« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »

2014年4月

2014年4月30日 (水)

靖国神社、参拝

先月30日の特攻隊戦没者慰霊顕彰会以来、今月は一度も行っていないので、本日、参拝してきました。

今日を含め、新しいカメラを手にしてから一度も晴れず、小雨の降るなかでしたが、半ば義務感で出かけてきました。

帰る途中から、雨足が激しくなってきたようです。

雨の靖国神社は、たしか三度目のような気がします。
昨年の2月6日以来ですが、あのときは手がかじかむほどに寒かった・・・
今日はまだましなほうです。

久しぶりに、遊就館館内にも入りました。
平日の午前中ということもあり、だいぶ空いていましたが、それでも何人かの人たちが、熱心に見学していました。みな、ひとりで来ていて、20代の人ばかりでした。

常設展のほか、出口のところで、「大東亜戦争七十年展 Ⅲ」を開いており、ここにも入りました。
絶対国防圏の強化から学徒出陣にいたる期間にかかわる展示です。

肉親に送られたその手紙や、軍人として優秀な成績を修めた人物に贈られる褒賞品などの展示がありました。
中には、レイテ島オルモック湾で特攻した山本卓美の遺書もありました。21歳で戦死しています。弟にあたる卓眞氏は、富士通の社長を退いたあと、特攻隊戦没者慰霊顕彰会の会長も務められていました。一昨年一月に逝去されています。

戦史検定受験に向けて頭に叩き込んでいた人物名や各作戦の経緯などが、一気に頭に甦ります。
昭和館のように、出来事を順に記したA4版の資料も9枚あります(うち8枚目までは両面刷り)。

今回、改めて思い知ることが、二つありました。

いわゆる守勢の時期でもあり、軍人としての責任感を一層強くしたころですが、その精神の高揚ぶりと集中の度合いに、感激しました。

親に向けられた手紙、或いは遺書には、特に若い軍人、未婚の軍人の場合は、両親宛てに、また父がいないと思われる者は母宛てに、国に命を捧げたからにはそれを悲しむことなく、いずれ靖国神社でお会いできるのだから、などと書かれています。

すべての手紙類ではないでしょうが、日付けからしても、だいぶ前もって書かれたものもあり、彼らはいずれ自らが死することを覚悟していることがわかります。

もうひとつは、これもいつも思うことですが、手紙の文字が達筆であるということです。漢字やそれを崩した文字、ひらがな、いずれもみごとというほかありません。

この美しい文字の並ぶ行間から読み取れることは、軍人という立場にあり遠くにいるにしても、親子・兄弟の間に、適切な距離があり、互いに敬意をもった間柄であったことを想起させるという点です。

この展示は、、今年12月7日(日)まで開かれています。機会があればご覧ください。

望み叶って あの靖国のみ社に赴けますならば
香り高く咲きにおう九段の桜の下で
お母さんの訪れを待っています。

戦友の一人が
「思い残すことがあるか」と尋ねたら
端に居た一人が
「何もないが 只 死んだ後の話が聞きたい」
と言って笑っている。

久夫も同じ気持ちで一杯である。

(陸軍伍長 小塩久夫 命 母宛て遺書より)

2014年4月22日 (火)

我々青年士官ガ頑張ラナクテハ、他ニ誰ガ元ノ日本ニ戻ス事デセウ

靖国神社崇敬奉賛会会報『靖国』平成二十五年三月号より全文転載。

******************************

御父母上様

私ハ此ノ様ナ拙文デモ、今度戦地ヘ出タラ再ビ御出会出来ヌモノト思ヒ、真心コメテ書ク事ノ出来ル資格ニナッタカト思ヘバ、本当ニ感謝ノ念デ胸ガ一杯デアリマス。

中学以来航空ニ志シ、父母ノ了解ヲ待タズ色々ナ心配ヲカケ、決戦ガ血戦ヲ生ンデ、昨夏全学徒ヨリ飛行予備学生ガ募集サレルヤ、小生ノ応募ヲ許シテイタダイタ時ノ喜ビ、先祖代々ヨリ伝ハル至誠尽忠ノ赤キ血ハ躍ルヲ覚ヘマシタ。

而シテ時ハ早クモ一年ハ流レ、艦爆隊士官トシテ、近ク決戦ノ大空ヘ飛立ツ事ト相成リ、本ヨリ生還ハ期セズ。

(中略)

想フニ此ノ年マデ私を教育シテ下サレ、父母ノ慈愛ノ下ニ過シタ生活ハ、私ハ本当ニ幸福デアリマシタ。
私ハ此ノ恩返シハ、只々一身ヲ国ニ捧ゲテ立派ナ死ニ方ヲスレバ、御両親モサゾカシ喜ンデ下サル事デセウ。

一史戦死ノ報ガアリマシテモ、決シテ涙ヲ流シテ下サイマスナ。一史ノ写真ニ只一言「良クヤッテ呉レタ」ト言ッテ下サレバ、私モ大手ヲ振ッテ靖国神社ヘ行ケマス。

我々青年士官ガ頑張ラナクテハ、他ニ誰ガ元ノ日本ニ戻ス事デセウ。

想ヒ出ハ尽キズ。又、想ヒ出セバ想ヒ出ス程胸ガ一杯デス。
何卒、今マデノ不孝ヲ御許シ下サイ。
御両親様モ御体大切ニ、余生ヲ御送リ下サイ。

昭和十九年八月二日

          午後四時半   於 書院

御両親様ヘ

   出陣ニ際シ

               海軍少尉   天野 一史

   (※海軍少佐  天野 一史 命

            昭和ニ十年三月十九日
            九州東南方海面にて戦死
            奈良県吉野郡黒瀧村出身
            二十五歳        )

******************************

2014年4月10日 (木)

台湾人日本兵の能力と潔さ (2014年4月10日)

以下は、産経新聞2006年6月5日に掲載された記事を元に、ある方が同年10月20日に書いたブログからの転載で、長いため部分的に割愛し加筆したものです(▼から▲まで)。

かくありて 許されるべきや 密林の かなたに消えし 戦友(とも)を思えば

(本間雅晴中将 高砂義勇兵への鎮魂詠唱)(※本間雅晴中将は、開戦当初、第14軍司令官としてフィリピン・リンガエン湾に上陸しバターン半島の米兵らを掃討した。開戦直前は台湾総督であった。)

高砂族とは後から名づけられた部族名で、1895年に下関条約に基づき清国から台湾統治を譲り受け、統治を開始した日本が先住少数民族のタイヤル、パイワン、ヤミ族など8種類の部族を総称してそう呼ばれた。
彼ら山岳先住民族はテリトリー意識が非常に厳しく、平地に住む人々が無断で山に侵入してきた場合は首を狩られる(出草(しゅっそう))など野蛮な風習があり、蕃人(ばんじん)などと呼ばれていた。実際、清国は彼らを完全に隔離し平地と山岳部には柵を作り、むやみに領域を侵さないようにして平和を保っていた。

そんな彼ら先住民に対し、日本はやはり平地に住む人々と隔離する事は変わらなかったが、大きく違ったのは、積極的に警官を駐在させたり教師や技術者などを送り住まわせて、文化や教育、土木技術などを取り入れさせる、俗に言う皇民化政策を推し進めた点である。未開人と見なされた人々へ文化の恩恵を与えて導くのは当時の強国の正当な義務であったが、欧米は植民地化して搾取することしか考えておらず、それを生真面目に実行したのは日本国だけであった。

その際、台湾の美しい海岸線を見た日本人は、日本の高砂にも劣らぬすばらしさだと評価し、そこから彼ら先住民族の総称を生蕃(せいばん)から「高砂族」とする事に決めたそうだ。
台湾を訪問した昭和天皇が、彼らを蛮族と紹介した将軍に対し「朕の国民を蛮族呼ばわりするとは何事か!」とたしなめられたので、慌てて呼称を付けたと言う逸話もある。

こうして日本文化を浸透させる事で、韓国と同じように「原住民」を「文明人」に引き上げようとした。しかし、インフラ整備に伴う過酷な労役は彼ら先住民族に強制されたので、それに駆り出された彼らの不満は霧社(むしゃ)事件という先住民による学校の運動会襲撃事件を引き起こしたりもした。
この事件で日本人134名(後145名とも)が殺害され、日本軍は航空機を投入する徹底的な殲滅作戦を行い、決起した1000余名のうち事件の首謀者であるモーナルダオ(自殺)以下685名を殺害し、投降者551名を受け入れこの暴動を終結させた。

モーナルダオ率いるマライ系高砂族による暴動という事態が起き、総督以下関係官吏が罷免されたが、それ以後大きな衝突は起こらず、インフラ整備が軌道に乗ると生活も豊かになっていく。国語として定められた日本語は今まで全くなかった部族間の交流を実現させ、学校が建設され一般家庭の子供たちが教育を受けられるようになり、教育勅語などの教えは彼らのモラルを上げていった。

こうして事実上、台湾人は中国本土に住む人々より文化や精神レベルは高くなっていった。
日本は”植民地政策”を行っていない、という論拠でもある。有名な逸話だが、台湾を接収しにきた国民党軍の兵士が蛇口をひねれば水が出てくることに驚き、金物屋で蛇口だけを買って壁に取り付けたが当然水が出ず、騙されたと怒ったその兵士が金物屋の主人を殺した、と言われている。

当時、同じく欧米列強の植民地となっていたアフリカ、インド、東南アジアの悲惨な状況を見れば、その差は歴然としていると言える。朝鮮人は日本が撤退すると恩恵は綺麗に忘れ、植民地支配を受けたと今でも騒いでいるが、台湾人は朝鮮人とは民族性が違っていた。

大東亜戦争が始まると日本軍は南方戦線でのジャングルでど戦いに悩まされる。フィリピン攻略戦で損害を被った陸軍は、密林の山岳地帯を戦える素質を持った兵隊として山岳民族であった高砂族に白羽の矢を立てた。ちょうどそのころ、植民地政策を進める欧米列強に対抗し、アジアを開放し、八紘一宇という目標を達成するために戦っていた日本に協力しようと大勢の高砂族の若者が志願し始める。一時は100人応募しても採用されるのは2~3人程度という競争率で、中には血で書いた嘆願書を持ってくる若者もいたとのことだ。

こうして、第一次高砂義勇隊500名を皮切りに7000人前後の高砂族の若者が大東亜戦争に身を投じていった。先祖伝来の蕃刀(ばんとう)で密林を切り開き、方向感覚を失わず、夜目が効き、勇猛果敢な性質をもった彼らは大活躍した。
フィリピン攻略だけでなく、メナドやパレンバンの空挺作戦など数々の作戦に参加して南方作戦に従事していた日本兵を助けている。
日本人にも「彼らは素直で純真、そして責任感がありました」と言わせるほど、立派な民族としてその名を響かせた。

高砂義勇隊を語るには外せないエピソードの一つに、戦友の食料を調達するために出かけていった高砂族の兵士が、両腕に一切手をつけていない食料を抱えたまま餓死した状態で発見されたというものがある。
たとえ自分が餓死しようとも、戦友の為の食料には最後まで手を付けない。
アメリカ人から見たら到底理解不能な話であろうはが、その愚直なまでの高潔な精神性には胸が熱くなるものを感じるのだ。そして、彼ら高砂族の人々は、そういった精神は日本人から学んだと胸を張って語っている。

高砂義勇隊はレイテ島ブラウエン上陸特攻作戦など、戦争末期の苛烈な戦線に投入され、大量の戦死者を出した。

生き残り、戦後台湾に帰国した人々も多いが、戦勝国として乗り込んできた中国の国民党軍が居すわり統治権をもったため、国籍を無理やり中国に変えられた。そのため、日本から軍属としての恩給や補償も、充分に得られていないといった問題は残っている。もともと台湾人日本兵は、軍人扱いではなく軍属として戦線に出ている。

しかし生き残った彼らには、何が何でも賠償金をとろうなどという欲目はない。日本統治下にあったことをありがたく思い、日本人として戦えたことに誇りをもっている。むろん、戦死した者たちには靖国神社に該当する神社(忠烈祠(ツォンレイスー))に祀られている。現在でも高齢の元兵士は流暢な日本語を話し、日本に感謝している。日本に対して、恨みをあらわにするような元軍属はいない。

今となってはむしろ、日本人のなかに、当時の日本人魂、台湾の若者たちが価値を見出した日本人精神を、失いつつある者が多くなってしまった。
嘆かわしいことである。

※忠烈祠(ツォンレイスー)⇒http://home.ktroad.jp/kazumi-t/taipei/tyuretushi.html

2014年4月 7日 (月)

小2を装ったサヨクによるニセ投稿  (2014/04/07)

そ(2枚のフォトは、手登根安則氏の記事からお借りしました。)

手登根安則氏のFBはありがたい。

百聞は一見にしかずということで、抽象的な話や情報を、現実のものとしてとらえることができる。

本日、上のフォトといっしょに、以下のような記事を寄せられていた。
フォトは、琉球新報3月31日付のものだ。

   ▼
どう考えても、同じ小学校2年生の文章とは思えない。
それに、同じ子が2013年8月6日声欄にて、
「不審者から身を守る」という投稿をしています。
小2が、「不審者」という漢字を習うのだろうか?
もし、これが架空の小学生なら、新聞のゴーストライター自作自演の可能性を否定できません。
   ▲

「本当の」小学校2年生の投稿を右に並べてある。
手登根氏以外にも、この投稿は小2とは思えない、というコメントが多い。
そしてまた、私もそう思う。

子供を装って、どこかの自称サヨクが書いたに違いない。文章自体も、なるべく平易に書いて小2らしく見せているが、これは捏造だ。
もしかすると、この常連の投稿者を新聞社側も知っていて(或いは知り合いで)、「てにをは」を修正しているのかもしれない。

こういう捏造までして、反日世論をつくろうとしている。まさに姑息な連中だ。
連中は、つぶやきの写真のように、マスクをしサングラスをかけ帽子を深くかぶって顔を見せないようにしている。
堂々と活動することができないのだ。何を恐れているのだ?
愛国者や公安に写真を撮られることをか?

昭和40年代までの左翼には、よくも悪くも真剣みがあった。
上のフォトなど見ると、わざわざ本州から老後の生活を楽しむためのひとつとしてやってきたとしか思えない。

まことに愚の骨頂だ。

<分析>

(右)
まだ8歳くらいだと、~はどうした、というのがせいぜいです。主語がないのは、自他がまだ未分化な状態を引きずっているからです。主語はもちろんですが、その自意識はまだ明確ではありません。それでもこの文章は、親が直したところがあるでしょう。

(左)
内容的に、手登根氏がサイドラインを引いたところは、小2では難しいことばかりです。
滑走路を「つくるなと」にあるように、緩い言い方ですが命令調の言葉遣いは、もう少し成長しないと出来ない表現です。

さらに、「しかも」「だから」と接続詞を重ねていくのも、8歳では無理で、「そんな」豊かな…などと、直前の内容を指し示す言葉はまだ使えません。「させたい」という使役表現も無理です。
8歳くらいであれば、まだ、(私が)~した、誰それが~した、という言い回しがせいぜいで、主語が自分の場合には、一人称は消えます。文中に二度「わたしは」と出てきますが、まだはっきりとした自意識のない年齢で、とても「わたしは」とは言えないはずです。
「わたしは」は、人格が出来上がってからの一人称表現であり、特に日本では(いい悪いは別として)書き言葉や論文以外では、あまり出てきません。

私の推察では、この文を書いたのは、成人の男です。

1924473998_110

2014年4月 5日 (土)

教育行政の売国奴・寺脇研 (2014年4月5日)

サヨクお気に入りの言葉のひとつに「共生」がある。

その「共生」をタイトルにして、学校側からのメッセージを書いた男がいる。
寺脇研(てらわき・けん)だ。

文部省時代に「ゆとり教育」の旗振り役として活躍し、現在は、京都造形芸術大学芸術学部教授であると同時に、コリア国際学園(各種学校、大阪府茨木市、http://www.kis-korea.org/index.php)の理事となっている。

下は、コリア学園のサイトにある寺脇のメッセージである。同じページに、瀬戸内寂聴、梁石日もメッセージを寄せている。(http://www.kis-korea.org/greetings/message_5.html

   ▼
新しい「共生」の生き方のモデルを

 19世紀から20世紀にかけては競争の時代であったと言えるのではないでしょうか。ある覇権国家が軍事力によって世界を支配すれば戦争がなくなり、第2次世界大戦後は、経済力によって世界を支配する国が出現すれば、平和がもたらせると。しかし今、それがまったく間違っていたことが、はっきりしてきています。食料もエネルギー資源も有限であることはもちろん、2050年までに世界全体が環境問題をめぐって有効な手立てをうてなければ、地球自体が危ないとさえ言われています。21世紀は、世界各国がそれぞれの役割を担い、協調・共生することによって、人類の平和と人々の幸福を実現していかなければならない時代なのです。KISが目指しているのは、東アジアから、そうした考え方を持った「越境人」を育てていくことです。KISの生徒には、時代変化に取り残されない「生き抜く力」を育んでいくとともに、そのレベルを超えて「越境人」としての新しい生き方のモデルを示してほしい。KISがチャレンジしようとする教育とは、まさに21世紀の未来を先取りした教育だと思います。
   ▲

越境人とは何だ?

日本人を侮辱しているのではないか?

ウイキペディアによれば、この学校は、3ヶ国語の育成や大手進学塾との提携をしている。また、本人は朝鮮学校の高等学校等就学支援金対象除外に反対する「無償化連絡会大阪」の賛同人も務めている、とのことだ。
野田政権時、「日韓新時代共同研究プロジェクト」の委員にも選ばれている。

映画好きなようだが、「今の私にとっては日本の社会に準じるくらい自分の生活と結びついている社会だと思う」との理由で、外国映画は韓国のものしか観ないと答えている。

この韓国狂いの官僚が、マスコミに根回しし宣伝して、「ゆとり教育」なるものを行政の力で、実施させたのだ。
無論、文部省そのものにも問題はある。

上のメッセージ文は、この学校に通う予定の韓国人や在学生には、とてもありがたく心強いものと映っているのだろう。
学ぶ学生に罪はないかもしれない。

しかし、こういうことを日本(の元文部官僚)側から発信していること自体が、本末転倒であり、実際、フォト(※)のような本末転倒が起きてしまったわけである。
助け合いに名を借りた行政上の売国である。

「ゆとり教育」は、決して、日本人の学生・生徒のためにあったのではないと、今となってはっきり言える。
「ゆとり教育」は、教育行政という権力をつかって、マスコミを操作しながら、日本の次代を担う子供たちから、日本精神を奪う詐欺教育であったのだ。

サイトに映る在日韓国人の子供たちの笑顔は、まだ無垢(むく)であろう。
日本において、彼らの頭に、売国・反日の思想を植えつけていく、寺脇のような日本人が、彼らを反日へと洗脳していく。

寺脇らには、二重の売国行為で天誅が下ってほしいものだ。

ひとつは、韓国人にさまざまな優遇措置を与えているということ、もうひとつは、日本人の子供たちを腑抜けにし、日本という国体を崩壊させかねないということである。

その思惑は、外れる方向に動き出しているが、寺脇らのおこないは取り返しがつかない。

そして「ゆとり教育」の弊害を受けたであろう青年たちに、何らかの治療は必要だ。売国思想を植えつけられた者が、そのまま疑問をもたず選挙権を行使するのもまた、愛国者サイドからは放置できない事実である。

O0587043912646572733

0d87a35b9e1cbb31aa49fa4c2a2e4748


Img_0123

2014年4月 1日 (火)

売国反日煽動教師、許すまじ!(2014/04/01)

都教委包囲・首都圏ネット(090-5415-9194)
http://houinet.blogspot.jp/

前回の日記のとおり、先月、このネットなる団体は、複数の都立高校の卒業式当日、その正門前で、卒業式に向かう生徒や父母に、例のピンクの両面印刷チラシを手渡した。

マイミクさんの努力により、ブログに書いてなかった事務所の住所が特定された。

〒160-0008  新宿区三栄町6 小椋ビル401号

関連ブログによると、今月中もいろいろとやるようである。
一部引用してみる。

   ▼
許すな!「日の丸・君が代」強制 
とめよう!安倍政権の改憲・教育破壊 
4.20全国集会
(日時)2014年4月20日(日)午後1時20分~5時(1時開場)
(場所)日比谷図書文化館(03-3502-3345)
http://blog.goo.ne.jp/hainan-net/e/47bc1bc85defb7b589d1c3b50999f456

<共催>「4.20集会」実行委員会;
許すな!「日の丸・君が代」強制 止めよう!安倍教育破壊 
全国ネットワーク(仮称・準備会)
<連絡先>〒160-0008  新宿区三栄町6 小椋ビル401号 四谷事務所気付  「4.20集会実行委員会」宛 

(賛同団体)@2/24現在
「日の丸・君が代」強制反対予防訴訟をひきつぐ会、「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会、東京・教育の自由裁判をすすめる会、「日の丸君が代」強制反対・再雇用拒否撤回を求める第二次原告団、「君が代」強制解雇裁判をひきつぐ会、板橋高校卒業式事件から「表現の自由」をめざす会、河原井さん・根津さんらの「君が代」解雇をさせない会、東京都障害児学校労働組合、千葉高教組「日の丸・君が代」対策委員会、都教委包囲・首都圏ネット、多摩島嶼地区教職員組合、「君が代」不当処分撤回を求める会

<集会賛同の手続き方法>
 ア、郵便振替にてお申し込み下さい。
・口座番号は 00110-5-449424、加入者口座名は「全国学習・交流集会」です。
・通信欄に「4、20集会」賛同金および氏名公表の可否を書き、振り込んでください。

 イ、手渡し、fax、郵送の場合
・新宿区三栄町6小椋ビル401号「4.20実行委員会」
fax:03-6423-8420)
・「4.20全国集会」への賛同金は、
団体一口2000円、個人一口1000円です。
   ▲

加入者口座名が、「全国学習・交流集会」とは笑える。

この四谷の事務所は、要するに、「自衛隊をウォッチする市民の会」などというのと同じで、実は、電話やコピー機だけの事務所なのではないか。
(参考:「自衛隊をウォッチする市民の会」の実態
http://futa-forever.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-6d7c.html

上のデモの賛同団体に、都教委包囲・首都圏ネットも入っているが、要するに、同じメンバーが、あちこちに重複して名乗っているだけだろう。
それで団体の数を増やし、多数の賛同者がいるように見せかけているに過ぎない。

こんな「団体」なるものに法的根拠はない。だからいくらでも作れる。
そのかわり法的規制もはたらかないから、いくらでも増殖できる。
今後、賃貸マンションなどをこういう団体に貸す場合には、規制をつくったほうがいいのかも知れない。

さて、この日は日曜日であるが亡母の祥月命日だ。

こんな集会にたいした人数が集まるようにも思われないが、街宣に出る方々もいるのだろう。

売国反日煽動教師、許すまじ!

1924162846_186


1924162846_238

« 2014年3月 | トップページ | 2014年5月 »