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2013年6月

2013年6月30日 (日)

九段下で愛国談義

今日午後5時ころ、渋谷駅頭では、民主党の現参院議員が、演説していました。通り過ぎただけなので、本人ではなく、応援の若い人間がしゃべっていました。文字通り、しゃべっていたのであって、演説にはなっていませんでしたね。

東京都選出の鈴木寛(スズキ・カン)の応援です。
http://suzukan.net/
ここの下に著名人が載っています。美辞麗句を並べていますが、名前を貸すだけにしても、HPに載るからには、同じ穴の貉と思っていいのですよね。孫崎享、三枝成彰、平尾誠二、岡田武史、有馬朗人、…。

この同じ場所で、少し前、安倍総理が演説し、サヨクが騒音を撒き散らしていました。

オレンジのTシャツを来たのが、駅頭に散らばり、パンフを配っていましたが、人々はほとんどもらうことなく通り過ぎていきます。
応援演説も、誰も聞いていませんね。車のすぐ下あたりを見ても、仲間内がうろうろしているだけで、誰も足を止めていません。

前回、民主党が勝ったときのように、20代の男女にTシャツを着せて、笑顔でパンフを配っていても、誰も見向きもしていません。

単に、政治に無関心な人々ばかりとは言えないでしょう。政治に関心を持たざるを得ない中高年層の人々も、顔を向けずに通り過ぎていきます。

目の前でこれを撮ると、何か言ってきそうなので、反対側に渡って、望遠にして撮りました。

若者の街で、若い人を動員して、笑顔でパンフを配りつづけ、車の上でも若い人がしゃべている、…民主が勝ったときと同じ光景です。

もう国民は騙されません。

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これより前、久しぶりに上京されたマイミク二矢さん(アカウント名)と遊就館で落ち合い、九段下でお茶をしたあと、南青山の山口二矢のお墓にも参り、その後渋谷で別れました。

参院選については、自民党が勝利するだろうという点で一致しましたが、圧勝か通常の勝利かについては、いまのところ7:3であろうと答えました。

一般有権者は、小難しい理論より、そのときの印象で、投票所に行きます。
だから、マスコミはこぞって、アベノミクスでは給料は上がっていませんよね…などど、無知な国民を煽ります。

国の経済政策などというものが、すぐ労働者個人の賃金に反映しないこと、それをやったら、企業は今度すぐには賃金をカットできないこと、カットすれば今度はそれを組合やサヨクが糾弾すること、…そんなことを百も承知で、反日新聞は、無知蒙昧の徒の本能や欲望を刺激するようなことだけ書き立てます。

だからといって、やはり安倍さんの政策では、株価は上っても個人所得はすぐに上がらない、と、反日新聞の言うことを鵜呑みにするだけの有権者も、以前よりは減ったように感じます。

これは、保守派の人間が、いろいろ動いているからにほかならないと思います。一部を除き、新聞やテレビは、すべて反日売国であるにもかからわらず、衆院選で自民が圧勝し、都議選でも立候補者全員当選という結果をもたらしたのは、SNSの力が大きいと思います。

保守派からする情報を、すぐ信用して保守愛国になるというより、そういう情報のなかで、有権者ひとりひとりが、将来の日本のあるべき方向について、考え始めたといったほうが正しいかもしれません。
特に若い人々がそうである傾向が顕著のようです。

今後、参院選投票日までの三週間、保守愛国の人に保守愛国の話をしてもわかっているので、政治に関心がないように見える層にも、この動きを浸透させていきたいと考え、実行していきたいと思います。
サヨクを説得するなどは、徒労に終わること明らかなので、そんなムダはやめて、迷える羊をこちらの考えに同調させていこうと思います。

もうすぐ消えるであろうとはいえ、いかに民主や社民が危険な、裏切り政党であるかを、周知していかねばなりません。

他方、有権者というものは、ちょっとでも自民党や安倍政権にマイナスの出来事があれば、政策や理念と関係なく、その応援から離れていってしまいます。
政府・与党においては、スキャンダルだけは起こさないよう、注意していただきたいと思います。

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2013年6月28日 (金)

床に置いた洗面器からラーメンを食うのは文化か?

【閲覧注意】韓国人がラーメンを食べるとこうなる|保守速報 http://www.hoshusokuhou.com/archives/27119755.html @hoshusokuhouさんから

少し前、このサイトから取った写真をつぶやき、ツイートしてみたが、ツイートのほうでは、日本人からの反論ツイートが何件かあった。

ちょっとやりとりして、すぐブロックしたが、その反論めいたツイートとは、だいたいこんなものである。

「ほんのひとコマを取り上げて、韓国全部そうだろうというのは誤りだ。」

「各国にはそれぞれの文化というのがある。そのひとコマを取り上げて、晒しものにするのはいかがなものか。」

「どう見ても、中学生か高校生くらいの男子ばかりで、部活か何かのあと、はじけた雰囲気で、オヤツがわりに食べているのだろう。それを、韓国人一般の習慣と思わないほうがよい。」

「日本人でも、プロ野球ファンが、バケツにビールを入れて飲むこともありますよね。」

「あなたは、本当に韓国は嫌いなのですね。こういう写真をツイートするとは。」

だいたいこんな感じであった。

たしかに、男子中学生か高校生のように見え、友達のウチで、わいわいやっているひとコマかもしれない。部活のあとの楽しい光景かもしれない。
それが流出して、このサイトに載せられたのかもしれない。
しかし、それだ何だと言うのだ。

いちばん初めは、この写真を撮った仲間が、どこかに流出させたのだ。それが広まっただけのことだ。広めた人物には、すでに、こんな食い方をして…
、という気持ちがあったのだろう。顰蹙を買いそうだから、おもしろがって広めたのだろう。そういうことだろう。
私もおもしろがって拡散させたことに違いない。

ところで。日本語のわかる韓国人が言ってくるならまだわかるが、日本人から言ってきたことは意外だった。

オンドルべやは、床を暖めるしくみなので、肌の接触を多くするためには、どうしても床の生活になる。床に物を置くのはわかる気もする。
日本人でも、床に寝っ転がれば気持ちいい。そうやって本を読むことも、語り合うこともある。
ただ、それが飲食ともなれば別だ。それに、この写真からして、冬には見えない。

文化の違いというが、未開の奥地に住む部族ではないはずだ。様式というものの特異性は西欧でも東欧でも独自に発達し、それぞれ個性をもっているのは周知の事実だ。

そこに、進歩というものが生まれる。だからこそ、優劣も出てくる。
それは一言にして言えば、歴史の長さによるものと思う。歴史にはぐくまれるからこそ、礼儀作法というものも生まれ、それがいいこととしてみんなに共有され、広まっていき、次の世代に受け継がれる。

お膳やテーブルに食器を置いて、そこからいただくというのが、日本人の常識的なありかただから、こんな写真を見ると、遅れた国だと思うのは当然だろう。

約20年前とはいえ、韓国の一部を見た者としては、いまだに、相も変わらず、安全や衛生、秩序といったものが確立されていないことを思い知る。

床に食べ物を置いているだけではない。洗面器かプラスチックの盥のようなものに、ラーメンを、しかも大量に入れていること、それを取り分けるでもなく、箸で突っつき合っていることなど、全体に、どうみても礼儀作法や行儀、衛生意識があるとは見えないし、さらに美的感覚もない。

日本人の中学生や高校生男子は、例えば、よそのうちで・部活のあとで・何かの集まりのあとで、こんな食べ方をするだろうか。

いちばん驚くのは、やはり、入れ物だろう。
盥は洗濯物を洗うのに使う、大きなものなら、子供が水遊びをしたり、風呂代わりに使ったこともあった。小さいものなら、足を洗ったり、暖めたりするのにも都合がよい。
これは盥には見えないが、食後の食器を浸けておくボールか洗面器で、そこに、口に入れる物を入れている。この感覚は、到底日本人にはわからない。

道具というものは、用途ごとに分けられるほど、文化の進んだ証拠という。
うちは裕福でも何でもないふつうの家庭だったが、子供のころすでに、ラーメンにはラーメン用の器があった。
上のサイトにあるように、ラーメンの袋のほうに湯を入れて食べる、などということもない。
彼らは、湯飲み茶碗にコーヒーを入れても、平気なのだろう。

日本には、流しそうめんの文化もある。それができなければ、そうめんを大きなガラスのボールに入れて、みんなで取って食べる。しかし、そこには、伝統にかなった品のよさもある。

韓国の若者がみな、こんな食い方をしているとは思えないが、こうした写真で揶揄されるようなスキがあるのは事実なのだ。

安全、衛生、秩序は、今後も培われないのだろうな、と思う。20年経って変わらないものが、今後変わりうるだろうか。

もうひとつ、いつまで経っても、彼らの身につかないだろうと思われるものがある。
相手に敬意を表するという態度や心がけだ。

いいものがあれば、それを少しずつ取り入れていこうとする向上心が、国民的レベルで欠けている。
政治家から末端にいたるまで、相手となる対象への敬意の念というものは、ほとんど見られない。自分らの生活や様式を、よりよくしようとして、よいものを取り入れようという気持ちじたいがないのだ。

ということはつまり、何がよりよいのか、ということを見分けることができないのだろうと思う。

上のようなツイートを寄せた連中は、私より高潔な志の持ち主たちなのだろう。これも文化であるという前提でモノ申しているわけだ。
神様のようにありたいという高邁な志だ。

しかし、不潔なものは不潔と、言い切っていいと思う。遅れていることを遅れていると言い切っていいと思う。
悔しければ向上しようと心がければいいのだ。

何も、同情ツイートなど必要ない。
同情はまた、共生に似て、ある特殊なカテゴリーに属する日本人の専売特許になっている。

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2013年6月27日 (木)

韓国の話 (2013年6月27日)

かつて教員時代に、修学旅行で韓国に3回行ったことがある。

勤めていた学校は私立であり、国旗掲揚をし、同時に君が代を流している学校であった。社会勉強として中国に行っていたのだが、天安門事件があり、否応なく、行き先を韓国に変えたのであった。

高校2年の6月に6日間行くのだが、高1の担任のとき下見として2年の旅行につき合い、2年の担任のとき行き、また巡って2年の担任のとき行った。

今から十数年から20年前の話ではある。それから時間が経っておりだいぶ変わったのかと思いきや、知人らの話やその他を総合すると、根本的にはそれほど変わっていないようでもある。板門店まで行ったほかは、何やらの遺跡というものばかりで、観光にはならない。

私立でクラス数が多く、チャーターしたバスは14台であった。ドライブインから走り出すときは番号順なのだが、次のサービスエリアに着くときは、てんでんばらばらである。日本なら、1号車が車線を買えれば、2号車3号車と、それに従う。どこまでも1号車以下後続車両は、それに従って走るだろう。ところが韓国では、高速道路に出た瞬間、もうばらばらなのだ。それらのバス同士が競走しているごときである。修学旅行の生徒や教員が乗っているのにだ。

途中、何度もトラックが横転して、一車線になっているところを通過した。その高速道路も日本とは違う。日本なら県道レベルの道路もある。中央分離帯や植樹もなく鉄条網もない。遠くには、親子連れが横断している。板門店に向かう高速でさえこうだ。途中、ところどころに長さ数メートルのトンネルがある。北朝鮮から戦車が高速を走ってきたときのために、戦車が通れないように一般車両すれすれの高さのトンネルを作ってあるのだ。

街中の大きな交差点には、歩行者用の信号機がない。歩行者は車両向けの信号に従う。横断歩道のペンキははげていて、横断歩道の跡という感じだ。
高速でも一般道でも、道路の交わるところでは譲り合わない。車の先端10cmで先んじたほうが先に出るといったぐあいだ。

この国には、まだ安全という財産はないのだと思った。

昼食に冷麺というのが何度か出た。箸は象牙に似ているがもちろんプラスチックだ。銀色の容器に氷の浮いた冷水があり麺が浸けてある。まずいとは思わないが、その容器が、ペット用の椀みたいだった。
オンドルべやでは、6月だから暖房はないものの、じかに床に座って焼肉を食べた。食事には必ず、6人用の食卓の中央にひとつずつ、キムチの皿が置かれる。金浦空港を下りてビル内に入ったときから、とにかく学校以外の建物では、必ずキムチのにおいが、どこかからしてくるのである。

サービスエリアに入るところには、必ずと言っていいほど、荷物を担いだおばさんが立っている。そしてこちらが高校生とわかるや寄ってきて、商品を見せびらかして、千円千円という。ひと品、日本円で千円でいいよ、と言っているのだ。もともと、土産物を買う時間以外に買い物はしていけないと言ってあるので、生徒は誰も買わない。おばさんたちはけっこうしつこい。カモを逃してなるものかというところだろう。千円がシェンエンに聞こえる。おばさんたちがしつこいと、生徒の一部がシェンエンシェンエンとからかう。

今では有名なロッテホテルというホテルに泊まった。向こうからすれば帝国ホテルのような存在だという。そんな韓国一流のホテルに、日本の高校生が泊まっているのだ。JTBがくれぐれも盗難に合わないようにと念を押していた。そんなホテルでさえ、水道水は飲めない。飲料水と書いてあるタンクの水しか飲めない。
ある日、見学コースの公園で、水飲み場にある水をうちの生徒のひとりが飲んでしまった。バスに乗って10分もしないうちに顔面真っ青になり吐き気をもよおし、ゲロ袋をあてがった。

南大門市場は、上野のアメヤ横丁に似ていると言われていた。しかし生徒は財布もカメラもバスに置いての見学だった。それも、路地に入らず、中央の十字になる道だけ往復していろということになり、その四隅には教員が立った。
10cmもあるような鷹の爪、キムチの山、脂ぎった豚の顔や豚足などもある。ごった返していて、スリがいるだろうことは簡単に想像がつく。ちょっと路地に入ると、汚らしい鉄板の上には山盛りの焼きそばがあり、何人かの人々が分け合って食べていた。ふと私の足首を握った者がいる。振り向いて足元を見ると、キャスターのついた板きれに乗っている中年の男であった。両脚と片腕がないのだ。その手のひらを出してくる。カネを恵んでくれというのだ。

おみやげには、ほとんど人参が入っていた。日本の人参ではない。いわゆる朝鮮人参だ。人参そのもの、人参ガム、人参石鹸まであった。噛んでも使っても、粉臭く、人にあげてしまった。

缶コーヒーが100円前後のときで、韓国では450ウォンくらいしたと思う。ホテル一階のコーヒーショップでコーヒーを飲んだら、2000ウォンくらい払った気がする。

漢江というソウルを流れる大きな川がある。何回かバスで横断した。オリンピック村のビル群は、金持ちが住むマンションに変わっていたが、川の反対側は、走行中のバスからも認められるような貧民窟である。軒を連ね、どこからどこまでが独立した家なのかもわからない。ソウルの街は東京と違い、市内にいくつか丘のようなでこぼこがある。その小高い丘の上まで、コケが覆ったように、貧民窟の屋根瓦が重なって伸びていた。

この国は、いまだに食べるだけで精いっぱいの国だと思った。安全やら譲歩やらという文化がまだない。それらは多少とも成熟した社会でないとありえない。

板門店での北との緊張は、痛いほどわかった。北の山のあちらこちらにしかけられた拡声器から、朝鮮語の大音響が聞こえてくる。内容は、祖国がひとつになれないのは、おまえたち(大韓民国)に責任がある、といったようなことを繰り返し放送しているそうだ。

韓国の国情はわかった。地元の高校生との交流会では、双方とも有意義な時間を過ごし、おみやげ交換会までした。ほんのわずかだが、韓国民の悲痛も良心もわかった気はする。しかし、三回行って、大きな変化、それもいいほうへの変化というのは見当たらなかった。
国家が国策として、文化事業に大幅な予算を裂き、海外特に日本に商売として出しゃばってくる。他方で、誤った知識や情報を与えている韓国の教育やメディアにも問題がある。

いまごろあの高校生たちは、どう成長しているのだろう。あの当時は、この韓国にいる高校生も千円おばさんも南大門市場の身障者も、気の毒に思えたものだ。しかし、韓国の問題は韓国で解決してくれるよう望む。

2013年6月26日 (水)

映画 『鳥』

監督:アルフレッド・ヒッチコック、原作:ダフネ・デュ・モーリア、脚本:エヴァン・ハンター、音楽:バーナード・ハーマン、主演:ティッピー・ヘドレン、ロッド・テイラー、1963年、120分、カラー、原題:THE BIRDS

これもまた何度も観ている映画なのだが、映画というのは、そのつど新たな発見があっておもしろい。

かなり知られている映画なので観た人も多いだろうが、観てない人のために簡単にあらすじを書くとこうなる。

ある妙齢の金髪美人が、小鳥の販売店で、ある中年男に店員を間違われたことから会話をするが、ちょっとからかわれたこともあってその男に逆にイタズラしてやろうとする。

この女性メラニー(ティッピー・ヘドレン)は気取ったところのあるスノッブなので、男の住まいを探し出し、二羽のラブバードという小鳥を手に入れ、この男の家に忍び込んで、置いてくるという行動に出た。
この男ミッチ(ロッド・テイラー)は、年の離れた小学生の妹キャシー(ヴェロニカ・カートライト)に、そのラブバードをプレゼントしようとしたが、その店にはなかったからである。

ミッチの家は車だと町から遠いが、湖を突っ切れば家の正面に着く。メラニーはボートを借り、こっそりとミッチの家に小鳥を置いたあと、またボートで引き返すが、その際ミッチに気付かれ、ミッチは川沿いの道を車で町に向かう。

先にボート置き場に着いたミッチは、メラニーがカモメに襲われるのを見る。メラニーは頭をカモメにつつかれケガをした。……

ヒッチコックの映画は、あらすじを書いてもおもしろくないし、書いたところでネタバレにもならない。彼の映画こそ、観て楽しむものだからだ。サスペンスなのにエンタメ性が、しっかり盛られている。

だから、ストーリーだけを理詰めで追うと、どうしても突っ込みどころが出てくるが、メチャクチャに脱線しているわけではない。
この映画も、終盤、鳥の大群が襲うことを予想して、ミッチは家じゅうの窓を板で覆ったりするが、なぜその日に大群が来ると予想できるのか、など何も語られない。そして、まさにそこに大群が襲ってくるのであり、からくもそこから脱出するのだ。

動物を使ったサスペンスの先駆的作品だが、ここには猛禽類の鷹や鷲が出てくるのではない。アナコンダやサメが出てくるのでもない。
ふだん、日常的に身近に見るスズメやカモメ、カラスがもう一方の主役である。
舞台はボデガ・ベイという湖の町であるから、カモメも身近な鳥である。実際、メラニーが最初に襲われたときも、誰も信用しない。途中で鳥類学者を自称する婦人も、鳥についてひとくさりご託を述べるが、実際にカモメが襲来したのを目の当たりにすると、押し黙ってしまう。

サメやアナコンダは何度となく映画化されたが、身近な鳥をテーマにしたものはほとんどない。この作品が、ほとんど最初で最後である。
というのも、鳥は犬や猫と違って調教が難しく、撮影も思うようにいかない。赤ん坊の撮影もうまくいかず時間もかかるのに、複数の鳥では厄介至極なのである。

実際、ヒッチコックは、鳥の調教師を頼んでいるし、たくさんのカラスが映るシーンでは、本物の鳥の中にフェイクの鳥を置いている。ジャングルジムのカラスや屋根のカモメなどがそうで、特にラストシーンはフェイクが多い。よく観ていると、動かない鳥がいるのだが、それがわからないようにカットを早くしてつなげている。

ストーリーは二番煎じのサスペンスとも言われるが、しかしストーリーがなければ映画にならない。そこがぎりぎりホラーと一線を画すところだろう。

ヒッチコック作品のなかでは、これは念入りにストーリーが書き込まれているほうだ。ミッチとメラニー、ミッチの母で神経質なリディア(ジェシカ・タンディ)とメラニー、ミッチの元彼女で学校の教師をしているアニーとミッチ、アニーとメラニー、それらの過去の関係や今の心境までもが、端的ではあるがきちんと語られている。そういう合間に、鳥の襲撃を予感させるような出来事が起きていく。

大量のカラスが校庭のジャングルジムに集まっているのを見たメラニーは、授業終了直後のアニーに、子供たちを避難させるよう勧める。
キャシーを含む子供たちが、アニーとメラニーの指示で、学校を出て町へ駈けていくときは、この映画のハイライトのひとつだろう。(※)
カラスがギャーギャー言いながら、子供たちを襲撃するシーンだ。実際は怖いシーンなのだが、ヒッチコックもこんなことして喜んでいるんだなと思うと、おかしくなってくる。

何度かめに気付いたのだが、このシーンは、三種類のフィルムが重なっている。
子供たちをバタバタと襲うカラスの大群と、必死に逃げる子供たちとが、別々に撮られて重ねられたのは初めから見破れた。実は、その子供たちも二種類のフィルムを撮って、あとで重ねているのだ。
ふつうに逃げる子供たちと、より手前で、実際のカラスやフェイクのカラスに襲われている子供たちとは別撮りである。
もし現在なら、もっと境をわからなくできたのだろう。当時の技術ではこれが精一杯だったのだろう。

現場での撮影と、それに全く似せたスタジオセットでの撮影を、こまめにカットでつなぎ合わせていくのはいつもの手で、この映画でも全編ほとんどこの手法でできている。湖の上空の雲も、ペイントして作った絵を、そこに重ねているが、スタジオで撮影するとなると、そういうこともできるわけだ。

理由もわからず、鳥が人間を襲う…この映画を観て、カラスや鳩にトラウマができた人も多いらしい。
鳥の襲撃シーンにしても、一切の音楽を排して、鳥の羽音や啼き声、子供の悲鳴などだけにしたのは正解であった。音楽は、むやみに入れればいいというものではない。

ヒッチコック作品には、サスペンスでありながら、『裏窓』のように恋物語と並行して進むストーリーと、この作品や『サイコ』のように、もっぱらラブストーリーなしで進んでいくものと、二通りある。
好みは別れるだろうが、いずれにしても、筋書きだけでカットを掻き集めるようなことをせず、映画は楽しい、という土台の上に立って、サスペンスの世界を提供してくれている。

この映画でもバーナード・ハーマンはサウンドを担当しているが、音楽は一切ない。

OP
http://www.youtube.com/watch?v=bp5cgFf_GkA
<externalvideo src="YT:bp5cgFf_GkA">

(※)カラスが子供たちを襲うシーン
http://www.youtube.com/watch?v=hplpQt424Ls
<externalvideo src="YT:hplpQt424Ls">

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2013年6月22日 (土)

サヨクの「自分史」「差別論」に騙されるな!

大学出のサヨク連中を、高校二年の進路分けあたりから、大学3年前後で切ってみるとおもしろい。

サヨクには、歴史や国語が嫌いだから理系に進んだ者が多い。志位も菅も鳩山もそうだ。
全部得意などという生徒は、教員と予備校関係の仕事をしてきて、いまだに二人しか出会ったことがない。二人とも教員時代の教え子であるが、どちらも自分のクラスではない。政経を教えたときの生徒だ。

一人は東大の理Ⅰに行った。もうひとりは、あえて東大や医科歯科に進まず、島根大学の医学部に進んだ。自分の考えをしっかりもっている生徒であった。
この二人は、いつのどんな試験でも科目でも、学内のテストは90点以上取っていた。

この世代のサヨクに「歴史とは何か?」と聞くと、よく「私の自分史です」と言う。サヨクにとっては、自分の生まれた日から現在までが「歴史」なのである。

エッセイなどで、自分史という言葉をよく使う。それはそれでいい。
誰でも、ひとつの小説を書けるという。つまり、自分のことを書き連ねれば、それですでに小説になるというわけだ。フィクションというより、ドキュメンタリーになるだろう。

ところが、サヨクの言う自分史というのは曲者で、往々にして、自分の出自や考えを主張するだけに用いられる場合が多い。
特に、大妻女子大の某女性教授のように、在日であって、ある程度文章を書けると、自分の出自や生い立ちを、自分を中心に書いて、差別を受けて苦しんだことへの同情を誘う。ましてやそれが若い女性であれば、男性一般への媚びともなりうる。

在日であること、文章を書けること、女であることをフルに利用して、同情を買い、同調者に媚びて味方の数を増やす。何かあれば言葉尻をとらえ、差別だ差別だと騒ぐ。
初めに差別ありき、なのだ。

初めには、何もないのだ。歴史的にも日本側には、何も問題ないのだ。
むしろ感謝されてよいくらいだ。文句を言うべき対象は、彼女らの祖国の政府である。

しかし、そうはしない。何もないところで、差別された、と騒ぎ立てる。
周囲は、ああ、差別されたのか、かわいそうに、差別されたからには、差別した側がいるのに違いない、差別は悪いことだ、だから、差別した側は悪者だ、と短絡するのである。日本人は悪いのだ、悪かったのだから謝るのはあたりまえだ、せめてお金で償ってあげるべきだ、となる。

知識人サヨクは、さすがに、戦後の日本からの援助については、勉強して知っているので、それには触れず、関東大震災を持ち出すのだ。
顔を真っ赤にして、関東大震災のとき、朝鮮人は日本人に殺された、あれは差別の始まりだ、と言う。サヨクお得意の、「そこだけ注意」で、スポットだけ取り上げて差別だと言う。

この件に関しても、かつて私の調べたかぎりでもそういう事例はあったと認めるが、それは殺さざるを得ない合理的理由があったからだ。そういう側面には一切触れず、日本人による無差別殺人だなどとは、おこがましいにもほどがある。そもそもこのとき、朝鮮人も日本人を殺しているではないか。

ガ行の発音をできない者を朝鮮人として特定したのが差別だとも言うが、それは、外見上日本人と似ている朝鮮人を区別するために必要だったからで、一般の住民が、朝鮮人と日本人を瞬時に区別するためにやむを得ない手段だったに過ぎない。

在日でありながら、日本人の言っていることが正しい歴史だ、という人はまだまだ少ない。差別を受けたと称する在日連中が、ただ付和雷同し、愚かな日本人がそれに同情同調し、そこに売国メディアが貼りついて、火に油を注いているだけだ。

彼女らの言う自分史は、単に、自分やその先祖だけを念頭に置く、歪んだ、誤った歴史観である。日清戦争あたりまでずっと遡って勉強したほうがよい。彼女らは意図的に、それをしない。戦時中は奴隷のようにこき使われたと言い張るのみだ。

皇民化政策により、当時の日本と同じ水準にしようと努力したのは、日本政府であり日本軍である。それにより、どれほどの恩恵を受けたのか。固有の文化もなく、発音記号が書き言葉であるような民族に、整然と文化たるものを根付かせたのだ。

泰緬鉄道建設時に多くの朝鮮人が駆り出され死亡したというが、それは日本人も同じである。松代大本営建設時も徴用朝鮮人が働かされたというが、長野県の勤労奉仕隊や西松組の社員も同じである。
特攻隊にも、意に反して駆り出されたと主張する。17歳で嘉手納湾方面に散った誠飛行隊の大河正明(朴東薫)や、知覧からの出撃前夜、鳥浜トメさんの前でアリランを歌ったとされる光山文博(卓庚鉉)はその代表例だ。

日本人の特攻同様、意に反してと言い切れるだろうか。日本軍の兵士として日本軍の学校で養成され育てられていたのだ。

そもそも、戦時中なり戦争なりというものは、古今東西そうしたものなのだ。歴史的経緯からして、朝鮮人が徴用されたことについては、戦争というものの必然で、日本人を恨むこと自体が筋違いだ。
また、サヨク学者が、当時の必然を、現在の偶然から(=現在の尺度や価値観で)とらえるのも誤りである。

在日サヨクは、同じ民族なのに駆り出されたというくらいなら、むしろ、こうした兵士の志に、深く思いを馳せるべきではないのか。

台湾の人々も、日本軍に徴用された。戦後は、まさかの共産党勝利により、国民党は遠いところに行かざるをえなくなった。一時期、同じ中国として敵対していた日本の軍門に下り、朝鮮人同様徴用されながらも、戦後の態度は朝鮮とは全く別である。

台湾人も随所で特攻を敢行している。レイテ島ブラウエンに舞い降りた義号作戦の薫空挺隊はその代表例である。運動神経がよく機敏な動きのできる高砂族は重用された。台湾にも霧社事件のような暴動があったが、それにしても戦時中は日本人となり、日本のために、粛々と戦ってくれたのである。頭の下がる思いである。

連合軍に敗れた日本は、その辛酸をなめ屈辱を受けながらも、基本的に自分の力で自立し、経済大国になったではないか。その道すがら、米ソ対立の下、安保を結ばざるを得なかったが、それも戦後日本の通り道であったというしかない。

そもそも戦った相手国でもないのに、朝鮮戦争以来、北朝鮮と対立する韓国が、日本に賠償を求めるというだけでも、とんでもなくおかしいことなのだ。

こうしてみてくると、在日朝鮮人の言う差別なり自分史なりというものは、自分とかかわりのあった過去の環境には全く触れることなく、自分を今日あらしめている歴史など、自分とかかわり自分を成長させてくれた人物などひとりも登場しない、自分勝手な差別論であり、イッヒロマンにすぎないのだ。

サヨクの言う「自分史」や「差別」というものには、注意が必要である。
「生命を奪う」ところだけ注目して死刑反対を唱えるサヨク弁護士どもと、発想が同じである。

在日の主張のこうした方法論は、日本人のなかにもある。日本人でありながら、歴史を顧みることなく英霊に感謝する尊崇の念をもつこともなく、ただ「自分史」や「差別」を主張する連中が湧いてきている。

いずれも、コトの本質を見ようともせず、歴史的経緯を括弧に入れたまま、「そこだけ注意」で注目を集めようとする。

老若男女にかかわらず、そんなものにとらわれることなく、そんなことに動じないだけの精神性が、日本人に求められている。
経済力だけでなく、日本人の精神性が、どれだけ円熟したものになったかどうか…、参議院選挙では、それも問われる。

2013年6月21日 (金)

So In Love (2013年6月21日)

映画は、戦後、数少ない娯楽であったという。

私が中学生、高校生のころは、映画は、映画館かテレビでしか、観ることができなかった。VHSでさえないころは、みんなそうだったのだ。
カセットテープが出てきたころの話だ。任天堂は、小さなトランプ製造の会社だった。

高校生にしても、都内の映画館までは行けず、テレビで観るしかなかったのだが、親は、数少ない娯楽が映画であった時代に若いころを送っているせいか、チャンネル争いはなく、いっしょに観ていた。

マリリン・モンローの『ナイアガラ』なども、ふつうに21:00からのロードショー番組でやっていたものだ。土曜の午後2時代も、東京12チャンネル(今のテレビ東京)では、映画を流していた。

なかでも印象的なのは、NETテレビ(今のテレビ朝日)の「日曜洋画劇場」であった。
故・淀川長治(よどがわ・ながはる)氏の解説が前後に入り、映画ファンでなくても知られた番組である。

番組の終わりに、ロマンチックにして悲しげな音楽が流れるのだ。
曲の題名を知ったのは、ずいぶん後になってからである。

Wikipediaによると、この曲「ソー・イン・ラヴ」(So in Love)は、ミュージカルの曲、ジャズのスタンダード・ナンバーとのことで、これがクラシック風にアレンジされたモートン・グールド楽団の演奏を、この番組に使っていたという。
これは、1967年(昭和42年)4月9日の番組開始から2003年9月28日(平成15年)まで使用されたとのことだ。

この曲のタイトルを知ってから、何回か人に、もしこれを日本語に訳すとどうなるか、と尋ねたことがあるが、今もって満足のいく回答には出会わない。

この「日曜洋画劇場」をまねて、他局でも似たような番組が放映されることとなった。
これらの番組で提供される映画からは、大いに刺激を受けた。映画のすてきさを知らされた。

特に思い出に残るのは、やはり「日曜洋画劇場」で、ヒッチコック特集をやったときであった。
いつか映画館で観たいと思っていたが、学生のころヒッチコック特集というのを都内の映画館でやることになった。学生だったので、名画座に回ってきたときに、「ぴあ」を片手に、よく出かけた。

当時(今でもそうだが)映画館に入るからには、途中で寝ない・途中で出ない、をモットーにした。新宿・歌舞伎町の映画館のオールナイトなどにも行ったが、当時の夜の歌舞伎町はやはり怖かった。冬のオールナイトでは、館内に乞食もいたのだ。彼らは、入場料を払って入り、一晩の暖をとるのが目的なのである。

新橋の国鉄(今のJR)・山手線の線路下にある映画館で、ポルノ映画も観た。そうやって、いろいろなジャンルのものを観はじめたのだった。

ヒッチコックの映画は、賞にはほとんど縁がないが、「観る」ということの楽しさ、サスペンスというもののスリル、色の楽しさ、カメラの知恵、を教え込まれた。
それまでの鬱屈した生活が生き生きとし、それ以後、人生が飛躍的に豊かになったように思う。

これが映画とのかかわりの始まりだ。
この時期、映画評論家になろうかと思ったこともあったくらいであった。

そして、このことを思い出すたびに、この憂いを帯びたせつなくも美しい旋律も甦るのである。

この番組を通じ、映画館に行き始め、世界が広がった。
自分にとって、文字も大事だが、映像もそれに劣らぬくらい大切な存在になった。

当時の懐かしい映像を、いま観られるというのは幸せなことだ。

日曜洋画劇場オープニングからエンディング 「so in love」 淀川長治

http://www.youtube.com/watch?v=EwINnt6aDb4
<externalvideo src="YT:EwINnt6aDb4">

日曜洋画劇場 エンディングテーマ曲『So In Love』
http://www.youtube.com/watch?v=xQeMbtPG3Ns
<externalvideo src="YT:xQeMbtPG3Ns">

So In Love ・・・

もしどうしても訳すとしたら、この曲を聴いて、あなたならどんな訳にしますか?…^^

2013年6月20日 (木)

大妻女子大学教授・鄭暎恵とその周辺

都内に通うある高校生のマイミクくんが「身元洗った結果。」(2013年06月19日)という日記で、ある情報を提供してくれました。(そのmixi日記は略します。)

彼の通う高校に、朝鮮人の高校生が見学に来たところ、韓国名の副校長が、朝鮮語で応対していたとのことで、そこからその副校長が、「拉致被害者・家族の声をうけとめる 在日コリアンと日本人の集い」(http://tsudoi0720.tripod.co.jp/)のメンバーのひとりであったことが明らかになったとのことです。

このURLはもう開けなくなっていますが、そのメンバーに、昔知っている人間を見つけたので、彼女について書いておきます。
鄭暎恵という人物です。

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シリーズ「震災と女性・子ども」鄭暎恵さん:テレビパープル: http://youtu.be/6BOW5sggIoc @youtubeさんから

鄭暎恵(チョン・ヨンヘ)は、慶應女子高から大学に進み、文学部と大学院社会学研究科では後輩に当たる。
同じゼミや研究室にいたこともあり、顔も声もよく覚えている。当時、周囲からは、てい・えいけい、と呼ばれ始めたが、自らチョン・ヨンヘと呼んでください、と本人が頼んでいたのを覚えている。

YouTubeを見て、外見はほとんど変わっていないと思った。懐かしい思いもするが、感傷に浸るつもりはない。

当時から、ゼミの発表では、怒り爆発的な内容が多かった。つまり、差別問題に取り組んでいたからである。
ただ、常にひとりよがりで、視野の狭い子だなあという感じではあった。

その後、全く付き合いはないが、現在は、大妻女子大学人間関係学部(多摩キャンパス)社会学専攻の教授になっているのは把握していた。ここに落ち着いたのには、あるルートが想像される。大妻は付属校もあり、受験界ではお嬢さん学校とも言われるところで、サヨク大学というわけではない。

鄭には娘がいるが、夫と結婚していない。そのまま別れたはずだ。
当時、「非婚出産」などというばかばかしい言葉がはやり、その行為じたいも快挙としてもてはやされ、むしろ、シングルマザーとして生きることが、男に対抗して社会を生きていく女傑であるかのようなイメージがあった。

理由があって結婚できないのではなく、初めから男を除外して、女一人で子育てをしていこうという発想である。シングルマザーなる言葉が、女性闘士の証明であるような異様さがあった。

それをもろ手を上げて賞賛したのは、まだ京都にいた上野千鶴子である。そのことから、鄭と上野は親しくなった。その後、マルクス主義者で女性問題を専門とする上野は、同じく左翼の見田宗介に迎えられて東大に移り、退官している。
上野はずっと独身であるが、鄭との共通点らしきものとして、学問に関係なく、男嫌いの一面がある。

常に、女性視点だけであり、最後には、女性への差別・屈辱は、女性の私たちにしかわからない、とする。上野は、最近では和服などを着て動画に出てくるが、かつて学会などで見かけるときは、常に貧相なイメージがあり、女性というには汚らしい印象であった。ただ、学問上の論客としては鋭い人である。(いちばんまともな著書『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』は、専門書としては私も高く評価する。)

当時すでに聞いた話だが、平安女学院短期大学など大学のゼミでは、学生の前で、平気で、オマンコがさあ…、チンコがさあ…、と口にしていたそうである。
まあ、品はない。研究歴を除いたら、上野も鄭も、何も残らないだろう。

上野を尊敬する鄭も、常に、女性・子供の視点である。
最近では、在日というだけでうまくいかなくなってきたせいか、それを外国人という枠に含めて拡げ、在日朝鮮人問題を、外国人一般の問題にすり替えようとしている。

以下に、鄭に関する情報を集めてみた。

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★日本国籍なんぞはのしをつけて日本国に返上してやりたい 鄭暎恵 http://s.webry.info/sp/hibikan.at.webry.info/201002/article_3.html

※そこから派生的に見つけた記事:

★地方参政権:「日本は帰化が困難」と嘘をつく在日は誰なのか特定する(重要) 日々の感想/ウェブリブログ http://hibikan.at.webry.info/201001/article_178.html

しかし、最近でも、シナや韓国からの帰化が、圧倒的に多い。

官報には、ほぼ数日に一度の割で、「日本国に帰化を許可する件」を発表し、許可された人物名を載せている。ほとんどがシナ人名か韓国人名である。

以下、鄭暎恵の名が出てくる記事。

★「21世紀の民族教育とは」鈴木雅子
http://suzin.com/index/sabetu/kyoiku.htm

「高裁も不当判決」
広島修道大学において、解雇された5人の教員が訴訟を起こしたが、控訴審でも敗訴となった。それを支援する側の教員のブログである。
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/ashl6.html

このうち、文中の好井裕明は、現在、筑波大学に在籍。差別問題が研究テーマである。これも、大学院時代、東大からゼミに聴講に来ていた一人なので、顔も声も、よく覚えている。
当時、あまりにも同和問題に熱心なので、被差別部落出身ではないかと囁かれていた。
鄭暎恵も講師としてこの広島修道大に勤務したことがある。

文中に明らかなように、彼らを支援する立場の人間でさえ、好井と鄭のカラ出張は認めており、それ以外の解雇者に対し同情しているのである。
鄭は3日間の出勤停止処分を受け、好井は控訴審開始直後に大学側と和解し、いち抜けた、ということだ。

「前田職員との共謀によって社会学研究室教員の排除のための工作に重要な役割を果たした鄭暎恵講師については,同女自身の積極的意志にもとづいてなされたカラ出張(東京)が1回あるにもかかわらず,同女は前田と同様,3日間の出勤停止処分にとどまっている。」

「「社会学疑惑事件」とは,鄭講師の,大学当局に対する,学外の力を借りた「挑戦」であった。」

つまり鄭は、同和問題を扱う学者を、自分の助教授昇格のために、追い出そうと画策していた。
鄭にとっては同和問題は日本国内差別問題であって、本来自分のテーマとする人種差別すなわち在日差別のほうが、差別問題としては「上位」にあるという認識である。
鄭は後に、講師から助教授になっている。

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参考(1):

国籍理由に受験拒否は合憲…都管理職試験訴訟で最高裁(2004.8.15 民団新聞)
http://www.geocities.jp/a8xs/

「新しい歴史教科書をつくる会」に抗議する女たちの緊急アピール
呼びかけ人:赤石千衣子・芦野由利子・安積遊歩・石川逸子・石丸敏子・伊藤充子・井上輝子・上田外茂子・上野千鶴子・江原由美子・大石芳野・大越愛子・落合恵子・加納実紀代・川田文子・北村小夜・金富子・金栄・金英姫・草野いづみ・志水紀代子・鈴木裕子・寿岳章子・関洋子・宋連玉・高嶋たつ江・高里鈴代・竹見千恵子・田嶋陽子・館かおる・田中かず子・鄭香均・利根川樹美子・富沢よし子・永井よし子・中原道子・西野留美子・朴慶南・朴潤南・福島瑞穂・藤枝澪子・船橋邦子・古谷史子・丸本百合子・松井義子・松井やより・松永るみ子・源淳子・向井承子・森川万智子・もろさわようこ・山崎朋子・山崎ひろみ・梁澄子・梁霊芝・ヤンソン柳沢由実子・李美也子・米津知子(50音順、1996/12/18現在)

定住外国人の完全なる地方参政権を求める在日同胞共同声明
鄭香均(東京)/鄭暎恵(東京)/金秀一(神奈川)/金静伊(埼玉)
鄭雅英(大阪)/高二三(東京)/李正子(東京)/李佳子(山口)
姜栄一(千葉)/林相鎬(千葉)/黄光男(兵庫)
(2000年3月1日)

参考(2):

在日朝鮮人という異常な存在(平成21年7月31日)
http://www.tamanegiya.com/zainitiijyou21.8.6.html

「在日コリアンで大妻女子大の鄭暎恵(チョンヨンヘ)教授(社会学)は裁判傍聴に訪れた際、法廷の外に掲示されている外国人の被告名に傍聴人らが「ああ、やっぱり」とつぶやく光景を何度も見てきた。」

「鄭暎恵さん」
(鄭暎恵『<民が代>斉唱 アイデンティティ・国民国家・ジェンダー』を読んでのある方の感想)(2006-04-05 )
http://blog.goo.ne.jp/prucha99/e/0084ba113b00bd62a0595dc7e57d32f4

「このあいだ在日コリアンの人と話をしてたんだけど、今の韓流ブームやワールドカップで韓国と日本の交流が盛んになってきたって言われるけど、歴史を振り返らずに交流を語れるようになってきているのが気になるって言ってた。鄭暎恵は別の本で「記憶」や「歴史」をキーワードにアイデンティティについて論じているんだけど、正しい正しくないじゃなくて、対話を通して記憶や歴史の認識のずれを浮き彫りにして立体的にとらえていく作業が必要なんだろうなと思った今日この頃。」

参考(3):

上野千鶴子『脱アイデンティティ』 一貫性ではなく変化することで維持されるなにか。
http://asianimprov.at.webry.info/200911/article_13.html
上野千鶴子『脱アイデンティティ』に対する感想。鄭についても出てきます。

「鄭暎恵はこの論文で「日本語」や「日本人」を「排他的な特権化」のような装置として厳しく批判している。しかし、鄭暎恵の論文の読後感として、その立ち位置(スタンス)からなにかしらの「排他的な特権化」を感じてしまうこの極めて皮肉な逆説はいったいどこから来るのか。」

参考(4):

「在日朝鮮人と日米戦争 その過去と現在」 鄭暎恵 広島修道大学助教授
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai96/tz9609.htm

******************************

鄭を知ったのは、彼女が大学3年生になり、ゼミに入ってきたときのことで、そのときはまだ、高校生のような初々しさがあった。ただ、やはり朝鮮顔であった。

その後の歩みを見るかぎり、在日はどうしても在日であるという枠を超えて、ものごとを見ることができないことがわかる。
女のことは女であるという枠を超えて、ものごとを見ることができない上野千鶴子と同じである。

在日であるから主張できること、女の私だから主張できること、というスタンスが、逆に、在日にしかわからない、女にしかわからない、という視点にのみ執着してしまい、視野を狭くし、拡がりをもたない。
こういう人間たちと、日本人が、また、男が、理解を深め合うことは不可能に近いと思う。

彼女らには、「私たちは、在日として、女として、差別されてきた」という「逆差別」の特権意識がある。それがすべてのエネルギーの源泉となっている。

問題は、彼女らが、大学という場に勤めていることであり、その肩書きを利用して、あちこちに首を突っ込んでいるということである。
上野千鶴子はもう終わったに近いとみるが、鄭暎恵は、まだまだいろいろなことに口出ししそうである。

ただ、このアクの強い、ひとりよがりの思考に、どれだけ信奉者が集まるかは疑問である。

しかしまた、こんな発言もしているようであり、一部の在日やサヨクからは注目されているようである。

・大妻女子大教授・鄭暎恵のポスト・コロニアリズム理論「民族の異なる日本国籍者が増えることは従来の単一民族国家観がますます成立しなくなり、血統主義で<万世一系>の天皇制がその基盤を空洞化されるのだ」

・鄭暎恵のポスト・コロニアリズム理論「私たち(在日コリアン)が、今後共続けて日本に住む意志があるのなら、・・・当然国籍を持つことにもなるだろう。そして、主権者として、民族教育権を主張し、民族名を名乗り、公務員になって公権力を行使し、必要とあれば内閣総理大臣にもなればいい」

映画 『PARKER/パーカー』

監督:テイラー・ハックフォード、原作:リチャード・スターク、脚本:ジョン・J・マクロクリン、音楽:デヴィッド・バックリー、主演:ジェイソン・ステイサム、ジェニファー・ロペス、2013年、118分、原題: PARKER

時間も2時間で、今までのステイサム主演の単純なアクションものではなく、クライムアクションとして「普通の」主役を演じている。

オハイオの祭典で集まった売上金を盗むべく、メランダー(マイケル・チクリス)ら4人と組んだパーカー(ジェイソン・ステイサム)は、仕事に成功したあと、車のなかで、メランダーの次の誘いを断ったため、車外に放り出され、仲間に撃たれる。

しかし通りかかった農夫らに助けられ、命拾いし、病院に入るが、そこを抜け出して、取り分をメランダーに要求しつつ復讐を企む。

フロリダのパームビーチに移ったパーカーは、現地の不動産会社に勤めるレスリー(ジェニファー・ロペス)と知り合う。彼女の情報をきっかけに、メランダーたちが現地に住み、実は金持ちの婆さんが所有する宝石類を強奪しようとしていることがわかる。……

相変わらず屈強な男を45歳のジェイソン・ステイサムが堂々と演じている。

今回は、アクションシーンだけがウリではなく、ストーリー性もある。アクションシーンだけでなく、人の車を失敬するようなさりげないところにも雰囲気が出ていてよい。

アクションシーンにしてもいろいろ用意されてはいるが、この映画では、パーカーは何度となく重傷を負う。不死身のパーカーと言われるだけに、最後まで生き延びるが、その満身創痍のようすは、今までのシリーズものでは、あまり見られない展開だ。
パーカー自身も、かなりダメージを負いながらも、すぐにまた行動に出る。

レスリー役のジェニファー・ロペスも、43歳にしてグラマラスなボディを披露するが、それはワンシーンだけで、二人の間に恋は生まれない。パーカーには、信頼できるボスの娘クレア(エマ・ブース)がいるからだ。
レスリーのセリフにもあるように、彼女は初めから望みなしの女なのだ。

レスリーは、偽名を使ったパーカーと、パームビーチの土地売買の件で知り合うのだが、離婚後11か月になる彼女は、子もなく、母親と暮らすだけで、おもしろいこともなくカネもなく、実は寂しい女なのである。

徐々にパーカーの正体がわかってくるうちに、パーカーに同情し、最後は、メランダーらの邸宅まで覗きにいく。
少なくとも、パーカーの仕事に協力するから、初めから望みなしのレスリーとしては、せめて少しでも分け前をもらいたいという。

メランダーたちを殺し、宝石を奪うと、パーカーはレスリーに、分け前を山分けにすることを約束して、去っていく。
一年後、レスリーの自宅に札束が届く。

脚本は本線がきちんと敷かれ、それぞれのシークエンスごとにエピソードは挟まり、さらにそこにエピソードが追加されていくというスタイルだ。脚本としてはよっく仕込んでいる。そのため、シンプルな流れだが2時間を退屈せず観ることができる。

カメラも、アクションはもちろん、シーン切り替えも小まめだ。パームビーチに移ってからは、高級住宅街の空撮もあり、昼夜問わずきれいな光景を収めている。
冷や冷やするシーンもあり、エンタメ性もあって、それなりに楽しめる。

主役に女が絡み、そこに恋物語を並行させると、アクションとして台無しになる場合が多い。この映画では、そうせず、パーカーにはクレアがいて、ふだんはなかなか会えない距離にいるが、レスリーにうつつを抜かすということはない。パーカーはどこまでも硬派である。

レスリーの登場じたいが、そういう意味では、この映画では抑制されたキャラクターなので、それだけに、容姿やボディの存在感は必要であり、ジェニファー・ロペスの起用かなと思う。

ジェニファー・ロペスの役どころがちょっと気の毒でもあり、同情してしまう。孤独な心情を語るシーンもわずかだ。しかし、内容からして、そこを拡大するわけにもいかない。

一方、ステイサムのファンにとっては、彼のいろいろな姿や服装を見ることができ、楽しめるだろう。何しろ、ファーストシーンでは、神父様の姿で現れるのだから。

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2013年6月18日 (火)

日本映画学校の問題 (2013年6月18日)

日本映画大の誓約書問題、現場にも当惑広がる/神奈川:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社 http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1306170009/ @KanalocoLocalさんから(全文転載▼▼▼~▲▲▲)

   ▼▼▼
日本映画大学(川崎市麻生区、佐藤忠男学長)が教授らに「学内で一切の政治活動を行わない」とする誓約書への署名を求めていた問題。表現の最先端を学ぶ教育機関であるだけに、現場の映画関係者にも「表現を規制するのか」との当惑が広がった。折しも、政権与党である自民党の憲法改正草案は「表現の自由」の制約とも取れる内容を盛り込む。「堤防が崩れる蟻の一穴にならないか」という懸念の声が、学識者からも上がっている。

 大学によると、誓約書は前身の日本映画学校時代から継承されているという。「政治活動とは、特定の政治団体や宗教団体の考え方を学内に持ち込まないとの趣旨。教育現場の表現の自由を妨げるものではない」と話している。

 だが、現場の受け止め方はそれとは異なる。東京在住の映画関係者は「政治がねじ曲げたものを、元に戻すのが映画」と、映画が元来持つ“政治性”を強調する。「大学には表現者を育てる自覚があるのか。内部から『誓約書はおかしい』と戦う人が出てきてほしいぐらい」

 業界からは、日本映画学校を設立した故今村昌平監督をしのび「反骨の今村監督が生きていれば、こんなことはなかった」との嘆きすらあるという。

 右翼団体から、ある作品の上映中止を強硬に求められた東京の映画館主も手厳しい。「圧力から表現の自由を守るには何ものにも屈しない心が必要。誓約書は表現の自由を捨てる自主規制でしかない」

 同大学では、誓約書への署名を拒否した元非常勤講師が教授に就任できなかった。表現の自由に詳しい神奈川大法学部の池端忠司教授は「研究教育に関わる表現活動や非表現的な行動(経済活動や社会的な活動など、表現を目的としない通常の行為)が、政治活動と捉えられる可能性があった。誓約書に同意しなかったのは、よく分かる」と元非常勤講師に同意する。

 「政治的に無関心な教員が採用されることになり、日本映画大学にとって本当にいいかどうか考えてもらいたい」と池端教授は苦言を呈した。

 改憲に意欲的な自民党の憲法改正草案では、「表現の自由」に関する21条に「公益及び公の秩序を害することは認められない」との新たな制限を付けている。表現の自由の規制が現実味を帯びる中で、今回の事態に危機感を募らせるのが、マスコミ学の立教大社会学部の服部孝章教授だ。

 「誓約書の『政治活動を行わない』という表現はアバウトだ。表現の内容によっては『公益及び公の秩序を害する』とみなされ、拡大解釈される危険性がある。誓約書が蟻の一穴となり、映画をはじめ文学、演劇、新聞などが守ってきた表現の自由の砦、堤防が崩されかねない」と服部教授。今回のケースは、時代の雰囲気を先取りしているようにも感じるという。「表現を学ぶ場であるにもかかわらず、大学はあまりに鈍感」と服部教授は語っている。
   ▲▲▲

『豚と軍艦』『にっぽん昆虫記』『復讐するは我にあり』などで知られる映画監督・今村昌平が、若い映画人を育成しようと、専門学校を作ったのが始まりで、昭和61年に、日本映画学校として小田急線新百合ヶ丘北口に移転した。

この日本映画学校を発展的に解消して2011年に新しくできたのが、日本映画大学である。映画学部のみの単科大学である。敷地もそんなに広くなかったと思うが、各コースにはそれぞれの分野で活躍するプロが集められている。
(日本映画大学 http://www.eiga.ac.jp/

新百合ヶ丘駅は、かつて学校勤めのときの乗換駅でもあり、日本映画学校の建物はよく目にしていた。
三池崇史、本広克行など監督として活躍する者も多く輩出しており、漫才コンビ「磁石」の二人もここの出身である。

佐藤忠男はかねてより映画評論家として有名であり、その該博な知識や批評眼にはあこがれたことがあった。彼は二代目の校長となり、そのまま今の大学長となった。佐藤の名を知ったのは、高校生のころであった。
その佐藤が、誓約書のアイデアを出したのだ。

上は、サヨク新聞がそのツテをたどってサヨクのセンセイたちの言葉を載せているに過ぎないご都合記事だ。双方ともいい気になっているが、映画の表現と、学内に政治活動を持ち込むのとは別の次元の話である。

しかし、それにしても、佐藤は思想的には左であると思っていた。予科練出身で現在82歳であるが、その映画評論は必ずしも、芸術分野としての映画に対する批評というわけでもなかった。

彼は、岩波ホールの支配人であった高野悦子同様、映画後進国であった日本に、世界からいろいろな映画を紹介した。その功績は大きい。
高野が、どちらかといえば、西欧・東欧の映画を発掘したのに対し、佐藤はアジアや、いわゆる当時の開発途上国で作られた映画の紹介に熱心であったといえる。

はっきり言って、およそ映画人には左翼が多い。『松川事件』『戦争と人間』の山本薩夫から大島渚、山田洋次、熊井啓にいたるまで、その信奉するところは左翼思想である。それは、そういう目で作品を見れば、一目瞭然である。

戦後、名を成していく俳優にも多く、滝沢修率いる劇団「民芸」など当時の劇団はほとんど左翼である。「民芸」には、北林谷栄、宇野重吉、樫山文枝、伊藤孝雄など錚々たるメンバーがおり、大滝秀治もそうであった。北林谷栄は非差別部落を扱った今井正監督の『橋のない川』で主演を務めた。『青い山脈』『また逢う日まで』『ひめゆりの塔』『にごりえ』でも知られる今井正は、自ら共産党員であると表明していた。

十朱幸代がマドンナで出る「男はつらいよ」では、博とさくらのアパートの炬燵の上に、岩波書店発行の「思想」が置いてあるシーンがある。左右に関係なく研究者にとっては必読の文献だが、言うまでもなく左翼思想の雑誌である。
ストーリーには何の関係もないが、その表紙がしっかり映っている。実際に読めばわかるのだが、「思想」は専門的な論文で構成されている雑誌で、申し訳ないが一職工に読めるような内容ではない。初めて観たとき、違和感があったのを覚えている。

この学校からは、『悪人』『許されざる者』で知られる李相日など在日の監督も生まれ、在日の生徒も少なからず輩出されている。

佐藤が今頃こうした宣誓を求めるのには、何か理由があるのだろう。年をとって、自民党の実力者だった者が売国行動に走るように、思想的にはその逆だが、それに似たことなのだろうか。
年を重ねてきて、かえって、愛国思想に芽生えたということだろうか。あるいは、本来そういうものが佐藤の心の底流にあって、責任者としての自覚から、そうした毅然とした態度が生まれたのだろうか。

しかし、大学というものが左翼の層を生んだのは歴史的に明らかであり、今でもそういう種火がそこここに残っており、それを案じて、政治的活動を行なうな、と言っているのかもしれない。

教師が授業をほっぽり出して組合の集会に出かけるようなありさまを、映画学校では避けなければならないと思ったのだろう。
もしそうなら、いいことじゃないか。

映画の表現と、校内での政治的活動とは、全く別物だ。観客は、左翼が作ろうが左翼俳優が出ていようが、映画でも演劇でも観に行く。そして、いいものはいいと評価する。人気のある作品は、語り継がれる。

映画人を養成しようと、専門学校から生まれた大学にあって、純粋にその技術を学び、映画の基本を習得する場に、政治的活動はいらないはずだ。

映画という媒体が、サヨクのプロパガンダに使われることを危惧したのではないか。あるいは、政治活動などにかまけて、本来の趣旨を忘れる学生が増えてしまうことを懸念したのではないか。

今後のなりゆきに注目したい。

2013年6月12日 (水)

やはり国旗国歌法の改正は不可欠

以下は(▽▽▽~△△△)、「尼崎市の国旗掲揚条例について」(2012年06月20日22:56)に加筆し、日時などを現在時点に改めたものです。

   ▽▽▽
物事には、形式と内容がある。簡単に言い換えれば、カタチと中身だ。
そのどちらが欠けても不釣り合いで、中身を維持するには入れ物が必要だし、入れ物があっても中身が空では意味がない。

形式は中身と同じく重要だ。社会習慣という形式をみてもさまざまだ。
誕生日や成人、結婚、葬式や回忌など生涯を通じての通過儀礼、入学式、卒業式、入社式、その他世に執り行われる儀式や祭事から、年間を通じての諸行事、そして社会生活における身近な日常のやりとりにまで、形式は大切な手続きである。(これらの起源は皇室にあると思われるが、ここでは触れない。)

国旗掲揚・国歌斉唱は、その行為(カタチ・形式)によって、愛国心をはぐくみ(中身)、またそのきっかけとなり、そうすることで愛国心を証明するものだ。特に疑問もなく国を問わず行われている。ほとんど自明的行為だ。

自国に対し、それができない国民と民族は気の毒だ。
そして本来、これを「改める」という発想は邪道だ。それは起源がきのう今日のものではなく、伝統的に続けられ継がれてきたことだからである。

国旗国歌法は規定法だから、国旗は日章旗、国歌は君が代に決まりました、と宣言したのと同じである。法律としてきちんと規定したのはよかったし、本来、それで充分なのだ。
これはあまりにも当然のこととして、法律にするまでもないという考えもあるが、法律として整備し宣言しておくに越したことはないし、また、この立法には、そうせざるを得ない経緯もあった。

ところが、一時期、国旗の図柄を「改める」とか国歌を歌いやすいように「改める」という動きがあった。学生がチャットしているくらいならバカヤロウで済ませられるが、それを権力をもつ者が複数で言い出すと、ことは別である。
もはやそういう動きは下火になっているから、この法律をその方向に改正して、国旗国歌を改めるということはありえないだろう。

先日お会いしたマイミクさんは、住まいが尼崎で、尼崎市議会にある新政会という会派の発行するリポートのコピーを持ってきた。それによると、この会派では、「尼崎市国旗の掲揚に関する条例」というものを議員提案している。内容としては、

1.本市の施設において、執務時間中に国旗を掲揚
2.本市が主催する式典及び行事における、国旗の掲揚
3.議場での国旗並びに市旗の掲揚

を定めているとのことだ。極めてあたりまえのことばかりだ。
このあたりまえのことが行なわれなくなって久しいということの反省から、こうした提案が議員の間に生まれたのだろう。
おそらく現在まで、こうしたことが行われてこなかったか、不徹底であるとしての提案なのだろう。

市長、教育長は、条例化までの必要性はないとしていたが、一昨年9月の本会議で提案が表明され、その後、条例提案までこぎつけた。
昨年2月の議会で継続審査となり、議会閉会中に委員会審査が行われ、6月議会で、再度審議されることになっということだ。

他にも、税収不足、県内他市に比較して割合の高い生活保護費、県内他市に比較して割合の少ない教育費など、支出間での不均衡の是正という財政上の根本課題をかかえるなかでの条例提案である。

尼崎市をめぐっては、いろいろ問題や懸案があり、それらに拍車をかけるためにも、保守方向に舵を切れるこの条例案を通したいという意向も背後にあるのだろう。

審議のプロセスで、当然、国旗尊重義務や掲揚の意味にも触れると思うが、もし制定の方向に進んでも、罰則をどうするかの問題で必ずもめるだろう。

国旗国歌法は規定法であって、罰則もなく運用法ではない。国旗については、日教組やサヨク、在日など反日分子が損壊や損壊類似行為をしていなければ、改正を叫ぶ必要もなかった。
今となっては、刑法改正による国旗損壊罪の新設にとどまらず、国旗国歌法に罰則や運用まで盛り込むよう改正すべきと思う。

尼崎の条例案には、罰則が入るのかどうかは大きなポイントだ。規定だけに終わり罰則がなければ、上記の三つの実施は、実現倒れになる可能性もある。

市長らがどちらの系統か知らないが、党派にこだわらず、たしかに国旗掲揚は日本の常識なんだから、何も成文化するまでもない、と言うのはごもっともな話である。
ただ、その常識が通用しない人間が市役所内外にいるのであるなら、残念ながら不承不承であっても、こういう条例を作らなければならないのだろう。

初めての内容をもつ条例であり、内容が内容だけに議論は紛糾するだろうが、最初から罰則がなくても、とにかく規定だけされれば、それで充分かもしれない。そういう条例が成立したということのもつ意味は大きいからだ。一度成立すれば、改正を提案することができる。

実際に条例制定となるまでにはいろいろな手続きが必要で、一朝一夕にはいかないだろう。
審議の行方を注目したい。
   △△△

その後、尼崎市では、紆余曲折を経て、対象とする場から学校を除くとする公明党の修正案で可決した。学校でこそするべきであるが、こうでもしなければ法案そのものが通らなかったのだろう。後々、学校を含む、と改正することもできる。

大阪府では、一昨年6月、日の丸掲揚と、式典などで君が代を歌う際に公立学校教職員の起立・斉唱を義務付ける条例が成立している。大阪市では、昨年2月、同様の条例が制定された。宝塚市市議会では、一昨年9月に同様の条例が提案されたが、否決された。
佐賀市では昨年10月4日、議場に国旗と市旗を掲揚する決議を賛成31、反対6で可決している。
議場に国旗を置くかどうかを、いちいち市の多数決で決めなければならないとは、全く驚きである。

しかし、稚拙なこととはいえ、こうした条例や決議が可決されるのはいいことだし、今後もそうあってほしい。
こうした稚拙なおこないをせざるをえないのは、ほとんどの場合、社民党・共産党・民主党の妨害があるからである。

この三つの政党は、中央で勢いがなくなってきたものの、まだまだ地方政治では息絶えていない。
いつまた、国旗を損傷したり、国歌を斉唱せず退席したりする輩が、出てこないとも限らない。

そのためには、各自治体が、国旗国歌法(下記1)の趣旨を汲んで条例制定するのを待つのではなく、国が、国家の責任として、国法として罰則整備をし、改正するべきだ。

不完全かもしれないが、わが一案(下記2を参照してください)を、今年になってから、自民党と官邸のHPに送った。別に、そのとおりにならなくてもいいのだ。こうした声があるということを知ってほしいだけなのだ。

コミュ(下記3)の紹介に書いたとおりで、これが実現するときは、すでに憲法が改正され、祝日の国旗掲揚や、儀式のときの国旗掲揚・国歌斉唱、靖国神社参拝などが、自明的にあたりまえのように、行われている時代になっているはずなのだ。

それまで生きているかどうかもわからないが、とにかく、国旗国歌法の改正は、悲願である。
しかし、上のようなことが、自然におこなわれるような世の中になり、それが定着してきたのなら、改正をするまでもないし、それまでに改正されていたなら罰則規定を廃止してもよいのである。

≪参考≫


国旗及び国歌に関する法律(国旗国歌法)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H11/H11HO127.html


国旗国歌法改正案としての提案
http://futa-forever.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-b3c3.html


国旗国歌法の改正を!(風太・管理コミュニティ)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5955999

国旗国歌法の改正を求める請願書 '

2013年6月 9日 (日)

街中にあふれるシナ語・ハングル文字

英語だけで充分である!

写真は、東京・副都心線・渋谷駅で。

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2013年6月 8日 (土)

映画『普通の人々』

監督:ロバート・レッドフォード、原作:ジュディス・ゲスト、脚本:アルヴィン・サージェント、音楽:マーヴィン・ハムリッシュ、主演:ティモシー・ハットン、ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーア、1980年、124分、原題:ORDINARY PEOPLE

ここに登場する父母と息子三人の家族が、「普通の人々」なのかどうかは、観てからわかることなのだと思う。

イリノイ州の邸宅街に住むジャレット一家は、ほどほどに裕福であり、父・カルビン(ドナルド・サザーランド)、母・ベス(メアリー・タイラー・ムーア)、次男・コンラッド(ティモシー・ハットン)と、一見平和な暮らしをしている。

しかし、家族には、長男を事故で失ったという忌まわしい悲劇が常に、そしていつまでも尾を引いている。

コンラッドは、ヨットでの事故のとき、一緒にいたのに救えなかったという自責の念にとらわれており、何度か自殺を図った形跡もあり、両親の了解のもと、精神科のカウンセラー・バーガー医師(ジャド・ハーシュ)のところに行き、問答によって、治療を試みることになる。

カルビンは、おおらかな気持ちで、妻や息子に接するが、ついついコンラッドの悲しみに理解を深くしようとするため、ベスからなじられている。

ベスは、コンラッドを大事に思いながらも、亡くなった長男の思い出に執着するあまり、コンラッドを疎んじ、カルビンと夫婦二人の水入らずの時を求めようとする。
そして、友人のパーティやゴルフなどに夫婦で出かけながら、常に長男の死と次男への凍りついた感情に支配され、夫といても快い時を過ごせない。…

俳優であるロバート・レッドフォードが監督を務めた作品で、長男の事故死に起因する家族の崩壊を描いた異色の作品だ。

テーマとして重くシリアスであり、一片の笑いなども挿入せず、ひたすら、三人の心の彷徨と葛藤を描いている。
こういうテーマを映画にした動機はいろいろあろうが、揺れ動く家族三人の心理に、充分に入り込んだ脚本と、丁寧な進行によって、好感をもてる作品となった。

ベテラン俳優、ドナルド・サザーランド、メアリー・タイラー・ムーアに加え、登場シーンの多いティモシー・ハットンが、難しい役をこなしている。
何度となく出てくる、コンラッドとバーガー医師の対話治療のシーンは、コンラッドが少しずつ胸の内を明らかにする過程であり、ようやく本来のコンラッドを取り戻していくのに必要な時間・空間である。

コンラッドの友人や、彼らの属する水泳部、彼のガールフレンドとのやりとりなど、周辺に起こる出来事を散りばめながら、彼のもがく姿の変容をも、うまく描写している。

ついに、最後まで、特別な解決をみることなく、お決まりのハッピーエンドではないラストをむかえる。
ハッピーエンドが用意されれば、映画としては単純な創作になるが、あえて、救われないままとすることで、かえってこれが「普通の人々」の現実なのだろうと頷いてしまうのだ。

ファーストシーンはきれいな海が映り、続いて、美しい秋の風景や彼らの住む街のカットが出され、コンラッドたち高校生の合唱風景へと至る。

このすがすがしい光景や、一見何気ない学校のクラブ活動から一転して、コンラッド家のなかは異様であり、その落差が興味深い。

呼ばれてようやく二階からコンラッドが下りてきてテーブルにつく。
元気がないので、父親が朝食は大事だと激励するが、コンラッドは食欲がないという。すると、母親はそのトーストの皿をすぐに下げて、トーストを生ごみ入れに投げてしまう。
内容を知らずとも、始まりにおかれたこの異様な朝の風景に、この一家が「普通でない」ことが誰の目にもわかるシーンだ。
やがて少しずつ、その原因らしきものが、明らかにされていく。

終始一貫して暗い内容であるが、家族を取り上げた映画として、しかも、残された家族がその悲劇から逃れようなく戸惑い、感情をぶつけ合う映画として、あまり類を見ず、大胆な挑戦を試みた作品である。

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映画『街の灯』

監督・脚本・主演:チャールズ・チャップリン、音楽:アルフレッド・ニューマン、1931年(昭和6年、日本での封切は3年後)、86分、モノクロ、サイレント、原題:CITY LIGHTS

昭和6年といえば満州事変の起きた年であり、いつも渡っている御茶ノ水橋が完成した年である。そんな82年前の映画である。
この間、この映画も一時期封印されたが、70年代にリバイバルブームが起きたそうで、それ以降はいろいろなところで観られるようになった。

チャップリンはお決まりの浮浪者(男)で、自殺を助けた金持ちの紳士と友達になる一方、道端で花を売る盲目の娘と出会う。
貧乏なその娘とその年老いた母が、家賃が滞ってアパートを追い出されそうになると、彼は紳士からもらったカネを持って、娘のアパートに行き、家賃と、目を見えるようにする手術代に当てるようにと言い置いて、去っていく。

男は捕まり、半年後に街に出てみると、娘は街角で、立派な花屋を開いていた。母の着ている服もきれいなものとなり、人まで使うようになっていた。
……

喜劇王チャップリンの映画には、ピリっとした風刺や皮肉がこめられているものが多いが、この映画では特に、体制批判も制度批判も出てこない。
むしろ、一介の浮浪者と貧困な娘や老婆とのやりとりを軸に据えることで、人間の思いやりや淡い恋を描いている。

ラストは感動的だ。花屋の前を通った男は、店にいるのが自分が救った娘であるとわかる。盲目であった娘は、それとは知らず、目の前のあわれな浮浪者に、小さな花一輪と、硬貨を一枚恵もうとする。
花は、茎を持って受け取ったが、硬貨には遠慮する男に、娘はその手を取って、硬貨を握りしめさせる。

そのとき、手の感触から、娘は、この男が、自分の恩人であることを知り、あなたでしたのね?、と言い、男は笑いながらうなずく。
そして、さっと終わる。

全く、このラストシーンのためにだけ、娘を盲目に仕立てたのかと思われるほど、感動のシーンである。

無声映画だから、音声は最低限のものしか入らず、言葉が画面に出るときも、限られている。
ストーリーとしても実にシンプルで、大筋をはずさない範囲で、充分に楽しませ笑わせてくれる。

こうした味わい、いま風に言うなら「テイスト」とでもいうものが、こんな昔にすでにスクリーンで披露されていた。
これを日本人が参考にするのはよいが、そのままマネをしても始まらない。
換骨奪胎して、たとえば、伊丹十三や森田芳光のような作品が生まれたとも言える。

笑いも涙も、万国共通だ。ならば、そろそろ言葉だけで語る映画(これは映画とは言えない!)から、映像だけで語らせる映画が生まれてきてもいいだろうに。

アメリカ映画もそうだが、日本の映画も同様で、作り手に、想像力がなくなってきてしまったのではないか。

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2013年6月 7日 (金)

一枚の写真から (2013年6月7日)

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たった一枚の写真で、これほど感激したのは久方ぶりでした。

mixiで、ある方がアップしていた、すばらしい写真です。
さきほどつぶやきに載せました。

この写真を素材に、少し書いてみたくなりました。

カメラマンは、まさにこんな一瞬を撮るために存在するといっていいでしょう。こんな写真を撮れたら、カメラマン冥利に尽きるでしょう。

この男児の表情が、抜群によい。どんな名子役でも、できない表情です。
あたりまえですね。これこそが現実なのですから。

何がしかの悲劇があったのは想像に難くないです。それにしても、写真としては最高の部類に入ります。

画質もかなりよいので、プロが待ち構えていて撮ったのでしょうが、それにしても、最高の部類に入るカラー写真ですね。

(※他の方より、出典が明らかになりました。感謝します。
http://noboddiesfool.blogspot.jp/2009/05/not-forgotten-those-left-behind.html
http://studiolord.blogspot.jp/2011/11/3-easy-ways-to-say-thank-you-to-our.html
これは、イラクのアンバーという州で2007年3月27日に殺された海軍軍曹マルク・ゴルツィンスキーの息子クリスティアン・ゴルツィンスキーで、父の棺にかける国旗を受け取っているところです。)

何がしか言葉をかけられ、つい、思いあまって涙ぐんだのでしょう。
その後涙が流れたのどうかわかりません。

しかし、涙そのものがあったとしても、この一瞬のフォトに、前もって凝縮され、物語が集約されています。
涙がないことで、かえって少年の心に否応なく生まれた悲しみが、ひしひしと伝わってきます。

映画や演劇では、悲しさを伝えるとき、むやみに涙を流しても伝わらないといいます。

学生のころの話ですが、昨年2月に亡くなった淡島千景(あわしま・ちかげ)の出る舞台を見に行ったことがあります。
ストーリーは忘れましたが、ラストに近いところで、愛する者と生木を裂かれる場面があり、そこで淡島は大粒の涙を流していました。
舞台が終わると、一斉に拍手が起こり、淡島その他の俳優陣の名演技を讃えていました。

私は、当時、芝居に関して詳しいことを知りませんでしたが、あの涙は、ちょっとおかしい、と直感的に思いました。

あの女性は、たしかに悲しさの極みにある、だから泣くことはあるかもしれない、しかし、舞台で演技している俳優が、涙を流すというのはおかしいのではないか、と。

もしそのとき、どうして?と聞かれても、答えられなかったでしょうが、自然にそう思ったのです。

演技力を競い、観客にそれを披露する女優が、悲しみを、表情や動きで表わさず、いや、表していたにしても、その本人の涙を出して見せるというのは、芝居として邪道ではないか、そうに違いない、…そして今でもそう思っています。
流れた涙は、演じている役柄その人の涙ではなく、淡島本人の涙だからです。

泣く芝居というのは、役者のなかでは簡単なことで、笑う演技のほうが相当難しいといわれます。だから、すぐに泣けない映画俳優は使えないのです。
ただ、舞台はまた、全く別でしょう。俳優が涙を流すことにより、そのシーンやそれまでのシークエンスが台無しになります。

簡単にいえば、ほんものの女優自身の涙を見せられることで、「非日常世界でありながらそれをリアルに見せようとしている舞台上の世界」が、一挙に、「そのまま日常世界の平面的な延長」となってしまうのです。
これは興ざめです。客席は舞台とは別です。

この少年の写真を見て、そんなことを思い出しました。
舞台でもなく動画でもないですが、同時に、架空のできごとや非日常でもなく、彼の直面したいっときの現実なのです。

芝居がリアルである、というのと違い、リアリティそのものは、脚本も予想もできず、残酷にも、向こうから不意にやってきます。

悲しいリアリティに向き合わざるをえないとき、子供だけでなく、人は切羽詰まった、ある意味、最高の表情を見せます。

津波が襲った街にようやく入った魚の加工会社の30代の青年社長が、廃墟と化した現場を見、死亡した仲間を思うシーンを見たことがあります。
歯を食いしばり、嗚咽をこらえて、茫然と浜辺を見ていました。

この少年の写真から、そんなことも思い出しました。

映像や音楽、演劇と違い、写真には音がありません。
音の作用を受けず、ただひたすら、見入ることだできるのです。

沈黙に、さまざまな音が聞こえる、と言ったのは、マックス・ピカートという哲学者でした。(『沈黙の世界』)

それにしても、みごとな写真です。
これをカラーコピーして、帰りの地下鉄で見ていました。

悲しみのなかに、どこか力強ささえ感じる秀逸な作品です。
本来、職業としてのカメラマンは、これほど奥ゆかしい現実を、見出し、切り取らなければならないのです。
その意味では、本来、芸術家であるはずです。

スーザン・ソンタグの『写真論』を、読み返してみたくなりました。

2013年6月 6日 (木)

映画『アウトレイジ ビヨンド』

監督・脚本:北野武、音楽:鈴木慶一、主演:ビートたけし、小日向文世、三浦友和、2012年、112分、R15+。

この映画のファンには申し訳ないが、見るもみじめな映画であった。
いくつかのシーンに迫力を感じたところと、ロケ設定としていいところがあったので、かろうじてそれだけの理由で日記欄となった。それがなければ、つぶやきで、切って捨てておしまいの映画だ。

前作『アウトレイジ』も同じ感想をもった。その意味では、よくいえば、頑なに方針を変えなかったということであり、悪くいえば、全く反省はないということになる。つづきとして作ったのだから、やむを得ないだろう。
この二つの映画は、全体に評価が高くないのがその証拠だ。
いわば、出る俳優のファンが見れば高評価であるが、そうでなければ低評価になるという、よくあるパターンである。

出演陣は前作同様、独自に主役・準主役をできる俳優ばかりだ。西田敏行、加瀬亮、松重豊、名高達男、光石研、中尾彬、塩見三省、神山繁、白竜、ほかにセリフはないが、高橋克典も出ている。女優の出るシーンは二か所しかない。

以下、映画.comより、概略を引用。
「悪人同士の壮絶な権力争いを描いたバイオレンス映画「アウトレイジ」の続編。関東最大の暴力団組織・山王会の抗争から5年。関東の頂点を極め、政治の世界に進出するなど過剰に勢力拡大を進める山王会に対し、組織の壊滅を図る警察が動き始める。関西の雄ともいえる花菱会に目をつけた警察は、表向きは友好関係を保っている東西の巨大暴力団組織を対立させようと陰謀を企てる。そんななか、以前の抗争中に獄中死したはずのヤクザ・大友が生きていたという事実が持ち出され、突然出所を告げられる。」

続きものでストーリーに改変が加えられることはよくあるので、それは問題ない。問題は今回もやはり、ストーリー展開とカメラにある。

要するに、何をとっても、つまらないのだ。

冒頭にナレーターのようにセリフが入り、これからの展開の前置きとしての情報が披露される。これはよくある手としてやむを得ないのだが、ポイントを押さえて、次々にシーンが移動しないため、あるところでは時空を飛び、あるところでは、ほぼ同じ現在で進む二か所がすぐに語られる。シーンが飛ぶ際にルールがないのも原因のひとつだ。

これはつまるところ、脚本が生煮えであることによる。関東最大の暴力団組織・山王会、といい、その会長の三浦友和といい、言葉の説明だけで、映像からはとてもそれらしきものが感じられない。他の面々も同様である。

大きな屋敷、5分に一度は出てくる黒塗り国産高級車の群れ、そのドアの開け閉めの音、豪華な和室・洋室など、セットそのものは凝りに凝っているが、それだけのことをした甲斐がない。間がなくスポットだけで展開を図るのには限界がある。

主役・準主役が初めて登場するシーンはどんなものか。特に、ヤクザ映画や迫力をもたせる映画の場合、その初登場シーンは大事だ。それがまるで、普通のサラリーマンの登場のようであって重みがない。

言葉づかいが売りの映画というが、種々のヤクザ言葉や隠語での応酬シーンは滑稽なほどにリアルではあっても、その地となるストーリーやことの運びが弱いので、セリフだけが目立って、大人の学芸会みたいである。

終わってみれば、たしかに皆、裏切りを繰り返す「全員悪人」ではあるが、その悪なるものが、映像や演技と結びつかず、やはり怒声を伴う言葉(セリフ)頼みであるので、興ざめとなる。

カメラも同様で、おもしろみがない。人が殺される→殺された者が映る→その光景を見る者が映る、…これでは、しらける。ゆっくりとした横移動はよい雰囲気であるが、これも、ただ繰り返されると意味がない。

バストショットやアップにも、カメラには多少とも効果をもあたせて使い分けるのが、ここではかなりアトランダムである。
カネがかかっているわりには、ムダにするフィルムが少なかったのではないだろうか。カット数が少ないのも、見ていてつまらなくなる原因だ。

カメラの向こうでは、何がしか激しい啖呵が切られたりしていても、カットや編集などの手数を省いたような感があり、映像として仕上がっていないので、おもしろみがない。

この映画は結局、瞬間的なシーンの激しいやりとりや、殺しや殴る行為の現場を見せたがるだけの映画であり、ストーリーも人間の生き様も、放置されたままになっている。あるいは、それでよしとしている。

ヤクザがヤクザに見えず、親分が親分に見えず、醜い関係が醜く見えない。
観終わって思った、いったい、今、何を観たのだろうか、と。

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2013年6月 5日 (水)

映画 『サイコ』 (2013年6月5日)

監督:アルフレッド・ヒッチコック、原作:ロバート・ブロック、脚本:ジョセフ・ステファノ、音楽 バーナード・ハーマン、主演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ジョン・ギャヴィン、ヴェラ・マイルズ、1960年、109分、モノクロ、原題:PSYCHO

それほど懐ぐあいのよくない男サム(ジョン・ギャヴィン)とOLのマリオン(ジャネット・リー)は、昼休みを利用して、ホテルであわただしい密会を済ませたところだ。
マリオンはオフィスに戻ると、ある取引にかかわる4万ドルの現金を、銀行に預金するよう頼まれる。マリオンはそれを横領し、車に乗って逃げた。

途中、車のなかでうたた寝をし、警官に怪しまれるが、中古屋でカリフォルニアナンバーの車を買い、さらに逃走中、夜となり雨も降ってきたので、たまたま目についたベイツ・モーテルに寄った。
ようやく出てきたのは、背の高い爽やかな青年ノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)であった。……

何回か見てきて今また観ると、やや切れ味に欠けるようなところもある。その後この映画の影響を受けた作品が、この映画を乗り越えていったからだ。中でも撮影のしかたにおいて、その後のさまざまな映画制作に影響を与えた作品だ。

しかし、虚心坦懐に久しぶりに観てみても、ヒッチコックの職人気質ともいうべき演出を、随所に見ることができ、サスペンスを見ていながら楽しい気分になってしまう。とにかく芸が細かい。

冒頭に、アリゾナ州フェニックス、12月11日金曜日、午後2時43分と出る。そこから始まる。

ヒッチコックはこの映画までに、サスペンスはだいぶ作っているのだが、女性がひとりシャワーを浴びているという完全に無防備な状況で、一方的に殺されるのと、人間の異常心理を絡ませたストーリーの映画化は初めてで、少なくとも当時の映画界ではセンセーショナルな作品となった。

主役が途中で入れ替わったり、引け目をもつ女性がひとりでいるところを刃物で襲われたり、別人格が乗りうつって行われる殺人などは、ヒッチコックを尊敬するブライアン・デ・パルマの『殺しのドレス』にそっくり受け継がれている。

モテルの受付奥の応接室でノーマンとマリオンが話すとき、ノーマンを下から映すと、背景の天井には鳥の剥製がぶらさがっているなどフレーム内も無気味だが、シャワーの水を下からとらえたり、穴から隣室を覗く目や、血の流れていく排水溝のアップがそのまま死んだマリオンの目のアップに移るなど、当時は予想を超える演出だった。

探偵が階段を登り、切られて転落していくシーンは、見たとおりの合成であるが、こうした撮影方法を大胆に採り入れたのもこの映画の特徴だ。

わざわざビルの外から室内にカメラが入るファーストシーン、警官が車を覗きこむときは横からだが、次に室内からとらえると正面の顔でサングラスをかけているのがはっきりわかり圧迫感が出る。さりげないが、中古屋でマリオンを怪しむさきほどの警官が、道路を横断させてパトカーを乗りこませてくるあたりは、計算されつくした演出である。

後半は、死亡した母親を心に宿したままの二重人格をもつノーマンと、行方不明になった姉を探す妹ライラ(ヴェラ・マイルズ)とサムが主役に変わるが、当初からのノーマンの挙動不審や、どもった話し方、異常な目つきなど、サイコというタイトルにふさわしい展開となり、一気にラストへと進む。

丘にたたずむ薄気味悪い家(これはセット)や、主役の交替となる浴室での殺人シーンなど、カメラのアングル、カット、編集によるサスペンスの盛り上げ方など、こうしたあらゆる試行錯誤がその後のサスペンス映画に与えた影響は計り知れない。

サスペンスは元来、人間の心理にうったえるものでなければならず、それを映像化するには、脚本がしっかり書きこまれていなければならない。

現代でもサスペンス映画は次々に作られているが、より巧妙でおもしろい内容に仕上がっているのは、基本にヒッチコックのベースがあるからだろう。

今から観ると物足りなくみえるのはしかたない。しかし、大金を持ち逃げしているだけでもハラハラ感があり、シャワーでの殺人だけでなく、全編に漂う不安や焦燥感を、カメラのアングルやアップ、細かいカットと編集などで表現したことで、異常心理殺人というサスペンス分野の先駆的な映画となった。

『サイコ』の前に作られた『ダイヤルMを廻せ』(1954年)『裏窓』(1954年)『めまい』(1958年)『北北西に進路を取れ』(1959年)などはカラーだが、こちらは白黒である。映像効果上、故意に白黒にしたのだろう。

バーナード・ハーマンの音楽も、ミステリアスであったり、冒頭のタイトルロールのように、焦燥感を煽るような曲調であったりして、映画の各シーンによくマッチしている。音楽の効果も計り知れない。

この映画以来、美女と時間のある男と刃物の三つが、サスペンスの必要条件となった。ブスと時間のない男と拳銃は、サスペンスにはなじまない。

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批判するのは簡単だが…

帰りの地下鉄でも、ベラベラベラベラのべつ幕なしにしゃべっているのは、だいたい中国人だ。
色彩感覚を疑われるような服装で同じ場面があったら、それは韓国人である。ほぼ間違いない。彼らは夏でも冬でも、平気で黒いズボンなど履いている。日本なら、高校生の黒の制服のズボンだ。

さきほど池袋西口に出たが、赤信号の横断歩道手前でベラベラしゃべり通しなのもシナ人だった。各人が大きなスーツケースを置いて、中年男女が1ダースほどいた、おそらく観光だろう。観光客として日本にカネを落とすなら、それもけっこうだが、郷に入っては郷に従えで、節度を保ってほしいものだ。

官報によると、先月21日につづき、おととい6月3日にも、法務省は多人数の帰化を許可した。こちらは観光客ではない。相変わらず、漢字の氏名ばかりだ、ということは、シナか韓国である。カタカナ書きはひと家族であった。

帰化する人の面々までわからないが、日本の国籍を取得するということの意味を、しっかり認識してほしい。法務省も、帰化条件を厳しくすべきだろう。この中に、悪人はいないと信じたいが、民族性を考慮して、もっとしばりの強い誓約書などを交わすべきだろう。

ところで、ツイッターは常に稼動させており、今月21日以降、つまり参院選ひと月前になったら、自分なりに臨戦態勢に入ろうと思う。マイミクさんでツイッターを稼動している人は多いが、もっと多くの方がツイートにより、情報拡散、リツイート(RT)をしていただいたほうがいいと思う。
フェイスブックも有力であるが、140文字あれば、サイトの紹介から重要事項の書き込みまで可能だし、すぐRTできて、それがまたRTされるのが早いのもツイッターだ。

ひとつのエピソードがある。
先月上旬までいた職場に着任したとき、複数の本棚の配置などは自分が決めた。それを見回りにきたある人物は、それはそこじゃダメだ、と言った。しかし、では、どこにすればよい、とは言わない、言えないのだ。案がないのに、ただ、なんとなく、そこはダメだ、と言っただけだ。

かように、人の決めたことを、ぼそっと批判するのは簡単だ。では、どうしたらいいか、と聞くと、何も言えない場合が多い。
そのときも、ではどういうふうに置いたらよいでしょうか、と畳みかけた。ソイツはしばらく黙っていた。つまり、代替案はないが、ダメだと言っただけである。

本棚についての会話はそこで途切れ、結局、そのままになった。自分なりに、限られたスペースで、小学生や女性の講師の背の高さまで考慮し、子供や大人の動線を考えた場合、過去の経験を活かしてみても、もうそれしかないのである。
それを、ふらっとやってきて、そこに常駐するでもない能無しに、とやかく言われる筋合いはない。
結局、先月まで、本棚の位置はほとんど変わらなかった。

話は飛躍するが、サヨクの連中も同じである。代替案はないのに、言うことだけはご立派だ。代替案を尋ねても、答えられない。説明や理由を問うても、答えられない。それなら、黙っているべきだ。
民主や共産の下部組織から、カネだけもらってこうしてくれと言われ、その日一日が過ごせればよいとする野郎どもに、建設的な議論などできるはずがない。

しかし、こういった傾向は、保守愛国派にも見られる。愛国者には、粋がったがらっぱちも多い。私のアイデアに、それではダメだ、それでは甘い、と乱暴なことばで言ってくる。では、どうしたらよいか、と聞き返す。すると、そこでツイートは終わりになる。

何も、自分のアイデアや考えがよいと自賛するわけではない。もっといいものがあれば、出せばいいのだ。いろいろな人のブログなど覗くと、この人、仕事しているんだろうか、と思えるほど、いろいろな資料を時間をかけて分析している人もいるし、鋭い考えを述べている人もいる。

やっちゃ場のオッサンに愛国者がいてもいい。愛国という一点で同士であるから、こちらもそれ以上のことは言わない。
ただ、批判したりけなしたりするのであれば、自分なりの考えをもって挑んでくるべきだろう。または、あなたのここはいいとしても、ここは効果が見込めないからこうしてはどうか、などと言ってくるほうがよい。

実際そう言ってくる人も多い。そうすると、また、自分でも、案を練り直さなくては、と思うのである。このように、刺激を与え合うような応酬が望むところである。ツイッターでは議論までできないが、よい刺激を与え合うということで、思考が建設的な方向に向かう。

案もなく、ただけなすのでは、ブサヨと同類レベルである。

(※参考:

ツイッターに棲む暢気な愛国者に告ぐ(mixi日記より転載)(2013年4月21日)

http://futa-forever.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-8993.html

2013年6月 4日 (火)

「ブサイク」を定義してみた

「かわいい」を定義したら、「ブサイク」もお願いします、とのことだったので、考えてみました。

ブサイクとは、

人間の容姿について、目、眉、鼻、口という生物器官としての各部分や、それらを成り立たせている眼窩、額、頬、顎の形状や大きさ、色彩、皮膚の状態について、
その医学的機能を無視され、外形のみに関心が向けられ、且つ、静止している状態で、一気に全体を瞬間的に見ることができる場合、

それぞれの部分が互いに必要な程度の牽引関係をもたず、といって、現にそこにあって連動するだけに互いに不必要であるまでにはなり切れず、不完全な関連を保ってしまっているがために、

それら全体を一挙に視野にする者からすれば、
幼少期より刷り込まれた美的価値観を維持しうる許容範囲を、多少とも逸脱し、
部分相互やその集合体である全体に対し、不均衡な印象をもたざるを得ず、簡単には受容しがたく、違和感や、まれに不快感や、逆に愛嬌を覚えざるをえないような顔の造作。

仮にそれぞれが相互に均衡を保っていたとしても、特定の部分それ自体に、同様に許容範囲の度を越して逸脱する形態、色彩、紋様などが認められる場合には、同様の感情をもたらすことが多い。

2013年6月 3日 (月)

「しめやかな激情・戦闘的な恬淡」の根差すところ (2013年6月3日)

しめやかな激情・戦闘的な恬淡(てんたん)とは、哲学者・和辻哲郎(わつじ・てつろう)が、その著『風土』(1935年、昭和10年刊行)のなかで使っている言葉だ。
風土と人間性の形成について、世界の地域について分類したもので、現在でも文庫本などで読める。もちろん、日本人の性質を表わすことを目的に書かれている。しばしば大学のゼミや高校の読書感想文の課題図書にもなる。

日本人の基本的性格には、「しめやかな激情」と「戦闘的な恬淡」が存在すると結論づける。
恬淡とは、さっぱりとして物事に執着しないようす、心安らかにして欲のないさま、しめやかとは、物音もせず静かなさま、をいう。
一見この矛盾した性質を、同時に合わせ持つのが、日本人であるという。

モンスーン的な気候や台風の来襲など、自然というものに対して忍従せざるをえなかったことが、日本人の気質形成に影響しているという。
日本人の特殊な存在の仕方は、豊かに流れる感情がひそかに持久しつつその持久の変化の各瞬間に突発的に激情を生み、突発的な昂揚の裏ににわかにあきらめの静けさをもつこと、と規定できるとしている。

この天才的な直観と調査された資料からして、この指摘はかなり当たっているわけで、特に戦後、多方面の分野に影響を与えた。全く言い得て妙とはこのことだ。

むしろ、この心性そのものが、いろいろな意味で問われているのが、現在の日本だろう。忍ぶことは、日本人の心性としてよしとしても、それが度が過ぎて、相手にナメられたままでは情けない。あきらめも同じことで、死んでもあきらめてはいけないという事態もある。

和辻がこの著書を書いたときからは、大東亜戦争、終戦、戦後の混乱と復興など、予想もつかぬ出来事が起き、さらに時間も刻々と経過しているのだ。

ときどき、ツイッターなどで、こんなことをつぶやく。

「今年は皇紀2673年。ここ、たった70年ほどで、大和の国の民の、意識の底に眠る心性(メンタリティ)が変わるはずがない。国を愛する日本人ならば、必ずや、あるべき正当な選択をする。日本人の心性を信ずる。この魂こそ実は、非・日本人、反・日本人の恐れるものなのだ。」

これについては、ツイッターで、それは甘いのではないか、楽観的なのではないか、とする意見もいただいている。

人間の意識の底には、精神性(mentality、メンタリテ、心性)というものがある。ふだんはそれは覚醒していない。覚醒する必要もない程度のこと、つまり日常生活やルーティーンワークの中では頭をもたげてこない。

ところが、思想的な是非、宗教的な是非、ということになると、とたんに頭をもたげてくる。
精神性というからには(或いは、精神性というゆえに)、それは感情とは多少区別されるものだ。例えば、恋愛感情などとは異なるもので、恋愛のプロセスのように相手の出方でまた変わる、といったものではない。
精神性は「かくあるべき」という根本的にして不変の信念と言っていい。「かくあるべき」には、「かくあらざるべき」も含まれる。

この精神性が、恋愛感情などと異なるもう一つの点は、構造をもっているところだ。好きとか嫌いとかいう感情が大事なのではなく、それらは表面に出た結果であって、そうさせている根っこの部分(根本)があるということだ。根っこの部分、つまり構造に当たるところは、こうだから-こうなのだ、というものの塊(かたまり)としてとらえることができる。

歴史とは、因果の連鎖である。ある原因の結果としてある事象が起きる。その結果はまた原因として、次の結果という事象を生む。逆に遡れば、元の原因はまたその前の原因から生まれた結果である。絶対善も絶対悪もない。

心性を言いながら、そのときどきの歴史を生きる人間を置き忘れたところに、和辻の弱点がある。名著『風土』はあくまで哲学もしくは心理学の本であって、思想への言及を要求するのは無理な注文だろう。

因果の連鎖が、そのときそのときの現在という時点で、凝縮して「そこにある」、それが塊だ。渦を巻きながら、堆積した塊である。これがそのときそのときの人間の心性、つまり心の構造なのである。

和辻は日本人の特殊な性格と言ったが、この話に和辻の話を当てはめるなら、いかなる日本人にも、「しめやかな激情」と「戦闘的な恬淡(てんたん)」の根元をたどると、そこには、歴史の凝縮された根っこが潜在していることになる。

これをそのまま今の日本人に当てはめて、日本人全員がそうであるというのは、これまた随分と楽観的に過ぎると言う向きも多いだろう。
しかし、私が上のようにつぶやいたのは、こうした発想があるからで、こうなるとこれは、どんな国の国民にも言えることになる。

これが著されてから80年近い時が流れ、当時の天皇主権から国民主権へと、大日本国帝国憲法から日本国憲法へと、曲がりなりにも、国のありかたや制度が大きく変わった。戦前以上に、急速に、欧米の文化が入ってきた。知恵のある器用な日本人は、それを加工し改良して、日本人の生活に馴染ませた。子供の身体的成長も早くなり、平均身長体重も増し、寿命も延びた。

しかしそれらは、表面の部分であって、根っこのところまで格段に変化したとは思えない。否、変化してしまっては困るのである。

これはいちいち証明できることではない。和辻の説いたことだって証明などできない。
もしかして、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義という、長きにわたり教え込まれ教え続けてきた日本国のありかたそのものが、日本民族の心性に即応していないかもしれない。
現状の国民主権や民主主義が、日本人の心性に適合しないということになれば、再び天皇主権の国家になっても、それはそれでやっていけるのだと思う。現実に、それを望む声もあるのは、そういう心性の持ち主も多いからである。

こうして、日本人の心性、或いは大和魂は、民族的レベルでことの是非を問うときには、必ずや頭をもたげるものと思っている。それは一政党がどうしたということでもない。日本人の心性からすれば、それは表層のできごとである。

たとえば、憲法改正には多くの賛成もあるが、その支持政党を割合からみれば、二人に一人は保守政党でも、もう一人は支持政党がない。
それでもなお賛成であるということの本質に、やはり日本人たるものを見ないわけにいかない。
たとえそれが、知人友人や選挙運動に影響されたからといって、日本人の選択としてその本質が吐露されたことを否定はできないだろう。

あえて、本物の日本人という言い方をするなら、この本物の日本人の精神性を打ち壊すとすれば、壊そうとする側にすれば、はなはだ厄介で難儀なはずだ。シナ人、韓国人とも、無鉄砲にして野蛮なところもあるから、仮に傷つけ殺すことはできても、心性を無にするということはできない。

移民の多い国や民族のるつぼと言われる国ならともかく、アイヌ・琉球の民族をかかえるとはいえ、大和民族の心性の塊は、そんなに簡単に滅びない、というより、そんなことはありえない。
唯一そして最大の懸念は、むしろ同じ日本人が他の日本人の心性を蝕(むしば)むことだ。彼らは、歴史の凝縮たる塊を、好んで意図的に、喧噪や神経麻痺のさなかに追いやって、日本人の本質たる心性が頭をもたげることを阻み、日本人たる精神性を忘れさせようとする。

こういう観点に立つと、日本人一人ひとりに聞いて歩かなくても、自分のふるさとや自分の生まれた国を粗末に扱い、売り渡すなどということは、ふつうならありえない。
もしそういうことが予想されるときには、日本人固有の精神性が覚醒することになるだろう。日本人が日本を好きであるかぎり、この根本は崩れない。
日本人が日本を嫌いになったり、日本に飽きてきたら、精神性じたいも崩壊するかもしれない。

まさに、その本質的な部分での日本人同士の対決が、とりあえずは次回の参院選の結果として問われている。

残念なことに、保守のなかにおいて、声を上げる人や行動する人は、そうでない人を見下す傾向があるようだ。これはツイッターにおいても顕著である。
声や行動に出せる人は目立つが、そうでない人がみな、何も考えていないというわけではない。

ひとつの勢力とはゲシュタルト(全体の姿)であり、ルビンの壺のように、ある部分があるのは、それをつくっている部分があってこそなのだ。図柄として花瓶が浮き上がるためには、どうしても、向き合う顔が必要である。
同じ保守陣営で、その民衆同士が割れてしまうことを懸念する。それは反対側の勢力を喜ばせるだけだ。

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2013年6月 2日 (日)

在日に、日本が嫌なら帰れ、と言えるこれだけの理由 (2013年6月2日)

在日に、日本が嫌なら帰れという理由。そのきちんとした理由が、ここにあります。
たいへんすぐれた資料ブログです。

韓国による竹島占拠や、戦後、在日がゴリ押しで日本に定着していく経緯が、コンパクトにまとめられています。

⇒http://www31.atwiki.jp/turu_takeshima/pages/16.html
(下の▽から△までにほぼ全文引用。言葉遣いを変えたところもあります。)

軍隊のなかったときの日本に、韓国の横暴がまかり通った。それがそもそもの始まりだ。在日朝鮮人というカテゴリー自体、本来ありえなかった。帰ってもらうのが当然!または、日本国土に残らせてやるだけで、感謝すべき。そのうえに賠償や受給などというのは厚かましいだけ。本来なら、無視するか、せいぜい10年という期限を切って、終わりにすべきだった。
善意や同情の垂れ流しが、今日のヤツらのつけ上がりを招いた。
日本が嫌なら半島に戻りなさい。日本に住みたいのなら、住めるそのこと自体に感謝し、謙虚に平穏に生活していなさい。二者択一です。
いい気になると、民族全体が痛い目に合うことになるだろう。

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1945年(昭和20年)日本が戦争に負けた結果、台湾と朝鮮半島は日本の領土から切り離され、台湾人、朝鮮人は日本国民ではなくなりました。

アメリカの提示したポツダム宣言には、海外の領土を破棄せよ、というものがあります。つまり日本がポツダム宣言を受諾したから、朝鮮は日本から解放されたわけです。

このことから日本国籍を奪った犯人はアメリカであって、国籍を奪うことが悪であるというのならポツダム宣言そのものを否定することになります。

日本は1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効により、

「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(法律126号)に基づき、

「日本国籍を離脱する者(旧領土出身者)で、昭和二十年九月二日以前から日本に住むものは、引き続き在留資格を有することなく、日本に在留することができる」としました。
問題なのはその時期です。

サンフランシスコ講和条約が発効された頃は、朝鮮半島は朝鮮戦争の真っただ中でした。
戦火を逃れ、また朝鮮半島で生活していくことへの不安から日本に渡った朝鮮人の密航者たちがいて、彼ら密入国者たちは「出生を誤魔化して」多数在留資格を得たとされているのです。
その時歴史が動いたならぬ、その時民族が動いたってところでしょうか。
その13年後、1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」を結ぶことになります。

それを有利に進めるため韓国はなにをしたと思います?

なんと竹島を武力で侵略したのです。

1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視した「李承晩ライン」という領海線を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹島を韓国領土だと主張してこれを占領しました。

竹島周辺で操業をしていた漁船328隻が拿捕され、3929人もの漁師が抑留されています。その期間は、1965年の李承晩ライン廃止まで13年間もの間です。拿捕時に銃撃や追突を受け、44人の死傷者も出ています。

つまりその人たちを人質にして、恫喝まがいに「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」の交渉を有利に進めたのです。まさに暴君そのものです。

しかも日本の刑務所に収監されていた韓国・北朝鮮の犯罪者472人の釈放と、在留特別許可という例外措置まで、日本に認めさせたとうのです。
本来なら戦争になってもおかしくないほどの犯罪行為です。

しかし当時、戦争に負けた日本には軍隊はありません。
ちなみに自衛隊の前身、警察予備隊が誕生したのがまさにこの頃です。
朝鮮戦争で忙しくなった在日米軍の代わりに、日本国内の治安維持を担当します。

アメリカの統治下にあり軍隊がない、日本が刃向かわないとわかっているからこそ、韓国はこんな暴挙に出ました。やりかたが卑怯です。

韓国が竹島を侵略したのもそういう状況が背後にあります。
李承晩は戦勝国を自称して、対馬、竹島、波浪島(実在しない島)の割譲を日本に要求しましたが、日韓併合が合法とされ、戦勝国入りも割譲要求もアメリカから拒否されました。
すると彼は日本が手を出せなかったのを言いことに日本から竹島を強奪したということです。

世界から卑怯者と非難されても致し方ない行為を、自国のみの利益のために、日本を踏みにじってまで、他虐史観のもとに実行したのです。

「日韓法的地位協定」によって、在日はその子孫にまで永住許可を得ることが出来るようになりました(協定永住)。

ただこれは韓国国籍を取ることが条件だったため、1981年特例永住によって、朝鮮籍のものにも一律に永住許可が与えられてしまいました。

そしてさらに1991年、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(入管特例法)が定められ、すべての在日が特別永住者として認められたのです。

まとめると…

①1952年(昭和27年)サンフランシスコ講和条約発効

これにより、昭和二十年九月二日以前から日本に住むものは、引き続き在留資格を有することなく、日本に在留することが出来るようになる。

②1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視し、「李承晩ライン」を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹島を韓国領土だと主張してこれを占領。

③竹島周辺で操業をしていた漁船328隻が拿捕され、3929人もの漁師が抑留。その期間は、1965年の李承晩ライン廃止まで13年間。拿捕時に銃撃や追突を受け、44人の死傷者を出す。

④拿捕した漁師を人質に取り、「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」の交渉を有利に進める。

⑤13年後、1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」が結ばれ、その結果、在日韓国人に無条件で子々孫々永住が出来る資格が与えられる。

つまり、もともと、在日コリアンが日本にいられる正当な理由はない。ただの外国人だ。旅行者でもなく、仕事で滞在するのでもない。

本来なら、存在してはいけないはずの在日コリアンがこの日本に65万人もいることが問題なのだ。

この事実を知れば、日本人の誰もが在日コリアンの居住を認めないはずだ。

ましてや、不当な理由で日本に居座り続ける在日に参政権など付与することはとんでもないこと。居住するならするで、しっかり働いて、生活保護受給などは禁止すべきだ。

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こういうわけで、本来はありえない在日が、それでも日本領土にとどまりたいというのなら、それが3世だろうが4世だろうが、

日本に感謝しながら、
日本の生活習慣にしたがい、
法律やマナーを順守し、
平穏に暮らす

しかないわけだ。

それができないなら、出て行ってもらうしかない。子供でもわかる道理だ。

<追記>

日韓法的地位協定は失効しても、間断なく「入管特例法」が制定されたので、在日の人間は、なし崩し的に、永久に日本にいられる資格を得てしまいました。この法律によって日本に定住する在日を、特別永住者と呼びます。(以下ウイキペディアより)彼らには多くの優遇措置がとられています。

特別永住者とは、平成3年(1991年)11月1日に施行された日本の法律「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」により定められた在留の資格のこと、または当該資格を有する者をいう。厳密に言えば「資格」であって「権利」ではないのだが、社会通念上両者が混同されているので、この資格は特別永住権とも呼称されている。

米国戦艦ミズーリ艦上での日本の降伏文書調印日(昭和20年(1945年)9月2日)以前から引き続き日本内地に居住している平和条約国籍離脱者(朝鮮人(韓国人)及び台湾人)とその子孫を対象としているが、実際には朝鮮、韓国系の特別永住者には戦後の密航者も多く含まれる。

第二次世界大戦後、日本の領土下にあった朝鮮は連合国に分割占領され後に韓国・北朝鮮として独立し、同じく日本の領土下にあった台湾は中華民国に復帰された。それによって、これまで日本領土下のもと日本国民とされたこれらの人々の国籍についてどうするかが問題になったが、日本では単純に日本国籍を喪失する政策がとられた。日本政府はこのうち、日本に在住している(戦前まで日本国民の一員として日本で生計を立てていた)これらの地域出身者に対する救済措置として、「かつて日本国籍を有していた外国人」を特別永住者、それ以外の外国人を一般永住者と区別した。旧植民地出身者の扱いについては、ドイツは選択制としたが世界的には重国籍が一般的である。

平成23年(2011年)末時点での特別永住者の実数は、前年より1万23人減少し38万9083人である。国籍別では「韓国・朝鮮」が99%とほとんどを占める。大阪・兵庫・京都の近畿3府県に約45%が集中する。

日系2世ハラダ・ウメノ(原田梅乃)の話 (2013年6月2日)

現地時間1941年12月7日正午ころ、ハワイ諸島ニイハウ島で養蜂業者を営むハラダ・ヨシオとウメノ(原田義雄・梅乃、当時39歳・33歳)夫妻は、住民たちに通訳のため呼ばれた。とにかく、飛行機が降りてきて、中で一人の人間が気を失っている、と。どうも、日本の軍人と戦闘機らしい…。

不時着していたのは、西開地重徳(にしかいち・しげのり)一飛曹(海軍一等飛行兵曹)(当時22歳)の乗る零式艦上戦闘機(ゼロ戦)であった。西開地は、真珠湾攻撃のため、第二波攻撃隊として空母飛龍から飛び立ち、ハワイ上空で銃撃され、万一の場合に不時着せよと言われていたニイハウ島に決死の不時着をしたのであった。飛龍ではすでに自爆認定されていた。

不時着地のいちばん近くに住むハワイ人カレオハノは、日米の緊迫したようすを知っており、日本軍と知り、西開地が気を失っているとき、彼の拳銃や書類などを奪ってしまった。最初に通訳役として呼ばれた日系人シンタニ・イシマツは、西開地に対して敵対的な態度を示し、らちが明かなかったので、次にハラダ・ヨシオが呼ばれたのであった。

ようやくその夜、ハワイの島民は日米開戦を知り、その発端がオアフ島の真珠湾ということも知った。ニイハウ島はロビンソンという人物の所有であったが、米軍が島の間の移動を禁止していたので、原田らが事態に対処せざるをえなかった。

西開地は原田夫妻を信用し、銃や暗号文や地図などの入った書類を奪われたことを話し、原田もそれに協力することにし、すぐ実行に移した。カレオハノはどんな手段をもちかけても奪ったものを返す見込みがないため、二人は実力行使に出た。カレオハノは家族に盗品を預け、住民らとボートに乗り込み、ロビンソンのいるカウアイ島に向かった。

二人はそれとは知らず、カレオハノが見つからないため、その家に火をつけ、零戦にも火をつけた。軍人として、敵側に戦闘機を残すことは、厳に禁じられていた。結果的に、西開地から国軍の情報が漏れることはなかった。

13日朝、二人は住人の妻を人質に、その夫に、カレオハノを探しださなければ妻を殺す、と迫るが、ちょっとしたすきに、二人とその夫婦が撃ち合いとなり、西開地は死亡し、それを見た原田も、その場で自殺した。

日系アメリカ人といえども、日本軍の味方をした原田の行為に、ハワイの住民たちの目は冷たかった。原田梅乃は西開地をかくまったとして国家反逆罪に問われ拘束され、2年9ヶ月の収容所生活を送る。
出所後の生活は楽ではなく世間の目も厳しかったが、3人の子もあり、洋裁などの仕事を細々と続け、何度も自殺を考えるなか、人生を生き抜いた。

昭和43年、西開地の弟が、カウアイ島に移った梅乃を訪れたとき、梅乃のいとこが、この人(梅乃)はあんな事件に巻き込まれたがために、随分苦労した、と遠回しの皮肉を言ったが、梅乃は、そういうことを言うものではない、と制したとのことだ。

昭和30年に、愛媛県今治市の西開地の実家に、初めて届いた梅乃の手紙には、このようにあったという。(新仮名遣いに改変)

「…わずか一週間のお知り合いでしたけど、とても印象づけられ、特に原田はとても仲良く、深く語り合い、共に戦い、手に手を取って、長い旅路へと立たれました。その間とてもご満足に見受けられました。…」

原田夫妻の選択の意味は何だったろう。ハワイにわたり、農業を生業(なりわい)としながらも、やはり根本にある日本人の血が騒いだのか。命がけの仕事をし意識不明のなか大事なものを奪われた若い軍人に同情したのか、そのへんは確かめようもない。

他界した人間に、いまさら何も問えないが、日系アメリカ人といえども、日本の若い軍人に対し、日本の心をもって接した原田夫妻のような人々がいたからこそ、極めて緊迫した戦況のなか、いわば不祥事を起こしてしまった西開地も、彼らにすべてを打ち明けたのだろう。

真珠湾攻撃のあと、日系アメリカ人の多くは、日系というだけで仕事も住居も奪われ、アリゾナ州などの強制収容所に幽閉され、不便な生活を強いられる。しかし、やがてそこからも、祖国をアメリカとして、多くの日系アメリカ人志願兵が太平洋に向かうことになるのである。

2013年6月 1日 (土)

「かわいい」を定義してみた

かわいい とは、

それ自体がそれをかかえる背景全体に対し明確に区別される優越的一部分を構成し、相対的に、面積として小さく、時間経過として短く、重量感として軽く、一部または全体に曲線または円に近いシルエットを含み、単色または淡い色彩からして純潔無垢なイメージを想起させ、そのため不特定多数の視線が注がれる可能性をもち、そうした特徴から、脆弱なイメージを伴う客体として突如現れたような錯覚をいだかせるため、反射的につい手をさしのべて守ってあげなければならないと思い込ませ、最初の印象において受動的追従的付随的価値を任意に付与してしまわざるをえなくするような、実体としての存在であるだけに、支配可能と思わせるようす。

かわいい小鳥とは、

それ自体がそれをかかえる背景全体に対し明確に区別される優越的一部分を構成し、相対的に、面積として小さく、時間経過として短く、重量感として軽く、一部または全体に曲線または円に近いシルエットを含み、単色または淡い色彩からして純潔無垢なイメージを想起させ、そのため不特定多数の視線が注がれる可能性をもち、そうした特徴から、脆弱なイメージを伴う客体として突如現れたような錯覚をいだかせるため、反射的につい手をさしのべて守ってあげなければならないと思い込ませ、最初の印象において受動的追従的付随的価値を任意に付与してしまわざるをえなくするような、実体としての存在であるだけに、支配可能と思わせる小鳥

であり、

かわいい花とは、

それ自体がそれをかかえる背景全体に対し明確に区別される優越的一部分を構成し、相対的に、面積として小さく、時間経過として短く、重量感として軽く、一部または全体に曲線または円に近いシルエットを含み、単色または淡い色彩からして純潔無垢なイメージを想起させ、そのため不特定多数の視線が注がれる可能性をもち、そうした特徴から、脆弱なイメージを伴う客体として突如現れたような錯覚をいだかせるため、反射的につい手をさしのべて守ってあげなければならないと思い込ませ、最初の印象において受動的追従的付随的価値を任意に付与してしまわざるをえなくするような、実体としての存在であるだけに、支配可能と思わせる花

であり、

かわいい子とは、

それ自体がそれをかかえる背景全体に対し明確に区別される優越的一部分を構成し、相対的に、面積として小さく、時間経過として短く、重量感として軽く、一部または全体に曲線または円に近いシルエットを含み、単色または淡い色彩からして純潔無垢なイメージを想起させ、そのため不特定多数の視線が注がれる可能性をもち、そうした特徴から、脆弱なイメージを伴う客体として突如現れたような錯覚をいだかせるため、反射的につい手をさしのべて守ってあげなければならないと思い込ませ、最初の印象において受動的追従的付随的価値を任意に付与してしまわざるをえなくするような、実体としての存在であるだけに、支配可能と思わせる子

である、となる。

(^^)/

ヨナ抜き・全音階、それぞれのよさ~「栄冠は君に輝く」と「恍惚のブルース」の比較

交響曲や協奏曲、室内楽も聴くのだが、短い時間ですばらしい曲を聴きたいとなると、限られてくる。
「G線上のアリア」や「パッヘルベルのカノン」など定番曲や、ヘンリー・マンシーニなどのムードミュージックもいいが、やはり日本の歌に戻ってくる。

軍歌も行進曲も好きだが、文部省唱歌や童謡もいい。小さいころから折にふれ耳にしてきた曲は、いつでも思い出せるものだ。

そうした曲のなかに、「栄冠は君に輝く」と「恍惚のブルース」もある。
どちらも大好きな歌であるが、つくりはだいぶ違う。ジャンルが異なることを言うだけではない。旋律(メロディー)に大きな違いがあるのだ。
しかしそれでも、それぞれに感動を呼ぶ。

ヨナ抜きとは、西洋音楽の音階のうち、ファとシを除いてできる楽曲のことである。
長音階でハ長調だと、全音階はドレミファソラシドだから、ドから数えて4番目のファと7番目のシを抜いて作られた旋律は、四七(ヨナ)抜き、となる。
音楽用語でいえば、主音(ド)・属音(ソ)があるのに、下属音(ファ)がないということだ。

七つのうち二つを除くと、残るのはドレミソラだけである。それでも、オクターヴや音程、リズム、強弱などを付けることにより、バラエティに富んだ曲が生まれる。
驚くことに、スコットランド民謡を元にした「蛍の光」もヨナ抜きである。

日本では、演歌はそのほとんどがヨナ抜きでできている。短調のものはヨナ抜き短音階になっている。
楽譜をイメージできる人は、演歌の音を追ってみるといい。

このヨナ抜き音階、特にヨナ抜き長音階は、安定して落ち着いた情緒を表しやすいといわれる。ゆったりとして、聴いていて聴きやすく、これは覚えやすいことにもつながる。
音は五つであるのに、星の数ほどの曲が出来ているのだ。

ファとシは、ピアノの鍵盤からわかるように、ファはミの半音上がりであり、シはドの半音下がりである。どちらも半音であり、半音というのは不安を誘う。
その音を使わないのだから、常に安定感があり陽の気分に浸っていられる。
長音階はもともと安定感があるわけだから、ヨナ抜きになれば一層それが強調され、幸福感をあらわす歌詞などにはぴったりだ。

実際に歌われる場合でも、音が二つ少ない分、声域はだいたい決まっているから、同じ音が何度も出てこざるを得ず、そうなると、一音一音に対する感情表現が豊かになる。
逆に必然的にそうならざるを得ないので、それだけに演歌歌手はその表現力がなければ、歌手とは言えず、こき下ろされてしまう。

演歌のうち、メロディーもわかりやすい例として、青江三奈のデビュー曲にして大ヒット曲「恍惚のブルース」を挙げておこう。浜口庫之助(はまぐち・くらのすけ)の作曲で、大好きな歌だ。

この曲は、ヨナ抜きの上、さらに付点八分音符や三連符を用いて、聴き手の気持ちをいざなうことに成功している。

さて、時代は遡るのだが、このヨナ抜きを考慮していないのが古関裕而(こせき・ゆうじ)の曲である。戦後の「栄冠は君に輝く」を挙げておこう。

ヨナ抜きでない、ということは、全音階である。ドレミファソラシドを全部使う。西欧音楽の音階でふつうにつくるのだから、ヨリ簡単ではないか、というのは、専門家からはおそらく、素人談義として切って捨てられるだろう。

交響曲の作曲とは違い、歌詞があり、それをヒットさせなければならない使命を帯びた作曲者は、それなりにメロディーをくふうしなければならない。

その上、注意深く聴いてみればわかるのだが、ファとシがむしろ、曲想の転換点で、重要な役割を担わされているのだ。ファとシは不安定な音であり、その前後を行き来されると、あたかも心がたゆたうようである。
そこだけ抜き出したら短音階である部分に、すぐ長音階をつなぐことで、迷いや不安から、安心感や決心へと導くのである。

浜口庫之助は、わかりやすいメロディーを、しかも繰り返し登場させることで、その曲を覚えやすくし、数々のヒット曲を生んだ。島倉千代子の「人生いろいろ」などは、その最たるものだ。

古関裕而の曲には、多くの場合、短音階と長音階のせめぎ合いが見られる。ヨナ抜きでは出てこないファとシが、むしろポイントになっている。
彼の心の葛藤が、戦前戦中戦後を通じ、その旋律に現れたとみるのは、深読みであろうか。そうした傾向は、「長崎の鐘」などにも顕著である。

それにしても、古関のメロディーには気品がある。
曲想における気品とは、短音階やファやシをくぐり抜けたところにこそ、ようやく表れるのかもしれない。
日本人は、この気品ある旋律に魅了された。

それぞれの曲の下に、その主な特徴を書き出してみた。

演歌の三連符は、上がったり下がったりのときを含め、ゆっくりしたメロディーで流麗なイメージが起こり、二つの音でミ→レ→ミのように隣の音との三連符や、4音以内の三音の組み合わせであれば、音の飛びが少なく、歌いやすくなる。
また、ミ→レ→ミやソ→ミ→ソのように、最初と最後が同じ音である三連符であれば、そこに「揺れ」が生まれ、音程が開かず、転がすように歌うことができる。歌いやすさの秘訣である。

「栄冠は君に輝く」

作曲:古関裕而
1948年(昭和24年)発表、レコードは翌年7月発売。

https://www.youtube.com/watch?v=A3pd2U_6Fxk

ファとシを多用する。つまりヨナ抜きでない。
4音飛びが多い。例:レ→ラ、ソ→ド、シ→ミ
安定音ミへの多用。例:ソ→ミ、ド→ミ
短音階でゆすぶり、すぐ長音階につなげて安心させる。
歌詞該当部分:全20小節。8・2・6・4で、2の部分は独立し、その後2+4を一挙に結合している。
付点8分音符と・16分音符の組み合わせと、アクセントを置いた四分音符を、使い分けながら多用。
三連符は伴奏部分に多用。

「恍惚のブルース」 

作曲:浜口庫之助
1966年(昭和41年)6月、レコード発売。

https://www.youtube.com/watch?v=yDc4rQ9EMQM

演歌に多いヨナ抜き。ファ・シを使わない。
短音階でゆすぶり、すぐ長音階につなげて安心させる点は共通。
歌詞該当部分:全14小節。8・2・4で、2の部分は独立している。
付点8分音符・16分音符の組み合わせと、三連符を、使い分けながら多用。三連符は伴奏部分にも多用。

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