« 花を失った最近の映画(1) | トップページ | 花を失った最近の映画(3) »

2013年7月 5日 (金)

花を失った最近の映画(2)

映画の世界に生きようと決めたものなら、そこにいく過程で、いろいろなジャンルの映画を観ているに違いない。だからこそ、監督になりたい・俳優になりたい、と、その道を志すのだろう。

ところが、最近の映画では、そうしたキチガイじみた映画好きが、製作にかかわっているとは到底思えないのだ。
いろいろな試行錯誤は認めたいが、職人気質の映画人というものが、いるのだろうか。

今の40歳前後以下の若い監督は、おそらく、内外のさまざまな映画を観ていないように思われる。
ジャンルを問わず、いろいろな映画を観て、これはおもしろい!とか、なんだつまらねえなといった、ナマの感想を発することがないまま、技術的な教育だけを受け、しっかり勉強し、訓練を積んでいるだけのように思うのだ。

映画にもセオリーはある。セオリーがなければ、一本のまとおな作品は出来上がらない。だから、セオリーを貫く姿勢も必要ではある。しかし、味わい深い映画となると、セオリーの追求だけでは成り立たない。

例えば、ナタリー・ポートマンがアカデミー主演女優賞をとった、ダーレン・アロノフスキー監督の『ブラックスワン』という映画があった。日記には登場していない。つまらないからである。

この有名な映画を、ポートマンは好きなので、封切り後すぐに、映画館で鑑賞した。バレリーナの話であり、美しい映像も多いが、おもしろいとは思えなかった。つまり、映画に、花がないのだ。

この監督はハーバード大学まで出たが映画の道に入り、『π』という作品でデビューしている。数学の話も出てくるが、『ブラック・スワン』よりは『π』のほうがおもしろい。
『ブラック・スワン』は、映画のセオリーを優先させたために、豪華な映画のわりには、観る側からすると陳腐な作品になってしまった。

映画を観て感動するのは観客であるが、映画を撮ろうとする者は、驚きというものを財産にしなければならない。
何でもそうだが、驚くということのないところに、興味や熱意、執着といったものは生まれない。

現代は、カネと機材と人間がいれば、何とか製作できてしまう。そうしたシステムにも問題があるとは思う。
システムは、若い映画人には変えられない。ならば、それを、いいほうに利用していったらいいのではないか。

草の根的な映画作りが、地方自治体と映画会社のタイアップで実行されている。映画学校の出身者に限らず、真に映画を好きな人が、映画づくりに励めるような環境をつくることが大事だ。

日本映画学校などから輩出された映画人も多くいる。
日本の映画の危機は、今村昌平だけではなく、当時の映画人全体の共有する危機感であった。
その危機意識は、大資本が製作費を出し、配給会社と興行会社(映画館)がそれに応じ、映画興行という点では、申し分ないシステムを産み出すことで結実したと言える。

かつて、映画の配給についてひと言書いたのだが、思いは今でも変わらないが、配給会社はそれなりに、よくやっていると思う。

条件は十分に整っている。
それだけに、映画魂のある監督やスタッフが現われれば、かなりよい作品を作ることができるはずである。

(つづく)

《参考》

映画『ブラック・スワン』のレビュー
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id337733/rid1179/p0/s0/c0/

映画『π』のレビュー
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id85132/rid33/p0/s0/c0/

配給会社に期待する(1)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1854663171&owner_id=48430274

配給会社に期待する(2)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1854755232&owner_id=48430274&org_id=1854663171

« 花を失った最近の映画(1) | トップページ | 花を失った最近の映画(3) »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1791668/52326878

この記事へのトラックバック一覧です: 花を失った最近の映画(2):

« 花を失った最近の映画(1) | トップページ | 花を失った最近の映画(3) »