« 血書と辞世の句 | トップページ | 安倍総理の靖国不参拝という「配慮」は結実するか »

2013年8月11日 (日)

映画 『ミスト』

監督・脚本・製作:フランク・ダラボン、原作:スティーヴン・キング、音楽 マーク・アイシャム、主演:トーマス・ジェーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、2007年、125分、原題:The MIST

大変評価している映画。
ホラーよりパニックにも近いジャンルだろう。

霧という一見ロマンチックな気象現象を逆手にとって、何も見えずすべてを隠す現象として使ったのがまず正解。しかも、スクリーンのほうがわかりやすいけど、上から覆いかふざるイメージになって、人々を圧迫しはじめる。

ボケっと観てるとわかりにくいのだが、この作品、最高にバカっ丁寧に仕上げられている。
ストーリーの本道は変えずに、ひとつひとつの出来事や状況をしつこいくらい練りに練って仕上げている。そのしつこいくらいの丁寧さが、パニック映画でありながら、力強い完成をみた。そこを見抜けるかで映画を見る目も試されようというものだ。
CGを多用する映画は現実離れしていやだが、この程度に抑えられ、且つ効果的に使われるのであれば、そこだけ浮くということもない。それにしてもCGの技術というのはここまでやれるのかという感じだ。

スーパーの通路でのやりとりが多いため、カメラは常に近くから撮らざるえをえない。必ずひと言ある短めのカットをつなぎ、緊張感がダレないようにしている。特にパニック映画は、編集が命だ。

スーパーという閉鎖的ワンステージでありながら、外敵との戦いという構図にわかりやすい揺らぎがあり、一方スーパー内でも、カーモディ夫人の存在に端を発して、それぞれの場面でいさかいが生じ、人々がどちらに落ち着くのだろうとハラハラさせられる。

きちんと片付かない出来事、つまり結論が知らされず野放しにされたままの出来事もあちこちにある。黒人の弁護士らの行方は触れられていない。アローヘッド計画なるものも、二等兵の噂ということでしか語られない。
また、遊び心は、それこそふんだんにあるわけで、グロテスクな昆虫や始祖鳥のような怪鳥(けちょう)、内蔵から飛び出す蜘蛛?の子など、ホラーといわれる所以になってる。

観客を参加させた上、観客の心理を掴むのも巧みで、デヴィッド(トーマス・ジェーン)が怒りたいときには観客も怒りを覚え、副店長のオリーがカーモディ夫人を一発で仕留めるとスッキリするといった具合だ。

密室劇はストーリーが滞りがちで、そのぶんカメラが活躍しないと退屈になるわけだが、この映画の秀でた点は、親子がスーパーに入ってから、霧が単なる霧でなく不気味な世界の到来であることを、そこにいる買い物客すべてが認識するくだりだろう。
鼻血を出した老人が喚きながら飛び込んできたりサイレンの音や地震の揺れも効果的だが、さらに、ほとんどを手持ちで撮るのは、不安や恐怖のシーンの常套だ。編集もよく、このシークエンスですでに、われわれ観客も、完全にスーパーにいる一人にさせられてしまう。

こうして、この映画は、スクリーンに対する観客の位置を決めてくれるので、惑わされずにデヴィッドを応援したくなってしまうのだ。

時間の配分も功を奏している。シャッターから侵入した怪物の脚のようなものから、恐怖が現実としてスーパーにいる人々の意識に共有されるまでが始まりから3分の1、デヴィッドらが隣の薬局に行き、戻ってくるあたりで3分の2、それからの3分の1は、カーモディ夫人が射殺されるところで前半と後半に分かれる。
このラストの後半部分が、この映画のシメに当たる。

これだけよくできたストーリーで進むと、よほどラストをうまくもっていかないと台無しになる。初めて観たときは、ハッピーエンドでない終わり方に驚いたが、全体にはまあよかったくらいのラストでも、デヴィッドにとっては狂おしい悲劇に終わっている。ハッピーエンドにしたり、異世界を妙に究明したりするような方向にもっていかなかったのは正解だった。 

我が子を殺すとは何事かとトンチンカンなレビューアーもいたが、あの結論にしたからラストが締まった。四人を殺した直後のトーマス・ジェーンの演技が特筆ものだ。

軍用トラックに、最初に逃げた婦人の顔がある。早い時期に霧の中を逃げたので助かったのか、偶然クリーチャーに狙われなかったのか、ということだろう。
分けられた運命を恨み、焼き払われる木々を見、行き交うヘリコプターを見上げて、生きているデヴィッドは愕然と絶望のなかに座り込む。

ホラー的シーンで好きなのは、女性教師アマンダが昆虫と格闘して最後に踏んづけると、ブチャっとつぶれて血がはみ出るシーン、一瞬のシーンだけど、武器で離れたところから殺すより、足で直接踏んでとどめをさす殺しかたはまさに映像ならではだ。
われわれは拳銃やナイフは持たないが、ゴキブリをスリッパで踏んづけて殺したら黄色い液がはみ出したというような経験は日常ありえることであり、こういう点でも観客は映像のなかに同調させられてしまう。
蛇足だが、直接身体をもって何かをつぶす・踏むというのは効果的演出のひとつだ。

冒頭、へやの壁に『遊星からの物体X』のポスターがあるのはうれしい。またジムの役の俳優は、『ショーシャンクの空に』に出ていた。いい味出している。

パニックに陥った人々や、そのつどのデヴィッドやカーモディ夫人の表情を適確にとらえ、そういう表情を撮るところではフィルムを惜しまない姿勢がよい。映画の好きな人間が映画を撮っていることがわかる。
むろん、この主演二人の演技はすばらしいが、子役の男の子も表情が豊かであった。

« 血書と辞世の句 | トップページ | 安倍総理の靖国不参拝という「配慮」は結実するか »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1791668/52838803

この記事へのトラックバック一覧です: 映画 『ミスト』:

« 血書と辞世の句 | トップページ | 安倍総理の靖国不参拝という「配慮」は結実するか »