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2014年3月

2014年3月29日 (土)

反日教師、撲滅を!

今月の卒業式シーズンに、都内の都立高校卒業式の当日、各学校の正門付近で、下(写真上)のようなプリントが配られていた。

これはマイミクくんが教えてくれなければ知らなかった事実である。
弟の卒業式があり、正門前で受け取ったものをアップしてくれた。

兄弟とも愛国者であるから、敵方の証拠として、持って帰ったのであるが、不愉快であり、すぐ廃棄してしまったらしい。

同じものは、このサイトに載っている。

都教委包囲・首都圏ネットhttp://houinet.blogspot.jp/ 

配布したときのようすなども書かれており、一部の高校では、校長が正門前に来て、ビラ配りをやめるよう伝えたが、敷地外でやることに何も言われることはない、として、ヤツらはこのプリントを配布しつづけていたようである。

このサイトには、責任者の名前がなく、本部らしき場所の所在地もなく、固定電話の番号も書いてない。

固定電話は、NTTに届けが必要となり、そこから役所間で情報が共有されるおそれがある。携帯電話なら、身分証明書さえあれば、購入できる。

何でもそうだが、携帯電話の番号しか載せられない団体は、いかがわしいものが多い。
まるで090金融や風俗のスカウトマンの名刺と同じである。

あるマイミクさんが電話したとのことだが、年寄りらしい人物が出たとのことだ。
おそらく、この団体の中心人物ではないだろう。

国旗国歌に反対なら、教師を辞め、公務員も辞め、日本から出ていくべきだ。
教員採用の方法にも問題があると思うし、自動車の免許書き換えのように、何年かおきに、反日教師や異端教師を排除していくシステムも必要だ。

このサイトには、反日教師二人の名前が出てくる。
いすれも、この分野では悪名高い女性教員だ。現在はたしか、どちらも現役を退いているはずだ。

根津公子(ねず・きみこ、写真中)

写真にある東京都立川市立立川第二中学校の卒業式・入学式で、国歌斉唱の際に起立を拒否したため、減給・停職・ボーナス0などの処分を受ける。
それより前、東京都八王子市立石川中学校の卒業式で、掲揚されていた国旗を引きずり降ろして、減給処分を受けている。このとき以来、札付きの反日教師として有名になる。

河原井純子(かわらい・じゅんこ、写真下)

いくつかの卒業式で、国歌の起立斉唱命令に従わず、停職処分を受ける。
その後、東京都日野市にある都立七生(ななお)養護学校(現東京都立七生特別支援学校)で、知的障害を持つ児童に対して過激な内容の性教育授業を実施したとして、校長とともに厳重注意処分を受ける。
以来、これも札付きの反日教員として、サヨク系の集まりには好んで出席する。

この二人は、日教組だけでなく、サヨク活動をする人間全体から英雄視され、俗に、ジャンヌ・ダルクなどと呼ばれていたときもあった。笑止千万だ。

裁判沙汰では、この連中が勝訴するなど紆余曲折も見られたが、全体的には、当然のことながら、連中には不利な判決が多く出ている。

この24日には、国家斉唱不起立に対する処分の取り消しを求めていた訴訟で、東京地裁から棄却の判決を受けたようで、サイトでは不当判決だと騒いでいる。
こんなニュースを、いまどきどこかのマスコミは取り上げていたのだろうか。

国旗掲揚・国家斉唱にかかわるこうした反乱分子は、そのことだけで「後を継ぐ」者が現れてこないようでもあり、日教組の組合員の数も頭打ちとなるなか、以前に増して、仲間として、教育分野以外の方向へと触手を伸ばしている。

次代を担う生徒や児童に対し、自虐史観の素を植え付けるこうした卑怯な輩には、制度や法律をフルに使って、その活動を封じ込めなければならない。

<参考>

学校における国旗及び国歌に関する指導について」文部科学省初等中等教育局長通知 http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t20020731001/t20020731001.html

国旗国歌法の改正を!
http://mixi.jp/view_community.pl?from=home_joined_community&id=5955999

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2014年3月24日 (月)

三島由紀夫と全共闘 (2014年3月24日)

三島由紀夫vs東大全共闘(長尺版)
https://www.youtube.com/watch?v=5wLaND09VF8

<externalvideo src="YT:5wLaND09VF8:D">

久しぶりに見た。

三島が亡くなってから43年・・・、この映像は、三島の亡くなる前年、1969年5月に、本郷の東大で開かれた、全共闘代表と三島とのシンポジウムの模様である。
ところどころカットされているが、、それでも貴重なフィルムだ。

全共闘C・芥正彦は大学を除籍されており、年老いて今でも舞台俳優などをしているようである。F・小阪修平は大学を中退し、駿台で講師をするかたわら哲学の本などを書いていたようだが、国立市の自宅で60歳で死去している。(以上Wikipediaによる。写真は、晩年の姿)
A・木村修は検索しても出てこない。卒業したのかどうかもわからない。地方公務員とあるが、役所勤めか教員になったのだろう。

全共闘は、全学共闘会議の略で、大学横断的に広がっていたが、当時最も勢力の強かったのは、東大全共闘と日大全共闘であった。共産党系の民主青年同盟(民青同)とは、基本路線で相容れない。しかしどちらにしても、いわゆる左翼であった。
共産党系は戦前戦後から一応の一貫した主張があるのに対し、全共闘などの学生運動が起こるには多少の政治的契機があったが、ここでは触れない。

問題は、このシンポジウムでのそれぞれの発言内容だ。

こういう集会が実施されたことじたい、当時としてはたいへん稀有(けう)なことだ。
主催者は全共闘のほうだから、三島が同窓であり、金集めという目的があるにしても、こういう顔合わせを設定したのは興味深い。民青なら、まずやらない企画だったろう。

こういうやりとりを見ていると、三島のセオリーというのは一貫しており揺るぎない。
年齢や社会的地位の差は歴然とあるが、左翼の若者の言うことは、妙に老人ぽく覚めていて、情熱や真剣さを感じない。

特に、C・芥などは、子供を肩車してきたり、三島の言葉をさえぎったりして興奮しており、現在につづく左翼かぶれに通じている。
俺はこんなに自由であり、三島さん、あなたは不自由でかわいそうですね、と言わんばかりだが、その実、自分の自由を言葉や状況で主張しなければならないところに、初めからすでに自己の存在の限界を呈しているようだ。

自分が異邦だったのではなく周りが異邦だった? 日本人というのはどこに実体としてあるのか?

こんな次元の低い質問に、そのつど誠実に答える三島は、やはり根底から生真面目な人物なのだろう。
これらの質問は、三島を黙らせようとする、Cなりの難問であったはずだ。
三島がスムーズに回答したので悔しかったのではないか。
しかし、三島の答えは、三島でなくても、愛国者であれば、ああ言ったに違いない。

これらの質問に窮して答えられないか、または、その質問のとおりだと思った瞬間に、この質問は疑問文でなく、ひとつの主張に早変わりするのだ。左翼特有の言語ゲームである。
これらは、そのまま、左翼のアイデンティティを支える考え方である。

人間は互いにみな、異邦人である・・・
日本人というものは、実体としては存在していない・・・

こうした肯定は、日本人とそうでない外国人とを区別する垣根を取り払ってしまう。国籍を意味ないものにしてしまう。外国籍は日本国籍ではない。

開かれた社会・平等な社会・思いやりのある社会・・・これじたいは問題ない。
左翼はそこに、自分らの思考のみを挟み込もうとする。それが問題なのだ。
日本の存立を危うくしかねない問題を孕(はら)んでいるのだ。

Mishima

P5242250

 

2014年3月15日 (土)

AO入試の功罪(2)<指定校推薦の思い出は懐かしいが…> 

指定校推薦には、こんな思い出もある。

高校の教員のころ、その高校もようやく大学進学者が増えてきて、ある程度の大学には大量に入るようになった。

そうなると、指定校推薦というのが大学からくる。
毎年何人もウチの大学に入ってくれているからということで、高校に対し、一定の人数分の枠を設け、高校から推薦された者は、入試を受けずに合格させるというものだ。

大学側から出る条件は評定平均で、それをクリアしていれば応募はできる。
夏まえくらいに各大学からの推薦枠が通知され、学内の会議で推薦生徒を決定して大学に送り返すのは11月ころだ。
ただし、指定校推薦で合格した者は、4年間、成績をフォローされる。もし成績が極端に悪くなったり事件など起こしたりすれば、次の年度からその高校への指定校枠は取り消される。

ある年、中堅のS大学のある文系学部から推薦枠が来た。はじめは枠は、ふつう、ひとりである。
あのころの自分のいた高校にしては、生徒にとってはありがたい大学であった。何人かの生徒が殺到したが、評定条件に引っかかった。

推薦会議なるものが、毎週放課後に開かれ、その学部には、自分のクラスの生徒を含め、二人の生徒が残った。
会議では、それぞれの生徒を知る部活の顧問、各教科の先生、そして各担任が所見を述べた。

二人には部活や委員などほとんど甲乙がなかったが、もう一方の担任は、自分の生徒のセールスに終始した。その生徒の親が、あちらこちらに働きかけていることも、他の教員から明らかになった。

私はあまり多くを語らず、学校としての推薦の重要さを話した。
もちろん、心の奥底では、何とかウチの生徒に決まってくれ~~~、と思っているのである。担任が自分のクラスの生徒をかわいいと思うのは自然なのだ。しかし、それはぎゅっと噛み殺し、その生徒の三年間のようすを淡々と述べるにとどめた。

ウチのクラスの生徒が、枠を獲得した。11月末には合格が決まった。
校内発表はまだであったが、その夜、心待ちにしているであろう母親に電話した。
校内発表があるまで、本人には他言しないように、と念を押した。・・・

☆  ☆  ☆  ☆  ☆

こうした楽しいようなスリリングなような思い出は多い。

指定校推薦は、そのありかたからして罪がない。
評定平均で切られ、あとは候補者の生徒を知る教員が話し合って決めるのだ。
秋に受かってしまえば、ひとり逃げ切ったような感じではあるが、毎年、決して、お調子ものが通ったという印象はない。どちらかといえば、地味な生徒が多かった。

だから、指定校推薦はあってもいいと思う。だが、それ以外の推薦入試というものには、元から反対だ。

AO入試の形態をいいことに、何が基準かわからぬまま合否が決まるというのは、特に落とされた側からすると釈然としないのである。

面接での挨拶や受け答えができていないのならともかく、内容に関する質疑で落ちる場合、何をもって落ちたのかははっきりしない。

机上の試験なら、とりあえず平等である。どのような勉強をしてきたか、性格がどうか、挨拶ができるかどうか、顔つき・声・表情・ものの言い方、…などと関係なしに、その日の試験結果だけで合否が決まる。
試験というのは、それでよいと思う。

そうした選抜された受験生が、みな一列に並んで見えるというのは、大いなる錯覚だ。個性は、もともと十人十色であり、その個性をさらに発揮できるような環境を整えるのが大学であり、その個性を発揮していくにふさわしい機会を得られるよう研鑽を深め、実際にその可能性を追求するのは、合格した受験生自身である。

何らかの手段により、早い段階で、有能な受験生を確保したいという思いは、大学側に常にある。これを実現させようと、さまざまな方法がとられてきたのであり、早めに学費を押さえたいということだけではないはずだ。

しかし、その方法に、初期のころの意図が消えてしまい、採る側にも受ける側にも真剣味が失せてきている。
もう一度、すべての受験生に対し、ペーパーの試験だけか、それに面接試験を加えるような簡潔な方法に戻してもいいのではないか。

冒頭に戻って、小保方晴子がAO入試で入ったからといって、ただちにいい加減な受験方法だったとは言えない。
それなりに問題意識もあったようだし、一定の夢と野心をもって、真剣に面接の質疑に臨んだであろう。

ある入試制度を利用し、その条件を満たし、そこにアタックして合格を手に入れたことじたいは非難されることではない。

前の日記の最後に、研究環境に問題があったのかもしれない、と書いた。
研究環境とは、この人の場合、早稲田大学やその大学院であり、そこから派生する早稲田や他大学の教員とのつながり、キャンパスや実験室の建物・雰囲気、何かを決定していく際の順序・手続き、などであり、そこに、個人の性格や趣味生活、私的交際などが加わる。
研究環境とは、これら総合的な背景である。

今回の一件については、その節目節目に、疑わしいことが多すぎる。博士論文にも偽装らしきものがありながら、審査では素通りになっている。
専門をまたぐ領域では、専門外の部分については斜め読みしているのだろうか、という記事があったが、哲学の先生が審査する側に交じっていたわけでがない。専門に近いから、呼ばれて審査の側に座ったのである。

ホンネは別だ。
まだ20代の大学院生くらいの学位請求論文など、相手にしていられるか、というところだと思う。

まだ十年早い、書かれていることを検証するには時間もかかる、自分の研究が滞る、…ああ、めんどうくさい・・・これが学者のホンネであろう。
こういう態度はあってはならないが、実際あるのだからしかたない。

そうなると、周囲は、彼女を指導してきた主任教授にまかせよう、ということにもなる。ここにすでに、偽装というより、偽善のにおいがする。

彼女はこうした研究環境に育った。彼女自身もきちんと責任をとらなければならないが、彼女だけをスケープゴートにするのは間違いだ。

誰も問題気づかず…論文チェック態勢不備問う声(読売新聞 3月15日(土)14時50分配信) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140315-00000308-yom-sci

AO入試の功罪(1)<その受験生にしかない能力をどう図るか?>

小保方晴子が、AO入試で早稲田に入ったことが明らかになった。
AO入試については、功罪がある。それはほとんど出尽くされている。

次のサイトのうち、104のコメントは的を射ている。おそらくご自身もSFC(湘南藤沢キャンパス、Shonan Fujisawa Campus)の出身者か、その家族か身近に、SFCの出身者がいるのだろう。
丸ごと引用しておく(▼~▲)。

【STAP細胞捏造】小保方晴子が早稲田入学に利用した「AO入試」制度がヤバすぎると話題に!!!これバカ量産するだけだろ… - 中国・韓国・在日崩壊ニュース http://www.news-us.jp/article/391490480.html @NewsUs1さんから

   ▼
104 : 可愛い奥様[] 投稿日:2014/03/13(木) 07:39:05.97 ID:X3c4KKIh0
慶応SFCがAO入試で有名になった初期の時代には、
見所のある学生もとれていた。しかし一方ハズレも結構いた。

SFCの偉いところは、入学後の教育が厳しく、
少なくとも遊んで卒業は許さなかったこと。

それでも、Science Fiction Campusと
イジメて遊ぶ人が結構いたんだけど
初期のSFCの学生さんはムキになって反論していたくらいに
初期のSFCの学生はSFCの理念に共鳴して本気だったし、
教員もそういう良い人を集めていた。

段々と、AO入試に対しても
金を取って傾向と対策を教えこむ商売が発達してきて
金のある親にとっては、
金で買える特別入り口になってしまったから
出来の悪いゴミのような帰国子女だらけになってしまって
AO入試の意味は失われてしまった。

早稲田がAO入試を始めた時期には、
既にAO入試にはゴミが殺到するようになり、
見所のある人を見付けるのは絶望的になってしまっていた。

AO入試の弊害ばかりになってってきた、
AO入試業者に蹂躙されてしまったから、
なんとか上手い大義名分を付けて静かに撤退したいという時期。

まさかとは思うけど、
あんな時期にわざわざAO入試を始めたのは
学力では絶対に早稲田に入学できない
受験者を入学させるための
特別ルートとして作られたのだろうか?

   ▲

AO入試とは、Admissions Office入試の略称で、Admissions Officeは入学管理局とされており、入国管理局に似せた名称となっている。
ペーパーなどの入学試験を行わず(一部補完的に行うところもある)、一種の推薦試験で、学校推薦ではなく、自己推薦入試といえる。

高校での成績と合わせ、特に秀でた技能や功績のある者を評価し、それを合否に反映させる入試である。
1990年慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパス(SFC)が初めて実施し、他の大学学部が追随するようになった。

書類として提出するものはいろいろあるが、大学側から発行される志望理由書は必須だ。なぜその学部に入りたいと思っているかを書かせるもので、自己アピールの場となる。

高校での成績(評定)を条件につけている場合がほとんどで、評定平均が大学の示した基準に届いていなければ、申し込むこともできない。

志望理由書は字数も制限されているため(1200~2000字)、凝縮した内容にしたうえで、国語的な誤り(漢字・仮名遣い)もないようにしておかなければならない。

圧縮した内容であるため、具体的にそれについて質疑をおこなう必要があり、それが面接である。
カタチだけの付随的な面接ではなく、志望理由について、建設的・具体的なヴィジョンを問われ、面接官を納得させるだけの回答をしなければならない。

ちなみに医学部の最難関といわれる慶應の医学部にも、ペーパー試験である一次合格者に面接がある。これは医師としての考えかたや常識を質疑するもので、一次合格者のうちの6割強しか通らない。これに通って、初めて医学部合格となる。

一般に、ペーパー入試では、こぼれ落ちてしまいそうな研究や視点をもつ学生を、ペーパー試験でない手段でとるわけだから、受けるほうも合否を決めるほうも真剣である。いや、それでいいのだ。

慶應の法学部では、AO入試をFIT入試という名称にして実施している。A方式とB方式があり、微妙に条件が異なる。
その出願資格の項目にはこうある。推薦入試をおこなう場合、およそこうした条件がある。
法学部には法律学科と政治学科があり、一般入試では難関とされる。

   ▽
2.慶應義塾大学法学部(法律学科または政治学科)への志望理由、および入学後の目標と構想が明確であり、第一志望としていずれかの学科での勉学を強く希望する者。

3.学業を含めたさまざまな活動に積極的に取り組み、次に例示するような優れた実績をあげた者。
 a.文化・芸術・技芸・運動等の分野において優れた成績や成果を残したことが証明できる者。
 b.学外活動や課外活動において高いリーダーシップを発揮し、そのことが何らかの形で証明できる者。
 c.ボランティア活動や地域の社会的活動などを熱心に行い、その実績を示せる者。
 d.国際交流や開発途上国援助などの活動に積極的に取り組み、その実績を示せる者。
 e.入試科目に限られない全般的な学業分野で極めて優秀な成績を収めたことを示せる者。
 f.その他の分野で、自己の関心や興味からユニークな実績をあげたことを証明できる者。
   △

提出書類は、志願者調書、志望理由書(あなたが慶應義塾大学法学部を志望した理由、入学後、何をどのように学び、また自分の夢をどう実現したいかを志望理由と関連させて、2000字以内で記述してください。)、調査書等、自己推薦書、となっている。

6年前に、職場で、これのA方式を使って、法学部に入学した女子生徒がいた。
学習院女子高校の生徒であった。学校の成績は平均てきであり、B方式の条件である、評定平均値が4.0以上の者、をクリアできないおそれがあった。

ところが彼女には、とっておきの武器があった。
当時、日銀が実施していた高校生対象の懸賞論文で、優秀賞をとっていたのだ。上の a.e.f.に該当し、しかも誰もまねのできない実績をもっていたのだ。
それでも心配であったが合格の知らせを受けた。9月末に行く先が決まったのである。

小保方晴子も、中学在学時ではあるが、青少年読書感想文千葉県コンクールで教育長賞を受賞しているようだ。AO入試でアピールする内容は、必ずしも高校時代のものだけとは限らない。
これがAO入試に有利にはたらいたのは明らかだ。

(つづく)

2014年3月14日 (金)

論文盗用の責任のとりかた

理化学研究所の小保方晴子の論文の真偽について、どうも流用の疑いどころではなくなってきたようだ。

もし流用・盗用が事実なら、私のいちばん嫌いなできごとである。そして、学問の世界でも、最も嫌忌(けんき)されることである。

博士論文、他にも流用か=企業HPと画像酷似、STAP小保方氏(時事通信 3月13日(木)20時19分配信) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140313-00000141-jij-soci

STAP論文、重要部分に疑念 明石市民病院部長指摘(神戸新聞NEXT 3月11日(火)8時0分配信) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140311-00000002-kobenext-sctch

本分の内容と、挙げられた参考文献が一致しない点まで指摘されている。
他の論文からの盗用・コピーペーストがあるとすれば、それだけで研究者としては失格だ。

これらのニュースにはそれぞれ、多くのコメントが寄せられているが、もしこれらの疑いが名実ともに明らかになれば、彼女の学者としての生命は断たれることになるだろう。
これらの論文の審査に当たった関係の教授陣にも責任が生じる。

論文というものには、どうしても引用がつきものだ。
従来の言説を批判的に受け止めて、新たな視野を開くのだから、批判相手からの引用と、新たな視野を共有する相手からの引用は、つきものであり、むしろ、そうすることで、自らの立場を鮮明にしながら、主張することができる。
これは学問の常道だ。

一時期、学生の卒業論文を見る機会があり、書き方から引用の仕方まで指導した。
引用は、誰それがコレコレと述べている、というところがはっきりわかるように、括弧でくくるなり、行を替えて、まるごと引用相手の文章をそっくり載せる。

その引用部分の脇に()つきの数字を入れ、文末や章末ごとに、その数字の順に、引用文献を書く。引用文献は、著者・書籍名(論文名)・出版年・出版社・引用ページ(p.245、pp.123-127など)を記す。
欧米の論文・著作でも同じことだ。

(例)
毛利恒之、『ユキは十七歳 特攻で死んだ』、ポプラ社、2004年第1刷、2008年第6刷、第三章 空は戦火に燃えて 九九襲撃機に乗る、八八~八九ページ

ここは、自分の書きたいことを伝えるために、どうしても必要な部分であり、読者にそのまま読んでもらいたいので、そっくり写しますよ・・・

・・・これが引用である。
引用であるからには、その元の文献を、正確に書き出しておかなければならない。これは筆者の責任である。
その引用された文献をまた、読者も読むようにいざなう意味もある。

論文の作者は、最後に来て、必ず引用文献を順に列挙し、必要があれば参考文献を一覧にして挙げておく。
証拠となる資料を明示するには、引用箇所ひとつひとつに、上のように正確に書かなければならない。
論文が長ければ引用文献を書き上げるだけでも時間はかかる。しかしこれは、学者としては日常的なことである。

これは、学生の卒業論文から修士論文・博士論文まで同じであり、一般にものを書く場合には、常識である。

あるコメントに、研究に従事するあまり、うっかりしていたのでしょう、などと善意の批評を寄せているものもあったが、論文作成上の引用・盗用は、常に「意図的」になされる。
自分の意図を表わすのに、うっかりしていたということはありえない。すべてに意図がある。

これを曖昧にし、もっぱら自らの業績や発見であったかのように書くことは、まさに偽装であり、捏造である。学問の世界に生きる人間としては、やってはならないことをしてしまった。

話は飛ぶが、最近はサヨクの水先案内人のようになってしまった上野千鶴子に、『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波書店、1990年)という著書がある。

はしがきに、この本は完成までに十年を要している、と書かれていた。42歳のときの出版で、平安女学院短期大学にいたころのことだ。
短大の学生と切磋琢磨しながら、マルクス主義の研究をしていたわけだが、彼女の書いた学術書は、ほとんどこの一冊である、あとは、どうでもよいものばかりだ。

当時は、学者として注目されている人物でもあり、必読書でもあったから、私も出るとすぐ読んだ。
シャープな頭脳だなあと感心した。
それでも、いろいろな引用はある。それらをきちんと明示し、引用文献のところにも、自らの見解を書き加えて、その著者を批判したりしていた。
これらはふつうにあることである。

この著書以後の彼女は、いきおいサヨク思考に走っていく。サヨク・フェミニストとして、雑誌に寄稿し講演に出かけるようになる。そこには付いていく必要を感じなかった。発想のしかたに、そもそも違和感を覚えた。

~の地平、というのは、よく本のタイトルに使われる。私も著書のある章のタイトルに使った。
地平であるからには、まさにそこが、見える限界という意味だ。
マルクス主義フェミニズムの地平、とは、マルクス主義フェミニズムはここが限界です、ここまでですよ、という意味だ。
だ・か・ら、ここから先は、私(上野)がやるっきゃない、ということだ。

ここまでの上野千鶴子なら、一マルキストとして、学者として、そのありかたを認める。しかし、その後がいけなかった。

先日日記にした草柳千早には、ほとんど著作がない。ときおり数人で論文集などを出すときに寄稿しているくらいだ。
たまに、引用のほとんどない本を書いたかと思えば、女性共産市議が礼賛するようなエッセイまがいの脱恋愛論で、上野に比べても学者とは言えない。

本を書かない学者は学者とは言えない、・・・自分はそう思っている。
同時に、引用だらけの論文は、自己主張をなしえてないと思っている。
人に寄りかかっているだけで、その人の考えが披歴されなければ、論文という名にふさわしくない。

さて、小保方晴子さんの「したこと」は、本日明らかにされるとのことだが、関係する周辺の学者たちが、どう対応し、どう責任をとるかが焦点となる。
付随的・派生的なことはどうでもよい。マスコミなどの取り上げ方もどうでもよい。
核心部分について、どこが真実で、どこが虚偽であったかを、当事者の側から、明らかにしてほしい。

近い将来、本人が国民の前に姿を現わし、きちんと弁明することも必要である。弁明しても遅いし、後の祭りなのだが、学者であるなら、最後まで筋を通すことも必要だ。
その後、潔く退職届を出すことになるだろう。

早稲田大学の論文審査の側にも、虚偽を承知していた人間が必ずいるはずだ。その者の責任も明らかにされる必要がある。
責任は個人で負うとしても、彼女をめぐる今までの研究環境にも、原因があると見なければならない。

2014年3月 6日 (木)

「笑って護国の花と散ります」 陸軍上等兵・高山晴次 命 (2014/03/06)

(靖国神社会報『やすくに』三月号より)

             
             陸軍上等兵   高山 晴次 命

                      昭和十七年三月七日
                      ビルマ国ペグーにて戦死
                      香川県小豆郡四海村出身
                      二十四歳
 

母上様。長らくお世話に成りました。

此の二十一年間、何一つ喜ばし、又、安心させた事もなく、只御心配ばかり掛けまして誠に申訳御座居ませんが、日本男子と生れて国防の第一線に立ち、男として一花咲かせます。東洋永遠平和の為、散らして行きます。此れ日本男子の本懐で有ります。

すでに母上様も入営当初より御覚悟は出来て居る事と思ひますれば、私も何一つ思ひ残す事なく、笑って護国の花と散ります。

なほ、もし私の骨が帰ったなれば只一言、よく死んで呉れた。あっぱれと褒めて下されば、なほ嬉しく思ひます。私の石碑は、ほんの印だけで結構です。故、残金は全部国防献金して下さい。

(中略)

茂君も丈夫で、立派な帝国海軍軍人と成って、海に活躍せられん事を祈る。
孝江も真面目に働いて良き夫に付き、幸福に暮らされん事を草葉の陰より祈る。

又、兄上様一同に色々と心配をかけた晴も、だうやら一人前の日本男子と成った様です。
私も此れに越したる喜びは有りません。

だうか母上様をよろしく御頼み致します。

(後略)

                             晴次

母兄弟妹様                         

(注)
香川県小豆郡(しょうずぐん)四海村(しかいそん)、現在の香川県小豆郡土庄町(とのしょうちょう)。

2014年3月 3日 (月)

全国のすべての小学校、中学校、高等学校の校長、その他学校・学園の長たる者に告ぐ! (2014年3月3日)

卒業式を迎えるにあたり、

全国のすべての小学校、中学校、高等学校の校長、その他学校・学園の長たる者に告ぐ!

あなたの指導力で、卒業式会場檀上には、国旗と校旗を並べ掲げ、

式開始時には、一同、国旗に正対し、国歌を斉唱するよう、

締めくくりには、できるだけ「仰げば尊し」 を斉唱するよう、

決断・実行されたし!

2014年3月 2日 (日)

靖国神社参拝

豊島区に住みながら、正月以来参拝していないので、行ってきました。

今日の東京地方は、手がかじかむような寒さです。

来週の陸軍記念日にも行けそうもないので、冬の寒さ再来で冷たい雨のなかでしたが、やはり参拝が終わると、身の引き締まる思いがし、また、来てよかった、とも思います。

生憎の天気でしたが、三々五々参拝者はあり、滋賀県からの遺族らが団体で来ていました。

梅も五分咲きでしたが、かすかに甘い香りが漂っていました。

靖国教場・啓照館では、あさなぎ部員による、皇居勤労奉仕結団式が開かれていました。
あすから四日間、若い世代が、神社境内や皇居内で、寒いなか清掃などに励みます。

いつもとちょっと違う光景として、警察官があちらこちらを巡回していたことです。放火未遂などもあったので、警戒しているのでしょう。

神社に火を放つなどというのは、狂気の沙汰であり、狂人しかできないことで、今後そうした犯人は確実に逮捕し、厳罰に処すべきです。

遊就館一階も、いつもと同じ光景でしたが、書籍売り場右には、背の高い木製風の棚が設置され、五冊の本がケース内に並べられていました。
また、遊就館スタンプラリーなるものを始めたようです。

入口のラックを見ると、遊就館団体拝観のご案内という用紙がありました。

遊就館1周コース、大東亜戦争コース、英霊の「みこころ」にふれるコースがあり、裏は予約申込書になっています。団体で入ると、拝観料が割引されるようです。

靖国神社が始めたのか、遊就館内の本部をもつ「英霊にこたえる会」が始めたのかわかりません。
そういう需要に応えるということもあるでしょうが、日本人としての誇りを失いつつある日本人に対し、自虐史観教育によって、英霊のはたらきを知らず、真の史実を知らされない学生・生徒そして大人たちに対し、こういうムーブメントを起こすには、よい時期だとする判断があったのでしょう。
大いに推進してほしいものです。

今月15日(土)からは、12月7日(日)まで、「遊就館特別展 大東亜戦争七十年展 Ⅲ」が開かれます。(6月25日~27日は休館)

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