2016年12月 3日 (土)

去勢された日本的大義を取り戻すために (平成28年12月3日)

三島由紀夫によれば、戦後制定された現憲法には、日本人の魂が盛られていない、ということになる。そのとおりだ。

三島は、この憲法が、実は、日本人の魂に対しては大いなる制約をもち、人権尊重以上の理念を日本人にもたせないように縛り付けている、と鋭く指摘した。

この指摘はまさに卓見であり、憲法の三大原則を、子供のころから教えられ、また、教師になって何の疑問ももたず生徒に教えてきた身としては、大いに自己反省しなければならないと痛感した。

現憲法の大原則は、今でも変わらず、国民主権主義、基本的人権の尊重、平和主義の三つの柱である。

戦争を反省し、日本を平和国家にするという名目の陰で、米国は日本に憲法を制定させたが、それによりわれわれ日本人は、人権や自由であることを保障されたかに見える一方で、その実、古来より綿々とつづく日本人の魂なるものを去勢されてしまった。

現憲法下では、ヒューマニズム以上の国家理念というものを持たないということに、日本人は非常に苦しんでいる、と三島は説いた。しかし、心ある日本人は、少なからず、戦後間もなくから、きっとどこかで、米軍に知られぬようにして、その魂を解き放そうと、試行錯誤を繰り返し、もがき続けてきたに違いない。

ヒューマニズムとは人道主義のことである。人道主義の根本には、人命尊重主義の考えがある。
人命はもちろん尊いものであり、二つとないものだ。不用意にそれが消えていく状況は、社会的にも許されない。

しかし、ヒューマニズムは万能ではない。一分(いちぶ)の例外もなく、ただ生命あるゆえ、これを尊重しなければならない、というのであれば、日本人の魂は、そこにおのずから、制約を感じることであろう。

ヒューマニズムの強制のもとでは、人を殺してはならぬ、自ら命を絶ってはならぬ、人のために生命を犠牲にしてはならぬ、…といった具合に、いかなるときにも、いかなる場合にも、いかなる職業の人々も、自他ともに、まずは人命を尊重しなければ「ならなくなった」のである。

災害や不慮の事故、強盗や通り魔事件において、人の命が奪われることは、いかなる主義主張・信条・信仰に身を置くとしても、望ましいことではないだろう。
こうした事件の被害を防ぐようにするのが人命尊重主義なのではない。それは、一行政の任務に過ぎない。

問題は行政のありかたといった表層のできごとではない。
日本人の魂という唯心論的なものである。
だから、これはまた、soul とか mind とか mentality などという西洋単語に置き換えられるような単純なものでもなく、ニュアンスも異なる。

人命尊重には一理あるものの、人命尊重主義というヒューマニズムが、「魂を持たぬ」日本人を増殖させ、日本人固有の精神の翼を捥(も)いできたことも事実であり、それが問題なのだ。
そして、「持たない」が、いつの間にか「持てない」に変化することが、恐ろしいのである。それはもはや、飼いならされた愛玩動物に等しい。

非常にごく最近ではあるが、「持てないことはないだろう」と、一部の日本人が目覚める方向になってきているのはうれしいことだ。

人命尊重主義が、社会の究極の摂理になってしまえば、外形的にも内面的にも、武士道は認められることはなくなる。むしろ、それは、異端であり狂気であるとレッテル貼りされる可能性もある。

絶対的人命尊重主義の考えは、極めて西欧的な「平和思想」に根ざしている。これは、宇宙倫理にかなうものでもあり、それだけに普遍性をもつ。その普遍性は、他方でまた、得てして侵略性を伴う。
平和は人倫にかなう、だから、それをあなたの土地にも広めたい…これが侵略の真実である。宗教や左翼に見られる折伏(しゃくぶく)も、これに似ている。

この「平和思想」は、武士道とは真っ向から対立する。武士道は、そもそも、常日頃におこなう「戦いの準備」だからだ。

武士道は死んだかに見えるが、脈々とつづく日本人の血というものは、そんな簡単に、「他人の血」に変わりうるだろうか。

血というものは、本来、排他性を帯び、同じ血同士で結びつくのではなかったか。
国際化というものにしても、良きことなり、という暗黙の絶対的性善説は危険である。「他人の血」との融合は、良きことばかりではない。

三島は、今でも一部の動画で見られるが、戦後民主主義体制において、大義という考え方は消えてしまったが、これは、民主主義が大義を必要としない国家形態であるから、無理もないことである、と言っている。

武士道の根幹には、大義がある。武士道における大義とは、誰かのために自己を犠牲にする、という考え方、あるいは、信念、あるいは、生き方そのものである。

天皇主権のもとでは、誰に向けても堂々としていられる大義があった。天皇の御稜威(みいつ)に従い、これがために身を捨てる、すなわち「海ゆかば」の世界観である。
民主主義は、三島のいうように、たしかに、天皇に対する意味をもって、大義を言うことには難がある。

しかし、本当に、民主主義体制において、大義はありえないろうか。両立しないだろうか。
大義というものの考え方も、武士道といっしょに、戦後の憲法下で、完全に、露のごとく消えてしまったのだろうか。

もし、現代の日本において、大義というものが失われてしまっているのであれば、むしろ、西欧的米国的民主主義を、一旦取り去ってみてはどうだろうか。
そうして、日本人が伝統的に培ってきた文化やその思想・教育観を盛り込んで、日本固有の「民族憲章」なるものを産み出すべきである。

こうした観点からしても、現憲法は、一度、廃棄せざるをえないと考える。

2016年11月30日 (水)

練習機での特攻 (平成28年11月30日)

海陸の特攻では、徐々にまともな戦闘機などもなくなり、セコハンものの航空機を総動員しても間に合わず、ついには練習機として使われていた機体までも使うようになった。
特に最終盤である沖縄特攻では、それが顕著である。練習機だけは、あちらこちらの基地にたくさん残っていたのである。...

練習機は通称「赤とんぼ」(※)と言われる複葉機であった。満洲事変から太平洋戦争に至る間で、複葉機で戦闘したのは、重慶におけるシナ空軍くらいであった。当時、最新鋭機として登場した零式艦上戦闘機が重慶爆撃にも使われた。
(※海軍九三式中間練習機。練習機の多くはオレンジ色で複葉なのでこう呼ばれた。特攻の際は、濃い色に塗り替えた。練習機といえども性能はよかった。)

零戦飛来の噂を聞きつけたシナ軍は、さらに奥地へと逃げ込み、業を煮やした零戦隊は、引き上げると見せかけてUターンし、猛スピードでシナ複葉機を追いかけた。大人と子供の喧嘩であった。まさしく鎧袖一触(がいしゅういっしょく)であった。
シナ軍の複葉機はそれなりの戦闘機であったが、沖縄特攻での複葉機は練習機だったのである。

航空機の練習機は二人乗りで、前席の操縦席に練習生が乗り、後部に教官が乗る。特攻のときは、教官はいらないわけだから、一人で乗った。

かつて「特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会」の読者投稿欄に書いたことがある。秘密特攻基地といわれた万世などは、村人たちも手伝った急場しのぎのでこぼこ滑走路しかなく、そこから使い古した特攻機で沖縄に向けて飛び立った。せめて特攻くらい、整地された最良の滑走路から飛ばせてあげたかったなあ、と。

同協会の会報『特攻』より、「赤とんぼ特攻隊」の記事を転載します。
掲載は平成21年11月号、庭月野英樹という方からの投稿です。
文中の予備練(予備練習生)は、予科練(予科練習生)や飛行科予備学生ではありません。

<嗚呼壮絶「赤トンボ特攻隊」 14期海軍飛行科甲種予備練>

 先の大戦で愛機の胴体の下に爆弾を抱いて、飛行機ごと敵艦船に体当たりの「特攻攻撃」を敢行した戦闘機や攻撃機など、2400余機、3800余人の若人達が、肉親、同胞、祖国を護るために自らの命を捧げました。

 その中に、帆布張り、張り線付き(上翼と下翼の間に数本の張り線があった)、木製プロペラ、二枚羽根の「赤トンボ練習機」が、7機あったのです。終戦の17日前、昭和20年7月29、30日深夜に宮古島基地を飛び立ち、沖縄の敵駆逐艦に見事体当たりをして撃沈しました。

 現代の航空機に搭載されている方向指示器、レーダー、無線通信機、機銃も積んでいない練習機で、月夜とはいえ、目標の見えない太平洋を、250キロもの重い爆弾を積んで、深夜の海を飛んでいきました。

 選抜された優秀な若者達でした。終戦がもう少し早ければこの人達も生き残り、官庁や民間で立派な仕事をしたであろうことを思えば、本当に残念でなりません。戦争は、二度としてはなりません。

 一緒に征くはずだった私は、同期の玉井上飛曹、特乙一期の島内二飛曹と共に、6月20日に千葉県木更津の彩雲特攻隊に転勤、訓練を終えて、8月15日出撃予定でしたが、終戦により生き残りました。たまたま3人は長男でした。

 この特攻隊は、昭和20年5月に台湾の虎尾海軍航空基地で編成されました。それまで私達は、昭和19年4月から沖縄、石垣島で1年間、敵の潜水艦哨戒任務に就いていましたが、951航空隊石垣島派遣隊の二式哨戒機を連合軍の空襲で消失しました。そこで、予備練同期の三村、玉井、小生及び特乙一期の島内二飛曹と一緒に、この特攻隊に編入されました。

 先着組の零戦搭乗員による第一次8機、第二次7機は、いずれも天候その他で、途中の与那国島に不時着、大破して中止となりました。
 第三次は、私達3名が転勤してから7月27日に、三村上飛曹(水偵出身予備練)、庵一飛曹(丙飛6期)、甲飛12期の佐原、川平一飛曹、原一飛曹、近藤一飛曹、松田一飛曹により編成されたとのことです。

 米軍の記録によれば、駆逐艦キャラハンを撃沈、同じくブリシット、カッシングヤング、高速輸送艦ホーレス・A・バスに命中して、損傷を与えたことが報告されています。練習機7機で4隻の敵艦に損傷を与え、250キロ爆弾で1隻を撃沈したのですから、素晴らしい戦果でした。
 
このキャラハンは、特攻に撃沈された最後の米国艦艇だそうです。米軍側にも油断があったようですが、この帆布張り、低速の特攻機は、レーダーが捕捉できず、VT信管の対空砲火も効果がなかったとのことのようです。
このように、帆布張り、張り線付き二枚翼、木製プロペラ、拙劣な計器にも拘わらず、深夜の太平洋を、最後の最後まで、強固な意志で突撃した隊員達の勇気には、深甚の敬意を捧げたいと思います。

(私達予備練14期は、昭和19年4月15日、姫路海軍航空隊の九七艦攻操縦課程修業、即日充員召集、一飛曹に任命され、沖縄海軍航空隊付、19年8月現役編入、19年11月上飛曹、20年3月15日石垣島派遣隊、20年5月台湾虎尾基地龍虎特攻隊、同年6月10日723空彩雲特攻隊。)

2016年11月10日 (木)

映画 『THE WAVE ウェイヴ』

監督:デニス・ガンゼル、主演:ユルゲン・フォーゲル、2008年、108分、ドイツ映画、原題:Die Welle(英=The Wave

『エクスペリメント』などに似た、実験をテーマとした映画。それの高校生版とでもいえる。アメリカで実際に起きた事件をモデルとしドイツで作られた。

高校教師ライナー・ベンガー(ユルゲン・フォーゲル)は、校長から月曜から土曜の一週間の選択実習講義で、「独裁制」をテーマに指導するよう依頼される。

生徒たちにはディスコで踊り狂ったり、ドラッグを使っていたりするような連中もいた。テーマがテーマだけに、解説だけではわかりにくいと感じたライナーは、身をもって独裁をわからせるため、発言するときは立たせたり、自分に敬称をつけてベンガー様と呼ばせたりしながら、独裁の本質について授業を進めていく。


生徒たちは、次第に興味をもち始め、ライナーは三日目から、このクラスの統一感を出すために、全員が白いシャツを着てくることを指示する。

もともと生徒たちに人気のある教師であったため、日を追うごとに、生徒たちもベンガーの個性に憧れ、ベンガーに敬礼したり、みずから挨拶の手振りを考え出したり、クラスのロゴを考え出したりし、ついにクラスは‘Die Welle’(波)という名称までもつようになり、あたかもベンガーを独裁者とする集団が出来上がってしまう。

 

生徒の中には、さまざまな者がいるのも確かで、一日ごとの授業とは別に、それに多かれ少なかれ影響を受けながら、彼らの日常やクラスメートとの人間関係も、少しずつ変化していく。

マルコは水球部の中心メンバーであり、カロというガールフレンドもいるが、カロは白いシャツを着ていく日に赤い服を着ていき、まわりから疎遠にされ、途中からは、Die Welle に反対するポスターも作ることになる。

ティムは裕福な家庭の子であったが友達もなく、ヤクを仲間にあげて友達をなり、Die Welleにいることで、ようやく自分の存在意義を見出す。このティムが最も熱狂的に従順となり、ベンガーの警護まですると言い出す。

 

初めの三日ほどは、独裁指導がクラスの団結を増し、よいほうに作用している描写もあり、クラスメート同士の協力や真剣みを増すための特効薬のはたらきをしているのも事実だ。

だが、やがて、独裁的団結の下に、スタンドプレーに走る者や、マルコのように、彼女と独裁のはざまに揺れる者も出てくる。

スポーツに芝居に恋愛に、純情に生きる高校生たちが、いかに容易に、信頼する教師からの洗脳・指導にのりやすいか、また、のめりこみやすいかが、わかりやすく描かれていく。

実際、端緒はこうして、古今東西の独裁体制も築かれていったはずと考えると、テーマの選択として、なかなか類似の映画は現れないだろうし、ドイツ映画であることも興味深い。

何人かの生徒に絞って、ベンガーや仲間との関係を描写したのがよかったし、ベンガーと同じ学校で教師をする妻とのやりとりも活きている。

最後に洗脳指導は解かれるのだが、そのショッキングなラストへと向かって、映画全体が一定のテンポで進んでいく。このテンポがいい。

脚本が丁寧に書かれている。カメラは手持ちが多いが、そんなに疲れない。なぜだかシーンごとの映像にくふうがあり、また、実にきれいである。

2016年11月 7日 (月)

映画 『窓』

監督:テッド・テズラフ(Ted Tetzlaff)、原作:コーネル・ウールリッチ、脚本:メル・ディネリ、撮影:ウィリアム・スタイナー、主演:ボビー・ドリスコル、アーサー・ケネディ、バーバラ・ヘイル、1949年、73分、モノクロ、アメリカ映画、原題:The Window
 
テッド・テズラフは、ヒッチコックの『汚名』などの撮影をしていたが、後に監督になっている。DVDのパッケージにラズラフとあるのはテズラフの間違い。
メル・ディネリは、『らせん階段』(1946年)などの脚本で知られる。
 
販売元はブロードウェイ。埋もれたフィルム・ノワールを発掘し、販売までおこなってくれる会社が出てきたのは、まことにうれしい。
ジュネス企画では、古い白黒の名作を出してくれた。こういう会社は、大事にしなければならない。
それぞれに、そういう需要が大きいということだろう。
 
冒頭に、イソップ物語の「狼と少年」の言い伝えが出る。
少年はいつも、狼が来た、と嘘をついていたので、本当に狼が来たとき、誰も信じてくれなかった、という話だ。
 
トミー少年(ボビー・ドリスコル)は、仲間の子供たちに、出まかせの話をするうち、会話の行きがかり上、2~3日中に引っ越すと、嘘を言ってしまう。それを聞いた近所の人たちが、翌日、引っ越すならここに住みたい人がいるから部屋を見せてくれと訪れてきた。
トミーは両親(アーサー・ケネディ、バーバラ・ヘイル)に叱られる。
 
その晩は暑かったので、トミーは非常階段で寝ることにする。上の階の外に当たるところでうとうとして目が覚めると、わずかな隙間から、その家の中が見えてしまう。そこでトミーは信じられない光景を目の当たりにした。
そのへやの住人、ケラーソン夫妻が、ある男を殺してしまったのだ。
 
翌朝、トミーは両親に話すが、嘘ばかりつくと叱られ、へやを出るなと言われる。
本当のことを黙っていられなくなったトミーは、非常階段から通りに下り、警察に行くが、やはり相手にされない。……
 
このDVDは当たりだ。わずか73分で、大きなテーマがあるわけでもないが、サスペンス映画としては秀逸だ。子供を主役にしたサスペンスであるが、出来はよい。
この程度の素材でも、作る人が作れば、立派な作品になる。
日本のサスペンス映画も見習ってほしい。
 
父役・アーサー・ケネディにしても、母役・バーバラ・ヘイルにしても、トップスターではなくても、このころ準主役級で活躍していた俳優だ。アーサー・ケネディはこの後、『必死の逃亡者』『ミクロの決死圏』などに出演している。バーバラ・ヘイルはこの後、レイモンド・バーと共演で、TVシリーズ「弁護士ペリー・メイソン」にレギュラー出演し、日本でもなじみの顔となった。
 
場所の設定がよかった。
このころのニューヨークの下町によく見られる、一般庶民のアパートが舞台だ。向かい合うアパートにロープを渡して洗濯物を干し、窓の外に非常階段があるおんぼろのアパートが舞台だ。その建物も老朽化しており、トミーたちの遊ぶところは、その建物の内側の空洞のようなところである。この老朽化しているアパートという設定が、このストーリーにはありがたい舞台なのだ。
 
脚本もすぐれている。
トミーが殺しを見たことを、両親も警察も信用しない。しかし、母親に連れられてケラーソンのへやに行くことで、逆にケラーソン夫妻は、トミーに犯行を見られたと確信し、トミーを何とかしなければ、と思い立つ。
 
前半では、トミーの目撃談を誰ひとりとして信用しないという徹底ぶりがある。後半でも、ひとりでいるトミーはケラーソン夫妻に連れ出され追い詰められていくが、三人いっしょに乗り込んだタクシーの運転手も、後部座席で喚くトミーを見て寄ってきた警官も、誰も疑惑をもたない。このあたりも徹底している。
 
つまり、トミーの話が真実であるのを知っているのは、観ているわれわれだけなのだ。それだけに、トミーが追われて屋上に逃げてからのシーンは、緊迫感が増す。
 
殺人を目撃した話はジョージ・サンダース、バーバラ・スタンウィックの『殺人目撃者』があり、子供が目撃するものには、ハリソン・フォード主演の『刑事ジョン・ブック/目撃者』がある。後者は人間讃歌の側面もあり、この映画はむしろ、時代的にも前者に近い。それも、子供を主演にしたフィルム・ノワールだ。
 
カメラは特別なこともなく普通だと思うが、白黒らしい光と影を活かした描写はあるし、トミーの顔を二回に分けてアップにするという撮り方もある。母親に連れられてケラーソンのへやに行ったとき、応対したケラーソンの妻が、坊や、何を見たって言うの?というシーンでは、この女優がカメラを見て話している。カメラ、つまり観客が、トミーの目になっているわけだ。
 
舞台は日常のなかにある場面で、上映時間も長くなく、ラスト近くまで、トミーには全く救いようのない展開で、サスペンスの基本を忠実に実現した、その意味で、背伸びをしない「誠実な」映画だ。
 
ファーストシーンで、街並が映り、トミーのアパートが映り、そのなかの一つの窓がアップされていく。次のシーンで、トミーが壁に隠れて、仲間と遊んでいるシーンとなる。
この、窓への近寄りは、ヒッチコックの『サイコ』(1960年)でマネされている。
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2016年10月30日 (日)

映画 『飢餓海峡』

監督:内田吐夢(うちだ・とむ)、原作:水上勉、脚色:鈴木尚之、撮影:仲沢半次郎、音楽:冨田勲、主演:三国連太郎、左幸子、伴順三郎、1965年(昭和40年)、183分、モノクロ、東映。

杉戸八重(左幸子)が東京に出て、女郎屋に身を落ち着かせるまでが前半、10年後、八重が舞鶴に犬飼太吉(三國連太郎)を突然訪ねるところからが後半で、映画の時間もほぼ二分される。

自分の一生の恩に、ただただお礼だけを言うために、健気に娼妓の仕事をこなしてきた女、過去を忘れ、新たな人間として生き、自分の故郷の貧しい村や刑余者のために、金銭を惜しみもなく寄付する男、…女は一度でいいから男に会って礼を言いたかった、男は過去に絡む女にはどうしても会いたくなかった、…やがて男はまた、殺人を犯してしまう。

いわゆる逃亡ものであるが、人間心理や人間の業にまで入り込んだ小説を、うまく映像化している。恐山の巫女の祈祷などいくつかのシーンで、ネガにして映す(ソラリゼーション)など、心理描写を演出するのにくふうしている。

全体的にも、16ミリで撮影されたモノクロフィルムを35ミリにブローアップさせる「W106方式」という撮影方式がとられており、古典的作品を映画化したときのようなしっとりした落ち着いた映像ではなく、ザラザラとした映像シーンが多くなっている。これは、時代の不安や人物の焦燥感を表わすのに功を奏している。

ふだんお笑い調の似合う俳優をシリアスに、あるいはシリアスな雰囲気で知られる俳優をお笑いの役に使うというのは、キャスティングとして効果的で、よく使われる手だ。

喜劇役の多い伴淳三郎を、執念の刑事役とし、風見章子をあまりものを言わない犬飼の妻にするなど、効果的である。後半、舞鶴の事件捜査では、まだ若い高倉健が刑事役として出てくる。

それぞれの現地での撮影を中心に、大掛かりなロケも敢行し、ロケ現場もカメラが広くパンし、薄幸な人間たちに対峙する環境や自然も、うまく取り入れている。
特に、東京で働く八重の店の近所で、かなり横に動くシーンがあるが、セットもよく作られている、当時の東京は、こんな風だったのだろう。

大まかなストーリーは上のとおりであるが、3時間の尺をもつのは、付随的なシーンまで、細やかにフィルムに収めており、作りも丁寧だからだ。
東映は一時、長すぎるとして、監督に無断で、短いヴァージョンを作ったが、監督の抗議により、元のままの長さに戻されたという逸話がある。

しかし、この映画全編を観て、くどいほどに観ている者にうったえかけてくるものは、背景に広がる戦後の日本と、そこで何とかしてたくましく生きて行こうとする、社会の底辺にうごめく人間たちの生きざまである。

八重は犬飼の置いていった金で、あこがれの東京に出てくるが、働く場所は、まだアメリカ人やヤクザが闊歩するドヤ街の一杯飲み屋であった。そこを出て、ある女郎屋に世話になるが、初めて訪れたその店で、そこに置いてもらうことになったとき、うれし泣きをする。

荷物を取りに帰り、あす朝にはこちらに来る、と言って去ろうとするときの、おかみのちょっとした言葉がきっかけである。「あ、ちょいと、電車賃あるのかい?」

どんなにあこがれて来た東京でも、結局は大湊でしていたことと同じようなことをしなければならないのに、ここに置いてもらうことができてうれしいんです、と言って泣きじゃくる。
貧乏のどん底で、厄介になる置屋がようやく見つかり、電車賃のことまで気遣ってくれる、・・・八重の気持ちは痛いほどわかる。このシーンは涙を誘う。

八重は、大湊の女郎屋で犬飼と時を過ごすなかで、犬飼の伸びた爪を切ってあげる。行方をくらました犬飼の思い出は、へやで偶然踏んだその親指の爪しかなかった。現金と同じように、その爪を懐紙にくるんで後生大事に持ち続けたのである。
女郎屋の自分のへやで、その金と爪を取り出し、犬飼さんと呼びながら、爪を自分の頬や首に当てて動き回る。この映画唯一の官能のシーンである。

犬飼も貧しい男だった。それでもとにかく生きて行かねばならなかった。後半は嘘つきで傲慢な紳士のように映るが、貧困のルーツは八重と同じである。その八重さえも殺してしまう犬飼は、本当の意味での畜生になってしまった。

犬飼と八重の出会いは、森林軌道の後ろにつながれた客車でであった。そこで八重は、昼飯のおにぎりを頬張るが、その一つを犬飼にやるのである。例のおにぎりのシーンである。八重がなぜそういう親切をしたかといえば、その直前、犬飼の近くにいる婆さんに、タバコをひと箱恵んでやったのを見ていたからである。その婆さんは初め、床に落ちている吸い殻に火をつけようとしていたからだ。タバコも貴重な品であった。
これがまさに、運命の出会いであった。

映画として渾身のできばえである。単に長い作品なのではなく、映画としての楽しさを見せながら、人間の心理の奥底、人間のけなげさ、善悪といったものにまで踏み込んで描き出した重厚な作品となっている。

そして、実に悲しい話でもある。

映画 『言の葉の庭』

監督・原作・脚本・絵コンテ・撮影・編集:新海誠、音楽:KASHIWA Daisuke、声の出演:入野自由、花澤香菜、主題歌:秦基博「Rain」、2013年、46分。

『秒速5センチメートル』の映像美やセンチメンタリズムには共感したが、私は「映画」として観てしまうので、ドラマやエンタメ性は味わえないままであった。というより、そういったものは初めから捨象されていたかのようであった。

これに比べれば、『言の葉の庭』は、映画としても秀逸な仕上がりになっている。強めではないがドラマ性もあり、核があるから周辺の曖昧さも生きてくる。

キャッチコピーは「"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり。」とあるが、万葉集には、「恋」に、「古非」「古比」「孤悲」といった文字を当てた歌があるそうだ。「孤」は孤独を意味し、「悲」は文字通り悲しみを意味しているのだろう。

高校1年で15歳のタカオ(秋月孝雄、あきづき・たかお)は、雨が好きで、年よりは少し大人びた実直な性格をしている。

朝の通学時、新宿で乗り換えるとき、雨が降っていると、一限をさぼって、わざと新宿にある広い庭園(新宿御苑)まで行き、東屋で靴のスケッチをすることにしていた。タカオは靴職人になるのが夢であった。

ある日、いつものように庭園に行くと、そこにはOL風の妙齢の女性が座っていた。しかし、脇にはチョコレートを置き、朝から缶ビールを飲んでいる姿に、とまどいと違和感を感じる。ただ、どこかで会ったような気もした。

タカオが消しゴムを落とし、女性が拾ってくれたのをきっかけに、言葉を交わし、その後会うたびに、少しずつ会話するようになる。女性がユキノ(雪野百香里、ゆきの・ゆかり)という名であることを知るのは、それよりずっと後のことであった。・・・・・・

雨の日の朝、二人はその同じ場所で何度か会うことになる。
後に明らかになるが、ユキノはタカオのいる高校の古典の教師であった。ある一件と噂に押されて、ユキノは学校に足が向かなくなっていたのだ。

二人が初めて会ったとき、ユキノはタカオに、次の歌を残して去っていく。これは『万葉集』の柿本人麻呂の短歌だ。女から男に向けて詠んだものだ。

雷神(鳴る神、なるかみ)の 少し響(とよ)みて さし曇(くも)り 雨も降らぬか 君を留(とど)めむ

訳:雷の音がかすかに響いて、空も曇り、雨も降ってこないでしょうか。もしそうなれば、このままあなたをここに引き留めておくことができるでしょうに。

何度目かの出会いのとき、タカオはユキノに次の歌を返す。同じく、柿本人麻呂の短歌で、男から女に向けて詠まれている。

雷神の 少し響みて 降らずとも 吾(わ)は留(とど)まらん 妹(いも)し留(とど)めば

訳:雷の音がかすかに響くくらいなら、雨が降らなくても、私は留まりますよ、あなたが引き留めてくれるならば。

俄かに豪雨になり、タカオはユキノのへやに行き、服を乾かしてもらうかわりに、料理を作る。そして終末を迎える。
ついに、二人は互いに、ホンネをぶつけ合ってしまうのであった。

冒頭からラストまで、ほとんどのシーンで雨が降っている。
洋画での雨もそうだが、特にかつての邦画で使われる雨は、多分に演出として使われる。悲しい出来事の前触れであったり、別れを暗示したりするほか、女の涙や恍惚を象徴している。それは演歌に出てくるときも同様だ。

しかし、この映画の雨には、鬱陶しさや湿気というものを感じない。多くの日本の映画で、雨がおよそ肉感的な道具や別離の象徴として使われてきたのに対し、この映画の雨にはそれを感じない。

雨自体が美しさやはかなさの象徴であり、それを背景として、二人の物語はゆっくりと前へ進む。雨の粒が、池の面に当たったり、木々の葉に当たったりする描写もみごとで、一つ一つの雨のしずくが輝いているように見える。

ある日、タカオはユキノに合う靴を作るとして、ユキノの足のサイズを測る。ユキノは裸足になってベンチの上に立つ。タカオが初めてユキノの素肌に触れる。この映画で、官能が描写されるシーンだ。
このシーンから、映画『天城越え』(1983年)を思い出した。中学生である少年(建造、伊藤洋一)がハナ(田中裕子)から、足指の股の擦れを手当てしてもらうシーンだ。他に比べると長いこのシーンは、少年が官能の扉を開けたことを象徴している。

季節は、梅雨入りから、エンドロールでの雪の日につづく。
ひとり庭園に来たタカオは、ユキノのために作った靴を、脇に置く。

靴の製作だけに専念する一途な少年と、心に傷をもつ女性との淡い恋の季節を、静かに描き出した佳作である。

2016年10月20日 (木)

配給会社に期待する

われわれが映画館で映画を鑑賞できるのは、制作会社の作った映画をわれわれに提供してくれるところがあるからだ。それが配給会社だ。

配給会社の役割は重要だ。配給会社がうまく動いてくれなければ、作品を観ることもできず、下手をすれば、一般市民はどこにどんな映画があるかもわからないままとなる。文化のジャンルだから、政治的問題は生じないだろうにしても、どんな映画にも言えることだが、採算をとれるかどうかも問題だ。

2011年6月、最寄りの椎名町駅踏切脇にオリジン弁当が誕生した。
惣菜ができて商品化するまで、つまり、原材料購入から消費者が惣菜を買うまでには、さまざまなプロセスを経る。その日その日の客足や購買の大きさは、鶏の唐揚げなどスタンダードなおかずを用意するなり、野菜をもっと食べましょう、といった健康志向のキャッチフレーズで、何とかしなければならない。
しかし、毎日の衣食住にかかわることだから、大当たりもないかわりに堅実でコンスタントである。そのかわり食中毒でも出せば、営業停止は必至な業種だ。

採算がとれなかったのか、1年ほどで閉店した。

映画は、作品の企画立案から劇場、DVD販売にいたるまで、実にさまざまな人間が介在して成り立っている。
しかし、映画は食とは違うから、観なくても生活はできる。映画館に行って自宅へまっすぐとんぼ帰りしたとしても、計4時間前後はかかる。休日に、他の用事でも入れば、映画館は二の次となる。
それでも、映画の好きな人は映画館に行く。

映画館に行くと決めたら、多少の雨でも風でも、今日は逃せられないとして、目的地に行く。その人にそうさせるだけの映画に対する情熱を、どれだけ多くの映画関係者が共有しているかに、今後の映画産業の行方がゆだねられている。

映画一本が、監督・俳優・撮影・編集・美術・音楽その他多数の人間によって製作されるように、映画業界自体は、製作会社と上映会社(興行場所=映画館)以外に、それらをつなぐ配給会社が重要な役割を担っている。多くの場合、ここがなければ、映画の上映はありえない。特に、外国から映画をもってくるには、絶対に必要な部分だ。

いくらすばらしい映画があっても、それが発見され、または、それをよしと見抜いて映画館に売り込む役割をする部分がなければ、結局、われわれ一般視聴者には、何があるかわからないし、観ることもできない。製作者からすれば、いい監督を選び、いい俳優を起用して、せっかくよい作品を作ったのに、それを一般大衆に観てもらえない、という無念の結果が生じるのである。

映画を作る側は、観てもらいたくて作る。いい映画であれば、それを宣伝して、上映してくれる映画館を見つけ、観客にもいろいろな形でアピールするのが、配給会社の役割だ。

といっても、映画館も、それなりの場所をそれなりの設備で用意するのだから、一定の収入はほしいし、製作側は製作費以上のものを得なければ赤字になる。宣伝営業や流通確保をするのだから、それなりの収入はもらいたいというのが配給会社の言い分でもある。映画には常に、興行収入が伸びなかったらどうするか、というリスクが伴う。

それだけに、すぐれた作品かを見抜く眼と、それが多少とも観客に受け興行収入が見込めるかどうかを見定める眼が、配給の仕事には必要になってくるわけだ。

単に、前売鑑賞券を割りふるくらいだけであれば、配給の仕事もおもしろくないだろう。言っちゃ悪いが、それは事務屋の仕事だ。すぐれた作品を観客に見せるのが本来の仕事で、事務屋のままであってはならない。

本人がこれは本当にすばらしい映画だ、と自ら感動したら、それを、他のたくさんの人に観てもらいたい、と思うのが映画産業に生きる人間の情熱というものだろう。

配給会社は、われわれ鑑賞する側からすれば、縁の下の力持ちなのだ。スクリーンの初めや終わりに映るくらいだが、彼らのおかげでわれわれは映画を観ることができる。
それでも、われわれの観うる映画は、この世に完成した作品の一部でしかない。発掘されても、収入が見込まれなければ目をつけられないというジレンマはある。こうなると、映画産業のシステムの問題にもなってくるとは思う。

映画人口は、映画の危機と言われた1995年前後ころからすれば、ずいぶんよくはなっているように思う。ここ数年の状況は、統計上では、1978年前後位の状況にまで戻っている。これは全国映画館入場者数の推移であるので、今ではDVDなどでの鑑賞も多いから、映画館でなくとも実際に映画は、よく観られていると思う。映画に対する人々の関心は薄れたとは思えない。

映画はだいたい土曜に初日を迎え、日曜を経て、その週の金曜までの状況で、どのくらい客足の伸びを期待できるか判断する

初日、二日めあたりに、あちらこちらのレビューでこきおろされたら、客足が途絶えるし、製作者側は金にならないし、配給会社は宣伝コンセプトと客層ターゲットの読み違えとばかりに、製作者側と興行者側とから叩かれてしまう。こっそりサクラを使って、あちらこちらのレビュー欄で☆五つを連発するなんてことはありうることだ。

自分の言説を目立たせたいための評論家やブロガーの批判に、よくも悪くも影響されないような姿勢が、配給の仕事の生きがいになっていれば、映画はおのずと観られ続けるものではないかと思うのだ。

2016年9月10日 (土)

答案用紙に現れる、受験生の「生きざま」 (平成28年9月10日)

8月は滞っていた入室生徒の流れが、今月に入り、また再開した。

7月中旬に入ってくるのは二種類で、それまでの中間や期末の試験結果が悪い者と、受験学年や浪人生のうち、他の予備校や塾に通っていた者が、そこでの授業に付いていけなくなったり、特定の科目の特定の分野が不得手であることがわかったりした場合である。

8月は、それらの生徒や従来の生徒がペースを乱さないために授業を進める季節であって、特に、中旬以降の入室は多くない。

9月になって入ってくるのは受験学年が多い。7月に入ってくる受験生の9月版である。8月まで予備校や塾に通っていたが、どうも成果が上がっていないという感触が本人にあって、入ってくるのだ。

加えて、7月下旬や8月中旬までのさまざまな模擬試験の結果が、8月下旬には出そろっている。成績が上がっていないとわかれば、今いる予備校や塾にだけ通っていていいのだろうか、と思い始めるのだ。

この自己分析や保護者の分析は正しい場合が多いのだが、そういう成績不振の生徒だからこそ、はっきり言って、9月の入室ではすでに遅い。勉強の成果が模試に反映されるには、タイムラグがあるのだ。

今日も、医学部をめざす浪人生がやってきた。結果的に入室したので、来週から数学の授業が始まる。人物として好感をもてるし礼儀正しいのだが、入試とは成績だ。Sという予備校に教室生として通っていたのだが、模試の結果は決して芳しくない。

最近の模試結果は、データだけでなく、添削してある答案のコピーも付けてある。これはこちらとしてはありがたい資料だ。教師はまず、受験生の「答案用紙の上での生きざま」を見るからである。そこには、解答するという制限された時間を「どう格闘したか」、つまり大仰に言えば「どう生きたか」が現れている。

中学受験でも大学受験でも同じなのだが、いま成績不振でも、いずれもっと高得点を狙えるであろう、という答案と、高得点に至るには相当の時間がかかるであろう、という答案がある。

小問はほとんど正解で、大問に失点がある答案が前者であり、すべての回答欄に平均的に正解と間違いがきれいに混じっている答案が後者である。今日入室した生徒の模試の答案は後者であった。

原因は明らかであって、Sという大手予備校に通ってそこのカリキュラムに沿って勉強していくほどには、「基礎」がないのである。この場合、基礎とは、ひとつひとつの知識だけでなく、解答に至るまでの方法や「勝手」をさす。受験勉強の方法論が自分のなかに出来上がっていない生徒は、そこに密度の高い内容を叩き込まれても右往左往するだけで効果はなく、悲劇的な結末を迎える。

大学受験の「基礎」は、高校での学習内容である。高校での学習内容の基本は、日々の授業である。それを補強するのが、日々の自宅での学習である。

さらに、高校での学習の前提は、当然ながら中学の学習内容である。中学生のころは、身体の発育とともに、頭の回転も早くなるチャンスであり、要領のよさや能率性を、無意識に獲得できる時代でもある。

例えば、英語は中学から始まる。大学受験で英語が不得意な者は、突き詰めていくと、ほとんどすべて、中学時代に、英語の勉強を怠けていた者である。ツケが回ってくるのだ。その代償は高くつく。

取り返すには、ほとんど同じ時間がかかるのだが、高校になれば、興味関心が広がり部活にも時間がとられる。その高校時代に、遅れを自ら取り返すのは至難のわざであり、それを手助けするのが、皮肉にも、塾や予備校ということになる。

およそ、塾や予備校は、株式会社であるからには利潤を追求する企業である。知識よりも勉強方法や「能率」のよさ、さらに、個々の問いに対する「解法」を身に付けるところが、塾や予備校と割り切るべきである。でなければ、企業の餌食になるだけに終わる。

これらの体得には、多少の対価を払っても引き合うだろうが、受験生本人に目的意識もなく、ただ「予備校生である」ことに甘んじているだけでは、本人にとって何の利益もなく、むしろ失うものばかり多くなる。

取り返すものが多い受験生は、これからの時期、文字通り必死にならなければならない。そうならないようにするには、平時から学習習慣を失わないように心がけていればよいのだ。そのほうが、受験直前に慌てふためくことがなく、平時のまま受験態勢に入れる。

結果的に、進学先の選択の幅が広がる。

2016年8月22日 (月)

親米保守とは、一線を画す (平成28年8月22日)

 私は、さまざまな政策に関し、根底では、アメリカという国を信用していません。
というより、まず、感覚的に嫌いなのです。
 
これは、戦争の現場だからお互いさまですが、歴史の因果に一切触れずに言えば、事実として、若く優秀な親類が米軍の攻撃を受けて殺された、ということが原点にあります。
 
古い価値観を背負ったままでいると非難されそうですが、この事実を消すことはできません。簡単にいえば、ヤンキーゴーホームという心理が、いまだに心のどこかにあるのです。
ロシアを露助、中国をチャンコロと呼ぶように、私にとってアメリカは毛唐なのです。
 
かつて、小泉内閣当時の終戦の日に、アメリカ人が靖国神社の神門手前で、小泉総理賛成と書いた札と、アメリカ国旗を持って、参拝者の注目を浴びようと立っていました。そのこと自体が、場所柄や日柄をわきまえない、大変低能なことと思います。動画にもアップされていました。
 
一部の日本人の年寄りがこの男と握手などしていましたが、私にはとても不快な光景です。
ところがその直後、右翼の青年たちなどが来て、そのアメリカ人に文句を言い始めました。そこに「毛唐!」という言葉も聞かれ、すっきりした覚えがあります。
騒ぎを聞いて駆けつけた警察官により、この男は靖国通りの反対側に連れていかれました。
 
その混乱のなか、靖国神社の神官も寄ってきて、いいことを言いました。
「あなたは、もうお参りしたのですか?」
もみくちゃにされていたので、音声は聞き取れませんでしたが、おそらく参拝などしていなかったでしょう。
こういうお祭りバカには、靖国の参道にさえ、入ってきてほしくないものです。
 
日常的にアメリカの映画や製品を享受しているとはいえ、まず、感覚的に、国家としてこの国を「好き」にはなれません。
 
歴史的にも、結論は同じです。
 
アメリカは実に、利己的な勢力拡大政策だけをとってきました。
多かれ少なかれ、どの国も自国の利益を優先させるのは当然ではあっても、その勢力の拡大のためには、正義も法もなかった、というのが、アメリカの歴史です。
 
戦前戦後から、資源や物量と広い国土ゆえの大国だっただけです。それを基盤とし、自由を尊重する大国としてさまざまな発明・発見があり、能力的にも秀でた人材をもつ国家であるというのは認めます。
一方で、イギリスからの逃避と独立、その後のフロンティア精神という美名のもとでのインディアンなど先住民族の駆逐、フィリピン争奪のためのスペインとの戦争やハワイの占領などは、まさに現在、中国がチベットやモンゴルでおこなっていることと軌を一にすると思うのです。真珠湾攻撃のとき、ハワイはまだアメリカの州ではありませんでした。
 
帝国主義の時代のイギリスやオランダの動きを見て、遅れをとるなと思ったのは理解できます。人道主義の一面もあり、相手を尊重して議論することもできます。民主主義の成熟した国家をめざしてきたことも事実として認めましょう。
 
しかし、そのアメリカ自体にも問題は山積しており、国内の問題は、そう簡単に解決はしていません。
 
国際機関といわれる国際連合についても同様です。
 
第一次世界大戦後、世界の平和と進歩のために、まずは、日本も常任理事国として加盟した国際連盟ができましたが、アメリカは議会の承認を得られず、結局、不参加となりました。
第二次大戦後、国際連合なるものができ、日本も参加しましたが、国際連合とは名訳で、United Nations ですから、米英側連合国の結束を、そのまま世界平和を希求する国家間の結びつきに衣替えしただけです。
 
柔軟な思考をもつアメリカが、国連に関することにだけは、何の変革も求めず、アメリカに次いで拠出金の多い日本については、いまだに非常任理事国のままにして、中国に大きな顔をさせたまま、拱手傍観の体を崩していません。
ましてや、核を持ちながら、核縮小に向けての発言を繰り返すなど、矛盾しています。
 
国家間の協力と、国家間の独立とは、別です。
独立した国家が、相互に協力し合うなら、それは初めて国家間の協力となるでしょう。
 
ちょうど、保守回帰の機運が高まってきました。
憲法改正を初めとして、アメリカが講じた占領政策の「恩恵」からは、いい加減に足を洗わなければなりません。仮にアメリカが、恩を返せというなら、もう遠の昔に返し終わっていると思います。
 
憲法改正やアメリカからの乳離れと、日米安保や在日米軍基地とは矛盾しません。
独立国家が、防衛面で協力するのは、今後アジアにおいてもよく見られることになるでしょう。
 
しかし、ずっと遠い将来、アメリカの世話にならずとも、防衛面で、日本がひとり充実した国家となる方向を目指すべきです。
そこから、インド、ベトナム、フィリピンなどアジアの国々や、洋上の島国などとの、新たな協力関係や行き来が生まれてくるものと考えます。
 
いずれにしても、アメリカの国益を優先させるために日本が犠牲になる、という図式からは、少しずつ脱却していかねばなりません。

2016年8月16日 (火)

難関大の文系学部は、英語と現代文が、合否を左右する !!!

☆難関大の文系学部は、英語と現代文が、合否を左右する!!!

 


<入試一般について>

 

◆国立大学は、理系・文系にかかわらず、数学が相当できないと合格は難しい。

◆難関私大は、理系・文系にかかわらず、英語が相当できないと合格は難しい。

◆難関国立私立文系は、国語、特に現代文が相当できないと合格は難しい。

◆以上に言う「できる」とは、その科目の好き嫌いにかかわらず、「得点できる」という意味である。

◆難関大学制覇のための受験勉強は、緻密な作業と労働であり、持続的な職人芸に近い。つまり、ことの是非は別として、勉学に関し、緻密さと持続性が要求される。

 

 

<英語・国語の長文読解問題の特徴>

 

◆国立大学と私立大学とでは、問題文・作問の形式に、顕著な差異がある。

◆国立大学と私立大学とでは、問題文の内容とレベルに、顕著な差異はない。

◆問題と選択肢の文章は程度が高いが、それだけに悪質な問いはなく、良心的な問いが多い。

◆解答への要求水準は高いが、緻密に積み上げた経験的努力によって太刀打ちできないことはない。

◆選択肢の文が長い場合も多い。根気と処理能力が要求される。

 

 

<英語で高得点をとるための心がけ>

 

※これは受験直前までに実行しなければならないカリキュラムである。

◆5文型・関係代名詞・to不定詞に精通する。

◆文の要素として、名詞(単語・句・節)、形容詞(単語・句・節)、副詞(単語・句・節)とそのかかりぐあいに注目する。

◆文中にある単語のアクセントの位置、派生語は、その場で調べ、覚える。

◆単語・英文は音読する。

◆接頭語・接尾語を征服し、見知らぬ単語に出くわしたときの対策にする。

◆接続詞・前置詞は長文読解の助っ人となる。

◆どういう立場で書かれた文章か見抜くため、キーワード・キーセンテンスをチェックしつつ、大意をつかもうとしながら読む。文章のメリハリをつかむ。

◆英語の歌・音楽・雑誌に親しむ。英字新聞は不要。



<選択式問題の特徴>

 

入試問題の多くは、選択枝問題である。これは、中学入試・高校入試でも主流である。

大学入試では、選択肢の文そのものが長いが、センター入試については、全問正解したい。

 

記号式4択または5択が多い。記号選択式問いは、最後には二者択一となる。その二者が、どちらも正解のように見え、どちらも誤りのように見える。

 

問いになっている傍線部の前後をよく読み返す。

それでも判断できなければ、本文全体の趣旨に立ち返る。

選択肢文中の語や表現のなかに、手がかりとなるものを見つけ、やむを得なければ消去法でも一つに絞っていく。

 

消去していく選択肢の文章:

 ある用語が間違い。

 文のある一節が間違い。

 全体には筋が通っているが、本文からそこまで言えない。

 

 ②は見つけやすい。③に引っかからないようにするには、多くの問題に当たるしかない。

 

選択式問題は、あまり考えすぎると、設問に対し近視眼となり、かえって戸惑うことになる場合も多いので、明らかに誤っている選択肢以外の選択肢を、上記のとおりにやり直してみる。

 


<論理的文章に対する慣れ>

 

論理的文章であれ、小説・エッセイであれ、受験生にしてみれば、学校の授業や宿題・課題、予備校のテキストで訓練してきた以上の内容が出題される。

その点では受験生全体に平等であるが、やはり難題となる出題が多い。

受験対策というより、以下のような条件を満たす受験生には、やや有利かも知れない。

 

*論理的文章を読みなれており、各段落を一気に読み、論旨の展開を追うことができ、筆者の意図や立場を、読みながらにしてうすうす把握していくことができる。

*論理的文章であれ、小説であれ、文章というものにアレルギーがなく、また、偏見なく読むことができる。

*小説に関しては、時代にかかわらず、純文学も読んでいた。



<できる対策>

 

◇常日頃、活字に接し、文章や、文章による表現というものに、アレルギーをもたないようにしておく。

◇どうせ難しいに決まっている、だから自分には太刀打ちできないだろう、といった先入観やあきらめをもたない。

◇論理的文章では、論旨のメリハリをつかむ。

◇小説・エッセイでも、「論理的に読む」習慣をつける。

◇選択式問題では、ひとつの回答にいたるまでに勇気がいる。しかし、正解の選択肢には、それが正解であるという根拠(理由)がある。

 

 

<学習上の心構え>

 

☆どんな単語、問題文、長い文章が出てこようが、平然としていられる度胸をつける。

☆勉強にかかわる羞恥心を捨てる。

☆勉強と勉強の合間を、12時間以上空けない。

☆偏差値の近い者同士では、誠実に勉強している浪人生のほうが実力がある。

☆入試に不合格は付きものである。

だが、落ちるかもしれないという不安から逃げずに、これを受け留めて進む。

☆予備校や塾のために勉強するのではない。予備校や塾は、利用するのである。

☆受験は、親や教師や仲間との闘いではない。おのれとの闘いである。




 


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