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2013年7月 5日 (金)

花を失った最近の映画(3)

映画を観てきていない人間が、大資本によって映画を作るとこうなった、という実例が、2011年の『あしたのジョー』であると思っている。
これも実は、わざわざ映画館まで足を運んだ映画である。

製作は「あしたのジョー」製作委員会であり、その構成は、TBS、東宝、電通、講談社、毎日放送、中部日本放送、OXYBOT、RKB毎日放送、TBSラジオ&コミュニケーションズ、北海道放送などとなっており、映画をヒットさせ興行収入という実入りだけに目がくらんでいるとしか思えない。

配給はもちろん東宝であり、山下智久、伊勢谷友介、香里奈、香川照之といった、人気のある有名どころを並べている。
そして、公開後、当初はよかったが、ひと月ほどで尻すぼみとなり、2月に公開され、同年8月中にはDVDを出す始末である。よい作品は、再度公開もできるので、テレビドラマではあるまいし、自信があればすぐにはDVD化しないのがふつうである。

おそらく、今から思えば、間違いなく、これは計算の上であったろう。一年以内に、二度儲けようと、最初から筋書きが出来ていたのである。根性が卑しいのだ。

要は、線香花火でよかったのだ。パッと売って、パッと儲けて、消えていく、ということだ、そんな姿勢の大資本に、よい作品が生まれるはずがない。
映画をいったい、何と心得ているのだろうか。
特段、高尚な芸術となでは言わないが、映画としてのエンタメ性のない映画は、いくら大資本が作ろうが、賞をもらおうが、二流作品なのである。

この曽利文彦という監督は、CGやVFXの専門で、ほとんどキャリアもなく、使いやすくいいなりになるからと、TBSのツテを頼りに連れてこられたのだろう。

一般に、テレビ局がカネを出す映画に、ロクなものはない。
映画だから儲けも必要だろうが、それだけであって、売れればいい、という発想である。
この映画も、カネで解決のつくところは、全く申し分ないが、映画はそれだけではない。

字数制限があったが、あるところにレビューしたので引用(▼~▲)してみよう。
ついついこき下ろしてしまった。

 ▼

脆弱さ丸出しの脚本と主役のミスキャスト

投稿日時:2011/09/13 21:03:17 役立ち度:13人

極力、一本の映画として作品として観た場合、大きな弱点が二つある。主演ジョーのミスキャストと、脚本の脆弱さだ。セットも豪華であり、拳闘シーンはさまざまな国内外の映画に見られるものを後追いせず、CGも最低限に抑えて効果的に個性的に仕上げた点は評価できる。

山下智久に顔の陰りや過去をひきずって今日がある、という雰囲気が全く感じられない。つまり、顔の表情の演技に乏しいのだ。IWGPのころのままそれは変化しておらず、ダイナブックや生茶など、モデルとしての才能を活かしていくほうが得策だろう。
香里奈はたしかに棒読みでこれも演技力がないが、多少同情できるところもある。

全般にキャラクター描写が弱く、書かれたとおりのキャラのサイズが演じられたキャラに一致するのは、うどん屋の夫婦くらいだ。過去と現在、現在からの脱却、相手への情熱の源泉など、それらをこの時間枠で描き切るには短すぎるかもしれないが、それをしてこそプロの脚本家といえるのではないか。プロはそれで食っているのだろう。脚本家の息切れが聞こえてくる。

香川照之でさえ、いつもながら演技力を発揮しているが、丹下段平そのひとのアイデンティティをつかみえぬまま、過激な役作りに迷った上で奮闘しているようだ。

倍賞美津子ら脇役陣も、その役目も果たしえないままで、それら俳優を起用した意味、その役はこの俳優でなければならないという意味、が感じられない。ウルフの存在感など全く感じられない。ただ猛者ボクサーがいるってだけの映像だ。

全体に、映画として、ストーリー運びと描写力に迫力が不足しており、それを映像と演技で補おうとしているフシもあるが、俳優や編集に迷いが感じられるというのは、根本的には監督の指導力のなさにいきつく。それはまたどこから来ているのか。雇われ社長の会社は勢いがないのと同じことだ。テレビ局丸抱えの映画製作にロクなものはない。

決定的にこの映画の弱点を象徴したのが、終盤、ジョーが力石との戦いでゴングに救われ、傷の手当てをしてもらいながら、過去を振り返るモノローグのシーンだ。このシーン、圧巻をすくるべき場所での、このふやけたシーンによって、この映画は少なくとも、脚本に関しては駄作を決定づけた。

今年2月11日祭日金曜に封切られ、当日・土曜と悪天候となり、客足が気になるなか、さらに追い打ちをかけるように、原作ファンその他から圧倒的な酷評が寄せられた。翌週以降は、それらの形勢を逆転せんとばかりに高評価や山ピーファンによる素人レビューが数にモノを言わせるかのように押し寄せ、しかし、配給会社や制作会社のさくらのしわざも疑われるような高評価ラッシュもむなしく、結果的には封切ひと月前後をもって上映を終了した。

先月からまた高評価のみが乱立するのは、DVDの発売の売れ行きを気にしてのキャンペーンレビューであろう。商売も大事だが、豪華なセットや美術と、貧弱な脚本と演技力が、アンバランスをつくったまま終わった凡作であった。
 ▲

脚本の稚拙さ、主役クラスの出演者の演技力のなさ、監督の力量不足(裏を返せば、それを承知でそういう監督を使うテレビ局の悪賢さ)、…これらを学習するには、もってこいの作品だろう。

日本の映画がつまらなくなってきたのは、映画製作に当たる者たちが、映画をほとんど観ていない、ということに尽きると書いたが、そのツケはすぐに、脚本や演技、演出のいい加減さとして、如実に現われるのである。

(つづく)

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