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2014年2月

2014年2月22日 (土)

自衛隊法の全面改正を (2014年2月22日)

安倍首相が、自衛隊の武器使用基準について、その見直しを示唆したとのことだ。

何度も書いたように、法治国家であるからには、すべては最終的に、(改正を含む)立法によって、正式に規定されなければならない。

個人的には、単純だが、自衛官の武器使用については、第一線の指揮官に、その採否が委ねられてよいと考える。

自衛隊の武器使用規定については、第88条の防衛出動時の武力行使以外の場合は、下のように限定されている。

第八十八条  第七十六条第一項の規定により出動を命ぜられた自衛隊は、わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる。
2  前項の武力行使に際しては、国際の法規及び慣例によるべき場合にあつてはこれを遵守し、かつ、事態に応じ合理的に必要と判断される限度をこえてはならないものとする。

第76条第一項
(防衛出動)
第七十六条  内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃(以下「武力攻撃」という。)が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。この場合においては、武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律 (平成十五年法律第七十九号)第九条 の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。

武器使用規定  http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2002/column/frame/ak143003.htm

文中の資料16:
http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2002/siryo/frame/dg140016.htm

防衛出動とは、わが国全体を見渡したときに、そこに外部からの攻撃を受けた場合を想定している。すなわち、他国による、日本国への領土・領海・領空の侵犯である。
これは文民統制の原則からして、首相が素早く判断する。
問題は、これ以外の活動においてのことだ。

自衛官の武器使用の項目は、多くの場合、警察官職務執行法第7条と海上保安庁法第20条を準用するというかたちをとっている。

これは、自衛隊法の成立(昭和29年)より、警察官職務執行法と海上保安庁法の成立のほうが、時間的に早かったから(いずれも昭和23年)である。

警察官職務執行法第7条
(武器の使用)
第七条  警察官は、犯人の逮捕若しくは逃走の防止、自己若しくは他人に対する防護又は公務執行に対する抵抗の抑止のため必要であると認める相当な理由のある場合においては、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度において、武器を使用することができる。但し、刑法 (明治四十年法律第四十五号)第三十六条 (正当防衛)若しくは同法第三十七条 (緊急避難)に該当する場合又は左の各号の一に該当する場合を除いては、人に危害を与えてはならない。
一  死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁こにあたる兇悪な罪を現に犯し、若しくは既に犯したと疑うに足りる充分な理由のある者がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。
二  逮捕状により逮捕する際又は勾引状若しくは勾留状を執行する際その本人がその者に対する警察官の職務の執行に対して抵抗し、若しくは逃亡しようとするとき又は第三者がその者を逃がそうとして警察官に抵抗するとき、これを防ぎ、又は逮捕するために他に手段がないと警察官において信ずるに足りる相当な理由のある場合。

これらの条文などを読むと、武器使用の条件が、実に綿密に、限定的に、規定されていることがわかる。
簡潔にいえば、武器が使用できるのは、慎重に判断して、正当防衛と緊急避難を見越せる場合だけであり、それ以外の場合は、よほどの場合以外は、武器は使うな、と言っているのも同然だ。

自衛隊法の改正については、いままで少しずつ手直しをしてきただけに、いまさら全面改正は難しいと思うが、できるなら、武器使用基準をぜひとも緩和の方向に書き直し、新たに、例えば、「国軍法」として、全面的に作り直してほしいものだ。

そういう準備を万端にしておくことで、有事の際に、縦横無尽に動けるというものである。

しかし、各条文をよく読んでみると、これだけ厳密に規定されていても、その条件に見合えば、武器は使用できるのであり、解釈如何にもよって使用範囲・使用機会は増えるだろう。

警察官の所持する拳銃と同じで、今のままでは、宝の持ち腐れである。
むしろ、現実的な場面で、武器を使用できるという事実を、自衛官自身が意識することも大切なように思う。

そのためにも、訓練が必要なのである。武器・弾薬その他の備品が必要なのである。防衛費を大きくとる必要がある。

ついでながら、警察官にも、もっと訓練の機会を与えるべきだ。機動隊だけでなく、交番の警官にも必要だ。
一通りの練習でなく、訓練として試験制度を設けるくらいでもいいと思う。

実際やってみればわかるが、5メートルしか離れていないところからでも、動いている対象の脚に弾を命中させるのは至難のわざだ。
映画のようにはいかない。

2014年2月11日 (火)

保守派に欠けるものがあるとすれば…

昨日の日記に対し、貴重なコメントをありがとうございます。
以下、コメント返しに替えさせていただきます。

山本太郎が当選したときも、今回の都知事選でも、終わってみると必ずといっていいほど、こういう言葉に出会います。

都民はバカな選択をした、東京都民は日本人じゃない…などなど。

これは Twitter にも mixi にも散見されます。
言っている本人は、東京都以外に在住の人がほとんどであり、山本や舛添に入れていない人間は除外して言っているつもりではあろうが、受けるほうとしては、言葉として一括りにされてしまっているわけで、これはたまらない、と思うのです。

かつて、大阪市や大阪府を大阪民国と呼んで顰蹙を買っていた例もありましたが、こういう際の言葉遣いというのには、充分気を付けたいものです。
かような無神経さがあるかぎり、都どころでなく、日本全体として、保守が大同団結などできないだろうと思われます。

民主主義の手続きを踏んで、都知事が舛添になった以上、これは東京の有権者の過半数の選択として、認めなければならず、保守派の考えに沿うような行政をおこなってもらうしかなく、今後あらゆる局面で、きちんとそのおこなう都政を監視していくことが必要でしょう。

選挙は終わったものの、気になる点が出てきています。
日本会議は舛添を支援した、1月6日までは自民党は田母神氏を支援するつもりであったが、田母神陣営からそれを断った・・・などなど。

事柄の真相を確かめなければなりませんが、今後そのときどきの選挙結果がどうなるかは別として、いろいろな反省点を今後の選挙に活かしていくべきです。

私個人は、「…と思います」の繰り返しと、コートを着たままの演説は、避けた方がいい、と、二度に渡り事務所にメールしましたが、これは最後まで聞き入れられなかったようで、メールへの返信もありませんでした。
これが落選につながったとは思いませんが、全体的に言えば、田母神事務所には、ある意味、破天荒なほどの柔軟性をもった選挙戦が必要であったのかもしれません。

集計によると、接戦での敗北ではなく、舛添の圧勝であり、宇都宮や細川にも、だいぶ水を開けられてしまいました。
それでも、この61万票のもつ意味は実に大きいものです。組織票などほとんどなく、選挙資金も潤沢ではなく、愛国心だけでつながった人々の自主的な活動のみによる、初めての選挙戦にもかかわらず、ここまで善戦し票を獲得できたのは、東京都であればこそのことと思います。

人口は多いが、そのほとんどが、もともと東京都に生まれた人間ではなく、大学進学や就職で東京に住み始めた人間ばかりです。
一昨年の自民党総裁選の際、安倍・麻生両氏が去ったあと、秋葉原では群衆はすぐに帰らず、そこで後始末をしていた朝日新聞やNHKの職員に対し、批判の声を上げていました。
この群衆の叫びこそ、保守本来のものと言えます。

保守には、伝統・格式・順序・秩序・礼節・良識などを重んじる気風があります。
これらがかえって仇となってしまい、選挙戦も上品に済ますということだけに終始していれば、今後も今回の都知事選と似たようなことを繰り返すだけになるでしょう。

何も反原発派のように、ロックバンドでガナりたてたり、風俗嬢のような厚化粧の女子群にダンスを躍らせたり太鼓をたたかせたりすることはありません。
しかし、アイデアを出し合って、何がしか、より効果的な方法を編み出していく必要があります。

サヨクと称する団体に、ひとつ認めざるをえないものがあります。
これを言うと批判されそうですが、正直に言います。

ヤツらには、いい悪いは別として、、とりあえず、勢いがある、熱気がある、気概がある・・・

少し言い過ぎましたかね…。
保守の動きには、こうしたものが、ないわけではないが、希薄なのです。

これらが悪しきに走ったとき、これを封じ込めるのは、権力しかありませんが、権力をもたない一般人は、その集合体として、こうした勢いをもつ必要があると思うのです。

戦後や60年代と違って、勢いや熱気といっても、昭和の感覚を脱したものが望ましいわけですが、具体的な方法となると、今はまだ思いつきません。平成生まれの諸君のほうが、よいアイデアを産むかもしれません。

一部には、インターネットによって保守の横の広がりを確保しようとする動きもあります。田母神氏自身も、そう考えているようです。
これに反対はしませんが、それだけでは心もとないと考えます。

ネットで情報共有はできても、一票を十票にすることはできません。
やはり、勢いが必要なのであり、勢いを作り出さなければならないところにきているようです。

個人的なことですが、私はどちらかといえばアナログ人間でしょう。たしかに、機能性は追究します。不便より便利なほうがよい、のろいより早いほうがよい…
ただ、常にまわりより、新しいものを利用するのは遅かったほうです。

ワープロは、周囲がみな持ち始めて、なんだまだ持っていないのか、と思われたころ、ようやく便利さに気付いて購入し仕事に使い始めました。CDデッキもVHSも同様であり、携帯電話もそうでした。
携帯電話にしてもパソコンにしても、ようやく必要であると実感してから手に入れています。

しかし、これらの便利な道具によって、人間性が変わったということはありません。便利だから使っているだけで、不必要となり不便を感じれば、やがて使うのをやめるでしょう。
新聞もテレビも同じで、もうああした道具は不必要だ、このままいくとアホになると判断したとき、ごく自然に解約・廃棄することができました。
テレビがなければ、たしかにリアルタイムでの鑑賞はできません。箱根駅伝は好きですが、リアルタイムで楽しむことはできません。しかし、その程度のことであって、私の生活や思想信条に、箱根駅伝を見れないことが、大きく影響などしていないのです。

何が言いたいのか。

パソコンにしても携帯電話にしても、それは人間の使う道具類だということです。
使わなければ同じです。必要がない・うっとうしい、となれば、放置しておくか廃止してしまうでしょう。

子供のころ、都下町田市のいなかに住んでいました。高ヶ坂(こうがさか)というところです。
弟とともに飼い犬のコロという柴犬といっしょに、よく散歩に出ました。

まだ畑などがある地域で、春にはあちこちにレンゲソウが咲いていました。そこにセーターのまま寝っころがって、空を飛ぶ雲を見ていました。コロが、そろそろ行こうと催促がましく、顔を舐めてきました。
起き上がると兄弟互いに、背中に付いた葉っぱを落とし合いました。

まだ何ともアイデアが浮かばないのですが、何となくこの芝生や空といったものが、先の勢い・熱気・気概に通じているような気がするのです。

ここには、電気や電子音、煩わしい操作、…そういったものはない…

日本列島を横につなぐ保守の連帯がありうるとしたら、それはパソコンや携帯電話だけの世界を、内側から打破していくようなエネルギーしかないと考えます。

古来より伝統・格式・順序・秩序・礼節・良識といった要素は、津々浦々の日本人に行き届き尊重されてきました。今日においても変わりありません。

そうであるならば、ふと、こんな深夜に思い描くことも、何がしかのかたちで現実のものになるのではないか、・・・そんな予感がするのです。

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