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2014年5月 5日 (月)

映画 『インソムニア』

監督:エーリク・ショルビャルグ、脚本:エーリク・ショルビャルグ、ニコライ・フロベニオス、撮影:アーリング・サーマン‐アンデルセン、音楽:ゲイル・イェンセン、主演:ステラン・スカルスガルド、1997年、92分、ノルウェー映画、原題:INSOMNIA(不眠症)
2002年に、クリストファー・ノーラン監督・アル・パチーノ主演でリメイクされている。リメイク版(119分)は観ていない。評判では、このオリジナルのほうがよいようだ。
ある殺人事件捜査のため、刑事エングストロム(ステラン・スカルスガルド)は、スウェーデンからノルウェーのある町の警察に呼ばれる。そこで起きた女子高校生殺人事件の指揮をとるためだ。
その地域はちょうど白夜の続く時期であった。
遺体以外に証拠がないため、彼は、犯人を現場におびき寄せることにする。彼らは、被害者が現場に、自分のバッグを置き忘れていたと報道させる。
案の定、現場である海岸近くの小屋に、ひとりの男が現れたが、張り込みに気付いた犯人は、小屋から出てこない。エングストロムたちが中に入ると、容疑者は床に掘られたトンネルを使って、海岸に逃げていた。
犯人を追って、エングストロムたちも海岸に出、手分けして後を追うが、霧が立ち込めてなかで、エングストロムは誤って、同僚を射殺してしまう。
しかしこの不手際を、エングストロムは隠し通そうとし、弾丸を偽装して、犯人の撃った拳銃のものに見せかけようとまでする。
やがて、ある手がかりから、容疑者と思われる作家が浮かぶ。……
単に殺人事件解明がテーマの映画ではない。
そこに生ずるこの刑事の心理を負ったサスペンスタッチの作品になっている。ステラン・スカルスガルドの容姿と演技力あっての秀作だ。
とにかく、ストーリーにかかわる以外の会話もなければ笑いもないような映画で、シリアスひとすじで貫いている。突っ込みどころもあるのだが、それ以上に、この一貫したシリアスな展開により、最後まで一気に見せてくれる。92分という時間もちょうどよい。
タイトルはインソムニア、つまり不眠症のことであるが、医学的な意味でつかわれているわけではない。たしかに、白夜に近い地域に来て、滞在中のホテルのベッドでも、エングストロムはなかなか寝付けない。だがそれだけでなく、たまに幻想めいたものにも襲われる。
殺人事件の犯人とのやりとりや、自ら惹き起こした誤射事件とにさいなまれ、おちおち寝てもいられないという心理が、不眠症めいた状況にだぶってくる。
誤って同僚を射殺してしまったことを隠し通しながら、それを知られているような容疑者と取り引きをせざるをえなくなる。
この大筋に沿って、エングストロムの不安や焦燥が、映像として描写される。
これは、彼が画面に映っているシーンではステラン・スカルスガルドの表情などの演技によるのであるが、それは当然のことで、実はそういうシーンのフレーム全体の中やそのパンのしかたにも、細大の注意を払っているのがわかる。
たとえば、彼が自分のいるホテルの部屋から外出しようとする。ドアを開けると、外から人が来る気配があるので、半ドアにしたまま、その男が通り過ぎるのを待つ。このときカメラは、彼と、遠くにある曇りガラスに映った人影を同時にとらえる。
男が通り過ぎたので、彼はドアを開け、通路に出る。こちらに歩く彼の遠方には、さきほどの隣人が自室の鍵を開けようとする姿がボンヤリ映っている。その瞬間、彼は鍵を落とす。チャリンという音がして、男はそれを拾う。
まことにさりげないのだが、何も起きないシーンにも、ここまでの細やかな演出がみられる。
この種の演出はいたるところに見られるが、この例のように、気が付かなければ気が付かないで終わってしまう程度のものだ。演出が強すぎて、観ていて疲れるということはない。
エングストロムの他の同僚、被害者の恋人、友達、ホテルの受付の女の子などが、エングストロム自身からみた重要度で配置され、その登場回数やシーンの内容もそれに比例しているのもみごとだ。
特に、ホテル受付の女の子とは抱擁シーンもあるが、その終わり方も映画の方向に沿っている。この女性は、初めさりげなく登場してくるが、シーンを追うごとに髪型なども変わり、カメラが少しずつ容貌をはっきり映していっている。
海や港、道路など、外の景色も映されるが、場所柄なのか故意なのか、常に荒涼とした感じであり、この映画の個性を作り出すのにひと役買っている。
結果的に犯人は死ぬことになるのだが、警察に狙撃されたわけでも自殺したわけでもない。そして、エングストロムの誤射については、同僚女性刑事により、それが偽装だったことが判明したことを暗示しながら、彼が車を運転するシーンで終わる。
悪は殺され、未解決なものは解決して終わらせるという、いわゆるアメリカ映画の辻褄合わせはない。
かつて、デンマーク映画『偽りなき者』のレビューを書いた。あの作品も、事件がまだ継続することを暗示してラストとなる。
北欧という緯度にある地域性が、こういうつくりにさせるのだろうか。これを北欧的センスというなら、こういうセンスには共感する。
これと別に、日本の映画も、必ずしも善が残って悪が絶える、というストーリーばかりではない。
正義感が純粋に、社会と国家の財産であったころのアメリカ映画はすばらしかった。物量ではエンタメ大国であるアメリカも、微細なところに入り込むような作品には縁遠いようだ。
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