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2014年1月11日 (土)

『AKIRA』原作と劇場アニメ『AKIRA』

実写映画化は、本物の人間の俳優を使って作る映画のことで、これはまだできていない。アメリカでできるという話もあったようだが中断しており、まず製作できないのではないかと思う。

それでよい。

小説の映画化についてはどうか。

本来はやはり、しないほうがよい。

ただ、それを読んだ製作者や監督がいて、これをどうしても我が手で映像化したいと思う。世間の需要があり、資金のメドも立てば可能となる。

小説でも絵画でも、出来上がったものが作品であり、言ってみれば勝負となる。

原作を「元にして」作ったものなら、それなりの脚本なり演出がなければ、原作に負けることは必至だ。

私は、原作を読んでいたとしても、映画は別ものとして観る。
映画がそれなりによい出来であるなら、それもいいのだ。

例えば、以前日記にしたことがあるが、谷崎潤一郎の『鍵』という日記形式の小説がある。これを「元にして」、市川崑が映画『鍵』を作った。(http://mixi.jp/view_diary.pl?owner_id=48430274&id=1848255714

脚本は原作どおりではないが、原作の雰囲気をまことにみごとに掬い上げ、全く別のジャンルの作品としてしまった。
映画としても秀逸である。

これに対し、原作を「忠実に再現しようとして」作ったものは、ほぼ失敗に終わっている。
上のように、一旦原作をまるごと噛みしめて「作り直す」ということではないからだ。
文字で書かれた原作を、「忠実に再現」したところで意味もなく、映画として失敗するのは目に見えている。

監督や製作者が、どちらを選ぶかによって、初めから作品としてのできばえは、ほぼ決まってしまっていると言えるだろう。

漫画とその映画化については、その両方を知る作品がほとんどないので、偉そうなことは言えないが、少なくとも『あしたのジョー』の実写化が大失敗に終わったのは、これもかつて日記にしたとおりだ。(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1826065910&owner_id=48430274

ただ、劇場アニメ化するのであれば、同じ原作者が作るかぎり、同じようなものができるはずであり、これはむしろ期待できるのではないか。

このたび、かつて途中で読むのをやめていた『AKIRA』を、全巻手に入れて一挙に読んでみた。

これを、原作者以外の他人がアニメ化しようとすればエラいことになっていただろう。著作権者がそれを許すとも思えない。
読んでいない人も多いはずなので、わかっている人間だけの会話にするのは最低限にしたい。

同じ原作者・大友克洋が、要請もあっただろうが、おそらくその個人の願望もあって、漫画のほうの連載を中断までしてアニメ化した。

原作は、実に多くの要素が盛り沢山で、ある意味とりとめのない広がりをもっている。
膨大な原作に比べれば、これを2時間に縮めたアニメのほうは、たしかに省略してあるところが多い。
それだけに、ちょっとつかみにくいところもあるのだが、しかしアニメはアニメで上出来であり、原作の言わんとするところは同じである。
絵が細かいことに圧倒されるが、ストーリー運びについても、進行のダイナミズムをよく心得ている。

例えば、カオリの出し方についても、アニメではほとんど使い捨てのような感じで気の毒だが、原作では後半に登場し、かなりの役回りを与えられている。
ミヤコという新興宗教の教祖も同様だ。原作では、進行上、かなりのウエイトを占めているが、アニメではほとんど付けたしのような存在だ。

こうした大胆な改変をおこないながらもなお、アニメはアニメとして完璧に近いものになっている。

実際、アニメは、ほとんど全く別の作品と言ってもいいくらい、話の流れが変わっている。しかし、同じ作者が作ったものであり、声優により肉声も入ることから、原作にはない言葉のやりとりも付け加えられ、映像シークエンスとして立体感が生まれている。
逆に、同じようなシーンでも、アニメには使われていない言葉も多い。

映画では有名な次のセリフは、原作にはない。(http://www.youtube.com/watch?v=1TKRRkQG81k

鉄雄「金田ぁ~~~!」
金田「‘さん’をつけろよ!デコ助野郎!」

原作にある次のセリフは、映画にはない。

金田「ヨタヨタのジャンキーどもになめられてたまるかよ
   俺達ァ健康優良不良少年だぜ」

「大東京帝国」というコトバも原作にはあるが、アニメでは、文字として書かれた「大覚アキラ」としてしか出てこない。

もしかしたら、同じ作者がマンガをアニメ化して、失敗したものもあるのかもしれない。

本来、出来たものは出来たものとして味わうべきなのだろう。
文字は文字として、絵画は絵画として、画は漫画として、映画は映画として、そのジャンルに生まれた意味があり、それを他の方式で作り直すのは邪道なのだ。

それでも、そこに出来上がったものがあり、それを楽しむということであるならば、そういうエンターテイメントは否定できない。

原作があるものでも、映画として成功しているなら、それは評価したい。原作と比べてどうか、というのは、もともとハンディのあることでもあり、そのことだけをもって非難するのはどうかと思う。

しかし、別作品として観ても、評価に値しないのであれば、正面から批判されてもしかたないのだ。

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