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2013年3月24日 (日)

陸軍伍長岸田盛夫~その血書と遺書

岸田盛夫伍長は、第六十四振武隊の隊員として、昭和20年6月11日、特攻隊として沖縄に向かい、散華している。振武隊というのは陸軍である。

大正13年、京都に生まれ、少年飛行兵第13期で、10年先輩の渋谷健一大尉の僚機として万世飛行場より九九式襲撃機で出撃し、沖縄本島付近で、米船団に突入した。満二十歳であった。その後、四階級特進で少尉となった。

万世飛行場は、幻の基地と呼ばれた陸軍の秘匿飛行場であった。今の鹿児島県南さつま市加世田にあった。薩摩半島吹上浜の松林を切り開いてできた基地である。
ここから20km離れた知覧は有名だが、万世からも多くの部隊が出撃した。そのほとんどが十代から二十代の若者であった。

知覧は大刀洗陸軍飛行学校の分校として設備も整い、米軍の地図にも載っていた。特攻部隊増援のため、敗色濃くなった昭和20年3月に、急遽つくられたのが万世基地であった。
そのため、滑走路などは充分に地ならしをする余裕もなかった。また一般の軍隊にも機密として扱われたため、同じ陸軍でさえ万世のことは知り得なかった。
今でこそ、万世特攻平和記念館ができているが、当時は限られた関係者しか知らず、同年7月末までしか使われなかった、まさに幻の陸軍基地であった。

苗村七郎氏編著の『陸軍最後の特攻基地-万世特攻隊員の遺書・遺影-』より、岸田盛夫の血書・遺書を紹介します。
文字は本人の書いたままです。

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<血書>

天皇陛下 萬才
必死轟沈

     岸田

<遺書>

   悠久の大義に生んとして

唯今より大君の御為に敵の船団を求めて攻撃に向わんとす。長の御世話感謝の外なし、御父様御母様決戦下愈々身体に注意されて増産に御励み下さゐ。
姉さま短い間の姉さまでしたがありがたう。峰山の伯父様にもよろしく、久次の春枝姉さま昌代ちゃんを大切に、盛夫は死しても国家隆昌の中に生きて居ます。しっかり増産に励んで下さゐ。
鈴ちゃん睦ちゃん和ちゃん宣ちゃん、兄さんは唯今より、天皇陛下の御為に攻撃に出ます。元気でしっかり勉強して下さゐ。兄上には便りのせんなきも誓って我守る。
国家の隆昌の中に永久に生くかなしみあるべからず。
喜び勇み元気旺盛出発す。さらば。

若櫻 異境の空に 果つるとも
 守らで止まむ 大和御国を

<遺書>(※6月11日付の新聞に墨書で残したもの。この日は岸田の出撃の日であると同時に散華した日でもある。朝刊に書き残したのだろう。)

何モ出来ザリシ我御許下サイ
陛下ノ御為我最大ノ力ヲ発揮シマス

◎若櫻 異境の空に 果つるとも
  守らで止まじ 大和皇国を
 
      岸田盛夫

<遺書>

思ひ出すのは幼い頃の
 母の背中よ 水色星よ
蛍飛ぶ飛ぶあぜ道の
 遠い祭の笛タイコ

思ひ出すのは兄弟けんか
 父に叱られ 小藪のかげに
我が家なつかし思ひ出の
 呼んだやさしい母の声

思ひ出すのは門出の朝の
 母のあのかお 小さい姿
ふった日の丸思ひ出の
 手柄立てずに死なれよか

<遺書>

俺には靖国神社に弟が待ってゐる。
道案内は弟に頼むんだ。羨ましかろう。

(※予科練にいた弟は昭和19年12月に戦死している。)

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岸田盛夫隊員については、小学校のときの恩師に宛てた手紙も紹介されています。
伊崎ウメという恩師に宛てた手紙で、家族など身近な者以外への手紙があるというのは、そんなに多いほうではありません。一枚の巻紙に、大文字の血書から書き始めています。

出撃前夜と書いてあります。特攻隊員が出撃前夜に、恩師に手紙を書いている…まさに、仰げば尊しの世界ですが、本来教育とはこういう姿をしていなければならないと痛感します。

そして、恩師に手紙を書いた岸田隊員の心中を思うと、察してなお余りあるものがあります。
文字は本人の書いたままです。〇〇のところは二字不明です。血書以外は墨書です。

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<血書>

伊崎先生へ

大君の御楯となりて征く我は
空に散り行く 若櫻花

<遺書>

先生

過ぎし数年の間色々と御世話下されありがたう御座居ました。
唯今岸田男子一生栄ある特別攻撃隊員の命を受け、唯今出撃致します。今我が気持喜びと感謝で一杯です。此の世に男として生を享けたるる此の上なき喜びで胸一杯です。

過ぎし小学校の二年三年時代が眼前に彷彿と回りどうろの様です。

二年の時でしたか劇をせよと云われていやがった。我亦先生と一緒にスキーを練習した日、元気一杯運動場をかけ回った日、遠足の日、山登りの日等様々な想ひ出のかずかずです。見事に咲いた桜の花もいさぎよく散って行きました。大和男子の姿此処にあり。

私も見事敵艦に体当りを敢行、鬼畜の艦兵共にあの世の道ずれとして行きます。愉快愉快此の上なし四月十六日最後の別れに帰省致しました。先生にお会ひして御礼に参上致すべく考へて居ましたが、留守の為後に心を残しつつ任務につきました。一回漸く成長せし姿を見て戴き安心して戴きたかったです。田中富男君一人のみ同級生は残って居ました。

而し我等今肉体はほろぶとも生命は永遠に生きて皇国を守らん〇〇と共に生きて行きます。そして永遠に栄ゆべき皇国を守って行きます。

どうか十分身体に御注意されて、御教育に御専心下さい。
乱筆にて最後の便り、失礼致します。

出撃前夜 振武隊

                陸軍特別攻撃隊渋谷隊員

                   陸軍伍長 岸田盛夫

先生へ

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最期の「出撃前夜 振武隊」と「先生へ」は大きく書かれています。

以上が封に入れられ、京都府中郡に住む、伊崎ウメ宛て出されています。
封書の裏には、

    特別攻撃隊
      渋谷隊
                
        岸田盛夫

と書かれています。

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