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2013年9月

2013年9月29日 (日)

『われらの大空  輝く陸軍少年飛行兵』

『われらの大空  輝く陸軍少年飛行兵』(陸軍航空本部)

戦時中に配布された、少年飛行兵募集のためのグラフ誌を、手に入れました。貴重なものです。作成年度は不明です。

グラフ誌といっても小さいサイズで(縦18cm×横12.5cm)、材料は紙、そこにカラーを使って印刷したものです。カラーといっても、赤と青だけです。戦前は、カラーで印刷することじたいが稀なことであったと思われます。

募集用のカラーポスターなどもあるはずですが、今は古書店にも出回っていません。

いずれにしても、当時、帝国はこれくらいの力の入れようで、少年飛行兵を募り、また、多数の応募者があったことは確かです。

一部のページを写メして、アルバムにしました。
表紙からページ順になっています。

表紙を開けると、宮城の写真(写真上)が置かれています。

*下の写真の説明

入校 陸軍少年飛行兵學校 

下の段、右から順に、
「早朝、遙拜をすまして、大きな聲で御勅諭を奉唱」
「朝夕には銃劍の手入れ」
「煌々と灯る電燈の下での自習時間」

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2013年9月28日 (土)

憂国の心情

保守愛国の思想は、戦前から存在してきて、戦後を通じ、今日に至る。

民主政権への反動で、きのう今日生まれたわけではない。

というより、戦争は現に経験したのであるが、いにしえの時代からずっと持続してきたはずだ。

日本は、大東亜戦争の終結によって、連合国側、特にアメリカによって、愛国の真髄が骨抜きにされ、それと引き換えに、経済的に繁栄した国となったといっていい。

三島由紀夫が憂い続けたように、日本人固有の武士道精神や大義なるものは、それじたい消え去ってしまうことはなかったが、表出が堰き止められてしまったのは事実だろう。

しかしそれでも、敗戦直後より、隙あらば頭をもたげようとしてきたのが、右翼思想であった。

戦史を通じて、そこに散華した人々、銃後を守る人々をみるとき、大方の日本人の心情の底に眠るものは、戦前戦後でそんなに変わっていない。

人によっては楽観的だと思うだろうが、日本民族のメンタリティは、そんな簡単に滅びはしない。

秩序があり、礼儀があり、謙虚さがあり、勤勉があり、受容性に富み、あるいは、任侠があり、義理人情があり、花鳥風月を愛でる心意気があり、伝統的な行事が営まれ、日々の安寧をよしとする・・・こうした、今日でも日本社会のそこここにみられる世相は、連合国や日本国憲法によって初めて生まれたのではない。

保守への踏み台としてのマルクス・レーニン主義、日本をよくしようとするかぎりにおいて革新を唱える左翼政党らしきものは、たしかに存在した。

彼らの目的は、保守思想が裾野を伸ばすことによって、その一部に組み込まれ、日本社会を憂える方向は、ひとつに収斂され、そうでない者は存在価値を見失った。
保守愛国でない思想も戦前から前後へと生き延びてきたが、監獄から娑婆に現れたその思想は、戦後半世紀をもって、その役割を終えたと思う。

ところで、三島由紀夫は文学者であった。文学者であるから右翼思想家になれたのであると思う。

終戦を二十歳という多感な年齢で迎えた三島は、常に矛盾のなかに生きてきた。一種の矛盾するゲシタルトを持ち続けてきたと言っていい。

花瓶と思えば花瓶であり、二つの横顔と思えばそう見える、例のルビンの花瓶のように、臣民の総意として大権をもつ天皇と、民主主義のもと国民に主権が移行し象徴となった天皇という二つの存在に、三島の心は常に突き動かされてきたのだ。

皇室崇拝は右翼の核心的思想である。この核心的思想が滅しないかぎり、右翼思想というものは存在する。これに対し、言葉の上では反対語の左翼であるが、これはすでに消滅している。反原発だの在日擁護だのと騒いでも、これもまた一貫性のない刹那の音声にすぎず、長い歴史のなかに掻き消されていくだろう。

滔々と流れる歴史的時間のなかで、在日右翼のような単純に見分けのつく右翼なる者らが置き去りにされるのは必至だが、思想をもたない右翼も、それが街宣であれネットであれ、やがて置いてけぼりを食うのは間違いない。

右翼は、それ自体が日本という国の国体にふさわしいありかたゆえに、もし偽装右翼に成り下がれば、サヨクのバカより、みじめさにおいて落差が大きく、見る影もなくなるはずだ。

いかなる愛というものも排他性をもつように、愛国思想も排他性をもつ。右翼思想はさらに排他性を帯びる。

例えば、物理的に、韓国人を排斥する、という意味合いだけではない。郷土や家族、伝統や衣食住などの文化を、大切に思いつつ日々を過ごすという習慣のうちに、一定の矜持がはぐくまれる。それこそが、愛国思想の源泉と思う。
矜持を生まず、ただ合理性や機能性だけに生きるとき、排他性は生じない。

排他性は、差別の温床である、と短絡してもらっては困る。排他性は愛国心の帰結である。差別とは、暑い寒いと同じ次元の感覚であり、被差別の側がそれを拠りどころとするところの彼ら固有の矜持である。

愛国という心のすぐ奥には、必ずや憂国の情が潜んでいる。国や社会のありかた、子供たちの将来を思うとき、ここで何をかしなければ、という気概が、憂国の心情だ。

以上と直接関係はないのだが、かつて、マイミクの二矢さんが書いていた日記は、さりげない記述のなかに、こうした心情が圧縮されているようにも見え、強く記憶に残っている。

ここに紹介したいと思う。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

「散る桜」と題された日記です(2012年04月15日日)。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1837956678&owner_id=41302645&org_id=1836881047

ご本人の許しを得て、コピペして全文公開します。
日記に、下の写真が貼付されています。

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今朝、近くの公園の桜を見に行って来ました。

折れた枝が落ちていたので、持って帰って写真の様にしておきました。

本当なら、もう誰にも見られる事なくただ枯れて捨てられていく桜だったけど…
靖国神社で買った御神酒の瓶に生けてネットでアップしたから、もう一度みんなに見てもらえて輝かせる事ができた。

散り行く桜…
桜を見ると日本の為に戦い散っていった英霊の事を思い浮かべてしまう。

今、彼らの遺志を受け継ぎ活動されてる若者はたくさん居てます。
僕も負けずに活動していきたい。

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2013年9月27日 (金)

サヨクの指南役、上野千鶴子

マルキスト学者としての能力は認めよう。

それ以外は、認めない。

女が男のことまでやれるなら、男は要らないという思想の持ち主だ。

上野は結局、男になりたかった女、にしか見えない。

最近、ますますサヨク顔になってきましたな。

以前書いたとおり、在日韓国人で大妻女子大教授・鄭英恵の指南役でもある。

思想的には、要するに、現状破壊である。
現状打破や現状改革では、決してない。現状破壊である。

※いちばん下は、麻布(あざぶ)高校でのスナップです。
麻布とは、学校法人・麻布学園の運営する、東京の御三家のひとつで、麻布中学との六年制になっている高校です。自由教育が尊重され、制服もありません。下校時に脇を歩くと、メガネをかけた生徒ばかりであることに気付くでしょう。写真に女子が見えるのは、他校からの生徒も参加する討論会だからです。

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雨後の筍のように生まれた保守系論客 (2013年9月27日)

参院選から二ヶ月あまり経った。

それ以降、朝日と並び、特に毎日が政権批判を繰り返してきた。日本共産党は、都議選・参院選で、予想以上の票を得、これも大きな顔をしはじめてきた。
保守政権が基盤を強くしたのだから、その反対勢力が騒ぎ立てるのも無理はない。

さらに、今までサヨクの指南役として黒子の存在であった上野千鶴子のような人物までも、いよいよ出しゃばり女の本性を現してきた。
上野は学者であり、その業績は認めよう。日本の学問界に、これくらいの論客がいてもおかしくない。

上野は、決してくだらない人間ではない。簡単に、反原発や在日援護に与(くみ)する人間ではない。しかし、東大を退官し、他にやることもなく、ちょっとくらいなら触ってみようか、といった気分で、そうした動きに同調し始めたとみている。

一方、大勝した保守陣営側にも、政策において対立が見え隠れしてきた。
公明党・創価学会は、初めから自民党とは反りが合わないのは言うまでもないのだが、ここ数年、雨後の筍のように生まれてきた保守系論客にも、似非保守がいると思われる。

街宣右翼に似非右翼がいたように、安倍政権支持を謳いながら、「そのついでに」、理論的には広く浅い連中が、モノを書き、人前に出て、トークするようになってきた。

保守政権支持という一点において、彼らもわれらの仲間のうちであることには変わりないようだが、サヨク論客と相似形を描いているところが眉唾ものに見えてしまう。

ツイッターで私は、サヨクの特徴として、こんなツイートをしている。

サヨクの特徴:①礼儀と言葉遣いを知らない。②物事の順序や秩序に無知無頓着。③刹那優先で全体像や将来像を見通した視野をもてない。④歴史認識と、AゆえにBであるという論理性に欠ける。⑤提案・代替案を出せない。⑥同情・共生を通じ横に群れ、そこにしか自己のアイデンティティを見出せない。

少なくとも、これらに該当しない保守論客は、一応の信用はできるが、その論理的根拠となると、めっぽう弱く、しかも、その論拠においては互いに批判し合っているのも事実だ。

本来は、せいぜいブログを書いていればよかったくらいの人物が、サヨクの論客に負けまいとする気概と、出版社に急かされるせいもあってか、保守迎合的になり、保守政権崇拝教になりつつある者までいる。

明らかにオーバーキャパシティと見てとれる保守系論客といわれる人物が、サヨクの饒舌よろしく軽口をたたいているのを見ると、私より年下のせいもあるが、何だか子供のお遊戯の時間を見るようである。

これらを含め、新たな情報に接したときには、次の原則を貫くべきだ。

1.情報はいくらあってもよい。
2.情報は鵜呑みにしてはいけない。

どういうカタチであれ、情報を得る機会は多ければ多いほどよい。
しかし、その情報を元に、「自分で見て考える」ことをしなければならない。

保守政治のことを、保守論客にまかせておけばいいわけではない。それではまるで、自称サヨク運動する者は、みな、上野千鶴子らサヨクの論客の言う通りにするのと同じである。

最近よく名前を目にするな、と思っても、やはり上の二点に戻って、冷静に判断する必要がある。それでもなお、その考えを信用できるとなったら、信用して付いていけばよいと思う。
付和雷同して付いていけば、思わぬ裏切りに合うかもしれない。

仲間だから、学歴が高いから、本を書いているから、歯に衣着せぬ物言いをするから、おもしろい人だから、・・・、だから、この人を信用できる、…というのは間違いである。

しっかり中身を知ってから、その人物に賛同しても、遅くはない。賛同するのが遅くなっても、恥じることではない。

2013年9月25日 (水)

映画 『ワン・ツー・スリー』

監督・製作:ビリー・ワイルダー、脚本:ビリー・ワイルダー 、I・A・L・ダイアモンド、音楽 アンドレ・プレヴィン、主演:ジェームズ・キャグニー、1961年、109分、モノクロ、アメリカ映画、原題:ONE,TWO,THREE

コメディ映画である。ドイツ語も出てくるが、MGM映画である。
よくできた、いわゆるスラップスティック・コメディで、アドリブによるドタバタ喜劇ではない。
タイトルは内容を暗示しているが、セリフにも出てくる。

名監督ビリー・ワイルダーには、これより後に作られる、マリリン・モンロー主演の『お熱いのがお好き』など、コメディも多い。
悪女をテーマとしたシリアスな作品『深夜の告白』や『情婦』を作った同じ監督とも思えない。彼の映画人としての真髄は、映画は芸術というより娯楽である、というものであった。

元々脚本家としてデビューしているので、ストーリー展開は職人肌で、どの作品もまことにみごとだ。ただ、それゆえ、脚本に力がありすぎて、勢い、セリフが多くなるのは、コメディでもシリアスでも同じである。字幕スーパーを見るのに忙しくなるときがある。本来は字幕なしで観れたらよい。

この作品は、小さい頃、テレビで観たことがある。一回しか観ていないはずだが、その後、映画にのめり込んでいくに従い、主演のジェームズ・ギャグニーを知り、ワイルダーも知り、いつかもう一度観たいと思っていたところ、今年4月、20世紀フォックス・ホームエンターテイメント・ジャパンから STUDIO CLASSICS として出された。

東西冷戦下の西ベルリンにある、コカコーラの西ベルリン支社長マクナマラ(ジェームズ・ギャグニー)が主役だ。
アメリカにある本社社長から、その令嬢がヨーロッパ旅行に出かけたついでに、西ベルリンにも行くので、その面倒をみると同時に、危険なところに出かけないように監督してほしいと頼まれる。
これをうまくやれば、晴れて、ロンドン支社長へと栄転することになっている。

ところが、令嬢スカーレットはおてんば娘であり、東ベルリンに入り、共産主義者の青年と出会い、結婚まで済ませてきたという。これがそのまま社長に知られては、自分の監督不行き届きとなり、それどころか出世の道も閉ざされてしまう。
しかも、社長夫妻は、近々西ベルリンにやってくることになった。……

セリフには、実際の固有名詞が多く使われている。それ以上に、ソ連側への皮肉や社会風刺も効いており、心理劇的コメディではなく、東西冷戦が皮肉られたり滑稽に扱われたりと、政治風刺映画のようでもある。

会話が多く、まさに、ワン・ツー・スリーといったスピード感をもった展開で、一気に突き進んでいく。
タイトルバックや途中に、ハチャトゥリアンの『剣の舞』が使われていることからも、その忙しい展開が予想できるだろう。

ジェームズ・ギャグニーは、もともとギャングなどの悪役が多かった。ここでは、社長令嬢に振り回される滑稽な人物を演じている。

彼の出演作品では、『汚れた顔の天使』(1938年)のワンシーンが思い出深い。ドリス・デイと共演した『情欲の悪魔』(1955年)もまた観たいが、なかなかDVD化は難しいかもしれない。ドリス・デイの『Love me or Leave me』が主題歌となった映画だ。

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2013年9月19日 (木)

少年法廃止に向けて (2013年9月19日)

世間で少年法が話題となるのは、少年が人殺しをした場合である。

いわゆる非行少年、不良少年をどうするか。これは、いつの時代も注目を浴びてきた課題の一つだ。

今の少年法の趣旨は、その少年の更生を目的としている。

少年は誕生してからの日が浅く、社会的に未成熟なので、一度の非行などで、成人同様、刑罰を受けさせることより、むしろ、その非行を反省させ矯正させるため、その少年の将来を考慮し、保護者をはじめ専門家が、家庭裁判所、児童相談所、少年鑑別所、少年院と協力しなければならない、としている。

そうした機関が介入しない事例は、日常にいくらでもある。
万引きをした子供に対し、出来心でした盗み程度のことであれば、犯行の態様や反省の状態、日常生活のようすから、店と保護者が話し合い、善処するなども、その好例である。

こうした限度を超えたり、同じ非行を何度も繰り返すとなると、警察が介入し、少年法の趣旨の下に、法的手続きが取られることになる。

問題はやはり、少年が凶悪犯罪を犯した場合だ。例えば、殺人、強盗、強盗殺人、強姦、強姦殺人、放火、放火殺人、あるいは、重大な詐欺事件などを犯した場合、それでもやはり少年法の趣旨を活かすことを優先したほうがいいのだろうか、という点である。

少年法があることにより、少年は死刑を免れることができる。

死刑になってもおかしくないような犯罪を犯しながら、少年という一点のみをもって死刑を免れるということに、社会通念からして違和感があり、法の下の平等という観点からも納得がいかない、というのが、多くの人々のふつうにもつ感覚だ。

1999年から2000年にかけて、17歳問題、が起きた。
多くの凶悪犯罪が、17歳の少年によって起こされたのである。これを契機に、少年法は法体系全体において盲腸のような存在であり、あっても意味ない法律だと言われ始めた。
つまり、凶悪犯罪については、成人と同じように扱うべきで、刑法を適用すれば済むのではないか、ということだ。そうなると、実名や顔写真による報道もありうるわけだ。

2000年以降、少年による凶悪犯罪が起き、刑事事件については、少年だからと、特別扱いするような時代では、なくなってきたのではないか。
年齢だけで区切る少年法に、現在、どれほどの意義があるのか。

非行に走った未成熟な少年に対し、その未来を考え、矯正や育成を図るのは間違っていないが、少年だからと一括して扱うのではなく、個々人別々に、ケース・バイ・ケースで対処していくべきだ。
ただし、凶悪犯罪に限っては、少年の犯行態様や、性格・生活環境などに照らして、成人同様、まず刑法を優先して適用し、その後の事情などにより、少年法の適用へと回すのがよい。

今の少年法では、とにかく年齢で区切って、まず少年法を適用し、場合によっては検察庁に送致されることになっている。これは、法的手続きとしては、逆なのではないか。これは、少年法というものがあるからである。

一部の人々は、少年法を堅持せよという。
一般の人々にもそうした考えは少なくないが、左翼系・共産党系の弁護士や学者にも多い。彼らは、少年犯罪の数は減少傾向にあるという。あるいは、少年は成人以上にこれからの時間が長く、死刑にはできない、だから、最高が無期刑とする少年法を堅持すべきという。

少年犯罪の総数自体は減少してきているが、凶悪犯罪は減ってはいない。そもそも統計数値が低くなってきたからといって、少年法堅持には賛成できない。凶悪犯罪は万引きとは違う。人の命が奪われているのだ。一件であっても、一人以上の人間が少年によって殺された、という現実は無視できない。

罪を償うのは当然なのだ。罪の大きさに対し、刑罰として死刑まで用意しておくべきだ。少年法堅持の人々は、死刑制度廃止論者でもある。

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少年法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO168.html)は、大きく、少年の保護事件(第三条~)・少年の刑事事件(第四十条~)の二つから成り立っている。

第一条は総則であり、こうある。

この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。

つづいて、知っておきたい重要な条文は、以下の通りである。

第二条  この法律で「少年」とは、二十歳に満たない者をいい、「成人」とは、満二十歳以上の者をいう。

(※むろん性別は関係ない。日常会話での少年=男子、とは異なる。)

第三条  次に掲げる少年は、これを家庭裁判所の審判に付する。
 一  罪を犯した少年
 二  十四歳に満たないで刑罰法令に触れる行為をした少年
 三  次に掲げる事由があつて、その性格又は環境に照して、将来、罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をする虞のある少年
  イ 保護者の正当な監督に服しない性癖のあること。
  ロ 正当の理由がなく家庭に寄り附かないこと。
  ハ 犯罪性のある人若しくは不道徳な人と交際し、又はいかがわしい場所に出入すること。
  ニ 自己又は他人の徳性を害する行為をする性癖のあること。

(※警察・検察用語では、一を犯罪少年、二を触法少年、三を虞犯(ぐはん)少年と呼ぶ。)

第六条  家庭裁判所の審判に付すべき少年を発見した者は、これを家庭裁判所に通告しなければならない。
2  警察官又は保護者は、第三条第一項第三号に掲げる少年について、直接これを家庭裁判所に送致し、又は通告するよりも、先づ児童福祉法 (昭和二十二年法律第百六十四号)による措置にゆだねるのが適当であると認めるときは、その少年を直接児童相談所に通告することができる。

第十七条  家庭裁判所は、審判を行うため必要があるときは、決定をもつて、次に掲げる観護の措置をとることができる。
一  家庭裁判所調査官の観護に付すること。
二  少年鑑別所に送致すること。

第二十二条  審判は、懇切を旨として、和やかに行うとともに、非行のある少年に対し自己の非行について内省を促すものとしなければならない。
2  審判は、これを公開しない。

第四十一条  司法警察員は、少年の被疑事件について捜査を遂げた結果、罰金以下の刑にあたる犯罪の嫌疑があるものと思料するときは、これを家庭裁判所に送致しなければならない。犯罪の嫌疑がない場合でも、家庭裁判所の審判に付すべき事由があると思料するときは、同様である。

第五十一条  罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、死刑をもつて処断すべきときは、無期刑を科する。
2  罪を犯すとき十八歳に満たない者に対しては、無期刑をもつて処断すべきときであつても、有期の懲役又は禁錮を科することができる。この場合において、その刑は、十年以上十五年以下において言い渡す。

(※今年1月、法制審議会では、この有期刑の上限を20年にする決定をした。)

第五十八条  少年のとき懲役又は禁錮の言渡しを受けた者については、次の期間を経過した後、仮釈放をすることができる。
一  無期刑については七年
二  第五十一条第二項の規定により言い渡した有期の刑については三年

第五十九条  少年のとき無期刑の言渡しを受けた者が、仮釈放後、その処分を取り消されないで十年を経過したときは、刑の執行を受け終わつたものとする。

第六十条  少年のとき犯した罪により刑に処せられてその執行を受け終り、又は執行の免除を受けた者は、人の資格に関する法令の適用については、将来に向つて刑の言渡を受けなかつたものとみなす。

(※雑則として、最後の条文に、次の一条がある。この条文により、少年の顔写真や実名は、報道されない。)

第六十一条  家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

現在の少年法は、長らく新少年法と言われていた。
大正11年に成立した、いわゆる旧少年法に対し、戦後、GHQが改正させてできたのが、昭和24年元日から施行された新少年法、つまり現行の少年法である。

その少年法も、他の法律同様小さな改正を繰り返してきたが、特に平成19年に大きな改正を経て、今日に至っている。
この改正のポイントは、少年院送致の対象年齢を、14歳以上から、おおむね12歳以上に、引き下げたことだった。

旧少年法では、少年とは18歳未満で、死刑適用限界年齢は16歳以上であり、新少年法より、いずれも2歳低い。
国民投票法は、18歳以上を成年としているので、少年法との矛盾をなくすには、少年法を改正して、旧少年法の定義に戻す必要がある。

新少年法をGHQが作らせたころは、戦後の混乱や食料不足、社会秩序の紊乱(びんらん)により、少年による窃盗、恐喝などが多発したため、こうした少年を保護し矯正・育成するのが目的であった。

それから64年余りも経ち、時代背景も全く変わり、この目的自体が、立法趣旨として時代錯誤になっている。
戦後の混乱期には、まともな少年であっても、そうした犯罪に走らざるをえなかったから、それを保護し教育したのである。

立法は時代を反映する。いや、させるべきだ。
戦後の混乱もなく食料も豊富で一定の秩序が保たれるこの日本で、少年が似たような犯罪を引き起こせば、成人同様、それは捜査をおこない、刑罰を科すのは当然だ。

第一条には、「この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。」とあった。

つまり、非行と刑事事件が別になっている。非行のうちの一部が刑事事件という包含関係にある。非行の先に刑事事件が置かれる。
小さな盗みやいたずらなどを、大げさに扱うことはない。問題は、小さな非行の先にある凶悪犯罪である。

そこで、どうしても少年法を残すのであれば、一条前段の非行についてのみ、法律名を変えて、「少年非行防止法」などとしてこの保護処分の条文を残し、後段の刑事事件にかかわる項目は廃止して、刑法に準ずるのがよい。
刑法に準ずるのだから、この後段のほうは、改正して削除すればよいだけだ。

そうすると、自動的に、少年の刑事事件を謳った第四十条以下は削除される。
最後の条文である第六十一条も、「又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者」という箇所を削除して、「家庭裁判所の審判に付された少年については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。」とすればよい。

凶悪犯罪の場合は、検察に送致され、起訴(公訴の提起)されるからだ。そうなれば法廷に舞台が移るのであり、起訴され被告人という立場になった少年については、顔や実名はむしろ公表されるべきだろう。

条文をすべて読めばわかるが、少年法後半の「第三章 少年の刑事事件」に書いてあることは、ほとんど刑法に倣っている。その意味でも、後半の廃止は、それほど難しくないはずだ。
無論、法律の廃止や条文の削除は、立法同様、国会で多数決を得なければならない。

少年法前半「第二章 少年の保護事件」については、少年期特有の非行もあり、GHQの要請ということから離れても、時代を通じる内容でもあり、一挙に廃止するのは難しいと思う。
これに替わるような法律、例えば、上に書いたような「少年非行防止法」のようなものが別にできるのであれば、この部分も廃止してよいだろう。そうなれば、少年法そのものが廃止されることになる。

第二章の内容は、手続きが詳細に書かれている。いわば、少年法は運用法であるが、凶悪犯罪の芽を摘むためにも、警察や行政は、もっと積極的にこれを活用していくべきだ。

サヨク弁護士や日本共産党は、少年法全体の現状維持を主張する。
これはあたかも、日本国憲法が平和を守り抜いてきたのだから、改正する必要は一切ない、という考えに似ている。

凶悪犯罪を起こす少年は、少年のなかでもわずかである。彼らは、それゆえ、何とか現行の少年法で対処するべきと言う。
私は、そうであるならむしろ、成人と同じ扱いを受けさせるべきだと考える。

第二章の内容を積極的に活用するというと、彼らはすぐ、少年への厳罰化は戒めるべきだと言う。
凶悪犯罪を起こすのは、少年全体のごく一部であると、彼らも認めている。
それならば、第三章は廃止し刑法に準拠させ、第二章を残すのであれば、これを積極的に活用していってもかまわないだろう。

しかし、残すよりは改正して、新たな立法を考えてほしい。というのは、少年法全体に性善説が貫かれているからだ。
少年法の趣旨に沿ったのだろうが、この第二章は、当の非行少年に対し、甘すぎるのではないか。例えば、上に挙げた第二章第二十二条を再度見てほしい。

「審判は、懇切を旨として、和やかに行うとともに、非行のある少年に対し自己の非行について内省を促すものとしなければならない。
2  審判は、これを公開しない。」

出来心で漫画一冊を万引きしたなら、これもよかろう。そもそもその程度では、審判にまでいかない。
しかし、転売を目的とし、意図的に何回も人気漫画を盗むようなケースなどでは、こんな甘い対処でいいのだろうか。
家庭裁判所の審判とはいえ、ナメられておしまいになるのではないか。

暴力沙汰でも同じことだ。暴行・傷害は凶悪犯には数えないものの、実際に数の上では頻発している。
少年同士の喧嘩くらいなら、場合によっては、家庭と学校とで解決の糸口は見つけられるかもしれない。しかしこれが、集団でひとりを痛めつけ続けたり、一定の凶器を持っていたりすれば、話は別だ。
こういったケースの先に、イジメによる殺人なども置かれるだろう。

保護事件案件についても、刑事事件に直結するものや悪質な案件は、それぞれの犯行態様にしたがって、刑事訴追すべきだ。

警察や行政にこうした運用が期待できるのであれば、第二章は残すか、あるいは新たな立法をしてもかまわないと思う。

いかなる法律も、時代錯誤になったら、それを見直し、改正や廃止にする必要がある。日本国憲法がそうなのだから、その下に広がるすべての法律にも言えることだ。

少年法も、時代に照らし、将来の日本の国益、日本社会の進展という見地から、その立法趣旨を再考していかなければならない。
日本国憲法が権利や平和主義ばかりに片寄っているのと同様、少年法も、少年の保護に片寄っていると思う。

少年法は、教育の再生や死刑制度ともかかわりをもってくるが、凶悪犯罪予防の観点から見直すべきである。また今後、死刑にならないことをわかって人殺しをするような少年が出てくることも予想すべきだ。

以上の理由から、非行や犯罪を犯した少年に対し、その人権と平穏な扱いに配慮し少年保護に重点を置きすぎた現行の少年法は、一部を廃止するか、全部廃止して立法趣旨を変え、新たな法律に作り変えるべきであると思う。

2013年9月17日 (火)

異動が台風の日とは

先週の火曜日に、急に吉祥寺教室に行ってほしい、と言われました。

御茶ノ水に来て、ちょうど4か月だったのですが、また異動です。

別に、私に何かあったわけではなく、ある人がお客(うちでは、生徒とその親)に対し、マズいことを仕出かし、それでも、しばらくは何もなかったのですが、突如その人が辞めることになり、その穴埋めをするためにあちらこちらが玉突きのごとく動いた、ということで、私もそのうちに一人ですね。

いろいろ風聞を総合すると、「お客様は必ずしも神様ではない」という感想をもちましたが、いたしかたなかったようです。

せっかく馴染んだ御茶ノ水ですが、所詮はサラリーマンなので、特に異論もなく、指示にしたがうだけです。
それもあり、医科歯科大の食堂に行くのは最後と思い、そこで昼を食べて、帰りにハイビスカスを撮ったわけです。

吉祥寺校は、出来た当初から3回、遊びに行っているし、いまいる人も、女子スタッフ以外は顔見知りなので、特に問題もないです。

JR吉祥寺駅は、そのころも駅舎を工事していましたが、まだ終わっていませんね。

チャラチャラした印象のある街で、あまり好きではないですが、人口密集地には違いなく、若者も多いです。
ここで政治の話に脱線してもいいのですが、今日は単純に、まさに「日記」らしい日記ということにしておきましょう。

異動の日が台風とは・・・
台風18号は、関東からずれたところを通過しましたが、東京は雨より風が強かったです。
昼頃、まだ中央線が運転見合わせということだったので、早めにでて、何と西武池袋線下りに乗りました。

吉祥寺のほぼ真北を調べると、いくつかの駅があるのですが、幹線道路に出やすいと思ったので、練馬高野台という駅で下りて、タクシーに乗りました。

あのへんは入り組んだ道が多いので、渋滞すると困ると思ったからですね。

しかし、祭日のせいか、どこもスムーズで、16分2240円で、着きました。費用はあとで、会社に請求できます。

途中、かつて、恩師と歩いた善福寺公園を二分するところを通りました。
いろいろと語り合った思い出が甦ります。

石神井公園、善福寺公園、井の頭公園・・・山手線東側にも、広い公園があるのですよ。涼しくなったら、また、歩いてみたいです。

帰りは、もう月も出ていました。
中央線は東京方面に乗るので、空いていましたね。

山手線は、偶然、「みどりの山手線」に乗りました。いちばんうしろにいたので、思わず携帯を用意して撮りました。

つぶやきで、マイミク・てつろ中尉が言っていたように、緑も少なく、ちょっときれいすぎて、ツルンとした感じです。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

こういうわけで、気合いを入れた日記は、しばらく書けないかもしれません。
主張したいことは、もうほとんど書いてしまったのですが、唯一書いていないことがあります。
それは、少年法の問題です。

結論としては、少年法は廃止して刑法に取り込むのがいいと思うのですが、まだ詰めていない部分もあるので、それは日を改めて書きたいと思っています。

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2013年9月14日 (土)

山口二矢のしたこと (2013年9月14日)

やまぐち・おとや、と読む。
知らない人のために、本人の供述調書をもとに、若干解説しよう。

昭和35年(1960年)10月12日に、東京・日比谷公会堂で、自民・社会・民社三党首による立会演説会で演説中の社会党委員長・浅沼稲次郎が、右翼の一少年により刺殺された。(他の党首は、自民党総裁・池田勇人、民社党委員長・西尾末広)

この少年は朝日新聞に実名報道された。山口二矢(昭和18年2月22日~昭和35年11月2日)である。17年と8か月あまりの生涯であった。

当日は会場にTVが入っており、報道記者も多数いたことから、現在でもその瞬間をYouTubeなどで見ることができる。ちなみに、2回目に刺そうと(して刺せなかったが、刺したという説もある。VTRでは判然としない。)している瞬間の写真により、毎日新聞のカメラマンがピュリッツァー賞を受けている。

もともと反発心の強い子供ではあったが、小学生のころから歴史や地理の本に興味をもち、進んでそれらの本を読みながら、かたや、自分の国を悪く言う共産党や社会党への敵意がはぐくまれ、日本が赤化しないように、自分も右翼運動に身を置きたいと考えるようになった。

父親の仕事の関係で(会社員→国税庁→人事院→陸上自衛隊一等陸佐(大佐)→事件後、依願退職)、かなり引っ越しが多かったが、札幌の高校にいるときに右翼運動への意志はいよいよ固くなり、父の転勤で昭和33年8月に東京に戻ると、父と親交のあった小原国義が校長を務める玉川学園高等部に転校した。

このころ、警職法(警察官職務執行法)の改正案が国会に提出されると、社会党、共産党、総評、全学連などがデモをおこない、国会付近でシュプレヒコールをあげ、特に浅沼委員長は学生デモ隊の先頭に立って、国会に乱入した。マスメディアも、この姿が国民全体の怒りの表れであるなどと欺瞞的報道をおこない、警察もこうした集団暴力を積極的に取り締まろうする気配がないので、このままこれを放置しておけば、日本は赤化してしまうと危惧しはじめた。

昭和34年4月に2年生になるも、あちらこちらで労働組合による春闘(春季闘争)や日教組による勤務評定反対闘争が行われ、いずれかの右翼団体に入る意を決し、兄・朔生(さくお)が大日本愛国党の一員として5月1日のメーデーでビラを撒いたかどで検挙された件をきっかけに、自分も愛国党に入党することにした。朔生は党には出入りする程度で、二矢のように党の運動に専従はしていなかった。

たまたま新宿駅で街頭演説をおこなっている愛国党総裁の赤尾敏に出会い、その後、入党の意志を示し、身の回り品をもって、浅草公園にある党本部に住み込むことになる。
右翼運動により学校の名前にきずがついてはいけないという父親の配慮から、玉川学園は退学する。

昭和35年になると、安保闘争はますます激しさを増し、左翼の集会などに行き抗議し衝突を繰り返す。与党は派閥抗争に明け暮れ、左翼はいたるところでやりたい放題の運動をしている、愛国党の考えには賛同するものの、言論や抗議活動だけでは、今の左翼の勢いは収まらないと考えるに至る。

そして二矢は次第に、こう考えるようになる。左翼運動に駆られている労働者や学生は、そのリーダーたちの赤化のための小道具として使われているだけで、実際彼らが権力を握れば、ハンガリーやチベットのように、ひと握りの共産党が圧政を強い、一般の労働者は現在よりも劣悪な生活に陥ることは明らかで、左翼運動の第一線にいる連中のためにもならないから、その指導者たる者を倒さねばならない、と。

左翼運動を破砕終結させるには、本来ならクーデターが理想的だが、金も組織もない自分一人では不可能であり、一人でできうることは、現実に身をもって、左翼指導者を倒すことしかないと決意する。

ターゲットは、第一目標から順に、小林武・日教組委員長、共産党議長・野坂参三、社会党委員長・浅沼稲次郎に絞られた。これは、自宅で殺害するため、自宅住所など相手についての情報が多い順であった。浅沼については当初、第三目標であった。

教育で赤化を図ろうとする指導者を第一目標に選んでいるところに、二矢の先見の明がみられる。
5月29日には、赤尾敏との考え方の相違から、先輩格の党員二人とともに脱党している。

六・一五事件(同日の安保反対の全学連らによる国会乱入騒擾事件)の直後、数通の斬奸状(ざんかんじょう、悪人を斬り殺す(斬る=刀で人を殺す)趣意を書いた文書)を書いたが、浅沼宛以外のものは捨てている。ただこれは浅沼殺害のために書いたわけではなく、字を上達させるための習字の訓練を兼ねていた、と二矢は述べている。

7月1日に全アジア反共青年連盟が形成され、そこの一員となる。
その後、知人の紹介で、山梨県小淵沢町の杉本牧場でしばらく働きながら、『古事記』などの書物を読みあさり、日本人の精神性や日本の優美というものを知り、改めて日本の伝統を自覚し、日本人に生まれたことを誇りに思う。

9月に、知人のつてで編入試験を受けて大東文化大学に入り、読書を重ねるうち、谷口雅春の著『天皇絶対論とその影響』にある次のひと文に、感銘を受ける。

「忠には私があってはならない、私がない忠こそ本当の忠である。私の忠ということはいわゆる愛国屋である。私を捨てることが出来たとき、初めて本当の忠が生まれてくる。」

10月1日、偶然に自宅の押し入れから、白鞘に納められた刃渡り50センチくらいの日本刀(※実際は刃渡り33cmほどの銃剣と言われる)を見つけ、刺殺決行に使うつもりで隠しておく。
数日間、決行のチャンスを狙い、それぞれの家に電話したりしたものの所在が確認できなかった。

このころまでに、決行する相手は野坂参三にしており、13日にやるつもりでいた。しかし共産党の演説会という場であり、左翼の活動家には顔を知られていること、党員以外の一般人は入場しにくいことなどから断念せざるをえないと思っていたところ、12日早朝、自宅に配達された読売新聞で、当日午後2時から、日比谷公会堂で、三党首による立会演説会が開催されることを知る。

10月12日当日午前10時過ぎ、家族に怪しまれないよう、いつものように大学へ行くふりをして一旦外出し、12時半頃戻り、日本刀を学生服の下に隠し持って、再度、家をあとにした。……

決行直後、二矢はその場で取り押さえられ、殺人容疑の現行犯で逮捕され、丸の内警察署で取調べを受ける。

その後、身柄を東京少年鑑別所(東京都練馬区にあるので、通称ネリカン)に移され、11月1日と2日に、公安部公安第二課の警察官により供述調書をとられる。

その2日の夜、午後8時過ぎころ、見回りの間隙をぬって、シーツを裂いてヒモ状にし、ベッドを電球の下に移動させ、衣類を固めて高くしてそこに乗り、天井の電球を覆っている金具に結びつけ、そのヒモで首を吊り、自殺した。

壁のコンクリートには、歯磨き粉を水で溶き、次のように書かれていた。

七生報国

天皇陛下万才(原文のママ)

拘置されている間、朝起床した後、布団や毛布をきちんと畳んでいる姿や、毎朝身だしなみを整えると、皇居の方に向かって正座し、額づいて宮城礼拝をしいてる姿が、看守により目撃されている。

供述調書はオープンにされ、いろいろなサイトで見ることはできたが、平成22年11月2日(二矢の命日)、展転社というところから書籍として発売された。

部分的に抜粋してみる。(一部、漢字をひらがなにしている)

私は中学校に入ってからも読書が好きで、学校の図書館や友人から歴史や社会の書物を借りて読んだ結果、「左翼や一般の人が戦前、天皇が悪かったとか、軍部が悪かったため戦争したなどと云っているが、実際はそうではないんだ、日本が戦争したのは東洋の有色人種が白人の圧迫をうけているので、止むなく東洋で唯一の独立国日本が起ち上がったもので、軍隊は国のため命を的に戦ったのだ」と思いました。(中略)

社会党、共産党、労働組合、新聞などは戦争中は軍隊が悪いとか、天皇が悪いなどと一言も触れないでいて、戦争が終って左翼的な社会になると、その頃のことを頬かむりして後になって自分の国を卑下することは全く怪しからん連中だと思い、戦前の日本にも、「国を愛する気持ち、信義を守ること、忠孝、家族制度」など非常に良いものがあり、この伝統は引継いでいかなくてはならないと考えました。(中略)

私の人生観は大義に生きることです、人間必ずや死というものがおとずれるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、例え富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると確信しています。 自分の信念に基いて行った行動がたとえ現在の社会で受け入れられないものでも又、如何に罰せられようとも私は悩むところも、恥ずるところもないと存じます。(中略)

私がこういう人生観を抱くに至った経緯ですが、・・・(中略)私は生まれて現在まで接した凡ての人達の影響もあってこのような考えになったことは否定いたしませんが、環境によってのみ思想的影響を与えるという考え方は、いわゆるユダヤ的唯物論から見た考え方で間違っていると思って居ります。
私には日本人の血が流れており、唯物論ではとうてい割り切れない持って生まれた日本精神という唯心論的なものがたぎっており、天性からこういう人生観、思想などが形成されたと思っています。
なお本当の日本人であれば、私のような人生観、思想というものが心の奥底には必ずあると思います。(中略)

私が崇拝している人物ですが、天皇は絶対的なものですから別になりますが、…(※ここに、ヒトラー、西郷隆盛、山鹿素行ら5名の人物名が入り、それぞれその理由が簡潔に述べられている)…なお、大東亜戦争で国のため子孫のため、富や権力を求めず、黙って死んでいった特攻隊の若い青年に対し尊敬しております。

********************************

結局、安保は改定され、岸内閣は総辞職した。
その後、池田内閣の所得倍増計画に国民が応えることにより、日本は高度経済成長を遂げていく。

ニクソンとキッシンジャーにより米国は中国と外交を結び、日本もその流れに沿って、田中角栄が中国と国交を正常化した。のちに村山富市でさえ、安保容認に傾いた。

国鉄が民営化されてJRとなり、労働組合は御用組合化し、やがて社会党はその存在意義を失い、公党の名称としては消滅する。

戦後の混乱と激動の時代、実に明確に、右翼と左翼が分かれて対立し闘争していた時代に、多感な一人の若者が、公党の党首を、衆人環視のもとで殺害した。

当初、本人は、やりそこなったと思っていたが、翌日、弁護士から、正式に浅沼の死亡を伝えられ、本懐を遂げたとして安堵した。最初の一撃で、浅沼の体幹に近い大動脈を切断していたのだ。

人一人を殺し、所期の目的を達成したからには、自分の役割は終わったとばかりに、静かに自害した。

この一件を、ただの若者の暴挙と終わらせるわけにはいかない。
圧倒的な左翼の雄叫び渦巻くなかで、ある意味ひとりで戦っていたようなものである。

皇紀2620年10月12日、二矢は、6月にしたためた斬奸状に書いたとおり、浅沼に天誅を下した。

皇紀2630年11月25日、三島由紀夫が、日本の行く末を憂いながら、市ヶ谷の陸上自衛隊内で、割腹し、介錯により自決した。

日本には常に、時代の底流に、日本精神、伝統保守、皇室尊崇の念がある。

二矢の説くとおり、純粋な日本人であれば、誰もがこうしたことを思い、それらに価値をおくのではないだろうか。

二矢が生きていれば、いま71歳である。

もし今も健在だったとしたら、日本の思想の現在について、何を思うのだろう…

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2013年9月11日 (水)

吉永小百合はアカである (2013年9月11日)

(mixi日記より転載)

今日、墓参りのあと、久しぶりに渋谷の神座(かむくら)でラーメンを食べた。

ぶらついたあと、渋谷駅前の交差点に立つと、吉永小百合のソフトバンクCMの広告板が目に入った。
JR渋谷駅という表示の真上にある看板だ。

いままで邦画を含め、いろいろ映画日記を書いてきたが、一度も登場してない女優がいる。
それは、吉永小百合だ。
単純に、顔が嫌いだということもある。

そもそも、運がよく、才媛であったこともあり、子役のころからいろいろな映画に登場しているが、とても演技力があるとは思えない。

岩下志麻と共演の『霧の子午線』という映画がある。大女優二人が共演するというのは、観客にとってはうれしいが、出演する側からするとイヤなものであるという。
即ち、一般客はいいとして、それなりの眼識のある人間が見た場合、どうしても比較してしまうからだ。それにより、片方が片方を食った、などと言われる。
この映画では、吉永は岩下に食われている。吉永には、悲運を背負った女など演じられない。そもそも「女」である前に、「脳みそ」を見るようで、いやなのだ。

幅広い役をこなすのは無理で、特定の役柄や作品でのみ評価されるタイプの女優だ。女優としてなら、それでもいいだろう。

一方で、吉永は左翼である。
吉永が共産党員であるかどうか確認できないものの、共産党支持者に間違いない。
昔は選挙公報では、共産党支持の有名人として、いつも載っていた。

シャープ労使の満場一致で「目のつけどころがシャープでしょ」のシャープCMに起用されたが、出演料も高額であり、赤字転落必至のシャープは、とうとう手放さざるをえなくなった。
あの、飛ぶ鳥を落とすような勢いであったシャープが、こういうことになろうとは、驕れるものは久しからず、の一節を思い出す。

いわゆる左翼団塊世代からすれば、かわいい妹分であり、左がかった作品への出演も多く、若い労働者からも支持され、一人住まいの独身労働者の夜のペットにもなった。

吉永は、日記でも紹介した共産党監督である山本薩夫の『戦争と人間』にも、左翼俳優・山本圭演ずる、左翼に走る労働者の恋人役で出演している。

この映画には、中国の財閥の娘役で、栗原小巻が出ている。
栗原はNHKの大河ドラマ『三姉妹』にスカウトされて売れ始めたが、もともとは舞台に関心があり、その後も舞台中心に活躍していく。かつて一度、栗原主演の舞台を見たことがあるが、すばらしい出来だったと思う。
演劇の世界はほとんど共産系で、栗原もそのひとりであり、共産党支持者である。

舞台で活躍し、テレビへの出演などを断ってきた栗原を、大々的にCMに起用したのが、三越であった。
当時のワンマン社長・岡田茂が、自らもファンであったこともあり、ようやく口説いたのである。岡田は単にエロ社長なだけで、思想的背景はない。

栗原の起用は、三越のイメージアップに貢献し、売り上げも伸びたが、当の岡田が愛人との公私混同を指摘され、辞任することになる。

吉永も栗原も、終戦の年に生まれており、現在68歳である。
二人とも、共産党支持監督・山田洋次の『男はつらいよ』に、マドンナとして出演している。

左翼の時代と活躍は終焉をむかえ、サヨクなどというわけのわからないカタカナ表記が定着するが、そんな時代よりずっと以前から、二人とも共産党支持であった。
ちなみに、歌手の加藤登紀子は69歳である。国歌斉唱・国旗掲揚拒否で有名な日教組の「ジャンヌダルク」根津公子(ねず・きみこ)は63歳である。(どこがジャンヌダルクだ、アホンダラめ!)

民主・社民がほとんど消滅し、あるいは生き残っていても政治的勢力になりえない現在、そして今後は、これら根っこから鍛え上げられた左翼の存在が、保守層の真の敵となる。

日共は党内評価として、都議選・参院選と、それなりの進展を遂げたので、かなり勢いづいているようだ。その下部組織を使って、ティッシュ配りや街頭演説を繰り返している。

前にも書いたことの繰り返しであるが、真の敵がようやく力をつけてきた。志位のポスターも、街中によく見るようになった。

逆説的な言い回しだが、それを喜ぶのではなく、敵として不足がないだけに、今後、保守愛国運動にも、盛り上がりが見られるようになるだろう。

民主と違うのは、敵はなかなかシャープである。民主のように、単細胞バカの集団ではない。また、組織力も強い。社会生活の身近なところでも活躍している。

今は、決して大きな勢力ではないが、そうならないように潰していかねばならない。

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2013年9月 8日 (日)

2020年東京オリンピック開催、おめでとう!

遅く起きてこのニュースを知った。

私はイスタンブールか東京のどちらかになるかなと思ってはいたが、日本人の念願がかなって、本当によかったと思う。
参院選での自民勝利に近い感動を覚えた。

久しぶりに、当時、母親が買っておいてくれた記念硬貨の写真を撮った。
東京五輪は小学校3年のときであった。たぶん65歳までは生きているだろうから、人生で2度、五輪を迎えることになる。

といっても、小学生のときの記憶はあまりない。
学校もあるので、日曜以外は帰ってからニュースで見るくらいであった。
当時は、五輪を見るためにと、カラーテレビが売り出されたが、うちも近所もまだ、ほとんどが白黒テレビの時代だった。

祭典終了後、オリンピック特集として、雑誌やグラフ誌が、カラーでハイライト特集を組んでおり、そちらのほうに夢中になった覚えがある。
地味な種目ではあるが、平均台の微動だにしないチャスラフスカの完璧な演技は、その名とともにいまだに印象深い。

今ではYouTubeなどで、当時の開会式のようすなどを見ることもできるのはありがたい。名作曲家・古関裕而のオリンピック行進曲はすばらしい。

それにしても、オリンピックの開催地決定に、立候補した国の経済的安定、政治的安定が必要条件になることを、あらためて思い知らされた。
トルコは親日国でもあり、つい先だって首相も訪問したばかりであったが、政情不安という要素が敗因となったようだ。直前に反政府デモがあったのでは、印象もよくないし、五輪委員の信頼も獲得できないのは無理ないだろう。

ここからは無粋な話になる。

日本にいる53万人近い在日も、諸手を上げて快哉を叫んでいるという。それじたいはありがたいことだ。いっしょに喜んでくれるのはいい。
しかし、政治的問題はこれとは別である。
日本にいるからには、それぞれその子孫に、日本の習慣や文化にいっそう馴染み、従うように指導してもらいたい。
どうしても準日本人であること標榜したいのであれば、祖国の肩をもつのはやめていただきたい。

ある方がこう書いていた。

反原発派、放射脳、山本太郎、その他反日の皆さま!東京オリンピック開催決定しました。残念でしたねwww

私も、開催を知った瞬間に、こんなことを思った。

国際社会が、政権交代後の原発事故の取り組みや安全性を認識していた。土壇場での安倍首相らのアピールも功を奏しただろう。裏方の人々の努力も報われた。

五輪は、どの国であっても、その国を挙げての祭典だ。
反日は、やはり日本人の端くれなのだから、開催を素直に喜ぶのか。
それとも、反日の「筋を通して」、日本の栄誉になることにさえ反発するのか。
その態度を決めかねているのが、今現在の連中だろう。
実に、心貧しい連中だ。

開催が日本に決定することを前提に、そうなったとしても経済効果は上がらない、と書いた反日新聞もあった。
昨日の御茶ノ水駅前での共産党下部団体によるティッシュ配りも、日にちを選んだものと思われる。
東京が落選したら、一挙に攻め込もうとしてのだろう。

しかし、彼らの思惑ははずれた。
韓国の禁輸措置なども、国際社会からは無視された。韓国が、その思想や政治的歴史的方法論において、異常な国であることは、特にこの一年の間に、各国に印象づけられたようだ。

出場予定となる選手には、しっかり練習を積み、七年後をめざしてほしい。
開催地というだけでなく、各種目でも、メダルを競い合ってほしい。

オリンプックの種目のそれぞれには詳しくないが、むしろ、日本国でスポーツの祭典が開かれるというその現状を見たい。その前後の日本人の姿や力に関心がいく。
日本人らしい念の入った準備、センス、宣伝を見たいものだ。

そのころまでに、国旗がふつうに掲げられ、国歌がふつうに歌われる日本になっていてほしい。
そのためにも、保守愛国の風潮を根付かせていくよう努力したい。

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2013年9月 7日 (土)

図に乗る日本共産党を叩きながら、保守のもつ魅力をアピールしていきたい (2013年9月7日)

退社すると、御茶ノ水駅前で、下のようなチラシにティッシュを重ねて配っていた。「資料」として受け取り、帰ってから見てみた。

ほとんどがご婦人がたで、愛想をふりまきながら配っていた。この女性たちは、新日本婦人の会のメンバーである。

憲法改悪反対共同センター(http://www.kyodo-center.jp/info/index.html、2015年1月現在、閲覧不可。現在は、戦争する国づくりストップ!憲法を守り・いかす共同センター(略称:憲法共同センター)http://www.kyodo-center.jp/ と名称を変えている。)のサイトを見てみると、2004年9月16日に発足し、全国労働組合総連合、新日本婦人の会(http://www.shinfujin.gr.jp/)、日本民主青年同盟(http://www.dylj.or.jp/)、自由法曹団(http://www.jlaf.jp/)など八つの団体から構成されていることがわかる。
住所は全国労働組合総連合と同じだから、この左翼団体が憲法改悪反対共同センターそのものである。共同だのセンターだのという言葉に惑わされてはならない。

すべて、日本共産党系の団体である。

土曜の昼下がりに、オフィスビル以外に大学、予備校、病院、楽器店、飲食店が密集する御茶ノ水駅に、総勢50人ほどの婦人を駅頭に立たせてチラシとティッシュを配るなど、都議選、参院選で、今までになく議席を占めた共産党が、だいぶ勢いづいてきた証拠であろう。

サイトによると、その「取り組み」の欄には、以下のようにある。

<憲法改悪反対共同センターの取り組み>

【1.地方・地域、職場・学園での網の目の学習運動を推進します。
2.各団体は、全国、地方・地域、職場・学園で、各階・各層の幅広い人々と「憲法懇談会」を積極的に開催します。この「懇談会」を通じて「九条の会」の呼びかけへの賛同を広げ、草の根の共同をすすめます。
3.それぞれの団体は、創造的な宣伝活動を推進します。毎月9日を全国一斉宣伝行動日に設定します。
4.多くの団体による署名運動を通じて、国民過半数の意思を結集します。
5.運動推進するため、共同センターのニュースを発行します。】

NAZENのときのように、一人が旗を持ち、他に6人くらいが「前進」(前進社の新聞)を、板に貼って「見せる」などしていたのとは違い、チラシとティッシュが軽快に配られていく。婦人がそろうと人々も警戒心なく、ティッシュをもらうのだろう。もちろんティッシュをもらって、中身など見ない人も多いだろう。

「前進」は、いかにも欲しそうにして寄ってきた人間にしか渡していなかった。製造にカネもかかり、むやみに配れないのだろう。ティッシュはそれ自体は安価なので、大量に作り、たくさん配れる。
だが、数を作るとなると資金が要る。つまり、このセンターは資金はある程度、潤沢だということだろう。

反原発グループが、鳴り物入りで乱痴気騒ぎをしているのとは違う。
民主や社民の手先や、それに担がれた自称サヨクが、反原発や在日差別撤廃などとごたまぜにしながら、ついでに憲法改正を唱えているのではない。

センター発足にあたってのアピールを読むかぎり、その内容は誤りだらけではあるものの、まっとうに何とか真正面から、憲法改正に反対しようという意志が、見てとれる。

今の時代に、左翼なるものはいない、とよく言ってきたのだが、いるとすれば、「このあたり」だろう、とうことだ。

日共が多少躍進したことで、保守勢力の側からしても、まともにやっつける相手が登場したということで、オーバーに言えば、昭和40年代に戻った感じだ。

日本を取り戻す、というスローガンは、まずは、「あの」保革が純粋ににらみ合える日本がイメージされ、そこにおいて、日本を取り戻す、ということだろうと、自分なりに解釈してきた。
日本を取り戻す、というのは、全国民を保守勢力に染め上げよう、ということではない。それは不可能に近い。
敵は常にあるものの、それらの魅力や勢力を削ぎ落とし、そこにおいて日本らしさを再現することだ。

センター発足にあたってのアピールの一節に、こうある。

【日本国憲法を変えるねらいの中心は憲法9条であり、アメリカとともに海外で「戦争する国」に日本を変えることにあります。

9条を中心に憲法が変えられたならば、「戦争する国」になるにとどまらず、軍事大国化、教育の反動化、社会保障に関する国の責任の一層の放棄、地方自治の形骸化、マスコミや国民に対する統制の強化がすすみ、国民の権利が侵害され、労働運動や民主的諸運動の困難が拡大することは必至です。そしてそれは、アジアの一員として生きなければならない日本が、アジア諸国と強い軋轢を引き起こさざるを得ません。】

これを含むアピール文は、2004年9月の発足時に作られたようだが、いまだに変えていないということは、今でも同じ趣旨をもっていると解していいだろう。

敵が仕掛けてきたら戦うのは当然であり、軍事大国化したところで、むしろ望むところだ。マスコミや国民に対する統制が強化するのも当然で、自虐史観や反日思想を刷り込んできたマスコミや売国勢力には、ツケを払ってもらう時期に来ている。

また、アジア諸国との軋轢など、ほとんどない。ここに言うアジアとは、特定アジアのことに過ぎない。

アピール文からすれば、憲法改正は、いかにもタブーの領域といった感じだが、9条9条とお題目を唱えていれば、特アやロシアが何もしてこないわけではない。

日本共産党やその支持団体にこそ、憲法を改正されると困るような状況があるのではないか。
既得権益の喪失は、ことのほか彼らの運動を衰退させ、各団体トップや日共トップの信頼を失うことにつながる。

しかし、彼らのキャンペーンの狙いは間違っていない。場所や時間もよく考えられている。勧誘対象も、若者や婦人たちだ。
民主党再建に手を貸すおそれのあるMEETという会社も、社会の変化をよく見て動いてはいる。

右派にはすでに、もっと堅牢な組織や団体があり、若者や婦人たちもそこに取り込まれており、日共のこうした動きに、おののくこともない。

用意周到な勧誘はあっていい。そのためにも、保守側にあっては、保守であるから主張できることも多いので、それをタイムリーに魅力的に発信していくことだと思う。

相手を叩くと同時に、保守こそ魅力的であり生き甲斐である、というアピールを続けていくべきだと思う。

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2013年9月 4日 (水)

麹町署は右翼の手先? (2013年9月4日)

保守愛国を貫くために、なるべく敵を見ていこうというのがわがスタンスです。

反天連でも赤旗でも前進社でも、見られるものはなるべく見ていこうと思っています。
勢力というものは、ある一定の規模と方向性が整うと、無視できない存在になるからです。

園良太(その・りょうた) @ryota1981 という男がいます。まだあまり目立ってはいません。

この男は、しばき隊ではなく、あえて言えば、反原発サヨクの部類に入るでしょう。自分でも、そう自覚しているようです。
かつて、つぶやきに載せたときに、あるマイミクさんから、お若いのにこんなことに時間を費やしてもったいないですね、と、強烈な皮肉コメントをいただいた男です。

集団のぶつかり合いの動画も参考になりますが、たまに、個人だけのビデオを見るのもおもしろいものです。

彼は、いくつかの裁判の被告にもなっていて、そのうちのひとつの裁判で判決が出た直後の今年4月25日にアップされています。その裁判では、当然のごとく有罪となり、その後控訴しているようです。

典型的なブサヨと言える発言が、ずっと続きますが、歴史観、将来への視野、筋の通った思想などはないのは明らかです。
すべてに我田引水であり、安倍は軍国を復活しようとしている、麹町警察署は右翼の手先である、など、噴飯もので呆れてしまいます。

日本でなく、あるいは時代が違っていたら、デモのときド突かれるどころか、半殺しになっていてもおかしくはなかった、という自覚はありません。

こんなに平穏な空間で、同じサヨクカメラマンに撮ってもらって、こんな言いたい放題をツイッターに流せるなどというのは、根本的に保守陣営が確立してきた国家社会だからありえていることで、そうでなければ、うじうじ言っている間に殺されることだってありうるわけです。

彼宛てに、届かないメッセージを書いてみましょう。

園くん、君には将来はないでしょう。

警察、検察、公安、区役所、税務署、銀行、NTTの七つは、いつでも、みな兄弟です。

犯罪を犯罪として取り締まるのは、警察の仕事です。頼りないように見えても、上からの命令には従います。その中枢は、中央の行政です。
その行政を担う議員は、国民が選挙で選んで、より多くの票を集めた候補者です。

不祥事や自殺などのニュース、「警察24時」などのテレビ番組から、日本の警察はボケナスのように見られますが、実際はかなり水準が高いのです。
私は、ちょっとだけ警察庁にいたことがありますが、警察の資料収集や情報収集はすさまじいものがありました。

はっきり言って、交番のおまわりさんや交通警察は、警察のなかでは体力勝負の人が残るのです。そんなところに目を奪われていては、警察の優秀さ、そして、犯罪者からすれば怖さ、というものはわかりません。

君も、悪いことをしていないというなら、こんなところで御託を並べてないで、さっさと麹町署に出向いたらどうでしょう。

いちばんわかりやすい個人の反国家分子である君は、終生、公安の監視を免れないでしょう。ここでは省略しますが、君が例の一件で無罪になることはないでしょう。以前に執行猶予の判決をもらっているから、次に有罪となれば、何年か監獄につながれるのは明らかです。

反原発以前に、なぜ左系分子になったか、そのきっかけまで知る興味はありません。しかし、どうもやりかたがヘタでした。神輿は担ぐのであって、担がれたらいつでも放り出されます。

警察がどうして君をマークしつづけるか。
たしかに君の言うとおり、個人プレーが多いから、追跡しやすいというのはあるでしょう。

しかし、それだからこそ、ヤケを起こすと、人殺しをしかねないから、その防備のためにも監視しているのです。
私は、君が、最終的に、爆弾を使うだろうと予想しています。私でさえそう思うのだから、プロの人たちは一層そう思っているに違いありません。犯罪を未然に防ぐのも、警察の重要な仕事です。

いま君に言えることは、控訴を取り下げ、男らしく収監されることです。
そして、「中」で反省し、自称サヨクの運動から、足を洗うことです。
次に、本気でそう決心したら、担当弁護士に話して、公安当局に伝えることです。
最後に、模範囚としてつとめ上げ、出所したら、仕事を探し、誠実に務めることです。

公安の監視は一生ついて回るでしょうが、もう呼び出しや取調べとは、縁がなくなると思いますよ。

こういうヤカラが後から後から湧いてこないためにも、今後も継続して、公安と警察には、しっかり働いてもらいたいものです。

そして、こういう連中を増産させないためにも、学校での教科指導要領を改め、道徳、修身、行進といった面から、多様なしかたで、子供たちにしつけや教育をほどこしていかなければなりません。

3. 右翼の被害届を利用した警察の呼び出しを許さない / 園 良太 [ 2013.04.25 ] https://youtu.be/notxDunPXZ8 @YouTubeさんから

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2013年9月 3日 (火)

日本的大義を甦らせるには (2013年9月3日)

三島由紀夫によれば、戦後制定された現憲法には、日本人の魂が盛られていない、ということになる。そのとおりだ。

三島は、この憲法が、実は、日本人の魂に対しては大いなる制約をもち、人権尊重以上の理念を日本人にもたせないように縛り付けている、と鋭く指摘した。

この指摘はまさに卓見であり、憲法の三大原則を、子供のころから教えられ、また、教師になって何の疑問ももたず生徒に教えてきた身としては、大いに自己反省しなければならないと痛感した。

現憲法の大原則は、今でも変わらず、国民主権主義、基本的人権の尊重、平和主義の三つの柱である。

戦争を反省し、日本を平和国家にするという名目の陰で、米国は日本に憲法を制定させたが、それによりわれわれ日本人は、人権や自由であることを保障されたかに見える一方で、その実、古来より綿々とつづく日本人の魂なるものを去勢されてしまった。

現憲法下では、ヒューマニズム以上の国家理念というものを持たないということに、日本人は非常に苦しんでいる、と三島は説いたが、しかし、心ある日本人であれば、戦後間もなくから、きっとどこかで、米軍に知られぬようにして、その魂を解き放そうと、試行錯誤を繰り返し、もがき続けてきたに違いない。

ヒューマニズムとは人道主義のことである。人道主義の根本には、人命尊重主義の考えがある。
人命はもちろん尊いものであり、二つとないものだ。不用意にそれが消えていく状況は、社会的にも許されない。

しかし、ヒューマニズムは万能ではない。一分(いちぶ)の例外もなく、ただ生命あるゆえ、これを尊重しなければならない、というのであれば、日本人の魂は、そこにおのずから、制約を感じることであろう。

ヒューマニズムの強制のもとでは、人を殺してはならぬ、自ら命を絶ってはならぬ、人のために生命を犠牲にしてはならぬ、…といった具合に、いかなるときにも、いかなる場合にも、いかなる職業の人々も、自他ともに、まずは人命を尊重しなければ「ならなくなった」のである。

災害や不慮の事故、強盗や通り魔事件において、人の命が奪われることは、いかなる主義主張・信条・信仰に身を置くとしても、望ましいことではないだろう。
こうした事件の被害を防ぐようにするのが人命尊重主義なのではない。それは、一行政の任務に過ぎない。

問題は行政のありかたといった表層のできごとではない。
日本人の魂という唯心論的なものである。
だから、これはまた、soul とか mind とか mentality などという西洋単語に置き換えられるような単純なものでもなく、ニュアンスも異なる。

人命尊重には一理あるものの、人命尊重主義というヒューマニズムが、魂を持たぬ日本人を増殖させ、日本人固有の精神の翼を捥(も)いできたことも事実であり、それが問題なのだ。
そして、「持たない」が、いつの間にか「持てない」に変化することが、恐ろしいのである。それはもはや、飼いならされた愛玩動物に等しい。

非常にごく最近ではあるが、「持てないことはないだろう」と、一部の日本人が目覚める方向になってきているのはうれしいことだ。

人命尊重主義が、社会の究極の摂理になってしまえば、外形的にも内面的にも、武士道は認められることはなくなる。むしろ、それは、異端であり狂気であるとレッテル貼りされる可能性もある。

絶対的人命尊重主義の考えは、極めて西欧的な「平和思想」に根ざしている。これは、宇宙倫理にかなうものでもあり、それだけに普遍性をもつ。その普遍性は、得てして侵略性を伴う。
平和は人倫にかなう、だから、それをあなたの土地にも広めたい…これが侵略の真実である。宗教や左翼に見られる折伏(しゃくぶく)も、これに似ている。

この「平和思想」は、武士道とは真っ向から対立する。武士道は、そもそも、常日頃におこなう「戦いの準備」だからだ。

武士道は死んだかに見えるが、脈々とつづく日本人の血というものは、そんな簡単に、「他人の血」に変わりうるだろうか。

血というものは、本来、排他性を帯び、同じ血同士で結びつくのではなかったか。
国際化というものにしても、良きことなり、という暗黙の絶対的性善説は危険である。「他人の血」との融合は、良きことばかりではない。

三島は、今でも一部の動画で見られるが、戦後民主主義体制において、大義という考え方は消えてしまったが、これは、民主主義が大義を必要としない国家形態であるから、無理もないことである、と言っている。

武士道の根幹には、大義がある。武士道における大義とは、誰かのために自己を犠牲にする、という考え方、あるいは、信念、あるいは、生き方そのものである。

天皇主権のもとでは、誰に向けても堂々としていられる大義があった。天皇の御稜威(みいつ)に従い、これがために身を捨てる、すなわち「海ゆかば」の世界観である。
民主主義は、三島のいうように、たしかに、天皇に対する意味をもって、大義を言うことには難がある。

しかし、本当に、民主主義体制において、大義はありえないろうか。両立しないだろうか。
大義というものの考え方も、武士道といっしょに、戦後の憲法下で、完全に、露のごとく消えてしまったのだろうか。

もし、現代の日本において、大義というものが失われてしまっているのであれば、むしろ、西欧的米国的民主主義を、一旦取り去ってみてはどうだろうか。
そうして、日本人が伝統的に培ってきた文化やその思想・教育観を盛り込んで、日本固有の「民族憲章」なるものを産み出すべきである。

こうした観点からしても、現憲法は、一度、廃棄せざるをえないと考える。

2013年9月 2日 (月)

映画 『華麗なる一族』 (2013年9月2日)

監督:山本薩夫、原作:山崎豊子、脚本:山田信夫、撮影:岡崎宏三、音楽:佐藤勝、主演:佐分利信、仲代達矢、京マチ子、1974年、211分。

原作と監督は『白い巨塔』のコンビであり、そのときの主演、田宮二郎や小沢栄太郎も出演している。他に、多くの豪華なメンバーが出ており、社会派映画といっても、万俵家の家庭内の出来事もテーマのひとつになっているので、華やかな女優陣を随所に見ることができる。

二度にわたりテレビの連続ドラマになっているので、話のあらすじは知っている人も多いだろう。

阪神間に勢力をもつ万俵財閥の核である阪神銀行の頭取・万俵大介(佐分利信)は、金融再編成の到来と見るや、都市銀行第10位の自行より上位にある銀行を呑み込んで合併し、財閥系上位4行に迫る銀行の経営者に収まろうと画策する。

長男・鉄平(仲代達矢)は、やはり万俵財閥の有力企業・阪神特殊鋼の専務であり実質的な経営者であったが、大介とは出生をめぐり血の疑惑があり、大介は鉄平に対する憎悪もエネルギーとして阪神特殊鋼を倒産に追い込み、痛手を負ったサブバンクである都市銀行第8位の大同銀行を合併するに至る。

大同銀行の頭取は、日銀から天下った三雲(二谷英明)であり、鉄平のよき理解者であったが、現場の仕事に慣れておらず、綿貫専務(西村晃)以下生え抜きの役員からは嫌われていた。そこに大介がつけ込む余地があったのだ。

一方、万俵家には大介の妻・寧子(月丘夢路)以外に、大介の愛人・高須相子(京マチ子)が同居しており、公家の出で何もできない寧子のかわりに、万俵家の内部を取り仕切り、大介の野望を実らせるために、閨閥づくりにも熱心であった。

昭和49年の映画で、当時、受験生活から解放されて、有楽町まで出かけ、映画館で観た作品である。
単行本で三冊になる原作を読んでいたので、たしかに長い映画であったが、それでもよくここまで整理し、バランスよい脚本に作られたと思ったのを覚えている。

監督は『戦争と人間』三部作を撮った山本薩夫であるが、観てしまえば、その他脚本から音楽まで、一流どころの職人が並んでいるのも頷ける。
ラストの横に流れるエンディングで、原作者と脚本の名前のあとに、監督名が出てくる。大変異例だが、監督が、原作と脚本に敬意を表している証拠であろう。

それまでの出演作から、月丘夢路は洋装、京マチ子は和装のイメージがあるが、ここでは逆転した配役となっている。ヴィクター・フレミング監督『ジキル博士とハイド氏』(1941年)には、上流階級の淑女と、飲み屋の育ちの悪いウエイトレスが出てくるが、妖艶な悪女顔でゴシップの多いラナ・ターナーを淑女役に、美貌で清楚な役柄の多いイングリッド・バーグマンを女給役に使っている。
さまざまな女優のシーンを見られるというのは、映画を見る上での醍醐味のひとつだ。

前にも書いたのだが、松本清張と山崎豊子の原作は、大筋がすっきり描かれており、映像化に向いている。そのためか、いずれも大ヒットする。
むろん、巨額の予算が必要であり、スタッフや俳優にはプロが集結する必要がある。

両者の共通点は、いずれもバッドエンディングであり、そこまでいかないまでも、正義のほうがくじける、という結末になっている。
しかしもっと人気を呼ぶのは、そこに介在する人間像が、みな正直に赤裸々に描かれていることに、観客が共感するからであろう。

『白い巨塔』にしても、財前五郎は悪い奴とだけ言えない。冒頭に、苦労している孤独な母親に、現金書留を送るシーンがある。ふつうの人間としてスタートするのである。
しかし、あまりのバッドエンドに、読者から批判が寄せられ、続編を書かざるをえなくなったというおまけもついた。

万俵大介も同様である。台詞にもあるが、9000人の生活を預かる統率者として、座して死を待つとわかっているなら、隙あらば相手を取って食おうとするのは当然である。

「向こうが権力でくるのなら、こっちはあくまでもカネと押しや!」という財前又一の台詞がある。これは娘婿・財前五郎を助けんとする欲望の一端を表わしている。
これに比べれば、この『華麗なる一族』では、人間の欲望は、合理性のあるものに変化していると言える。

山崎豊子は、この銀行合併劇を書くにあたり、当時の三菱銀行の頭取に取材している。三菱はその数年前、第一銀行と合併する予定であったが、三菱の役員のひと言から合併話が洩れ、その話は潰えてしまった。後に第一銀行は日本勧業銀行と合併し、第一勧業銀行となる。一方、三菱は東京銀行と合併し、東京三菱銀行となる。

阪神銀行の重みを描くには、銀行の内部を撮るしかないが、さすがに銀行はどこもその申し出を断ってきた。唯一、撮影の許可が下りたのが、第一勧業銀行である。ただし、絶対に当行とわからないように、という条件付きだった。あたりまえだろう。

冒頭に、大介の乗る車が交差点を横切ると、カメラが上にパンして、ギリシア建築風の重厚な建物が映り、阪神銀行本店と字幕が出る。その宮殿風の外観に、一瞬、第一勧業銀行の文字が映る。それもおそらく、老舗であった旧日本勧業銀行の建物だろうと思われる。

この映画の前半の終わりに、新年を迎え、大介、鉄平、銀平(目黒祐樹)、美馬中(みま・あたる、田宮二郎)が、初日の出を拝んだあと、キジを撃つシーンがある。鉄平の誤射で、大介のこめかみをケガさせるシーンだ。
この真冬のシーンは、実は真夏に撮っている。これを言わなければ、みな何とも思わないシーンだろう。
映画というのは、こんな大作にあっても、やはり映像マジックなのだ。

ちなみに、黒澤明の『天国と地獄』の後半、真夏に権藤(三船敏郎)が、自宅で芝刈り機を動かすシーンがある。これは逆に、真冬に撮られている。

映画はやはり、興味が尽きない。

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2013年9月 1日 (日)

武士道は甦るか~三島由紀夫の言葉を手がかりに

初めて三島由紀夫という存在を知ったのは、高校生のときの夏の宿題であった。
そのなかに、三島の『金閣寺』と『潮騒』が入っており、私は『金閣寺』を選んだ記憶がある。

高校生にとっては、甚だ手ごわい相手であった。書いてあることはわかっても、ニュアンスが通じない。
それでも、そんな小説を課題に混ぜて出した教師には感謝する。わからないものをぶつけられてこそ、子供は先を開拓したくなるのだ。

その後おとなになって、何度も読み返し、今でも手元にある。この感想は、かつて日記にも書いたので、今日は省略しよう。

昭和の年数が、そのまま年齢となっている三島は、二十歳のときに終戦を迎える。詳しい話は専門家にまかせるとして、三島は、どこまで「右翼」であったかは、いまだに興味津々である。

自決の数か月前に書かれたと思われる、その小論『武士道と軍国主義』(昭和45年)で、まず第一に、戦後の国際戦略の中心は、核であると説く。

しかし、日本は非核三原則をもち平和憲法をもっているからには、核をもつことは不可能となる。そこで、それならば、どうしても、自主防衛を極めなければならない、とする。
そして、非核と自主防衛の狭間において、こう結論する。

「日本の防衛体制を考える時、最も重要で最も簡単なことは、魂の無いところに武器はないということである。」

核は恫喝の道具として、国際政治を円滑に推し進める手助けになろうが、それが無理であるなら、在来兵器の戦略上の価値を復活させるべき、という。

そこに、日本刀の比喩を持ち出し、核にあらざる兵器は日本刀と同じである、とする。日本刀は単に日本刀であるのではなく、そこに魂を結びつけることができるならば、防衛の武器になる、ということである。

これを使う人間は、日本刀に魂をもたらすことにより、武士と武器の関係になる、とする。

在来の武器であっても、そこに日本人たる魂を各々が集結させれば、おのずから、非核という条件のもとでも、自主防衛は可能であるとする。あるいはまた、非核であるなら、自主防衛において、各人がその武器に、魂を込めなければならないということだ。

自衛隊が、武士道精神を忘れて、武器の開発や新たな兵器の体系を充実させることだけに走れば、それは軍の官僚化、軍の技術集団化以外の何ものでもない。

「軍の中に男性理念を復活できず、おふくろ原理に追随していくことになる。」

その間隙を突いて、共産勢力が軍を拡充し力を増強させることにもつながる。

それでは、武士道とは何か。三島は続ける。

「自己尊敬、自己犠牲、自己責任、この三つが結びついたものが武士道である。このうち自己犠牲こそが武士道の特長で、もし、他の二つのみであれば、下手をするとナチスに使われた捕虜収容所の所長の如くになるかもしれない。しかし、身を殺して仁をなす、という自己犠牲の精神を持つ者においては、そのようにはなりようがない。故に侵略主義や軍国主義と、武士道とは初めから無縁のものである。この自己犠牲の最後の花が特攻隊であった。

戦後の自衛隊には、ついに自己尊敬の観念は生まれなかったし、自己犠牲の精神に至っては教えられることすらなかった。人命尊重第一主義が幅をきかしていたためだ。

日本の軍国主義なるものは、日本の近代化、工業化などと同様に、すべて外国から学んだものであり、日本本来のものではなかった。さらに、この軍国主義の進展と同時に、日本の戦略、戦術の面から、アジア的特質が失われてしまった。

日本に軍国主義を復活させよ、などと主張しているのではない。武士道の復活によって日本の魂を正し、日本の防衛問題の最も基本的問題を述べようとしているのだ。日本と西洋社会の問題、日本の文化と西洋のシヴィライゼーションの対決の問題が、底に潜んでいるのだ。」

武士は、敵と戦う本来の人間の姿であり、それを使命として日夜、武道と学問研鑽に励む。こうした生活基盤の上に、一定の精神構造がはぐくまれ定着する。
自己犠牲の精神は、この精神構造に由来する。

戦後、核保有国も、核を使うことはなかった。今後も、恫喝の道具としてのみ使われるだろう。
その道具さえもたない日本は、もつようにしていくと同時に、三島の言うように、在来の実際に使いうる武器にこそ、日本人の魂、すなわち武士の精神を注入しなければならない。

戦後、戦争への反省から、アメリカなど連合国は、日本に対し、人命尊重主義を押しつけた。その具体例は、三つの柱(国民主権主義・基本的人権の尊重・平和主義)をもつ現憲法である。

災害や不慮の事故、強盗や通り魔事件における人命尊重ではない。

いかなるときにも、いかなる場合にも、いかなる職業の人々も、まず、人命を尊重しなければ「ならなくなった」のである。

ここに、武士道は、死んだのだ。

天皇のありかたも、現憲法において、象徴という存在に落ち着いた。

戦後まもなく、帝国臣民の精神的総意としての天皇、精神の支柱としての天皇の存在は、全く葬り去られたのである。

三島は、かつてこう述べたことがある。

「新憲法の制約が、あくまでも人権尊重以上の理念を日本人に持たせないように、縛り付けている。」

三島は、戦後の日本人の「魂」が、行き場を失ったことを嘆いている。

日本人の生活は、少しずつだが豊かになり、やがて、国策としての高度経済成長を、内閣の予想より早い時期に、実現させるにいたった。日米安保の下、曲がりなりにも、米ソ冷戦以降、そして冷戦体制が崩壊したあとも、大方、平和状態を保ってきた。

しかし、日本人の暮らしが豊かになり、日本という国家が経済大国になった一方で、戦後、行き所を失った日本人の「魂」は、相変わらず、今でも、堂々と表に現れる機会を閉ざされたままである。

「現憲法下では、ヒューマニズム以上の国家理念というものを持たないということに、日本人は非常に苦しんでいる。」

現憲法下で、ヒューマニズム以上の国家理念というものを「持てない」ということに、日本人は非常に苦しんでいる、と言ってもいい。

この西欧的な、普遍的に国家侵略的な、絶対的人命尊重主義という、余計なお世話である「平和思想」は、武士道とは真っ向から対立する。

少なくとも、ようやく昨今になり、心ある日本人は、ヒューマニズム以上の国家理念というものを「持てない」ということ、はないだろう、というところまではきたような気がする。

三島が、象徴的な意味を漂わせながら説いた、自主防衛についての持論は、40数年を経て、まだ斬新な力をもっている。

実際に戦闘で使われるのは、核ではなく在来の兵器・武器である。
正規の戦闘をおこなうのであれば、その武器に、日本人の魂を盛らなければならない。

日本を取り戻すと安倍政権は謳った。
その奥にあるものを深読みするなら、三島のいう武士道の精神を取り戻すことにもつながるのではないか。いや、もはや、そうすべきだ。

この意味においても、現憲法は廃止し、現憲法のもつ三つの柱を考え直し、日本人の魂を盛り込んだ最高法規を作るべきだ。

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