新にも期待できる政治家もいますし田母神氏の動向も気になります。もう暫く様子を見る事も悪くないと思います!私自身は、反米よりの保守であると自負しています。≫

現実的な意見であり、一理あると思う。

Aが、みどりの党を応援していたというのはひっかかる。その他の点では、保守の立場には相違ないようだが、いかにも、一気に理想国家論を展開しているようで、誰も付いてこないのではないか。
理想に近づけるために、実際に何をどうすればいいのか、読者にはわかりにくいだろう。勧められた署名ページで、反対をクリックさせるためだけの集合体として、読者を想定しているのだろうか。

政治とは、現実的な運びであり、自分がよくても相手のあることとして、判断を迫られる。他の国々とは否応なく関わりを持たざるを得ない。内政においても同じことだ。
どうせ大上段に構えるなら、日本における2014年現在までの過去の成り行きを検証し、2014年現在から将来を見据えるという視点が必要だ。

日本は、敗戦国でもあり、戦後、多数決の論理が基本となる、民主主義という政治形態をもつ法治国家として、歯痒いシーンにまで自重しなければならない宿命を負ってしまった。
そうしたなかでさまざまな懸案を、法改正や法解釈で乗り越え、よりよい国家を実現させようとしているのが、現政権であると思う。

誰でも、税金が高くなるのはイヤであり、控除がなくなるのもイヤである。が、先行きを見て、これは将来の日本のため、日本のよさを取り戻すため、いま必要なのだ、ということであるならば、その限りにおいて、国家に従っていくという姿勢も、国民には必要だろう。

こういうありかたを、A・Bともに、安倍信者と呼んで、単純に切り捨て、信者は信ずる者に対し、何も言えないのだ、と断定し、そこから自らの見解を述べていく。
右派や右翼が、保守政権であろうと、それに対し、意見を述べなかったことがあっただろうか。

政治的信者というのは、自らの利益を考えて、付き従っていく者たちのことだ。圧力団体と呼ばれる営利企業群も然りだ。それらは確かに、ある意味、安倍信者であり、自民党信者であろう。信者であるからなおのこと、自分たちの要求を突き付け、期待に反すれば離れていく。
信者が何も言えないと、何をもって断言するのだろう。
安倍内閣を選んだのが安倍信者であるなら、信心に背くようなことが行なわれれば、何か言うに決まっているではないか。そのための支援者が信者なのである。

しかし、苟(いやしく)も、右翼思想を練磨しようとする人間にとって、自らの利益のみを優先するという志向性はない。あってはならないのだ。
安倍内閣も、自民党政治も、日米安全保障条約も、その思想実現に向け、通らざるを得ない長い道程なのである。
右翼思想とはそういうものだ。一個人や一内閣の信者であるはずがない。

安倍政権を、反日右翼と呼んでいた人物がツイッターにいたと書いたが、A・B共に、そのツイッターに似ている。これらには互いに相通じるものがある。

真の国益、などと言いながら、保守愛国者であるのに、左翼に対して徹底した批判がない。また、ほとんど言及されていない。ほとんど、均等の比重をもって、それぞれに注意を呼びかけている。保守側に立つなら、まず、左翼一般や共産党に対する批判が、どこかにあるべきだ。
彼らの視点には、始まりからすでに誤りがある。

左翼は、こうして右派、さらに言えば、安倍政権と均等に扱われ、一刀両断するためだけに登場している。あたかも、安倍政権を批判しているが、左翼をも批判したうえでのことですよ、という口実のようだ。

こうして、左右を超えたところでの愛国論を展開したいようだが、これもまたあまりに非現実的である。
左翼はもはや存在しないと思うが、それにしても、保守に対立する立場は、必ず出てくる。この対立軸は消えない。仮にA・Bが頭のなかで、左翼右翼の対立軸は消えたと前提しても、現実にそうではないのだから、空理空論である。

左派への批判という視点を欠きながら、一年半前に出来上がった現政権の政局運営だけを批判するというのは、まことに視野狭窄と言わざるをえない。

つまり、安倍政権を云々する前に、順序として、民主党とそれを支持した国民、日本共産党のありようを叩かねばならないはずだ。そうした言説は見られない。
A・Bは果たして、本当に、保守志向なのか。

TPP問題が出てくれば、何でも反対、移民を入れると聞けば、何でも反対、・・・これでは<連中>と同じだ。
個別の政策について、あくまで、将来の日本の国益を考え、日本がリーダーシップをとれる政策として、ギリギリの選択をする場合、どうすれがいいのかは、政治家だけでなく日本国民ひとり一人が考えるべき課題だ。

政府与党の出したアイデアを、よく知りよく調べたうえで、個別に意見を出していけばいいと思う。
同じ内容の意見が多数を占めたとき、民主主義国家において、それを政治家は無視できない。
それでも、断行すべきこともある。そのあとは、衆議院の解散か総辞職でしかない。政治家の任務は責任重大だ。

まとめてみる。

A・Bの言わんとすることは、何も、安倍政権そのものを批判したり倒閣を企てたりするような話ではない。
この政策はまずいと思うが、みなさん、どう思いますか、みなさんで反対しましょう、ということでいいと思う。

保守愛国者を自認するのであれば、右派の視点で、少なくとも、戦後日本の歴史を、さらに勉強し、2012年暮れに誕生した現政権のもつ意義にも配慮し、2014年現在から先を見て、建設的な日本の未来像を描いてほしい。

2014年6月 7日 (土)

安倍内閣打倒を使命とする保守系ブロガーたち(1) (2014年6月7日)

こんなブログがあります。

【日本を安倍晋三から取り戻す!真の国益を実現するブログ】『暴走するバス運転手とその乗客』 http://amba.to/ToFs5n

この人物のプロフィールは、Amebaに飛んで、ニックネーム:憂国の一国民(財政危機はウソ)、とあります。他に、FacebookとTwitterでも、同じブログを載せています。

mixiにも「真の国益を実現するブログ」というミクシィページをもち(http://page.mixi.jp/view_page.pl?page_id=310848)、11人のマイミクさんのほか、mixi内で92人がフォローしています。(このページは、その後、削除されています。)

最近のブログには、次のようなものがあります。

安倍政権を批判する理由(4月7日)
http://ameblo.jp/datoushinzoabe/entry-11816473033.html

待てない保守? 待てばもっと悪化するだろ!(6月5日)
http://ameblo.jp/datoushinzoabe/entry-11871348548.html

暴走するバス運転手とその乗客(6月7日)
http://ameblo.jp/datoushinzoabe/entry-11872648180.html

上の三番目の「暴走するバス運転手とその乗客」は、全文、Facebook の Japanese Agency という政治団体(https://www.facebook.com/JapaneseAgency/info)の投稿をそのまま転載引用したものです。
時間的に、投稿後、ほとんどすぐに引用して自分のブログに引用していることがわかります。

そのまま全文転載するということは、自らの主張と全く同じであり、且つ、自らの後ろ盾になると判断しているからです。
実際に、他の投稿文を見てみると、上のブロガーと、ほとんど同じ見解ということがわかります。

そこで、政治団体を名乗る Japanese Agency の投稿をみてみようと思います。
 

Japanese Agency の5月19日に投稿に、以下のようなものがありました(▼~▲)。
少し長いですが、そのまま転載します。ひと続きの文が多く、読みにくいので、適度に段落を作ってあります。  

    ▼
【保守として安倍政権を倒閣してどうするのか】

安倍総理を批判すると、安倍信者から「工作員だ」「保守分断だ」と罵倒されます。はっきり言って、 Japanese Agency の立場は、右翼からも左翼からも賛同されません。理由は至って単純で、国民の思想がいわゆる「右翼」と「左翼」に二分化されているからです。

今日の日本では、「右翼」と認識される人たちは、中国や韓国を批判し、反日的な言動には非常に敏感ですが、急激な改革に対しては、知識がないからか、まったく抗議の声を上げません。
一方で、「左翼」と認識される人たちは、原発やTPPなど、生活の変化には非常に敏感ですが、自虐史観を従順に受け入れ、反日プロパガンダを鵜呑みにしています。

残念なことに、アメリカによる改革、そして、反日国によるプロパガンダに対抗する「ごく普通の日本人」が非常に少ないのです。

保守の立場から安倍総理を批判すると、「安倍総理を降ろしてどうするんだ」といった批判を受けます。

当たり前の話ですが、国民は常に政府の動向を注視しなければなりません。期待を裏切る政治家は落選させる必要があります。政府や政治家に抗議することは至って正常なことです。
現在、中国の軍事的脅威を利用した対米従属が深刻化しています。「安倍政権は是々非々だ」などと戯言を抜かしている暇もないほど、アメリカ主導のグローバル化に急激に呑み込まれています。
安倍政権に対し、「ならぬことはならぬ」と抗議し、それでも聞く耳を持たなければ、倒閣するのみです。「反日の総理になったらどうするんだ」という意見がありますが、それならばまた抗議、それで効果がなければ倒閣するまでです。

少しでもまともな総理が現れるまで、こうして「時間を稼ぐ」しかないのです。
確かに、総理が次々と変わるのは、日本の政治が前進しない理由の一つではありますが、これは同時に日本が壊れなかった最大の理由でもあります。
これまで何十年間も、次々と無能な総理が交代しましたが、それが原因で日本が壊されることはありませんでした。総理が日本を壊す時間もなく倒閣されていくからです。

長期政権の具体例である小泉政権は、保守政党とされる自民党政権ですが、今や言うまでもなく壊国政権でした。無能な政治家が多い日本では、結果的に、長期政権こそが日本を壊します。これは、あの時「救国政権」と称えられ、高支持率を維持した小泉政権で証明されたのです。安倍総理はその小泉政権の内閣官房副長官・内閣官房長官を担当しました。

「石破が総理になったらより反日だ」という意見もあります。民主党政権によって、確かに日本は疲労しましたが、鳩山由紀夫や菅直人ですら破壊できなかったものを、石破が総理になった途端、どのようにして日本が破壊されると言うのでしょうか。被害妄想も甚だしいものです。

前述で「少しでもまともな総理が現れるまで時間を稼ぐ」と書きましたが、私たちは安倍政権の進めるグローバリズムの阻止と同時進行で、真の保守政治家を探し出し、また、国民の意識も変えていかなければなりません。
一人でも多くの保守に、自民党が保守政党でない事実を認識してもらい、真の保守政党・政治家が現れるまで、草の根運動を続けていくしかありません。

ほとんどの「保守政治家」は、ネット上の「右翼」からの支持や票に頼っているため、安倍総理を批判することを恐れています。批判すると、現在「右翼」の大多数を占める安倍信者から「反安倍=反日」という荒唐無稽な反日認定を受けるため、支持を失うことを恐れています。
ネット上で似非保守を育成している「保守論客」と呼ばれる人たちもまた同じで、安倍総理を批判することで人気が落ち、講演数が減り、本が売れなくなることを恐れています。彼らは「保守」ではなく、「保身」でしかないのです。

私たちが必要なのは、安倍総理を批判できる勇気ある真の保守政治家・政党の獲得です。
そのためには、まず、彼らへの保守勢力の支持が必要不可欠で、そのためには保守勢力の意識変化が必要です。同時に、一人でも多くの政治家や論客に、安倍総理や自民党の批判を支持する保守層がいる事実を示すことが重要です。
似非保守ではない政治家や論客を見つけたら、彼らを全力で応援し、堂々と安倍総理を批判してもらう必要があります。現在ネットに蔓延している「安倍総理の批判さえ許されない空気」を変えることが、真の保守政党を誕生させる最大のきっかけとなります。

日本の政治を前進させるために、「右翼か左翼か」という単純な構造と無益な対立を終わらせるためにも、私たちは「ごく普通の日本人」を増やしていかなければなりません。そのためには両者の変化が必要です。

まず、安倍政権を「左翼」の立場から批判している国民が、生活の変化に対してだけではなく、同じように日本を陥れる反日に対して闘うようになることです。
また、安倍政権を「右翼」の立場から盲信している国民が、反日国家に対してだけではなく、同じように日本を壊す改革に対して闘うようになることです。

右翼や左翼といった枠を超え、互いに凝り固まった思想を柔軟にすることで、「ごく普通の日本人」が増え、政治が前進するようになります。
    ▲

また、ノートの部分には、I. 安倍政権はなぜ危険なのか II. 私たちにできたこと III. これからできること、と題して、いろいろな抱負などが書かれています(https://www.facebook.com/notes/japanese-agency/i-%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%94%BF%E6%A8%A9%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B-ii-%E7%A7%81%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AB%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8-iii-%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8/667580763261266)。

そのなかには、いくつか興味深い言葉もあるので、そのままコピペしておきます(▽~△)。

    ▽
・民主党の息の根を絶つために、衆院選では自民党を勝たせる必要がありましたが、参院選では政府の暴走を阻止し少しでも決断を鈍らせるために、衆参のねじれを維持する必要がありました。

・私(各メンバーによる)が参院選でみどりの風を支持していた理由は、
①組織的な反日政党、カルト政党ではない
②TPPに反対、新自由主義に反対
③支持政党がない場合、政府を暴走させないために、一番力を持たない政党に投票するという方法(これは政治に関心の高い国々では常識です)
以上の条件を満たしていたからです。

・日々、少しずつ、「おかしい」と感じる保守が増えています。似非保守の安倍総理に対抗できる勢力を集結させるために、
①信者の洗脳を解く活動にご協力ください
②政府、自民党に電話・FAXで抗議してください(抗議先は一番下を参照)
③反日政党、カルト政党以外のTPPに反対している国会議員を全力で応援してください
④安倍晋三、首相官邸Facebookページなど、人目に多く触れる場所で、自民党の実態や公約違反、安倍政権の危険性などを積極的に書き込んでください(政治活動用アカウントの作成をお勧めします)
    △

長くなりましたので、ここは、以上の紹介までにして、次の日記で、これらに対する感想を述べたいと思います。

なお、次回の日記では、表記の都合上、「Japanese Agency」 をA、「ニックネーム:憂国の一国民」をB、と表わすことにします。

2014年6月 4日 (水)

愛国者を非難する愛国者

ツイッターでは、愛国者側を分断させようとする工作員サヨクが跋扈(ばっこ)しているようです。
捏造情報や不確かな情報を根拠に、愛国者の揚げ足をとり、愛国者同士の相互フォローを分断させようと企んでいるようです。

これは以前から散見されました。

最近では、愛国者相互でフォローし合っているにもかかわらず、不確かな情報を元に、あるいは先入観をもって、他の愛国者を糾弾し、反日右翼などと呼んでいる者もいます。

例えば、TPPや移民に関することで、ただひたすらこれに反対するという立場の人です。
反対はかまわないのですが、同じ愛国者のフォロワーを一刀両断にしたり、すれ違っただけのようなツイッターを見つけては、それを非難しています。

安倍内閣によるこれらの政策に、賛成の者はもちろん、腕組みしているだけの人間は、すべからく反日の刻印を押しています。
本人によれば、これらはみな、反日右翼だそうです。

反日右翼?・・・何だ、それ?
新しい言葉を作って注目されたいのでしょうか。

あえてアカウント名は載せませんが、例えば、こういうツイートをする人です。

「保守の方々は安倍総理の進めるグローバリズムを阻止してください。「工作員」「保守分断」などの妄言を気にせず、堂々と安倍総理を批判してください。反日だけでなく、革新に対しても闘ってください。安倍総理の批判さえ許されない空気をつくっている人たちが保守を自称している日本の現状は異常です。」

「デフレ下増税、外国人の受け入れ(移民)、TPPなど安倍内閣の日本破壊法案に一切触れずに中韓批判ばかりしているアカウントにご注意。安倍内閣がやってる事は明らかに日本人の為の政策ではない、反日です。それを批判しない人こそ本当の意味での反日です。」

各種署名にしても、その依頼が回ってきたところで、そういう機会があったのか、それなら署名しようという人もいるし、賛同しなければ何もしなくてよいし、少し考えて結論を出してもいいのです。署名しないからといって、愛国者ではない、とは言えないでしょう。
そういうチャンスがあることさえ知らない人も、みなサヨクだとでも言うのでしょうか。

昨年9月、『雨後の筍のように生まれた保守系論客』(http://futa-forever.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-9a56.html)というブログを書いたことがありますが、論客も多くなればなるほど、細部では互いに考え方が異なっており、ややもすると、互いに相手をなじり合うような光景も出てきます。

安倍信者、安倍内閣信者という有権者も多いでしょう。待望の保守政権ができて、これに熱狂するのも無理からぬところです。
しかしおそらく、ニックネームとしての信者が、信仰になった時点で、宗教的排他主義が生まれます。これだけは肝に銘じておくべきでしょう。しかしその心配はないです。国民というのは、政治家が考えているほど、愚かではありません。

上に挙げた人物は、安倍内閣支持者を安倍信者として批判していますが、これは、安倍政権を支持する者すべてを、初めからからすべて安倍信者だと思い込んでいるところからきていると思われます。

つまり、彼もまた、政治を見るときに、信者であるか否かといった基準で、有権者を見ているということになります。

話を、この数日書いてきた日記に引き寄せるなら、右翼思想は、特定の個人や内閣に与(くみ)するものではありません。むしろ、個人の思念や情念であり、哲学に近いありかたです。
「正」の逆は必ず「反」だけ、とする単純な断定のしかたは、まるでサヨクの方法論です。

ツイッターの使い方にもよりますが、ツイッターは、情報の拡散の場と考えています。ありがたいツールと思い、利用しています。
これを皆に知ってもらいたい、と思ってツイートするのであって、それをキャッチした人がどう思うかは別です。だから、それがリツイートされると、拡散されたという意味で、うれしく思うわけです。
(そういうわけで、私自身はツイッター上では議論しないのです。そもそも、一日中ツイッターをやっているわけにはいきません。)

この人物は、「なでしこりん」という人のブログを、安倍信者だと批判しています。彼女(もしかして彼)の誠実な資料検索にはお世話になっていますが、安倍信者ではないでしょう。そんな熱狂に関係なく、冷静に事柄を調べて書いている人です。
移民に関していえば、正確に報道しないマスコミ、あるいは、きちんと公表しない政府側にも問題があります。

彼は、自ら左翼でも右翼でもない、と言っていますが、どうして、自分のスタンスを明確にしないのでしょう。もう、そういう対立軸では、社会を見てはいけないという立場なのかもしれません。
彼自身は愛国者のようですが、愛国者というのは、おのずから、程度の差こそあれ、右翼なのです。それとも、言葉のもつイメージを気にしているのでしょうか。

いまだかつて、政権を批判しない右翼というものがあったでしょうか。
政治家には左右のバランスなど要りません。自らの信念に基づいて、政策を断行すればいいのです。
それに反対する余地があるのであれば、根拠をもって反対すればいいのです。

一国民の意志など、政治家の耳には届かない、という考えもありますが、支持する国民の負託に応えなければ、その政治家は、次回、落選するのです。
自分が一票を入れていない候補者が当選することはよくあることですが、保守政権に戻った現在、愛国者が愛国者を、頭からすべて非難するというのは、隙をうかがっている<連中>を喜ばせるだけです。

2014年6月 3日 (火)

右翼思想時代の幕開け (2014年6月3日)

ツイッターでもフォロワーになっているマイミクさんはご存じのとおりですが、今は、<連中>については、以下の三つのツイートを流しています。

◆反日と愛国者の問答をツイッターで見かけるが、全体にブサヨは歴史認識に欠け、物事を前向きにとらえようとせず、暗く卑屈で、常に、今という刹那に終始した議論だけで、将来を見据えた視点がない。答えに窮すると、代替案もないため、乱暴な言葉遣いで屁理屈を並べるか、一行ツイートを繰り返す。

◆日本における自称サヨクの特徴:①日本を愛せない。②日本に生活して恩恵を受けながら、これを無差別に批判する。③周囲とのここ数日の共生だけが目的で、夢や希望、ヴィジョンといったものと縁遠い。④自分たちの世界にのみ生きるのに必死で、生死にかかわらず他者の存在や見解を見ようとできない。

◆反日の特徴:①礼儀と言葉遣いを知らない。②物事の順序や秩序に無知無頓着。③刹那優先で全体像や将来像を見通した視野をもてない。④歴史認識と、AゆえにBであるという論理性に欠ける。⑤提案・代替案を出せない。⑥同情・共生を通じ横に群れ、そこにしか自己のアイデンティティを見出せない。

これらの逆にあるのが、愛国の立場です。また、そうあってほしいと思うところです。

第三の「反日の特徴」についてはわかりやすいと思います。ここにいう反日とは、自称サヨクの<連中>のことです。

①礼節の本源は皇室にあると思っています。これは実証不能かもしれませんが、日常生活の習慣や風習というのは、その価値ある事柄については、ほとんどが伝来のものを見よう見まねで倣っていくということから始まっています。
長幼の序、尊敬語・謙譲語・丁寧語も、学校で勉強したとおり、その源は皇室に行き当たります。

②物事の順序・秩序もこれに関することで、公私の区別が根底にあります。
上(かみ)と下(しも)があって、その絶対的差異(神と現世の人々)や相対的差異(現世の人々相互)によって、秩序が生まれ保たれてきたのです。
すべてに平等を標榜する共産党とは、最も異なる点です。

③特に最近、目の前にあって、じかに見えているもの・直接触れえる対象しか、思考の範囲にないという点に、料簡の狭さを感じます。その実、間を飛躍して、SF的な発想で、夢や桃源郷を追いかけ続けるのもまた、自称サヨクの特徴です。
現実や対象と向き合うと同時に、過去を振り返りつつ先々のことに思い致すことで、思想は力をもちます。

④<連中>は大方、歴史音痴です。近年、権力の中枢に就いた者が、みな理系であるというのは、単なる偶然でしょうか。もの心ついたころから、そういう選択をしてきたという経緯も含まれます。
いや、無論、理系の人間がみな、歴史音痴なのではありません。<連中>の多くは、数学的な解決方法に埋没してしまい、それが唯一の問題解決の手段と思い込み、そこから抜けられず、いつの間にか裸の王様になってしまっているのです。

美しく割り切れるという姿は、ときに魅力的に見えますが、人の世は割り切れないことばかりで、だがそこに、情緒や感慨というものがあるのです。
特に、<連中>の思考の基本には、西欧合理主義の考え方があり、アメリカ的プラグマティズム(実用主義)に(よく言えば)培われた判断方法をとります。

「いき」、「ハレとケ」、「もののあはれ」などにみられる感覚こそ日本伝来の感覚であり、これは古典の世界でのことと簡単に一蹴できない、日本人特有の民族性の現われでもあります。

⑤しかしまた、煽られて付和雷同しがちなのも<連中>の特徴です。
考えることをしない、考えることは面倒なので他人まかせにする、…こうした思考からは論理性は生まれません。ということは、人の言う論理も素直に聞けないということになります。

当然、代わりとなるアイデアなど出てきません。かつて、何を言っても犬の遠吠えといわれた社会党の姿は、そのまま今でも、負の遺産として、<連中>に引き継がれています。彼らは今でも、反対反対と叫ぶだけです。

人の説明を聞き、さらに議論し、それでも私は「売国の姿勢をもって、同じ日本人である愛国者と戦っていく」「反日の姿勢を最後まで貫き、在日韓国人や中国の利益を追求するため、同じ日本人である愛国者にも理解を求めていく」…これなら、一応その存在を認めるくらいのことはしてもいいですが、はて、こんな人間が<連中>のなかに何人いるでしょうか。
彼らにあるのは、共生という名の刹那的連帯だけです。

奇妙な話ですが、売国奴が、自らを堂々と売国奴と呼んで胸を張った例はありません。
していることが売国であると気付いていないわけはありませんが、日本にいてさまざまな有形無形の恩恵を受けていながら、さすがにそう宣言するのには、忸怩たるものを覚えるのでしょう。

本当に気骨ある売国奴なら、騒ぎの中央には出ず、陰で何かするか、または、さっさと国外に移住しているはずなのです。
人権人権などと唱えるわりに、中国周辺で中国のおこなっていることに、<連中>は声を上げたことがあるのでしょうか。
<連中>は常に矛盾しており、矛盾のあるかぎり、それは一貫した論理とは言えません。

⑥思想というのは、自らそこに自信をもてばもつほど、同じ系統の仲間であっても、細部に渡っては容易に妥協できなくなります。
本来、思想は、ひとりひとりのものであるだけに、仲間同士がすべてにおいて全く同調するということは、むしろ例外に近いはずです。

それでも、力を合わせなければならないときにこそ、細部の違いを乗り越えて、勢力として動くのが、思想の実行です。

初めから仲間同士で和気藹々と時を過ごすなどという現象は、思想の現われではないのです。力を合わせなければならないときと、そうでないときとの区別がつかないような、ダイナミズムの欠如もまた、実行に向かうべき思想が、はぐくまれていない証拠です。

思想の練磨は、頭の中のゲームではありません。
いずれかは実行行為として現さなければ通じず、また力を発揮できないまま終わるのではない、という自覚も必要です。

こう言うと団塊の世代の左翼から、だから実行してきたじゃないか?と反論されそうです。
遡って、60年までの安保闘争は、それなりに彼らの思想の発露が認められますが(賛成しているわけではありません)、いわゆる学生運動から成田の三里塚闘争まで見ても、これが本当に、<自分たちの思想の発露としての実行>だっとは思えません。

彼らの言い分である、<不正を糾弾する>ということと、思想の実行とは、違うのです。
成田闘争のように、見知らぬ土地に出かけて結集し、そこで現地の人々と仲良くし、そこに加勢するという図式は、沖縄県の一部に現在見られる現象と相通じます。
<連中>が沖縄でしている行為は、直接的手段ばかりです。左翼は学生運動や過激派のように、その行動において性急な動きをとります。

これは行動だけでなく、そのきっかけにおいても同じで、あしたヒマだったら、日当を出すからいっしょに来てくれない?と言われて、いわば買収されて、集会やデモに参加するのも、性急な決断と言えます。カネをくれる人は、いい人ということになります。
信念や思考が停止しているなかで、カネをもらってカラダも動かせば、何がしか発散するには一石二鳥なのでしょう。

そんな<連中>がいくらシュプレヒコールを上げても、ある意味これは、戦争や紛争のつづく国や地域より、明らかに平和な国家のなかでのことであり、だからこそ、言いたい放題やりたい放題ができるのです。
<自由>というものを履き違えた<わがまま>は、これこそ日本という国柄にふさわしくない要素です。

今の自称サヨクは、日本をよくしようと政権与党を批判してきた昔の左翼とは、全く異なります。
<連中>は単に、日本という国を否定しようともくろむ集団です。
では、どんな国にするのか?ヴィジョンなどあるはずもありません。

以上のような結果、左翼らしい左翼というのは、どう見ても今の日本にはほとんど見られず、敵がなければ戦うにも手持ち無沙汰です。
右翼思想が、そのエネルギーを持て余しているとしても、それは致しかたのない時代なのです。

それだからなおのこと、今この時期に、精神の鍛練が意義深いことになります。
大東亜戦争で、軍人のみならず銃後の年寄りや子供たちにも浸透していた、大和魂なり武士道の精神なりというものが、甦りつつあると信じます。
その日本精神には、はっきりと自らの立ち位置を定められない人々も、付いてくると信じます。

時代を越え、便利になった生活のなかでも、なお溢れいずるものとして否定できない、日本人の魂というものがあります。
穏やかで静かではあるが、したたかで滔々とした大きな流れが、そのうち大きなうねりとなって現れてくるような予感がします。

右翼は怖い存在でしょうか。それを言うなら、怖いのではなく厳しいのです。
右翼ほど淳朴で、根のやさしい存在はありません。

2014年6月 2日 (月)

右翼思想は、敵を見失ってはならぬ (2014年6月2日)

左翼対右翼の構図は、社会の根底に横たわるものであり、多くの国でもそうであり、時代が下り、産業、特に工業の分野で新たな発見や進展がなされるに平行して、同じ国家を思う者同士が切磋琢磨して、行きつ戻りつを繰り返しながらも、その国をよりよくしていく経緯が、歴史と呼ばれるものです。

ところが現在、日本国においては、国を憂える左翼、国民の福祉に寄与する左翼というものは、なくなってしまいました。
かつて、革新勢力が左翼の代名詞であったときは、少なからず彼らにも国を思う気概はあったように思えます。

しかし、それとて、国民の過半数は常に支持せず、国会議員の多数は自民党を支持し、自民党はよくも悪くも、万年与党と呼ばれてきました。日本が、物心両面で豊かになり円熟した国家になるためには必要不可欠の道筋だったと言えるでしょう。
そこに、驕りや汚職が付いてまわったのも事実です。

アメリカの顔色を窺いながら、韓国や中国にも手を差し伸べてきたのは、俯瞰的見地に立てば、日本という国が、経済・財政・外交・防衛の面で、一人前になるために通らざるを得なかった道だったのだろうと解釈できます。
そして、まさに日本人の勤勉と器用な技術をもって、それを成し遂げたのです。

野党第一党であった社会党が、有効的に大いに発言権をもっていた時期があります。
東京都町田市は、小学生時代から30年近く住んでいて、私にとって第二の故郷でもあります。

もの心ついたときから、市長は大下勝正という社会党の市長であり、その任期と重なるのが、これも社会党の美濃部亮吉の都知事時代でした。
そのころは、自分のかかわる自治体が、社会党一色であることで何かに疑問をいだくといったことはなかったのですが、大下市長にしても美濃部都知事にしても、過ぎてみれば、福祉の充実という美名の下、カネをばらまき、市政・都政の財源不足をもたらしました。

大下は、市のあらゆるところに、今では珍しくないですが、障害者用のスロープやエレベーターを設置し、全国に先駆けての現実的な福祉行政として、注目を浴びました。少数者のためになぜここまで、とは口に出せない健常者の無言を尻目に、目に見えるかたちでの恩恵を少数者に与えました。

美濃部は、都バスを無料パスにしたり、隗より始めよということで、都庁に障害者を積極的に雇ったりし、これもまた高齢者・障害者をむげにしない政策として、範を垂れたと言われています。高齢者に報いることは、高齢化しつつあった日本では、本人やその家族への影響からも、票田になります。
これらの福祉政策は、その後、日本各地に広がりを見せました。

駅にスロープをつけたり、車椅子が乗れるような大型エレベーターを設置したり、頭は正常なのに四肢や発音が不自由である障害者を雇用したりしたのは、先を見越した政策として、それ自体は特に問題はないでしょう。

しかしながら、これはまた、一歩退いて隠れるように生活していた精神障害者や、同和部落の人々、在日朝鮮人が、むしろ一歩前に出て、堂々と身の上を明かし、仲間と連帯し、人並みの権利を主張し始める契機ともなりました。

これよりずっと以前から、こうした気配に気付いていた人も多いはずです。それでも、これらの連中が、日本という国土のなかで、むやみに発言権を強めていったのは、このとおり、ここ30年ほどのことです。

しかし、社会党の役割は、このあたりまでとなります。これはその後、社会党のたどった道筋をみればわかるとおりですが、それが社会民主連合という弱小政党に成り下がったとき、市川房枝の歓心を買い、学生運動をしていた落選続きの菅直人が、副代表として、そこに参加したのです(1978年)。

ちなみに、菅はその後、1980年に初当選します。島田雅彦の『優しいサヨクのための嬉遊曲』が芥川賞候補となったのは1983年です。これは<サヨク>なるカタカナ書きを広める契機にもなりました。

現在、町田市は、自民・公明の支持を受ける石阪丈一市長が三期目であり、都知事はご存じのとおりです。

大まかにたどってみても、革新政党としての社会党の役割は、とっくに終わっており、あとは、思想をもたず、マスコミや弁舌に左右された有権者が作り出した虚像であったと言えます。

もちろん、そのときにはわからないこともあり、つい最近、マニフェストという言葉に惑わされて民主党政権が誕生させてしまったころまで、国民の眩惑は続いてしまいました。虚像であるなどと、暢気に構えてはいられない時間が、三年間も続いていたのです。

ちょうどこれらと並行して、この十数年の間に、携帯電話やパソコンが普及し、インターネットがより身近になって情報拡散の機会も多くなり、社民党や民主党やそこに集まる人間が、実は、少数者に光を当てたい平等主義の美名をかざしながら、その実、陰で売国活動にも熱心であり、日本のありようを危うくする存在だということが、広く知られるようになったわけです。

政権奪還に程遠いとはいえ、一時期、ときおり社会党が力をもつなどしたのには、自民党の側に原因のあることも多かったのです。
いたずらに左派政党を勢いづかせるのは、自民党の側にも責任があるのは事実です。私利私欲に走り、国民不在の政治ゲームをしている政治屋に対しては、与野党ともに信用をおけません。

こうしてみると、日本において、ようやく左翼らしき姿を保っているのは、戦前戦後から一貫して、日本共産党だけということになります。
昨年6月の都議会議員選挙で、共産党は、自民・公明に次ぐ第三位の議席を確保しました。この17議席は共産党にとって、ある程度予測できたものでした。民主党の分を取り戻したからです。

公明党は常に20議席とっていますが、共産党も20議席以上を占めたことが2回あります。1973年(昭和48年)と1997年(昭和62年)です。
前者は、社会党を野党第一党としていた保革伯仲時代の終盤で、これに乗るかたちで票を伸ばしました。後者は、民主党の候補者が出始めたときで、この次の選挙から、共産党は民主党に議席を奪われます。

共産党が、どれほど政治的に円熟した政党なのか、国民全体のことを考えて政策を考えているか、はなはだ怪しい点も少なくありません。
ただ、常に、学生、若いサラリーマン、ハンディを負っている人々、自称インテリ階層には受けがよく、老練な自民党というイメージと対比させ、若さと行動力をアピールし、民主党のように、長い歴史のなかで、現れては消えて行った、という軽い存在感では済ませなくしてきたのも事実です。

昨年夏以降、都内では志位のポスターを、街角によく見かけるようになりました。JR御茶ノ水駅頭でも、元をたどれば共産党に行き着くグループがビラを配っています。
JR吉祥寺、JR中野駅頭では、民主党再生とばかりに、宇都宮健児の顔を掲げて、自称サヨクが署名活動をおこなっています。JR水道橋駅の東京ドーム側出口の交差点には、いつも同じボランティア会の連中が、募金運動しています。

三公社五現業の廃止・再編により、社会党の支持基盤を消滅させたのは、中曽根内閣でした。
さまざまな構造改革も思想的改革も、最後は法律の成立(改正も成立の一種)をもって目的を達成します。
それでも組合はJR総連として残り、彼らのいわゆる連帯という横のつながりによって、虫の息であるにしても、まだ生き残っています。

民主党政権時、保守側が必死になってその売国ぶりを拡散し、保守政党の再現を願ったように、今は、<連中>が躍起になって、安倍内閣や自民党の足を引っ張ろうとしています。

思うに、しかしこれは、いずれも徒労に終わるような気がします。一般国民の選択というのは、そのときどきにより気まぐれなものがあり、安心してはいられませんが、倒閣的な特段大きな騒動は起きないであろうと思います。

それは、現在の自称サヨクの<連中>には、死刑廃止論がいい例のように、一貫した論理・思想というものがないからです。これは実に、われわれにとっては幸運なことでもあります。
質で破綻するのがわかっているから、量でいく、というのが、かろうじて<連中>の手段となっているだけです。
その量のところに、本来あってはならない人種が加担し、過激派学生がアパートの床下で爆弾を造っていたように、巷での学芸会披露の準備をしているのです。

おそらくですが、大局的見地に立つとき、やはり保守愛国側からする敵対者は、共産党の存在に変わりありません。
労働組合などに支持基盤をもつと同時に、先に挙げたような、学生、若いサラリーマン、ハンディを負っている人々、自称インテリ階層など、一般国民の各層にも、その支持者は確実に存在します。

共産党は、女性の中に、主婦の中に、ということはつまり家庭の中に、すーっと入っていくのに長けています。子育て、託児所、義務教育、物価、給料、環境、通院、入院…こうした身近な問題で声を上げ続けるかぎり、入れ替わりはあっても、常に支持者はいるということです。

そして、愛国婦人には失礼ながら、自称<サヨク>の特徴は、そのままほとんど女性という性の特徴とも重なります。人口の半分は女性であり、有権者の半分は女性であることを、よく知っているわけで、それを利用するのが、共産党の常套手段です。
安倍首相は、女性を登用するべし、と言っていますが、こうした動きに機先を制する効果があるでしょう。自民党も女性の存在や活躍を忘れているわけではないですよ、というわけです。

的は絞られてきました。
従来どおりとなりますが、右翼の敵は、日本共産党です。

安倍政権誕生後、時折、民主党や社民党が、共産党に秋波を送ったこともあります。これは無視されました。あくまでも、独立自尊でいこうというわけです。
ただ、自分たちの勢力拡大のために、今後、キャスティングボートを握るような場面も無きにしも非ずです。

共産党は「赤旗」など機関紙を出していますが、その奥にある肝心な情報が出てきません。情報操作が上手です。根本方針などと、その正反対の末端の巷の活動は可視化されているのに、その本性が見えにくいという特徴があります。
つまり、裏で糸を引いているのに決まってます。

さらに今は、私の皮膚感覚からすると、随分と静かにしているようです。
おそらくですが、今後の選挙対策に余念がないのだろうと推測します。東京都以外でも、議席が少しでも増えれば、それだけの有権者が支持したということになり、地方議会でも発言権が増します。

共産党は、民主党のように、その所属議員が、あっちに付いたりこっちに付いたりして、ようやく出来上がった、寄り合い所帯の<成り上がり政党>ではないのです。
自民に比べれば小さい政党ではあっても、その気合いの入れ方は常に真剣であり、提示することに一応の論理一貫性があり、だからこそ<連中>に支持されてきた政党です。
さらに、大変頭脳明晰で優秀な人材が、常に上層部にいます。

共産党を支持している先ほど上に例示した人々、つまり、正確な意味で言う<市民>をして、いかに共産党が危険であり、日本の存立を危うくする可能性があるかということを、知らしめていく必要があります。これは山口二矢が愛国党にいたころからの忠告であり警告でした。
支持者らは、いっとき良い思いをさせてもらったからといって、魂まで抜かれることはないのです。

多少毛色は違うのですが、中国共産党も、同じ共産党なのだから、その<ありよう>には共通点が多いです。
対外的には対中国、国内には対日本共産党という対立軸は、今までどおりであり、また将来も変わることはないでしょう。

ただ、<アカ>だから、というだけでなく、なぜ<アカ>では、日本にとって不利益になるのか、ということを考え合わせながら、右翼思想を練磨していく必要があります。これは自戒の言葉でもあります。

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